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コロコロのアート 見て歩記&調べ歩記

美術鑑賞を通して感じたこと、考えたこと、調べたことを、過去と繋げて追記したりして変化を楽しむブログ 一枚の絵を深堀したり・・・ 

■2017年:[1~2月] 鑑賞記録 簡単メモ

 

 ■■■■■■■■〈2017年 2月〉■■■■■■■■■■■

■(2017/02/28)  /  [02/27] そごう美術館 第49回神奈川県私立小学校 児童造形展

こころがかたちになった
神奈川県私立小学校教育協会が主催する、年に一度のこどもたちによる作品発表会。

 

私立の学校でこのような美術作品展が行われていることを初めて知った。公立vs私立という対立構造で見てしまいがちでした

が、こういうところに力を入れることができるのは私立教育のよさか・・・

懐かしい作品・・・  こういうの作った、作った。図画工作というのは、そういうカリキュラムがあるのか。ボックスアート ボトルアート  毛糸  

流木などの形を造形に  何に見えるか。物の特性を生かす

 

浮世絵と版画の違い。

鉛筆の削りだしで、こんなにもパターンが・・・

学校によるカラー  なぜか、色の傾向などが同じになるのは、テーマの共通性か?

 

ーーーーーーーーーーーーーー

 「絵は魂を表す」「絵が下手なのは魂がからっぽ」

 

あのドラマで語られていた言葉、ずっと気になっていたのですが、それを思い出させられました。

芸術とは? いかに生きるか・・・・・  「生きる」とうことについて、臓器提供という問題と「絵」を描くことにからめて問いかけようとした作品?

 

■(2017/02/19)  /  [02/18] そごう美術館 再興第101回 院展

西田俊英ギャラリートーク

西田 俊英 コロポックルの月 

瀬戸内しまなみ海道をイメージ。まず最初に描いたのは月。昼間の雲の状態から墨を入れる。真ん中の月と雲を描いてその周りを描く。その月の光を見ながら・・・ どこに光があたるか。童心に帰って描きたいように。物語性、芸術性

 

・巨大な蕗への注目から、遠景中央の蕗の濃淡に目がうつる

・巨大蕗に注ぐ光  絵の中に注がれる光

・ベースの色の重

 

故 松尾敏男前理事長 特別出品 月輝く古都 

月が暖かい 冷たい色の青も・・・ ドームは花のよう

喪章・・・・  晩年の様子  ゴルフが好き それは、足腰が弱くては絵が描けない。ジェントルマン。女性に家族に優しい。

 

解説より

気象の変化などで見ていた光景が一変することがある。時間も同じ役目をする。

いつも見慣れた昼の風景。帰国の前夜、夜半に窓から見た時、そこには昼間見ていた街と別のものが・・・ 黒いマントに覆われた屋根屋根の中に、寺院の塔が輝いていた。日本画の材料、群青の輝きの青に包まれた古都の寂の空気を表現。

絵は、単純に好きか嫌いかで見ればいい。どんなに偉い方の絵であっても、自分の好みとは違うな・・・って思ったっていい(笑) まだその深みが理解できていないということなのだろうけど、そのうち、見え方が変わるのか・・・ ということでここにメモ。

 

那波多目 功一 アイガ―北壁 

平成2年、松尾先生とスイスのグリンデルワルドの町で写生。
かなり細かく自分なりに滿足出来き、何日(いつか)絵にしたいと思いながら、17年。今、描かなければ描く機会を失ってしまうと思い大きな画面に挑戦。

 

松尾氏と那波多目氏の師弟関係を感じさせる北壁 向かい合わせの展示  虫の知らせ? 偶然が描かせた? 16年あたためた取材を今、恩師松尾氏に送る形に。

 

田渕 俊夫 飛鳥川心象 春萌ゆ 

なぜか松林図屏風と重ねる  曖昧な焦点  近づく 遠ざかるの距離感によって見え方が・・ 黒い部分に吸い込まれる  雪あとの方向による視線の妙 心象風景?

  

奈良県明日香地方を流れる飛鳥川は、日本で最も歴史のある川の一つ。静かな田園の中をゆったりと流れる。が過去には古代国家の激しい興亡を見つめ、また、万葉人に愛でられてきた川。

 

今井 珠泉 風蕭 

“樹木が年間の大部分を強風に晒され、真直ぐに伸びることが出来ずに、それでも逞しく生きている。それを土地の人は風衝樹と呼ぶ”と聞く。早速取材に。厳しい自然の中、風衝樹を写生 

雪がいかに描かれているか。方向、厚み、描かれていない場所。鳥の周辺。こちらもまた松林図屏風に重ねていた。この雪を墨で描いたとしたらどのように描かれるのだろうか。簡単にスケッチメモ。

 

〇近藤仁  村雨

自然の描写に心惹かれることが多いのになぜかビルの谷間を描いたこの絵の前で立ち止まる。(本来好きではないテイストなのに引っ張られる。それが本当に力があってすごいことなんだと思う。単に、自分とのフィーリングがあっただけともいうのかもしれないけど)全面を覆う雨のせいか・・・  そしてこの絵が放つ光。太陽光ではない光。集中する光。影、緑の光。視点の複雑さ? いったい目線はどこから見ているのか。ビル街、遠くに見える海。注視して浮かび上がる川や橋。ビルの光。四角で描かれる細かさ。金で描かれる雨。ベンチに座るとまた違う景色が・・・ あっ、線刻(とは言わないのだろうけど)もある!

 

 

■(2017/02/18)  /  [02/17] 国立科学博物館 常設展

〇常設展:シアター360 

ラスコー展連動企画「人類の旅」を目的にでかけるも、一日2回の上映で間に合わず残念。

マントルと地球の変動–驚異の地球内–       

・海の食物連鎖–太陽からクロマグロをつなぐエネルギーの流れ– を見る。

浮遊感を感じるという触れ込み、気持ち悪くなる人が・・・というインフォに、いろいろイメージしていたけども、あれ? こんなもんなんだ・・・と思ってしまった。が、昔は大陸は一続きだった。それが分割して今の形になったと聞いていたが、マントルの噴火によって、亀裂が入ったというのは納得。大陸の端が分離して、ひょっこりひょうたん島みたいに、プカプカ、大陸が移動した・・・・と思っていたかも(笑)

19:00からは、毎週金曜限定の、愛・地球博で上映された映像。こちらの方が浮遊感など強く感じられ楽しかった。

そして愛・地球博の時に感じたことを思いだした。筑波万博で見た時のさまざまな映像インパクトの方が強かった。当時は360度画面ではなかたけども、臨場感あふれる映像に何度も、訪れて見た。また、3DのDNA螺旋の映像インパクトが強く、映像におけるブレイクスルーを体験してしまったので、360度画像は想定内。既知のものとなり斬新性に欠けてしまうのだな・・・と。映像面での新技術革新の衝撃度は、つくば万博で頭打ちになってしまった感あり・・・なんて思っていたことを思い出させられた。

 

 

〇地球館:地球環境の変動と生物の進化 ⇒

・古代の時間表現 見せ方

「人類の旅」を見ることはできなかったけど、地球館の展示で十分、堪能できた。時間スケールを等尺で見せて欲しいという希望を持っていたのですが、次第にせばまる時間間隔の短縮をいかに見せるたらいいのか・・・・ 自分で考えていた方法(⇒*1)の他に、なるほど・・・と思う見せ方がいくつか提示させられており、こういう方法があるのかと感心。宇宙史、生命史、人間史 その時間のスパンの違いを同列に並べつつ、渦巻で見せる表記方法。こんな方法があるんだ・・・・

 

▼渦巻状に表示し 宇宙史 生命史 人間史を同時に表記し比較

   

 

 

▼棒グラフからの引き出し *1     ▼等間隔で表記     

     

↑ この表記法を考えててたけど   ↑時代のスケールがわかりやすい  

 

北京原人ジャワ原人、アウストラロピテスク・・・

かすかな記憶の中にいた進化の過程の人たちが、ラスコー展では登場しなかった。どうしちゃったんだろう・・・と思っていましたが、学説ががらりと変わっていたということを、聞いてはいたけど、実際に展示を見て、その変遷がよくわかった。

また、新学説の新人類の最新情報なども展示されていて、聞きかじりの部分が補足された。

時間に余裕があれば、ラスコー展に、再度入場しようかと思っていたけど、地球館の充実度に時間が足りないくらい。

ホモサピエンスの前のホモ属。こちらもアフリカからいろいろ散っていた。世界への広がり方がより詳細に展示。逆方向から見てしまったので最初、戸惑ってしまったが、数字の順番に見ていくとよい。

壁画もラスコーだけでなく、他の壁画情報もあり、インタビューもある。フーヨー洞窟の研究者、なぜ、洞窟から装飾骨角器が発見されるのか。純粋な芸術を目的とせず、壁画と同様、呪術行為ではないか。実用品ではなく、呪術的価値を持っていた・・・(まだ仮説)→(そうか、呪術説かぁ・・・)

 

動物画が多いのは神話的かたり。子供の手形は通過儀礼。槍のささった動物は、成功への祈り。そして個人の自由意思。研究者によっていろいろに語られているもよう。理由に地域差もあるのだろうか・・・・・

 

〇日本館:2F北翼 3たくみに生きる縄文人

以前も見たけど、縄文関連の情報、ちょっと知識を入れたので見え方が変わる。

 

〇日本館:1F 自然を見る技  

微小を知る顕微鏡 好奇心から生まれる科学の目

こんなところに顕微鏡の歴史があったとは・・・ というか以前も、このコーナーは、見ていたはずですが、問題意識の違いで受け止め方は変わる。⇒(「顕微鏡」「写真」「電球」の発明と美術への影響(覚書)シーボルトが持ち込んだという顕微鏡を見たかった。

 

企画展「花粉と花粉症の科学」

花粉症発症のパネルの表現方法 見せ方ユニーク、わかりやすい

 

花粉症の対策は、既知のことが多く、新奇性はあまりない? 医療面での最新情報。

花粉についての学習

 

▼つぶやきで花粉情報を知る  

 

つぶやきでみる花粉症話題度マップ

今時の時代性を感じさせられます

 

▼乳酸菌の働き  腸内の様子 絨毛がマイクロファイバーモップには笑いを誘う。展示に際していろいろ考えるのだろうな・・・と。

 

 

■(2017/02/10)  /  [02/10] マティスとルオー展を語る! 「山田五郎アートトーク」 ⇒

山田五郎さんのアートトークに参加。トークの前に展示を見てから・・・のつもりが、トークショーにも遅れてしまった。すごい参加者。マティス、ルオー。私は知らなかったけど、有名らしい。日本人はルオーが好きなんだと五郎さん。出光、清治、ブリジストンと所有する美術館は多く、梅原 龍三郎が日本で初めて持ち帰っていた。

 

最近は、トークショーも知識を入れる前にまず鑑賞するのを習慣にしていたけど、今回は先にお話しが聞けてよかった。基礎知識0で、2人の手紙のやりとりや絵を見ても、読み取るのは、難しかったと思う。また、マティス・ルオーに至る美術史の大まかな流れをお話していただけたのも、西洋美術史を理解していない者にとってはありがかった。

見えないものを描く。ポロックのあのわからない絵はどういう意味なのか。カンデンスキーは音楽が好きで音楽を視覚化しようとした。抽象と具象についての解説がわかりやすかった。師のモローは、長所を伸ばす主義。絵を売らない。そのため有名にならない。弟子の方が名をはせていく。しかし先見の明あり。2人の方向性を示す。同じ窓辺を描いても、表現も違う。

 

手紙の文字、書き方から伺える2人の気質、性格。ルオーの熱さに対して冷静沈着なマティス。病気の自慢大会、マティス盲腸で入院したといえば、俺は鼻水がとまらないんだとルオー(笑) お互い業界の悪口で盛り上がる。長く続いた要因はこのあたりではないかと五郎さん。マティスがちゃんと眠れといえば、ポエムを交えながら俺は眠っているとルオーが反論する。展示の解説からは読み取れない2人のやりとりを面白可笑しく補足され興味をかきたてられた。

ルオーの手紙は、びっちり。書き足しやアンダーライン、さらに空白にまで縦書きで、思いつくままにどんどん書き足していく。話題はどんどん変わり、突然、ポエムが挟まれ、本題からずれていく。その一方、マティスは整った文面、熱いルオーに熱くは答えず、冷静沈着に。

其一の手紙を一緒に見た友人が、絵のようね・・・と語っていたが、まさにルオーとマティスの絵の特徴が手紙にも表れていると思った。

ところで、友情あふれる心温まる書簡・・・という触れ込みではあったけど、所詮は芸術家、お互いがライバル関係。秘めた火花を押し込めている部分が当然あると思っていた。そこを見出そうと思っていたけど、お互いがお互い、思いあっていたんだなってことが伝わってくる。

 

祖国フランスへの愛。プライド、誇り。ラ・フランスと、ひじ掛け椅子の座る裸婦の関係。ラ・フランスは、座っているのか立っているのか・・・ 自立 立ち上がる? 背景の黄色は太陽? → ビデオ:心地よいひじかけの椅子のような芸術

 

娼婦、底辺の生活を描いたルオー、グワッシュで・・ 国吉と共通してる? ブルジョアの空虚・・・カサットに通じるものあり?

 

黒は色。納得いくまで加筆されて真っ黒になった欄外。多くの言い換えによって再現なく修正された本文 漆黒の闇にかかれたもの。

 

ベル=イルの花束(2) 強い反射 テカリ ライト強い 自然の光 色彩にめざめる

 

スヒーダムの瓶のある静物  暗い  対比のため?

 

マティスの「窓辺の女」 ルオーの「   」同じモチーフで描きながら全く違う。

 

2人が突然、開花する瞬間の絵をその前後で提示

ルオー、厚塗り。白の使い方。

教会  三菱一号館  キャメロン思い出す。

其一の影は発見できず。

 

 

ミュージアムショップで見た一筆箋 どこか見覚えがある。そういえばルオーを見ていてもデジャブ感があった。私の好きなテイストでない絵・・・・ なのに、どこか懐かしいというか段々、親しみが感じられてくる不思議な感覚。

 

思い出した! ハッシュタグキャンペーンだ!

  ⇒ハッシュタグキャンペーンのお知らせ | 汐留ミュージアム | Panasonic

この時、こんな便箋ほしさに、ツイートなんかしないよね。もっとプレゼント商品、考えればいいのに・・・・って思ったんだけ。

  ⇒パナソニック 汐留ミュージアムの新たな試み 

パナソニック汐留ミュージアムが、ルオーコレクションの美術館だって知らなかったから・・・  あの一筆箋は、ここの看板アイテムだったんですね。失礼しましたm(__)m

 

でも、一度見たら、好きじゃなくても、なんだか気になる絵になる? だから、いろんな美術館にコレクションがあって、日本人が好きってこと?

 

 

■(2017/02/09)  /  [02/08] 明日の神話

井の頭線のコンコースの岡本太郎作 明日の神話 

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中央の骸骨を近くで見ると浮いてことを、あとで知って確認 ↑ 

第五福竜丸は、やっぱりどう見ても人。船を擬人化したのかも? 

   ↑         ↑  

  マグロ     第五福龍丸

         どう見たって人だ・・・・

もう一つの船あり。

この絵の見る方向は?  修復は遺跡発掘と同じ手法。

 

    ⇒前回(2017/01/28) /  [01/21]  《明日の神話》 

 

■(2017/02/09)  /  [02/08] サントリー美術館「コレクターの目 ヨーロッパの陶磁と世界のガラス」

会員向けレクチャー。毎回、受講者は増えていく傾向・・・・ ですが、2回目の13:30の回は、その時間に来た方も入れた模様。野依コレクションの中心となったデルフトはマヨリカがデルフト地方でつくられたものだと知った。 学芸員さんより、見どころ、おすすめという作品を紹介される。フェルメールの絵画に登場したという水差しなどが紹介された。野依氏は、展示会などのガレの作品蒐集通して、その関係で出会った作品を、自分の感性で選んだ。そのポイントは「きれい」「かわいい」 今、注目の「かわいい」に早くから着目されていた?

 

前回のガレ展で出展された、「フランス菊」の花瓶があり、これが野依氏のコレクションだったのか、よくわからかなかったのですが、野依氏所蔵と判明。この花瓶の裏の構造がすごい。

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             ↑ ガク、茎の再現  

     カメラ撮影の角度がガラスで制限されてしまいましが、
     花のガクからの茎なの表現がリアルで繊細。
     双眼鏡持参がおすすめ。

 

そしてこの形は・・・・あれではないかと勝手に推察しているのですが・・・

   

一体、なんでしょう(笑)

 

日本の磁器、絵付けを見ていると、そのイメージと重ねてしまってその比較で、最初は見てしまいました。日本を、中国を模倣? 独自の路線を確立すればよかったのに・・・・ しかし、この時代というのは、それぞれが、未知の世界へのあこがれや羨望。手に入れにくいものを手にしてそれを再現する。そういう時代だったのだな・・・と。筆の違いによる繊細表現の限界。顔料の選択など、文化の交流により、新しいものを取り入れることに価値を見ていた時代。

それを再確認するとともに、日本技術、感性のすごさが、より強く感じさせられる展示でもありました。お互いが、西洋へのあこがれ、東洋へあこがれ交流によって創出されたもの・・・  

 

日本でこれだけのデルフト陶器をまとめてみることは、できないと言います。今後、サントリー所蔵の備前磁器とのつながりなど、あらたな研究課題として、提示されていく模様。「お互いの影響力」という視点でみるとおもしろいかもしれません。

 

学芸員さん一押し作品 《色絵花鳥文鉢》

照明がどこに当てられているかに注目!

 

    

↑ 器のどこに光が    ↑ その照明はどこから?

  当たってる?      どこから光が? 

 

    

↑ ベースの光       ↑ 反対側の光

 

こんな風に見ると、主催者は、作品のどこをどのように見てもらいと思って展示しているかという意図が見えてきます。

 

そして、もう一度、遠く離れてみると・・・・・

   

 作品全体としてどのような光の演出をしているかがわかります。

(むこうのケースの底面から光があたっていることがこの写真で確認できます。

 作品を見ているときは、この光には気づいていませんでした。

 写真で撮影したものを、あとで見るとこういう発見があったりして面白いです。)

 

 

3階と4階で違う学芸員が担当するのは今回が初めて。4階の基調色は白、 3階は黒がテーマカラー。解説の文字のフォント(?)が違っていて、あれ? と思ったのはそのせいだったのか・・・

 

辻氏のガラスの審美眼は、9歳の誕生日にプレゼントされた香炉に興味を持ったことがきっかけ。紀元前のガラス、見た目にはガラスには見えない。土に埋もれていたものを引き上げ。正倉院の御物にもみらるガラス。ガラスの魅力としてあげられた「プリズム」効果。空気遠近法を調べていて、プリズムと光が気になっていたところ。

光をどうあてるか、その光の反射、屈折・・・  それを意識して見ていなくても、即座に目に飛び込む。光を意識せずに意識して見るようになっていることに気づく。

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     ↑              ↑

ブルーのガラスに光が集中している  上部には2つのスポットライト

(ことから、やはり、等伯の展示で、光の方向や集中はなかっただろうと確認)

 

 

■(2017/02/05)  /  [02/04] そごう美術館:「院展 再興第101回」

心惹かれる絵の傾向が固まってきたように思う。

西田俊英 《コロボックルの月》 また新たな作風。ウサギの視線に注目とあったけど、私は、蓮の方向性が作り出す世界に目が向く。

 

長谷川等伯《松林図屏風》の実物の霧を見て、「湿潤さ」を感じられなかったので、院展の作品で「霧」「もや」を表現された絵を中心に鑑賞。その霧に湿潤さを感じられるか・・・・ 霧、もや、霧雨、村雨・・・ 湿潤をいかに表現するかをウォッチ。一つ一つ雨を描きながら、画面の場所によって描かれ方が違う。雨の中に浮かぶ光。近景、遠景から鑑賞。焦点の曖昧な雪。曖昧さが消える距離。近づいたり、離れたり・・・ あえてピンとをずらす効果。

 

●空気遠近法について

東京都美術館にて、空気遠近法について調べる。調べる基本となる辞典は、

 ⇒「オックスフォード 西洋美術辞典」

 ⇒「新潮 世界美術辞典」 

 

ネット情報は、正確なものはないと考えてよい。編者が明らかになっていない。編者の記載のあるものがたまにある。辞書は編者の意向、基準に、編集されたもの。

 

上記2冊の「空気遠近法」を調べてみたが、用語の扱われ方が全く違う。詳細は追って記事にする予定。

 

                       

■■■■■■■■〈2017年 1月〉■■■■■■■■■■■

■(2017/01/30)  /  [01/29] サントリー美術館

「コレクターの目 ヨーロッパの陶磁と世界のガラス」

ああ、勘違い・・・  見ていて何か違う。あの精巧な陶器はどこ? デルフトが中心。途中で、庭園美術館の展示と勘違いしていたことに気づく。デルフト・・・言葉は知っていたけど、いまいちよくわからない。今回は写真撮影可。解説を撮影してきた。あとで読んで、概要把握してから再訪。正直なところを言えば、日本の技術の方がすごいな・・・・って思ってしまう。

ガレの陶器が出品。前回、だされていたロレーヌ十字と菊の陶器が出ていた。上から下から、裏から、撮影させていただいた。左にあったのも、和洋折衷。日本であり、フランスであり、でも、日本・・・ だけど違う(笑) 耐震構造の撮影も・・・・  これまでいろいろに工夫されていたライティングの撮影も。写真撮影可は、いろんなところを手元で再確認でるから、うれしい。ただ、自分モードになってしまわないように注意。まだ人が少なく、気になるような撮影の仕方をしている人はいなかったけど、無節操に撮影をする人が混入すると、雰囲気が壊れてしまう。

 

 

 

■(2017/01/28)  /  [01/26] ホモ・サピエンスと芸術~縄文人とクロマニョン人と岡本太郎からさぐる芸術のはじまり ⇒

 

●海部先生

本来の研究は芸術ではなく、人間の200年の人類の進化を科学的に研究。クロマニョン人ってすごいんだよを伝えたくて、ぜひ日本でこの展示をと奔走。研究の先にクロマニョン人の芸術性をいやおうなくつきつけられた。そんなご様子。

なんだかこういうアプローチが私は好きなんだな・・・と心から湧き上がるようなものを感じた。最初に「壁画が芸術かどうか」から入るのではなく、壁画を科学的に検証していく。その結果、芸術性を認めざる得ないことが発見されていく。

ご自身の専門は芸術ではない。芸術のことはわからない。しかし、「この迷いのない筆跡は、専門家ではない私にもわかります」うん、うん、とその一言、一言が突き刺さってくる気がしました。

そういえば、壁の上部に描かれているのは、頭の部分だけ。壁面の凹凸を生かして、体の部分は想像させる。これだって、掛け軸や日本画の手法。琳派に見られたはみだしの技術。江戸時代の日本人ってすごかったよね。と其一展で感じ、祖先が持つアイデンティティーの血が自分にも流れていると妙な自尊心みたいなものまで感じていたのですが・・・ ラスコーのクロマニョン人、すごすぎ! 日本人の精神性をすでに持っていた!  というか、アフリカのホモサピエンスが、全世界に散らばり、その末裔が日本人なんだってことを、海部先生の進化の話から理解しました。

思い返せば、国立科学博物館の催しは、私を芸術の世界へいざなうきっかけや転機を与えてくれています。「人体の世界展」や「レオナルド・ダ・ヴィンチ展」「ダーウィン展」

これまでに訪問した美術展の記録は、私の美術展の編年体記録。そこから関連性を見出し繋げていくと、紀伝体に変化します。興味のもった企画を並べてみると、「人体」「解剖」「レオナルド・ダ・ヴィンチ」「進化」「ダーウィン」「クロマニョン人」「ラスコー」・・・・見事なまでの連続性がそこに見られることに驚きます。そして新たな企画に触れるたびに、そのキーワードお背景の知識が蓄えられ、次のキーワードに受け渡され、取り込み消化されると、また新たな視点を見せくれます。まさにY=x2(二乗)の曲線を描いていることを実感。

入り口の基本は科学的なアプローチを持った企画によって興味を引き寄せます。その延長で、美術作品を見ていると、遠近法や空間表現法を知り、その知識が、またラスコーの壁画を解釈する際に還元される・・・・

いい感じの循環。海部先生のことばの一言、一言が、そうそうと、しっくり体の中に入ってきます。「クロマニョン人とは、かくかくしかじかで、われわれはこのように定義をして、話をすすめます」という冒頭のエクスキューズ。そこのところ、大事なのよねぇ・・・って思いながら(笑)

 

◎わきおこる疑問

展示を見ながら、沸き起こる疑問。それが、完璧なまでに、提示されていてストレスが解消されます。

 

Q ラスコーってどこ?

Q クロマニョン人って、人類の進化の中でどの位置づけの人たち?

Q   クロマニョン人って、毛が生えてる原人みたいな人たち? 

Q 何年ぐらい前の人なの? 

Q 縄文人との関係はどんな関係?

Q クロマニョン人がいた頃の日本ってどんなだったの?

 

あとから、調べないと総論的な部分を全然、理解してないから、イマイチ、つかみきれない。でも、総論調べたら範囲が、広すぎて大変そうだな・・・と思っていたら、展示後半で、人類の進化の全体の流れと、時間的なスパンも含め、ちゃんと展示がされているんです。

 

クロマニョン人っていうと、みんな毛が生えた原人を想像するんです」

 

ああ私だけじゃないんだ・・・・(安心) そういえば、クロマニョン、ネアンデルタール人と、原人みたいな人たちの前で、「どっちが先なんだっけ?」と言いながら話している人たちがいました。

当初、なぜゆえに洞窟に絵を描いたのか。それは記録。「何かを残したい」「見たものを留める」「情報を伝える」ためと私の中では確信していました。しかし、6章でその確信は変わります。クロマニョン人はアーティストだった! それによってクロマニョン人は人間=ホモサピエンスになった! と理解しました。

◎2章 洞窟の模型。

ネコ科の部屋が目に留まってそこから見てしまったので、この模型がどういうものかを理解せずにみていました。

この模型、これどういう意味なの? 洞窟の外観を模型でみせられたって・・・ せめて、半割にして中を見せてくれないと、意味なくない? ここから何を読み取れっていうの? 

と思っていたら、両サイドから中を覗ける状態。ネコ科の部屋は一番奥。あえて奥に押し込めた? 狭い場所だから、小さい動物の部屋にした?  腰をかがめ、はいつくばってたどり着き、そこで描く。何を思い、何を考えていたのでしょうか?

 

一方、途中、5mも落ち込む空間。これは外観が見えた方がわかりやすい。5mという高さをどうやって下りたのか・・・・

そして、いくつかある洞窟は、床面がごつごつのところと、フラットになっているところがあります。フラットになっているところは、大きな絵が描かれています。この絵を描くために削った? しかしその量たるや・・・・ 何で削ったのか、削った土はどうやって運んだのか。フラットな場所が、全体のどの位置にあったのかを確認してこれなかったのですが、クロマニョン人は、洞窟で暮らしたのは入り口あたり。奥の暗い空間で暮らしはしない。となると入り口のあたりを生活空間としてフラットにしたのか。でも、奥の方も、フラットな部分があったような・・・ 生活をしない空間、しかも、奥からカッサクしたものを引き出すのも大変なはず。絵を描くためだけに、わざわざそんなことをしたのか・・・・

伺ってみたら、見学のための通路だったそう。現代の人のしわざ(笑) 入口の階段はさすがにそうだと思ったけど、クロマニョン人、すごい! って思ったから、そういう技術も持ってたのかも・・・っておもっちゃいました。

 

なぜ絵を描くのか・・・・ そこに宗教的な要素を見る人もいるかもしれませんが、私は、宗教を感じさせる部分がありませんでした。ただ、洞窟の各部分の名称は教会建築の用語がつけられています。これは、誰がつけたのでしょうか? まさか、クロマニョン人が、後世の教会を予知しその名前で読んでいるわけがないので、現代人によるものと考えられます。教会建築の用語を使うということは、ここが宗教的空間であると、見ているということになりそうなのですが・・・・

それは、ヨーロッパ的な発想なのだそう。ヨーロッパなので、キリスト教的解釈、アトリビュート的な部分もあるかもとのこと。

 

 

◎3章 最後の壁画 

井戸の場面 鳥人間が描かれています。

パイソンの内臓から臓器が出てる・・・あっ、これね。そのとなりにいるのは人ね。そしてステッキの頭が鶏の棒。その横の黒い物体。これが鳥人間? しかし、どう見れば鳥人間になるのか・・・ じーーっと見ていると羽根をひろげたようにも見えてきます。

ところが、鳥人間は、長い人間が鳥人間なんだそう。これ、ただの人でしょ・・・と思ったら、確かに顔が鳥になってる!

 

全体を見て・・・・  自然とともに生き、そこからヒントを得ているアーティストは、必ずと言っていいくらい生殖を描きます。ラスコーの壁画には、生殖は描かれていないんだな・・・って思っていました。

そしたら・・・  最後のブースで鳥人間の詳細な解説があって、これが男性シンボル描かれていると解説。最後にそこのアップを撮影しに戻りました。しかし、女性を表すものがありません。きっと、他の壁画にあるのか、この中のどこかに隠れているのかも・・・ 進化・・・ それがテーマの時は忘れてはいけないキーワードだから(笑) それによって、伝達され、連なっていく・・・

 

●石井先生

太郎は縄文よりも実は弥生が好きだった。戦略的に縄文を取り上げていた? 火焔型は火ではなく、太郎は深海をイメージしていた。

太郎の撮影した土器の写真。撮影させてもらった場所に間違いがないか確認にいくと、考古学者は自分たちの土器ではないといったそう。明らかに太郎の切り抜き方と考古学者のとらえ方が違うから。それを見て、考古学者は「なるほどね。写真が芸術的すぎるから・・・」自分たちがいつも見ている土器と違うように見えてしまうというエピソード。

研究対象として土器を見ると「経年」「形態」「文様」生活様式・・・ 撮影は画一的となる。しかし太郎の切り抜き方は違う。同じものを同じカメラで撮ったのだから、同じ。と太郎は言う。 しかし、私は違うと思う。切り抜き方で見え方は待ったく変わります。切り抜く人の視点が入るから。何に焦点をしぼっているかで、どこに焦点をあてるかで物の姿は変わる・・・・ 

太郎は四次元と対話したといいます。この四次元は時間ではない。⇒太郎の書いた文章を読み上げられたけど難しい。理解するには時間が必要。もっと見て、もっと知る必要が・・・・ でも真の部分はなんとなくわかる気がする。

 

パリ大学民族学を学ぶ。それは福井県立美術館の春草を調べていた時に、「森と芸術」という本の中で知った。太郎と縄文、そして沖縄。「太郎の森」と題したページ。原始自然信仰。物と者と霊との関係。粘土と会話をし、コミュニケーションをとり一体化。素材と作り手の一体化。

そして命の交歓。あらゆる命の尊厳。生きる尊厳。社会はお金との交歓。素材、皿、すべてを命をかけて交歓する。作品が芸術家、専門家を作る。社会の分業には反対。分化された人間になりたくない。一体化する。あの生命の樹が浮かんだ。

縄文人は能力があった。のに、チャレンジする人、あえてしない人たち。できるのにしない。作れるのに作らない人たちもいる。土偶を持つ縄文人、持たない縄文人

 

さらにアジアに広げると、絵をかかない人たち。芸術性から離れている。日本のオリジナリティーを与えている縄文。を求めて拡散とは逆の方向を太郎はたどった。それは、我が美術史=太郎の美術史。沖縄の森・・・・

 

そして「生きることが芸術」だと語る。「芸術は生きること」・・・・

これ、私が美術作品に触れてたどりついた答え。芸術とは何か? それは生きるための術を知ること。

しかし、これは芸術だけが教えてくれたことではないのです。植物を追いかけていて、なぜ、人は植物を育てるのか? という大命題。その答えの一つに、花を手向けるということがつながっていたのですが、自分でわかったことは、「生きるすべを学ぶため」

結局、いろんな趣味があるけども、それらのものは、みんなここにたどり着くのではないかという悟り。学問も同じ。「いかに生きるか」それを知るために、いろいろな形で私たちに提供してくれる。

私の答え、岡本太郎と同じだった! ヽ(^。^)ノ  クロマニョン人もすごいけど、コロコロも実はすごかった!(曝)

 

●海部先生

会場を見ながら、今回のクロマニョン人と縄文の関係。どうつながるのか? クロマニョン人と同じ頃、日本はどんな状況だったのか。祖先はどうわたってきたのか。

最近、「縄文」をキーワードに、國學院大學のセミナー、音楽界、展示、しぶや探検に参加。東京都国立博物館の常設展のボランティアトークにも参加。そして、国立科学博物館のラスコー、そこと縄文がつながった青山ブックカルチャーの講座。その一つ一つが、二乗以上の効果をもたらしてくれています。

日本人は世界初めて海を渡った民族。それを知ったのは、東ハクの常設展で。すごいと言われたクロマニョン人は、海を渡らなかったのか・・・・  渡っていないんです。その話がまた、ここでつながってきます。

「科博のラスコー展」「東博の縄文文化」「國學院大學の縄文文化」このトライアングルに、岡本太郎記念館を加えて、4点のピラミッドパワーで、「縄文」を受け止めると、日本人の血を感じられるかも・・・・ そして、「明日の神話」を見て、明日をいかに生きたらいいかを考えよう!!

 

●参考情報

【参考】春草の描いた森について考えていた時に知った『森と芸術』 そこに岡本太郎がとらえた森について書かれていて、そのことについて記録してあったので⇒https://tabelog.com/rvwr/000183099/diarydtl/138188/



【ラジオ】「クロマニョン人が残した『ラスコー洞窟の壁画』は何を伝えているのか?」海部陽介&橋本麻里【音声配信】1月19日(木)放送分(TBSラジオ荻上チキ・Session-22」平日22時〜)
 ⇒http://www.tbsradio.jp/110883

 

 

■(2017/01/28)/  [01/26] 科博:ラスコー展〜クロマニョン人が残した洞窟壁画〜」 ⇒

 

見どころに「芸術のはじまりを知る」とあるように、洞窟に絵を描く。それは何のため? という2017/大命題。

見る前に考えたのは、「記録に残すため」という素朴な欲求。生きている自分の今を記録に残したいという欲求。芸術という高度な精神活動に高められる、一歩前の欲求。そしてその裏には、本能的に繋げる、伝えるという欲求からでは・・・と推察。

というのも、はてなのブログに移って、同じようなことを非常的に感じさせられたから。ここは文字の世界ですが、何等かの形で、今を記録するとう欲求、そこから何かを得たいというエネルギーのようなものがあって、このエネルギーは、ラスコーのクロマニョン人の血が今に受け継がれているのではないか・・・・という私の仮説(笑)

そして、第2章を見た時に、その仮説は確信に近いものに。それは「ネコ科の部屋」というエリアがあるのを見て・・・ なにそれ? どういう意味? と思いました。洞窟奥の狭い部屋に、ネコ科の動物を描いているとのこと。

それって、動物を分類するという感覚を持っていたということじゃない!? 学問的視点で動物を見ていて、動物を分けて、それを部屋ごとに、まとめていたということにほかならないってこと。原人からホモサピエンスへと進化する上で、脳の進化が見らたということだと思いました。

進化の過程で、「動物と人との違い」は何か。うろ覚えなのですが、埋葬するということが行われたことで、動物から人に進化したと聞きました。しかも、その埋葬には、矢車菊が添えられていた。それが意味することは・・・ 動物から「悼む」という人の心を持ち花を添えた。そんな話を聞いたことがあります。

今回、その話が、今回のクロマニョン人の絵が、芸術なのかどうかの判断をするヒントになるような気がしていました。

この話が直結はしていませんが、学問のスタートというのは「分類する」ことから始まったということを、解剖学を通して感じていました。まさに、このラスコーの洞窟内において、クロマニョン人が分類という意識を持った瞬間。動物を描き分け、さらに空間も分けていたということが、人として進化し「考える」ということの始まりとなったのでは? と思ったのでした。

さらに、洞窟の硬さによって、描くものを変えています。これは、洞窟を「性質によって分けて」いることでもあり、それによって何を描くかを選択していることになります。

さらに、馬と牛の蹄を観察して、その形態の違いも描き分けています。動物のタイプ分けが、ここでスタートしているということだと思いました。これは、まだ芸術の領域ではなく、見たものを記録する。生き物が生まれ持った、伝える、引き継ぎ、継承しいくという本能を、絵という手法を使って残そうとしたのだと思いました。

つまり、人間=ホモサピエンスとしての進化が現れた瞬間だったのでは? と・・・・

そして3章の洞窟を見た時に、遠近法を使っている! あるいは手間の牛を大きく描いて、後ろは小さく。日本画の手法じゃない! それに手前の色が濃いし、奥が薄い。レオナルドの色彩遠近法まで・・・  

いや、まてよ・・・これは、単に剥がれてしまってそう見えているだけかも。と思っていたら、後半に展示された牛は、明らかに手前を濃く、後ろの牛は薄く描かれているのです。

また、洞窟の展示では気づきませんでしたが、牛の足が3本描かれていたり、馬の首が首を振っているかのように、2つの角度の頭が描かれているのだそう。これは、漫画の動きのある表現に通じます。

2章の洞窟の模型で見ていた時は、壁画は記録、後世にという意識があったかどうかはわかりませんが、「伝える」ためのもの。3章の矢印が何本も同じ方向で描き足されているのを見て、これは、何かを伝えるためのマーカー的役割だと思いました。それが何を意味するのかは、すぐにわかりませんでしたが、獲物をしとめる時の、急所。方向を示したものでは?  牛は腹部から奥に向かっています。背中やお尻でなく、腹部のこのあたりを狙うとしとめられるというメッセージだったのでは?と。

解説では、矢がささっているとあったのですが、こんなに同じ方向に並べたようにしとめることができるのかな? と思いました。コロコロ 説は、矢印は何かを伝授するためのメッセージだと思ったのでした。

そして、6章でクロマニョン人の真の芸術性がわかる展示がされています。矢を遠くに投げるための石や骨でできた投槍器。これにデザインが見られました。ランプの作成動画を見ていて、このランプになにがしかの彫り物がされたとしたら、クロマニョン人には、芸術性があったと解釈できるなぁ・・・と思って見てたら、何かはわかりませんが彫り物をしていたのです。

ラスコーの壁画のスタートは、単なる記録。それを繰り返すうちに、いかに描けば伝わるかを「考える」という進化をもたらした。そのプロセスにおいて、現代に通じる絵画表現にまで引き上げられていて、さらには、純粋な(?)装飾という芸術性にまで高められていった。そんなことを感じながら、ラスコー展をあとにして、青山ブックセンターに向かったのでした。

 

■(2017/01/28) /  [01/23] そごう美術館:魅惑のドールハウス 

よくわからなかったけど、ハスケルドールハウスが。ここはしっかり写真を撮影。あとから、何か見えてくるかも・・・・日本のドールハウスとして吉原が・・・ 掛け軸、盆栽などが繊細に。軸は何か、題材となるものがあるのだろうか・・・

■(2017/01/28) /  [01/21] 【ワークショップ】:「しぶや探検!―渋谷で日本の文化を知る―」

●特別展「火焔型土器のデザインと機能 Jomonesque Japan 2016

石井先生、楽しい! 経歴がユニーク。國學院大學の展示は必見。このスペースにこれだけの重要文化財が展示されるのは、あとにも先にもない(条件つきで) 

岡本太郎が縄文に注目して縄文時代にスポットが浴びるようになる。美術の世界って、若冲もそうだけど、それまでの研究者は、何をしていたの? どう感じていたの? 新たな視点を提示されて、どう変わったの?

 

太郎の論文はみんな知ってる。でも、見て見ぬふり。忘れ去られていた。考古学者と美術の研究者の違い。美術の研究者は、縄文なんて認めていない。考古学者は、アートとして見ていない。太郎の縄文評価に対して、今でも認めていない人がいる。

土器に残っているおこげ。そこから残留物の成分分析。それらから、何を調理し、食べていたかを考察。こういうデータに基づいたものに興味が沸く。

石棒・・・・見るからに男性性器。やっぱり・・・と初めて見た時に思っていたのですが、女性を表すものはないのかな・・・と思っていたら、そのお隣の石のすり鉢みたいなものが、女性性器を表しているそう。やっぱり・・・・ 子孫繁栄の要素って絶対にあるもの。

 

ハートのモチーフは何? 不明・・・ 精神性を表していたのか。ハートいう認識は、現代の私たちの感覚。縄文人は、ハートとは思っていないかも。

若冲の鶏の羽根のハートの関連性は? 若冲が見ていたかということ? ではなくて、精神性のような部分で。若冲のあのハートは、「紋」だと聞いていたので、縄文時代の精神性が「紋」となって後世に引き継がれたのかと・・・・

 

●《明日の神話

どこに持っていくか、大論争して(?)渋谷に決まったのに、あれを立ち止まて見る人はいない。もし、あれが美術館の中で展示されていたとしたら・・・ きっと、みんなうやうやしく見るのだろうに。渋谷に来る前は現代美術館に展示されて人がいっぱい、押し寄せていたのに。芸術って、いいったい何? と思わされていました。そんなことを思いながら、あそこの前を通ってるのですが、立ち止まって見ることはしていませんでした。それをすることがどこか恥ずかしいから・・・・

今回は、みんなでツアーで見ることができます。写真も心おきなく撮影できます。見るのにいいポジション、みつけました。この巨大な絵は、どこから見るかという視点は設定されていたのでしょうか・・・・ 屏風みたいに、右から、左か見て、自分が思うベストポジションをみつけました。が、太郎が設定した場所は・・・・・ 

第五福竜丸が描かれています。どれのこと? え~、それ、船に見えないんですけど。どう見ても人です。でも、そう言われればそう見えてきました。マグロを引っ張ってます。キノコ雲・・・目があります。人みたい・・・

この絵のモチーフが、太郎の作品のいろんなところにあります。

 

岡本太郎記念館

作品名、忘れたけど、生命の樹みたいな作品。若冲の『鳥獣花木図屏風』と同じエッセスを感じる。生命の楽園。目で見た時は気づかなかったけど、写真にしたら、ヘビがいることに気づく。それに気づいた人、そんなにいないはずと自画自賛(笑)

 

同時に行われていた「舘鼻則孝 呪力の美学」 太郎と炎のバトル。壁に掲げられた作品の火炎。個人的には、速水御舟の炎舞よりも、ずっとこちらの方が炎を感じた。感じ方は人それぞれってことで・・・・(笑)

 

 

 

 

●NHKの壁画

なぜゆえにNHKに?  太郎NHKに出演。縁が深い。上層部に気に入られていた? 原画との比較。