東京国立博物館「生まれておいで 生きておいで」に多くの人が関心を寄せています。推奨順路がありますがそれにとらわれず、行列が続く第二会場を最後に回しました。メイン会場ともいえる第二会場の鑑賞記録です。限りなく個人的な思い入れによる備忘録メモなのであしからず。
第一・第三会場についてはこちら
■入館まで30分?
コロナ後の美術展は、様相が変わりました。評判の美術展に長蛇の列ができ「〇時間・〇分待ち」という状況はなくなり、快適な鑑賞環境が臨めるようになった気がします。ところがこの展覧会では、いつ入館できるかもわからずただひたすら待つ時間、コロナ禍以来、初めての経験でした。
並びながら「コロナ前の美術鑑賞の日常」が戻ってきたことを実感していました。これからは、このような時間も受け入れていかなければならないと思いながら…
手持ち無沙汰もあり、博物館ニュースに掲載された展覧会関連のぺージに目を通し、展覧会の目録も読んでみることにしました。事前情報は極力、入れないつもりでしたが、鑑賞するうちにじわじわとその情報がしみ込んできます。無理に拒絶することもないだろうと捉え方が変化しました。
■展覧会概要
太陽が形づくる光と影、地が生成する水や石、大気が織りなす風や雨。美術家・内藤礼は、私たちの傍らにある自然の諸要素と日常のささやかな事物を受け止めることで、私たちが日々見過ごしがちな世界の片隅に宿る情景、知覚しがたい密やかな現象を見つめ、「根源的な生の光景」を出現させてきました。精緻に構想されるその作品の世界は、その場を訪れる人をそれぞれの沈潜にいざないます。
本展は、150年の歴史を持つ東京国立博物館の収蔵品、その建築空間と内藤との出会いから始まりました。1万数千年という時を超え、内藤は縄文時代の土製品に自らの創造と重なる人間のこころを見出しました。それは、自然・命への畏れと祈りから生まれたものであり、作家はそこに「生の内と外を貫く慈悲」を感じたといいます。生の求めに迫られてつくりだされた一つ一つの土製品は、人間本来の姿を私たちに伝えるようです。会期中、自然光に照らし出される展示室では、かつて太陽とともにあった生と死を、人と動植物、人と自然のあわいに起こる親密な協和を、そっと浮かび 上がらせます。
色彩に生を、風景に物語を、光に祈りを見出す内藤の作品は、縷々として尽きることなく私たちの世界を満たしてきた、遥か遠い時代から続く創造の営みを想起させます。そこには、人間が繰り返してきた「つくる」ということ、今につながる「生きる」ということへの希求が垣間見られます。
時空を超えた交感がなされる会場は、空間よりも広く、時間よりも深く、目には見えない存在、耳では聞こえない声の確かさを感じ取る契機となることでしょう。本展の体験を通して、原始この地上で生きた人々と、現代を生きる私たちに通ずる精神世界、創造の力を感じていただけたら幸いです。
下記の文言に自分のこれまでの経験が重なりました。
本展は、150年の歴史を持つ東京国立博物館の収蔵品、その建築空間と内藤との出会いから始まりました。
歴史ある東京国立博物館、その建築空間と、そこで展示された作品との出会い。
「建築空間」を「第5室」に、「収蔵品」を「展示された作品」という意味に置き換えると、私の体験にも重なります。
■東博第5室とのかかわり
こちらは、きわめてパーソナルな東博本館 第五室に対する思い入れとこれまでの追いかけ記録になります。
〇ここはまつりの空間
東博の「第5室」は、一部で「まつり」の空間と呼ばれています。通常行われる特別展とは違う目的や意味を持つ展覧会が開催されてきたという経緯がある展示室だったのです。
この部屋では国宝土偶展や、飛騨の円空展も開催されていましたね。ダビンチと菩薩と土偶と円空...岡本太郎的なカオスな「まつり」の空間になりますね。
— りもまえ (@T_Naotaro_M) 2021年7月20日
遡ること1974年にはあのモナ・リザ展が行われた場所で150万人が訪れました。
展示室15 歴史の記録 パネルより
2007年にはレオナルド・ダ・ヴィンチ展が行われ大盛況。それまで美術展にあまり縁のなかった私でさえも訪れました。それ以後、関連する展覧会に訪れるようになり、今に至る源泉のような特別展。今回、東博で初めて訪れた展覧会だったこともわかりました。
〇美術鑑賞の原点の場所
その後、鑑賞のジャンルはすこしずつ広がり、当初、興味のなかった内容でもでかけるようになりました。展覧会という存在が日常になっていたある日、コロナ禍によって美術鑑賞という当たり前のことが当たり前にできない状況に陥りました。
何もできないコロナ禍、これまでの振り返りをする機会となりました。ヨコトリ2020をきっかけに、これまでの美術とのかかわり方の変遷もたどっていました。一生、興味を抱くことがないと思ったジャンルやものでも、興味を持てるケースが結構あることがわかりました。
〇原点探し
そのきっかけを探る中で、最初の原点ともいえる「レオナルド・ダ・ヴィンチ展」が東博の「どの空間」で行われ「どのような展示」だったのかを突止めたいと思う気持ちが現れてきました。そのため当時の図録をさがして取り寄せたりしています。
【レオナルド・ダ・ヴィンチ】
— コロコロ (@korokoro_art) 2021年7月20日
全くの門外漢だった美術の世界に誘ってくれたのは、レオナルド・ダ・ヴィンチ。2つの展覧会が大きな転機になった。その時の展示がどんな展示だったのか、ぼんやりした記憶しかない。それを明確にしたくてこの春、当時の図録を購入した。 pic.twitter.com/EsXZK0682Q
そんな経緯の中、レオナルド・ダ・ヴィンチ展は東博の「第5室」で行われていたことまではわかりました。
〇謎の第5室
しかし、いつも訪れている博物館なのに、第5室がどこなのかわからないのです。ひょんなことからこの扉の裏の空間だったことがわかりました。
ここは毎年、お正月になると生け花が飾られる場所。その隠しスペースの扉だと思っていました。これでさえ秘密空間をみつけたと思っていたのですが…
右 左:2022
この奥に展示室があったことを、令和の天皇即位で行われた特別公開「高御座と御帳台」で知りました。第5室が使われ、内部に入るとバルコニーが目に入り、お正月の生け花を展示している空間を発見。第5室との位置関係を知ったのでした。
〇特別の中のさらに特別な展示場所
この場所は特別な企画の時に使われる、特例的な場所であることがわかりました。
この部屋では国宝土偶展や、飛騨の円空展も開催されていましたね。ダビンチと菩薩と土偶と円空...岡本太郎的なカオスな「まつり」の空間になりますね。
— りもまえ (@T_Naotaro_M) 2021年7月20日
平成から令和の変わり目の時にその存在が明らかになりました。
2019年12月22日(日) ~ 2020年1月19日(日)
ここは、高御座の展示が行われた部屋ですね。あの時、上を見たらお正月に生け花を飾る場所だ!と思って、その他の扉もチェックしたこと思い出しました。この扉を出入りしてあのデッキから見ることができるのは・・・と思いながら(笑) pic.twitter.com/imO5w9wEJ6
— コロコロ (@korokoro_art) 2021年7月20日
第5室2階バルコニーにある扉。それがわかってから、密かに東博の常設展示2階の扉との関係を探っていました。1階と2階のラウンジに扉があります。その裏には第5室があるのだと思いながら… しかし図面上では空白。それは何を意味しているのでしょうか?
皇室関係の展覧会は第5室が使われるようです。御即位30年記念で行われた展覧会もこの場所でした。
2019年3月5日(火) ~ 2019年4月29日(月・祝)
2019年5月3日(金・祝) ~ 2019年6月2日(日)
この時の記憶をたどってみましたがバルコニーの存在に気づいていません。注意が向かなかったのでしょうか?
その後、ここで行われた「空也上人展」でわかりました。
2022年3月1日(火) ~ 2022年5月8日(日)
会場には仮設の壁が設置されていてバルコニーの存在は隠されてしまうようでした。
私は観に行くことができなかったのですが「聖林寺十一面観音」展では手すりが効果的に使われていたようです。
手すりの透かし彫りが聖林寺十一面観音とすごくマッチしており、そこから5室の寺院・神殿的なイメージが頭に浮かびました。
— りもまえ (@T_Naotaro_M) 2021年7月20日
〇真の姿を求めて
それ以来、ここ第5室の本来の姿はどのようになっているのか?ここで行われる展示を参考に探索が始まりました。そして私が美術、各物館に興味を持つきっかけとなった「レオナルド・ダ・ヴィンチ」展は、この空間がどのようにゾーニングされ、どこに何を展示をしていたのか、いろいろ手を尽くして知りたいと思うようになりました。
待ち時間、冊子や目録だけでなく他の展覧会情報も少しだけ散策しました。会場は自然光の中で見ることができ、仮設壁もないとのこと。これは期待大。これまで想像したり模索してきたこの空間の真の姿に触れるまたとないチャンスになりそうです。
個人的には、内藤礼さんの展覧会を目的に来館というよりも、完全に「東博第5室」をレオナルドのように解剖することが目的に変わりました。第五室の真の姿に迫る。それはとりもなおさず、私の原点ともいえる場所の探索を意味することだと思いました。ここに訪れる人たちとは完全に違う目的に切り替わっていることを並びながら感じていました。
■第2会場:本館第5室
順番を待ちながら案内されるのはだいたい5人ぐらいずつ。おそらく5人、出てきたら5人入れるといった感じでやっと入ることができました。
〇解放された窓や壁
入るなり光が降り注いでいました。しかしこの日は曇り。光量は少ないです。とはいえ、ふだんはシャッターが閉められており 〇年ぶりに開放されたと言います。
展覧会によっては、ここに窓やバルコニーはないものとされ、5室の中にもう一つの部屋が生まれたように展示されていました。しかしここは、それらがすべて取り払われできたような状態でした。一皮はがされ真の姿があらわになっています。
窓は9つ。光が入るということは…
この配置図のグレーの部分は中庭ということでしょうか? 東博の建物の外からはこの内部はどのように見えているのでしょうか? 一度、外の庭探索をした時に、本館の外周をぐるっと回り、窓と展示室の関係を確認したことがあります。写真を探せばこの庭の様子がわかるものがあるかも。
しかし写真を探すよりも、あとで外を回わって中庭の確認をした方がてっとり早い。でもそれは次の機会でも可能。今は、この空間把握をしてしっかり目に焼き付けておくことが優先。
2階のバルコニーの扉については過去に確認したことがあります。この配置からするとバルコニーの扉と直接つながってるわけではなさそうです。
下部には空気孔のための鋳物のようなものがあります。ラウンジにもありましたが、取り付け位地からして関連はなさそうです。庭園美術館ではラジエター隠しでこのような枠がありましたが、こちらでの役割は違いそうです。
〇床ってタイルだった⁉
5室に入るなり受けた衝撃は、床面がタイルだったこと。これまで何度かこの場所の展示を見てますが、タイルだったことにはまったく気づいてませんでした。展示室が暗いため気づけなかったのだと理解しました。
常設展示されている館内を見ていると、床材が展示室によって変化していることにこれまで気づいていました。その変化は意識していなくても目に入ってきます。足から伝わる感触もあります。
硬質なタイルだったらわかりそうなものです。暗さに加え、興味ある展示物に気をとられてしまい気づかなかったのかもしれません。
その後、タイルに気づかなかった理由はすぐにわかりました。この場所をあらわにしたのはシャッターや壁だけでなく「床のカーペット」も取りのぞかれていたからでした。
すべてはぎ取られ、照明もなく太陽光だけで照らし出された空間を目の前にしています。
〇壁に張られた絵
壁面には絵が掲げられていました。入口から入って奥の壁を順にみていくと、何もないに近い状態から、次第に緑の点が増えてきます。これもまた「原始の海」を表したもの。そこに生息する生き物の様子だと感じました。
先に見てしまった第三展示室の瓶の中に通じています。
大気中の成分から合成された非生物的な有機物がいくつも集まり、海中で「液滴」と呼ばれる形態になる。膜はないものの、袋状の構造をもつ液滴がその後、生命を得て細胞になった。
そこから、生命の螺旋がつくられます。目には見えていないけども原始の海で繰り広げられた私たちの先祖のまたその先の誕生物語。
作家がこのような知見も含めて描いていたかはわかりませんが、見る人のとらえ方は、それぞれのバックグランドによって広がっていきます。このようなことまで想起させられる作品に興味が持てます。
しかし私は壁面の手前、入口側から順に見ていったので、逆から進んできた人は進化が逆行してしまうと思いながら奥に進みました。すると次第にフェードアウトしています。方向性はなく、どちらから見ても同じようで中央がピークとなっていることがわkりました。
反対側の壁にも同じように絵が掲げられています。こちらと対称で描かれているのでしょうか?
(追記 2024.9.24) ■「水」⇒「原始の海」 ⇒*1
〇中央扉をはさむ壁の銀のテープ
入口から向かって左側の壁から右側の壁向かって奥の壁づたいに移動すると、中央の扉をはさんでキラキラと光る銀のテープが張られていました。左側(西側)のテープは少し波打ってます。
右側(東側)の壁に目をやると、波打ち具合は少し強くなり、そのテープを眺めている人がいました。その顔がぼんやりテープに映り込んでいます。
近づいて自分の顔も鏡のように映るかなと思ったら映りません。右上の窓から光の入り方を見ると、入射角に対して反射角のあたりに私が位置していることがわかりました。正面で向き合うと私の姿はテープに映らないのです。
先ほどの人も自分には見えていないけど、私からは見えていたのかもしれません。
〇窓の外を飛ぶ鳥
空間上部の窓を見上げ、ガラスの枚数を数えていました。9枚です。そこに鳥が横切っていきました。これと同じシーンを経験しています。直島のジェームスタレルの特別プログラム「オープン・スカイ」を見ていた時のこと。
幻想的な空の枠組みを見ていたらそこに鳥が横切って飛んでいきました。現実の世界に引き戻されました。中の世界、そこから見える外の世界。それはまだ建物のどんな場所かは理解できていませんが、鳥が横切ることができる空間が存在していることを知らせてくれました。
そして反対側の窓を見たらそのガラスは曇りガラスでした。その窓から外は見えないのです。
⇒『直島:地中美術館 ジェームスタレル「オープンスカイ」ナイトプログラム』
枠の中を通り過ぎる鳥
〇視線は上から下へ(天井⇒壁⇒床)
まだ、床の展示物に至っていません。周りはみんな下を向いて眺めています。次の機会はおそらくないと思われる第5室のヌード状態。床に置かれたものは二の次で、まずは空間把握をししっかりこの目に焼き付けておくことが最優先されました。
やっと一段落して作品に目が向き始めました。作品の鑑賞は一番、後回しになりました。
〇リストを照らし合わせる
床の作品を見てもわかりません。考えてもわからない時は、無理して考えず、手元の情報を見ることにしています。確認しながら「ふ~ん」と思ったり、「足跡ってこれのことだったのか」と思ったり。
しかし、その日は曇りで自然光は弱く文字の認識がしづらい状態。そこに夕暮れが迫り文字を見ることが辛くなってきました。それでも頑張って確認をしていたのですが、そのうち、それに何の意味があるのだろうとちょっと馬鹿らしく思えてきました。
しばし休憩。休んでいいと書かれている木に座ります。
〇座って鑑賞者を眺める
リストと照合することが馬鹿らしく思えて座ると、目の前には、同じようにリスト片手に誰もが作品とにらめっこしています。その光景がなんだか滑稽に見えてしまいました。
「サル真似」という言葉が頭に浮かびました。太古の海に宇宙からやってきた原子が海に溶け込みそれが集まって球体⇒アミノ酸分子⇒DNA。その組み合わせてにより原生細胞、こうして生き物は進化してきました。
動物たちは様々なに分化し、その一つの系統がサルで、人間になりました。その間に見よう見まねを繰り返し知恵をつけてきました。
その進化の過程にいるサルがうろうろしているように見えてしまったのです。ただリストと照合しただけで何になる? その先にあるものを考えないと人間にはなれないなどと思いながら。
(追記 2024.09.24)■意味づけしようとする ⇒ *2
結局それは、いつもの自分の姿を見ていることでもあるのです。展覧会ではどこに何があるか、場所と作品の関係、章立てや構成、作品どおしのつながりなどを把握をするのを優先していました。
タイムリミットが迫る中、暗くて小さくて見えにくい文字を凝視し、必死になって作品マップとリストを照合させ完成させること。そんな自分の行動を人の姿から突き付けられた気がしました。「そこに何の意味があるの?」と問いかけてくるのですが、休憩後、また照合を始めていました。
さらに暗くなり文字が見えません。それでも何かに追い立てられるように作品と番号、素材を一致させていました。「その先にあるものは?」 そんことを考えたり感じたりする余裕はありませんでした。
しかし「とん毛」と記し「猪」と書いたところで「動物繋がりだ!」 そのあとには「鹿」「猪」「猿」と続きます。それは「骨」だったり「土偶」だったり。縄文の生活の様子が浮かんでくるアイテムです。主軸となる作品がつながりだしました。
そこにさらに生活の道具とはまた違う「土偶」という存在が並列しています。ただ食べるための「生」でなく、生きるための積極的な「祈り」という感情が込められた道具(?)である「土偶」 それらとの配置や関係性は?
そんな主となる作品の周りには小さきものがとり囲んでいます。しかしその一つ一つの「名称」と「物体」を一致させるには至りません。その中で気になったのが「まぶた」でした。これはどれを指しているのか会場では認識できませんでした。
ところが同じフロアにも「まぶた」がありました。あの銀のテープです。作品名は同じですが、かたや意味ありげ、かたやおまけのような小さな付属品。「名称」は同じですが、全く違うもの。連動性がありそなのですが、小さい「まぶた」が何を意味していたのか、会場ではつかみきれなませんでした。
番号と作品を一致させ確認することで満足してしまっていないか?これはよく言われる展覧会で作品とキャプションを見て満足しているのと同じ状況だと思いながらも、さらに追い立てられて続けています。もう一人の私が語り掛けていました。「それがあなただものね。そうやって今まで生きてきて、今があるのよね」と。それをせずにはいられなかったのです。
(追記 2024.09.25) ■配置マップ・一覧作成 ⇒ *3
〇生と死を感じない?
この展覧会は内藤礼さんが次のように語っています。
かつて太陽とともにあった生と死を、人と動植物、人と自然のあわいに起こる親密な協和を、そっと浮かび上がらせます。
しかし、私は作品を見ていて、全く「生と死」を感じることができずにいました。
これと同じ感覚、以前にも体験しています。それは母の死を境に、前後で見た展覧会でした。その作品は死が描かれているはず。しかし「死」の痕跡を見出すことができなかったのです。生と死とリアルタイムで向き合い迫っていた時、その境界はなくなってしまい、それすらも感じずに超えてしまったのでしょうか?
表現者は作品の中に「死」をいかに表わし埋め込むのか?最初に見た時は、死を感じない。それは描いていないからなのか、描かれているけど気づけなかったのか。今なら死の表現に意識的になっているから、当初、見えなかった空気感が伝わってくるかも。そんな期待を持って終了間際に再訪した。 pic.twitter.com/FwmLeV9eKn
— コロコロ (@korokoro_art) 2023年1月22日
生と死は表裏一帯であること。死は悲しみではない。日常の生活の中の延長線上にあることを、母は伝えて去ったから。
「死を悲まない」という感情を理解してもらえた。さらに遺体をなるべく現状維持するためにしたことを話すと「失礼ながら作品保存と同じですね」と言われた。美術の通信大学に通う方だった。https://t.co/hdvmtpwybn
— コロコロ (@korokoro_art) 2023年3月11日
すでに体験として「生と死の同一化」あるいは、輪廻転生のような輪環としても捉えていました。それは美術を通して他の作家さんたちも表現してきたことです。そして遡れば美術ではなく植物を通してそのことは昇華されていたことでもありました。それらを超える新たな何かは感じられなかったのかもしれません。
そのため、どこかで内藤礼さんの作品を特別視しすぎのように感じていたような気がします。誰もが形を変え「生と死の同一性」は表現しているのですから。その方法論が違うだけのこと。私はこれまでもそれを目にしてきたと思いながら…
〇タイルの先にあるもの
座ってそんなことを考えながら、片腕を座面に置くと、これまで触ることができなかった展示物にここだけは触れていることに気づきました。素材は何かわかりませんが(その時、確認しませんでした)肌ざわりが柔らかくやさしい。木のひっかかりながくツルツルでもなくスベスベともちょっと違う感触。暖かさと同時に自然素材でありながら人工的なものを感じました。それは人為的な工作が明らかに加わっていたからかもしれません。
そして日の光がちょうどよい具合にタイルにあたって反射し、タイル模様のコントラストが直線的に反対側のドアに向かって真っすぐ伸びているのが突如、目に飛び込みました。ドアの先にある世界、まだ見ぬものに向けて矢を放っているようでした。
〇ガラスビーズを見上げる
上部から吊り下げられるガラスビーズを見ていると天井から吊るされた四角い枠との関係が見えます。枠にテグスでくくられています。しかし枠組みがないところからも垂れ下がっているのです。よく見ると光でテグスは見えいなかったのですが、枠と枠の間にも糸が張られて、そこから吊り下げられていました。
見えているもの、その背後に見えているけど見えていない、あるいは見えない環境がここに存在しているのを感じました。
これらの配置には規則性があるのでしょうか?(ほ~ら、やっぱりあなたはそこに行くのね)わけわからない物を前にして混乱状態になったとき、そこに存在する共通点を見つけ出し、それをつなぎ合わせようとしてきました。ここでも、最後の最後、わからないながらもそこに共通点を見つけ出そうとしていました。
⇒(追記 2024.09.25) ■共通点をみつけて構造化 ⇒ *4
このような作業は時間的に無理と思いながら、見上げているとまたまた降りてきました。
直島の「きんざ」です。
「きんざ」の天井をずっとみつめていて、ぶら下がっているものを見ながら何がおこるのかを期待していたことが蘇ってきした。東博本館第5室も「きんざ」なのだと確信しました。
作品番号69 この番号から引き出された矢印は何を意味しているのか?と伺うと、四角い破線で囲われた部分全体を示し、会場のガラスビーズ全体を意味することがわかりました。その作品名は《母型》、豊島美術館の名前と同じということを後で知りました。
3つの会場で展示されているもの。例えば「鏡」などは第一会場とも重なっています。第三会場にもありました。これまで生み出された内藤作品の中に「母型」と名付けられたものがあり、第二会場全体を覆っていました。さらに第三会場の水も「母型」という名称がつけられていることがあとでわかりました。名称や素材なども含め、作品はどこかで緩く繋がって継承しながら、新しい「生」が生み出されているのだと思いました。
(追記 2024.09.25) ■母形に共通するもの ⇒ *5
戻ったあと、10年前に見た「きんざ」の感想を10年前に、再度みて書いていたことを思い出して読み直しました。
この時、今後の美術鑑賞は「私には私の経験や知識によって感じることや物の見方がある」。専門家とは違う自分の見方を模索していくと記録されています。20年の月日を経てまた、あの時の「きんざ」を感じさせる空間に身を置くことになりました。それはずっと追い続けていた自分の原点の場所でもあります。10年前、10年後はいかに?とこの日を予感していました。
私の鑑賞はなぜか主題よりも周りの状況に目を向けがちでした。それは20年前も今と同じ見方をしていたことがわかりました。最後の最後に「きんざ」の床に置かれたものい目を向けるのでした。
〇再び作品番号と作品の照合
滑稽、何になる? 意味ないのでは? と思いながらも、結局は薄暗い中、最後まで番号と照らし合わせ、ざっくりですがほぼ確認ができました。
この作業、解剖の組織の解説をアトラスを見ながら、場所と名称、機能など、一つ一つ視認しながら学んできた習慣が染みついたものなのだと最近、理解するようになりました。解説に「〇〇がある」と書かれていたらそれを実際に図譜や地図などで確かに存在していることを確認しないと進まないのです。
レオナルド・ダ・ヴィンチが丁寧に解剖図を描き、そこに臓器や組織の名称をつけていたのと同じことをしているのだと思いました。「ここに〇〇がある」その存在証明として図で確認。言葉だけでなく目でも確認しながら歩んできた私の中の歴史です。
初めてレオナルドの絵と解剖を見て、またレオナルドが科学者だと知ったこの場所、約20年の月日を経て、同じようなことを変わらずにしていたことがわかりました。物の見方は変化する一方で、ベースに流れている部分は変わらないと感じます。
意味がない、それが何になるのかと疑問を抱いても、それをせずにはいられないのです。
配置図の作成など一見、無駄に見えることであっても、必ずいつかどこかでそれがつながっていくこと、何かを考える時の役に立つことをこれまでの経験で確信できているからです。
〇歴史画を見るように
最近、人種や人権をテーマに研究しているアメリカの歴史研究家から歴史を描いた絵画を見るコツを伺ったところでした。「歴史を知らなくてもいいからそこに何が描かれているかをまず見る」「何が見えているか」その事実に目をむけたあと、「何が描かれていないのかを見る」それによって、いろいろな事実が見えてくるのだと。
見えているものは何か、「見えていないものは何か」も見る。
これは歴史画だけでなく、作品や物事を判断するコツとして応用できると思いました。歴史がわからなくても、そこに描かれている事実をまずは拾い上げてみる。そこから見える世界があるります。そして広がっていくということです。
何を意図しているのかわからない。でもそこに見えている事実を積み上げていく。そのうち見えていないものも見えてきたり・・・ 次第に作品との距離が縮まるのを感じました。
(追記 2024.09.27) ■歴史画から見る ⇒*6
〇第5室の特別公開「高御座」を見て
高御座を見た時の記録が残っています。
感想の中で小沢健二さんの曲と高御座の共通性をみています。さらにタモリさんの言葉を引用していました。連綿と続いてきた歴史の先に今の日常がある。それはいつまでも続いていく。
世界で一番長い歴史を持つ皇室。生と死はその歴史と循環の中にくみこまれているにすぎない。そんな永続性を感じた場所が第五室でした。
確かに日常性が続くわけだが、日常性を瞬間瞬間と捉え、かつそれがいつまでも続くということは、その日常の瞬間性に永遠や普遍性や宇宙を感じるということである。日常性のかけがえのなさとその普遍性を捉えている。これをもってタモリは「生命の最大の肯定」であると応える。
(追記 2024.09.24) ■生と死は隣り合わせ ⇒ *7
■鑑賞、見方の特徴が見える
この展覧会を通して、自分の見方の特徴がよりくっきりと浮かんできました。意識されていたこともありますが、また別の角度からそれを確認できました。
〇「見る」ことに与える影響をさぐる
私は人のいうことも信じないのですが、自分が見て感じたことも信じていない。ということをある時から自覚するようになりました。自分が感じることはその時の環境や、内的要因、外的要因によって左右されるものだと思ってきました。
自分の中に「こう見たい、こうであってほしい」という気持ちが働いたり、見せる側に「こう見せたい」という意図があったり。他にも、見え方を変化させる外的な因子がいくつもあって、それは既知のものもあれば(空間の構成、光など)未知のものもまだまだあるはず。まだ見ぬ未知の因子を見つけることが、鑑賞する楽しみの一つになっています。
(追記 2024.09.27) ■作り手の意図 ⇒*8
それらの発見は、これまでの経験やその場、その場で得た知識、それらが醸成されることでもたらしてくれると思っています。見え方を変える外的な要因が、一つ一つ、増えていくこと。さらにそこに集う人によっても影響されます。その場でどんな会話が耳に入ってくるか、どんな会話をするかによっても変化します。
20年前、この場所で見たレオナルド・ダ・ヴィンチ。それが自分の源泉となった展覧会。その空間のことをもっと知りたい。そのためにこの場所で行われる展覧会の空間をウォッチをしてきた結果、今、私はこの場所の本当の姿を目にすることができました。
鑑賞の傾向が、テーマや主題よりも、その周りの状況に関心が向きやすいことは見えていました。それはこれから自分が見るようとしているものが何かの影響を受けていないかを、あらかじめ確かめるための行為だったのかも… と思うようになりました。
内藤礼さんの言葉に共感し通じるものを感じていました。
「これまでも持ち続けていた問いは東博という場であったからこそ深く感じ、考えることができたといえます。」
これまで東博、第五室という場所に対して持ち続けていた問いは、この場所だったからこそ何か深く感じることができ、その後も考え続けられた言えます。
〇見過ごしたこと 見違えたこと
勘違いや見過ごしなどがおきた時は、なぜそれが起きたのかを確認する習慣がついています。人の認知には特性があります。動線などによって発生しやすい視線の欠落などはどのような環境によって誘発されるのかパターン化しながら把握。その例を蓄積することによって、次の注意に結びつけることができます。失敗を失敗に終わらせないように。
これは前職の職場環境や習慣、教育によって叩き込まれ身に付いたのだと思いました。
(追記 2024.09.27) ■ミスの背後にあるもの ⇒*9
〇気になったことはあきらめない
作品番号と場所、素材を確認していて、第3会場に漏れがあったことに気づきました。それが99番。閉館となってしまいましたが、平成館へ荷物をとりに行くのを口実に、ラウンジ周りで移動。ここで探すのは無理と思い、その場所をスタッフさんに教えていただきました。こんなしかけが! あきらめなくてよかったと思いました。
これ、自力で探し出すことができるものでしょうか、あるいは展示には規則性や法則はあるのでしょうか、同じ名称のモチーフが同じ会場にあったり、別会場でも重なっていることがわかってきました。それらの共通点に貫かれているものは何なのでしょう。またまた気にかかることが沸いてきます。
そして、俗的ではありますが、第三展示室、ラウンジの展示。夜間延長の時はどうするのでしょう。作品を撤去。その瞬間をこの目で確かめたいと思いました。
(追記:2024.9.24) ■映像が消える瞬間を見る ⇒ *10
本館を外から見たら中庭の状態はどうなっているのでしょうか?他の人は、この空間の展示をどのように見ているのでしょう? 天気や時間による見え方の違いは?などなど…
疑問や確認したいことがいろいろ出てきてしまいました。ということで再度、訪れてみることにしました。
(続)
*1:■追記 2024.9.24 「水」⇒「原始の海」
ここは第三展示室を先に見てしまったため、その流れで「原始の海」と感じたのかもしれません。第二会場を先に見ていたらどうだったでしょうか? おそらく第二会場が先でもこの絵を見たら「原始の海、水、生命誕生」を感じていたかと思われます。
「水」を見たら「海」が浮かびます。「海」といえば、地球が出来た時の海のはじまりの時代まで遡れます。そしてその海を作り出した「元素」があって、その「元素」は宇宙の彼方から飛んできた。という一連のストーリーを思い浮かべます。
この絵からモネの点描がイメージされました。描かれているのは水辺。「水」を見たら「原始の海」「宇宙」という繋がりを想起する一連の脳内回路が私の中には出来上がっています。(これが知識、知ること)
⇒参考 https://x.com/korokoro_art/status/1713417885933355467
そのあと、水を絡めた作品と「宇宙」までを結びつけるかどうかの判断は私の脳内で行われていたのだとわかりました。作者にその知識や意図があろうが、なかろうが、こちらがそれを判断していたのです。
おそらく自分が好意的に受け止めた作品や作家にはこの流れを適用しているようです。あまり共感していないときは、そこまでの意味を感じられないし表現がされていないと判断してきたような気がします。しかし例外もありました。
*2:■(追記 2024.09.24)意味づけしようとする
鑑賞者は、リスト片手に作品と交信しています。そこから何かを受け取ろうとし意味を見出そうとしているようでもあり、照らし合わせているだけのようでも…
人は目の前に何かわからないものが現れた時、それが何であるか、どういうことなのかを知りたいという欲求にかられるもの。そのために自分が持っている手段を駆使してあれこれ探ろうとする習性を持っています。
作者はそのことを我々に自覚させようとしたのでは?ひょっとしたら「あなたたちこれ見て、あれこれ考えて意味を見出そうとしてるけど、ここには何の意味もないの。ただ無造作に並べただけ。それをあれこれ意味づけしたり、解釈しようとしているけど、それはあなたの中にあるこれまでの知識や経験が現れたということ」
そんな種あかしがされるんじゃないか。もし本当にそうだったら面白いなぁ… 意味のないものに意味を見出そうとする。それが人間の本質。
でもちょっとだけ入館前に見た事前情報からは、いろいろ考えられた末の作品であることが伝わってきました。内藤礼さんの作品はいくつかみてますが、どんな方かは存じあげていません。でも醸し出される雰囲気から、そんな意地悪な作品はつくらなさそうと打ち消してしまったこと思い出しました。
生とは? 死とは? そこに何か意味や価値を見いだし、納得しようとする私たち。そんなわからない物と対峙した時の人のサガのようなものを目の前に浮かび上がらた作品でした。
*3:■(追記 2024.09.25)配置マップ・一覧作成
さらに家に戻ってからマップを整理しなおしそこから関係性を探ろうとしていました。展示物を見ずに目録と配置図だけで作成してみると、逆に構成の骨組みが見えてきた来た気がしました。現地で実物を見ながら照合していると情報が多すぎて混乱をきたすのですが、図と目録という限られた情報は、物を介さずに「番号」と「名称」を入れるだけ。簡単に位置関係をとらえることができることがわかりました。ただ、一度見ているからこそだとは思います。
ブログで一つ一つを丁寧にリストアップし解説されている方がいらしたので、その情報を元に展示物の一覧表も作成しました。「遺物」「自作」「拾い物」などの情報欄を加えたり、年代、素材、サイズ、さらに展示物を、作品名、年代、出土場所、所蔵、素材や、主従関係など一覧にし共通点、相互関係など探っていました。
「無題」とタイトルのついた展示物にはどんなものがあるのか。素材や形、大きさ、それらどこにどのように展示されているのか。「無題」というグループの中の法則を探ろうとしたり。(「作家はそんなことまで考えてるわけないでしょ?」という声が聞こえましたが「いいの!私が確認したいだけだから」と対話していましたwww)
ちいさな「まぶた」はやはり銀の紙テープの断片だったようです。横長の銀のテープを小さく切ったものなのでしょう。表にすることでそれらの関係性が浮かんできます。しかし作者はそういう配置や作り方はきっとしてないだろうなと思いながら…
*4:■(追記 2024.09.25)共通点をみつけて構造化
ランダムに物が羅列された状態や、混沌とした状態に陥った時の反応。それらの中に存在する共通点を知らずのうちに探っています。それは「言葉」だったり「素材や質感、形態」だったり「過去に見たものから抽出したり」(それらの「物質性」に着目することが多い) それらをグループ化しグループ同士をむすびつけて流れをつくりその流れの中から「構造化」していくというのが基本の流れ。
これは若いころに受けたKJ法の研修がもたらしたもので、気づかぬうちに基本の思考法として自分の中に根差してしまいました。この方法から長年、抜け出すことができなくなっていることに気づき、それ以来、「絵画を見る技術」といった情報は入れないことにしました。
⇒参考
⇒参考 混沌とした状態の時は、KJ法が思考の根底に流れています
⇒よくわからなかった「リヒター展」 会場のマップをグループ化し、構造化して見ていました。
*5:■(追記 2024.09.25)母形に共通するもの
「生」を包み込んでいるのが母体。その中には「生」の元になる様々な要素が含まれていて混沌としている。それらが互いに影響しあいつながり塊となる。それらがさらに組み合わさって「生」の型となって生み出される。
まさしく地球に生命が誕生する光景が、形を変えて凝縮されているのだと思いました。
地球上のすべてのものは原子でできておりその原子は宇宙からやってきたというこの映像が浮かびました。展示されている小さなもの一つ一つは、この原子なのではと思いました。
*6:■(追記 2024.09.27) ■歴史画から見る
『日本遠征画集』を3名の研究者がそれぞれに分析するという新たな試みが神奈川県立歴史博物館「かながわのまなざし」で開催されていました。なかなか好評の企画のようです。3人の研究者のお話を聞く機会がありました。この解説で語られたことがことがとても興味深く、示唆に飛んいて、また内藤礼さんの展覧会ともどこかつながりを感じさせられたので追記。
Q日本を開国させたのは誰か?
・将軍? ・天皇? ・ペリー? ・阿部老中? ・幕府?
教科書的な見解はあるけども、答えはそれだけではない。研究者によってもいろいろ。研究者だからと言ってそれを鵜呑みにしないで。歴史は仮設を立て、事実の可能性を探る。絵の中の人々は何を見ているのか、何を感じているのか、みなさんもこの絵を見て感じて考えてほしい。
それぞれの描かれた人はどう思っているのか。それを描いたハイネは何を考えながら描いたのか。こちらを見ている1人の少女、この少女は何を見ているのか? この絵を描いてるハイネではないか? ハイネと少女の間の視線の交錯。そして今、私たちが少女を見る視線とも交錯している。
ここには、将軍でもペリーでも役人でもない、その時代を生きた一般庶民、そしてペリーに同行した人たち。それらの人たちの「好奇心」curios の目が交錯している。ハイネは軍国主義が好きではなかった。この美しい日本や沖縄が、植民地化されるかもしれない危惧、それから150年の間にアメリカと日本に起こったこと。それを知った上で見る私たちは何を思うのか。
観察者として見て見られている。そこに存在するのは「好奇心」 一般の庶民の「好奇心」が日本の開国をもたらしたのでは?軍事力を示しても気にしない、ペリーも気にしない。それよりも音楽隊や統制がとれた軍隊に興味。あなたたちのことを知りたいというお互いの好奇心が開港をもたらしたのでは?
自分の目で見て感じたことを大切に、教科書は参考程度。歴史は歴史家だけのものではない。パブリックヒストリー、一般の人も語ることができる。
「交錯するまなざし」内藤礼展でもいくつか提示されていました。庶民が歴史を動かしている。小さきものが世界をつくっている。そしてなによりも「好奇心」(curios)知りたい欲求が歴史までも動かす。
以前、小泉八雲が「日本の庭には奇妙な壁がある」書いていました。何を奇妙と思ったのか。その英語はどんなワードだったのか。それを知りたくげ出雲まで出かけたことがあります。そこでわかったのは奇妙なという単語は「curios」
それは奇妙なとも訳されたり、好奇心と訳されたりすることがわかりました。自分が知りたくて追いかけた結果、その答えが「好奇心」だったというオチだったことを思い出しました。庶民レベルで相手のことを知りたいという興味が新しい世界を開いたのでした。
*7:■(追記 2024.09.24)生と死は隣り合わせ
いつ訪れるかわからない死。それに直面した時、いかに受け入れていくか。終末医療の対応が社会問題となっています。現代の生活では、つきっきりの介護で身の回りの世話をし、急変すれば救急車を呼んで病院へ。いろいろと手を尽くし命を延長することが当たり前に繰り広げられています。
ひと昔前、山間部の農村地域の一部では、祖父母が病気や寝たきりになっても、介護などしなかったと言います。日々の暮らしのため家族全員が田んぼや畑にでかけ働きました。そして戻って息を引き取っていたら「ばあちゃんいっちゃったね~」それが当たり前のことだったと。
生活の中に死がありそれは日常でした。地域で協力して土葬の穴を掘ります。人型に土が盛りがった土は1年後に訪れると、土は沈んでそこから花が咲いています。「ばあちゃん、花になったね」 生と死は生活の一部だし、循環していました。
いずれは迎える親の死。その時にどんな選択をするか。母の介護の時は、介護だけの生活はしないことを選びました。農村地域と同じように、私たちの日常生活は変えずその中で迎えることを享受することに。
父に対しても同じ選択です。自分の好きなこと、興味のあることは抑えない。見たいもの、知りたいことがあったらそれを探りにでかけます。日々の暮らしを変えず、その先でおきることとして日常の中で受けとめる選択をしていました。
観察し変化を記録する。母の死後の変化までも。私が教科書で学んだ変化と実際を確認できるチャンスとさえ思っていました。この機会にこの目で確かめおく。自分の関心事、知りたいことがあればそれに向かって突き進む。
母の横たわる姿を見た父が、上から横から下から、ストレッチャーが移動してしまうほどかぶりつくように眺めている父。これが最後だからよく見ておかないとと言いながら… その姿を見て、私の気質はこの人から受け継いだものであることをまざまざと見せつけられた気がしました。
なんでも分解して仕組みを解明しようとする。興味ある対象物への執着。私が興味のあることに日常として向かうことは、つきっきりでいるよりも喜んでくれるのではという勝手な解釈し、最終日、また行くという選択をしていました。
現実の生活において、実際に生と死が一線上にあるなかでの鑑賞。そこには境界がないなんていうのは、私にとってはあまりに当たり前すぎてそれを感じることもなかったのでした。
*8:■(追記 2024.09.27) 作り手の意図
作品には見る人に「こう見てほしい」という見せたい意図があり、そのため作為的なものが存在している。
これは美術鑑賞によって得られたことだと思っていましたが、初めて見た直島の現代美術作品でそれを探っていたことがわかります。
なぜ、このように見えるのか。そこには作者の意図的な演出がある。この作品は光によるマジック。その種あかしをするべくいろいろな鑑賞方法を駆使して探し出そうとしていました。この見方は何によってもたらされたのかを考えていました。
それがやっとわかりました。大学入学時に読んだ『統計でウソつく法』という本でした。
https://x.com/korokoro_art/status/1484540462006677504
データは見せたいようにいくらでも加工ができることを知り、それは月日を経るにつれ、提供情報は提供側の意図が必ず含まれている。それを提示するために、見せ方に手が加えられていることを経験として蓄積していきました。それは美術作品においても同じだと…
また「光」による見え方の違いについて、かなり前から意識的でした。それをもたらしたきっかけが何だったのかがやっとわかりました。
それは入社した直後の職場での経験でした。視覚で判断する「色」は「光」の影響を大きく受ける。そのため、毎年、蛍光灯を替え照度を図るという職場環境。それがその後の光と物の見え方へのこだわりとして現れたのだと。
自分のモノの見方の源泉はどこに?と探っきて、なんとなく気づいていた気はするのですが、今回、それをはっきりと認識できました。
*9:■(追記 2024.09.27) ミスの背後にあるもの
見誤りや見間違え、見落とし。その裏には、それを誘発する因子が必ず存在する。その状況を確認し洗い出し集めてパターン化していく。鎌倉のハイキングコースでは、見誤りを回避することができた。
その時は直感的に回避できたが、その直感にはその時には気づかない自分の中の知識や経験が導き出したものだと思うのでそれを探る。また、迷う原因、その周辺の環境はどのような状態なのか、動線の方向によって目に入るものの違いなど、わざわざ再訪して確認しに行った。自分の身体感覚として今度は意識的に捉え直す。実際にそこで見て感じて納得する。無駄に見えるけど、これは今後、なんらかの形で絶対に役立つはず。
https://x.com/korokoro_art/status/1587587038706302976
*10:■(追記:2024.9.24) 映像が消える瞬間を見る
エスパス ルイ・ヴィトン東京で開催されたクリスチャン・ボルタンスキー個展「アニミタスⅡ」(後編))で流されていた映像、その終わりの瞬間を、長い時間そこに滞在し見届けたことを思いだしました。
今回は、エルメスでも同じ展覧会が開催されています。ハイブランドの近代ビル内での展示に共通性を感じていました。