・以下は、食べログの日記
〇建仁寺:④雲龍図 海北友松 描かずに描いた龍の姿をみつけよう(2016/03/25) より転載しました。
〇写真の(※)は自分で撮影したもの
■建仁寺 方丈にて「雲龍図」と出会う
〇「方丈」と「本坊」の位置関係
〇「本坊」で上映されているビデオ
上映されているビデオは、あえて見ませんでした。まずは鑑賞してから・・・と思っていたのですが、隣で《風神雷神図屏風》を写真撮影をしていると、そのような話が話が耳に届いてしまったのでした。
○ここにある絵は、本物ではない
○誰かが代筆したらしい
という先入観を持っての鑑賞となりました。
◆方丈:方丈(ほうじょう)とは - コトバンク より
■いきなり龍に圧倒される
廊下から襖の部屋に向かっていきなり飛び込んできた龍。なんだかよくわからないけど、迫りくる勢いに圧倒されたじろぎまました。
▲「なんだよ、お前ら・・・」とこちらを睨む(※)
ジロりとにらみつけられた感覚に襲われながら、右手を見ると、そこにはまた龍が・・・・
▲右側にも龍が・・・(※)
直角となった襖の間のコーナー部分に立つと、2匹の龍が対峙してにらみ合いをしている渦中に放り込まれた感じ。
▲コーナーの部分 龍に挟まれる(※)
ぞっとさせられます。さらに、このコーナー部分に座って見たら、2匹の龍の目の高さとあってしまい、襲い掛かってくるようで、身動きできない感覚に。
(※) (※)
■襖絵の鑑賞
〇絵の力? 自分の成長?
これって、何? ちょっと、すごすぎるんですけど~ 襖絵を前にしてこんな感覚を味わったの初めてです。
と言っても、まともに襖絵を見るのは、初めてかも・・・ いや、東福寺で5年ぐらい前に見たことがあります。確かそれは虎だったような。その時はよくわからないなあ・・・・ 襖絵とか、私にはまだ理解は無理だ・・と思った記憶が残っています。
襖絵や屏風は、虎や龍の絵で、見る者を威嚇するという意味があるということを、その当時、知っていたかどうかさだかではないのですが、(知らなかったかも・・・)その襖絵から威嚇されたという感覚は、全く記憶に残っていませんでした。ああ、虎ね・・・って(笑)と思った程度で、これはもう少し、勉強しないと理解できない世界だわ・・・と。
ところが、建仁寺のこの襖の龍は、出会いがしらのクラッシュのような衝撃。いきなりのけぞらされるような圧迫感。それは、この絵が持つ力なのか、5年という時間が、それを感じとることができるようになったのか・・・・
〇墨の色に誘導されて
廊下に沿う側の襖を再度、しげしげ眺めてみました。
▲龍の顔 ん? なんだね? とジロリ(※)
こちらの龍の顔は、よくよく見ると、襲い掛かるというよりは、様子伺いをしている感じがします。
そして、顔の右上方向の黒い墨、とげのような部分に目が移ります。↓
▲顔の右上部分は鱗?(※)
この黒い目立つ墨に導かれるように目を移していくと、爪があります。
↓ ↓
▲ 上部の黒い墨が目立つ (※)
一番、右端の襖の角あたりには、妙な黒い突起が、唐突に描かれていて、なんなんだ? と思ってよく見ると、龍の胴体だということがわかりました。
↓
▲右上の黒い突起 これも鱗・・・(※)
その瞬間、雲に隠れて見えなくなっていた龍の姿が浮かび上がり、巨大龍が4枚の襖いっぱいに描かれていることがわかったのです。
▲龍の全体像 手前から勢いよく吹き上げる風 ↑ (※)
もうびっくり、びっくり。濃い黒の墨で、点々と描かれたものは何なんだろうと思ったのは、巨大龍の胴体の一部をチラ見せし、この4枚の襖、全体をめいっぱい使って描かれていることを示唆していたのです。
雲間に隠れながら、ところどころの切れ間から覗いていた体の鱗、爪それを順次、アイキャッチできるよう黒々と描いて点在させ、「何だろう・・・」と思わせながら、最後に龍が飛び出す。それらが一続きにつながった時の驚き。
さらには、隠れた雲の中に潜む体のうねりを追うと、自分が感じていた龍の大きさをはるかに超えた巨大化した龍が現れる。龍の体は、左から2枚目と3枚目の襖を突き抜けて戻ってきていて、画面をはみ出してる?
いや、左側にも胴体があるけど、これはどうつながているの? 途方もない構図の妙に、クラクラして目まいをおこしそうになりました。
そして、左側の襖の下部に目を移したら、おどろおどろしい雲の間から、ヌゥ~っと突き出した鋭い爪。その爪に止めをさされたような気分です。
▲最後にヌゥ~っと現れる爪にドキッ!(※)
その上部は、何もない空間なのに、ここにもきっと何かが潜んでいる。そんないわくに満ちた空間が表現されています。▼
▲何かが潜んでいそう・・・(※)
【追記】2017.05.01 何もない空間に流れる墨のあと
この部分に何かを感じて撮影をしていました。日曜美術館にて、日本画家の土屋禮一(れいいち)氏によるとこの部分は、龍の背景に流れ落ちる墨のあとなのだそう。友松は偶然流れた墨のあとを絵の一部として取り込んだとのこと。わざと狙ったものではなく、偶然おきた現象を見方につけて効果的な技法として活用したということ?
しかし、なんとなく、ここには何かある気がする・・・・ という直感がズバリ命中!
〇東京国立博物館 - 1089ブログ 龍が二龍になりましたより
ところで、ふつう日本の絵は、画面を寝かせて描くのですが、この「雲龍図」は、立てかけて描かれたようです。あちこちに水気の多い墨が縦方向に流れているのが分かります。
それから「画龍点睛」も。龍に命を吹き込む瞳は、丸い点「●」ではなく、力をこめ二画ではねた「∨」で表されています。
ここにも立てかけて描かれたことが解説されていました。また龍の目がV字であることは気づかなかったのですが、いろいろな龍を見た中で、目の玉はどこに入れるのか・・・・ということに着目をして昨年、龍図を見て回ったのですが、この龍の目に一番ひかれました。
龍の画のなかで、この龍がいちばん引き締まった表情をしていてカッコいい、と私は思うのですが、その理由のひとつはこの眼にあるでしょう。丸い瞳では、可愛くなってしまうでしょうし。龍が巻き起こす大気の描写もすばらしい。とても力強く、龍が現れた瞬間を劇的に演出しています。ともかく墨の色が深く、濃淡の諧調が美しいのです。ぜひ実作品の前に立って、これらのことを確かめてみてください。
これまで見た龍の中でぴか一だと思うのが、海北友松のこの龍です。もともと、こんな人、知らない・・・ 建仁寺に飾られた襖が、デジタルコピーだということもわからず、なんだかわからないけど、この人すごい! って思わされた初めての人です。単に自分の知識のなさによるものだったのですが、画家の知名度によらない作品の見方ができるようになってきたと実感がでいた一枚でした。
〇開館120周年記念特別展覧会「海北友松」を見に行くリン♪ |より
山本研究員:この絵は縦2メートル、横13メートルあって、もともと建仁寺大方丈(おおほうじょう)の礼(れい)の間を飾っていたものなんだ。
礼の間は入口に1番近い場所にあるから、入るなりこの絵が見えたら凄い衝撃だよね。
龍は仏教の守護神とされているから、禅宗寺院で多く見られるよ。
ちなみに「龍は雨を呼び、虎は風を呼ぶ」と言われているから、龍と虎はペアで描かれることも多いんだ。
(略)
山本研究員:この龍は阿吽形(あうんぎょう)になっているんだけど、トラりんは気付いたかな?
本当に入るなりの龍のお出迎えにはびっくりしました。虎が風を呼ぶそうですが、虎は描かれていませんが、風を起こしています。この襖の外に虎の存在までも感じさせようとしたということでしょうか?
阿吽形になっている・・・というのは気づきませんでした。そういえば、これも阿吽・・・と聞いた作品がありましたが、どの作品だったか失念。絵の中の「阿吽」というのは、一つのキーワードになりそうです。
〇有名、無名の違いは何?
この空間構成を見ていたら、大観の朦朧体は子供だましにすぎないじゃない! と思ってしまったのでした。
何も知らずに初めて見た絵なのに、これだけ心動かされて、いろんなことを感じさせられました。その一方で、あの有名な横山大観の富士の絵は、全く心を動されなかったという事実・・・・
しかしこんなに素晴らしい絵を描いた人がいるのに、なんで全然、知名度がないの? 気の毒すぎませんか? なんだか、ちょっと腹立たしさにも似た感情が沸き起こってきたのでした・・・(笑) こんなに優れた絵師を知らなかった自分に対しても・・・ そしてそれを、伝えようとしてくれない美術界に対しても・・・
(↑ のちにこれは単に自分の興味のなさに伴う、情報のひっかりがないだけだったことを知りました。
開山・栄西禅師 800年遠忌 特別展「栄西と建仁寺」 2014年3月25日 ~ 2014年5月18日
風神雷神が、過去にいつ展示されていたのかを調べていたら上記で、展示されていたことを知りました。そして海北友和の龍雲図のことを調べてみると、この企画で展示されていたことを知った次第です。まあ、考えてみたら2014年というのは、風神雷神もよく知らなかった頃です。海北友松を知るよしもありませんでした。)
〇さらに追い打ちをかけるように襲い掛かる龍
これだけでも十分すぎるというのに、直角方向から、襲い掛かろうとする龍。
▲戦闘モードでかみついてきそうな龍(※)
こちらは、龍の頭からつながる胴体のうねりで体の大きさを伝えています。
さらに、一番右の襖の中の中央あたりで、カーブを描きながら、左右の足(?)を広げたことがわかると、さらに龍が大きくなります。
▲この黒の部分だけが目に入ります よく見ると爪? (※)
体のうねりの先端は、雲の中に消えているのですが、この消失は、襖の奥行き方向に向かっているので、画面が立体的になって、龍を巨大化させる効果を出しています。
とてつもない空間構成に、ただただ、恐れ入りましたとひれ伏してしまう感じ・・・・
▲胴と爪の部分アップ(※)
■これが印刷だった!?
〇模写かと思っていたら
しかも、これは、本人の作品ではなく模写なんでしょ・・・・そしたら現物はどれだけってこと?
模写する人の力量も相当なもの・・・・本物とレプリカをいかに見るか・・・・レプリカだって充分すぎるくらい、再現できて伝わると思ったのでした。
筆の勢いというのが、私にもわかる気がしました。この絵を誰が代筆したのかはわかりませんが、本物じゃなくったって、力量のある人が描けば、ここまで再現できるってことなんだ・・・・
本物を見たらさぞかし・・・しかし、その本物を描いた海北友和という人をこれまで知らなかったなんて。ひいては、その代筆をした人となったら・・・・
この絵は代筆・・・・
横山大観よりも、ずっとずっと、代筆者の方が、技量が上だって思ったのでした(笑)
〇紙の質感
近寄れるだけ近寄って、筆の筆跡、紙の古さ、質感を凝視してみました。この紙の質感だって、再現されているわけでしょ。この滲み、掠れ、傷、そういったものまで再現されていて、時間を経過して、今ここに存在しています。と言ってるみたい。どう見ても本物に見えてしまいます。
〇ボタニカルアートで学んだ紙の質感
以前、ボタニカルアートのセミナーを受けた時に、本物の紙を触らせていただいたことがありました。本物をさわった感触は手が覚えている。いざ、購入する時に、偽物をつかまされそうになっても、一度、触った経験があれば、本物かどうかの判断ができる・・・と言われたことがあります。
それにしては、その紙はきれいだったという印象がありました。参加していた方に、「○○○年前の作品の紙を、あんなにいい状態で保管できるものですかね」と話した時に、「あれは、きれいすぎ・・・・ 他でも見たことがあるけども、あの状態は、どんなに保管状態がよかったとしてもありえないと私は思う」と言われていました。私も同意で、しかるべきところが主催したセミナーでしたが、そういうこともあるのかも・・・なんて思ったことがありました。
この襖に触れることはできませんが、まじまじと紙の質感など凝視しました。本当に古い時代のものそのものに見える再現性。これは絵師の力でそれが表現されているのか、あるいは、紙を作った人たちの力なのか・・・
どの部分も、リアリティーがあって、本人が描いた現物と言われたら、信じてしまいます。
そして最後の解説を読んで愕然としてしまいました。
〇筆で描いたものじゃない!?
すっかり、「代筆の絵師が描いたものと思って見てきました。その技量のすばらしさに感じ入っていたのですが、なんと、キャノンのプリンターで印刷されたものだったのです。
どう見たってこれが、プリンター印刷の作品には思えません。プリンターが、ここまで進化していることに驚きを禁じ得ません。キャノンという会社、その技術力に、見方が、がらりと変わりました。
俺たちはここまでできるんだぞ!
あの龍は、そう語っているようにも感じられました。
〇【参考】⇒○キャノン綴プロジェクトとは より
正式名称:文化財未来継承プロジェクト
キヤノンならびに特定非営利活動法人 京都文化協会が共同で行っているプロジェクト。日本古来の貴重な文化財の高精細複製品を制作し、オリジナルの文化財をより良い環境で保存しながら、その高精細複製品を有効活用することを目的。
制作後、寄贈、各地で一般公開が行われ、貴重な文化財を多くの人々に間近に鑑賞。また、日本の歴史・芸術・文化を伝える生きた教材として教育の場でも活用。従来のデジタルアーカイブの考え方から一歩踏み込んだ、新しい試み。 多くの人に日本古来の貴重な文化財と接する機会を提供、新たな日本文化の再認識へとつなぐ。
■「レプリカ」という技術が伝えてくれるもの
〇レプリカは劣るのか?
精巧にできたレプリカは、劣るなんて全然ないと思いました。安全のために、京都国立博物館で表装にされて、丁寧に保管されている襖。その時点で、襖の状態で見ることができなくなってしまったわけです。しかし、こうして再現させてしまう技術力って、本当にすごいと思わされました。
最後の最後に、この絵を描いたのが、海北友松だということがわかりました。
▲雲龍図襖 海北友松 (※)
海北友松がいかに素晴らしい絵師かを理解したのですが、その絵を、ここまで再現してしまった、キャノンという会社の技術に当てられてしまったというか、よくぞここまでの作品に再現してくれました。と、作者に向ける敬意と同じくらいの気持ちを、このプロジェクトに対しても、抱かされたのでした。
桃山画壇の主流といえば、永徳、山楽を代表する狩野派であるが、その中でも当時は異彩を放ち、近世障壁画史にも多大なる影響を与えたのが海北友松である。友松にとっても、一世一代の大作と目される作品が建仁寺方丈に描かれた障壁画全五十面であり、内八面が雲龍を画題としている。雲龍図は虎図とともに室町時代に頻繁に描かれた画題である。幅広い画面に、龍を力強く配置しており、暗雲は色の濃淡のみで表現されるに対し、龍は闊達な描線が駆使されている。火難災厄から免れると神格化された龍を題材に、友松の練達された画境を示している。
〇美術品とは何か 本来あるべき姿とは?
美術品は、美術館にうやうやしく掲げられて見るものではない。本来のあるべき姿がある。国立美術館の《風神雷神》を見て思ったので、ここ建仁寺に訪れてみました。思わぬダークホースが登場した気分です。
陶板の《風神雷神》には、だまされませんでした。しかし、《龍雲図》にはすっかり騙されてしまったのでした。
やっぱり、ビデオを見てから鑑賞しなくてよかった・・・・こういう騙される面白さの醍醐味を、奪われてしまうところでした。
そして大観自筆の富士山よりも、何も知らずに見たキャノンのデジタルプリント画に感動してしまうという現実。なかなかシュールな状況です(笑)
■一度、リセットしてから鑑賞を
これから訪れようと思っている方は、この日記を読んでしまったために、せっかくの、楽しみを奪ってしまうことになってしまいすみません(笑)
でも、記憶なんてあいまいなものなので、一度読んでいても、結構忘れてしまうものです。しばらくほおっておくと次第に記憶から消えていきますので、行かれる時は、一旦、リセットして、さらの状態で鑑賞することをおすすめします。
行けそうもない方、一足先に見たい方は、動画にて・・・・
⇒○綴プロジェクト よみがえる建仁寺50面の障壁画
〇レプリカという先入観を取り払って見る
描かずして描く・・・・画家
その姿に圧倒されます。さらりと見ただけでも、龍の顔は何かを語り、感じさせられるものがあります。しかし、さらにじっくり見た者にだけ、その全貌を表すという表現法。絵とじっくり、向き合った人にだけに与えてくれるプレゼントに思えました。
「うわ~、すごいね~」 と言って、通りすぎてゆく人を何人も見送りました。
もう少し、立ち止まって、ここに座って、じっとみつめていたら、面白いものが見えてくるのよ~って心の中でつぶやいていました。
じっくり見ようとしているご主人に、「どうせ、これ、複製なんでしょ・・・」と言って、ちゃんと見ようともせずに通りすぎていった奥さん。
「最初に、これは複製・・・・どうせ偽物・・・」と目もくれようとしないのは、
「あなたの人生、すっごい損をしていると思うわ・・・・」(笑)
この筆の表現、紙の材質、その他もろもろをプリンターでこれだけ再現するってことが、どんなに大変なことか・・・・ それを、最初から見ようとせずに、決めつけてしまうと、いろんなものを見逃してしまうのでは?
と余計なお世話なことを、と心の中でつぶやいていたのでした。
この龍の凄さ、それにもっとすごいことに気づけたわ・・・・(笑) おそらくこの構図の妙にまで気づいてみていく人、そんなに多くないと思う。これは、私だけの宝物・・・と思って満足したのでした。
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昨年(2016年)の3月に始めて知った海北友松 その海北友松が、今年、京都国立博物館にて特別展覧会「海北友松」が行われるというのも何かの縁のような気がします。デジタル画像でも感動させられた「雲龍図」 本物はいかばかりかとぜひ、見てみたいと思っています。ぜひ京都に行きたいと思っているのですが、実現なるか・・・・