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コロコロのアート 見て歩記&調べ歩記

美術鑑賞を通して感じたこと、考えたこと、調べたことを、過去と繋げて追記したりして変化を楽しむブログ 一枚の絵を深堀したり・・・ 

■2017年 鑑賞記録:簡単覚書メモ

展覧会や講演会に行った際の、直後の簡単感想メモ。ファーストインプレッションを忘れないうちに記録しておくためのメモ帳です。調べたり、まとめているうちに印象が変化したり、そのまま記録せずに終わることも多いので直後の記録をここに。作品名の確認やメモを見返したりせず書いているので内容はあてになりません。ブログにするためのメモ的なものなので、情報はかなり曖昧なのであしからず。あまり公にしたくない話などはこちらに記載(新しいものを上に記載)

(⇒ をクリックするとブログ記事が表示されます)   

 

    ■2017年 訪れた美術展 講演会の記録 (行きたい) 

  

 

■(2017/04/25)  /  [04/23] 岡田美術館:魅惑のガラスガレ、ドーム展

〇入館料が高くてチェックが厳しいという噂の岡田美術館

岡田美術館に初めての入館。この美術館は、気にはなっているものの、なにしろ入館料が高い! そのため、「どうしても見たい!」というここぞという時でないとなかなか2800円は払えません(笑)・・・やっと、訪れることができました。それは、魅惑のガラス、ガレ ドーム展 ガレ研究の第一人者とも言われる鈴木潔先生の講演会とギャラリートークがあったのでこれは好機とでかけました。行程の途中でお目にかかったマダム。箱根にマンションを持ち、月2回ほど箱根で過ごすという方でしたが、岡田美術館は高くて行ったことがないと言われていました。

 

〇噂の数々

岡田美術館に関する噂はいろいろ耳に届きます。

よくささやかれるのが、MOA美術館系列の岡田? しかしそれは関係がなくパチンコ関係の事業者だとか・・・ そして誰もが口をそろえて語る高い入館料! そして厳しい空港並みの荷物チェックがあり、持ち物の制限があり、メモすらも取れないという話も。講演会もメモできないかも・・・なんて声もあり、さすがにそれはないでしょ・・・と思って事前に確認したら、メモは展示室でもできるとのことでした。ただし、鉛筆の貸し出しはしていないようです。

 

庭園が併設されていますが、入館料には含まれていません。別料金300円が必要です。「庭園もいいらしいわよ」という会話もされていましたが、時間がなく断念。館内に自販機はなく、飲みものは美術館のカフェからオーダーしなければいけません。お食事は、おいしそうでしたがやはり高いです。とにかくなんでもかんでも高い! という印象・・・ お弁当、おにぎり、パンなどを持参して、外で食べるのも一案です。

 

〇ギャラリートーク

鈴木先生のギャラリートークも行われました。少し遅れてトークに合流。ペンライトで照らしながらの解説。照らされることで浮かび上がる技巧の数々。そして裏からのライトが見せる表情。下からも照明が当てられています。ガレの作品の時代は、まだ照明が普及はしていません。ライトをあてることを意識したのは1902年。ガレは1904年に亡くなっているので、作品のほとんどは、ライトをあてて見ることを想定はしていません。なのにこの光による七変化・・・ ⇒「顕微鏡」「写真」「電球」の発明と美術への影響(覚書)

 

〇ガラスは曜変天目茶碗に通じる

透明のガラスを上からかぶせている。あるいはサンドする。パチネの技法は曜変天目茶碗に通じる。酸化第二鉄、、銅で赤、マンガンで紫。ラスター金属 光沢・・・

解説を聞いていて、曜変天目茶碗と全く同じだと思いました。釉薬は特殊ガラス。そのガラスでコーティングされたもの。ガラスの化学変化と同じことが、茶碗でおきていると考えると理解ができます。ガラスは透明感があるので、その反応がイメージしやすいのですが、曜変天目も原理はガラスの変化と同じ。

 

そして強いライトをあてて鑑賞。やっぱり・・・・ 曜変天目茶碗も強いライトを当てないとそのよさは引き出せない・・・ということを、ガレのガラス作品を見て納得しました。当時は、ライトなんてものはありません。でも、今の時代に、見る時はライトを当てて見る・・・その心は・・・ 

ガレの作品は、自然光による変化を想定して作られています。同時期、新たに電気が発明されました。当然、ライトもあてて観ることを想定しているとばかり思っていました。ところが、ガレが照明を取り入れたのは、晩年の1902年のことだった。ということを今回、知りました。それでも、ライトをあてて解説することの意味・・・・

  

背景が黄色のガラス作品。日本の金箔屏風をイメージして黄色に。ジャポニスム。現代も、お金持ちが好む作品。落款をイメージした縦書きのサイン。

 

国賓級の作品

ここに集められたのは、岡田氏が自宅で楽しんでいたものだと言います。そのコレクションの内容が、半端ありません。選眼は誰によるものなのでしょうか。〇〇の国王に渡すために作られた作品。《麦穂文花器》国賓へのお土産として渡されたレベルの作品。鈴木先生曰く。書物では見ていたけども、しかしどこにあるかわからなかった。それに、まさかここでお目にかかるとは! そんな作品が何点もありました。

 

他の作品が素晴らしすぎたので、これが国賓への贈答品? と思ってしまったのですが、あとで近くで見たら、とんでもない作品だったことがわかりました。遠くで照らされたライトだけではわからない、細かな細工が施されています。鈴木先生が驚かれたことに納得。

 

貝殻と海藻文壺 パチネ 曜変天目様・・・・  ローマン ペルシヤ 難破船に藤壺がついたイメージ。

 

〇工房作品も一級品

照明も、他の作品とは一線を画すものであることが、私にもわかります。死後の工房作品の中でも一級品が揃えられています。酸にエッチング 印刷、ローコストで生産性を上げます。生前よりも従業員はさらに増え400人、作品も20万点と生前の制作数を超えました。今、デパートで流通しているのは、この時代の作品。高級品ばかりを制作していては、買ってもらえる人を限定してしまいます。酸を使うことでやわらかくし削りやすくして量産。5万円ほどで買えるグラスなども・・・・

 

 

〇個人コレクションのすばらしさ

岡田氏の個人的なガレコレクション、気づけば120点。他にシャガールなども集めていらっしゃり、小林館長から、それらを展示したいということを言われたそうですが、岡田美術館は、あくまで東洋の美術館というコンセプトなのでOKがでなかったそうですが、今回、やっと展示できることに。これらが、個人で楽しむものだったこと驚きを隠せません。岡田美術館の学芸員は専門が違うので、作品の評価はガレの専門家、鈴木先生に鑑定も含め依頼。展示は照明に凝り、作品の傾向、技術などの監修をいただいたとのこと。鈴木先生曰く。文献、資料では目にしていたけども、実物は誰も目にしたことがなく謎・・・・ という作品が、ここにあったのか! と驚くものばかり。しかしこれらは、マニラに作る美術館に行ってしまうとのこと。重ね重ね残念。しかし、今、ここで、見ることができたのは、不幸中の幸い(笑)

 

〇真贋の目はどこから?

これまでもガレ展は、何度となく見ていて、それぞれに驚いたり関心したり・・・ しかし、ここにはそれ以上の作品が、個人の楽しみとして所有されていたのでした。誰も知らない評価をしていない。また、本物かどうかもわからない価値をどうやって判断し、手に入れる決断をしたのかが気になっていました。

 

鈴木先生の開催のあいさつに次のように書かれていました。

いかにもアールヌーボーらしい艶美な作品ばかりでなく、一見地味ながら光のあてかたによってガラス地の変化に富んだ色あいが浮かびあがるという技巧の粋をこらした作品を含んでおり、エンジニアとして大企業を育て上げてきた岡田氏ならではの玄人的とも言える審美眼。フランス元首への献上品として別格のステータスが認められ、美術的、歴史的にも高く評価される逸品が含まれる蒐集家としての目の高さがが伺えると・・・ 

 

 この解説を見て、「岡田氏=エンジニア」  あれ? と感じさせられました。パチンコ業界の方・・・ と思っていたのですが、会社は「パチンコ・スロット機器製造」を手掛ける会社の会長だそう。パチンコ店の経営側かと思っていたのですが、どうやら技術開発をする会社らしいことがわかりました。wikipedhiaによれば、エンターテイメント業界自体にも強みがあり、映画・格闘技などのイベント主催・協賛などを数多く行っているとのこと。機械技術畑の方・・・ということでエンジニアだったのだということが分かっていろいろなことが理解できた気がしました。あのセキュリティーチェックや、各フロアの厳重な扉。それらは、技術屋さんのた血だったのかも・・・なんて思いながら、さらに元真空管エンジニアだったこともわかりました。

 鈴木先生のお話も、ギャラリートークから、講演会のすべてが、終始一貫して作品の製法に関することがメインのお話でした。作品の意図や込められているものなどのお話はなく、構造、作りに主眼が置かれていました。そのことやこれまで書かれたご著書などからも、どこか科学のニオイを感じさせられていたのですが・・・・ ⇒著者略歴

 

これでやっとつながった気がしました。人のベースがどこにあるかによって、人の思考や嗜好が形成されると思っていたのですが、パチンコと美術がどうつながっているのかが、これまでよくわかりませんでした。技術者の目が美術をとらえた・・・・と考えるたらわかる気がしました。

 

曜変天目茶碗を物理学者がチャレンジした時にも思ったのですが(⇒ 自然科学を学んだ人は、美術作品を見る時に、物質の性質、組成や構造というところに着目するのだと思いました。エンジニアだった岡田氏も、作品を見る上で、それが何でできていて、どのように作られたのか・・・というところに着目されていたのではないかと想像しました。そうした見方によって、本物を見極めることができる真贋の目を養うことができたのではないかと・・・ 何でできているのか、どう作られているのか・・・を見ると、他とは違う何かをこの作品は持っている。そんなふうにモノを見ていたのではないでしょうか?

 

そして、マニラに美術館を作るという話も、なぜゆえに? と思って聞いていたのですが、調べてみると、なるほど・・・・とつながっていきます。事業の展開との関連がありそうで、参入するにあたっての、プラスαの信頼なども必要だったのかな? とか・・・・ 海外では、経営や研究など、美術的な素養があるかどうかで、成功につながったり・・・ということがあると聞きます。美術展を見てそこから、経済や、国家間の駆け引きまで見えてしまうといのは面白かったです。

 

朝日新聞「驚きの敗訴」で見えたカジノビジネスの「光と闇」(北島 純) | 現代ビジネス | 講談社(1/5)

日本のパチンコ王がフィリピンで巨大カジノ建設に挑戦したら、大変なことになってしまった。英紙の独占インタビュー! | クーリエ・ジャポン

日米カジノ王の「離婚劇」、泥沼化の顛末 ⇒元真空管エンジニアらしいことが・・・
   ⇒この情報、「消息筋によると・・・」ばかりで大丈夫か?(笑) って思うもの、真空管エンジニアだったという話は、他ではみかけない話でした。

「パチンコ王・岡田」の美術館を覗きにいった:日経ビジネスDigital

 

 

「雪月花」三部作について

喜多川歌麿による「雪月花」三部作

「深川の雪」・・・岡田美術館

「品川の月」・・・米国フリーア美術館・・・米国初(1842年)の美術館に所蔵

「吉原の花」・・・米国最南のワズワース・アセー二アム美術館

 

ばらばらになった三作が同時に展示されたのは明治12年(1879)が最後。
7月からの展示で、「吉原の花」が来日。フリーア美術館の「品川の月」は、他館に貸し出しをしてはいけという遺言があるのだそう。以前、岡田美術館の「深川の雪」を貸出をしたお礼として、「品川の月」の複製を認められたそう。これらが7月から同時に展示されます。小林館長によると、複製はほぼ本物と見分けがつかない出来上がりになっているとのこと。

 

岡田美術館所有の「深川の月」の展示

妙に色が濃いです。 これが、保存状態のよさということなのか・・・・ 
つい先日も、静嘉堂文庫の鮮やかな《本草図譜》を見たばかり。コンディションがよければこれくらいの色は保てるのかもしれません。しかし、《本草図譜》は書籍の構造のため、空気に触れていなません。春画なども色が鮮やかなのは、密やかに見られていたから・・・ だからこそ、これだけの色が残っているというのは納得ができます。この絵も空気に触れないような工夫がされていたのでしょうか? それは、昔からそのように維持されていたから? あまりの鮮やかさにどこか納得できないものを感じていました。しかし、岡田美術館の作品は保存状態がよい。と聞いていました。だからこんなにきれいな色が出ている。

 

これだけの作品を手に入れてきたということは、その保管技術に対してもコストをかけているのだろう・・・・ と理解させていました。

 

もう一周しました。今度は解説を見ながら鑑賞・・・  あら、これ複製画だったんだ・・・ 本命は保護のため、そして7月の展示のため、控えているのかなと思っていたのですが・・・・

そういえば、館長さんが貸し出しをして、絵と一緒に挨拶に行った。と語られていたと話されていました。現在、フリーア美術館に展示されているため、岡田美術館の「深川の月」は複製だったのでした。

 

〇美術作品の真贋、複製と本物・・・そしてコピー

時々、展示作品の中に、複製画が展示されていることがあります。それを知らずに本物として見てしまってあとで複製と知ると、本物と複製についていろいろ考えさせられます。これを見て、あれ? 何か変・・・って思えたことは、ちょっとは見る目が育ったかな?

 

最近あった、コピーが飾られていた棟方志向の版画。見学者から違うのでは? と指摘があったと言います。自分だったら気づけたかな? なんて思いながらこのニュースを見ていました。さすがに、単純なそのへんのカラーコピーだったら、気づけるくらいにはなってきたのでは? と思うのですが・・・ コピー用紙と和紙は違うと思うし・・・ 美術館で見る意味は、写真やコピーとは違うよね・・・それが美術館で実物を見る意味だと言えるわけですし・・・・ よほど高度なコピーが使われていたのか・・・

貸出の際、貸す側の学芸員は作品をチェックし、受け入れ側もチェックをすると聞いています。そのチェック体制が日本では整備されておらず、マニュアルをシート化することを提唱されている修復家の方がいらっしゃいました。

しばらく、発表されなかったのは、そうした怠慢を指摘されてしまうから・・・では?なんて想像してみたり(笑) ある程度、作品を見ている人なら、カラーコピーとの違いくらいは、わかるはず。それに気づかないとなると・・・・

 

複製作品を見ながら、いろいろ思うのでした。

 

あらためて経過を確認してみたら、

棟方志功の版画盗難か=いつの間にかカラーコピー-神奈川:時事ドットコム

県民ホールの館長室から県立近代美術館に2013年に移管。その後、2014年にレプリカでは? という指摘を受けたとのこと。一般の見学者からの指摘かと思っていたら、こちらの情報では専門家によるものとのこと。授受の時は本物だったけど、その後の展示中のすり替えも考えられることがわかりました。

鎌倉市民は、さすが文化度が高く、見る目があると思っていたのですが、指摘したのは専門家だったようです。結局、それまで誰も気づかないということ。

美術館の箱にはマジックがあって、幼稚園児の絵が飾ってあっても、芸術になってしまうと指摘された方いました。

本物、偽物、レプリカ・・・・ いろいろ考えさせられる事件でした。その一方で、写真技術によるデジタル画に感動した海北友松。現在、京都博物館に来ています。ぜひ行きたいのですが、行けるかどうか・・・

 

 

■(2017/04/20)  /  [04/16] 静嘉堂文庫美術館:挿絵本の楽しみ

楽しかった~  兼ねてからいろいろに抱く疑問・・・あちこち調べた結果、知りたい欲求の先にある望む答えを出していただけるのが河野先生でした。当日の朝も、黎明アートルームで見た其一の屏風に対する疑問。友人から、「河野先生が、こんなこと書かれていたわよ~」とメールが入って実にタイムリー。その話も伺いたかったのですが、時間がありませんでした。

琳派を知ってから、本当にいろんな疑問が出てきました。そもそも、琳派とはなにか・・・とか、鶴下絵図屏風の本阿弥光悦の間違いはわざとではないか・・・とか。その推測に意を得たり! のえを示されていたのが河野先生でした。ぜひそのお話も伺いたかったのです。

会場に入る前に、階段で先生とすれ違いました。お声をかけていいものか迷ったのですが、いきなりお声をかけて質問するのはあまりに失礼(笑) しかも今日の展示とは、全く違う内容だし・・・

ところが、セミナー終わりに奇遇にも、鶴下絵の質問をされた方がいらっしゃいました。ラッキー! これで堂々と、お話を伺えます・・・・ 先生は、それに関する、論文を書かれたそうです。じゃあ、送りますよ・・・って  うわ~!!! なんて気さくな先生。

 

そのあと、東博曜変天目茶碗の展示について司書の成澤さんにお話を伺いました。「やっぱり、そうですよね~」思ったとおり。静嘉堂で今、展示されているガラスケースを見る限り、そんなに強い光ではなさそうなので、こういうものなのかな・・・と思ったのですが・・・ やっぱり、光をあてないとあの変化は見られないとのこと。ショーケースの光は光源を変えれば光は変わるわけです。また今は作品保護の観点から・・・・ 6月の展示を楽しみにしています。

静嘉堂の絵葉書、オレンジに輝いていました。もしかしてカラーライト当てちゃったの? と思ったのですが、それをしたら、曜変天目の意味がなくなると・・・ 確かにそうです。

安藤堅氏の静嘉堂曜変天目の詳細な観察で、オレンジ色に輝くと書かれていました。どう見ても、その色の光は認めることができませんでした。しかし、静嘉堂の絵はがきでは、オレンジに光ってます。当てる光の強さでこんな変化をするということなのでしょうか? 

藤田美術館のギャラリートーク曜変天目茶碗を見た人の中に、「今日は特別にライトをあてて御覧に入れます」と言って、ダイヤモンドに光をあてるような感じで見せてもらったなんて話を見ました。 

静嘉堂での曜変天目茶碗。今から楽しみ・・・・ 

 

 

■(2017/04/16)  /  [04/15] 東京国立博物館:特別展『茶の湯

講演会の開催があり、土曜日も夜間展示が重なったので行ってみることにしました。目的の講演会は整理券の配布に間に合いませんでした。

実際に展示を見ると、予習をしてないため、いろいろな天目茶碗が展示されているのですが、それがどういうものなのかがわかりません。解説はされているのですが、天目茶碗という全体像の中の位置づけが理解できないのです。ラスコー展の時に感じたのと同じ、総論がわからないジレンマを感じながらの鑑賞でした。

 

今回のメイン 曜変天目茶碗・・・

第一印象・・・「これですか?」 イメージと全く違いました。もっと七色に輝く茶碗かと思っていました。それは、これまでの来歴や、これまでに見た写真や映像、それによって自分が勝手にイメージを作り上げてしまっていたようです。「実物は違った・・・」ということではありません。どう見せるかという問題。

茶碗にどんな光をあてているのか。細かく観察しました。基本、光はあてていません。床からの反射光を利用しているようです。光の当て方を変えれば、見え方もきっと変わるはず。以外にも内部の変化よりも、外側の色の変化の方が興味深ったです。 

しかも《曜変天目茶碗》より、「そのあとに見た茶碗の方がよっぽどきれい・・・」と感じてしまいました。ところがその茶碗の上部をみたらコウコウと照明が照らされていました。

釉薬はガラスだといった安藤堅氏の言葉が浮かびます。ガラスではありませんが、ダイヤモンドの輝きのことを思いだしました。光の種類によってダイヤモンドは輝きが変わります。ダイヤモンドは、光をあてなければ輝かないのです。器もそれと同じだと思いました。ガラス質の釉薬に光をあてれば輝くし、その光量が足りなければ輝きません。 

と思ったところで気づきました。そうか・・・昔は、光なんてなかったんだ。屏風を見るのと一緒。昔見ていた明るさで見ていると思えばいいのか・・・ しかしながら、これまでこの茶碗をとらえる写真、映像は、明らかに光があてられています。そのものの特徴を引き出すための演出(?)が入っているということなのでしょうか?。

しかしながら、注意深くみていくと、細かなきらめきが確認できました。それにも増して外側の光の七変化の方に興味深いのです。周回したり、上下に移動したり・・・・  茶碗をもっと、低く位置付けて見たらどう見えるのでしょうか。

 

この茶碗に向けられたメインの照明は4つ。その照明は、どこに向けて当てられているのか。スタッフの方に、伺ってみました。茶碗には向けられておらず、床に当てられているとのこと。やっぱり・・・・ 床からの反射の光だけを(?)を利用しているらしいのです。だから側面の変化が顕著だったのでしょう。記憶がうろ覚えですが、茶碗の影が出ていなかったと記憶しています。(他の茶碗は2つの影が出ていて、メインライトは2方向だと思いながら見ていたので)

借り物のため、光をあてることができないとのこと。どうりで・・・ 他の茶碗のライティングと明らかに違っていたのです。他の茶碗は、それぞれの特徴を引き出されるような照明でした。しかし、MOA美術館で《色絵藤花文茶壺》が常設展示になる聞き、光の影響は大丈夫なのかと伺いました。その時、陶器は問題がないと聞いています。やはり3つしかない国宝。ということで、過剰な配慮がされているということでしょうか?

静嘉堂では常設で扱われている茶碗だそうで、3年に1回の展示といった性格の作品ではないとのことです。静嘉堂ではどのようなライティングをして見せているのか気になりました。スタッフの方も思ったような輝きではなかったと言われていました。会場にいた見学者の方とも会話をしましたが、やはり「あんなものか・・・」と思ったと。 

そのあと、東博の常設展の茶の湯のコーナーを見たり、法隆寺東博内のボランティアガイドに参加したりして、茶の湯の展示を行ったり来たりしました。そのたびに、まずは、この茶碗を見てから他の見学していました。

 

常設展会場に本草図譜」がありました。なぜ、日本人はこの茶碗を好んだのか・・・・ なんとなくわかった気がしました。斑入り植物は、外国人には病気のように見えて嫌われると言います。しかし、日本人はこの斑を愛で、その入り方を競い合うという文化がありました。それと同じだと思いました。曜変の違い・・・・ しかし、その違いというほど、アイテムは出現しなかったわけですが。

 

茶の湯展を見ていて、「価値」とは何か・・・を考えさせられました。

どんな茶碗が好まれるのか。時の権力者、あるいは貴族階級の好みが価値の基準ということなのか。しかしのちにその階級とは違う武家や町人の価値が台頭し、庶民レベルにまで広がると価値は多様化します。そうした価値の変遷を、今の時代から見る私たちは、どう見ていくのか・・・・

 

長次郎 《無一物》 貴重なものと聞いていました。近代美術館で展示が終わってしまったといわれていました。それって何者なんですか? 名前からして、なんだか究極の茶碗のようです。

ところが、ここにもあります。どういうことなのでしょう? 同じ名前の茶碗がいくつもあるのでしょうか? 光琳の《紅白梅図屏風》の時と同じような感覚。展示替えで移動してここに来たのか・・・・

なにやら、ちいさい美術館所有であまり外に出すことはないのだとか。その作品が目玉なので外に出すと、来館者の期待を裏切ってしまうらしい。

今の私にはその価値がわかりませんでした。

その隣のキサラギ・・・   無骨、茶碗は宇宙と表現されるけど、宇宙じゃなく地球、大地だと思いました。色もそうだけど。これが、キサラギという名前? これまたわからない・・・・でした(笑) 

長次郎、正面はどこなのか。手になじむようにくぼみや切込みがある。ということは、茶碗には方向性があるはず。モノ知りげな感じの人がいて、言葉を交わす機会があったので、何人かに聞いてみたけど、みんなあまり気にしてないみたい。「どこでも、好きなところから見ればいいのでは?」っていったって作り手は、どこから見るかを意識してるだろうし、お茶を出す時に前後、ってあるのではないかと思うのですが・・・ 

茶碗の内部は、地層そのものだと思いました。だって土で作ってるから当たり前(笑) 其一の軸に描かれた茶碗の形とよく似てるものが・・・・ これが長次郎だったらな。

  

閉館間際の30分間。ほとんど人はいません。ひとりかぶりつきで曜変天目茶碗。 さっきと見え方が全然、違うじゃない!  どういうこと? 七変化してます。ライティング変えた?  パナソニックミュージアムみたいに時間によって変えてる? そんなことないよね。 

わかりました! この器にあたる光は床からの反射光です。人だかりがあると、床から反射した光は、茶碗内部には届いていなかったのです。今は私一人だけ。茶碗を周回しながら思う存分鑑賞。全く違う表情を見せてくれまたのでした。 

もし、昼に見て、それで終えてしまったら、曜変天目茶碗ってそんなに騒ぐほどのものなのかな・・・と思ってたかも(笑) あの七変化は、照明によって作られたもの。そんなふうに思ってしまったかもしれません。印象が全く違ったと思いました。

安藤堅氏の『碗の宇宙』をとりだし、静嘉堂曜変天目茶碗を観察された下りと突き合わせながら見ていました。全く別ものに見えてきました。

茶碗が焼かれている状況。その組成、成分、そして茶碗を構成している物質の分子が動いている様子がイメージされました。茶碗の傾斜によって、物質が移動が変化するというくだり。緩やかな勾配では、ゆっくり移動急こう配の部分は速く・・・  なるほど、だから、底の部分に星がたまるわけだ。

海と島に分けて考える。分けて見る。その辺縁の変化は干渉による。色素ではない。黒い部分も枠と中に分かれてる。そうやって見るだけで、移動する物質の姿が見てくるた気がします。芸術と科学。そういうとらえ方、嫌う人もいそうだけど、私はおもしろいと思いました。

 

 ■(2017/04/15)  /  [04/13] 黎明アートルーム:鈴木其一 四季花鳥図屏風

サントリーで見た印象と随分、違いました。何でなんだろう・・・・とあれこれ考えてみました。 ⇒■其一の《四季花鳥図屏風》との再会(黎明アートルームにて)

 

■(2017/04/06)  /  [04/04] サントリー美術館:絵巻マニア列伝

メンバーズ内覧会 スライドレクチャー 学芸員上野友愛

事前にメンバーには、「美術館ニュース」などの配布物もあるのですが、それには目通ししておらず、行きの車内でざっと携帯から情報収集した程度。今回の展示は、趣向がこらされたユニークな展示であることを理解しました。絵巻を見た人の目線を通して、その人たちがどのように鑑賞をしていたか。そして本来、絵巻といものがどんなふうに鑑賞されていたのかを知ることになりました。

その解説を改めて見ると、なるほど・・・・でした。これまで何度か絵巻の展示を見てきましたが、肩幅60cmの世界だった・・・・そんなふうに鑑賞をしていたものだという捉え方をしたことがなかったので、絵巻の見方がガラリと変わりました。さらに、レクチャーでは、絵巻をビデオテープにたとえて、今のDVDとの違いを解説され、早送り、巻き戻し、頭出しを、絵巻にたとえられて、とてもわかりやすく興味をそそられる解説でした。また、絵巻の貸し借りをTUTAYAの貸出にたとえ、レア物収集のマニア心や、貴重なものの貸し倒しなど、今の世相に重ねた解説。こういうユニークな企画を思いつく方ならではのお話だと思いました。絵巻というものの見方が一変しました。

 

レクチャーを受ける前に、一通り見学。それぞれの絵巻をどの人の視点で見たのかという人物のアイコン画像が解説的に添えられていました。ところが、どのアイコンが誰なのかという解説がどこにあったのか・・・・ 見逃してしまったのか? と思って受付で確認すると、章立てになってまとまっているので、ブースごとに見ればいいということがわかりました。

 

60cmほどの肩幅でカット割で見ていた・・・・それがわかり、広げられた絵巻のどのあたりを自分なら切り取りながら見るか、自分のカット割りをしながら見ていると、次のカットにこれが現われるということか・・・ と思ったらその時の驚きやワクワクを、当時の絵巻マニアと同じ気持ちで追体験できました。

 

6人の絵巻愛好家の絵巻に対する尋常ならぬ愛について解説されました。中でも最後の松平定信は、単なる愛好家にとどまらず、絵巻の修復や次世代に繋げるための使命感に燃えており、絵巻対する愛は、人類愛のような普遍的なものに変化していたと言います。こうした歴代の絵巻に対する彼らの愛を、十分に感じて、今回のテーマ「うい、らぶ、えまき」の輪の加わって下さいという学芸員さんのメッセージでした。

 

そのようにおしゃっている担当学芸員さんが、もしかしたら、一番、絵巻を愛しているマニアなのかもしれません(笑) 一握りの愛好家によって今に引き継がれてきた絵巻を、より多くの人に理解してもらい、愛好家を増やそうとされた今回の試みは、松平定信に匹敵、いやそれ以上の貢献をされているかも・・・・? 

これから、100年、200年後に、もし同様の展示会が開かれたとしたら、「マニア列伝」の中に上野学芸員が登場するかもしれません(笑) 絵巻マニアに女性は、登場していなかったと記憶していますが女性は閲覧を許されていなかったのでしょうか?

 

「絵巻」だけでなくそれに付随した文章も、ちゃんと見て下さいね・・・ と念をおされました。それによって、絵巻をみていた人たちや、それを取り巻く人たちの様子がわかり、その愛の強さを感じとることができます。

確かに、文字情報はわからない。つまらない。だから見ない・・・という悪循環。ところが、サントリーの其一展で翻訳文章が掲載されていてとてもわかりやすかったという記憶があります。(他でもしていたのかもしれませんが、これまで目にとまりませんでした) 通常は素通りしがちなガラスケースの前で立ち止まり、いろいろ話をしていました。

「文字」というのは、その人の気質を伺わせます。ぴっちりまっすぐに、乱れることなく書いた文字。これは、定規あてて書いてたの? と思うような文字があるか思えば、訂正線があちこちにあり、加筆、修正だらけの花園天皇天皇がこれですかぁ・・・・  マティスとルオー展のルオーの手紙を思い出しました。いろいろな思いがあふれすぎて、手が思考に追い付かないのかもしれません。

 

そして、文字の部分の展示方法。講座後、改めて見直してみると、なみなみならない工夫がされていたことに気づいました。「ちゃんと見てね」そのメッセージがいっぱい、いっぱい、込められていました。とってもわかりやすかったです。そのメッセージを企画された方の声で聴いた影響は大きかったと思います。

受講した方たちは、会場にもどり、「すごくわかりやすかったわね」「話していること、全部、理解できたわ・・・・」「今回、よかったわね・・・」と、絵巻愛を、存分に受けて浸透している感じでした。

 

見どころトークが開催されます。おそらく担当された学芸員さんによるお話ではないかと思います。 ⇒ まなぶ・体験する サントリー美術館

 

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気になったこと

・《放屁合戦絵巻》朝顔の種が下剤の役目をすることを知っていたよう

  MOMATOにもおならを表現した絵があります。
  おならをどのように表現するか、西洋と日本との違い。

・ナルコプシーという病態に関する記載もされていました。病気と認識いたよう。

・1200年代、(鎌倉時代)に、宮中の内部を直線的な表現を用いて遠近表現をしている。

・この直線は、フリーハンド? 定規を使った? 当時定規はあったそうですが、使われていたかどうは・・・・

・日本美術は遠近表現がされず、平面的といわれがちですが、この時期から遠近表現はされています。この表現を西洋的な遠近法とは認識はしないのかずっと疑問。

・鎌倉と京都の張り合い。今でもそれはあることを京都に行った鎌倉の人が話していた。庭の手入れにそれが見えたそう。お公家文化と野武士文化。それがよく表れているコラムに笑った。

・《玄奘三蔵絵 巻三》捨身飼虎(しゃしんしこ)の虎話、初めて知りました。

釈迦、投身?  お釈迦様って身投げしちゃったの? そんな話、聞いたことないんですけど・・・・ 横にいた人が、「捨身飼虎」の崖ね・・・・と話していたので、どういうことなのか聞いてみました。

釈迦の聖地であるインド「捨身飼虎」の崖を訪れ、崖の下にいる飢えた虎に、釈迦が身を投げてたべさせたという話だと聞きました。でも、釈迦は食べられなかった・・・

前世の話らしい。みんなよく知ってるなぁ・・・と思ったら結構、常識的な話らしい。

 

・《伴大納言絵巻》に群像劇と解説がありました。ミュシャ叙事詩も群像劇?だと思ったけど、その表現が随分と違う。もちろん、サイズも比べ物にならないけど、表現緑は、絵巻の方が上だと思った。

 

参考:饒舌館長より

サントリー美術館「絵巻マニア列伝」1 

サントリー美術館「絵巻マニア列伝」2

サントリー美術館「絵巻マニア列伝」3

サントリー美術館「絵巻マニア列伝」4

同じテーマでシリーズ形式でブログを書かれる方はあまりお見受けしないのですが、サントリーの『絵巻マニア列伝』のことを4回にわたって書かれている方がいらっしゃいました。連載で書かれる方というのは珍しいし内容も充実・・・と思って見ていたら、サントリーのプレス内覧会で乾杯の音頭をとられ、静嘉堂のディレクターもされていらっしゃる方でした。 

 

 

■(2017/04/06)  /  [04/05] 国立新美術館:アートライブラリー

近くに行ったので、アートライブラリーに立ち寄り、ミュシャ関係の本を閲覧。芸術新潮3月号」が詳しく、まだすべて見ていなかったので、続きを読もうと図書館に行ったら、4月号、草間彌生特集に切り替わっていました。そして、3月号は、すでに貸出状態。予約待ちは6名・・・・ みんな行動が早いです。そこで、国立新美術館アートライブラリーにあるかな・・・と思い立ち寄ってみたら、ちゃんとありました。1冊だけのようだったので、誰か見ていたら閲覧できなさそうですが。

 

以下、気になった部分を抜粋

 

「スラヴ叙事詩から見えてくること ミュシャ」(本橋弥生)

  芸術新潮 2017 3月号  ) p41~

ここに書かれていることと同じようなことを、自分の力で感じることができるようになっていました。「視点のコントロール」「当時の美術の技法の影響、(印象派)」「作品を前に、引き込まれていくのは演劇的イルージョンであること」・・・例に挙げられていた絵は、私がそれを感じた絵とは違っていましたが、スラヴ叙事詩は舞台であることと同じだと思います。(⇒■ミュシャ展の感想 スラヴ叙事詩は舞台装置!?)そして絵の構成が舞台に通じるものがあるのは、サラ・ベルナールとのかかわりの影響もあると思ったおこと。そして、ウィーン時代は舞台美術の工房で働いていたことを最近「もっと知りたいシリーズ」からわかっていたので、それも関連性が、あるんじゃないかな? と思っていました。それと同じ考察をされていました。

 

そして、ミュシャの今、現状・・・・  日本ではこんな騒がれているけども、カレル大学の学生の反応や、これまで放置されてきたことなどを考えると、どこかミュシャの思いと、チェコの人たちの間に温度差を感じていました。実際のところミュシャの研究はさかんではないのだそう。それはミュシャチェコ人の歴史的理解の温度差もあると解説されていました。チェコが独立するとスラヴ民族の連帯という考え方は後退し、ヨーロッパ全体としての統一という意識に変化。汎スラヴ主義の問題、ドイツへの対抗に変化。

 

日本でミュシャ展を開催にあたり、親族が反対して危ぶまれたということが言われています。なぜ、反対したのか。「日本に行く」ことが問題だったのか。遺族とチェコとの問題なのか。

ミュシャ展の目玉「スラブ叙事詩」日本初公開に暗雲…?ミュシャの孫が貸し出しの取りやめを求め提訴 - Togetterまとめ

Mucha-holic / ミュシャ中毒 スラヴ叙事詩の行方はまだまだ混迷中

 

いろいろに言われているようですが、最終的にはOKとなり、しかも、写真撮影までが許可されることになりました。そのことを不思議に思っていました。なんとなくこういうことなのかなと思ったのは、ミュシャの強い人気のある日本。そこでファンの心をしっかりキャッチして、ミュシャの人気を維持させる。火をたやさない。そんなことを考え得たのかなぁ・・・とか(笑)

 

〇追記:(2017.04.09) 

上記を書かれた本橋弥生氏が、国立新美術館 主任研究員だったことを知りました。来週、日曜美術館に出演の中にお名前を見ました(4/16) うわべだけを見ているだけだと、真意はわからない。何でミュシャが以前からスラブ愛歌を描こうとしていたことに触れないんだ・・・と思っていましたが、芸術新潮ではミュシャの現状が語られていました。 また、歴史画を描きたいという気持ちは、画家をめざした時から・・・だったことも書かれていました。

日曜美術館ミュシャの回の出演者に宮本亜門さんが。やっぱり! スラヴ叙事詩と舞台との関係が語られるのだろう。

 

 

◆The era of "Slav epic"|ムハをめぐる複数の文脈 

    − プラハ、スラヴ、そしてフリーメイソン阿部賢一
      芸術新潮 2017 3月号 ) p51~

こちらでも、ミュシャ歴史観チェコの人たちの認識の違い、温度感覚の違いについて触れられていました。またフリーメイソンの主要メンバーであったという文脈が加わることによって、絵の解釈も見え方が変わる・・・・

フリーメイソンの入団証を描いていたり、トップの立場で牽引していたり・・・
 フリーメイソンの精神、平等・自由・友愛は、スラヴ叙事詩にも込められています。
 叙事詩を寄稿したり市民の間の作品も寄贈していることなどその現れ)

ミュシャ自身が次のように語っていたそうです。

作品が目指すのは、壊すことではなく、常に何かを作ること。橋をかけること。なぜなら我々全員が生かされているのは全人類は近づくことができるという希望による。お互い理解しようとすれば容易に 

 

 

絵巻マニア列伝を見て、絵巻愛・・・というものを感じました。ミュシャに対する愛についても、いろいろな愛のカタチがある・・・  こんなに一人のアーティストのことを調べたのは初めて。それは果たして愛なのか(笑)  嫌い、嫌いも好きのうち? (曝)

 

ミュシャ展で感じていた、なんか変は・・・・・
反対していたのに、なぜ撮影までOKするの?
反対していたのに、インタビューは受けるんだ・・・・

 

そういう直感的に感じた裏側にあることをさぐることを愛しているのかも(笑)

 

 

 

                      

■■■■■■■■〈2017年 3月〉■■■■■■■■■■■

■(2017/03/27)  /  [03/26] 國學院美術館:祭祀と神話―神道入門―」

前回は、試験中でお休み。今回は、

 

お昼を学食で・・・と思ったら春休みでお休み。事前の確認は大事。いつも立派な資料があるので、今回もそれを目的にでかけたら、それは今回は作成されていないとのこと。

 

神話については、西洋の神話もふくむのか・・・と思ったら日本の神話でした。祭祀・・・ 最近、googleのピックアップ記事に、宮中祭祀のことについて書かれたブログがリリースされます。なんでもこのままいくと、継続が危ぶまれるているのだとか。そんなゴシップ的な記事でしたが、そういうことが頭の中にあると、祭祀の見方が変わります。こりゃ大変だ・・・  よく耳にする新嘗祭。とても主要な行事だからこそ、私たちの耳に届いていたわけだ。大嘗祭・・・天皇即位をした初めての新嘗祭。それにまつわるニュースが・・・・平成30年11月に大嘗祭を挙行へ 通常国会で法整備不可欠に  伊勢神宮式年遷宮のために樹木が用意されるように、大嘗祭のためのお米の用意が行われる。

新穀を育てる特別の水田(斎田)2カ所を準備する必要があり、同じ年の2~3月に亀卜(亀甲を用いた占い)で斎田を決める「点定の儀」が行われる。

何度か、この博物館の祭祀のコーナーを見てきましたが、ぐっと近づいた気がしました。

 

神話・・・・ ちょうど、スラヴ叙事詩を見て、スラヴの神話が描かれていたわけでですが、スラヴの血を引く人たちはこうした神話を知っていて、自分のアイデンティティーになっているのだと思っていたけども、実はそうではないらしいということを、現代の若者の感想を見て知りました。

 

日本の神話も、日本人ならだれもが知っていて、精神形成や日本人の心の形成に影響を与えているかというと・・・・  自分に置き換えたら、そんなことはないし(笑) そもそも古事記日本書紀の神話を知らない・・・・

 

ただ、宮中祭祀 天皇系の継続と稲作はシンクロしていて、稲というのは自家受粉する作物で、他の血を入れない。といったことが、稲作を代表とした祭祀につながっていると論じられているのを過去に見たことを思い出した。

 

伊勢神宮式年遷宮 大嘗祭新嘗祭・・・  それが何かを知らなくても、聞いたことがある「言葉」「行事」は、興味の入り口になる。

 

 

 

■(2017/03/25)  /  [03/24] 国立新美術館ミュシャ

ミュシャ展、行ってきました。思ったほどの混雑ではないです。どこから混雑と思うかにもよるから。若冲展、モネ展、京博の琳派展を経験したものにとっては、こんなのは混雑とは言いいません。解説に近づくこともできないと思っていたけど、この程度はノープロブレム。

以下、思うままに感想を羅列します。

〇大きい とにかく大きい。でもそれだけだったり?(笑) スラヴの心、その本質は、日本人には理解できないと思われる。単に巨大さに圧倒されて、解説を見てそれをわかった気になっているだけのなのかも・・・・と見る前に、頭をかすめていた。でも、そんなことはなかった。付け焼刃の予習を少ししばかり・・・・ 20作のちょうど半分のところで、まだ終わってないのだけど、でかけてみることに。 狙いは金曜日。1週間先延ばしたら混雑も変わりそう。予習が半分残っているというのは、ちょうどいいバランスかも。電車の中で、後半の半分の概要だけ、読んでおいた。これも正解だった。

〇天空と下界  その両方で表されているものも。現実と空想(?) 暗示と陰り

〇光に注目  どこにスポットをあてているのか  その光は何か
  星  太陽  炎・・・・
 遠くで見る  入った瞬間に感じるもの  近くで見る
〇もやの立ち込め  空気観とぼんやり描かれる人 空の色 ぼかし
〇近景・中色・遠景の表現 
 低・中・高・・・・ 高い部分 見上げる さらに上を向く人による効果
 上部  平面+近景  アーチの重ねによる遠近  

 

〇時間表現  時代の暗示  
〇時間の同時性 同じ画面に時間差  鳥獣戯画の異時同図技法? ミュシャのオリジナル? 歴史画の描き方の定番?

 

〇これは舞台装置では?  群集劇を見ているかの錯覚

(群像劇・群集劇の概念がちがった・・・野田秀樹みたいのを言うのかと思ってた)
 見るなり登場人物が語りだす絵もある  役者も動きだすものも・・・
  それは予習あってのたまもの? 解説には歴史映画のようだ言われた絵もある
 舞台であり、映画であり、等身大の絵のVRに引き込まれる感じ・・・
 ミュシャの描いた自然の中で一緒に遊んでいたり。

 

〇多彩な登場人物
背後霊のように描かれている人が、実は偉い人で主役級。しかしスポットを浴びているのは、民衆。真正面を向き、 目で何かを語ろうとしているあの強烈な目力を持っているおは民衆。王や貴族は正面を、私たちを見てない。(たぶん・・・・全部を確かめたわけじゃないので)その傍らににはブッシュがあって、身を隠したり横たえたり。 前景、中継、高景への移動の拠点にもなっている。 

現実に戸惑う人、客観視する人、斜に構えて見つめる人。あなたは何が言いたいの? と思うものもあれば、自ら語りだして声が聞こえてくる。やはり、この絵は舞台だと思った。ここに登場する一人一人がかけがえない一人。ぼんやり影の薄い人もいる。でも、この舞台のなかではしっかり役割があって、セリフが与えられていて何かを語ろうとしている。それを考えてみるものもおもしろい。

 

〇予習しながら見えなかったものがはっきり見える

絵が何を表しているのか、ネットの画像を見ても、はっきりせずわからない。何かわからない。どれかわからない。これのことかな・・・ あたっているのもあったけど、違っているのもある。修正せねば・・・・

 

〇日本と世界との違い  アイデンティティの違い
これは埋めようのない史実の違い。この民族、地域の人でないと共有できない。私たちに真の理解は無理。同じ民族の人たちならこの絵を見れば、何が描かれているかを一目で理解し、その精神を理解できるものなのか・・・・それが血というものなのか。

ナチスドイツによる侵略 それによる反駁。フランスのマティスとルソーも同じだった。それによって誘発された愛国心ナチスが与えた影響。至るところに、どこの国にも同じような歴史、弾圧が存在している?

 

たまたま読んだカレル大学日本研究学科修士課程の学生によるスラブ叙事詩の感想を見て、衝撃というかカルチャーショック。自分の言葉を持っている。感じたことしっかりと語ることができる。それこそが、ミュシャ叙事詩を通して描いた言葉の力。通底しているテーマ。それを引き継いだ結果なのかもしれない。

 

アルフォンス・ミュシャ「スラブ叙事詩」に挑む – プラハから日本へ より

私はミュシャの作品は非常にきれいだと思うが、スラブ叙事詩を初めて見たときあまり好きにはなれなかった。なぜかというと、その絵画は全然誠実ではないという気がするからだ。誠実ではないので、人間の心を動かせない。もちろんスラブ叙事詩はほかのミュシャが描かれた作品と同じように、高い技法で、装飾を凝らしているし、観覧者に印象を与える。だが、残念ながらこの絵画が好きにはなれない。王プジェミスル・オタカル2世の絵画も私にそう思わせる。絵画を見ると真ん中に腕を差し伸びながら立っているオタカルの姿が見える。その周りに同じ立ち姿でほかのスラブ王も描かれている。この中心的な場面は絵画の残部と比べて、薄い色で強調されている。王様が腕を差し伸びながら立っている立ち姿はリアリティがなく私に不自然な印象を与えた。この場面はボヘミア王としてオタカルの栄光を表わそうとしていることがわかるが、立ち姿さえ信じられないと絵画の全部をまじめに受け取られないだろう。ミュシャは技術で歴史を変えてみたかったが、そのため彼の絵画が誠実ではなくなってしまったと感じている。スラブ叙事詩展覧会の小冊子を読むと、スラブ民族の栄光や有名なスラブ人に対しての敬意については理解できるが、本当にその気持ちを実感することはできない。ミュシャは偉大な画家ではないとは言いたくないが、技術が誠実でないとどんなに偉大な芸術家でも、いい絵を作ることができないと思う

 

同じ民族だからといって理解できるわけではない。時代も歴史認識も違うのだろう。日本人が日本の歴史を理解しているかと言ったら、みんながみんなわかっているわけではないのと同じ。現にミュシャは、制作途中で古いと言われ、しばし忘れ去られていた。誰かが光をあてたから今があるのだろう・・・・

私もミュシャが好きなわけじゃない。だから、叙事詩を見て好きになれなったとストレートに語る学生がまぶしく思えた。好きだからミュシャ展に行く人が多い中(たぶん)好きじゃない。と語るのは気が引ける。そして予習をしながら学生と同じようなことも感じていた。

 

ぼやけた描き方はなんなんだ・・・  足元がおぼつかないというか描いていない? と感じる部分もあるし・・・中心部、中心人物のはずなのに、ちゃんと描いていない。その答えは、テレビの放送で出てしまった。民衆にスポットをあてているということらしい。それに納得していた。

この学生のように、ミュシャを「誠実でない」とは思わなかったけど、何かずっと、違和感を感じていたことも事実。そして「スラブ民族へ敬意は理解するけども、その気持ちを実感できない」とスラブ民族であろう学生が語った。私も思った。表向きの表面上の描きたかったことは理解できる。しかし、その本質なんて私たちには理解できるわけがない。それはスラブ民族でないと無理・・・と思っていた。それがスラブに流れる血。しかし、スラブ人さえも理解できないと語る。日本人がこれを見て、ミュシャの気持ちがわかるというのは、わかったつもりになっているだけじゃないかなぁ・・・とか。そんな感想を行く前に抱いてのミュシャ展・・・・・

 

実際に行ってみるとその感覚は、ちょっと変わりました。しかし・・・・

 

 

〇光とともに「手」に注目

いくつかポイントを決めて見ていたのですが、会場でみつけたテーマは「手」 ミュシャの描く手が気になりました。 前出のプラハの学生が語ったこと。

 

技術が誠実でないとどんなに偉大な芸術家でも、いい絵を作ることができないと思う

恐れ多くてミュシャに対して、「技術が誠実でない」とは私には言えませんが、でも、それに通じると思ってしまったのが、ミュシャの手の表現、これってどうよ・・・と突っ込みたくなる・・・ ミュシャ、ちょっと下手じゃない? って思ってしまうのは、まだ絵の見方がわかっていないせい?・・・・(笑) 巨大画故の何か注意をひくためのこの表現手法なのか?

 

 この手の表現は、どう受け止めればいいのでしょうか・・・・手は、ある分で、民衆の生活であり、何かをつかみたい意思を表したりもするだろうし・・・

 

 

 〇最後の作品

最初に目に飛び込んできたのは、上部の人ではなく、下でのけぞって手を挙げる人。

なによりも喜びを無条件に表していて、見ているこちらもなんだか晴れ晴れした気分。

これまでの作品は、どれもがどこか重々しさが漂っていた。他のどの絵よりも喜びが表現されていました。

 

この絵については、予備知識が全くありませんでした。でも見ていて面白いくらいに何を表しているのかがわかったのです。構図の謎解きもすぐにわかって、この絵にも異時同図の手法が用いられていること。それらが織りなす重なりの構成、絶妙なバランス・・・ それはらせん構造になっていた。(←これは読み解けなかったけど、図録で判明)これまでみてきたいろいろな作品とも通じる、キーワードが重なろ融合している。すべての史実が神話も混ざって影響して今に至る・・・・ 

しかし、中央の黄色い部分がだけがどうしてもわからないのです。それもそのはず、既出ではない場面だったから・・・半分の予習ではあったけど、最後のこのこの作品をちゃんと読み解けるまでに理解できるようになっていた・・・ 予習の成果、あらわる?(笑)

 

音声ガイドの解説。BGMはモルダウは最後のクライマックス部分。

渦巻く急流を抜けると、川幅が広がりプラハへと流れる壮大さが、この絵に重なります。それまでのモルダウがまた違う意味を持ちました。

 

 モルダウをBGMに持っていこうと思っていたのですが、音声ガイドにモルダウが単体でBGMとして聴けると勘違いしてしまった。転調の部分が意味することも変わりました。

 

 

〇民族ではないけどもスラブ人としてのアイデンでティーとはなにか?

スラブ人だけでなくすべての民族において共通したアイデンティティーとは「土地」であり「言葉」。そして「名前」・・・・・戦いによって奪われる「土地」それに伴ってはく奪される「言葉」。奪われるという歴史を繰り返してきたスラブ人。スラヴ叙事詩にはその「スラブ語」を復興するシーンが多く描かれている。いかに言語というものが、民族を支えているのか‥‥ 奪われた側の立場を思うと同時に、奪う側の立場。

ひるがえって日本人のことを思った。言葉を奪われたという歴史を持っていない。そして奪った歴史は持っている。名前も奪った・・・・ 同じ日本の民族の言葉も奪ったという歴史。スラブ叙事詩を見て考えたことは、スラブの歴史よりも日本の歴史だった。

 

 

 

■(2017/03/17)  /  [03/15] 山種美術館速水御舟について

●新美術館開館記念特別展 速水御舟  日本画への挑戦

p23 名樹散椿  S52 重文

金地は雁皮紙に金砂子の「撒きつぶし」によるもの

「撒きつぶし」とは 金箔を細かく砕いて粒子にした砂子を竹筒に入れて何回もわたり振りまいて  と技法

金地と土ハによる構成は宗達の《蔦の細道図 宗達 - Google 検索

 

山下裕二先生寄稿 (p11)

御舟の「よく?折」により老大家、あるいはのちの老大家によって称えられたことで以後の院展日本画全般のありようにとてつもない影響を与えてしまった。また山種による一括購入による御舟のブランド化が加速。御舟は特別という風潮が・・・・

 

全能の神のごとくあらゆる技法に習熟しその技法を画面に余すことなく定着したタイプの画家ではなかった。線画を排除した塗る日本画に傾倒。日本画壇が御舟に冠をいだくことでつまらない美術史作った。大観、天心の評価とともに見直すことが必要。

  

意を得たり!  全くこれと同じことを感じていた・・・・

 ⇒〇速水御舟の全貌 ―日本画の破壊と創造― ④《炎舞》.

 

 

●輝ける金銀 琳派から加山又造 p39より

この金地に用いたのが「撒きつぶし」の手法
弟子の吉田善彦によれば、金砂子を何度もまいては擦りつぶしていくものだとういう。表面は完全に均質な状態で、大観、天心も肉眼では砂子に見えないのだが、テレビ取材の時、並木秀俊氏の調査により砂子が確認

 

重要文化財の指定

s52 名樹散椿 炎舞 重文指定
s51 御舟一括購入

 

p152よ

御舟展、一括購入の話題もあり、8万人導入  一種の社会現象に。
文化庁より作品を散逸させないようにとの要望もあり、そうした社会貢献が考慮され重文の制定に・・・・ 

 

 

■(2017/03/16)  /  [03/15] 山種美術館日本画の教科書 東京編

ー―大観、春草から土牛、魁夷へ―

ギャラリートークに参加。大観、春草から土牛、魁夷へ・・・・のサブタイトルの大観への疑問の解決を第一目的に・・・

大観の数ある富士山の中でも、「心神」は特別なものと言われているようです。しかし、具体的には他の富士とは、どこがどう違うのか。おそらく富士の絵で、「心神」はここだけ、もしくは数点。具体的にこの絵がどうこうということではなく、大観の信条的なもの。大観自身がこの絵を大切にしており、気に入っていて、その名を配した。

 

圧巻だったのは下村観山の金の屏風。

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「琳派から日本画へ —和歌のこころ・絵のこころ—」 | フクヘン。- 編集者/美術ジャーナリスト 鈴木芳雄のブログ

 

背景は金箔? 箔足が一切、見えません。いや、うっすらあとはあります。しかし箔足の重なりがないに等しい。光のちょっとした加減で継ぎ目のようなものが見えます。しかし、金泥といわれたら、金泥にも見えるくらいのマット感。御舟の「撒きつぶし」かと思ってしまうくらい・・・・ しかし、撒きつぶしではないそう。金箔と伝えられているが、金泥の可能性もあるかもと思うくらいの均一さ。屏風の職人がはるとこのようになるだそう。(金箔は屏風職人が張ることもあるんだ・・・・)

そして、金箔と伝えられていたとしても、以外にあてにならないこともある。画家自身がそのように言ったとしても、画家によっては正確には答えないことも。福田平八郎などは、「金箔ですか?」と聞くと「まあ、そんなもんだな・・・」と濁したりすると。

新らためてじっくり背景の金を確認した。うっすらと重なりが確認できた。

 

 

■(2017/03/12)  /  [03/14] 上品会

日本橋髙島屋で行われていた「日本美術と高島屋」の中で紹介されていた上品会。

日本の文化、技術を守るという役割を担ってきた百貨店。今でも、呉服の世界の技術を守るべく上品会(じょうぼんかい)という形で支援。機会があれば、その品評会? というものを見てみたいと思ってました。スタート時は、3社、現在6社が。着物や帯を、1年以上、手塩にかけて作った名品を競いあい、入選すれば、高島屋がすべて買い上げる。出品者いわく。

「着物催事では、高島屋さんの上品会が日本一。参加する我々の優越感。お客様からの期待感。職人たちの力の入れ方、神経の使い方も相当。切磋琢磨し腕を挙げ、業界全体が参考にする部分もある。兼学向上」こそが上品会の柱。ずっと続けて頂きたいし、続けられることが高島屋さんのお力。」

 

今年のテーマは、ジャポニズム。ヨーロッパのアールヌーボー時代のガラス工芸は、日本の影響を受け、ジャポニズムブームが席巻。それらベースに着物が作られていた。

 

高島屋の呉服 | タカシマヤ

さまざまな国の美術様式に影響を与えた日本の美「ジャポニズム」の本質に迫り、同人各社の卓越した染織技術を駆使して、ものがたりの世界を表現しております。

訪問着「細雪

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細雪」をモチーフに“花”を優美に描きました。「細雪」には4姉妹がお花見を楽しむシーンが多くでてきますが、それを象徴するしだれ桜をメインに、京都の風景を想起させる写実的なタッチで描きました。透明感のある地色で全体を構成し、下前には、日本美術から影響を受けたといわれるアールヌーヴォーの表現を、桜などとは対照的なタッチで描いています。

 

上記の着物で思い浮かべたのが下記の作品だったのですが、並べてみるとちょっと違いました。またこの作品は、細雪が題材なので関連性はないかもしれませんが・・・

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竹取物語のガラスは、ガレだよね・・・ あの黒のシリーズかな?

細雪も、ガレのあの作品と色あい、似てる気がする。と思いながら・・・

 

加山又造や、院展の早々たる顔ぶれの作品も・・・ 日本橋加山又造を見逃してしまったのですが、8月に横浜高島に巡回。

 

3月23日~3月28日 新宿高島屋 

4月13日~4月18日 日本橋高島屋

 

 

■(2017/03/12)  /  [03/13] そごう美術館 

絵画の潮流展明治から昭和の日本画と洋画
エール蔵王 島川記念館所蔵 秘蔵の名品

 

名前は聞いたことがあるけども、どのような絵を描いていたのか知らないという何人もの画家の作品を見ることができた。日本画という世界。洋画の世界。新しい潮流の中の歴史がコンパクトに解説されていて、全体像を俯瞰して見ることができる展示。パクトな解説図録(?)もハンドブックのようでよさそう。

 

田中一村前田青邨は、初めて作品として見た。日本橋で見逃した加山又造展。こちらで加山の作品を見る。8月には横浜高島屋で行われるという情報をゲット。

 

◆近代日本画 洋画の流れ

高橋由一 浅井忠 岡倉天心の前に、紆余曲折のあったことを知った。

その後、梅原、岸田、中川・・・といった名前だけしか知らない画家の関係がなんとなくわかった。

 

53 スフィンクス 島

油の質感、初めて。土塀のよう。影 へこみ 凹凸

 

54 何処へ・・・・

心がかき乱されるような・・・ なんと言っていいかわからない感情。顔の周りの光、背景の表現、その中に見える光? 体に当てられたひかり。

 

解説より・・・ 緊張感 闇(←これだ!) 表情 

 

■(2017/03/11)  /  [03/10] 地球館  3Dシアター

金曜の名古屋博の特別上映は、青、赤、地球を毎月、ローテンションしているのかと思ったら、一度に一気に上映していたのだそう。万博では5時間並んで、1つ見れただけ。出血大放出? 最後の光の放出は地球、愛・地球博。見たものは同じだったけど、恐竜と宇宙の回を見ることができた。

 

人の進化、祖先は、鳥とどこかで分かれると思っていたけど、恐竜が鳥になったらしいことがシアターで判明。地球館で確認。イマイチ、よくわからない。

 

 

 

 

■(2017/03/10)  /  [03/11] 企画展「理化学研究所百年」

ゲノム解明 2003年

 

 

 

  

3CDでなく立体模型で・・・

 

■(2017/03/11)  /  [03/10] 夜のアートイベント 上野公園

(2) 夜の音めぐり 桜の街の音楽会スペシャ

  1. 東京都美術館  (入場無料)
    午後7時00分~午後7時15分

モンテヴェルディ―  声楽アンサンブル

ルネッサンス代表する音楽家

ティツィアーノヴェネツィア派展」にちなんで・・・

 

■(2017/03/11)  /  [03/10] 都美セレクション 新鋭美術家 2017

初めて公募展に参加。写真? かに思ったものが、油絵!  なんだかわからない物体? ミトコンドリア? でも違う  あのぬめっとした垂れ下がる液体(?) 脳裏に焼き付く  「心映」こっちはどうなってるんだろう・・・とのぞき込む自分の姿が映し出される。笑った・・・・

 

 

■(2017/03/02)  /  [03/01] MOA美術館 

 リニューアルオープン後の紅白梅図屏風を見ることを目的にでかけた。国宝の《紅白梅図屏風》のみならず、他の作品も、国宝がずらりと並ぶ。何もわからなくても、見ているだけですばらしいとかんじさせられた。行きのバスは大行列。そんなに注目なのか。美の巨人の影響がここまで? この人たちが、なだれ込んだら、イモ洗い状態は必須。京都国立博物館風神雷神のあの悪夢の光景が浮かんだ。しかし一行はバス下りて別の方向へ向かった・・・・ なるほど、と納得。

 

〇《紅白梅図屏風》 

◎根津でみた紅白梅と違う

11:00にレストラン予約してあった。時間まで、2階の展示だけざっとひととおり見学しつつ、目的の紅白梅図屏風に足をとめる。2年前に根津で見たものと 違う! 違いすぎる・・・・作品が小さい。それに額装変えちゃったの? こんなにごてごてしてなかったはずだけど。展示の高さも違う。屏風を広げる角度も違う。根津では、ちょっと見上げて見る感じだった記憶が・・・ でも、こちらはちょうどよい高さ。座位で見ている状況に合わせて展示されているものと思われる。鑑賞に負担のないとてもよい高さ。そしてなにより屏風の距離感が近い。目の前に近づいて、細部をつぶさに手に取るように見える。

あとで、根津の展示をインターネットで確認。額装が変わったと思ったのだが、同じだった。光の加減によるものか・・・ 妙に目だった気がした。

 

 

◎音声ガイドの解説の差

これまで2回、鑑賞している。しかしよくわからない。やっと《紅白梅図屏風》2年前の根津の音声ガイドによって、はじめてこの屏風の見方を理解ができた。それまでのMOAの解説はどんな解説だったのか・・・・ なぜ、MOAの音声ガイドでは、この作品を理解するに至らなかったのか。それを確かめるために、ガイドを借りた。600円也。高い!  

 

やっぱりMOAの解説は、思ったとおりだった。何によって興味が深めることができるのか。そのきっかけというのが人にはある。しかしそのきっかけは、ひとそれぞれに違う。「そんな解釈法まで、導入のガイドで解説したら、初心者は離れちゃうでしょ・・・・」 しかしながら、その解説を加えた美術館もある。逆にその解説があるからこそ、興味を持つ人だっている。

 

 

〇音声ガイド利用法

私の周りの美術好きは、音声ガイドを借りない人が多い。それは、ガイドに惑わされるのがいやだから自分の感覚で見たいと思うから・・・・ 私はとりあえず、借りる。でも最初からは聞かずに、一通り、見てからガイドを聞いて、ああ、そうだったのか・・・・と発見したり、自分とはとらえ方が違うなぁと思ったり。最近は、ガイドを借りてまで・・・と思う展示ではなかったので利用していなかったが、今回は、紅白梅図屏風》がどんな解説をされているか。それを確認するのを目的で借りた。借りた直後、すぐ、黄金の茶釜の横にあるソファに行って、ガイドを書き写してきた。

 

いつもは音声ガイドを借りない友人が、今回は借りていたのでどうしたんだろう。「先入観にとらわれるのがいやだったけど、今回、展示されているものは、ひととおり、自分でも勉強して理解し、自分なりの解釈ができたものばかりだった。じゃあ、ガイドはどんな解説をしているのか聞いてみたいと思った・・・」と。 ガイドを借りる目的もいろいろ。

 

 

〇《月下紅梅図》杉本博司 

いろんなところで、写真では見ていた作品。この作品、すごい興味があったのだけど、同時展示されていることを知らなかったので、ラッキー! これはどういう作品なんだろう? 杉本氏は、とうとう日本画にまで手を出しちゃったの? 杉本さんという方は不思議。出会うたびに、新たなチャレンジをされていて、ご自身の殻を破っていく感じ。最初は写真家だったはずなのに、いつのまにか建築にまでかかわり・・・  今度は絵まで描いちゃうとは?  どこまで才能ある人なんだ・・・ と思いながら、流水をじっとみていた。

 

あれ? この流水、上の紅白梅図屏風》の水の文様と全く同じじゃない? あれ? 紅梅の枝ぶりも、一緒だ・・・・ 模写してこんなに完璧に写せるものだろうか・・・・  そういえば、光琳の金に対し、銀で、写真の銀板を使ったとか聞いたような記憶がよみがえってきた・・・・

 

監視の人に尋ねようとしたら、この絵について尋ねている人がいた。一緒に行った友人だった。学芸員らしき方が出てきて、この絵は、白黒写真で撮影したものを、プラチナ原版にうつして、拡大したものだと解説されていた。「写真であることを、一言、解説で添えた方がいいのでは?」 と語っていた。「これを見ていろいろ想像して欲しい」という作者の意図があるとのこと・・・・

 

〇作品の解説について

MOAの作品解説は、画材が紙か絹か、何で描かれているかが表示されていませんでした。それまでどうだったのか記憶にないのですが、あえてそうしているのか・・・・

 

何に描いているのか。何で描いているのか。当初はそんなこと、全く気にもならなかったし、作品リストにわざわざ記載されているのを見て、そんな情報をそこに掲載する意味ってなんだろう。ちょっと、邪魔くさい・・・というか、文字がごちゃごちゃして余計な情報、とまで言わないけど、あってもなくてもいい、なくていい情報だと思ってました。ところが、だんだん、絵の見方を知ると、これは何に描かれたのだろうか。何で描いたのか・・・が気になりだして、鑑賞に関する知識が少しついてくると、必要になってくる情報なんだと理解。

 

ただ、あえてそれを記載せず、何だろう・・・という疑問を持って見てもらう。というのは、一つの提示の仕方だと思った。「それだと、不親切では? こんな遠くまでわざわざせっかく来た人に、何も伝えないのは・・・・何か、きっかけになることを示しておくことが必要では?」 何も気づかない人は気づかないまま終わってしまう・・・

 

私はこれを見て「これなんだろう」と思わない人は、それはそれでいいんだと思う・・・って(笑) 作り手も望んでいるわけだから、わざわざ、解説する必要はないし、なんだろう・・・と思って知りたいという欲求の先に、サプライズがある方が楽しいと思う。

 

疑問を感じない人に、よけいなおせっかいはしなくてもいいと思う。自分でつかんでいくものだと思うから・・・・ 一生、気づかないなら、それはその人の人生・・・ 「疑問を持つ」ということも、一つの能力。鑑賞のレベルがあがらないと疑問もわかない。期が熟すのを待つ。それも大事では・・・とちょっと弧競り合い(笑)

 

自分の模索でやっと《紅白梅図屏風》の意味や作品の価値をつかんだという経験が私にはあるためか、美術って自分の力で時間をかけながらつかむもの。その方が、面白さも倍増・・・と思ってしまうのでした。

 

それなのに、《紅白梅図屏風》の音声ガイドに対しては、MOAは、見たままの解説だけ。それによってどういう解釈が生まれるかという解説はなし。そこを解説してもらえれば、私はこんなに遠回りはしなかった。という話をしていました。

「音声ガイドは初心者向けのものだから、そこまで解説したら、初心者は混乱しちゃうでしょ・・・・」  「でも、根津では作品解説に加え、その解説をもとにした解釈を、3例出してた。それによって私は、いろいろ、自分で調べたり考えたりするきっかけをもらった。この作品が何を言おうとしているのかを自分なりに理解するということを悟った」そのため、初心者であっても、そういうナビゲーションがあれば、その後の興味や調べ方が変わるのだから、もう一歩、解説が欲しい・・・・

 

お互い、「より詳しい解説をして欲しい」と思うポイントが違うのでした(笑)

 

私は《紅白梅図屏風》の経験から、絵画の理解は、自分で疑問をもちながらつかんでいくもの。疑問を抱けることが、経験や能力の蓄積によってもたらされる。と思っていたので、杉本さんの梅も鑑賞レベルによって、疑問を感じる感じないがあるのだと思う。だから解説はせず、その人の成長レベルに応じて、疑問を持ちながら見ていけばいいのでは? と思ったのでした。

 

おたがいに感じた「解説が不十分で不親切」というポイントが違うことが面白い。杉本さんの梅で感じた友人。私は紅白梅の音声ガイドの解説でそれを感じた。一方、私は杉本さんの梅にその解説はいらない。友人は、《紅白梅図屏風》でその解説をしたら、解説しすぎ・・・・ と全く逆のとらえ方。

 

美術館が、解説一つとっても、何をどこまで提示すればいいのか・・・・人によって求めるものが違うということを目の当たりにした。

 

そして、初心者にわかるような展示をしてほしい・・・・と望みながら、自分では初心者と思っていても、なんだかんだ言って、10年ぐらい、美術展を見てきているわけです。全くの初心者の捉え方とは違っているのかも・・・なんてことを思いながら。

 

杉本博司作品  「海景」 

この方は、年を重ねていくたびに新たな世界を切り開いていかれる方。昨年の直島で、新たな作品に触れ、今回、また同じ海景。 なんとなく想像はできたし、水平線の写真で、これ以上、何が表現できるのだろうか・・・と思っていましたが、全く新たな世界を見せてくれました。光・・・・ そしてモヤの中の何もない海景。じっとみつめて浮かび上がるのものは?  そして、写真という素材の展示法  印画紙(?)という素材に当てられた光。見る人の投影が一切、ないということの不思議。

 

柳橋図屏風  

作者不明桃山時代の作品  ガラス越しでない露出展示。最初、それに気づきませんでした。ランダムな見方をしていたので、透明度の高いガラスで、直接見ているかのように見える展示。と思いながら、その延長で見ていた。作品解説プレートをみたら、ガラスなしの表示があった。「最初に露出展示を見せて、そのあと全部の作品が露出かと思わせるしかけがされている」と書かれていたことを思い出した。

 

「ガラスがないように見えるなぁ・・・・」と話していた方がいたので、「本当にないみたいですよ」と伝えたら、びっくりしていました。

 

この作品を食事をしたあとじっくり見たら、圧巻。この屏風を右からみるとググンと向こうへ連なる橋が・・・・ そして左へ移動すると急に風が吹き出し周囲の天候は雲が立ち込めていた。そしてちょっと離れてみると、波がさざめき出す。誰が描いたのかわからない絵。前評判の高い絵でもない。でも、すごいなぁ・・・と思える絵。こういう絵に価値を見出して所有するということ。そこがどこであろうと、こういうものを見せてもらえることはに感すごい・・・・ 

 

〇色絵藤文茶壺  

これまた、何度もみてきた壺だけど、全くその良さがわからなかった壺。作者の野々村仁清も知らない。ところが、サントリー美術館で現在行われている展示のコレクターのお一人、清明氏が子供の頃に、野々村仁清の香炉を買ってもらったことがきっかけて、コレクションするようになったという話でやっと知った。

 

藤・・・といえば、其一展で、藤の花に注目して見たりしてきたので、何か感じるものがあるかも・・・という期待があったのだけど・・・・

 

友人にあの壺、何がいいのか聞くと「平面に描くことと、ツボという曲面に描くことの違いがあるんじゃない? あとは、蔓の表現とか、花の描き方とか・・・」

 

そして音声ガイドを聞いたら、やはり蔓の表現について触れられていました。そして葉の葉脈。そこで、蔓だけをずっと追ってみたのです。すると、大発見が!  あの蔓は、つながって、うねうねしながら壺を取り巻いていたのでした。この展示の意味が、それでわかります。360度、周回しながら見る蔓がどうつながっていて、上下しているか・・・ そこに垂れ下がる房。5年越しでしょうか? やっと、この壺のポイントが一つ見えてきました。  

 

〇その他

・黒茶碗・・・

・松と月

北斎 美人画

・乾山・・・花の蓋物 型紙利用

伊勢物語・・・宗達 金雲

・鹿下絵・・・宗達  本阿弥光悦の文字  ずらし 

       料紙と文字のバランス

・床材 瓦?  旧日向別邸と同じ?

 

 

〇カフェレストラン オー・ミラド― 

予約可能。正直なところ、期待はしてなかった。結局、名前貸しでしょ・・って思ってたから。箱根のとある有名オーベルジュ。オーベルジュ をうたいながらシェフ不在。メニューを作って指導してあとはスタッフにお任せ。きっとここもそんなもんなんだろうって思ってた。

 

ところが・・・・ おいしい!  スタッフの教育が行き届いている。本気なんだ・・・  勝又シェフの姿が見えたそう。ここに常駐はしないと思うけど、オープン間もないからか、目くばせは、しっかりされている模様。

 

 

 ■(2017/02~03) [1月2月] 鑑賞簡単メモのリスト