現代美術はむずかしい。よくわからない。美術鑑賞を趣味にしている人からも、どうも現代美術は・・・・と敬遠されがちなイメージ。そんな現代美術を、これまでどう捉えてきて、どんな経緯で興味を持つに至ったかの記録。
*こちらは、ヨコハマトリエンナーレ2020に関する下記記事より独立させました。
■ヨコハマトリエンナーレ2020 AFTERGLOW 光の破片をつかまえる(自分用メモ
⇒ 2■(2020.03.24)現代美術に興味を持つまでの流れ
マルセル・デュシャン - src Original picture by Stieglitz, パブリック・ドメイン, リンクによる
現代美術って何? 何を言いたいのか意味不明。これまであまり興味を抱く世界ではありませんでした。しかし、よくわからないと思いながらも、いくつかの現代美術展にはでかけていました。全く興味がないわけではないようです。
とっつきにくい。そんな現代美術を、これまでどんなふうに捉えてきたのか、美術の見方がどう変わってきたのかを追ってみました。
なんとなく気にはなっていた現代美術。今年、ヨコハマトリエンナーレ2020が開催されるので、これを現代美術に触れるきっかけにしようと思いました。これまでの、美術と現代美術とのかかわりを振り返ってみます。
- 1■(2020.04.24)現代美術とは?
- 2■(2020.03.24)トリエンナーレって?
- 3■(2020.02.02)美術史とは? そういうことだったの?
- 4■(2020.02.02)アートがわからないのは、時代を理解していないから
- 5■現代美術展から
- 6■(2020.02.20)芸術の認知科学
- 7■(2020.04.23)これまで見てきた現代美術から
- 8■(2020.04.23)現代美術に今、感じていること
- 9■関連
- ■現代美術関連
1■(2020.04.24)現代美術とは?
〇(2020.04.24)言葉の解説
「現代美術」・・・・
言葉の定義を調べる時、トップに出てくるのは、wikiphedhiaのことが多いです。wikiphedhiaは、賛否がありますが、言葉の概要や全体像、概略を知るには、比較的役に立つと思っています。現代美術で調べると・・・・
これらの情報には、下記のインフォメーションが現れました。
「この記事のほとんどまたは全てが唯一の出典にのみ基づいています。
他の出典の追加も行い、記事の正確性・中立性・信頼性の向上にご協力ください。(2019年10月)」
そして下記のような解説がされています。
現代美術(げんだいびじゅつ、英語: Contemporary art)またはコンテンポラリー・アートとは、歴史の現代を借りた用語で、美術史における今日、すなわち20世紀後半の第二次世界大戦後の1950年以降から21世紀までの美術を指す。
「wikiphedhiaの情報は、あてにならない」「こんな情報を参考にするのは愚の骨頂」という意見もあります。しかしおおざっぱな概要を知る上ではわかりやすいですし、その業界がどんな世界かというイメージをつかむこともできると感じています。
「現代美術」とは、コンテンポラリアートのこと。コンテンポラリーとは、第二次世界大戦後、1950年から21世紀までをの美術を表しているそうです。しかしwikiphedhia側は、単一出典でない情報を求めています。
参考:Wikipediaを参考文献にして良いかどうか問題 | ハフポスト
その他の情報の多くは、個人による「現代美術」に関する考えが紹介されています。その中で信頼性がおけそうなソースは、各百科事典に取り上げられた現代美術をとりあげたコトバンクの情報でしょうか。
いろいろな百科事典から「現代美術」について紹介がされています。
言葉を理解しようと思った時、信頼に値する定義はどこで調べたらいいのか?
(というのが、いつもぶつかる課題です)
現代美術について、下記の学芸員さんによる言葉を引用させていただきます。
現代美術とは「同時代における社会情勢や問題を反映し、美術史そのものや世の中へ批判的な態度を持つ」作品だと定義することができます。
現代美術は常に「同時代性」を含みます。
引用:現役学芸員が伝える現代美術とは?現在美術の基礎に迫った。|芸術大海
「社会問題」「同時代性」「批判的」あたりがキーワードのようです。
〇(2020.03.24)現代美術へのイメージ
現代美術、確かによくわかりません。なんでもありの世界に感じます。好き勝手なことを言って作品を作り、見る側も好き勝手に鑑賞する。作る方も、見る方も自由。正解はない。
個人的には、あまり興味がないかも・・・・ しかし、何か興味を感じた時は、でかけていました。それを繰り返すうちに、ちょっと気になり始めてきたことも確か。勉強してみようかな。と思うけど、勉強して学ぶのは嫌い。
自分の興味を追いかけていたら、結果、少しずつわかってきた。そんな感じが望ましいと思っています。
興味を後押ししてくれる何かがあるとよいのですが・・・・ 今年、3年に一度のヨコハマトリエンナーレが開催されます。これをきっかけに、気になるものだけでなく、「現代美術」というつかみどころのないものに、向き合ってみようかな?そんなことを考えていました。
〇 (2020.03.24)「現代美術」と「現代アート」って違うの?(2020.04.25)
Q「現代美術」と「現代アート」 違いがあるのでしょうか?
「現代美術とは?」「現代アートとは?」 それぞれについて、言及されているのを目にします。しかし「現代美術」と「現代アート」の違いについて語られているものがみつかりませんでした。
参考:美学研究所(Aesthetics Research Institute)Aesthetics lab. by 狭山美学校
上記に、現代美術と現代アートに関する記述がありました。
まず最初にはっきりと言ってしまうと現代アートの明確な定義はありません、また現代アート、現代美術の定義があるとしてもそれは個々による認識や捉え方でかなり変わってきてしまします。
「現代美術」と「現代アート」その定義は、個々の認識の違いと言われています。
「現代美術」の言葉を選ぶのか、「現代アート」という言葉を選ぶのか。使う側には何か意図があるのでしょうか?
Q「現代美術」「コンテンポラリーアート」「モダンアート」違いは?
「現代美術」と「コンテンポラリーアート」は同義。モダンアートは「近代美術」と同義のようです。
Q「現代美術」「近代美術」の違いは?
⇒明確な定義はされていないようです。
Q 「アート」「芸術」「美術」の違いは?
辞書的な意味の解釈、感覚的な違い、図解による解説がされています。
〇(2020.03.24)美術用語について
言葉については、いろいろな方がいろいろに語っています。何かを元にして参照しながら、解説されていたり、感覚的に捉えていたり。この時、何を参照しているのか、またどのような方がどのような立場で語っているのか・・・・ そんなことを参考にしながら、その言葉を理解しようと試みます。
美術の世界は、言葉を調べる時、苦労するというのが実感です。これまで、他のジャンルでも、よくわからない言葉を調べた時に、定義が定まっていない世界というのは、その学問体系が過渡期にある、あるいは、未熟であるという認識をしてきました。
ところが「〇〇とは、〇〇である」と説明できない世界があること。自分が慣れ親しんだ世界とは、違う知の世界があることに気づかされたのは、美術に触れるようになってからでした。
そして、図書館の美術辞典で調べた時に、何ページにも渡る解説があり、もっと簡潔に説明ができないのだろうかと思ったこともありました。美術という世界が、美術の歴史や、社会の歴史の文脈にそって成り立っているということを考えると、その背景の解説が必要となり、長くなってしまうのだということが、今になって見えてきました。
〇(2020.03.24)これまで見た現代美術
・直島(2006年 2016年)・・・草間彌生 ボルタンスキ―
・デュシャン ジャコメッティー
・草間彌生 ボルタンスキ―
・イサムノグチ
・カンディンスキー ジョルジュ・ブラック
■現代美術 カテゴリーの記事一覧 - コロコロのアート 見て歩記&調べ歩記
あまり、興味がないと言いながらも、わざわざ直島には2回も出かけています。しかも最初に訪れたのは2006年。14年前です。その後、会場で知ったアーティストの展覧会には、機会があれば出かけるようになりました。興味がないのに、行ってみようと思う裏には、何があったのでしょうか?
当時は庭めぐりが趣味でした。高松の栗林公園で出会った公園管理者の方とお話をしていて、おすすめの庭を聞いた時、直島とイサムノグチ庭園美術館を紹介されたのが現代美術との出会いにつながりました。
その後、イサムノグチ、草間彌生、ボルタンスキ―の展覧会を見に行くようになります。最初に触れた絵画で、モネばかりを集中して見たのと同じように、知っている現代アーティストの展覧会を集中的に見ていけば、そこから何かが見えてくるかもという期待がありました。
2■(2020.03.24)トリエンナーレって?
2度訪れた直島の瀬戸内国際芸術祭は3年に一度、行われます。それと同じくよく耳にする芸術祭、トリエンナーレ。こちらはどんなものなのでしょうか?トリエンナーレとは、どのような意味なのでしょう。
トリ(tre)は「3」 ビ(due)は「2」を意味します。エンナーレ(en'nāre)は、芸術祭という意味かと思いきや、その意味はないと言います。単純に数字、開催間隔を意味してるだけなのだそう。(Torien'nāre)
「トリエンナーレ」(triennale)の原意はイタリア語で「3年に一度」である。 英語では triennial(トライエニアル/トライアニアル)と呼ばれる。う(wikipedhiaより )
関連:トリエンナーレの時代 国際芸術祭は何を問いかけているのか[全編]
Q (2020.03.24)エンナーレ(en'nāre)の意味は?
トリは3.だとしたら、エンナーレは、どういう意味なのでしょうか? 「~年に一度」という意味と言われているらしいのですが、イタリア語の辞書で、「~年に1度」と調べてみても、エンナーレは出てきません。(こういう一つ一つのことを、目で見て確認しておかないと納得できないのがなかなか前に進めない原因)
Q (2020.03.24)Torien'nāreは?
イタリア語の辞書で「Torien'nāre」を検索してみましたが、翻訳されません。
Q (2020.03.24)エンナーレ・・・「~年に一度」のソースは?
今度は、日本語からイタリア語に、辞書で変換してみました⇒イタリア語-日本語 辞書, Glosbe
【日⇒伊】
日本語で「~年に一度」に類する言葉を入れます。どんなイタリア語に翻訳されるでしょうか?しかし、変換はされません。
・年に一度 ⇒見つからない
・年毎に ⇒annualmente 年1回の 年一回の イタリア語
・3年に一回 ⇒見つからない
【伊⇒日】 イタリア語を入れて日本語への変換を確認
・en'nāre ⇒なし
・Torien'nāre ⇒翻訳せず
【美術用語集】 美術用語集だと出てきました
・TRIENNNALE ⇒「3年ごとの」 TRIENNALEとは何? Weblio辞書
美術用語集には、TRIENNNALEそのものが「3年ごとの」と記載されています
Q (2020.03.24)トリエンナーレは日本の造語?
どうも、トリエンナーレの言葉の意味に納得がいきません。トリエンナーレってもしかして日本の造語なのでは? 世界でも使われているのでしょうか? と調べてみたら、Triennale di Milano がありました。使われているようです。
エンナーレとは、どういう意味? きっと意味があるはず。と思って調べていると、「茶エンナーレ」というイベントがありました。この催しの「エンナーレ」の意味は、どういう意味なのでしょうか?特に意味はなく、トリエンナーレの音にかけた造語として使われているようです。
Q (2020.04.16)エンナーレ エン+アーレ?
エンナーレという言葉は、さらに分解できると気づきました。「エン+アーレ」に分かれると考えられます。
最近は、語源で覚える英単語というのがブームで、ネットにも、英語の接頭語、接尾語がまとめられたものがありました。
⇒英語の接頭語(辞)もまとめてみた 読書猿Classic: between / beyond readers
エン:名詞に付けて…の中に入れるの意味の動詞を作る
encase(…を〔…に〕入れる[包む]),
enchain(…を〔鎖で〕つなぐ),
名詞又は形容詞に付けて …にする の意味の動詞を作る
enrich/enlarge/enslave, 動詞に付けて…中にという意味を添える
enlighten(啓発する,啓蒙する),
enwrap(…を〔…に〕入れる[包む])
アーレ・・・アーレはなし
??代わりに-al :「…の(ような) …の性質の」の意味の形容詞を作る, 動詞から名詞を作る
・語源を調べる辞書が他にも各種あるようです
・語源で覚える英語情報の反乱しています 二匹目のドジョウ狙い?
以上、いろいろ調べてみましたが、エンナレーの意味はわかりませんでした。引き続き、模索はすることにし、3年に1回行われる芸術祭を、現代美術やトリエンナーレに親しむ機会にします。
(2020.06.18)ウィクショナリー辞書 発見
ウィクショナリーの目的は、あらゆる言語の語句の意味・語源・用法・関連語などを記載した多機能辞典を作ることです。
求めていた辞書が制作されていた。語源や関連、派生語なども含めて知りたいと満足させてくれる辞書。
イタリア語(Torien'nāre)では情報なし。英語(triennal)で下記が・・・
英語[編集]
語源[編集]
形容詞[編集]
triennial (比較形なし)
派生語[編集]
- triennially(副詞形)
- triennium(名詞形)
関連語[編集]
- annual(一年毎)
- biennial(二年毎)
- triennial(三年毎)
- quadrennial(四年毎)
- quinquennial(五年毎)
- sexennial(六年毎)
3■(2020.02.02)美術史とは? そういうことだったの?
「美術史」とは何か。理解するためには、漢字を分解するとよいと聞きました。
「美」・・・・美とはなにか? そこには哲学的領域も含まれます
「術」・・・・テクニック、技法のこと。マテリアルも含まれます
「史」・・・・歴史のこと
言葉を分解すると意味がわかりやすくなるというのは、英語を理解する時に、英単語を語源に分けて理解するとわかりやすくなるのと同じだと思いました。漢字の熟語も、パーツに分けて考えるというのは、目からウロコ。「美・術・史」という言葉に分かれるのです。
美術芸術系の大学で教える「美術」という「学問」は、「術」と「史」の部分を中心なのだそう。最初の「美」とは何か・・・・ そこの部分には、あまり触れられてこなかったようです。
そして現代、何が美であるかが問われるようになりました。美とは美しいだけが美ではないなど、捉え方は多様化してきました。そんな流れの延長戦上に「現代美術」があるということのようです。
〇(2017.11.16)器形継承と変容にみる工芸史
美術というのは、形を変えながら伝わっていくものという漠然とした感覚的なものがありました。それを明確な言葉で表現されたのが、痕跡器官という言葉でした。
東博の連続講座「日本における美術史学の誕生」の一コマ「器形の継承と変容にみる工芸史」の中で語られました。
日本刀が、タイに伝わり、その形に痕跡器官が見られるという話し。日本刀の腰ひも(こしらえ)と同じような形態を持つ刀がタイに残っているそうです。
それは、当時の服装に起因し、みだしなみを整えるための道具として残ったようです。ところが時代がさらに下り、その機能を失っても、形として残り続けました。そうした多数の痕跡器官が見られる工芸品がタイにあるとのこと。
金工の研究は、進化学や生物学の手法を用いているという話が、美術の作品をひきついでいくということを理解する上で、ストンと落ちる感じがしました。「形態」を「器形」という言葉で表されていました。
生物学の痕跡器官というとらえ方が、歴史のつながりを追う上でとても役に立ちました。
日本美術を救ったフェノロサは哲学の教授として招かれましたが、その後、スペンサーの社会進化論を元にした講義を行っています。
進化論という考え方は、生物に留まらず、社会にもあてはめています。その後の日本美術の蒐集において、この考え方を元に集められたのではと想像されました。
参考:ダーウィン進化論に生じる誤解 | NHKテキストビュー
美術史の流れの中で、痕跡器官を見出し、それをつなぐことで、いかに進化したかを推測していく考え方。もともとは考古学の世界で使われているようですが、工芸品でも、美術品でも応用ができる捉え方なのだと思いました。
関連:■MIHO MUSEUM:「雪村 奇想の誕生」 波濤表現の源泉を見た!
過去に、蕨のような波濤図が、いつ頃生まれたのかを調べるのに、その形態の波の絵を時代を追って遡ったことがありました。それと似てると思いました。
生物の進化論という、自分にとって馴染みのある知識に置き換えて、美術の世界を語られると、グッと身近に感じられます。
美術が受け継がれてきたプロセスの中に、生物のような進化の過程がある。そのようなまとまり、グループ化ができると、美術だけでなく。これまでなじみのなかった考古学や工芸品の世界も、身近になるのを感じました。
そして、フェノロサが師事したスペンサーは、生物学にも思想を深めていた人だったようです。
参考:"進化"という訳語の成立 | リレーエッセイ | 静岡産業大学
〇(2020.02.02)痕跡器官
時を経て、また痕跡器官の言葉を耳にしました。それは考古学の研究の話の中で登場します。工芸史の講座で聞いた話を思い出していました。考古学という学問は、科学を基盤にしていました。ダーウィンの進化論が、そのまま適用されていました。
・形式学 ダーウィンの進化論 生物 系統的進化 分化 適応
・モンテリウスの形式学
引用:パブリック・ドメイン, リンク
生物学では、それ以上分けられなくなるまで分けた最小単位を「種」と言います。(単語の分化とも同じ?)まずは形態を元にして、細かく分けて分析をし 似たものを集めてグループに。考古学も同じ作業をしていました。痕跡器官は、変化の方向をさぐる手段です。
〇(2020.02.02)美術史と現代美術について
美術や考古学では、痕跡器官を辿って、繋がりを検証しています。すると、過去の美術史が現代美術に連なっていることが判ると言います。
美術は決して、無から作られているわけではないのです。突然変異がおこっているわけでもありません。痕跡をたどれば、どこかとつながりがみつかるもの。
ラスコーの壁画に絵を描いた時代から、今につながっているのです。検証をくりかえしていくと、のちにまとまっていくと言います。
ラスコー展にて
〇(2020.04.24)現代美術は突然変異ではない
〇(2020.04.24)現代美術は過去の美術史の延長戦上にある
4■(2020.02.02)アートがわからないのは、時代を理解していないから
これまでアート作品を見ていて、感じたこと。理解したこと。
なんでその作品が、評価されるのかわかりませんでした。それは当たり前のことじゃない? と思うことがよくありました。鑑賞を重ねるうちに、それは、現代に生き、その価値観が浸透した社会にいる者からの目線だとわかりました。
〇モネを見た初期の感想
2005年ポーラ美術館:「ポーラ美術館の印象派 - モネ、ルノワール、セザンヌと仲間たち」でモネが描いた汽車を見た時の印象。
モネが機関車なんて描いてる・・・・ 何でこんなもの描いたのだろう? そんな感想を、最初に持ったことが強く印象に残っています。モネと言えば「睡蓮」や光が降り注ぐ景色を描く画家だと、当初、思っていたからです。
ところが、この時に、美術の題材は、その時代を象徴する事象をテーマに取り上げ制作されることを知りました。産業革命によってもたらされた蒸気機関は、機関車で都市部から郊外へ、人とモノを移動させます。それによってもたらされた暮らしの変化を、トレンドとして切り取っていたのが、この絵だったのでした。
モネだけでなくシスレーも機関車を題材にしていました。蒸気機関車がトレンドの時代。それがモチーフとなっていたという「時代性」というものを知った初めての出来事でした。
〇画家は時代のトレンドを取り入れて描く、時代を表現している
クロード・モネ - Pola Museum of Art, パブリック・ドメイン, リンクによる
その後、2007年、国立新美術館開館記念「大回顧展モネ 印象派の巨匠、その遺産でモネの『かささぎ』という作品と出合いました。
The Magpie - Claude Monet — Google Arts & Culture https://t.co/yBnxYskAJp @googleartsさんから
— コロコロ (@korokoro_art) 2020年4月25日
タイトルの「かささぎ」ってなんだろう。この絵は何が言いたいのだろう。かささぎは、梯子門の上にのった小さな鳥のことでした。主題よりも、その背景の雪景色が大半を占めています。カササギを際立たせるための手法でしょうか? 雪が中心の絵。肝心のカササギはすぐにみつけることができませんでした。
日本人にとって、雪を描いた絵はよく目にします。ところが、西洋では、白いキャンバスに白の雪を描くということは、画期的なことだったと知り、カルチャーショックを受けました。
(この時の図録を確認し、解説にはなかったのですが、展示パネルの解説のメモがみつかりました。そこには、雪の白は、西洋人は「病んだ自然」としてモチーフにしないという解説があり、衝撃的だったことが記されていました。
西洋では、雪景色を病んだ自然ととらえていることに、自然の捉え方、文化の違いということを絵画を通して初めて知った出来事でした。)
自然はどんな人でも、愛でるものという価値観は、世界の当たり前ではないこと。そんな文化の違いに頭をガツンと叩かれたような衝撃でした。芸術は、それぞれの地域や集合体が持つ文化を打ち砕き、新しい価値を創造している。モネは雪の白の世界に、バラ色や紫を見出したのでした。評価のないところに関心を示さないというメモも書かれていました。
他国の文化を知らないと、その価値を理解することができません。もしかしたら、これと同じようなことが、他にもいろいろあるのかもしれないと思わされました。美術は、時代の違いによる価値とともに、地域や文化の違いも、内包していることを、感覚としてこの時、感じとっていたように思います。
(この展覧会では、ジャポニスムと言われる日本の文化を取り入れたモネの作品がテーマになっていました。外国人は、こんなところが斬新に写るんだと、自国の文化の再認識をしていました。それでも、雪景色が海外では、雪を病んだ自然ととらえるというのは、驚きを禁じ得ませんでした。)
絵画を見る時、時代だけでなく、地域が持っている文化や価値観にも思いを馳せること。作者は、どんな価値感を打ち破り、新しい価値を創造したのか。そんな視点でも見ることを知った、原点の作品ともいえます。
絵画の新しい見方に触れた瞬間だったといえるかもしれません。世界の文化を知ること。そこから、多様性へと気づいていく最初の一歩だったと思える作品です。
〇アートは時代を反映、新たな価値を創造 社会の変化によって変化する
今の時代から見たら、当たり前に感じること。自分たちのコミュニティーからは当たり前の習慣。(その逆も)そうした違いを理解することから、美術の理解は始まるということをなんとなく、感じ始めました。すると、そのあとに見えてくる景色もあります。
モネが、機関車なんて描いてる・・・・ 主題よりも雪ばかり描いている。そんな第一印象の裏に、アートの本質的なものがあったようです。
時代を象徴するものを描き、蒸気という見えない空気のようなものを描きだそうとする。一見、真っ白でしかない雪の中にある光を受けたた色をみつめ、そのゆらめきを表現しようとしたチャレンジ。絵画の背景にあるものを、ぼんやり感じながら、そのおぼろげなものの姿が見え出してきた。そんな歩みが美術鑑賞の中にありました。
のちに、社会構造が変わると。美の表現方法も、一点突破するように、変わっていくことを経験の中で理解していきます。その社会変化と美の変化を、追っていくことが、美術の世界なのかなぁ・・・・という理解に至りました。
〇印象派でも描くものは違う
最初、モネを中心に絵画を見て、印象派というものをなんとなく理解できたかに思っていました。「ポーラ美術館の印象派 - モネ、ルノワール、セザンヌと仲間たち」では他の印象派の画家の作品も展示されていました。モネつながりの延長で見れば、印象派も理解できるはず。
ところが! 全然、違う! イメージ、違いすぎ・・・・ そもそも、描いていている対象が違いすぎる。筆触分割に見えないし・・・ どこに共通点があるのか全くわかりません。一端、モネを通して、つかみかけたと思っていた印象派が、ガタガタと崩れていきました。
ルノワールは裸体を描き、セザンヌはピエロや静物画を。描いているものが、こんなにもバラバラ。印象派って自然を描く人たちじゃなかったの? 筆触分割で描かないの? 印象派を立ち上げたモネに倣った絵を描くのが印象派という集団じゃないの? しばらくその戸惑いの中に溺れてしまいました。
〇美術は新しいものを、いち早く導入する世界
そののち、美術の題材というのは、その時代を表していたり、これまでになかったテーマを提示したり、それまでの常識を打ち破る革新的なものにチャレンジしていくことだということを理解していきます。
新しい技術もいち早く取り入れ創作活動に生かしています。印象派の時代、写真は新しい技術でした。それを利用して絵画に活かしていました。
今は、写真は日常ですが、当時は革新だったのです。←こうした歴史と今の日常感覚のずれを理解しないと美術は理解できないと悟り始めました。歩みは遅いですが、美術展の作品を見ながら、そのことを少しずつ理解していきます。
〇なんで、この絵がすごいのか?
この絵の、ここが優れている。という解説を見ても、そんなことだれでもやってることじゃない? なんでそれがすごいのかよくわかりません。そう思ってしまうのは、その価値がすでに認められて浸透した現代に生きているからだということがわかってきました。
絵画を見る時は、今の時代の感覚で見るのではない。その時代の価値観や技術などに入り込む必要がある。絵画がわからないのは、歴史や描かれた当時の社会情勢を知らないから。ということを、いろいろな方向から、気付かされるようになります。
その時代の価値観を知らない。その時代に既存の価値を破った、ブレイクスルーがあったから、今がある。今の時代の価値感で見ていては理解ができないのは当たり前。
今が当たり前なのではないこと。そして今の価値感も、これからまた破られていくこと。歴史の知識も、しっかり学ばないとだめだ・・・・
そして美術の世界で、どのように価値の変革が起こっていたのかを、全体の流れとして、たどる必要があると思いました。「歴史」とともに「美術史」の理解が必須であることを悟ります。
⇒〇歴史を知ってわかること(デュシャンの理解は、デュシャン以前の歴史を知る)
〇現代美術もこれらの流れの先にあるのかも
美術の歴史は、既存の価値の突破にあった。ということがわかってくると、現代美術も、これまでにないもの、新しい技術や素材を模索した結果として発露したものであると考えられます。
一見、よくわからないと思っていた、現代美術ですが、これまで見てきた美術の延長線上にあるのかも。と思うとちょっと身近になってきました。
今の時代は、作品のマテリアルや手法の選択肢は過去とは比べものにならないくらい飛躍的に増えています。あらゆる技術やモノ、情報までもが芸術の対象となっていきます。だから、わけがわからない混沌とした世界につながっているとも思いました。
逆に、わけわからないからこそ新しいともいえるのかもしれません。わかるものは、新しくはないということ・・・・ そんなことを、感覚的に感じ始めていたのかもしれません。
5■現代美術展から
〇(2020.11.18)未来と芸術展で見た斬新性
未来と芸術展:AI、ロボット、都市、生命――人は明日どう生きるのか | 森美術館 - MORI ART MUSEUM
最新科学が現代アートの素材になっています。新しく開発された素材や技術ががアートの世界に取り込まれていきます。アーティストは、常に新しいマテリアルや技術を求めアンテナを張り、取り込んでいきます。
これまでになかった素材や、目新しいテクニックは、垂涎ものの手法なのかも・・・・ ここに科学と芸術の融合が進んでいきます。科学の進歩は、芸術の世界に、マテリアルや手法を提供するという側面も持つことになり、アートと科学が直結し、ボーダレスの世界に。
その結果、科学者もアーティストになっていきます。その素材は驚くことに、生物や遺伝子など、これまでの常識をはるかに超えたところに達しています。
オランウータンと人間の交配にで生まれた子供と母の絆。再生医療が進み心臓は、これまでになかった血管系を持つかも。人の進化にメスを入れる?喘息の子の足指を切断。寄生虫感染を起こし、アレルギー反応を低下。子供の身体能力を高めるため、頭皮表面を拡げ、熱所でも働けるようにデザインをする。 pic.twitter.com/zgwIYl92Cx
— コロコロ (@korokoro_art) 2019年11月18日
現代美術は、どこまでいくのか・・・・
〇(2020.02.20)柳宗理展と現代美術
島根県立美術館で行われた「柳宗理デザイン 美との対話」 柳宗理も、現代美術の範疇だったことにあとになって気づかされました。
柳宗理は、東京美術学校の校友会誌「東京美術」に「現代美術における無意識性に就いて」という論文を掲載しました。
「現代美術の無意識性」という言葉が気になって調べていたら、次の論文を目にしました。
⇒芸術表現の捉え方についての考察 「芸術の認知科学」特集号の序に変えて
〇(2020.02.20)島根県立美術館からヨコハマ美術館へのつながり
展示作品の作家の共通性から、ヨコハマトリエンナーレへの興味へ。
思いがけないつながりも何かの縁。これをきっかけに現代美術やトリエンナーレに親しんでみよう
6■(2020.02.20)芸術の認知科学
⇒芸術表現の捉え方についての考察 「芸術の認知科学」特集号の序に変えて
上記は、現代美術を理解する上で、参考になる記述が多々ありました。。
〇【表現行為】・・・アフォード アフォーダンス
アフォード、アフォーダンスという言葉が用いられており、もしかしてこれは、ヨコハマトリエンナーレのソースブックで紹介されていた「あほうだんす」の元になっている用語ではないかと考えられます。
・生態学的視覚論 アフォード アフォーダンス(⇒ Wikipedia)
・意味の変化、誤用の一般化 両方の意味の解釈ができる
⇒関連語:あほうだんす
・環境に新たな痕跡 痕跡の中にある不変項
〇(2020.04.06)アウトサイダーアート
⇒芸術表現の捉え方についての考察 「芸術の認知科学」特集号の序に変えて
上記で紹介されていたアウトサイダー・アーティストというのが、一つのキーワードになると思われました。なんでもありに思われた現代美術。作り手も何でもあり。誰もが参入できるのが現代美術。そのように理解していました。
・芸術教育を受ける機会のなかった人
・独自の創作手法、表現手法を持つ
・文化に依存しない
・受け手不在
・文化的 社会的賞賛に無関心
・他者に魅せることを目的としない 自分のためだけ
・スタイルが確立しているので変化しない
↑ 現代美術=なんでもありという認識の原因?
・内的世界 外的世界 ぼんやりしたこっちが、あっちを描くことで見える世界。
・行為と知覚サイクルの基礎課程がある、ない。
・内面の表出 目に見えないものを見える形に 哲学者 ディルタイ
・内面の表出 外界に痕跡 自己の内面の発見⇒学習が生起()
・行為の省察による内面の変容
・デザイナー、教育者、科学者などの専門家の実践知の獲得
・決定的な役割を果たす
・自己のための表現の表出⇒コミュニケーション
・個人(パーソナル)→歴史的文化的なものへ・・・・
・芸術文化とのかかわりの中の表現と省察
〇(2020.04.06)【芸術表現のコミュニケーション】
・触発するコミュニケーションの喚起
・評論家・学芸員・市民が触発されコミュニケーション 現代のあらたな枠組み
7■(2020.04.23)これまで見てきた現代美術から
〇デュシャン
現代美術はデュシャンから始まると言われています。
デュシャンを通して考えてみました。最初は時代や背景を知らないまま、そして、背景を知ってから・・・・
既製品の便器が芸術なのかを投げかけたデュシャン。個人的には、画一化された工業製品の中にも、バラツキがある。その差異に着目して見出すデュシャンの目。そしてサインをするという行為がアートだととらえました。しかし、デュシャンの意図は、全く違うところにあったようです。
答えは違ってたみたい。しかし、問いから、自分で考えて導き出した答え。それが現代美術なのだと理解しました。便器がアートであるかどうかも、見る人が決めること。この展覧会もまた現代美術に興味を持つきっかけとなりました。
〇直島
10年前に見た安藤忠雄の南寺。10年後にまた同じ作品を見る。物事をどのように捉え理解するか。自分が根差している世界が見えてきました。モノの見方というのは、いつまでたっても変わらないもの。そして自身の思考のクセのようなものを客観的に感じさせられていました。
見るという行為を、身体機能と光の関係でとらえている。条件が変わると見え方はどう変わるのか。それは、視覚実験をするように現代美術を捉えていました。何もわからず見た10年前。ジェームスタレルも、光がどう影響しているのか。見る場所を変え、ライティングがどうなっているか、その効果は視覚にどう影響しているのかを見ていた。
〇ボルタンスキー
現代美術とは、「同時代における社会情勢や問題を反映し、美術史そのものや世の中へ批判的な態度を持つ」と言います。
批判的態度で世に問うアーティスト。そのアーティストが提示したものに対しても、批判的に見る態度が鑑賞側にもあっていいと思った作品。直観的に違和感、おかしさを感じさせられた作品がありました。
自分なりにその違和感を紐解き、調べた結果たどり着いた答えは・・・・
アーティスト本人の言葉の中にありました。
「私は嘘つき」
「アートにはまやかしがある」
「そんな中で物語を感じさせることが大事」
最初に感じた違和感は、まさに、この言葉どおり、作品に嘘があるという直観でした。そこから生まれた物語は、どこかまやかしを感じていました。作品のために作り出された文脈というものを感じてしまいました。
世の中を批判的に見るという現代美術。そんな現代美術作家を批判的な目を持ってみる。自分で考え調べその違和感の理由をさぐる。
浜辺に打ち上げられた鯨の骨格かと思わされたその場所は、南米の国際現代美術ビエンナーレ「ビエンナルスール」の第1回展の会場だったことがわかりました。
アートという世界がどういうものなのかをチラ見えした気がした作品でした。文脈、ストーリーを見る人に信じ込ませ演出しているという側面も合わせ持っていること。それに気づけたのは、自分が物事を判断する時の基本。自然科学の法則に照らして矛盾はないかという目線。それによってまやかしを感じ取ることができたのでした。
〇ジャコメッティー
本質を表現するとは、よく言われる言葉です。しかし人によって、属する世界によっても「本質」の意味することが違うと感じました。自分が考える世界だけでなく、他の世界の思考にも目を向けること。自分とは違う考え方があることを理解することを教えてくれたジャコメッティー展でした。
8■(2020.04.23)現代美術に今、感じていること
〇(2020.04.23)現代美術と従来の美術は同じ?
現代美術も、これまでの美術も、結局は同じなんだと思うようになってきました。基本は同じ。美術は、新たなモノの見方、世界を提示してくれるもの。そこに、社会批判が込められたのが現代美術。
しかし、過去の美術にだって社会批判はあります。
私が感じたことは、自分のモノの見方を客観的に知らしめてくれるものだと思いました。しかし、これも、現代美術に限ってはいません。
〇(2020.04.23)内的世界の表出の有無を見極める
上辺だけの作品、考え抜かれた作品も一見、同じような不可解さで、違いがよくわかりません。
しかし、内的世界と外的世界。内から外へ表出するプロセスの図解が、興味深いと思いました。何でもありに感じられる現代美術の本質を見るのに、役立ちそうです。作る側も見る側も、内と外を行き来しながら、内的世界で循環を繰り返し、深めていく。それが、外の世界の社会や芸術に、影響をもたらしているという概念。
作り手が、内的世界がら表出した作品を、見る側にどれだけ考えさせる力を運べるかなのだと思いました。
〇(2020.04.23)現代美術は、美術史の通過点
現代美術とは、これからも続いていく美術の歴史の、今という時代の通過点なのだと思いました。その点が、これからどことつながり、どうのように伸びていくのか。あるいは、消えてしまうのか。
現代美術は、そんな美術史上の、今の一コマにすぎないと理解しました。やっていることは過去と同じ。しかし、それを表現するマテリアルや技術、手法が、実にバラエティーに富み広がりすぎました。そのため、ついていけなくなり、わけわからないという印象を与えているのだと。
これまでの価値観で、美術とはこういうもの。こんな材料で、こういう作品が美術作品という既成概念を超えるものが使われ、わからない感が漂っているのだと。科学も含み、音楽や映像。ダンスなど、縦横無尽の広がりを見せているのが現代美術なのだととらえています。
〇(2020.04.23)見る側に要求されるものもある
それは、同時に、見る側も、社会や時代に目を向け、考えることができるための基礎知識を持たなくてはならないということなのでしょう。感じ取る力も求められる芸術。感性でとらえるかに思っていましたが、幅広く深い知識が必要なため、難しいというイメージがつきまとってしまうのかもしれません。
美術史の流れを学んでいないアウトサイダーアーティストは、奇抜さ珍しさに向かっているように感じるのかもしれません。内的な省察を伴う作品であるかどうかを見極める目を、見る側も鍛えていく。そのプロセスを面白いと思えるかどうかに、現代美術と親しめるかどうかのカギがあると感じているところです。(⇒しかし、内的な省察が伴わない作品はアートではないのか?という新たな疑問が・・・・)
〇(2020.04.23)興味を持てた理由は連続性
よくわからなかった現代美術。それは別枠のカテゴリーに位置づけられるもので、突如として現れた、理解しえない別の感性が生んだもの。凡人にはわからない別次元のものだと認識していました。
ところが、これまでの美術とも、社会とも、科学ともいろいろなものとつながっている。ということがわかったことで、手元に引き寄せられる可能性を感じました。
いろいろなことに興味を持って探っていくと、それらは、全て繋がっているという実感があります。ところが、現代美術は別枠で突然、降って湧いてきたものと認識していました。その認識が解かれたことで、時間はかかるかもしれませんが、興味を追いかけていけば、どこかでつながり合うという可能性が今、見えたところです。
そして現代美術も、あえて勉強をする必要はない。興味のあるものを追いかけて、そこで生じる疑問を掘り下げていけばいいのだと思いました。その延長で見えてくる別の世界も、本筋から離れてしまい、一見、脈絡がなかったとしても、時を経て、別の何かとつながる可能性があるのだと思いました。
日本における美術史の誕生という講座で聞いた「痕跡器官」という言葉のひっかかりが、時を経て「現代美術」の扉を開く案内役になりました。
これまで絡まっていた「現代美術」の糸は、どこかを引き上げたら、何かと結びついていきそう。そう思えるようになっただけで、いろいろなことが急につながり出しました。
〇(2020.04.30)現代美術は知りたいと思えるようになること
よくわからないことに対して、知りたいと思えること。人には好奇心があって、わからないことを知りたいと思う基本的欲求があると思ってます。しかし、わからないこと全てに知りたい欲求はおこりません。
知りたいと思うことと、思わないことの違いは何か。それは、基礎知識があるかどうか。知っている「言葉」が存在しているかどうか。「知っている」「聞いたことがある」の感覚は、日ごろの学びによってもたらされます。知らないことに対しては興味が沸きにくいもの。
独学によって幅広い知識を持っていると、現代美術が提示してくる世界に反応ができ、興味を持って、知りたいと思えるようになるのだと思います。
参考:「アートはなぜ私たちに必要なのか?」 を探る対談がBUKATSUDOで開催 逢坂恵理子(横浜美術館・館長)×川内有緒(作家) | 創造都市横浜
「正解は一つではない、自分なりの意味を見つけてみて」というメッセージ。これならこれまでのアートの見方と同じ延長線で捉えることができます。より複雑で難解さが加わっているけども、時間をかけていけば見えてくるものがあるはず。
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