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コロコロのアート 見て歩記&調べ歩記

美術鑑賞を通して感じたこと、考えたこと、調べたことを、過去と繋げて追記したりして変化を楽しむブログ 一枚の絵を深堀したり・・・ 

■ミュシャ展を見て・・・民族のアイデンティティーとは何かを考えさせられた

ミュシャ展を見て感じたことは、自国の歴史についてでした。スラヴの歴史はもちろん、日本の歴史を知りません。その国に住んでいる人たちは、自国の歴史は理解していると思っていました。自国の歴史が描かれた絵を見たらみんな同じ思いにかられるのかと・・・しかしその国でも捉え方はそれぞれ・・・民族のアイデンティーについて考えさせられる展示でした。

 

 

 

■日本と世界の歴史観の違い  アイデンティティの違い

スラヴ叙事詩を通してスラヴ民族の歴史に触れ、日本人との歴史観の違い史実の違いを感じさせられました。この民族、この地域の人でなければ、スラヴ叙事詩に込められた本質を理解することは難しいのだろうと。同じスラヴ民族であれば、この絵を見れば、何が描かれているかが即座にわかり、どんな歴史を記録して何を言いたいのか、一目で理解できる。そこに込められたミュシャの精神を受け止めることができるのだろうと思っていました。それが民族に流れる血というものなのではないか・・・と。

 

ナチスドイツによる侵略 それによる反駁。フランスもドイツの占領下におかれ、弾圧を受けたという歴史により、マティスやルオーが立ち上がり、愛国心を啓発していました。ナチスが与えてきた影響は計り知れない・・・ フランスだけなく、スラヴ民族に対しても弾圧があった・・・・ 知らなかっただけで他にも、影を潜めている地域があるのかもしれない。弾圧を受けたのは、ユダヤ人だけではなかった。いくつもの国に同じような歴史が存在してたということなのか?

 

 

■カレル大学日本研科修士課程の学生のスラヴ叙事詩の感想

たまたまカレル大学日本研究学科修士課程の学生によるスラブ叙事詩の感想を目にしました。その感想に衝撃というかカルチャーショックを受けていました。それは、自分の言葉を持っているということ。感じたこと臆することなく語ることができること。それこそが、ミュシャ叙事詩を通して描いた「言葉の力」なのだと思いました。スラヴ叙事詩に通底しているテーマ。それを引き継いだ結果を見たような気がしました。

 

アルフォンス・ミュシャ「スラブ叙事詩」に挑む – プラハから日本へ より

私はミュシャの作品は非常にきれいだと思うが、スラブ叙事詩を初めて見たときあまり好きにはなれなかった。なぜかというと、その絵画は全然誠実ではないという気がするからだ。誠実ではないので、人間の心を動かせない。もちろんスラブ叙事詩はほかのミュシャが描かれた作品と同じように、高い技法で、装飾を凝らしているし、観覧者に印象を与える。だが、残念ながらこの絵画が好きにはなれない。王プジェミスル・オタカル2世の絵画も私にそう思わせる。絵画を見ると真ん中に腕を差し伸びながら立っているオタカルの姿が見える。その周りに同じ立ち姿でほかのスラブ王も描かれている。この中心的な場面は絵画の残部と比べて、薄い色で強調されている。王様が腕を差し伸びながら立っている立ち姿はリアリティがなく私に不自然な印象を与えた。この場面はボヘミア王としてオタカルの栄光を表わそうとしていることがわかるが、立ち姿さえ信じられないと絵画の全部をまじめに受け取られないだろう。ミュシャは技術で歴史を変えてみたかったが、そのため彼の絵画が誠実ではなくなってしまったと感じている。スラブ叙事詩展覧会の小冊子を読むと、スラブ民族の栄光や有名なスラブ人に対しての敬意については理解できるが、本当にその気持ちを実感することはできない。ミュシャは偉大な画家ではないとは言いたくないが、技術が誠実でないとどんなに偉大な芸術家でも、いい絵を作ることができないと思う

 

同じ民族同志であれば、当然のごとく、スラヴ叙事詩が語りたいことは、読み取れるのだと思っていました。しかし、そうではないことがわかりました。時代が変われば歴史認識も変わり、受け取り方も違ってくるのかもしれません。

 

 

〇カレル大学と、スラヴ叙事詩

予習する中でわかったのは、このカレル大学はスラヴ叙事詩の登場人物と大きくかかわっている大学だったのでした。創立したのは、カール4世(在位:1347年 - 1378年)で、パリで学んだ経験が、大学創設に影響を与え、教養ある君主として、ラテン語チェコ語フランス語ドイツ語イタリア語を自由に使うことができたそうです。のちにカール4世は、ボヘミア王カレル1世となりました。その時に側近だったのが、ヤン・フスです。ベーメン人とドイツ人との間の対立が激化する中、ベーメン神学者ヤン・フス学長を務めることに。彼の教えは、チェコ人の間に広まり、大学内に大きな亀裂をひきおこすまでに。ドイツ人は去り、ベーメン人が中心となったのですが、その中心人物がヤン・フス。だったのです。

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しかし、その異端的教義によってフスは焚刑となり、ベーメンではフス戦争が勃発します。

 

 

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ヤン・フスが火刑後、チェコ改革派の指導者と改革派司祭ヴァーツラフ・コランダがクジーシュキで説教をする場面(1419年9月30日)です。信仰を守るためには武器も必要と説き、フス派改革運動からフス戦争へと移行しました。

 

その後、ハンガリー王で皇帝だったジギスムント(ヴェンツェルの弟)がフス戦争を鎮圧。カレル大学に与えられていた特権は剥奪され、大学としての機能を終結します。

 

というように、スラヴ叙事詩で描かれる登場人物、ヤン・フスは、カレル大学の学長だった人物です。その大学に籍を置く学生がミュシャの絵を見ていだいた感想と思うとさらに興味深いです。

 

母校・・・それは、人を形成する上で、アイデンティティーを確立する場であると思われます。その創立者、歴代の学長を務めた人物を描いたミュシャに対して、負の感情を抱くものなのか・・・・ しかし、「自分の思うこと、考えることを表現する『言葉』」 その重要性を、民族が連綿と引き継いできた血なのではと感じさせられたのでした。

 

 

〇自国民が歴史を理解し共感しているわけではない

確かに日本人なら日本の歴史を理解しているかと言ったら、誰もがわかっているわけではありません。自分のことを考えたらそれはわかります。しかし、それは日本人特有な特徴で、「日本人は日本のことをよく知らない」と諸外国から指摘されます。そのため、他国は、自国の歴史や言葉について強いアイデンティーを持っているものだと理解していました。

 

 

チェコでのミュシャは・・・・

しかし、ミュシャは、制作途中から、表現スタイルが古いと言われ、しばし忘れ去られていました。1960年代は、モラヴィアのモラフスキー・クルムロフ城で、夏期だけ公開。しかし、それをわざわざ見に行くひとはいない状態でした。スラヴ叙事詩、全作品が日の目を見て常設展示されたのは、2012-2016年のこと。つい最近、5年前の話なのです。プラハ国立美術館 ヴェレトゥルジェユニー宮殿にて20点すべてが常設展示されました。全作品に光をあてる人がいたからこそ、実現できたのだろうと思われます。

 

プラハや、モラフスキー・クルムロフ城でスラヴ叙事詩を見た人が、現地で見た様子を書かれています。そこに人はほとんど人はいません。現地のチェコの人たちは、あまりそれに興味を示していない様子。(どこか岡本太郎の「明日の神話」と重なりました。日本人が受けた歴史の悲惨さを描き、作品の重要性はわかっているけどもあえて、それを立ち止まって見ようとしない)

 

一方、日本でミュシャのスラヴ叙事詩全作品が展示と話題になると、おしかけていくという何かずれのようなものを感じてしまうのでした。(と言いながら私もそのこぞってでかける一人なのですが(笑)) ミュシャという画家が置かれている現実が見えかくれしている気が・・・・

 

私もミュシャが好きなわけではありませんでした。だから、叙事詩を見て好きになれなったとストレートに語る学生がまぶしく思えました。ミュシャが好きで展示会に行く人が多いと考えられる中、私は好きではありません。と語ることは気が引けます。しかし予習をしながら、学生の感想を見て、チェコの学生も私と同じ気持ちを抱くんんだ・・・と思いを共有していたのでした。

 

 

■ぼやけた描き方 

ぼやけた描き方はなんなんだろう・・・  ある意味、手抜きのようにも感じられていました。(笑)  それが、学生が語った、「立ち姿さえ信じられないと絵画の全部をまじめに受け取られないだろう。ミュシャは技術で歴史を変えてみたかったが、そのため彼の絵画が誠実ではなくなってしまった」という感想に繋がるのかなと思いました。

絵の中では主要な人物であるはずなのに、描き込んでいない・・・・ それに対する違和感。この学生が語ったように、ミュシャを「誠実でない」とは思いませんでしたが、どういうことなんだろうとずっと、ひっかかりを持っていました。それは、学生さんの気持ちにシンクロしていたように感じていました。

ところが中心人物をはっきり描かない。その答えは、テレビの放送でわかりました。ミュシャは民衆にスポットをあてていたのだと。その解説で納得していました。

スラブ民族への敬意は理解するけども、その気持ちを実感できない」スラブ民族であると思われる学生が語っています。私も同様に感じました。表向きの表面上の描きたかったことは理解できます。しかし、その本質的なところは、日本人の私たちには理解できるわけがない。それはスラブ民族でないと無理なこと・・・ それが民族の血というものなんだと・・・

しかし、スラブ人さえも、ミュシャの描こうとしたことは理解できないと語っていたのです。日本人がこれを見て、ミュシャが描こうとしたものがわかるというのは、わかったつもりになっているだけなのではないか・・・・ そんな感想を、見る前に抱いてのミュシャ展でした。

 

 

ミュシャの表現について

学生さんが、誠実でないと語るその理由の一つは、「手」の表現ではないかと思いました。なんだか違和感があるのです。

技術が誠実でないとどんなに偉大な芸術家でも、いい絵を作ることができないと思う

恐れ多くてミュシャに対して、私は「技術が誠実でない」とはは言えません。でも、手の表現を見た時、これはどうなんだろう・・・と感じていました。以下の写真は、なんかへんだなっと感じたミュシャが描いた「手」です。 

ミュシャが素描として描いた、昆虫や植物は、それはそれは繊細でした。会場にも展示されていましたが、画像はみつかりませんでした。

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出典:『知られざるミュシャ展』① by そのリン|ワタシのイチ押し (´∀`)/

 

これだけの素描を描くミュシャですから、「手」だって描こうと思えば描けるはずだと思うのです。 手というのは、ある意味、民衆の苦しい生活を表すツールになります。また何かをつかみたいという意思表示でもあると思われます。ということは、これらの表現はわざとアイキャッチのために、このような描き方をしたのだろうか・・・と想像してみたり。

 

 

■何かをつかんだ手

こちらは最後の絵です。これを見た時に、一番最初に目に飛び込んできたのは、上部に描かれた人ではなく、下でのけぞって手を挙げている女性でした。

体を目いっぱいのけぞらせて、あふれんばかりの喜びを表現していています。これまで見てきた絵は、どこかどんよりとした空気が漂い、重々しさを感じられるものが多かったのですが、最後のこの絵で、初めてカラッと晴れわたった空気を感じさせられました。見ているこちら側の気持ちを、やっとすっきり爽快にさせてくれた気がしました。この手の表現も、何かを言いたげです。何をこの手の中につかんだのでしょうか?

ミュシャが画面の主要なポジションとなる部分には、ミュシャの息子、娘をモデルにすえています。この女性もミュシャの娘です。

 

 

■民族のアイデンティティーとは何か?

スラブ人に限らず、民族における共通のアイデンティティ「土地」であり「言葉」なのだと思いました。そして「名前」・・・・・

戦いによって奪われる「土地」 それに伴い剥奪される「言葉」。奪い奪われるという歴史を繰り返してきたスラブ人。スラヴ叙事詩には奪われた「スラブ語」を復権するというシーンが多く描かれています。言語がいかに、民族を支えているものなのか‥‥ 自国語で信仰を受ける。という当たり前のことがなしえなかった時代。言葉を奪われたという歴史を持つ民族の心。その一方で、言葉を奪った歴史を持つ民族・・・・

そんなことを考えていた時、日本人の歴史について思っていました。言葉を奪われたという歴史を持ってはいない。しかし、奪った歴史はある。名前までも奪っていた・・・・ 同じ日本の民族に対しても、言葉も奪ったという歴史がある・・・・ この一連の「スラブ叙事詩」を見て考えていたことは、スラブの歴史ではなく日本の歴史だったのです。

 

言葉を奪われるということを経験していない民族にとって、その本当の意味、つらさは理解しえるものではないはず・・・・  そして、他人事のように見てしまいますが、わが国もそれと同じようなことをしてきた歴史を持っているということ。自国民に対しても・・・ それを忘れてしまっていた。というか見て見ぬふりをしている・・・・

言葉を奪われ、名前を奪われる。それを行使するたちばとされる立場・・・・そんなことを考えさせられたミュシャ展でした。

 

 

■参考

girlsartalk.com

 

臨床心理士さんが、ミュシャアイデンティティにスポットをあてて、読み解いています。自身が受けた傷や痛みをどう受け止めるのか・・・ それはどこからくるものなのか。そしてどんな時代を過ごしたのか・・・  それは、歴史、文化と連動しているといいます。自我の確立・・・ アイデンティティーの確立・・・ 臨床心理士さんらしい視点だと思いました。

 

 

■追記:ミュシャの呼び方について

ラリック美術館で、「ミュシャとラリック」を見た時、スメタナの我が祖国「モルダウ」について調べていました。今は「ヴルタヴァ」とあえて、言い換えがされている。という強い印象を持ちました。ドイツに占領されていた当時の名前が「モルダウ 本来は「ヴルタヴァ」 なんとなくはそのことの意味を理解はしていたつもりでしたが、今回の展示を通してスラブの歴史を順を追って知ったことで、その意味がよりはっきり理解できたように思いました。母国の母なる川を何語で呼ぶのか・・・  日本人にはあまりピンとこない問題のようだと。

 

そして今回の展示では、ミュシャ「ムハ」とあえて言い換えています。鑑賞した多くの人が感じているようでした。主催者が従来のフランス語の発音「ミュシャではなく、わざわざチェコ語の「ムハ」で表記した理由・・・・ その真の意味がやっと理解できた気がしました。「スラヴ叙事詩」全編に流れる民族の栄光と挫折の歴史。そこに常によりそう問題であった母国語のスラヴ語との関係。民族のアイデンティーにもつながる言語について考える入り口の一つとして、「ムハ」と読んだのだろうと・・・・ スラヴ語の復権、言葉を取り戻す・・・