コロコロのアート 見て歩記&調べ歩記

美術鑑賞を通して感じたこと、考えたこと、調べたことを、過去と繋げて追記したりして変化を楽しむブログ 一枚の絵を深堀したり・・・ 

■DIC川村記念美術館 ロスコルームへの長い道のり

DIC川村記念美術館、休館の知らせが駆け巡ったのは2024年8月。早く行かねば…と思いながらもずるずると時は過ぎ、当初の休館予定の1月が3月に延長された。腰を上げねば逃してしまう。3月末はいろいろな美術展の最終も重なっている。その合間をぬって、ギリギリですべり込んだ。

兼ねてからずっと行きたいと思いながらもなかなか行けなかったDIC記念美術館への長い長い道のり。それは距離的な面とそこにたどり着くまでにかかった時間も意味する。ロスコ・ルームで作品に出会うまでの長きに渡る鑑賞の変遷を記録として残しておこうと思う。ごく個人的な記録なので悪しからず。

 

 

■DIC美術館を知ったのは…

〇建築家の友人から

美術や音楽鑑賞が趣味の建築家の友人。建築を絡めながら音楽会や美術館にでかけるようになった。そんな中、マーク・ロスコという作家の名があがり、その作品を飾るための部屋を持った美術館あると聞いた。その展示室は「ロスコルーム」と呼ばれていて、DIC川村記念美術館の中にある。とても興味を持った。その後、友人の友達がDIC川村記念美術館に勤めることになったという話も耳にした。これはぜひ、訪れなければと思ったのが、2016年のことだった。

 

〇過去のモネ展で見ていた

マーク・ロスコってどんな作品を制作したのだろう。調べたところ、遡ること2006年、新国立美術館こけら落としで行われたモネ展に出品されていたことがわかった。しかし記憶はあいまい。このエリアは流し見していただけでのちに図録を見返した時に作品に触れた。

 

〇ロスコ作品からイメージされるものは?

また別の知人とよくわからない現代美術について語る中、ロスコ作品から何をイメージするかという話題になった。私が思い浮かべたのは夕暮れ時だった。その知人は地平線だという。ところが、その方の友人から「地平線を思い浮かべる感覚が全くわからない」と言われて戸惑ったという話を聞いていた。

 

〇気長にツアーの開催を待とう

見る前から何かと話題にはのぼるロスコだったが、現地に訪れる機会はなかった。大きな理由は交通の便。思い立って行ける距離ではない。そのころ、旅行会社は美術展をからめた日帰りミニ旅行企画を打ち出し始めていた。いずれDIC記念美術館のツアーをどこかが企画するはず。それを待つことにした。

2016年と言えば、私の中で美術鑑賞は第二期にあたる。琳派ブームをきっかけに日本美術に興味を持ち始め、美術館に積極的に訪れるようになった。年パスを手に入れとにかく何でもいいから観ることに専念し展覧会に足を運んだ。

しかし当時、何でもいいといっても、現代美術は興味の対象外だった。観たいと思える企画展に出会えなかったのも足が向かない原因だった。

高島屋のパザパクラブで美術館のバスツアーが開催され、ポーラ美術館に訪れた。ならば担当の方にアプローチし、ぜひDIC川村記念美術館も企画してほしいと話を持ち掛けたりもしたが実現ならずだった。

 

 

マーク・ロスコから何が見える?

〇地平線? 沈む太陽?

話題にも上るマーク・ロスコ。これらの絵から何が見えるのかを語る中である人は地平線が見え懐かしさが沸き上がると言う。一方、何も見えないという人もいる。

   ⇒マーク・ロスコ作品

私もこれらの色合いから地平線に沈む太陽が放つ光を感じていた。しかし線ではなく面として見ていた。光でつつまれた空間の広がり。見えるものが人によって微妙に違うし、何も見えないという人もいる。これは、見る人のこれまでの経験に影響されるのではと思った。

私は太陽が登ったり、沈んだりするのをいろいろなところから定点観察するのが昔から好きだった。旅行先のホテルの窓から観察し、時間を追ってその変化を撮影してきた。太陽の上昇、下降でその周りがいかに変化するか観察していたように思う。だから線ではなく面でとらえる。そんな経験が、この絵を見た時にイメージが膨らんだのだと思う。何も感じない人は、このような自然に親しむ機会があまりなかったのではと思った。

 

〇子供の頃の経験が鑑賞に影響

抽象画を見た時に何をイメージするか。それは過去の経験が影響していると思っている。この絵から自然の光を感じるのは、自然に触れる機会があったから。一緒によく美術鑑賞にでかける友人と会話をしながら、同じような感想を抱くことが多かった。それは「山の生活をお互いが知っているからだと思う」という話をよくした。私は子供の頃、休日になると山登に連れられていた。友人は山の暮らしをしていたことがある。そんな経験の有無が鑑賞に影響していると常々感じていた。

ところが山の生活を送っているのに、話が通じない人もいるという。その違いはなんだろうと思いながら考えていた。同じ山の経験もそれを幼少期に体験するかどうかではないかと思った。

子ども時代、自然の中で遊ぶ。その体験は、その後成長して、美術や音楽などの芸術鑑賞に影響を与えるのではと感じる。ある程度、年齢を重ねてからの自然体験は、他にもいろいろ吸収されているため沁み込み方が鈍くなるのではないか。砂のような状態で吸収される子ども時代に比べると、成長によって浸透度が悪くなるのではと… そのため作品と結びつける感覚も気薄になるのではと思っていた。さらに子ども時代、美術鑑賞の機会あるとその融合はより強固になるのだと思うようになった。

 

〇図録からうけた印象

私の場合、幼少期、絵画とは全く無縁だった。マーク・ロスコとの出会いは、生の絵画ではなく図録上だった。2007年、新国立美術館「大回顧展モネ 印象派の巨匠、その遺産」で購入したものを、約10年後に目にした。

《赤の上の黄褐色と黒》と題した色からイメージされたのは「昼と夜」の組み合わせ、あるいは「闇夜とうすぼんやりした月明り」「夜明け前の陽が登るシーン」だった。このイメージの背景には、家族で訪れた山登りや夕暮れ時から夜が迫る田んぼの帰り道が想像されていた。境界線は線でなくそれぞれの面が接するところ。

色からイマジネーションされるものがある。そこにこれまで見てきた自然の景色が重なり、その光景が作品とを結びつけているのだと思った。今ではそれを当たり前に受け入れているのだが、その当時は、 絵の中に何を見てるかという模索があり私は「自然」を探していることに気づいたというメールを当時、送っていた。

 

〇自然観察がベースにある

そのころは、ちょうど日本画に触れ出した時期で、菱田春草に興味を持っていた。5つの「落葉」の屏風に描きだされた自然の光景。リアルな描写がされているのにどこか現実的ではない不自然さがあり不思議に思っていた。それはリアルな自然描写に、画家のオリジナルな虚構の世界が融合しているためだとわかった。

そして画家は見たままを描かないという知識を得たところだった。自然に自分なりの解釈を加え、昇華して現れる。その先にあるものに惹かれつつあった。植物画のような科学の視点で描かれているもの好みがちだったが、そこに加えられた創造性を感じられるようになり、作品の見方が変化していく過渡期だった。

ロスコの絵は春草の自然とは逆で明らかに虚構の世界なのに、いつかどこか、あの日、あの時に見たと思えるようなリアルな一瞬を含んでいた。

 

〇美術展で見たロスコ

その後、 美術館で実際にロスコの作品と出会う機会を得た。

2018年 横浜美術館「モネ それから100年」に登場。ところが私がイメージしていたものとは違っていた。赤と黒の強烈なコントラスト。

これは朝日でもないし夕日でもない。黒のイメージは夜だけどどうも違う。赤は? 色として太陽と直結するけど、その光の性質は何か違う。しかもこの配色をもってモネの影響?ぼんやりしているところはそれらしい気もするけど… そんなこと思っていたような記憶がよみがえった。 

 《赤の中の黒》 1958年   東京都現代美術館

 《ボトル・グリーンと深い赤》 1958年  大阪中之島美術館所蔵

強烈な赤に対して、黒に近いグリーンと赤。夜のイメージではあるけども、それも違う。何もイメージがわかないと言った人の気持ちが少しわかった。自分がかつて見た光景と何かを結びつけることができればわかった気になる。しかし何も浮かんでこないとなんだかよくわからない状態に陥る。

鑑賞には経験が必要といわれるのはこういうことなのだと思った。様々な経験があれば何かにあてはめて、自分事として引き寄せることができる。しかし「○○みたい」というもでも浮かばないと得体のしれないものになってしまうのかも。

 

2006年の新国立美のモネ展で展示されたロスコは記憶は曖昧だが、モネっぽいと感じていた記憶は確かにある。鑑賞経験は未熟だったが、会場で確かに見ている。これなら「モネ遺産Ⅱ モネと20世紀」という展示として私にも理解できると思っていた。

赤の上の黄褐色と黒》1957年 和歌山県立近代美術館

 

もしかしたら私の中にロスコの作品を「こう感じたい」というイメージが出来上がってしまっているのかも。ロスコのカラーイメージまでできていて、こんなニュアンスでこんなコントラストの作品を作る作家。そこにギャップが生じると、印象にすら残らず、見た記憶に留まらないようだ。横浜美術館で見たロスコは記憶のかけらもなく、どんな作品かをネットで探し出し、その時に感じていたことを引っ張り出した。

 

2023年 新国立美術館「テート美術館展」でもロスコの展示があった。こちらもイメージと違っていたという記憶がよみがえった。赤と黒コントラストが強い。私は勝手にロスコ像を作り上げていることを自覚した。私が求めるロスコ像ではないと思ったのだろう。撮影可だったと思うのだが、写真の記録がなかった。すでにロスコ・ルームでの感じ方やストーリーまで想定しているのかも。

 《黒の上の薄い赤》1957年

 

そして2025年 DIC川村美術館が休館となる知らせが届いた。2016年にその存在を知ってから9年という歳月をへてやっと重い腰を上げて訪れることになった。

 

(続)