コロコロのアート 見て歩記&調べ歩記

美術鑑賞を通して感じたこと、考えたこと、調べたことを、過去と繋げて追記したりして変化を楽しむブログ 一枚の絵を深堀したり・・・ 

■マルセル・デュシャンと日本美術:覚書メモ 

マルセル・デュシャンと日本美術」 頭に浮かぶよしなしごとのメモ

 

 

■美術は美しいもの ⇒ 考えるもの

・便器が美術か?  

・それは投げかける人の背後の実績にも影響 

デュシャンがそう言うならそうなんだろうと思わせる何か。

・自称 と 世間の評価

 ・ライターは誰でも名乗ることができる。

 ・名乗ってもそれを認めるのは世間

 ・どういう活動をしていたらライター?

 ・「美術家」「アーティスト」「評論家」「ジャーナリスト」なども同様

 ・ビートたけし談:芸能人の「引退宣言」はおかしい。引退は世間が決めるもの

 

 

■美はオリジナル 自作でないといけない? 

・ウォホールだって、工業製品をポスターにしてる

・そんなこと、とっくにウォホールがやってる

・そんな価値観、昔からある。目新しくもなんともない。 

・組み合わせによる価値の創造なんて日本は昔からやってること

・私の中の認知度はウォホールが高い。デュシャンよりも先に生きてる人

・美術史を知らないと前後関係がごちゃごちゃ。

・先に知った人の方が時代が早いと誤認

・美術や創作物に純粋なオリジナルなんてない

 

 

デュシャンの影響は、ビジネスにも 


上記より引用

実態や機能よりコンセプトやコミュニケーションが尊ばれ、既存のものを組み合わせる編集は新たな価値を創造する手法として確固たる地位を占め、オリジナルと複製の差は、テクノロジーの進歩でますます曖昧になり、SNSや画像投稿サイトの登場でアーティストと観客という主体論も既に無意味なものに見えてきてしまっているのが、今の世の中だ。

デュシャン の影響は芸術分野に限らない。デザインなどのクリエイティブな分野はもちろん、アートとはほど遠いビジネスの分野まで、世の中のすべてのフィールドは デュシャン の手の内といっても過言ではない。

既存のものとの組み合わせ、編集による新たな価値を創造。そんなの日本のお家芸じゃない!と思ったけど、これらもデュシャの影響だったということ!?

 

 

 

デュシャンとアンディーウォホールの作品からの考察 

人類の価値観への問題提起、

「それによって人々が既成概念から解き放たれる」

「既成の価値観」へチャレンジ

 

鑑賞とは?

有名美術品を観て感想を言ったり書いたり、ってなことは

ほんの一部に過ぎないよ、

 

より深い体験を、と、
今日の人類の価値観があるのは

「これだ!」って、

デュシャンとアンディーウォーホールの作品からの考察、

ディスカッション。

 

 

 ■アンデパンダン展出品 否決の状況

〇否決の経緯

アンデパンダン展の審査では、全面的に否定されたという印象をうけた

・ところが、図録p67では、下記のように書かれていた

伝えられるところによると、役員は《泉》の可否について議論した後、評決することにした。その結果、僅差でこの彫刻の展示は否決されたので、アレンズバーグとデュシャンはすぐさま講義して役職を辞任した。

 

否決は「僅差」だったという。どれくらいの差だったのか? 審査員は何人

・ここでの議論はどんな見解が出ていたのか?  

 

〇どう伝えたのか

デュシャンは、この事件を具体的にどう表現して語っていたのか。原文は?

・本人の言葉だとしても、そこに誘導や、恣意的なものはなかったのか?

・そしてこの逸話を後世に、伝える側にも・・・・

・原文が読めないと、訳者の意図にも影響を受ける

 

〇真実はどこにあるのか?

・作品は展示されず、バックヤードにあるのをデュシャンが見たという話し

デュシャンはバックヤードに展示されていたことは知らず、あとで聞いたという話。

・また、これは自作自演だという話も。もともとなかったということなのか?

・何が本当なのかわからない。

・本人の言うことさえも信じられない 

 

〇審査側の見解は?

・この時に審査に当たった人たちは、この審査のことを残していないのか?

・その言葉や文献には何が書かれているのか?

デュシャンを神格化し、孤高に祭りたてているような・・・・ 

・それは本人も、回りも…

・「僅差」ということは、多くは認めていたということでもある。

・なのに、否定されたことばかりがクローズアップされている

・それもデュシャンの仕業なのか(笑) 

 

 

〇協会がメディアに声明を出す(図録p63)

・どうみても芸術作品ではない。(要約)

・これによって、協会全体が否定したということになってしまったようだ。

 

一方、一般の人は《泉》を見ていない。撮影された写真を通してだけ。その写真は、、協会の《泉》に対する言動を批判する人、《泉》の支持者の議論を掲載する雑誌で取り上げられた。この雑誌での論旨は…

 1.ユーモアは鑑賞者の芸術観を揺さぶるのに不可
 2.何が芸術なのかを決めるのは芸術家次第
 3.フォルムの美しさと純粋さを評価すべき

 

一方の立場からの見解がだけが、取り上げられているため、情報に偏りがあるといえる。しかし、論旨は納得できる話。

デュシャン大喜利は、芸術観を揺さぶるための仕掛けだった? 
本質のインタビューに元お笑い芸人さんがいたのもその関係?
便器のフォルムって、ほんと美しい造形だと私も思った。

 

 

■そもそも便器を形にすることについて 

〇世界のトイレ事情

・世界のトイレの歴史をさかのぼると、外や川に垂れ流し。

・その後、汲み取りそして、下水道の整備により、水洗トイレに至る。

・垂れ流し状態、汲み取り状態から、下水という技術のエポックメイキング。

・これまでとは全く違う捉え方の、形、構造、仕組を一から構築

・新たな造形が求められる。 

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出典: 世界@日本:快適さ求めて 各国のトイレ事情 欧州/インド/中国/日本 - 毎日新聞

 

・技術革新によって、全く違うものを創造することは、美術作品を作ることに匹敵しているのではないか。

 

文化庁長官、科博「日本を変えた千の技術博」でのあいさつ。

「科学技術の外側にはデザインがあり、一体となったとき素晴らしい感性が生まれる」

・便器の形はデザインであるかもしれないけど、技術革新に伴って根底から見直されて創造されたアートといってよいと思った。 

デュシャンが便器を、アートだと言っても何の違和感も感じなかった。

・ただ、その時代がいつ頃の話かは気になったけど…

 

・この形を創出することはクリエイティブな作業だし、それは美だと思う。

・機能を併せ持った造形の秀逸さ 

・機能を全うするために考えられた無駄のない造形は美しい

・そして選ばれた素材も

 

 

〇便器をデザインすることについて周りの感想 

・美術鑑賞が好きだという知り合いにデュシャンの便器について尋ねてみた。

・過去に医療工学の研究をしていて、今は美容部員。そして担当の美容師さん・・・・

・「あの便器の形やデザインを考えること自体がすごいことだと思います」と。

・それまで、垂れ流しや汲み取りだった便器を、0から全く違う概念の形にしてる

・何かを作りだす人の捉え方なのか? 

・便器をアートとすんなり受け入れる人が回りにはいた

 

 

〇日本のトイレ事情

江戸までは汲み取り式  肥料に

・江戸時代までは、糞尿は肥料に利用。そのため汲み取り式

・腰かけは明治に入ってから  水洗は輸入

 

 

 

■便器と茶碗の共通性?

私なりに思ったこと。

・便器も茶碗も陶器。便器の作り方を見ていたら全く同じ。

・土を捏ねて成型し、釉をかけて焼く。

・両者ともに器の型をしており、そこに一度、水様性の液体が入る。

・そして外に出ていく。

 

・便器はいまだに陶器で手作り(?)されているという

・なぜ、陶器が使い続けられるのか。釉の役割は?

・一度、水を入れるものに求められる性質は? ⇒撥水性、防汚性、強度。

・釉がその機能を担う。

 

・目的や用途は違う、茶碗、便器だけど、そこに共通して求められる機能(?)がある。

・それを陶器という素材が果たしている。・・・・と思ったら

・長次郎の焼き物は、いわゆる陶器とはちょっと違うらしい。

 低火度の茶陶である日本中世の伝統的な高火度の陶器とも、中国の陶磁とも異なる独特の焼き物(wikipedhia)

 

〇陶器という材質について

便器に必要な条件

①頑丈であること

②清潔であること

③水を吸収しないこと

④流水する仕組みが作りやすいこと

 この条件に合うのが陶器

 

〇便器の作り方  職人技

TOTOの前身は食器を作っていた

jp.toto.com

衛生陶器の製造は、工程のほぼすべてにおいて人の手がかかっています。

それはまさに、熟練の職人技によってつくりだされる焼き物そのもの。今を遡ること1世紀、上下水道も整備されていない時代に「健康で文化的な生活」を提供するために起業したTOTO創立者の熱い思いが、この衛生陶器にはこめられています。

 

 

 

 

 

デュシャン展について キュレーターインタビュー

フォーサイト編集部

東博フィラデルフィア美術館の関係

・今回の展示は、フィラデルフィア側から選ばれた

東博がこれまで協力してきたことへの返礼の意味もあり

「東京の数ある展示施設の中から当館が選ばれた背景には、幅広い客層にデュシャンの作品を見てもらいたいというだけでなく、返礼の意味合いもあります。東博フィラデルフィア美術館は明治時代から交流を続けており、近年も『本阿弥光悦』展や『狩野派』展が先方で開催された際、当館がお手伝いをした。日本国内の美術・博物館や個人所蔵家を回って展示品を集めたチームの1人が、実は私なのです。それ以来“今度はデュシャン展を当館で”と言い続けていたところ、念願が叶いました」

 フィラデルフィア美術館は、あのアメリカ建国百周年を記念したフィラデルフィア万博(1876年)の際、建設されたメモリアルホールが起源。日本が万博初参加したウィーン万博1983年の3年後。この時、日本からも出品。

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引用:1876年フィラデルフィア万博 | サムネイル一覧 | 博覧会―近代技術の展示場

日本の作品も、浮世絵4000点以上を含んだ版画5000点、絵本・画帖100点余を所蔵している[2]

 

 

TBSラジオ荻上チキ・Session-22』

ラジオの中で、

ラジオの中で、「日本が万博に出品した時には、まだ日本美術を理解されていなかった」のくだりで、万博? ん? と思っていたが、フィラデルフィア万博のことだったとつながる。フィラデルフィアの美術館、東博の成り立ちが、万博や内国勧業博覧会とと関連していたように、フィラデルフィア美術館も万博に関連した似たような歴史ががある。明治の時代から、東博フィラデルフィアの交流があったという背景を理解。

 

日本の美術をデュシャンを通して、世界に発信する意味あり。

 

 

 

〇20代の問題解決メディア

アートの「考え方」や展覧会についてのお話を聞くセミナー開催。

www.wizoom.info

芸術の秋だから。"考える"アート入門~特別展『マルセル・デュシャンと日本美術』~ | WIZOOM-ウィズム-│20代の「知りたいコト」を発信する情報メディア

 

 日本美術とデュシャンの芸術に関わりはありませんが、日本美術に現れたものがデュシャンが提示した方法論と似通っているように見えるものもあるのかもしれません。

 

日本とデュシャンは、かかわりがないよ・・・・とキュレータは言ってます。 

 

 

J-WAVE NEWS

キュレータの解説を聞きながら貸し切り展覧会が行われたレポート

購入してきた既製品にサインをして、芸術作品として「意味づけた」ことが、人々に大きな衝撃を与えたそう。デュシャン本人は既成概念を壊す目的はなかったのかもしれませんが、「ミケランジェロのような芸術家が自らの手で作った唯一無二の作品を鑑賞することが、それまでの芸術でした。そのなかで、デュシャンはモノを作るということではなくて、作家がモノを選ぶ行為自体を芸術制作としたわけです」

 

これまでの芸術は、自分の手で作った唯一無二の作品を鑑賞することだった。

 

デュシャンのあとの芸術を見てしまっていると、そんなことは当たり前のこととして受け入れている自分がいた。「美術は、唯一無二のものを自分で作らなければならない」と考えられていたという歴史を知り、逆にそのことに驚いてしまったという逆転現象が自分の中でおきていた。

 

 

デュシャン展  メディア関連

〇新聞 和と洋 文脈を超えた比較で問う

「便器をアートに変えた」「アートを何でもあり」 という誤解 

 

〇10月12日東京新聞夕刊文化面「マルセル・デュシャンと日本美術展」

誤解は広がる

  

 

10月12日東京新聞夕刊文化面

 

〇なぜ《泉》ばかり

作品関連のメモ群や習作絵画群とともにいくぶんコンパクトにまとめられた《大ガラス》のセクションの左側、長い展示室のいちばん奥に男性用小便器は重厚なガラスケースに納まって鎮座している。左右の壁際には《瓶乾燥器》などのレディメイド作品が並び、いわばすべてが《泉》に収斂していくように空間がデザインされている。

すべては《泉》に収斂してる?

 予備知識なく「デュシャン=便器」と思いながら鑑賞。展示された便器を見た時、あれ?これ? と思った。メインコンテンツなのに、随分と、端っこに押しやられてしまったもんだわ!って・・・・ 

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これまで見てきたものが《泉》に収斂されているとは感じなかった。

そのあと、会場のモックアップを見て、中央の壁構造が、こういう状況を作ってたんだなって思った。あれ? と思ったことは、やっぱり何か理由があるもの。

見る人によって、捉え方はいろいろ。初心者は「デュシャン=泉」と見てしまうのは確か。しかし、実際に見たら、いろんな捉え方があって、見た人の数だけ受け止め方がある。初めて見る側も、一律ではない。いずれの側にも、先入観がありそう。

 

  

〇文春オンライン

《泉》が公開されたときには、非難の声が巻き起こったという。こんなのはただの既製品で作者は何も創造していないし、何より下品じゃないか!《泉》を巡る議論は、デュシャンの自作自演という話もあるほどで、彼の虚実ない交ぜの企みはどこまでも深くて複雑だ。なんとも「食えない人物」である。

自作自演の根拠、出典は?

デュシャンの自作自演という話もあるほどで

  こちらの出典はどこ?

⇒彼の虚実ない交ぜの企みはどこまでも深くて複雑

  断定できるのか?

 

私が気になったところは以上の点でしたが次のような指摘も。 

 

・上記の記事の具体的に、どのあたりが、テキトーなのか知りたい。

・仕事が来るということを客観的に判断したら…

・編集が想定している読み手が求めそうな記事を書く人

・読者が読みたたい記事は? 

・専門家 研究者の最新情報とは限らないかも

・自分が読みたい記事と読者の求めるもののギャップ

 

 

〇 「と日本美術」を付け足して東博らしさを出したつもり……かな?

artscape.jp

日本美術はオリジナルに価値を見出さず、代々コピーを繰り返してきたと指摘していた。それはそれで間違いではないけれど、いまさらデュシャンと同じだと新発見したように喜ぶものでもないだろう。日本美術がまだモダナイズされていなかっただけで、デュシャンはモダンアートを否定した結果、図らずもプレモダンに近づいたというだけの話だ。

デュシャンと日本美術の共通性を新発見したというようには思えなかったけど…

 

もうひとつ私見ながら付け加えると、日本美術にはトンチの系譜が息づいている。利休もそうだし、仙厓も芦雪もそう。戦後では河原温をはじめ、高松次郎赤瀬川原平、関根伸夫と、みんな発想がトンチやトリックではないか。むしろそこがデュシャンと通底しているように思えるのだ。

・お互いが理解できなくなった時、笑いに変える。

デュシャン「ユーモアは鑑賞者の芸術観を揺さぶるのに不可欠 」と。

・学ぶ上で、孤独になっても、ノリやユーモアで乗り切れと。

 (3ページ目)気鋭の哲学者・千葉雅也の東大講義録 #1「勉強とは何か」 | 文春オンライン

デュシャン大喜利、元芸人さんへのインタビューはこのあたりからの布石?

 

Twitterより

〇いつの時代も人が考えることは同じ 

 

デュシャンが全ての芸術を包摂しているかどうかは知らない。でも、組み合わせは自由なんじゃないかと私も思った。

 

デュシャンの考えるこはとデュシャンにしかわからない

 ジャコメッティー見た時に、これと同じようなことを思った。ジャコメッティーが考えてることは、ジャコメッティーの生きてきた全ての背景がそこに反映されてる。われわれはジャコメッティーと同じ経験をしてないんだから、本人が何を考えてたかなんてわからない。だからこそあれこれ想像して楽しむ。

デュシャンも同様だと思う。

 

 

 

■多様性を認める 

〇言葉上は理解

・作品に対していろいろな声があがる

・「多様性」言葉上の意味はだれもが理解をしている。

・そういう考え方もあるよね。と多くの人が口をそろえる。

・しかし、最後、気づくと「自分より」の考えで批判的になってしまいがち

 

〇ある美術番組の反応

・出演者があれこれとしゃべりだして収集つかない状態。

・こんな情報いらない。具体的に〇〇はいらないと名指し。

・それぞれの捉え方、感じ方はいろいろでいい。

・有益と思う人もいれば、役に立たたないと思う人も。

・いろんな人が捉える視点を楽しいと思う人。

・専門家の知識や技術的な情報が欲しい人…

・番組の構成、進行の不備を指摘する人

・捉え方はいろいろ。だからこそ、こういう番組もあっていいと思う。

・ニーズがあるから、提供されてるのだろうし。

・無駄と思ってもそこから何かを拾い上げてみる

・あるいは、自分はこういうアプローチは嫌いなんだと学べばいい。

・ごった煮の中から、おいしいそうな素材をみつければいい 

 む

〇どうしても結局最後は、自分よりに

・いろんな考え方あるよね・・・・と思ってる。 

・でも最後は、自分よりで考えて排除しようとしている?

 (今も同じ状態?)

 

〇企画者は何を考えたのか

・日本美術との関係の展示 評判が悪い感じ

・でも、こういう捉え方もあるんだなって思えばいいだけのことかと

・なんでこのような企画をしたのか

・さぐってみると、なんとなく見えてくることがある

デュシャンと日本美術が関係あるかどうかは、1部を見れば伝わるし

・じゃあ、何が言いたかったんだ? って考えてみればいいのかと

 

 

〇アートの概念は明治時代から始まった

信仰や儀式、城や寺院の装飾のための道具・調度として、日本の芸術は発達してきました。単なる装飾ではなく、道具を洗練させていく過程で、機能的かつ美しいかたちになっていった

 

日本美術のなかには「芸術」という枠組みに当てはまっていないものがいまだに多くあります。
デュシャンと日本美術を同じ空間で観て、比較し、自分なりに考えてみれば、様々なダイバーシティの時代に、自分が責任を持って価値を決めるというきっかけになるのではないかと思います。

 

「このアートを大切にしている人がいる、大切にされている」ということを知って、様々な価値を知ってもらうことが、美術館や博物館の使命だと考えています。

 

 

■鑑賞法

・美術鑑賞も、何も知らずに見る方法

・一方、知識を入れてより深く見たり考える方法

・対話型鑑賞も、いろいろな手法があるよう

・表向き、美術の見方はいろいろでいいと、理解を示す

・しかし、提唱する側になると、自分たちマターに陥っていないか?

・いずれにもよさがある。

・どちらに縛られることなく自由であっていい

 

・と思っているのだけど、知らずに見ることでおきるギャップ。

・そこに大きな楽しみを感じてる。

・だから知らず見る方を優先して奨めてしまいがち。

・これが自分マターってことになるのか・・・・

  

デュシャン展の企画には、どんな思いがあるのか少しづつひも解く

・鑑賞スタイルについても、いろいろある中で、その方法を選んだのはどんな思いがあるのか知りたい。

・人が考えることのなぜ? にも興味がある。

 

 

■本質メッセージ

現代では、芸術という枠組みは、受け手一人ひとりがみんなバラバラだともいえます。それに縛られない、「他人に縛られるな」というのが、今回の『マルセル・デュシャンと日本美術』展の本質的なメッセージです。
今は、自分で考えなくてはいけない時代ともいえるでしょうから、自分で考えるきっかけになるという点で意味があると思います。

引用: www.wizoom.info  

 

・他人に縛られない

・自分には自分のものの見方がある

・人は人、私は私・・・・

・自分で考える

 

 

■アートをいかに学ぶ?

折しも、こんな動画の紹介があった

・自分が美しいと思うものを自分で選ぶ。そしてなぜかを考える。

・その形は? 素材は?   テクスチャ―は?

デュシャンの便器は美しいのか? と考えたアプローチと同じだと思った

・表面のテクスチャ―が気になってわざわざでかけたのはこのためだったんだ

・そして何が嫌いかも、積み重ねていく。

・美術館も本物もいらない

 

 

福岡伸一氏も同様のことをおっしゃっていた。

・自分が美しいと思う色の組み合わせは昆虫が持つ色。

・女性のファッションを見ても、美しいと思うコーディネートは昆虫色

 

 

■美とは何か

・自分で判断できる軸を持つこと。

・それが持てるようになるには、模索の時間も必要。

 

〇私なりに美術をどうとらえてきたかの変遷

■対話式鑑賞との出会い:俵屋宗達《風神雷神図屏風》を通して感性を伸ばす - コロコロのアート 見て歩記&調べ歩記

■怖い絵:テレビ紹介後の混雑 鑑賞の順番 - コロコロのアート 見て歩記&調べ歩記

■思考:学ぶとは? 考えるとは? 知識の融合 - コロコロのアート 見て歩記&調べ歩記

■感性を磨くには? ①よく見る 『アート鑑賞、超入門』を読んで考える - コロコロのアート 見て歩記&調べ歩記

 

・これまで自分なりに、出していた答え

 ⇒感性は知識によって身に着けることができる。

 ⇒本物を数多く見ることて見えるものがある。

 

しかし好きなものを写真に撮影すれば、そこには自分の美が見えてくる

というのは、目から鱗だった。

 

(追記 2018.12.14)

趣味のものが捨てられずにどんどん増えていく。

そんなときは、集められるだけ集めちゃう。

それによって取捨選択が生まれ、グループ分けができ新たな視点が生まれる。

「美」を知る、「感性」を鍛えるというのも、どこか似ているのかも 

 

 

 

■写真撮影のとらえ方

・専門学校の講師を努めるゲームクリエーターも落合氏と同じ授業をしている

・生徒に一日を写真に撮らせる 

・そのあとそれらを編集し一冊にまとめさせる

・そこにモノを見る目、編集能力が鍛えられると

 

国吉康雄展にて

写真撮影を許可することの裏にあった意味・・・・

「見ることに対して研ぎ澄ます。とんがらせる」

何を見るのか・・・・  
どう見るのか・・・・・


「写真を撮影する」ということは、フレーミングをすることで、
これらの展示の中から、何をとりたいのか
それをどう切り取るのか・・・・・

それによって、ただ、眺めるのではなく、
意識的に視ることで、国吉により近づくことができる・・・・・

 引用:https://tabelog.com/rvwr/000183099/diarydtl/141173/