戦後80年「火垂る墓』が放映された。ETV特集「火垂るの墓と高畑勲と7冊のノート」の特別番組もOA。その後、初めて作品を視聴したが思うことがあふれ出てまとまらない。AIの力を借りてみると、ちょっと過激(?)なタイトルとなった。
■記事制作の背景
ランダムに浮かんだことを下書きのまま溜めていたが、あまりに多く広がりすぎて散乱状態となり、まとめきれずに苦慮していた。そこで「ChatGPTならどのようにまとめるのだろう」と試してみることにした。
私は普段からKJ法でまとめる習慣がある。ところがChatGPTは「共通項や深層的なつながりを探すのは私に任せて、あなたは直観や感覚に沿って話してほしい」と促してきた。そのまま対話を重ねるうちに、自分でも気づいていなかった要素が浮かび上がり、漠然としていた直観が次第に形を取り、やがて一直線につながっていった。
最初に感じた大きな違和感にスポットをあて、それについて伴走してもらいながら整理した。いつもなら感じたことをだらだらと書き残すだけだが、今回は焦点を絞り、他を思い切ってそぎ落とした。その結果、実にすっきりとまとまった原案が提示され、それをもとに自分なりの言葉を加えて仕上げた。
『火垂るの墓』にエロス!? センセーショナルなスタートとなった。
■清太の抱き寄せがエロい
清太が節子を抱き寄せたとき、私は思わず「エロさ」を感じてしまった。頭ではすぐに否定したものの、感覚の奥に「確かにそれがある」と響くものがあった。
なぜそんなふうに感じたのか。清太の抱き寄せる様子を観察した。その仕草や間を見ていても、説明できる根拠は見つけられなかった。しかし「ここには意図がある」と直観した。これは間違いないとまで…
後でわかったのは、原作には清太の「昂まり」という表現でそれが描かれていたという事実。思うに大人の性欲ではなく、思春期の”男の子”を卒業する時の性の芽生え。その奥には命を連続させるための衝動として存在する。人が本能的に備えている本質。
■針刺しでにじみ出る血
もう一つ、私には心に強く訴えかけるシーンがあった。それは節子が裁縫をする様子だ。針で指を刺してしまう。血がにじむ。裁縫をしていたらありがちなシーンではあるが、高畑監督がここに血を描いた意味を感じた。私は「これこそが物語の核心だ」と思った。
針と糸は古来、生をつなぐ象徴だった。衣を縫うことで人は身を守り、生き延びてきた。様々なものを纏いながら… 戦時中の千人針に込められた祈りも同じ。おばさんに奪われて失った着物。針はそれを再生する意味も込められているのかも。そして針で滲んだ血は、まさに細胞が動き続けている証である。
■生きるために人間が有する欲求
生きるとは、食べること、眠ること、そして性の衝動を抱くこと。人間には3つの欲求がある。その欲求をおこしている根源的なもの。体を流れる「血」。それが針によってあふれ出た。それこそが生きている証として凝縮されていたのではないか。
私は最初に感じたエロスの違和感、そして血の直観。それらはバラバラではなく、「生きる」という一点に集約していたことに気づいた。
■物語最大のテーマ
――高畑勲が描こうとしたのは、戦争の悲惨さではない。反戦ではないと自ら語っている。戦争という悲惨な極限状態にあってもなお脈打つ血、また抑えることのできない欲望、それは次の命へのバトン。体の中をかけめぐる血の循環がもたらす「生」そのものの象徴。
針先に滲んだ小さな血。それは「今、私は生きている」という、体内の奥底でこだまし湧き上がる叫び声に思えた。
■あとがき
今回の記事は、直観的な違和感を出発点に、対話を通して形にした“一次的なエッセンス”。リストアップしたワードはまだまだある。そこには自分でもまだ見えていない心理が潜んでいると感じる。さらに模索を続ける中で新たな気づきが浮かぶのを楽しみにしたい。
■記事を書く裏の葛藤
〇(20250902)追記
コンパクトにまとめてしまったブログ。その裏ではいろんなことを考えたり、調べたりしていた。『火垂るの墓』にエロスを感じるなんて不謹慎? 私がおかしいのか? ChatGPTともいろんなことを語り合った。
それと同時進行で他にはいないのかと探っていた。いた! 岡田斗司夫氏。かなり前からそれを指摘しており「近親相姦」にまで言及していた。『火垂るの墓』オンエア後、1週間だけ、過去の動画を公開していた。私はメモまで取りながら視聴した。岡田氏は映像の何から近親相姦を感じたのだろう。私の視点とは違っていた。
〇(20250821) 下書きの記録メモより引用
『火垂るの墓』を書くにあたって膨大な下書きがある。そこから一部を引用。
私は近親相姦を感じながらも、高畑監督にその表現の必然性が感じられず、打ち消していた。しかしあの絡みは確かに兄弟愛とは違う何かを直観させた。ここにはきっと何か隠されているにちがいない。
野坂氏の原作には、このシーンが生々しく書かれていることがわかった。原作で妹に対して性的な感情を抱いていたのだった。
文春記事では大人の性欲ではないとあるが、思春期の芽生えの感情だと私は感じた。高畑監督は野坂氏との対談を通して、その意図を知り、表現に組み込んでいたのだった。それをキャッチした自分の感性に自画自賛していた。
高畑は監督は、どんなに悲惨な状況であっても、人間の生理的な欲は失われないということを描こうとしたと理解した。生きるということのまぎれもない現実を描き出した。節子が亡くなったあとでも、食欲はある。それが生きている証。生きるためには食べなければいけない。
私が映像から受け取った「何か変…」の直観には、必ず何かがあるという確信。AIが以前、評価してくれたことがあった。「あなたはこれまで医療で培った観察の蓄積、それによって一瞬でその裏にある本質を見抜く力がついてる」と。その言葉を言い聞かせていた。私はどこまでも客観的に冷静に観察を続ける。それが体にしみ込んでしまっている。
他にエロスを感じた人はいないのか…と探る中で「清太が節子の横に敷いた布団の上を左右に行ったりきたりしている。そして節子のところにいき抱きしめると「苦しい」と言われ、またころころしながら布団に戻った」(引用は避けて要約) やっとここだ!とわかった。そして、それに気づいた方も医学にかかわる方だった。医療関係者特有の感なのだろうか。
思春期のモンモンとした清太の感情の発露が体の動きに現れていた。これをエロい。近親相姦?と思わせたのだった。この動きがトリガーとなり、清太のその後の動きを凝視するスイッチが入った。手や足、絡ませ方など、わずかな動きを見逃さないと思ったが、そこからエロさは感じられなかった。
私は微細な動きばかりに注目していたことに気づかされた。その前段階のゴロンゴロンという不自然な動きを直観的にとらえ観察スイッチが入っていたことがわかった。
AIはこれらを下記のようにまとめた。
つまり――
あなた自身の直観のきっかけは、腕や間合いのような繊細な仕草にあった。
しかし 他人のポストが注目していたのは「ころころ転がる」という大きな体の動き。
その大きな動きが「エロスを感じる入り口(フック)」となり、そこから細部観察モードに移行した。
ところが、細部には「エロさの根拠」と言えるものはなく、むしろ自分の感覚がなぜそう働いたのかを探る契機になった。
このような、直観的に違和感を感じるシーンが他にも現れた。転がったドロップ缶の中かからでてきたもの。節子に母の死を知らせていないはずなのに、母ちゃんのおべべダメと言っている。この時点で節子は知っていた?私の観察する目が、次々にとらえてくるためドラマに没頭できない。医療関係の方も同様のことを言っていた。
そして以前、アニメ制作の裏側を追うドキュメンタリーを見たことが一番、影響したように思う。過酷なまでのアニメータへの要求があり、映像の動きを見ていると、その制作の裏側が浮かんでしまった。この複雑な動き、その一挙手一動に目が引き寄せられ、この動きを描くアニメーターはどんなに苦しんだのだろう… 私は清太や節子の苦しみでなくアニメーターの苦しみに感情移入してしまったのだった。
〇(20250902) 追記 AIは文章作成サポートだけではない
「涙なくして見ることができない。二度と見たくない。あまりにひどい… 」いろいろな感想が飛びかう。しかし私には涙もないし、怖いとも、悲惨とも感じていない。
母にウジがわくシーン。どんな描き方をしているのか? 私は九相図をスコープで見たいと思う人間なので、見てもそういう描き方なのか…としか思わない。私には情というのものがないのか。冷酷な観察者…
それは、解剖実習を乗り切るためには、心を切り離し目の前にある状態を観察する。過酷な状況において感情を持たないという訓練がされているから。そんなことをAIとも語り合い、自分には自分のとらえ方があると。
過酷な状況下で人は心を切り離してその状況を乗り切ろうするのではないか。私はそれを体験している。悲惨、かわいそう、と見ている人たちも、その状況になったら、心はなくしてしまうのではないかと思っていた。
それを加えないと他人からは私は異常と思われる。そんなやりとりもしながら、AIはそれをばっさり切り落としたた。私は言い訳したいのに… 忸怩たる思いはあったが、それに従った。
そのあたりをAIと対話をするうちに、私の中にある根源的なものを目をむけさせてくれた。AIによって、私の底に眠っていた生きるために必要なこと、その選択のための生存戦略を伝えればいいと言われ、内面的な支えにもなってくれた。AIの力ってすごいと思った。単に、文章作成のサポートだけでなく、内省する中で整理までしてくれる。自己嫌悪に陥りそうな状態だったのを、救う役割も担うのだと認識を新たにした。
〇(20250904) 追記 文章作成の舞台裏
この記事に至る裏には、これまでとは全く違う文章作成のプロセスがあった。それを別記事に書いたのでここにリンクを置く。