コロコロのアート 見て歩記&調べ歩記

美術鑑賞を通して感じたこと、考えたこと、調べたことを、過去と繋げて追記したりして変化を楽しむブログ 一枚の絵を深堀したり・・・ 

■2017年:[4~5月] 鑑賞記録・メモ

 

 

 

  

■■■■■■■■〈2017年 5月〉■■■■■■■■■■■ 

(2017/06/07)  /  [05/30] 美術情報センター 友松情報求めて行ったら

海北友松展の図録がないかなと思ってでかけました。事前にないことはわかったのですが、大型美術本を見るのもいいかなと思って・・・

そしたらいろいろと思わぬめっけもんが。

特別資料展示:洋画への眼差しを辿る-秋田蘭画研究のさきがけ『日本洋画の曙光』

 

それ、見た見た、知ってる知ってるがいっぱいで、これらの研究書ですら貴重。その現物を見れたというのはかなり貴重な体験だったことにいまさら驚く。

 

友松の大型本を見ていたら、トントンと方を叩かれ、これすごいんですよ・・・とこの展示ケースのカエルについて語られた。たまたま私も秋田蘭画をしってたから話を聞けたけど・・・ そんな勇気のある行動が不思議(笑) ぐるっとパスをすすめられました。

 

建仁寺の襖の設置状況、よりわかりやすい図解がありました。

 

茶の湯」「茶碗の中の宇宙」の図録が置かれていました。復習を兼ねて見てきました。  

  ⇒■茶の湯:会期は明日まで 今、楽焼を振り返えってみると

 

(2017/05/18)  /  [05/16] 東京近代美術館 常設展

 

■(2017/05/17)  /  [05/13] 根津美術館 講演会  ⇒

先生、とても気さく。会場でも快く受けこたえ。講義後のブッチャケトークが楽しい。

 

〇燕子花図屏風 尾形光琳

2回目。前回、どんな印象だったのかなぁ・・・と根津美術館の記録を見たけども、何も書かれていませんでした。イマイチわかってなかったという記憶。パターンで描かれていると言わて、それがどこなのか、実は分からないのだけどわかったふりしてた感じ。そして、この絵がどうしていいのかがイマイチ、わからなかったのだけど、素晴らしいと思い込ませていたような・・・  パターンで描くなんてありがち。でも、この時代には、センセーショナルだったというのも、わかるのだけど、だから? と(笑)

 

やっと、今年見て、パターンの認識ができました。屏風の凸凹で違うように見えたのかもしれないということがわかりました。でも、やはりどこがいいのか・・・ 葉っぱもベタ塗りっぽいし、燕子花もノッペリ。それがデザインだと言われたらそうなのかもしれないけど・・・ パターンも、時代性なんだと思っても、見ていて面白くない。楽しくない。

 

サントリーで其一の朝顔を見た時にも思ったのですが、選んだ色は選びは同じ。でも其一の方がずっと上だって・・・岡野先生も、燕子花は人はあまり立ち止まらない・・・と。

 

でも、音声ガイドの解説が、2つの番号が振られていました。紅白梅図屏風が、2つの解説で理解できたように、この屏風も理解できるかも・・・ ただそれだけのために音声ガイドを借りました。そして書き写してきました。けど、イマイチ。何年かしたらまた、理解できるのでしょうか? おそらく伊勢物語のことがわかっていないからピンとこないのでしょうか?

 

と思っていたら、新説が・・・  光琳が呉服商で染色技法の型紙を応用したと言われているけども金銀泥の巻物における同形反復がヒントとなっていると解説があり、パネルにもなっていました。

 

また、左右の燕子花の色が違っていたそうです。全然、気づいていませんでした。実際、そこまで見てなかったし・・・ そして、この屏風の解釈のいろいろあるようです。河野元昭氏講演「燕子花図屏風の魅力をさぐる」 | 弐代目・青い日記帳

さらに根津美術館がリニューアルした時に、左右の色が違うことに気づいたそう。

 

「特別展 国宝燕子花図」 | 弐代目・青い日記帳

「国宝燕子花図屏風」 | 弐代目・青い日記帳

 

 

■(2017/05/17)  /  [05/07] 草間彌生

意外にさささと見れてしまった。あまり考えてみない。そのまま。図録も解説が少ない感じ。ミュシャ草間彌生の描くペース。描いているものの質が違う。商業とうまく組み合わせ。商業化されてすぎという批判も。展示した銀の玉を売っちゃった。

 

 

■(2017/05/17)  /  [05/07] サントリー美術館:美の扉 絵巻

絵巻を使って、味方をレクチャー。お作法のようなものがある。鳥獣戯画を使用。レプリカ、講習用のデモ用ですが子供だましではないです。ひもの処理や巻き方などレクチャー。展示室に実際に絵巻物を置いて、触れるといいのに・・・なんて話していたのですが、やたら、触られたらちょっと困る感じ。利用する前は、ちゃんと手をアルコール消毒をします。手袋はひっかかるのでしません。

 

 

■(2017/05/03)  /  [05/01] そごう美術館:ルドゥーテの「バラ図譜」展⇒

バラは熱狂的なファンが・・・ 遅い時間に訪れたせいか館内は閑散としていました。監視の方はガードマン。いつもは女性ということもあり威圧感あり。また監視の仕方が追いかけてのぞき込むように見られ・・・   岡田美術館で監視人はいないけど、監視カメラがあると思うとちょっと気になったと書いたけど、カメラがあったとしても、やっぱり人がいない方がいいと思いました。美術館の監視に慣れていない感じがしました。

●輪郭線について

1759-1840 (1817年) 点描で表現したルドゥーテ 

1880年代        印象派

1839ー1906 セザンヌ 輪郭線描かない時期あり

 

 

 

■■■■■■■■〈2017年 4月〉■■■■■■■■■■■

 

■(2017/05/01)  /  [04/29] 静嘉堂文庫美術館渡辺崋山と「芸妓図」-その魅力を読み解く- 

河野先生の館長のおしゃべりトークが開催されたので参加。内覧会の時に先生の一押しとして紹介された一枚が、渡辺崋山「芸妓図」でした。「ゲイギ」と読みます。

内覧会で解説をされていたのですが、いまひとつピンとこず、内容が頭に入ってきませんでした。先生が戯訳されたコピーをいただいてきましたがそれも読まずにスル―。

 

ということで文人画に関する解説は二度目。おそらく同じようなことをおっしゃっていらしたと思うのですが、妙にするすると頭に入ってきます。やはり2度目となると理解も早くなります。

 

先生曰く。文人画は今一つ人気がない。琳派若冲など書のないものは人気があるのに・・・・(うんうんとうなづく) サントリー美術館で行われた若冲と蕪村展。蕪村は人気がなく、人場まばらだったそう。見方としてはまずは賛を読む。それを理解してから絵を見るものだと。

 

それを提唱したのが富岡鉄斎文人画の不人気は富岡鉄斎がもたらしたと冗談めかしておっしゃいます。目も悪くなってくると字は読めない。見えたとしても漢字のつらなりはどこで切るかもわからない。現代人はその意味をすぐにはなかなか理解できるものではありません。賛なんて読まなくたっていい。絵を見て感じるままでOK。

どう感じたらよいか。それは、絵の中の登場人物に気持ちを投影する。感情移入してみること。芸妓図で言えば芸妓の気持ちになったり、それを描く側の気持ちになったり。それは日本人が昔から得意とするところで、山水画などそれにあたります。今っでも「KY」なんて言葉が生まれてくることを考えると、そうした気質がしみついた民族と言えるのかもしれません。そうやって絵の主人公になり切ってあれこれ想像したら、それで終わりにして帰ってもいいと・・・ でも、それで終わってしまったら、この講座もこれで終わってしまうので続けますが・・・と笑いを交えながら。

 

そこで、現代文にしておちゃべり館長による戯訳を用意されました。4月から静嘉堂文庫美術館の専任になってまず何をしようか・・・と考えた時、文人画というすばらしい作品。ところがその作品がどうも人気がなく親しまれていない。それは賛があるとわからないからだ。ということで、館長の戯訳をつけてみようと思ったとのこと

実際のところ、なじみがないと読んだだけでは、まだわかりにくいのですが、解説を聞きながら音として入ってくると理解がより深まります。

一枚の絵の解説で1時間半・・・・ こんなにも深いものとは・・・ 先生の伝えたいパワーが全開。

 

〇芸妓図の名称

昔は校書図と言われたが今は、芸妓図。歴史的な面からも「校書図」と呼びたいということが語られたのですが、「校書」の意味がよくわかりません。

 

校書とは - 歴史民俗用語 Weblio辞書

②〔中国唐代芸妓薛濤せつとう文才があったので,元稹げんしんが校書(きようしよ)に当たらせたという故事から〕 芸者異名

 

この絵は、ポーズをとらせて描かれたものではなく、一瞬の美を捕らえる日本人の感性によって描かれたもの。それは古くからの自然観察の目。人間観察によるもの。美しさとは何か・・・・

 

中国において文人画を描いたのは科挙試験に受からなかった人(イツミン)、受かっても途中でやめてしまった人(イツミン・・・ドロップアウトした人)が文人となり文人画の担い手となる。それが日本に入って影響を与えた。

渡辺崋山南宋画の柔らかさに、北画の衣文のかたさ、さらに洋画の手法を加え中国から伝わる文人画を描きました。 美人だけを取り上げるのではなく「見立て」をして絵画として成立させる。この場合は歳寒三友の「竹」の見立てが行われている。

 

歳寒三友(さいかんのさんゆう)・・・

代より始まった、中国文人画で好まれる画題のひとつ松竹梅

松・・・(宋時代)すぐれる 孔子が送る 冬でも緑 100年

竹・・・(唐時代)緑を保つ 風がふいてもないびく しなやか 腹にいちもつがない

梅・・・冬一番に匂いたち、咲き誇る

 

渡辺崋山は「隠喩の画家」「メタファーの画家」 そしてそれが浮世絵の美人画につながる。

 

あまりなじみがなく興味のもたれにく文人画をいかに興味を持ってもらうか。さまざまな角度から読み解き、他の研究者の解釈にも触れ、ご本人もいらして生の声も伺えるというサプライズも。その上で河野先生の解釈を解説を伺いました。

また「國華」という時々目にする日本の美術書ですが、それに関する解説と実物を見ることができたのも貴重。ちなみに国華は、岡倉天心によって作られた世界一番古い美術雑誌なのだそう。

 

饒舌館長 のご案内もあり、「挿絵本の楽しみ」の記事もアップされています。

静嘉堂文庫美術館「挿絵本の楽しみ」5

静嘉堂文庫美術館「挿絵本の楽しみ」4

静嘉堂文庫美術館「挿絵本の楽しみ」3

静嘉堂文庫美術館「挿絵本の楽しみ」2

静嘉堂文庫美術館「挿絵本の楽しみ」1

 

今回のテーマとは関係なかったのですが、其一の《四季花鳥図屏風》について伺いました。某所に収蔵される前に御覧になっていらっしゃるとのこと。プライスさんも御覧になっており、彼の評価は、一双屏風になってしまったことで散漫になってしまったと購入は見合わせたそう。六曲ならよかったと。面白い見方だと先生もおっしゃっていました。あの屏風はあそこに行ったのか・・・と。てっきりあそこで見ながら、あのご本を書かれたものとばかり思っていました。

南画つながりで、秋田近代美術館所有の 〇〇〇〇  2人で描いたことになっているけども、どのように分担して描いたのか? 升目の重なりの部分は? 升目は本当の升目なのか?

寺院に掲げられていた絵を模写しているので、線は描けない状態ではないかと思う。絵具は日本絵具に胡粉などを混ぜて、油絵具のように見せたのではないかと思われる。

同じ絵を谷文晁も描いているけども、谷文晁は、おそらく原本でなくこの絵を参考にしているのではないかと思うとのこと。描かれた時代はほぼ同じ。原本の絵は焼かれてしまったのだそう。そして例のものについての見解もこっそっと伺えました。さすがの解答!

 

 

■(2017/04/25)  /  [04/23] 岡田美術館:魅惑のガラスガレ、ドーム展

〇入館料が高くてチェックが厳しいという噂の岡田美術館

岡田美術館に初めての入館。この美術館は、気にはなっているものの、なにしろ入館料が高い! そのため、「どうしても見たい!」というここぞという時でないとなかなか2800円は払えません(笑)・・・やっと、訪れることができました。それは、魅惑のガラス、ガレ ドーム展 ガレ研究の第一人者とも言われる鈴木潔先生の講演会とギャラリートークがあったのでこれは好機とでかけました。行程の途中でお目にかかったマダム。箱根にマンションを持ち、月2回ほど箱根で過ごすという方でしたが、岡田美術館は高くて行ったことがないと言われていました。

 

〇噂の数々

岡田美術館に関する噂はいろいろ耳に届きます。

よくささやかれるのが、MOA美術館系列の岡田? しかしそれは関係がなくパチンコ関係の事業者だとか・・・ そして誰もが口をそろえて語る高い入館料! そして厳しい空港並みの荷物チェックがあり、持ち物の制限があり、メモすらも取れないという話も。講演会もメモできないかも・・・なんて声もあり、さすがにそれはないでしょ・・・と思って事前に確認したら、メモは展示室でもできるとのことでした。ただし、鉛筆の貸し出しはしていないようです。

 

庭園が併設されていますが、入館料には含まれていません。別料金300円が必要です。「庭園もいいらしいわよ」という会話もされていましたが、時間がなく断念。館内に自販機はなく、飲みものは美術館のカフェからオーダーしなければいけません。お食事は、おいしそうでしたがやはり高いです。とにかくなんでもかんでも高い! という印象・・・ お弁当、おにぎり、パンなどを持参して、外で食べるのも一案です。

 

鈴木先生のギャラリートーク

午前中、10:30から鈴木先生のギャラリートークが行われました。少し遅れてトークに合流しました。ペンライトで照らしながらの解説。照らされることで浮かび上がる技巧の数々。そして裏からのライトが見せる表情。下からも照明が当てられています。ガレの作品の時代は、まだ照明が普及はしていません。ライトをあてることを意識したのは1902年というのはちょっと驚き。ガレは1904年に亡くなっているので、作品のほとんどは、ライトをあてて見ることを想定はしていなかったことを知りました。なのにこの光による七変化・・・ ⇒「顕微鏡」「写真」「電球」の発明と美術への影響(覚書)

 

〇ガラスは曜変天目茶碗に通じる

透明のガラスを上からかぶせている。あるいはサンドする。パチネの技法は曜変天目茶碗に通じる。酸化第二鉄、、銅で赤、マンガンで紫。ラスター金属 光沢・・・

解説を聞いていて、曜変天目茶碗と全く同じだと思いました。釉薬は特殊ガラス。そのガラスでコーティングされたもの。ガラスの化学変化と同じことが、茶碗でおきていると考えると理解ができます。ガラスは透明感があるので、その反応がイメージしやすいのですが、曜変天目も原理はガラスの変化と同じ。

 

そして強いライトをあてて鑑賞。やっぱりそうするんだ・・・・ 曜変天目茶碗も強いライトを当てないとそのよさは引き出せないという話を伺い、自分でもそのように感じていましたが、ガレのガラス作品を見て、より納得しました。当時は、ライトなんてものはありません。でも、今の時代に、見る時はライトを当てて見ます・・・その心は・・・ 

ガレの作品は、自然光による変化を想定して作られています。同時期、新たに電気が発明されました。当然、ライトもあてて観ることを想定しているとばかり思っていました。ところが、ガレが照明を取り入れたのは、晩年の1902年のことだった。ということを今回、知りました。それでも、ライトをあてて解説することの意味・・・・

  

背景が黄色のガラス作品。日本の金箔屏風をイメージして黄色に。ジャポニスム。現代も、お金持ちが好む作品。落款をイメージした縦書きのサイン。

 

国賓級の作品

ここに集められたのは、岡田氏が自宅で楽しんでいたものだと言います。そのコレクションの内容が、半端ありません。選眼は誰によるものなのでしょうか。フランス国王に渡すために作られた作品。《麦穂文花器》は、国賓へのお土産として渡されたレベルの作品。鈴木先生曰く。書物では見ていたけども、しかしどこにあるかわからなかった。それに、まさかここでお目にかかるとは! そんな作品が何点もありました。

 

他の作品が素晴らしすぎたので、これが国賓への贈答品? と思ってしまったのですが、あとで近くで見たら、とんでもない作品だったことがわかりました。遠くで照らされたライトだけではわからない、細かな細工が施されています。鈴木先生が驚かれたことに納得。

 

貝殻と海藻文壺 パチネ 曜変天目様・・・・  ローマン ペルシヤ 難破船に藤壺がついたイメージ。

 

〇工房作品も一級品

照明も、他の作品とは一線を画すものであることが、私にもわかります。死後の工房作品の中でも一級品が揃えられています。酸にエッチング 印刷、ローコストで生産性を上げます。生前よりも従業員はさらに増え400人、作品も20万点と生前の制作数を超えました。今、デパートで流通しているのは、この時代の作品。高級品ばかりを制作していては、買ってもらえる人を限定してしまいます。酸を使うことでやわらかくし削りやすくして量産。5万円ほどで買えるグラスなども・・・・

 

 

〇個人コレクションのすばらしさ

岡田氏の個人的なガレコレクション、気づけば120点。他にシャガールなども集めていらっしゃり、小林館長から、それらを展示したいということを言われたそうですが、岡田美術館は、あくまで東洋の美術館というコンセプトなのでOKがでなかったそうですが、今回、やっと展示できることに。これらが、個人で楽しむものだったこと驚きを隠せません。岡田美術館の学芸員は専門が違うので、作品の評価はガレの専門家、鈴木先生に鑑定も含め依頼。展示は照明に凝り、作品の傾向、技術などの監修をいただいたとのこと。鈴木先生曰く。文献、資料では目にしていたけども、実物は誰も目にしたことがなく謎・・・・ という作品が、ここにあったのか! と驚くものばかり。しかしこれらは、マニラに作る美術館に行ってしまうとのこと。重ね重ね残念。しかし、今、ここで、見ることができたのは、不幸中の幸い(笑)

 

〇真贋の目はどこから?

これまでもガレ展は、何度となく見ていて、それぞれに驚いたり感心したり・・・ しかし、ここにはそれ以上の作品が、個人の楽しみとして所有されていたのでした。誰も知らない評価をしていない。また、本物かどうかもわからない価値をどうやって判断し、手に入れる決断をしたのかが気になっていました。

 

鈴木先生の開催のあいさつに次のように書かれていました。

いかにもアールヌーボーらしい艶美な作品ばかりでなく、一見地味ながら光のあてかたによってガラス地の変化に富んだ色あいが浮かびあがるという技巧の粋をこらした作品を含んでおり、エンジニアとして大企業を育て上げてきた岡田氏ならではの玄人的とも言える審美眼。フランス元首への献上品として別格のステータスが認められ、美術的、歴史的にも高く評価される逸品が含まれる蒐集家としての目の高さがが伺えると・・・ 

 

 この解説を見て、「岡田氏=エンジニア」  あれ? と感じさせられました。パチンコ業界の方・・・ と思っていたのですが、会社は「パチンコ・スロット機器製造」を手掛ける会社の会長だそう。パチンコ店の経営側かと思っていたのですが、どうやら技術開発をする会社らしいことがわかりました。wikipedhiaによれば、エンターテイメント業界自体にも強みがあり、映画・格闘技などのイベント主催・協賛などを数多く行っているとのこと。機械技術畑の方・・・ということでエンジニアだったのだということが分かっていろいろなことが理解できた気がしました。あのセキュリティーチェックや、各フロアの厳重な扉。それらは、技術屋さんのた血だったのかも・・・なんて思いながら、さらに元真空管エンジニアだったこともわかりました。

 鈴木先生のお話も、ギャラリートークから、講演会のすべてが、終始一貫して作品の製法に関することがメインのお話でした。作品の意図や込められているものなどのお話はなく、構造、作りに主眼が置かれていました。そのことやこれまで書かれたご著書などからも、どこか科学のニオイを感じさせられていたのですが・・・・ ⇒著者略歴

 

これでやっとつながった気がしました。人のベースがどこにあるかによって、人の思考や嗜好が形成されると思っていたのですが、パチンコと美術がどうつながっているのかが、これまでよくわかりませんでした。技術者の目が美術をとらえた・・・・と考えるたらわかる気がしました。

 

曜変天目茶碗を物理学者がチャレンジした時にも思ったのですが(⇒ 自然科学を学んだ人は、美術作品を見る時に、物質の性質、組成や構造というところに着目するのだと思いました。エンジニアだった岡田氏も、作品を見る上で、それが何でできていて、どのように作られたのか・・・というところに着目されていたのではないかと想像しました。そうした見方によって、本物を見極めることができる真贋の目を養うことができたのではないかと・・・ 何でできているのか、どう作られているのか・・・を見ると、他とは違う何かをこの作品は持っている。そんなふうにモノを見ていたのではないでしょうか?

 

そして、マニラに美術館を作るという話も、なぜゆえに? と思って聞いていたのですが、調べてみると、なるほど・・・・とつながっていきます。事業の展開との関連がありそうで、参入するにあたっての、プラスαの信頼なども必要だったのかな? とか・・・・ 海外では、経営や研究など、美術的な素養があるかどうかで、成功につながったり・・・ということがあると聞きます。美術展を見てそこから、経済や、国家間の駆け引きまで見えてしまうといのは面白かったです。

 

朝日新聞「驚きの敗訴」で見えたカジノビジネスの「光と闇」(北島 純) | 現代ビジネス | 講談社(1/5)

日本のパチンコ王がフィリピンで巨大カジノ建設に挑戦したら、大変なことになってしまった。英紙の独占インタビュー! | クーリエ・ジャポン

日米カジノ王の「離婚劇」、泥沼化の顛末 ⇒元真空管エンジニアらしいことが・・・
   ⇒この情報、「消息筋によると・・・」ばかりで大丈夫か?(笑) って思うもの、真空管エンジニアだったという話は、他ではみかけない話でした。

「パチンコ王・岡田」の美術館を覗きにいった:日経ビジネスDigital

 

 

〇「雪月花」三部作について

喜多川歌麿による「雪月花」三部作

「深川の雪」・・・岡田美術館

「品川の月」・・・米国フリーア美術館・・・米国初(1842年)の美術館に所蔵

「吉原の花」・・・米国最南のワズワース・アセー二アム美術館

 

ばらばらになった三作が同時に展示されたのは明治12年(1879)が最後。
7月からこの3作が同時展示されます。ただ、フリーア美術館の「品川の月」は、他館に貸し出しをしてはいけという遺言があるため、貸出ができません。岡田美術館の作品も、基本、他館への貸し出しや借入はしていないそうです。が、現在、歌麿の三部作を所有する三館で、巡回展が行われています。フリーア美術館に「深川の雪」の貸出をしたお礼として、フリーア美術館所有の「品川の月」の複製を認められたそうです。ワズワース・アセー二アム美術館からは「吉原の花」来日します。次の展示、7月からは3点、同時展示(フリーア美術館「品川の月」は複製) 小林館長によると、「品川の月」の複製はほぼ本物と見分けがつかない出来上がりになっているとのこと。

 

〇岡田美術館所有の「深川の月」(複製)の展示について

妙に色が濃いです。 これが、保存状態のよさということなのでしょうか・・・・ 
つい先日も、静嘉堂文庫の鮮やかな《本草図譜》を見たばかりです。コンディションがよければこれくらいの色は保てるのかもしれません。しかし、《本草図譜》は書籍の構造のため、空気に触れていません。春画なども色が鮮やかなのは、密やかに見られていたから・・・ だからこそ、これだけの色が残っているというのは納得ができます。

この絵も空気に触れない工夫がされていたのでしょうか? 昔から何等かの工夫がされて、保存され維持されていたからでしょうか? あまりの鮮やかさにどこか納得できないものを感じていました。しかし、岡田美術館の作品は保存状態がとてもよいという話を聞いていました。だからこんなにきれいな色が出ているのかも・・・・

 

これだけの作品を手に入れてきたということは、その保管技術に対してもコストをかけているのだろうし・・・・ 修復にもお金がかかるから・・・入館料が高いのはしかたがないか・・・と理解させていました。

 

もう一周して再度、見ました。今度は解説を見ながら鑑賞・・・  あら、これ複製画だったんだ・・・ 本命は保護のため、7月の展示のため、控えているのかなと思っていましたが・・・・

そういえば、館長さんが貸し出しをして、絵と一緒に挨拶に行った。と語られていたことを思い出しました。現在、フリーア美術館に展示されているため、岡田美術館の「深川の月」は複製だったのでした。

 

〇美術作品の真贋、複製と本物・・・そしてコピー

時々、展示作品の中に、複製画が展示されていることがあります。それを知らずに本物として見てしまってあとで複製と知った時、本物と複製を自分はどう受け止めるのかについて、いろいろ考えさせられます。これを見て、あれ? 何か変・・・って思えたことは、ちょっとは見る目が育ったかな?

デジタル複製写真を代筆で実際に書いたものと思った例

  ⇒■海北友松:《雲龍図》 建仁寺の襖は****だった -記

 

〇カラーコピーと版画

最近あった、コピーが飾られていた棟方志向の版画。見学者から違うのでは? と指摘があったと言います。自分だったら気づけたかな? なんて思いながらこのニュースを見ていました。さすがに、単純なそのへんのカラーコピーだったら、気づけるくらいにはなってきたのでは? と思うのですが・・・ コピー用紙と和紙は違うと思うし・・・ 美術館で見る意味は、写真やコピーとは違うよね・・・それが美術館で実物を見る意味だと言えるわけですし・・・・ よほど高度なコピーが使われていたのか・・・

貸出の際、貸す側の学芸員は作品をチェックし、受け入れ側もチェックをすると聞いています。そのチェック体制が日本では整備されておらず、マニュアルをシート化することを提唱されている修復家の方がいらっしゃいました。

しばらく、発表されなかったのは、そうした怠慢を指摘されてしまうから・・・では?なんて想像してみたり(笑) ある程度、作品を見ている人なら、カラーコピーとの違いくらいは、わかるはず。それに気づかないとなると・・・・

 

複製作品を見ながら、いろいろ思うのでした。

 

あらためて経過を確認してみたら、

棟方志功の版画盗難か=いつの間にかカラーコピー-神奈川:時事ドットコム

県民ホールの館長室から県立近代美術館に2013年に移管。その後、2014年にレプリカでは? という指摘を受けたとのこと。一般の見学者からの指摘かと思っていたら、こちらの情報では専門家によるものとのこと。授受の時は本物だったけど、その後の展示中のすり替えも考えられることがわかりました。

鎌倉市民は、さすが文化度が高く、見る目があると思っていたのですが、指摘したのは専門家だったようです。結局、それまで誰も気づかないということ。

美術館の箱にはマジックがあって、幼稚園児の絵が飾ってあっても、芸術になってしまうと指摘された方いました。

本物、偽物、レプリカ・・・・ いろいろ考えさせられる事件でした。その一方で、写真技術によるデジタル画に感動した海北友松。現在、京都博物館に来ています。ぜひ行きたいのですが、行けるかどうか・・・

 

 

■(2017/04/20)  /  [04/16] 静嘉堂文庫美術館:挿絵本の楽しみ 

楽しかった~  兼ねてからいろいろに抱く疑問・・・あちこち調べた結果、知りたい欲求の先にある望む答えを出していただけるのが河野先生でした。当日の朝も、黎明アートルームで見た其一の屏風に対する疑問。友人から、「河野先生が、こんなこと書かれていたわよ~」とメールが入って実にタイムリー。その話も伺いたかったのですが、時間がありませんでした。

琳派を知ってから、本当にいろんな疑問が出てきました。そもそも、琳派とはなにか・・・とか、鶴下絵図屏風の本阿弥光悦の間違いはわざとではないか・・・とか。その推測に意を得たり! のえを示されていたのが河野先生でした。ぜひそのお話も伺いたかったのです。

会場に入る前に、階段で先生とすれ違いました。お声をかけていいものか迷ったのですが、いきなりお声をかけて質問するのはあまりに失礼(笑) しかも今日の展示とは、全く違う内容だし・・・

ところが、セミナー終わりに奇遇にも、鶴下絵の質問をされた方がいらっしゃいました。ラッキー! これで堂々と、お話を伺えます・・・・ 先生は、それに関する、論文を書かれたそうです。じゃあ、送りますよ・・・って  うわ~!!! なんて気さくな先生。

 

そのあと、東博曜変天目茶碗の展示について司書の成澤さんにお話を伺いました。「やっぱり、そうですよね~」思ったとおり。静嘉堂で今、展示されているガラスケースを見る限り、そんなに強い光ではなさそうなので、こういうものなのかな・・・と思ったのですが・・・ やっぱり、光をあてないとあの変化は見られないとのこと。ショーケースの光は光源を変えれば光は変わるわけです。また今は作品保護の観点から・・・・ 6月の展示を楽しみにしています。

静嘉堂の絵葉書、オレンジに輝いていました。もしかしてカラーライト当てちゃったの? と思ったのですが、それをしたら、曜変天目の意味がなくなると・・・ 確かにそうです。

安藤堅氏の静嘉堂曜変天目の詳細な観察で、オレンジ色に輝くと書かれていました。どう見ても、その色の光は認めることができませんでした。しかし、静嘉堂の絵はがきでは、オレンジに光ってます。当てる光の強さでこんな変化をするということなのでしょうか? 

藤田美術館のギャラリートーク曜変天目茶碗を見た人の中に、「今日は特別にライトをあてて御覧に入れます」と言って、ダイヤモンドに光をあてるような感じで見せてもらったなんて話を見ました。 

静嘉堂での曜変天目茶碗。今から楽しみ・・・・ 

 

 

■(2017/04/16)  /  [04/15] 東京国立博物館:特別展『茶の湯』⇒

講演会の開催があり、土曜日も夜間展示が重なったので行ってみることにしました。目的の講演会は整理券の配布に間に合いませんでした。

実際に展示を見ると、予習をしてないため、いろいろな天目茶碗が展示されているのですが、それがどういうものなのかがわかりません。解説はされているのですが、天目茶碗という全体像の中の位置づけが理解できないのです。ラスコー展の時に感じたのと同じ、総論がわからないジレンマを感じながらの鑑賞でした。

 

今回のメイン 曜変天目茶碗・・・

第一印象・・・「これですか?」 イメージと全く違いました。もっと七色に輝く茶碗かと思っていました。それは、これまでの来歴や、これまでに見た写真や映像、それによって自分が勝手にイメージを作り上げてしまっていたようです。「実物は違った・・・」ということではありません。どう見せるかという問題。

茶碗にどんな光をあてているのか。細かく観察しました。基本、光はあてていません。床からの反射光を利用しているようです。光の当て方を変えれば、見え方もきっと変わるはず。以外にも内部の変化よりも、外側の色の変化の方が興味深ったです。 

しかも《曜変天目茶碗》より、「そのあとに見た茶碗の方がよっぽどきれい・・・」と感じてしまいました。ところがその茶碗の上部をみたらコウコウと照明が照らされていました。

釉薬はガラスだといった安藤堅氏の言葉が浮かびます。ガラスではありませんが、ダイヤモンドの輝きのことを思いだしました。光の種類によってダイヤモンドは輝きが変わります。ダイヤモンドは、光をあてなければ輝かないのです。器もそれと同じだと思いました。ガラス質の釉薬に光をあてれば輝くし、その光量が足りなければ輝きません。 

と思ったところで気づきました。そうか・・・昔は、光なんてなかったんだ。屏風を見るのと一緒。昔見ていた明るさで見ていると思えばいいのか・・・ しかしながら、これまでこの茶碗をとらえる写真、映像は、明らかに光があてられています。そのものの特徴を引き出すための演出(?)が入っているということなのでしょうか?。

しかしながら、注意深くみていくと、細かなきらめきが確認できました。それにも増して外側の光の七変化の方に興味深いのです。周回したり、上下に移動したり・・・・  茶碗をもっと、低く位置付けて見たらどう見えるのでしょうか。

 

この茶碗に向けられたメインの照明は4つ。その照明は、どこに向けて当てられているのか。スタッフの方に、伺ってみました。茶碗には向けられておらず、床に当てられているとのこと。やっぱり・・・・ 床からの反射の光だけを(?)を利用しているらしいのです。だから側面の変化が顕著だったのでしょう。記憶がうろ覚えですが、茶碗の影が出ていなかったと記憶しています。(他の茶碗は2つの影が出ていて、メインライトは2方向だと思いながら見ていたので)

借り物のため、光をあてることができないとのこと。どうりで・・・ 他の茶碗のライティングと明らかに違っていたのです。他の茶碗は、それぞれの特徴を引き出されるような照明でした。しかし、MOA美術館で《色絵藤花文茶壺》が常設展示になる聞き、光の影響は大丈夫なのかと伺いました。その時、陶器は問題がないと聞いています。やはり3つしかない国宝。ということで、過剰な配慮がされているということでしょうか?

静嘉堂では常設で扱われている茶碗だそうで、3年に1回の展示といった性格の作品ではないとのことです。静嘉堂ではどのようなライティングをして見せているのか気になりました。スタッフの方も思ったような輝きではなかったと言われていました。会場にいた見学者の方とも会話をしましたが、やはり「あんなものか・・・」と思ったと。 

そのあと、東博の常設展の茶の湯のコーナーを見たり、法隆寺東博内のボランティアガイドに参加したりして、茶の湯の展示を行ったり来たりしました。そのたびに、まずは、この茶碗を見てから他の見学していました。

 

常設展会場に本草図譜」がありました。なぜ、日本人はこの茶碗を好んだのか・・・・ なんとなくわかった気がしました。斑入り植物は、外国人には病気のように見えて嫌われると言います。しかし、日本人はこの斑を愛で、その入り方を競い合うという文化がありました。それと同じだと思いました。曜変の違い・・・・ しかし、その違いというほど、アイテムは出現しなかったわけですが。

 

茶の湯展を見ていて、「価値」とは何か・・・を考えさせられました。

どんな茶碗が好まれるのか。時の権力者、あるいは貴族階級の好みが価値の基準ということなのか。しかしのちにその階級とは違う武家や町人の価値が台頭し、庶民レベルにまで広がると価値は多様化します。そうした価値の変遷を、今の時代から見る私たちは、どう見ていくのか・・・・

 

長次郎 《無一物》 貴重なものと聞いていました。近代美術館で展示が終わってしまったといわれていました。それって何者なんですか? 名前からして、なんだか究極の茶碗のようです。

ところが、ここにもあります。どういうことなのでしょう? 同じ名前の茶碗がいくつもあるのでしょうか? 光琳の《紅白梅図屏風》の時と同じような感覚。展示替えで移動してここに来たのか・・・・

なにやら、ちいさい美術館所有であまり外に出すことはないのだとか。その作品が目玉なので外に出すと、来館者の期待を裏切ってしまうらしい。

今の私にはその価値がわかりませんでした。

その隣のキサラギ・・・   無骨、茶碗は宇宙と表現されるけど、宇宙じゃなく地球、大地だと思いました。色もそうだけど。これが、キサラギという名前? これまたわからない・・・・でした(笑) 

長次郎、正面はどこなのか。手になじむようにくぼみや切込みがある。ということは、茶碗には方向性があるはず。モノ知りげな感じの人がいて、言葉を交わす機会があったので、何人かに聞いてみたけど、みんなあまり気にしてないみたい。「どこでも、好きなところから見ればいいのでは?」っていったって作り手は、どこから見るかを意識してるだろうし、お茶を出す時に前後、ってあるのではないかと思うのですが・・・ 

茶碗の内部は、地層そのものだと思いました。だって土で作ってるから当たり前(笑) 其一の軸に描かれた茶碗の形とよく似てるものが・・・・ これが長次郎だったらな。

  

閉館間際の30分間。ほとんど人はいません。ひとりかぶりつきで曜変天目茶碗。 さっきと見え方が全然、違うじゃない!  どういうこと? 七変化してます。ライティング変えた?  パナソニックミュージアムみたいに時間によって変えてる? そんなことないよね。 

わかりました! この器にあたる光は床からの反射光です。人だかりがあると、床から反射した光は、茶碗内部には届いていなかったのです。今は私一人だけ。茶碗を周回しながら思う存分鑑賞。全く違う表情を見せてくれまたのでした。 

もし、昼に見て、それで終えてしまったら、曜変天目茶碗ってそんなに騒ぐほどのものなのかな・・・と思ってたかも(笑) あの七変化は、照明によって作られたもの。そんなふうに思ってしまったかもしれません。印象が全く違ったと思いました。

安藤堅氏の『碗の宇宙』をとりだし、静嘉堂曜変天目茶碗を観察された下りと突き合わせながら見ていました。全く別ものに見えてきました。

茶碗が焼かれている状況。その組成、成分、そして茶碗を構成している物質の分子が動いている様子がイメージされました。茶碗の傾斜によって、物質が移動が変化するというくだり。緩やかな勾配では、ゆっくり移動急こう配の部分は速く・・・  なるほど、だから、底の部分に星がたまるわけだ。

海と島に分けて考える。分けて見る。その辺縁の変化は干渉による。色素ではない。黒い部分も枠と中に分かれてる。そうやって見るだけで、移動する物質の姿が見てくるた気がします。芸術と科学。そういうとらえ方、嫌う人もいそうだけど、私はおもしろいと思いました。

 

 ■(2017/04/15)  /  [04/13] 黎明アートルーム:鈴木其一 四季花鳥図屏風

サントリーで見た印象と随分、違いました。何でなんだろう・・・・とあれこれ考えてみました。 ⇒■其一の《四季花鳥図屏風》との再会(黎明アートルームにて)

 

■(2017/04/06)  /  [04/04] サントリー美術館:絵巻マニア列伝

メンバーズ内覧会 スライドレクチャー 学芸員上野友愛

事前にメンバーには、「美術館ニュース」などの配布物もあるのですが、それには目通ししておらず、行きの車内でざっと携帯から情報収集した程度。今回の展示は、趣向がこらされたユニークな展示であることを理解しました。絵巻を見た人の目線を通して、その人たちがどのように鑑賞をしていたか。そして本来、絵巻といものがどんなふうに鑑賞されていたのかを知ることになりました。

その解説を改めて見ると、なるほど・・・・でした。これまで何度か絵巻の展示を見てきましたが、肩幅60cmの世界だった・・・・そんなふうに鑑賞をしていたものだという捉え方をしたことがなかったので、絵巻の見方がガラリと変わりました。さらに、レクチャーでは、絵巻をビデオテープにたとえて、今のDVDとの違いを解説され、早送り、巻き戻し、頭出しを、絵巻にたとえられて、とてもわかりやすく興味をそそられる解説でした。また、絵巻の貸し借りをTUTAYAの貸出にたとえ、レア物収集のマニア心や、貴重なものの貸し倒しなど、今の世相に重ねた解説。こういうユニークな企画を思いつく方ならではのお話だと思いました。絵巻というものの見方が一変しました。

 

レクチャーを受ける前に、一通り見学。それぞれの絵巻をどの人の視点で見たのかという人物のアイコン画像が解説的に添えられていました。ところが、どのアイコンが誰なのかという解説がどこにあったのか・・・・ 見逃してしまったのか? と思って受付で確認すると、章立てになってまとまっているので、ブースごとに見ればいいということがわかりました。

 

60cmほどの肩幅でカット割で見ていた・・・・それがわかり、広げられた絵巻のどのあたりを自分なら切り取りながら見るか、自分のカット割りをしながら見ていると、次のカットにこれが現われるということか・・・ と思ったらその時の驚きやワクワクを、当時の絵巻マニアと同じ気持ちで追体験できました。

 

6人の絵巻愛好家の絵巻に対する尋常ならぬ愛について解説されました。中でも最後の松平定信は、単なる愛好家にとどまらず、絵巻の修復や次世代に繋げるための使命感に燃えており、絵巻対する愛は、人類愛のような普遍的なものに変化していたと言います。こうした歴代の絵巻に対する彼らの愛を、十分に感じて、今回のテーマ「うい、らぶ、えまき」の輪の加わって下さいという学芸員さんのメッセージでした。

 

そのようにおしゃっている担当学芸員さんが、もしかしたら、一番、絵巻を愛しているマニアなのかもしれません(笑) 一握りの愛好家によって今に引き継がれてきた絵巻を、より多くの人に理解してもらい、愛好家を増やそうとされた今回の試みは、松平定信に匹敵、いやそれ以上の貢献をされているかも・・・・? 

これから、100年、200年後に、もし同様の展示会が開かれたとしたら、「マニア列伝」の中に上野学芸員が登場するかもしれません(笑) 絵巻マニアに女性は、登場していなかったと記憶していますが女性は閲覧を許されていなかったのでしょうか?

 

「絵巻」だけでなくそれに付随した文章も、ちゃんと見て下さいね・・・ と念をおされました。それによって、絵巻をみていた人たちや、それを取り巻く人たちの様子がわかり、その愛の強さを感じとることができます。

確かに、文字情報はわからない。つまらない。だから見ない・・・という悪循環。ところが、サントリーの其一展で翻訳文章が掲載されていてとてもわかりやすかったという記憶があります。(他でもしていたのかもしれませんが、これまで目にとまりませんでした) 通常は素通りしがちなガラスケースの前で立ち止まり、いろいろ話をしていました。

「文字」というのは、その人の気質を伺わせます。ぴっちりまっすぐに、乱れることなく書いた文字。これは、定規あてて書いてたの? と思うような文字があるか思えば、訂正線があちこちにあり、加筆、修正だらけの花園天皇天皇がこれですかぁ・・・・  マティスとルオー展のルオーの手紙を思い出しました。いろいろな思いがあふれすぎて、手が思考に追い付かないのかもしれません。

 

そして、文字の部分の展示方法。講座後、改めて見直してみると、なみなみならない工夫がされていたことに気づいました。「ちゃんと見てね」そのメッセージがいっぱい、いっぱい、込められていました。とってもわかりやすかったです。そのメッセージを企画された方の声で聴いた影響は大きかったと思います。

受講した方たちは、会場にもどり、「すごくわかりやすかったわね」「話していること、全部、理解できたわ・・・・」「今回、よかったわね・・・」と、絵巻愛を、存分に受けて浸透している感じでした。

 

見どころトークが開催されます。おそらく担当された学芸員さんによるお話ではないかと思います。 ⇒ まなぶ・体験する サントリー美術館

 

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気になったこと

・《放屁合戦絵巻》朝顔の種が下剤の役目をすることを知っていたよう

  MOMATOにもおならを表現した絵があります。
  おならをどのように表現するか、西洋と日本との違い。

・ナルコプシーという病態に関する記載もされていました。病気と認識いたよう。

・1200年代、(鎌倉時代)に、宮中の内部を直線的な表現を用いて遠近表現をしている。

・この直線は、フリーハンド? 定規を使った? 当時定規はあったそうですが、使われていたかどうは・・・・

・日本美術は遠近表現がされず、平面的といわれがちですが、この時期から遠近表現はされています。この表現を西洋的な遠近法とは認識はしないのかずっと疑問。

・鎌倉と京都の張り合い。今でもそれはあることを京都に行った鎌倉の人が話していた。庭の手入れにそれが見えたそう。お公家文化と野武士文化。それがよく表れているコラムに笑った。

・《玄奘三蔵絵 巻三》捨身飼虎(しゃしんしこ)の虎話、初めて知りました。

釈迦、投身?  お釈迦様って身投げしちゃったの? そんな話、聞いたことないんですけど・・・・ 横にいた人が、「捨身飼虎」の崖ね・・・・と話していたので、どういうことなのか聞いてみました。

釈迦の聖地であるインド「捨身飼虎」の崖を訪れ、崖の下にいる飢えた虎に、釈迦が身を投げてたべさせたという話だと聞きました。でも、釈迦は食べられなかった・・・

前世の話らしい。みんなよく知ってるなぁ・・・と思ったら結構、常識的な話らしい。

 

・《伴大納言絵巻》に群像劇と解説がありました。ミュシャ叙事詩も群像劇?だと思ったけど、その表現が随分と違う。もちろん、サイズも比べ物にならないけど、表現緑は、絵巻の方が上だと思った。

 

参考:饒舌館長より

サントリー美術館「絵巻マニア列伝」1 

サントリー美術館「絵巻マニア列伝」2

サントリー美術館「絵巻マニア列伝」3

サントリー美術館「絵巻マニア列伝」4

同じテーマでシリーズ形式でブログを書かれる方はあまりお見受けしないのですが、サントリーの『絵巻マニア列伝』のことを4回にわたって書かれている方がいらっしゃいました。連載で書かれる方というのは珍しいし内容も充実・・・と思って見ていたら、サントリーのプレス内覧会で乾杯の音頭をとられ、静嘉堂のディレクターもされていらっしゃる方でした。 

 

 

■(2017/04/06)  /  [04/05] 国立新美術館:アートライブラリー

近くに行ったので、アートライブラリーに立ち寄り、ミュシャ関係の本を閲覧。芸術新潮3月号」が詳しく、まだすべて見ていなかったので、続きを読もうと図書館に行ったら、4月号、草間彌生特集に切り替わっていました。そして、3月号は、すでに貸出状態。予約待ちは6名・・・・ みんな行動が早いです。そこで、国立新美術館アートライブラリーにあるかな・・・と思い立ち寄ってみたら、ちゃんとありました。1冊だけのようだったので、誰か見ていたら閲覧できなさそうですが。

 

以下、気になった部分を抜粋

 

「スラヴ叙事詩から見えてくること ミュシャ」(本橋弥生)

  芸術新潮 2017 3月号  ) p41~

ここに書かれていることと同じようなことを、自分の力で感じることができるようになっていました。「視点のコントロール」「当時の美術の技法の影響、(印象派)」「作品を前に、引き込まれていくのは演劇的イルージョンであること」・・・例に挙げられていた絵は、私がそれを感じた絵とは違っていましたが、スラヴ叙事詩は舞台であることと同じだと思います。(⇒■ミュシャ展の感想 スラヴ叙事詩は舞台装置!?)そして絵の構成が舞台に通じるものがあるのは、サラ・ベルナールとのかかわりの影響もあると思ったおこと。そして、ウィーン時代は舞台美術の工房で働いていたことを最近「もっと知りたいシリーズ」からわかっていたので、それも関連性が、あるんじゃないかな? と思っていました。それと同じ考察をされていました。

 

そして、ミュシャの今、現状・・・・  日本ではこんな騒がれているけども、カレル大学の学生の反応や、これまで放置されてきたことなどを考えると、どこかミュシャの思いと、チェコの人たちの間に温度差を感じていました。実際のところミュシャの研究はさかんではないのだそう。それはミュシャチェコ人の歴史的理解の温度差もあると解説されていました。チェコが独立するとスラヴ民族の連帯という考え方は後退し、ヨーロッパ全体としての統一という意識に変化。汎スラヴ主義の問題、ドイツへの対抗に変化。

 

日本でミュシャ展を開催にあたり、親族が反対して危ぶまれたということが言われています。なぜ、反対したのか。「日本に行く」ことが問題だったのか。遺族とチェコとの問題なのか。

ミュシャ展の目玉「スラブ叙事詩」日本初公開に暗雲…?ミュシャの孫が貸し出しの取りやめを求め提訴 - Togetterまとめ

Mucha-holic / ミュシャ中毒 スラヴ叙事詩の行方はまだまだ混迷中

 

いろいろに言われているようですが、最終的にはOKとなり、しかも、写真撮影までが許可されることになりました。そのことを不思議に思っていました。なんとなくこういうことなのかなと思ったのは、ミュシャの強い人気のある日本。そこでファンの心をしっかりキャッチして、ミュシャの人気を維持させる。火をたやさない。そんなことを考え得たのかなぁ・・・とか(笑)

 

〇追記:(2017.04.09) 

上記を書かれた本橋弥生氏が、国立新美術館 主任研究員だったことを知りました。来週、日曜美術館に出演の中にお名前を見ました(4/16) うわべだけを見ているだけだと、真意はわからない。何でミュシャが以前からスラブ愛歌を描こうとしていたことに触れないんだ・・・と思っていましたが、芸術新潮ではミュシャの現状が語られていました。 また、歴史画を描きたいという気持ちは、画家をめざした時から・・・だったことも書かれていました。

日曜美術館ミュシャの回の出演者に宮本亜門さんが。やっぱり! スラヴ叙事詩と舞台との関係が語られるのだろう。

 

 

◆The era of "Slav epic"|ムハをめぐる複数の文脈 

    − プラハ、スラヴ、そしてフリーメイソン阿部賢一
      芸術新潮 2017 3月号 ) p51~

こちらでも、ミュシャ歴史観チェコの人たちの認識の違い、温度感覚の違いについて触れられていました。またフリーメイソンの主要メンバーであったという文脈が加わることによって、絵の解釈も見え方が変わる・・・・

フリーメイソンの入団証を描いていたり、トップの立場で牽引していたり・・・
 フリーメイソンの精神、平等・自由・友愛は、スラヴ叙事詩にも込められています。
 叙事詩を寄稿したり市民の間の作品も寄贈していることなどその現れ)

ミュシャ自身が次のように語っていたそうです。

作品が目指すのは、壊すことではなく、常に何かを作ること。橋をかけること。なぜなら我々全員が生かされているのは全人類は近づくことができるという希望による。お互い理解しようとすれば容易に 

 

 

絵巻マニア列伝を見て、絵巻愛・・・というものを感じました。ミュシャに対する愛についても、いろいろな愛のカタチがある・・・  こんなに一人のアーティストのことを調べたのは初めて。それは果たして愛なのか(笑)  嫌い、嫌いも好きのうち? (曝)

 

ミュシャ展で感じていた、なんか変は・・・・・
反対していたのに、なぜ撮影までOKするの?
反対していたのに、インタビューは受けるんだ・・・・

 

そういう直感的に感じた裏側にあることをさぐることを愛しているのかも(笑)