コロコロのアート 見て歩記&調べ歩記

美術鑑賞を通して感じたこと、考えたこと、調べたことを、過去と繋げて追記したりして変化を楽しむブログ 一枚の絵を深堀したり・・・ 

■1 帷子川散策 記憶と歴史の交錯:横浜駅~西横浜駅

相鉄線とともに流れる帷子川。子どもの頃から、走る車内からその光景を見てきた。ふっと気づくと、知らぬ間に大きな変化をしている。これまでの断片の記憶と、車窓から見える断片的な光景。河口から上流に向かて歩きながら昔と今をつなげてみることにした。

そのきっかけとなったのは…

・横浜都市発展記念館の「運河で生きる」の展示だった。→*1 

・そこには帷子川沿いの生活をとらえた一枚の写真があった。→*2

展示は過去から現代に至る時間の流れが、歴史として記録されていた。その瞬間を自身が体験として記憶していたことに感慨深いものがあった。地元のロカールな川だが、ラッコが迷い込み全国的にも知られるようになった。過去に自身が経験したことは歴史の一場面であること。なんとなく気になっていた帷子川の謎を知りたくなった。

またこれまで様々な場所を散策をしてきたが、そこから見えてきたこと、調べてわかったことなどが、一気につながり出す実感を得た。馴染み深い帷子川の歴史を掘り起こすことで改めて浮かびあがる暮らしや土地が持つ過去、現在、未来。それらを眺めながら、これまでの探索とも紐づけし記録に残す。

まとめ方のコツや、観察していて気づいた共通点を【散策からのメッセージ】兼ねてからの疑問は【帷子川の謎】として、備忘録的に盛り込むようにした。今後の散策に役立てたい。

散策を始めてから折々で状況をXにポストしていた。最初に訪れた印象というのは、流れや歴史が統合される過程で忘れてしまいがち。それらを脚注に埋め込んで残すことにした。橋の基本情報や歴史などは 橋の概要 横浜市西区をはじめとする行政関係のデータを参考にしている。

 

 

 

■帷子川水系マップ

帷子川は相鉄線に沿って流れている。電車の利用者は、車中からその様子を見るとはなしに眺めていて無意識のうちに川沿いの景色が記憶されている。相鉄線利用者にとって帷子川はなじみ深い川といえる。2002年にはラッコのタマちゃんが迷い込み、横浜市が住民票を与えたことでも一躍有名に。一気に全国区に踊り出た歴史も持っている。

車内から見える帷子川周辺や、実際の帷子川を横浜駅から上流に向かって散策してみる。下記のマップは相鉄線の駅を黒丸で表し、帷子川にかかる橋を青丸で示した。

MAP:帷子川の水系と橋 横浜駅から星川駅までの帷子川沿いの橋を青丸、相鉄線の駅は黒丸で示した。

 

〇帷子川上流(横浜駅~星川駅

①平沼橋 ②平岡橋 ③沼野橋 ④鳥帽子田橋 ⑤尾張屋 ⑥水道橋 ⑦天王橋 ⑧帷子橋 ⑨古町橋

 

〇帷子川河口部(横浜駅~横浜港)

①帷子川線路下 ②万里橋  ③築地橋  ④はまみらいウォーク  ⑤みなとみらい橋

 

◎帷子川水系 全体のイメージ

帷子川分水路

出典:横浜市の総合治水対策 横浜市

 

■帷子川について   

水源:旭区若葉台付近 
河口:横浜港に注ぐ 全長17kmの二級河川

 

【名前の由来】
かつて北側の河口部沿岸がなだらかで、片側だけが平地だったことから「片平(かたひら)の名が起こり、それが「帷子」となったと言われる。

 

【歴史】
・江戸時代:帷子川河口には舟着場があり、潮の干満を利用した舟運の拠点として、商人が薪や炭を江戸方面に送るなどにぎわいを見せた。

・明治時代:絹のスカーフの輸出が急増、港に近い、水陸の交通の便が良い、清流、豊富な水量などの理由から、帷子川周辺に染色工場が集まる。

・河川の利用:最終工程で、布の余分な染料やのりを落とすため、川の流れを利用して水洗いする作業に利用。流れ出した染料で川も七色に変わったと言われる。

 

【河川改修】

以前は、川の蛇行が激しく度々氾濫、。「暴れ川」の異名があった。近年、河川改修や分水路の整備が行われ治水対策が進んだ。河川改修に伴い公園の設置、帷子川護岸の整備を行い、一体的な親水施設ができ周辺住民に親しまれている。 (参考:保土ヶ谷区HP)

(アンダーラインは、散策からの気づきに影響している歴史的背景)

 

 

■散策の方法

相鉄線の駅を適宜、区間分けし、帷子川にかかる橋をマーカーとしながら周辺情報を紹介。横浜駅から上流へ向かう。区間はその時の状況に応じて決める。今回は赤い破線で区切った➊横浜駅から➌西横浜駅を紹介。

 

■帷子川:➊横浜駅~➌西横浜駅 

◎帷子川の橋と相鉄の駅

まずは横浜駅から西横浜駅方面に向かい帷子川沿いを歩く。橋ごとに周辺情報を整理。

横浜駅(➊)から西横浜駅(➌)の区間、橋は次の5つ。横浜駅から上流に向かって周辺散策しながら歩いた。

①元平沼橋 ②平岡橋 ③沼野橋 ④鳥帽子 ⑤尾張

参考:橋の概要 横浜市西区   西区の橋 横浜市西区(イラストマップあり)

 

①元平沼橋

横浜駅西口界隈から相鉄線平沼橋駅へ続く道路に架かる橋。横浜の歴史を物語る由緒ある橋でもある。平成17年6月に新しい橋へと架け替えられた。

①元平沼橋より上流方向を望む(①元平沼橋→②平岡橋方向)   

 

◎元平沼橋付近のマップ

 

【歴史】①元平沼橋 

開港当時、開港場から東海道へ抜ける主要道路として、野毛山を切り通しにした。石崎(現敷島橋)から芝生(現浅間下)まで一直線に土手を築いたのが「よこはま道」だ。元平沼橋は「平沼橋」と称され、この時造られた橋のひとつだった。当時の橋の姿は浮世絵にも描かれ、現在は橋のたもとに設置された「よこはま道」の解説案内板でも見ることがができる。→ *3

 

横浜道のサイン

 

 

◎元平沼橋 親柱

 

橋名:もとひらぬまばし

河川名:帷子川

竣工年月:

親柱(反対側)

 

 

◎元平沼橋の中央から上流側、下流側を望む

昼 上流側の白い橋は水管橋 

 

夕暮れ時

左)上流側をのぞむ(①元平沼橋→②平岡橋)  右)下流側をのぞむ(①元平沼橋→横浜駅

 

 

【遊歩道】さいわい川遊歩道

横浜駅方向にさいわい川遊歩道が設置されていた。

 

さいわい川遊歩道が相鉄線と並走。車内からも目にしていた風景。

下流側を望む(①平沼橋→横浜駅

 

◎帷子川、相鉄線の下を通る

 

【帷子川の謎】

帷子川は、相鉄線と並走したあと、どんなルートで海に流れているのか? 長年の疑問が思いもかけないところで解決した。→*4

 

 

【周辺スポット】

◎平沼橋へのエレベーター 

横浜道のつながりが、踏切の閉鎖によって絶たれてしまった。エレベーターで平沼橋へ上がる → *5

 

◎岡京染店

車内からよく目にしていた「岡京染店」はこんな位置関係の場所で、実際に歩いてその場所の様子がわかる。

創業 1930年(昭和5)帷子川に捺染工場があったなごりかと思ったが、捺染工場は明治から発展、京都の捺染は友禅や型染の応用。

 

【平沼橋】

「新横浜通り」にかかる橋で、平成9年(1997年)にアーチ型の大きな鉄橋が設置。

 

平沼橋周辺マップ

 

トヨタレンタカー側の階段から平沼橋に渡る。

 

【散策からのメッセージ】

鉄道や川にかかる大きな橋を他にもいくつか渡った。大型の橋には途中から上る階段が設置されている。そして橋の下には防災備品や消防関連、倉庫、ミニ公園が作られ地域のコミュニティーの場所として活用されている。

 

 

◎橋の上から

左)上流側を望む:①平沼橋→②平岡橋  右)下流側を望む:①平沼橋→横浜駅

 

平沼橋の下にはJRや相鉄線の線路があり電車がひっきりなしに行きかう。橋上は車の往来が激しい。ターミナル駅、横浜の交通網をウォッチできる場所でもある。

平沼橋上から、鉄道の下をくぐる帷子川を確認しようとしたがなかなか難しかった。

 

 

②平岡橋

県立横浜平沼高校相鉄線平沼橋駅とを結ぶ道路の途中に位置。通学路、近隣の通勤路として利用される橋。

②平岡橋:下流側から望む(①平沼橋側→②平岡橋) 青いのはガス管

 

この橋の中央を通る車道にかかる「平沼一之橋」は時々、利用していた。ここが川にかかる橋、相鉄の上を通っているという感覚は全くなく勾配を上がって下がるという認識だった。また平沼橋から平沼高校方面に向かう時も橋を渡る意識はなく通行路として利用していた。改めて「帷子川」に架かかっていた橋であることを意識された。

 

車道「平沼一之橋」

 

◎平岡橋周辺の地図

 

【歴史】②平岡橋

かつてこの付近は海水と川の水が混じり合う釣りの名所。周囲には釣り舟屋が数件あり舟が出ていたた。今は高層マンションが並んでいる。

 

◎平岡橋 親柱

 

橋名:ひらおかばし

河川名:帷子川

竣工年月:

反対側の柱

 

◎橋げたの中央から

【まとめ方】

橋の撮影をするうちに撮影するカメラポイントがパターン化されてきた。親橋は両側から、橋の中央が一番、高さがあり、そこを上流側、下流側の撮影ポジションにする。撮影ポイントをフォーム化し橋別にフォーマットとして張り付け。状況に応じてキャプションを変える。違う日に撮影した写真があとから出てきても、その場所に入れていくとよいという写真整理のシステム化もできた。が、今回は撮影を失念していた。

左)上流側を望む:②平岡橋→③沼野橋

右)下流側を望む:②平岡橋→①平沼橋

 

 

◎平岡橋を上流側(沼野川側)から望む

上流側から望む(③沼野橋側→②平岡橋)白い欄干はケーブルが通っている。

 

・付帯設備

平岡橋の下流側(元平沼橋側)にガス管と水管が通る。



【遊歩道】②平岡橋沿い

 

左)上流側(②平岡橋→③沼野橋方向)  右)下流側(②平岡橋→①平沼橋方向)

 

左)遊歩道への階段  右)白い鉄橋のような橋は東京ガスからのガス管を通し家庭に配送

整備された遊歩道、途中、階段から上がることができ、車道よりも高さがあるので川面や川の流れの様子を見ることができる。奥に見える白い鉄橋のような橋は、東京ガスのガス管を市街地に送るパイプの橋

 

③沼野橋

平成10年11月に整備された橋。

下流側から望む(②平岡橋側→③沼野橋) 

 

◎沼野橋周辺地図

遊歩道を緑、周辺のスポットを赤〇、写真撮影した場所はカメラマーク

 

◎沼野橋 親柱

縦にカーブを描く石造りの白い親柱が、ステンレスの欄干にマッチ。1998年(平成10年11月)に整備され銘板も新しい。

 

橋名:沼野橋

河川名:帷子川

竣工年月:

 

・沼野橋 銘板 

よく見ると銘板にデザインが施されている。なんだろうと思ったらどうも、布地のテクスチャーみたい。かつて帷子川には捺染工場があり、最後の工程で染料や乗りを落とすため、川で水洗いをしていたことを思いだした。

それを意味する銘板なのでは?と思われた。

 

帷子川界隈のかつての姿を知り、歴史をちょっと調べ、実際に歩いてみつける発見。歩いて確認してみることの面白さだと思った。→ *6

 

反対側の柱

 

 

TVKハウジングの前の直線自動車道。その一部は沼野橋上を通過。

一直線に伸びる道路、車で通ると橋の通過に気づかない。

 

【散策からのメッセージ】

よく利用する車道や歩道。日常、何気なく利用しているが道路の一部が、橋となっており「その下に川や鉄道が通っている」ことが全く意識されていない。また車窓から見ていた断片の帷子川が、よく通る道路の下にも流れていたとう繋がりが見た。断片の川のショットが、どのようにつながり流れいるかという理解を得た。

(例:→②平岡橋 →⑤尾張屋橋)

 

 

◎沼野橋から見えるイングリッシュガーデン

ここはお勧めのビューポイント。

沼野橋から対岸のイングリッシュガーデンと帷子川が臨める穴場。

この先は護岸の擁壁が高くなり帷子川の流れを見ることができなくなる。沼野橋の親柱からつづくブルーのフェンスが途切れたあたりが一番高いポジションとなる。このビューポイントは逃さないよう注意。

 

沼野橋から上流側を望む(③沼野橋→④鳥帽子田橋)

 

◎沼野橋から下流側(横浜方面)のガスホルダーと遊歩道

沼野橋の親柱あたりから横浜方向を望む。奥の白い橋は東京ガスからガスを送る管を通しており人は渡れない。沼野橋から直線にのびる遊歩道は軽く下ってから、また上昇。

 

 

◎橋の中央から (撮影失念)

左)上流側を望む(③沼野橋→④鳥帽子田橋)

右)下流側を望む(③沼野橋→②平岡橋)

 

◎沼野橋遊歩道

・遊歩道付近の航空写真地図

ガスホルダーや遊歩道の様子がリアルに確認できる

 

・沼野橋の親柱近くから下流側(横浜側)を望む

対岸にガスホルダー、帷子川の前方にかかる白い橋にはガスの管が通っている。市中にガスを供給するパイプ。直線で伸びる遊歩道は車道から独立。

 

【散策からのメッセージ】

橋は周辺から高い位置にある。側道は、橋から一度下がりまた次の橋に向かって高くなるという傾向がある。次の沼野橋でも橋を中心に上流、下流の遊歩道は下っていた。これらは川の増水の際、橋が沈まないための工夫だろうか?

 

・沼野橋の遊歩道 上流側(鳥帽子田橋)から横浜方面を望む

沼野橋から帷子川に沿って上流に向かう一方通行の道は、歩道と車道がグリーンベルトで完全に分離されツツジが開花していた。

 

 

沼野橋に向かって傾斜が強くなっている様子が伺える。この高低差によってイングリッシュ―ガーデン方面のロケーションが見渡せる。

 

・沼野橋側から上流側を望む(夕景)  

帷子川の先に見えるのが国道16号が通る尾張屋橋

 

 

◎橋を上流側から望む

上流側から望む(④鳥帽子田橋→③沼野橋)

 

【周辺スポット】

東京ガス ガスホルダー

 

【帷子川の謎】緑のガスタンク、赤い塔は目にはするけどいったい何?

 

ガスタンクの正式名称は「ガスホルダー」 相鉄線の平沼橋付近から象徴的に見える施設。子どもの頃、ここを通る時、もし爆発したら…とドキドキしながら通ったことを思い出す。おそらくゴジラウルトラマンで破壊されるシーンと重なっていたのだろう。

このタンクはガスの使用量が少ない夜に、送られてくるガスを貯めておくもの。それを日中、使われる時に供給。ここで出量を調整し市内にパイプでガスを供給していた。

ガスホルダーにつながる管だけが通る橋がかかっており何かと思っていた。市内にガスを供給するための管だった、

タンクが緑なのはなぜ? ⇒高圧ガスの種類ごとに色が決まっている。液化炭酸ガスは緑色、酸素ガス(黒色)、水素ガス(赤色)など。

 

東京ガス所有「無線鉄塔」

災害時の安全確保、ガスの安定供給のための自営無線。2016年から新しい無線鉄塔の建設が始まったらしい。

この赤い鉄塔が何なのか、なかなか情報がみつからなかった。やっとそれらしい情報がみつかった。ただ参考として紹介されたソース「はまれぽ」が現在、閲覧できない。横浜情報と言えば定評のあったこのサイトの長期閉鎖。これも謎の一つである。

参考:相鉄本線の横浜から海老名まで1日で歩いてみた【相鉄本線歩き旅 #01】 - 本とか旅とか悟りとか。

 

◎岡野神社

ここに神社があることに全く気付いていなかった。

神社の始まりは1847年、太田新田開発をする際、太田佐兵衛が、祈願を讃岐の金比羅で行い成功。その後、勧請。火事、震災で移転をし現在の地へ。神社仏閣はその土地の歴史を物語る。この神社はこの場所の新田開発にゆかりがあった。

参考:おや?ここに神社?横浜の岡野神社はどんな経緯でこの場所にできたのでしょうか? | 横浜市 神奈川県 - 観光・地域 - Japaaan #神社

 

【散策からのメッセージ】

散策において、スタート地点で左右、どちらの脇道を選ぶかは、目にできるものに大きな違いが生じる。この選択を誤ると重要なスポットを見逃すという痛い経験を何度もした。初見の場所は可能な限り、左右に注意をはらうということは、これまで散策から得たコツとして身につけたことだった。

しかし日常の行動においては、どの脇道を通るかは固定化している。それは最短距離やアクセス経路、アクセス手段を瞬時に判断し、無意識の行動として固定化されて表れるからだと気づいた。サミットに行くには店舗側の横断歩道を渡る。そのため、由緒ある神社の存在に長年、気づかないということがおきた。

googleマップでその存在を目にしていたにもかかわらず、気づけない。それは死角のような位置に存在していることも影響している。歩道から少し奥まったところに建つ。たったそれだけのことで視界には入ってこない。地図で近くにいるのに見つからない時は、死角を疑えがこれまでの経験。それは日常においてもいえることだった。

 

④鳥帽子田橋【帷子川分岐】

帷子川から新田間川が分岐する地点にかかる橋。鳥帽子田橋は、新田間川にかかる橋として区分される。帷子川側に黒のガス管が通る。ガス管は黒という決まりがありそう。

 

◎鳥帽子田橋付近から新田間川への分岐地点

左)下流側から新田間川への岐点を望む  右)上流側から新田間川の分岐点を望む

 

◎鳥帽子田橋の中央部新田間川側を望む

鳥帽子田橋の中央部から、分岐した新田間川の下流側を望む。奥に見える橋は藤江

 

【歴史】④鳥帽子田橋

この周辺は、明治40年頃から横浜の工場招致策で、工業地区として最初に指定を受ける。日本で最初のマッチ工場、せっけん工場などもあった。

 

【現在】

たもとには古河電工の研究所がある。橋がかかっている道路は一方通行路のため、交通量は多くない。周辺に点在する工場の関係車両が行き来する程度。橋の両側はフェンスで隔てられた歩行者専用路が設けられ車の行き来を気にせず利用できる。

 

 

◎鳥帽子田橋 親柱

新田間川にかかる橋で、帷子川から分岐し新田間川に。緑の管は…

橋名:④鳥帽子田橋

河川名:新田間川

竣工年月:

反対側の柱

 

 

◎鳥帽子田橋から見えるイングリッシュガーデン

この場所からのロケーションも良好。春はイングリッシュガーデンの桜並木が川沿い並び壮観だと思われる。

昼 鳥帽子田橋から上流側を望む(③沼野橋側→④鳥帽子田橋)

 

 

夕方:鳥帽子田橋からTⅤKハウジングやイングリッシュガーデン方向

 

 

 

 

【周辺スポット】

◎THE SEASON'S(ザ・シーズンズ)結婚式場の建物

護岸壁。向こう側に見えるお城のような屋根は、THE SEASON'S(ザ・シーズンズ) 結婚式場。クリスマス時期の夜、ライトアップもきれい。

 

このあたりは高さのある擁壁に覆われ川を見ることができない。

 

横浜都市発展記念館「運河で生きる」で展示されていた写真、そして動画。見た瞬間にこの場所だとわかった。当時は擁壁はなく川をのぞめていた。向こう岸の工場、なんとなく見覚えがある。まさにこの対岸のTVKハウジングやイングリッシュガーデンのあたりの面影を残している。

youtu.be

 

この場所を展示で取り上げられた上げられたことに感慨深いものがあった。帷子川は運河じゃないから展示の対象外と思っていた。河口の帷子川を知らなかったからだった。→  *7

そしてこの場所は…

 

◎秘密の場所

私の秘密の場所でもある。→ *8

この付近は車も人通りも少ない。タクシーの休憩場所としても利用されているのを見かける。この擁壁に座わって、ぼ~とする時間が持てたらと思ったことがあったが壁が高すぎて適わなかった。 ある年のクリスマス頃の日没後、建物がライトアップされお城のようでちょっと幻想的な場所。さらには…

 

◎たまちゃんが現れた場所

 

【帷子川の謎】ラッコのたまちゃんが現れたのはどこ?

これも謎の一つだった、あの住民票まで発行してもらい話題となったたまちゃん。ところがどのあたりに出没したのかを知らなかった。今回、調べてみたら、なんとこのあたりの護岸に上がっていてひなたぼっこしていたことがわかった。  

   参考:帷子川たまちゃん現る!

こちらのサイトには休んでいるたまちゃんの姿があり、この高い擁壁に多くの人が上がって眺めている様子が記録されていた。

叶わないと思っていたこの擁壁に上り、川面を眺めた人たちがいた。そしてその視線の先には、まさかのたまちゃんがいた!

 

◎古川電工

横浜方面を見ると古川電工の建物が見える。星川にあるのは、宇宙開発でSLIMの電池をを製作した古川電池。「電池」と「電工」両者の関係は? 古川電池は子会社で、古川電工は親会社にあたる。

TVKハウジングの場所は古河電気工業の横浜工場があって土地を所有していた。神奈川TVは借りてTVKハウジングが運営をしていたのだった。その後、神奈川TVが取得。住宅展示場は「くらし館」としてイングリッシュガーデンなども作ったのだった。

一方、星川が本社の古川電池はTOBにあう。有力事業を継続させるための選択だった。ところがその裏には、親会社の戦略?もあり、再編し復活の兆しが見えている? 維持し存続させていくことの大変さを知る。→*9

参考:https://corp.furukawadenchi.co.jp/ja/ir/news/auto_20240723553198/pdfFile.pdf

https://www.tvk-yokohama.com/company/release/160225.pdf

 

 

【分岐】石崎川への分岐

石崎川への分岐、突如、現れた。こんなところにあったとは!

 

【帷子の謎】帷子川の石崎川の分岐はどこ? これまで見たことがなかった

 

石崎川の分岐点を尾張屋橋の上に登って見たらどんな感じなんだろう?

    →■石崎川の分岐を尾張屋橋から見た  

 

この階段を上れば尾張屋橋の上に行けそう。

 

階段の途中からも分岐点が見える。向こう側にも階段があるけどもしかして下りることできる? どちらも錆びており機能しているのだろうか? しかしこちらが使えるのだからあちらだって…

 

尾張屋橋の上にあがると、石崎川の看板が見えた。その前に敷地がある。階段を下りたら、ここへたどり着けそう。看板まで行きたい!

 

しかしこの状況、行ける気がしない。きっと立ち入り禁止なのだろう。

 

階段下もフェンスで塞がれてるように見える。でもとりあえず下まで行ってみる。(←ここ大事) 階段は折れ曲がって下っていてサインが見えた敷地にたどりつくことができた。立ち入り禁止の表示もない。無事、橋上から見たサインとご対面。

(ほ~らね。気になった場所は、状況が見えていたとしてもとりあえず、行けるところまで行く。そうすることでそこに何か発見があるという経験をこれまで何度となくしてきた。たぶん、こういうことの積み重ねが直観につながるのだと思っている。「進んでもいい」「それ以上はダメ」そんなことも状況から判断ができるようになるのだと思う。)

 

【帷子川の謎】相鉄線は石崎川の上を走っていた!

そして合流地点とその先を見たら「この橋、知ってる!」相鉄線が走ってる場所だ。この川と両岸、見覚えがあるし、最近、この紫の花、フジかな?と思いながら見ていたところだった。

この川はイングリッシュガーデン内の流れだと思っていた。まさか、謎の石崎川の分岐場所とは思いもしなかった。そして相鉄線がその上を走っていたこと。長年知ることなく過ごしていた。

(その日、一日、結構歩いていた。野毛まで行って、また舞い戻った。もう切り上げようと思ったけど、今、ここを上らないと、次は、おそらくないだろう。せっかくだから行ってみる。それは直観的な行動だけどこれまでの経験がもたらした判断ともいえる。とにかく最後まで、暗くなるまでは行けるところまでは行ってみる。そしたら何かみつけることができる可能性は大。今回、それが見事的中した。そしてさらに、ここから続く道もたどってみることにした。そこにもまた…)

 

後日、相鉄線内から見えていた川と紫の花を撮影した。右の写真の川の先には合流地点も見えている。


JRからも相鉄線が石崎川を渡る橋を確認。ちょっと離れた位置からこの一帯の様子を観察できた。

 

【散策からのメッセージ】
いつも利用する電車から見えている景色。これまで見ていた場所を実際に歩いたあとは、全く違うものに見える不思議。そして目にしたものが何であるか鮮明になる。長年過ごし知っているつものり場所だけど、車窓から眺める景色に楽しみが加わった。

 

 

尾張屋橋

橋の上から横浜駅方面を望む

 

国道16号線が帷子川(写真左)や相鉄線西横浜の駅(写真右)を超えるための袴線橋。

 

八王子方面からの国道16号は国道1号にぶつかる。東海道本線横須賀線相鉄本線の線路と帷子川を跨ぐ必要があるが、交差点からすぐに鉄道があるため珍しいS字カーブの形状の橋となった。

 

橋がカーブした先で国道1号と交差する。ここが「浜松町交差点」。交通量が非常に多く「湘南方面」「横浜」「八王子」への分岐となる交通の要。

黄色の白丸のS字カーブが尾張屋橋。八王子からの国道16号線が通る。直線の黄色が国道1号

S字の橋は帷子川(青)相鉄・横須賀線東海道(黒)をまたぐと、すぐに線路に沿いながらまたカーブし国道一号の交差点にぶつかる。

 

【歴史】⑤尾張屋橋の歴史

尾張屋」の名称は、宝暦の頃(1751-1764)、尾張屋九平治が橋の東側一帯を尾張屋新田として開発したことに由来する。昭和3年までこのあたり一帯の地名だった。現在はこの橋にだけその名が残されている。橋は関東大震災後の難工事を経て完成。

 

尾張屋新田について】

開港のため、海だった場所に東海道から横浜道を通すために作られた新田の開発をまとめた資料。

画像

横浜道建設で行われた新田開発の様子。袖ヶ浦の新田開発に「尾張屋新田」の記載が…   

 

妙な名称の橋と思っていたが、袖ヶ浦の新田開発を調べていた時に、片隅に登場していたのが「尾張屋田新田」でそれが由来だった。近隣の帷子川の分流にかかる橋の名も、この開発された新田の名前が由来になっていることがわかった。地名や歴史、これまで調べてきたことがいろいろな形でつながっていく。→ *10

 

新田開発と実際の地図を重ね合わせたものがないか探していた。そんな地図が散策中に見つかった。横浜中央郵便局前の「温故知新のみち案内サイン」の中に示されていた。

このような資料は、図書館などで調べればすぐに入手できるが、自分の散策や模索の中で、偶然遭遇する楽しみがある。調べずに放置していたら向こうからやってきた。そんなサプライズも実際に散策する面白さとなる。

 

◎橋の歩道からの階段

橋の両側の歩道の一部に、帷子川の川沿いを上り下りできる階段が設置されている。この階段によって前述の石崎川の分岐点の発見に至った。

 

尾張屋橋を通る16号線の歩道から、横浜側、西横浜側の両方にあること、また帷子川の両岸を行き来できることが、相鉄の車窓からの写真で確認ができた。

 

 

尾張屋橋 親柱

この橋はこれまでの帷子川にかかる橋の概念と全く違う。国道16号が通る親柱ってどんなものなのか? また機会があった時に行ってみよう。

橋名:

河川名:

竣工年月:[架設年]1981(昭和56)年

 

 

尾張屋橋の中央から

橋の上部から帷子川を横浜方面に臨む

下流側を望む(⑤尾張屋→④鳥帽子田橋)

画面右下が石崎川への分水、右岸のイングリッシュガーデンの桜並木が横浜駅方面のビル群にへ連なり、夕暮れの空に吸い込まれているよう。左岸奥には、この地に根差し発展してきた古川電工の建物が見える。

 

尾張屋橋の上から帷子川上流方面をのぞむ。奥に水道橋のブルーの水管が通る橋が見えている。

上流側を望む(⑤尾張屋→⑥水道橋)

 

 

【歩道橋】⑤尾張屋橋

帷子川沿いの歩道から尾張屋橋に上ることができる階段が、googleマップの航空写真を見ると確認ができる。

4車線の国道16号の上り下り側の車道の行き来も大回りせずに可能なことがわかった。

 

この橋は車で通る道路で、ここを歩くという概念は全くなかった。形からも大きくカーブしており橋と認識はされにくい。しかし周辺住民にとっては日常を過ごす空間、徒歩で向こう岸に渡るという生活圏内の利便性を設計当初から考えられていることがわかる構造だった。

 

 

■まとめ

帷子川散策ルート:横浜駅~西横浜駅 一覧に(AI利用)

No.
橋・駅
位置・特徴
周辺情報
気づき・謎解き
散策の起点。相鉄線沿いに帷子川が流れる。
横浜駅西口、商業エリア。
車窓から無意識に見ていた帷子川の景色が記憶に。
元平沼橋
横浜駅西口~相鉄線平沼橋駅間。歴史ある橋(旧「平沼橋」)、平成17年架け替え。「よこはま道」の一部。
さいわい川遊歩道(相鉄線並走)。浮世絵や案内板で歴史確認。
帷子川が相鉄線の下をくぐるルートを解明(
X投稿
)。
 
平岡橋
横浜平沼高校平沼橋駅間。通学・通勤路。
遊歩道、ガス管・水管。かつては釣りの名所(海水と川水混じる)。
橋を渡る意識が薄かったが、帷子川に架かる橋と再認識。
沼野橋
平岡橋上流。平成10年整備。銘板に布地テクスチャー(捺染工場を反映)。
イングリッシュガーデン眺望、遊歩道、ガスホルダー。
銘板のデザインで捺染工場の歴史を実感(
X投稿
)。親柱付近がビューポイント。
鳥帽子田橋
帷子川と新田間川の分岐点。新田間川に架かる。明治40年頃、工業地区指定。
イングリッシュガーデン(桜並木)、古河電工研究所。
高さのある擁壁で川が見えない。工業史(マッチ・せっけん工場)を確認。
尾張屋橋
国道16号が帷子川・相鉄線を跨ぐ。S字カーブの袴線橋。尾張屋新田(宝暦時代)に由来。
石崎川分岐点、イングリッシュガーデン、浜松町交差点(交通の要)。
石崎川分岐を発見(階段で確認)。相鉄線が石崎川を渡る場所を特定(
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)。車窓の景色が鮮明に。
散策の終点。相鉄線と帷子川が並走。
住宅エリア、国道16号
長年見ていた車窓の景色に新たな発見が加わる。
 
【記憶と歴史の接続】
帷子川沿いの散策(横浜駅~西横浜駅は、横浜の変遷を、歴史と今が交錯する体感を与えてくれた。車窓から無意識に眺めていた景色を実際に歩くと、歴史や土地の物語が絡み合い、新たな視点を提供してくれる。個人の記憶が歴史と接続していること、それぞれの橋にも名前があったことを今さらのように伝え、それは地域の歴史や生活を映す鏡であることがわかる。
 
【産業の過去と未来】
帷子川が江戸・明治の産業と結びついているという断片的な理解はしていたが、現代の親水空間へ発展、遊歩道が整備されている。さらには未来に向けた産業の継続にむけて模索の課題があることも教えてくれた。
 
高度な技術だけでは生き延びることができない複雑な時代を乗り越える戦略が必要であること。地域から世界へそして宇宙へと視界が広がり、経済というジャンルにもつながるのを感じた。
 
【散策から学ぶ】
長年見慣れた相鉄線の景色は、散策後、新たな物語が紡ぎ出され鮮明になった。イングリッシュガーデンやガスホルダーなど、日常的に車窓から流れていた風景歴史的にも地理的にも意味を持っているものとして理解された。
 
散策時のファーストインプレッションをXへポストしたことで、記憶の断片の統合に役立った。その一方で、忘却を避けることもできた。行政の情報を加えながら、自身の体験と歴史と結びつけられたことは、今後の散策にも生かされていくと思われる。
 
 
【ゆっくりマイペースで】
調べることも大切だと思うが、散策途中で思わぬ資料に出会うこともある。「温故知新のみち」案内サインのような偶然のプレゼントとの出会いにその後も遭遇している。そこにあったのに気づけなかったもの。あるいは、知ってはいてもその時点では必要としないもの、理解が及ばないものもある。
 
そういうものがキャッチできるようになるのも直観を磨くことにつながる。しかしその裏には観察があり、経験があり、あらゆる方向に向けたアンテナの張り方によってもたらされるものなのだと思う。実際に出かけて確認することの重要性。そこから得られるものが一つ一つ増えるのを楽しみにしながら、「無理のない範囲で心が欲するまま」という探索を続けたいと思った。(AIのまとめを参考にリライト)
 
 

■脚注

散策のファーストインプレッションをXにポスト。まとめていくうちに統合されて忘れてしまうことも…