手塚治虫の「火の鳥」連載70周年を記念し、東京シティビューで「火の鳥展」が開催された。この展覧会を通して手塚治虫という漫画家や「火の鳥」という作品に対して持っていたイメージやその変化、作品を通して考えたこと、学んだことの個人的な記録。
これまでの学んできた歩みをふりかえりつつ、「火の鳥」に触れたことで新に見えてきたことや広がった世界などを書き留めておく。
- ■手塚治虫漫画とのかかわり
- ■「火の鳥」の構造を知る
- ■プロローグ 第1章から
- ■火の鳥のとらえ方の変化
- ■「火の鳥」からの学び
- ■手塚治虫は神となって現れ昇天
- ■「エントロピー増大に抗う動的平衡」の意味をやっと理解
- ■追記
- 〇(20250428)生命誕生と宇宙のつながり
- 〇(20250428)「納得する」こととエントロピー増大の法則の関係
- 〇(20250428)俯瞰視点で監修者を眺める
- 〇(20250428)同じ言葉の解説を、同じ人がどこを対象にしたかで異なる
- 〇(20250529)一定量を超えた時におきる相転移
- 〇(20250531)精度向上の裏の弊害
- 〇(20250529)火の鳥の最終話予測 火の鳥の下には…
- 〇(20250529)さなぎが蝶に 人が即身仏に
- 〇(20250529)『火の鳥』「休憩」が伝えていること
- 〇(20250602)「休憩」の書き直しの意図
- 〇(20250602)作品の年表づくり
- 〇(20250606) 禅の修行と相転移
- ■福岡伸一関連インタビュー
- ■その他
- ■脚注
■手塚治虫漫画とのかかわり
〇世界に通用する漫画の神様
「漫画の神様」と崇められ日本のみならず世界にその名が知れ渡る漫画家。医師資格を持つ異色の経歴。その経歴から制作の根底には「命」や「生と死」「生きる」といった命題のようなテーマが流れていることが想像される。
〇幼少期の記憶
子どもの頃に見た手塚漫画は「鉄腕アトム(1963)」「ジャングル大帝(1965)」「マグマ大使(1966)」 心躍らされながら見ていたていたという記憶はないが、習慣性があり視聴していた。その後の作品を見ることはなかった。
1971年「ふしぎなメルモちゃん」放送。見てはいなかったが、親が「性に関する表現が問題で中止になった…」と話しているのを聞くではなく耳にした。当時、その意味を理解できる知識はなかったが、子供心に強く刻まれた会話だった。
のちに医療の道に進み、あの時、手塚治虫は医学を学んだ者の矜持として、子どもたちに生まれること、その仕組みや意味を伝え性教育の意図をもって描いたのだと理解した。
〇手塚治虫、ドキュメンタリー
1985年、NHKで『手塚治虫 創作の秘密』が放送された。その再放送(2008年頃?)を見て、漫画制作に向かう手塚治虫の姿が強烈に印象づけられた。当時、クリエイティブな活動をする人たちのアイデアの源泉や発想法に興味があった。
自身も模索していた時期で、手塚の根源にあるものやそれに向かう姿勢を目の当たりにし、天才と言われる人の生き様に強く充てられた。作品への興味も喚起されていて、メルモちゃんのことも思い出した。しかし実際に読むには至らなかった。
〇手塚治虫、再認識
時を経て2025年「ブラックジャック」や「火の鳥展」が開催される。生や死、生きる、命、輪廻転生、再生、などがテーマであることは想像ができる。この機会にぜひと思っていたがブラックジャックは逃してしまった。『火の鳥』は絶対に見逃してはいけないと思った。
〇動的平衡と芸術や文学 そして火の鳥へ
さらに今回の企画は福岡伸一さんの監修で「動的平衡」の視点を加えている。これは私の興味のど真ん中である。美術作品を見るようになり、福岡氏が折々で、絵画の中に見る「動的平衡」について語る講演を聞いていた
「科学と芸術の融合」を書籍や講演会を通して語っていた。科学の中でも「生命科学」を取り上げて芸術の関係を唱えていた。
私も学生時代、人の代謝を学び、その仕組みの奥深さを知った。代謝という化学反応が絵画の中にも存在するというのは衝撃だった。
私の人体の学びのスタート地点に「糖代謝」が存在している。糖の代謝によって作られるエネルギー(ATP)によって人は生かされている。そのエネルギー生産ができなくなった状態が死を意味するということを美術に触れたことで理解した。
体の中では、分子レベルで物質が分解され合成される。そのプロセスは身体の状態に応じて平衡を保っている。ホメオスタシスもバランスを保つ平衡の役割を担う。人体は実に複雑で精緻な仕組みが存在するという学びは医学を通して学んでいた基礎知識だった。
美術に触れるようになって代謝によって生産されたエネルギーが、人の活動に様々な形を与え発露させていたのだと理解した。様々な方向に変換させるその一つが芸術活動。作品制作や演奏活動、さらに人によっては運動という形になって表れる。執筆など様々なことに向かう根源的なものは、代謝によって作られたエネルギーがもたらしている。
分子レベルの分解合成(=代謝)によって作られたエネルギー。それは生きることの根源的なものという理解に至った。
エネルギーの生産は、単に体を動かすだけのためではない。また「動的平衡」の裏にある「人が生きている」ということの意味のようなものが繋がった。
手塚治虫の漫画を媒介にした創作活動。その根源的な力は、動的平衡によって作られたエネルギーによって維持されていたと理解ができる。
〇文学にも広がる動的平衡
さらに「動的平衡」は日本の古典『方丈記』の中にも存在している。日本人は精神的なマインドとして昔からその感覚を持ち合わせている。「ゆく川の流れは絶えずして…」は「動的平衡」を象徴的に表す言葉。
科学の世界の動的平衡を理解できなくても、感覚的な理解は可能。常に変化していて、それはバランスの上に成り立っている。
科学と芸術の融合のみならず文学までもむすびつく。これまで閉ざされていた扉が開いたと感じた。科学も芸術も文学もそこに境界は存在しない。絶えず流れがあって新しいものが入り込み変化しながら入れ替わっている。不変的に独立しているのではなく、お互いに行き来し変化しながら世界は成り立っていると理解した。
〇人体の仕組みや構造と方丈記
養老孟司さんの解剖実習では、方丈記を延々と解説すると聞いた。そこに何の意味があるのか、そんな講義をされたらたまったもんじゃないと思った。恩師も同じ流れを組み文学部出身の解剖学者で、授業の進め方の難解さに苦められた。解剖学と方丈記。この話を伺ってやっとその意味や意図を理解した。
方丈記の根底には、生物学の原則もある。「ゆく川の流れは絶えずしてしかももとの水にあらず」これは福岡伸一さんも『動的平衡』の中で同様のことを語られていた。
— コロコロ (@korokoro_art) 2021年12月18日
〇手塚治虫は動的平衡を意図していたのか
手塚治虫が火の鳥を書いた時代、「動的平衡」という概念はあったのか?福岡氏の後付けによるものなのか。また福岡氏の「動的平衡」のとらえ方も一般的な科学のそれとは違うような気がしている。火の鳥が描かれた1960年代後半の科学の知見と、火の鳥の中で提示されている手塚治虫の科学の視点との関係に強く興味を持った。
福岡氏が講演で語っていたことがある。科学も歴史を学ばなければいけない。どのようにしてその理論が生まれたのか。時代背景、プロセスを知ることが大事。
福岡氏の「動的平衡」にはどんな歴史があってどのように変化したのか。手塚治虫は未来的な科学の知見を先取りしていた。当時の科学からそれを予測することは可能だったのか?手塚治虫が示した現代の科学と当時の科学を比べてみたくなった。
→福岡伸一の「動的平衡」と手塚治虫「火の鳥」 - Google スプレッドシート
(groc3 のまとめをリライト)
■「火の鳥」の構造を知る
火の鳥を読まずに今に至る。どんな内容でどれくらいの長さなのかなど基本情報を全く知らない。第1章「生命のセンス・オブ・ワンダー」では作品の構成や構造が紹介されていた。
〇「火の鳥」の構成
作品は「紀元前」から「西暦3000年を超える未来」時空を超えた壮大な時間が流れている。物語の舞台は「邪馬台国」から「宇宙のかなた」。しかも時系列に並んでおらず、大過去と大未来を交互に往復しながら、その振幅がだんだん小さくなって収斂していくという構造をとっている。
このナビゲーションは非常にありがたかった。これを知らずに展覧会を見たら、大混乱をおこし作品を味わうことができなかっただろう。何がなんだかさっぱりわからない状態に陥って終わったかもしれない。
『火の鳥』ってどんな話?と聞かれた時、皆さんはどう紹介しますか?
— 【公式】手塚治虫 「火の鳥」展 (@HINOTORIex) 2025年3月19日
主要12編が過去・未来と交互に発表され、その間隔が収束して、現代編が描かれるはずだった未完の大作で...と全容から入るか、〇〇編がおすすめで~と入るか...
皆さんの紹介術をお聞きしてみたいです👂️#火の鳥 #火の鳥展 pic.twitter.com/Zjg9G81zSy
私はこの図によって救われたと思った。
〇等尺の時間軸でとらえる
私が物事をとらえる時、「時間軸」を基本とする。バラバラに提示されたものは自分で時系列に並べ直してからでないと理解ができない。時間が宇宙時間にまで及ぶと、直線的に表すことはできなくなり対数を用いる。それでも表現には限界がありそれを補う手法として「螺旋」で表現するということを知った。それでも、時間を直線的な感覚に変えて、長さや距離として捉えなおす作業が必要だった。
〇宇宙時間は螺旋で表される
弥生時代から西暦3404年へ一気に時空が飛ぶ。時間の振幅を交互に繰り返し現代に収斂する様子は螺旋だと思った。この螺旋は竜巻に見え、宇宙創造の新たな考え方「カオス理論」が浮かんだ。蝶の羽ばたきによって竜巻がおきる(自己組織化)。その概念と重なった。
福岡氏は次のように語っていた。
出典:生命はすべてを手渡し、つないでいく。福岡伸一とAKI INOMATAが「火の鳥」から考える「人と生き物の関係」 | ARTICLES | ARToVILLA
〇手塚治虫の頭の中
火の鳥のスタートは1967年。この時点でこの壮大な物語の全貌が、手塚治虫の頭の中に存在していた。「宇宙の形成」と「意識の形成」は同じ仕組み。手塚治虫の頭の中には宇宙の成り立ちと同じ「カオス理論」によって、ここまでの洞察を得て導き出していると思った。その事実をどのようにとらえたらよいのか混乱していた。
■プロローグ 第1章から
プロローグや1章に提示されたものは、これまでの私の興味と重なるものが多かった。
〇一手塚治虫からのメッセージー
「火の鳥」一生と死 『COM』 1967年2月号より抜粋
このパネルを見た瞬間、みなとみらい駅のエスカレータに掲げられていた詩が浮かんだ。ここには私の「知」の歴史が埋もれている。
初めて見たのは「移動しないとされる植物が動物の行動を利用して別の場所に移動している」という新たな進化の仕組みを知った時だった、まさにその話が詩が表現されていて、こんなことが詩になるんだとタイムリーな出会いだった。
その次は、この詩がドイツの詩人フリードリヒ・フォン・シラー(1795年)によるものだとわかったこと。のちにシラーはベートーヴェン第9番(1824年)の作詞者であることを「クリムト展」(2019)で知る。その後、第九が初演され200周年(2024)に、またこのパネルを見た。
そして2025年、火の鳥展で示されたパネルを見た瞬間、このパネルが頭の中に浮かんでいた。
この壁面は、進化の仕組みを表していると理解した。シラーは新しい理論、進化論(1859年)を詩で表現しようとしたのだと。レオナルドが人体構造や科学を絵画で表現しようとしたように、詩でも科学を表現することが可能なのだと思った。
ところがダーウィン(1809‐1882)は、詩が書かれた1795年には生まれていなかった。『種の起源』は1859年、詩はその64年前に書かれている。詩人の直観は、進化の概念をすでにとらえていたことに震えた。
真理や本質の探究、表現する手法は様々な形があることがわかってきたが、それを媒介する優れた人物は、時代の知見を超えて伝えてくる。1000年後を見据えた若冲、進化論をとらえた詩人、シラー、現在のwikiphedhiaのネットワークを頭の中に構築していた南方熊楠。そして未来の世界を予言した手塚治虫。
今年は、この壁面は詩ではなく手紙であること、そして現代アートだったことを知った。(デンマーク王子アウグステンブルグ公にあてた手紙「美学的なことに関する書簡27号」の中で詩を抜粋したもの)ここに書かれたドイツ語について様々な考察がされており、原文との不一致、訳の違いなどの指摘もあるようだ。またこの壁面はパブリックアートで、ジョセフ・コスースという美術家による⦅モノリス⦆という作品だったと知る。ということは、この詩は表現者の解釈やアレンジが加わっていることも考えられる。
そして手紙の内容の裏に込められていることを、実際には書かれてはいないのだが「贈与」という言葉で表わし読み解いている方がいた。「贈与は受け取ること」私たちは生まれ持って自然界から贈り物を受け取っていると解釈されていた。⇒みなとみらいのモノリス|ジェイロウ
⇒地下からクイーンズスクエアの地上につながる長いエスカレータ。その前にそびえる壁に刻まれたシラーの詩。時間にすればわずか1分。それは、宇宙と生命の神秘を体感できる時間。
「火の鳥展」で「プロローグ」に掲げられた一枚のパネル。そこからイメージされたみなとみらいの壁面。調べると両者の奥深いつながりを感じた。
福岡氏が語る「手渡す」(後述)とも同意ととらえることができる。その裏には「自然界からも贈りもの」として手渡されているという意味もあると理解ができた。
さりげなく提示されたパネルは語ることなくメッセージを投げかけた。監修者はじめ、スタッフの知性や教養が手塚治虫と同じ世界に思えた。
〇バレエ 火の鳥
手塚治虫はバレエ「火の鳥」にインスパイア―され作品が生まれたという。火の鳥の精が宇宙的だったと語っている。音楽やバレエ、その主役の中に感じられる宇宙…
「なぜ鳥の姿をさせたのかというと…ストラビンスキーの火の鳥の精がなんとなく神秘的で宇宙的だったからです」
出典:火の鳥(休憩)より
ストラヴィンスキーの三大バレエ音楽とは耳にするが、それがどんな曲かを知らない。おそらく近代音楽、現代音楽という耳馴染みのない音楽への拒絶があったと思う。手塚治虫は新しい音楽に対しても受け入れる柔軟さがあったのだと感じた。
途中から、耳慣れた音楽が流れてきた。この曲だったのか…
10:46 Infernal Dance of King Kashchei / 魔王カスチェイの凶悪な踊り
これもまたタイムリーなことに近代音楽の作曲家「ラベル」に関する音楽講座を受けていた。これまであまり好みではない音の響きと思っていた楽曲の中に美しいメロディーが存在し、ラベルとは思えない楽曲も知った。同時代のストラヴィンスキーへの敷居が下がり始めていたところだった。
■火の鳥のとらえ方の変化
〇見る前の「火の鳥」の印象
医師免許を持ち、哲学的な問いを作品を通して伝えてきた。そんな手塚治虫の創作活動から「火の鳥」が何を表そうとしているのか概略的なことは、なんとなく伝わってくる。漏れ聞こえるワードからも、輪廻転生、生まれ変わり、生きとし生けるものの平等、永遠の命といた言葉は思い浮かんでいた。
そこに加わった「動的平衡」。こちらも聞きかじりの知識だがなんとなく概要はイメージできつながりも感じていた。
絵画の中に見える動的平衡によって、メタ視点は宇宙からの視点であり「火の鳥」の俯瞰視点なのだろう。歴史をさかのぼっていけば宇宙の始まりにつながる。作品の大枠的な概略はなんとなくつかめていたかもしれない。
〇ざっくりと見て感じた「火の鳥」
宇宙が形成され、連綿と流れてたどり着いた今、それが未来へと続く。そこでは破壊と再生が繰り返され、終わりのない物語が続く。
はたと日本の歴史や文化と重なった。長く続く歴史の裏には、破壊と再生が常にくりかえされてきた。伊勢神宮の式年遷宮の仕組みがその象徴ではないか。20年ごとに「破壊と再生」をくりかえしながら今に至る。
能や歌舞伎などの伝統芸能の継承は「変化」にあると言われる。それぞれの時代に適した新たな試みを通して継続され引き継がれてきた。変化に適応する力。順応は生物が獲得した進化の機能。それは文化にも適用されている。
美術や音楽、歴史も既存の価値の破壊によって再生され、継承されてきた。すべての事象の根底に流れる本質的なことを「火の鳥」を通して伝えようとしているのだと思った。
〇受け継がれた形質、マーカーとしての鼻
「火の鳥」の存在が「破壊と再生」を各時代で様々にかかわり持ちながら表現されている。他の登場人物にもその役割が与えられており、時代を超えて再生(転生)されている。
各編に似た役割の人物が登場したり、死んでしまった人物が別の編で転生して現れるといったつながりがある。こうした世界観の構築が、手塚治虫が生涯をかけたライフワークだったというのは頷けますよね。
出典:生命はすべてを手渡し、つないでいく。福岡伸一とAKI INOMATAが「火の鳥」から考える「人と生き物の関係」 | ARTICLES | ARToVILLA
その中の一人、特にビジュアル的に興味を引いたのが、膨れあがった鼻を持つ猿田彦だった。時代によって名前や役割が変わるが、連綿と続く歴史の中に送り込んだ「マーカー」のような存在だと思った。
この鼻は「痕跡器官」ではないかと思った。生物の進化をとらえる一つの考え方で、それは工芸品や考古学にも応用されている。正確にいうなら「相同器官」なのかもしれない。
壮大な物語の軸となる「火の鳥」そして「猿田彦」。 生物の器官が持つ特徴が時代を超えて現れている。そこに通る一本の軸は何を表現しようとしているのか。各時代の部分と全体との関係、どんな物語の流れの中に存在する軸なのか自分なりに理解したいという欲求が生まれた。
〇「次の世代に手渡す」 何を?
「自分の生命を次の世代に手渡す」と福岡氏が語る。
「死」も、自分の生命を次の世代に手渡すという意味で、利他的なことなんですよ。
出典:ルックスを超越した美しさ──そこに宿る生命の輝き【「火の鳥」展を通して福岡ハカセと考える、生命と美:後編】 | Vogue Japan
手渡すものの一つに生物学的な形質も含まれているのではないか。登場人物の鼻という器官の形を後世に手渡す。それは遺伝的な意味も含まれるが、科学とはまた違う何かを込めているのではと思った。
ブツブツの大きな鼻は、人間の醜さの象徴のようで、その形態の原因は蜂に刺されたり腫瘍だったり生まれつきだったり。人の命を軽んじ殺生を行うとその報いの結果として現れているよう。欲望や醜さの象徴で、その結果、人生に彷徨い続けたり子々孫々にまで業を背負わされたりと常に過酷な運命に翻弄される猿田彦として描かれる。
〇「壮大」を超える物語
壮大な時間の物語というだけでなく、そこに盛り込まれている世界は一般的に想像される「壮大」という枠をさらに上回っていた。「火の鳥」制作のきっかけがバレエであり音楽だった。そして宇宙の成り立ち、生命誕生、古代の神話、世界史、日本史、そこには歴史編纂へのアンチテーゼを込め強者、弱者の論理を伝える。古典文学・絵画、伝説などあらゆる世界が注ぎ込まれていた。科学のあゆみ、進化、クローン、AI…
そして今、動的平衡 エントロピー増大 宇宙生命 へと広がった。
〇見聞きした歴史がある
義経、弁慶、藤原といった歴史上の人物。大河ドラマ「鎌倉殿の13人」や「光る君へ」で得た知識とつなげて観ることができた。縄文や弥生、古墳時代など、展覧会を通して知ったことともつながる。
方丈記を想起させる物語の文脈、鳥獣戯画や仏師が登場し「美とは何か?」という最近の個人的な命題も網羅しているかと思えば…
宇宙の成り立ちや「フラクタル構造」「カオス理論」「意識のはじまり」といったことが絡み合いあって内包されているのを感じた。
歴史の編纂は強者の論理で書かれ、脚色も加わりながら今に至る。編纂後も、能や歌舞伎などの文化によって伝説が広がる。この「火の鳥」もそんな伝説を上書きしているということを初っ端から見せられて呆然とした。
〇最新の科学の知見を1960年後半に語る
さらに驚いたのは次の「未来編」だった。ここには宇宙誕生の歴史が描かれ、最新の宇宙理論とされている「カオス理論」を彷彿とさせた。他にも「フラクタル構造」「バタフライエフェクト」なども想起させられる。
また宇宙の形成から、次に続く生命誕生の根源的なことまで描いている。これは、私がラスコー展を見たあと、かなりの時間をかけてやっとたどりついた「宇宙の成り立ち」であり「生命誕生との関係」だった。
科学を学びながらも、自分が学ぶ世界とは違う世界の話で目から鱗だった。しかし違う世界ではあったが、そこには「元素」という接点も存在していた。そんなことを子ども向けの漫画の中で示していたことに驚愕した。
下記は、火の鳥にみる「エントロピー増大」「フラクタル」「カオス理論」が各編においてどのように描かれているかをgroc3のまとめをもとにリライトしたもの。
→火の鳥 エントロピー増大・フラクタル・カオス理論の関係 を- Google スプレッドシート
■「火の鳥」からの学び
〇子どもの頃に出会えた人
この漫画を子どもの頃に触れ、読んでいた人たちへの羨望の念がおきた。手塚治虫がライフワークとして描いていた作品。全精力を傾け、未来を担う子どもたちへ壮大なメッセージを残そうとした。受け手はそれを理解していなくても、リアルタイムで手元に引き寄せていた人たちをうらやましく思った。
この作品を幼少期に見ていた人たちは、今、この展覧会や作品をどのように捉え直しているのだろう。このトルネードのような構成を理解して読んでいたとは思えない。部分、部分のエピソードがそれぞれの頭のどこかに残り続けているのだと思う。そこに新しい何かをキャッチした時に突然のように結びつく。そんな瞬間を経験をしているのではないかと想像された。
〇今、出会った人
私は子どもの頃に出会えなかったが、2025年の今、この時期に出会えためぐり合わせには感謝したい。そして70年後の今という時代に行われたことの意味も大きいと思う。
自分の学びが少しずつ深化してきた。手塚治虫が提示する世界の表層部ではあるが、なぞることができる状態になっている。全くわからないと拒絶という方向に向かう。そうならずにすんだことをうれしく思った。
読んだことがないという知人に紹介したところ、興味を持ち訪れてくれた。べースとなる知識の違いを感じた。私は歴史の基礎がないため、過去と未来が往復する構成に加え、過去の時系列にも混乱していた。それを整理するのに時間を要した。
一方、基本の歴史が身についている人は、その混乱がないことがわかった。途中に未来が入ってきても、ベースとなる歴史の知識の上に、物語の時間が乗るという感じで流れているようだった。
その代わり、動的平衡との関係については「そういうとらえ方もあるのね」と流す程度だったという。講座で出会い、科学や人文の両方に興味を持たれている方だが、基本の軸の違いを感じた。
また直観的に感じたことをもとにして、過去の知識を取り出したり新たな知識を取り入れたりしているそう。いずれにしても手塚治虫の守備範囲の広さと深さにはうなっていた。
〇動的平衡のパネルをじっくり見ている人
会場に掲げられた福岡氏の動的平衡のパネル。こちらの見方が人によって興味の度合いが違うのも面白かった。その中に3人組で、一行一行読み、これは何を意味するのか、どういうことを言いたいのかを話し合い理解しようとしているグループがいた。会話に加わりたいと思いながら近くに寄ったり、離れたりして見ていた。
〇学びの背景
人それぞれに学び方の傾向というか癖のようなものがあると気づいた。自分の学び方の特徴、癖がある時から見えた。学びの基本は解剖学によってもたらされていたこと。
「ミクロ・マクロ」「部分・全体」「局所・系統」「細胞・組織・臓器」という観察によって系統化、構造化していくことが解剖学の学びの中にある。最初は「ミクロ・局所」の観察からスタート。次第にミクロが集まると、そこに同じようなまとまりをみつける。
それらは全体の中のどの部分なのか。そこにはどんな流れ(系統)が存在しているのか。部分と全体との関係性は?と「ミクロとマクロ」「局所と系統」の間を行き来し始め、行きつ戻りつしながら理解をすすめていく。「マクロ・系統」という視線で俯瞰しているのは、火の鳥の視点に通じているのではと思った。
「火の鳥展」も最初は原画を見たり、あらすじや登場人物をスポットとして見ていた。次第にそれらが集積してくると、共通項が浮かびあがる。それらは時間の流れの中でどのように展開しているのか関係を模索しようとした。そうなると、物語全体の流れが把握できるマップのようなものが欲しくなる。
〇井の中の蛙
医学の一端を学び、科学を学んできたと思っていた。しかし科学の世界は無限に広がっていた。当たり前といえば当たり前のことだが、遠く手の届かない領域からは遠ざかってきた。また医学を学んだといってもそれはごく限られた範囲の学びにすぎないことをのちになって理解した。
病気のメカニズムをもとにした学問であること。細菌学も病気の原因となる細菌を中心に学ぶ。正常叢の知識はほぼないことに気づいた。同じ真菌類なのにキノコは教科書には記載されていない。一部の狭い範囲しか見ていないということだった。
医学を学んだことで、手塚治虫が言いたいことが伝わってくる部分もある。しかしそれとはまったく違う深淵な世界も広がっている。以前ならそれを見せられたら拒否反応を示しただろう。
〇興味という架け橋
「全てはどこかでつながっている」という学びは、人体構造を通して学生時代に得ていた。しかしジャンルを超えた学びにつなげることは困難だった。興味という橋渡しがないとそちらに渡ることができない。
やっと違う世界への橋も見えるようになってきたところに手塚治虫が現れた。彼が提示する世界と遭遇するタイミングとしてはベストの時期だったと感じている。
橋を渡り、その先にある糸を手繰り寄せたら、敬遠していた世界も近づいてくる気がしている。医師免許を持つ手塚治虫が提示することには、共通の学びも含まれる。とはいえ、そこからの深淵な広がりは、手の届かない世界だとこれまでなら引き返していた。今、このタイミングだったからこそ、少しずつ引き寄せられる気がする。
〇長い物語をじっくり読み時間軸でとらえる
手塚治虫は、SF作品をほとんど読み、歴史的な知識も豊富。科学だけではない哲学や倫理、宗教にまで世界を広げて提示する。長い物語をじっくり読み大きな時間軸をとらえることが真の教養だという。
得た知識を教養に変えるためには、自分の中に「時間軸」を構築して歴史を紐解き、解き明かすことだと福岡氏は次のように語る。
「知識はいろんな形で知ることができますが、単なる物知り博士に終わってしまわないためには、『火の鳥』のような時間軸を持った物語に親しむことが大事だと思います。明確な時間軸に沿ってさまざまな知識が統合されているので、いろいろなものがファスト化されて、瞬時に消えていってしまう今の世の中で長い物語をじっくり読むことの大切さがあると感じます。知識を教養に変えるために、『火の鳥』はかっこうの教科書です」
出典:「火の鳥」展の構成明らかに、主要12篇を800点以上の原画&資料で追う(会見レポート / イベントレポート) - コミックナタリー
意を得たりと思った。もともと、物事を時系列に並べなおさないと理解ができない体質(?)だった。自分の思考の変化も時系列でとらえ流れを確認してきた。そのため年号を併記する習慣があった。
時系列に整理するには膨大な時間を要する。意味のないことをしているかに感じることもある。しかし無駄ではないという確信に支えられていた。
様々なジャンルで時系列に整理しなおす習慣は美術展から始まった。そんな継続が、手塚治虫の足元へ引き連れてきてくれたのかもしれない。
今、「動的平衡」と「フラクタル理論」「カオス理論」「バタフライ理論」についてAIの助けを借りながら年表にしているところ。そこに「モナド思想」というキーワードが加わり哲学方向への橋をかけた。
「編」と「時間軸」「登場人物」をマトリックスで系譜のようなものを作ろうとしていたら、こんな秀逸な相関図がすでに制作されていた。
■手塚治虫は神となって現れ昇天
「漫画の神様」と言われる手塚治虫だが、人間の形の殻を被った神だったのかもしれないと思った。頭の中を想像してみたが人知を超えていると思った。当時の科学ではなかなか想像しえないはるか未来を予測している。
(これは「太陽編」で狼の皮をはられたハリマに通じるかも?ハリマの元をたどると産土神だった)


現代の世界に、一時的に降臨した神がまた昇天し天に戻る。
(7世紀の日本で産土神と崇められた狗族が迫害を受け頭部が狼に変化、新仏教が台頭する。時代を経た21世紀には、光と影の宗教対立。影のボスとなってまた現れた。宗教も破壊と再生を繰り返すことに重なっている?)
さなぎが変態し蝶になって飛び立つ時、内部は一度、ドロドロとなって破壊されることにも通じる。
そこに火の鳥が永遠の命、生まれ変わることができる血を注ぎ込む。人間の面をつけて降臨した神(手塚治虫?)は、火の鳥とともに宇宙のかなたに飛び立っていった。
手塚治虫を突き動かしてきた根源的なエネルギーは、エントロピー増大の理論で崩壊しバラバラになって宇宙の空間に飛び散る。この先のはるか未来のどかの時代に、転生して舞い降りるのかもしれない。
■「エントロピー増大に抗う動的平衡」の意味をやっと理解
〇調べてもわからない「エントロピー増大」
動的平衡、宇宙生命についてはなんとなく理解が及んだ。生物学的な変態、メタモルフォーゼとのつながりもわかる。ところが最後まで避けてきたのが「エントロピー増大の法則」だった。これまでもこのワードは何度か耳にしており調べたこともある。 ⇒何がわからなかったのか*2
よく乱雑さ、部屋の散らかり、コーヒーのミルクの広がりに例えられるが、その概念が理解できなかった。今回の展覧会でも「エントロピー増大」の部分はずっと避けてきた。ところが、ここまで来た今ならわかるかもしれないと思えるようになりヨビノリさんの動画を見た。
〇解説動画で理解
この動画によってやっと腹落ちした。物事の理解には、それぞれに合った言葉や解説があると思った。部屋の散らかりや、コーヒーのミルクの拡散という抽象的な解説では私には理解ができない。
数式は全くわからなくても、それぞれの条件を示し(閉鎖空間や断熱など)一つ一つを変化させながらステップを追った解説。全体を示しつつ、その中の一部であることを示していくというプロセスの提示があって初めて理解することができた。腹落ちするためには個々の中に理解のための回路というものが存在していることがわかった。(条件の設定、全体と部分、部分との関係や流れ、段階を追ったプロセスの提示があって理解に至る)
〇「エントロピー増大に抗う動的平衡」言葉を分解
「エントロピー増大に抗う動的平衡」という言葉を、当初一つのワードとして捉えていた。これを次のように区切り、「形容詞(主語+述語)+名詞」ととらえ直し補足することでその概要を理解できるようになった。
ある条件下では、エントロピーが増大するという熱力学の第二法則がある。(この法則は熱力学における法則で、与える条件によってさまざまな反応がおきる。そんないくつかの法則のうちの一つであったという理解ができていなかった)その条件下では不可逆的反応を示すので、拡散した粒子は戻ることはない。
ところが、そのエネルギーに拮抗する作用を及ぼしているのが「動的平衡」であると言葉を補うとその意味がやっと見えてきた。そしてその動的平衡こそが「宇宙生命の象徴」と繋がった。
〇手塚治虫が描きたかったこと
ということで、手塚治虫が最期に描こうとしたしたのは…
人間の殻をまとった手塚治虫が死を迎えた。それは動的平衡によって作られていたエネルギー(ATP)の生産がストップしたことを意味する。そのエネルギーは、一定条件の閉鎖空間では増大するというエントロピー増大の法則に従っているため、宇宙空間にちらばり放出される。これらの放出されたものは本来は、不可逆的なため戻ることはない。
ところが、宇宙に散らばった元素が、地球上に集まって生命を育む。これがエントロピー増大の法則に逆らった動きをする動的平衡によっておこっている。
これは未来編で「コアセルベート」(生命が誕生するゲル状のもの)として描かれ有機物が集まる原始の海が登場する。その中には生命の起源である元素(ビックバンによって作られた)が含まれている。それらの元素によって生命誕生(DNAの形成)が始まることに重なる。手塚治虫の死によって拡散されたエネルギーの粒子は、終わりのない循環、再生、転生の繰り返しの元となり、永遠に続くという理解に至った。
手塚治虫は復活し再生、転生して未来のどこかにまた舞い降りてくるのだろう。
■追記
〇(20250428)生命誕生と宇宙のつながり
ラスコー展の時、猿からヒトになったのは? その前は…と遡っていくと原始の海にたどりついた。そこに含まれている元素からDNAが作られ生命は生まれた。その元素は宇宙からやってきたことをつきとめた。それは生命誕生と宇宙が結びついた瞬間だった。
そのことがわかるまで科博に何度も足を運んだ。その時にやっと得た知識が「未来編」の中に登場。「火の鳥」の奥深さを目の当たりにし魅了された。最後、また冒頭で衝撃を受けたコアセルべーとに戻った。これも循環なのかもしれない。
もし子どもの頃に「火の鳥」のここを読んていたら。すぐには繋がらなかったと思うが、それに気づいた時の驚きは計り知れない。その驚きを味わいたかったという思いを強く持った。しかし、今、未来編を見てその学びとつなげることができたことをうれしく思う。
〇(20250428)「納得する」こととエントロピー増大の法則の関係
・動機や欲求の源はエントロピー増大の法則? - white croquis
「納得する」という認知を「脳はエントロピー増大の法則に従って、 常に安定状態(平衡状態)に向かおうとする」結果と仮定した考察がされていた。
これによって見えたこと
粒子が拡散し散乱したした状態(一般的にはこれを不安定と感じてしまう)を、熱力学では平衡が保たれている安定した状態ととらえる。(これ以上「散乱」しないし、もどりもしない安定ととらえる) 熱力学における「安定」の意味に対して、一般的の理解は、バラバラに拡散して「不安定」というニュアンスでとらえるキャップが理解を阻害してきたことがわかった。
言葉がもつ感覚的なイメージと、物理学上の言葉の意味の違い、そのため理解を妨げていることが見えた。熱力学を学んだ人は、この理解をすでに超えたところにいるため、一般の人のわからない原因が見えない。そのため会話も相容れなくなる。
⇒(AIはこうした言葉が持つそれぞれの意味を、大規模に取得が可能となったことで、言葉に対するそれぞれの感情的な理解も飛躍的に進んだ。その結果、さまざまな人が持つ感情的までもとらえているかのようなふるまいをする。)
〇(20250428)俯瞰視点で監修者を眺める
「火の鳥」が示した俯瞰視点。これを今回の監修にも適用してみると…
監修者が唱える「動的平衡」について懐疑的な指摘(→) これは以前からも漏れ聞こえていた。あるいは生物学界隈からのまなざし(→)。
それはメディアに頻繁に登場し、大衆へ迎合する医師や脳科学者へ向けてきた視線にも通じる。自分自身もかつてそのような眼差しを持って見ていた。
その一方で、科学だけでなく美術や哲学、歴史など学際的な横断に導く力も求めるようになった。その橋渡しをしてくれる存在が目に入るようになる。解剖学の養老孟司さんや、三木成夫などにも同様な視線が送られていた。賛否は必ずおきる。その両方を見ながら判断する。三木のスピリチュアル方向へと向かう解剖学には疑問を抱いたこともある。しかしそれはそれとしてスルーし、自分の興味の広がりになればよいと思うようになっていった。
個における軸足の移動なのだと思う。語る側も変わるし見る側も変わる。かつては軸足は絶対に動かなかった。それ違うでしょ… でも人は人、私は私、人が考えることに対してはそういう捉え方もあると思うようにして処理してきた。
しかし、自分の軸足も移動させてみてみる。そしてまた戻る。そしてまた別の場所へ移動させるという学びの変化がおきた。その移動をその時々でどこまで動かすのかは自分の中の線引き。いろいろなポジションから眺めてみることを心掛けていたいと思う。それは、今回、火の鳥も伝えようとしていることの一つだと思った。
〇(20250428)同じ言葉の解説を、同じ人がどこを対象にしたかで異なる
「エントロピー増大と抗う動的平衡 = 宇宙生命の象徴 」この副題に関する解説を見直した。やはりそれらの解説では私には理解できないと思った。福岡氏は、一般にもわかりやすい言葉や例えを使って概念的に語る。それを聞いて伝える側は、その意味を真に理解している・いないにかかわらず、提示された上辺の言葉を使って解説する。まるでわかっているかのように…
⇒ (わかりやすい説明というが、わかりやすいかなぁ…? 書いてる本人は理解してるのだろうか?上辺の言葉上の理解でわかったと思っているだけではと思いながら)
⇒ (主催側も福岡理論をどこまで理解できているのだろう。ここも言葉上の理解に留まるのではないか。親子だらって理解できてるわけではないと思うし…)
ある程度、基礎知識があると、その言葉は抽象的に感じられてしまいかえって混乱する。そうなのかな?違うこともありそうだけど…
これは科学の世界の前提条件をもとにして考えるという基本回路が作動してしまうからなのだと思った。そのあたりのとらえ方の違いが「わかる」「わからない」を分ける要因なのかもしれない。
言われたことをそのまま「そういうものとして自分に理解させる」のと「違うんじゃない?」と別の状況を考えてしまう。その疑問が納得できるまではずっとモヤモヤをかかえてひきずっていく。
(このモヤモヤ状態を、これまでは「乱雑」ととらえていた。物理学の世界では「乱雑」なのではなく(熱力学の第二法則では)「安定」ととらえるということらしい。ここに感覚的ギャップが存在している。この状態に粒子がたくさんつまり全体に広がる。これを「乱雑に広がりきった安定状態」つまり「平衡状態」と考えればよいのかな?と思いながらも閉鎖空間に外部から入ることは可能なのかと思っていたり)
下記は福岡氏による「エントロピー増大は宇宙の大原則」について科学を扱う番組で一般向けに解説されたもの。「秩序あるものはすべて秩序ない方向にいこうとして逆らうことができない」と。このような説明では、秩序あるものって何?「全て」っていいきっちゃっていいの? 秩序が保たれることも場合によってはあるんじゃない?と思ってしまいモヤモヤが残る。
一方、下記の動画で言われている概念的なことは理解できるようになっている。「膨大な量の言語解析によってAIが飛躍」の部分は使っていて実感していた。それを自分の学びに置き換えると「これまでとは比較にならない広範囲の膨大な情報が入ることによって」と体験で得た感覚に通じる。
お互いに共通言語がある前提で語っているので福岡氏も一般に向けて話す時よりも饒舌で言葉に淀みがない。
また福岡氏は進化論に否定的という話をかなり前に目にしている。意味がよくわからなかったが、ここで語っていることだったのかな思った。また「利他的」は宗教的なニュアンスを感じていたため避けてきたが、ちょっと手元に近づいてきた。
知識や情報量がある閾値を超えると、これまでの理解の限界を突破できるという実感と結びついた。
〇(20250529)一定量を超えた時におきる相転移
「生成AIは生物になるのか」 かつての「コンピューターは意識を持つのか?」という問題にも通じる。宇宙のカオス状態から自己組織化、脳内でもそれと同じことがおきている。そして生成AIも膨大な言語データの取得、それがある一定量を超えた時に自己組織化をおこす。計算によって自然を表現する「デジタルネイチャー」も同様。
学習投入量が10の24~26乗になると推論能力があがる。スカスカ状態では何も起こらないが満たされるとからみあうように言語体系や構成を作る。(大規模言語モデルは画期的なパラダイムももたらした)相転移を起こすには量が一気に変わる。あるいは定常状態の転移によってもたらされる。
生物も物質のちらばりだけでは生物にはならないが、紐づきが次の紐づきをもたらす。遺伝子の鎖、単語や言葉などの類似性。情報のまとまりを作るとそれは転がり続ける。離散化したあとの紐づけがおきる。そのあとに、ダーウィンの進化論で説明のできな仕組みが語られた。
閉鎖空間という条件で知識の増加はどうしておきるのか?という疑問も、「定常状態の転移」で解決した。
「火の鳥展」について様々な視点を加える。監修者に対する否定的な見解。主催者、それに携わる人々の福岡理論に対する理解とその深度。展覧会開催へのストリーづくり、難しいテーマを一般に届けるための戦略や広報のタイミング。それをどんなメディアで提供するか。この展覧会の内部で起きている動的平衡のようなものが見えてきた。
ある時点から展覧会への視点が飛躍的に広がった。様々な方向からこの展覧会が浮かびあがってくる。見た人の受け止め方も、バックボーンの違いによる差も明らかにした。科学の基礎や思考は、抽象的な問いではなく、限定条件を与え、それを変化させながら深化させていくという無意識のプロセスを身につけていたことにも気づかされた。AIの答えは、問いのレベルや質に応じて調整し、そのちょっと上あたりの答えを返してくる。
その間、AIでは取得できていない情報もあった。こちらから提供することでさらに深化する。手作業がAIを超える? 取得できない理由もその都度探る。個が発する問いからの探索が漏れていたり、拾い上げることができないパターンも見えてきた。それによってAIの今、現在の特性、限界も見えた。大規模言語モデルは絶対ではない。漏れも生じるのが現状。
「火の鳥展」を通して、AIの進化を感じつつ、宇宙の形成、生命の形成の根源的なものと共通性を見ていた。
〇(20250531)精度向上の裏の弊害
解答精度を上げるため、質問を限定的にするとそれに関する深度は増すが、基本情報の取得の優先順位が下がり、重要なポイントの見逃しがおきる。人が総合的にバランスをとりながら全体と部分を行き来するのに対し、回答は迅速性が最優先される。そのため最も重要と思われる基本情報が二の次という弊害がおこる。
〇(20250529)火の鳥の最終話予測 火の鳥の下には…
火の鳥最終話と「休憩」との関係をこれまでに言及した人はいたのか?
2018年に、福岡氏と全く同じことを考えていた人がいた。
へろん&しろのつれづれブログ 手塚治虫「火の鳥」 - 完結編の構想
そして最後の一コマでは、手塚治虫本人の遺体を表しているのではないかと思われる、布に覆われたものから、火の鳥が飛び立とうとする姿が描かれています。
〇(20250529)さなぎが蝶に 人が即身仏に
蝶の標本の横の解説で紹介されていた部分。これも「破壊、再生」の象徴的なシーンだと思った。この部分は「火の鳥」のどこで描かれたのか?やっとわかった。
「鳳凰編」(AIより)
我王が奥州平泉の国分寺で、即身仏となった良弁僧正を訪ねる。良弁は生き埋めになり、飲まず食わずでミイラとなる荒行を行う。我王は良弁を見て、「人はなぜ死ぬのか」「なぜ生きものは死なねばならぬのか」と自問自答。
その中で、蜘蛛の巣に絡まった蝶を見ながら、「虫魚禽獣死ねば…どれもみんなおなじ!人が仏になるなら…生きとし生けるものはみんな仏だ!」と悟りを開く。
この「蝶」のイメージは、さなぎから蝶への変態(メタモルフォーシス)が「破壊と再生」を象徴していると解釈される。
即身仏へと変わる時、体内ではどのような動的平衡がおきているのか。というよりは、人が生命としての活動を意識的に停止させる状態。(エネルギー生産のために必要なものを断つ)それによる変化を、さなぎに例えている。芋虫が蝶へ、人が仏と転生。宗教における「輪廻転生」や「転生」を描いていると感じられ、最後の一コマとの連動を感じさせられた部分だった。
鳳凰編での描写
蝶が蜘蛛の巣にかかりポトッと落ちるのを眺める我王。良弁僧正とさなぎから羽化する蝶を交互に入れ替え対比させながら繰り返す。さなぎから蝶に生まれ変わった瞬間、良弁僧正が即身仏に。言葉なく静かに時間が流れていた。
⇒この描写からAIが導いた考察 *3
〇(20250529)『火の鳥』「休憩」が伝えていること
「休憩」は一度、COMで掲載されたあと(1971年)、7年後(1978年)に大幅カット、改変されて登場。手塚治虫は単行本発行の際にそのようなケースがあるという。
→1978年版の「火の鳥 休憩 INTERMISSION」は、『マンガ少年』(朝日ソノラマ)11月号にて発表。正式タイトルは『休憩 INTERMISSION 火の鳥 というタイトルでなくともよいというわけ』、3ページのエッセイ風短編漫画として刊行)
下記で2つの「休憩」の比較を行っている。
〇火の鳥 休憩|マンガ|手塚治虫 TEZUKA OSAMU OFFICIAL
火の鳥の制作を年表にした
手塚治虫は「休憩」で次のように語っている。
生き物が死ねばそのエネルギーは離れてまた空中に散らばる。
新しい個体が生まれればまた、吸収される。
「生き物が死ねばそおエネルギーは離れてまた空中に散らばる」
この言葉を、自分なりに理解できたエネルギ増大、動的平衡とからめて解釈してみる。死は生きていることによって生産されていたエネルギー(ATP)供給がストップすることを意味する。このエネルギーは死を迎えると「エネルギー増大の法則」に従い、破壊されて宇宙に向けて飛び散った状態になる。宇宙に向けて散乱したエネルギーというのは、人間界に存在する一般的なエネルギーとは違っており、想像しえない新たな「宇宙エネルギー」となる。
これは物理学の世界では、これ以上、広がらず元にももどらない安定状態を意味する。このエネルギーが充満した状態になると自己組織化という現象が起きる。この現象が生命の誕生で次の言葉となって現れた。
生き物という有機物質だけに吸収される。それが生きるという現象になる。
新しい生命の誕生という現象は、死によって宇宙に飛び散ったエネルギーがその命に吸収され組み込まれて再生、誕生することを意味している。
組み込まれた宇宙エネルギーは、過去の記憶を持っているため新しい命の中でその記憶が夢になったり、過去の記憶持つ少女のように呼び起こされる。手塚治虫が何度も同じ昔の記憶のような夢を見るのは、このエネルギーの記憶が夢の中に現れているということ。それが一般的に前世と言われているもの。
そのとき、前の生き物の肉体に大きな影響を受けていれば、それが夢や現実にナゾの思い出として現れるのではと…
そしてその真意をごまかすように自ら突っ込みを入れている。
そんな子供だましのデタラメな無意味な空想壁やめろ!
そう言いながら
「それが子供マンガだと思う」
と締めている。
参考:虫ん坊 2017年2月号(179):TezukaOsamu.net(JP)
第50回 『火の鳥』誕生と幻の結末に迫る
〇(20250602)「休憩」の書き直しの意図
手塚治虫「火の鳥」は、構想から30年以上かけて描かれてきた。途中、掲載誌の休刊や廃刊で休止状態となる。その間に、既刊作品を別の雑誌で書いたり、新たな連載が始まったり、この状況も「動的平衡」と言えるのかもしれない。
休止状態は表向きは停止していて「火の鳥」は変化していないように見える。しかし手塚治虫の中では、分解、合成が行われ常に変化がおきていた。物語は再生し復活。手塚治虫の思想を手渡して引き継ぎながらつなげていくという行為と同じだと思った。
途中、1971年に「休憩」を描いた。7年後、大幅カットし内容も書き直した。これは創作活動全体から見るとどのような時期で、再編までの間に何がおきていたのか。制作物を表で表し視覚的にとらえてみようと思った。この時間的関係が見えると、なぜ内容を大きく削り、書き直しをしたのかその理由の考察。福岡氏の考察に説得力を加えた。
〇(20250602)作品の年表づくり
【火の鳥掲載年表】
作品制作と「休憩」の関係を年表にしてみた。
【手塚治虫 年別作品制作状況】
1年毎の年譜にして時間感覚を直接的な感覚を伴うスケールにし、他の作品との関係、休止中の活動などを加えると全体の流れが見えてくる。
代表作、「ジャングル大帝」や「鉄腕アトム」が医学部時代に描かれた20代の青年期の作品だと知り驚いた。テレビはその15年後に放送されたものだった。
部分から全体、全体から部分へ、等尺のスケールに乗せると執筆期間や休止期間がわかりやすくなる。
表を作成して眺めるのが好き。AIが手伝ってくれるようになってかなり容易になった。なんでそこまでする? だから何? それに向かうエネルギーはどこから? でもしないではいられない。きっと前世に組み込まれた宇宙エネルギーの破片が再合成されたのだろう。ということでオチがついた。
テレビアニメは、物心つくかつかない時期の放送だった。記憶も定かでない頃にはっきり見たという記憶が残っている。鉄腕アトムの記憶が明瞭なのは、長期間、テレビ放送されていたから? 「火の鳥」をリアルタイムで読むのは無理な年代だったこともわかった。
【火の鳥「休憩」 短いエッセイ編があった】
火の鳥「休憩」 1971年に2月と11月、2度、刊行されていることがわかった。最初は、1ページの軽いエッセイで物語性もなく、あまり注目されていない。単行本掲載の際は付録的なエピソード扱い。ということがAI散策中にわかった。
そして、そのあと2編の「休憩」はいくつかの単行本に掲載されているかもしれないということらしい。
(⇒この表現は、これまでの経験から注意を要する。AIはディープな内容は、時間優先して回答するため、都度確認せず、すでに取得したデータから予測で語ることがしばしばある。そのため、これ以上調べるのはやめることにした。)
「休憩」はただでさえマニアックな領域。他のバージョンもあるかもというのは… と言ってる先から間違いが発覚した。
1978年版の単行本化は、19年後に初めて公開されていった。
「火の鳥展」が終わっても長い長い物語は続く。
〇(20250606) 禅の修行と相転移
禅宗で行われる座禅や、限界を超えた命ぎりぎりの修行。そこには別次元への導きや悟りがあると聞いた。これ「相転移」のことだと思ったし、エネルギー増大の法則からの動的平衡では?と思った。
水の変化も相転移のうち。と思えば、新しい知識や世界を知ったことで、自分のこれまでの世界観が変わる。というのはそんなに特異なことではないように感じた。
最近、いろんなことがいろんなところで繋がるということが、これまでにまして実感していた。建築の講座で禅宗寺院について学んだ。そこで語られた禅宗とは? それを理解していないと寺院建築の意味もわからないという解説。そこから、火の鳥の世界、手塚治虫が仏教思想をもとに描いたこと、エネルギー増大の法則と相転移がつながった。自分の中にも相転移がおこっていると感じた。
AIより
『火の鳥』では、登場人物が輪廻転生の中で苦悩や欲望に直面し、それを乗り越えることで新たな存在の状態(悟りや解脱)に至る姿が描かれる。
■福岡伸一関連インタビュー
〇AIが核戦争発動、絵空事か 福岡伸一さんが語る手塚治虫「火の鳥」:朝日新聞
〇手塚治虫の長編『火の鳥』から、いま学ぶべきこと:生物学者・福岡伸一が語る、その先見性と人類への“問い” | WIRED.jp
〇『手塚治虫「火の鳥」展』福岡伸一&真鍋真インタビュー「瞬間の躍動感は、今もなお惹きつけられるものがある ぜひ原画でその力を味わって」 | ガジェット通信 GetNews
〇生命はすべてを手渡し、つないでいく。福岡伸一とAKI INOMATAが「火の鳥」から考える「人と生き物の関係」 | ARTICLES | ARToVILLA
〇なぜ人間だけが老化と死を恐れるのか?【「火の鳥」展を通して福岡ハカセと考える、生命と美:前編】 | Vogue Japan
〇ルックスを超越した美しさ──そこに宿る生命の輝き【「火の鳥」展を通して福岡ハカセと考える、生命と美:後編】 | Vogue Japan
〇手塚治虫「火の鳥」展 ―火の鳥は、エントロピー増大と抗う動的平衡(どうてきへいこう)=宇宙生命(コスモゾーン)の象徴— が、来春東京シティビューにて開催 | バイリンガル美術情報誌『ONBEAT』
インターネット情報では時間軸がわからない。
■その他
〇火の鳥(手塚治虫):まとめ/全体のループ構造・ストーリー概要・世界観を把握しよう|(0) 序論 - GiXo Ltd.
〇410.福岡伸一「動的平衡」と現代美術のかかわり - 平らな深み、緩やかな時間
〇『火の鳥』各編解説まとめ:手塚治虫が描く命・死・進化のテーマ - 知る人ぞ知る本棚
〇虫ん坊 2014年10月号(151):TezukaOsamu.net(JP)
■脚注
鳳凰編:(奈良時代)仏師我王として登場。400年後の鎌倉時代にも。
異業編:(室町時代)鼻の癌を患い、治療を阻まれる。
残虐非道、欲深く戦好きとして描かれる。
太陽編:(7世紀 21世紀)21世紀 影(シャドー)のリーダーとして
生命編:(2156)ペルーのクローン研究所の助手の日本人・猿田。
鼻に悪性腫瘍ができ結婚が破談。自身のクローンをつくる。
火の鳥の子孫の試練を受け死亡。
復活編:(2482)猿田博士の若い頃として登場。
生命の秘密を探してロビタと出会い(未来編では助手)渡り歩く。
宇宙編:(2557)宇宙船乗組員猿田として登場。
愛するナナの恋人牧村が赤子の時に殺そうとする
火の鳥の呪いで牧村は死なない。
猿田は子々孫々、呪いで不死となった牧村は死なない。
未来編:(3404) 猿田博士160歳
ロビタが、「復活編」のレオナの成れの果て。
エントロピーという言葉を知ったのは、20年ほど前、カソウケンというブログだった。
→カソウケン(家庭科学総合研究所): 003*エントロピー増大の法則
ものが散らかるのは物理学の法則で自然に片付くということはあり得ないという話。その後もいろいろな場面で「エントロピー」が引き合いに出され現象の解説に用いられた。その度に調べてみるのだが、よくわからないで終わった。
今、何が理解を阻んだのか考えてみると… 「エネルギー」の概念をつかみかねていたのかもしれない。エネルギーには、いろいろな形がある(運動・光・電気・熱…)ということを、イサム・ノグチの石の作品から意識するようになった。エントロピーのエネルギーはどのエネルギーなのかイメージできなかったのだと思う。今回「熱」とはっきり提示されたことで分子の運動としてとらえることができた。また増大するといわれても、必ずしもそうではないんじゃ…という感覚的なものがあった気がする。
長年、結局、わからないでモヤモヤしていた「エントロピー」。この展覧会でも登場。何か理解につながるものがるのかと思いながらの鑑賞だった。20年の時を経てすっきりした。
- テーマ:輪廻転生と生命の循環
蝶が蜘蛛の巣にかかり落ちるシーンは生命の無常を象徴し、さなぎから蝶への羽化は輪廻転生を表現。良弁僧正の即身仏化と羽化の対比は、死と再生の連続性を示す。我王はこれを通じて生命の大きな流れを理解する。
- 我王の心理と成長
我王は蝶の死を静かに観察し、かつての暴力性から離れ、生命の無常を受け入れる。良弁僧正と蝶の羽化の交互の対比は、彼が個の死と普遍的な生命の繋がりを悟る過程を反映。静かな時間は無我の境地を表す。
- 視覚的演出の効果
蝶が蜘蛛の巣から落ちる「ポトッ」は無常を印象づけ、羽化と即身仏の交互描写は映画的カットバックで生命のサイクルを強調。静と動の対比(即身仏と羽化)が、深い感動と哲学的洞察を読者に与える。
- 文化的・宗教的背景
蝶は魂や輪廻の象徴、即身仏は自己犠牲と悟りの極致。無言の時間は禅の「沈黙の悟り」を反映。我王が目撃するこのシーンは、仏教的死生観を通じて生命の尊さと無常を伝える。
まとめ
このシーンは、蝶と即身仏の対比を通じて輪廻転生と無常を描き、我王の悟りの過程を象徴。手塚治虫の視覚的演出は、静かな時間とメタファーで生命の意味を問い、深い感動を与える。(groc3 20250601)