2018年10月6日(土)「デュシャの本質」と題した記念講演会が行われました。講師はマシュー・アフロン氏。フィラデルフィア美術館近代美術部門キュレーターです。4章構成の時代に沿って作品の解説が行われました。その中から印象深かった作品やお話について紹介します。
■「マルセル・デュシャンと日本美術」 記念講演会「デュシャの本質」
10月6日(土)13:30〜15:00(13:00開場) 講師:マシュー・アフロン(フィラデルフィア美術館学芸員)による講演会が行われました。こちらは、事前申し込みが必要。生憎失念してしまったのですが、当日枠があるということで訪れました。
13:00から受付ということだったので、時間調整をしてその時間に並びました。
予約で座席が確保されていても、しっかり並んでいます。当日入館の受付、10分ぐらい前から並びました。お隣の方と会話。前日に「フェルメール展」の鑑賞をされたそう。しっかり予約されたのかと思いきや、当日券で入館されたと伺い、当日券があることを知りました。フェルメール展の会場内の様子や、人の動きなどあれこれ伺いなから会場内へ…
デュシャン展、快慶・定慶展への人の流れ
■4章構成の時代を追って
4章から成り立つ構成は時代を追っています。これは人と作品の概略を紹介するのに適した展示だといいます。章ごとに紹介された作品で、気になったお話を紹介します。
〇第1章:「画家としてのデュシャン」
キュビストグループから影響を受けていたデュシャン。その代表作となったのが《階段を降りる裸体No.2》
キュビスムに対する独特な取り組みによりデュシャンの名を広く知らしめることになった作品です。裸体が階段を降りる動きを表した作品で、1913年発表され大スキャンダルとなりました。
こちらは動く人体が表現されており、マリオネットのような連続した体が描かれているのですが、よく見ると点線で表現されている部分があります。これは腰と足の揺れを表しているそうです。この表現はキュビスムを発展させ運動の連続写真がイメージなんだそうです。アンデパンダン展に応募したところ、理解されなかったといいます。
委員会の代表をつとめていた二人の兄を通して変更を求めてきたのです。アンデパンダン展とは、無鑑査・無褒賞・自由出品を掲げた美術展です。それなのに実際は・・・・という建前と本音を露呈させたのでした。この体験がのちの作品にも大きく影響を及ぼしたようです。デュシャンの転機となった作品に注目です。
◆アンデパンダン展(wikipedhiaより)
(アンデパンダンてん、仏:salon des artistes indépendants)は、フランスのパリで1884年以降開催されている無鑑査・無褒賞・自由出品の美術展の名称。サロン・デ・ザルティスト・ザンデパンダンやサロン・デ・ザンデパンダンとも呼ばれている。また各国にも影響を与えており、同じアンデパンダンの名を冠し、パリの同展の形態を理想とした独自の展覧会が日本でも開催されている。
〇第2章:「芸術」でないような作品を作ることができようか
代名詞、レディメイド作品《泉》や、《彼女の独身者たちによって裸にされた花嫁、さえも》(通称《大ガラス》)の展示。
〇第3章:ローズ・セラヴィ
〇第4章:遺作
《遺作》については、ビデオで紹介されています。この作品は、デュシャンがチェスに没頭し、作品作りをやめてしまったのかと思われていたのですが、晩年の20年を費やして秘密裏に制作していたものです。今回のために制作した映像とのこと。
長らく温めていたこの作品を美術館に設置したのですが、実はデュシャンは美術館というものに懐疑的だったといいます。作品は美術館という場所で見るのではなく、永続的に考え思考して完成させることが重要と考えていました。
しかし永続的に考えて思考するためには、作品は見られる必要がある。ということで美術館の必要を感じ、最終的には和解しただそうです。
■デュシャンが考えていた理想の観客
デュシャンの中に理想の観客像というのがありました。それは、未来の観客であり、50年後の観客だと語っていたそうです。まさにその50年後の観客というのが私たちなのです。
西洋の現代美術の枠を誰よりも押し広げた芸儒家デュシャンについて、フィラデルフィア美術館近代美術部門キュレーターマシュー・アフロン氏により語られた講演会でした。
これらのお話をヒントにして、デュシャンの伝えたかったことを考え続けていくきっかけにしていきたいと思います。
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