これまで「レオナルド」「ミケランジェロ」の展示は何度も行われましたが、宿命のライバルを同じ土俵で「直接対決」させたのは今回が初めて。最初の対決作品は「素描」です。素描ぁ・・・(つまらない)と思う人もいるかもしれませんが、見たら認識が変わるはず!(たぶん…)
以下は、ブロガー内覧会にて撮影した写真を元に構成。写真の撮影、掲載については主催者の了解を得ております。
【前の記事】
⇒■レオナルド×ミケランジェロ展:
ミケランジェロの「十字架を持つキリスト」を見逃すな!
- ■素描とは?
- ■レオナルドとミケランジェロのバトル
- ■代表作の素描の対決
- ■その後の作品
- ■自然観察から解剖、そして「人体の美の法則」「観相学」へ
- ■まとめ
- ■展示構成(対決のポイント)
- ■対決の感想
- ■参考サイト
- ■関連
- 【追記】2017.07.22 これがレオナルド? の疑問が解ける
- 【追記】2017.07.24 高橋明也館長による見どころ
- 【追記】2017.07.24 1000年もたてば、顔も知りたいとは思わないの意味
- 【追記】2017.07.25 「最も美しい素描」と言ったのは誰?
- 【追記】2017.07.25 「もっと美しい素描」発見!
- 【追記】2017.07.28 知るってしまうことで変わる見方の変化
- 【追記】2017.07.28 レオナルドの描く顔はどれも同じ?!
■素描とは?
「素描」とは、デッサンのこと。デッサンはフランス語です。英語だとドローイング。イタリア語では「ディゼーニョ」と言われます。デッサンは絵画の基本中の基本ということは絵を描かなくても耳にしたことはあります。
イタリア語の「ディゼーニョ」という言葉には次のような意味があると言います。
文字通りデッサンやドローイングを意味するだけでなく、まだ頭のなかにあるアイデアや構想、つまりデザインも意味していました。頭に浮かんだイメージが、素早く正確に形となって現れるのが素描であり、そのため素描には、みずみずしい形や、活き活きとした線が見られます。
出典:序章 レオナルドとミケランジェローそして素描の力 パネルより
ルネサンス期において「素描」は次のような位置づけでした。
〈自然〉を母、〈素描〉を父とすると、〈建築〉〈彫刻〉〈絵画〉の3姉妹がいる。
出典:レオナルド×ミケランジェロ展|三菱一号館美術館(東京・丸の内)
つまり「自然の法則に従って素描を行う」ことによって、「建築」「彫刻」「絵画」が生まれたということです。裏を返せば、「建築」「彫刻」「絵画」は「自然に基づく素描」で構成されているということになります。
〇ルネサンスとは?
「再生」「復活」を意味するフランス語で、古代ギリシア・ローマの古典文芸復興を目指す運動が、14~16世紀にかけてイタリアで興りました。美術において古代を通して自然主義を研究することを指しています。「自然」をあるがままに再現するため、解剖学に基づいた人体の把握、遠近法に則った奥行きや立体感、陰影法に忠実な表現といった基本的な規則を順守することにありました。
これらは自然を観察することに基づいてデッサンすることで、〈建築〉〈彫刻〉〈絵画〉における基本中の基本とされていました。
〇素描の大切さ
素描は絵画と比べると、赤茶の線画で、色情報に乏しく、見ごたえに欠けてしまうように感じてしまいます。しかし、決して軽んじてはいけない需要なもので、素描が一つの作品として成立するほどの価値を持ち得ています。
スポーツや音楽、料理や手仕事。何をするにも基礎が大事だとよく言われることです。基礎を身につけることで型ができ、その型を元に、応用、発展させていくことができるのだと思います。これは芸術の世界に限ったことはないのでしょう。素描(ディゼーニョ)の大切さを2人は、次のように語っています。
〇「素描」について語る レオナルド&ミケランジェロ
(舌戦は画像をクリックすると大きくなります)
レオナルド ミケランジェロ
ミケランジェロは、素描だ、素描だ、一にも二にも、素描だと連呼しています。どこか「気合いだ! 気合いだ! 気合いだ!・・・」と声を張り上げる方と似てます(笑)
その他にもミケランジェロは次のようにも語っています。
どこか一部の素描が攻略できれば、すべての被造物を描けるとまで言っています。
何か一つのジャンルで業績を成し得た人というのは、全く違うジャンルのことについてもくわしかったり、業績を残していたりして才能を見せるケースに遭遇します。一点突破した人は、そのコツを知っているからかもしれません。
語学も一か国がこなせると二か国目、三か国目は楽になると言いますし、資格試験もいくつも取得する人はだんだん、取得のコツをつかんでいくのと同じなのでしょう。
一芸に秀でた者は、その功績をあらゆる面に生かせるということなのかもしれません。
そしてレオナルドは次のように語ります。
「素描家よ、君が立派で有益な修業をしたいと思うなら、じっくりと素描するようにせよ。さまざまな明るさを持つものの中で、どの部分が第一の明るさであるか、同様に、影の部分ではどの部分が他よりも暗いか、また光と影がどのような仕方で一緒に混じり合っているのかを判断し、両者の分量を互いに比較してみること。」
出典:レオナルド×ミケランジェロ展|三菱一号館美術館(東京・丸の内)
ルネサンスの古典復興、自然をあるがままにとらえる中で、光をいかにとらえるか、忠実な陰影法について具体的に言及しています。
■レオナルドとミケランジェロのバトル
その後も、二人の舌戦バトルが壁面で紹介されていきます。二人の言葉の投げ合いを見てみましょう。「絵画」が上か、「彫刻」が上かと、熱く語り、他方を否定しています。
(舌戦は画像をクリックすると大きくなります)
レオナルド:彫刻を否定し絵画を賞賛
ミケランジェロ:絵画を否定
ああいえばこういうという状況の中、ミケランジェロは、急に良識的な(?)発言に変わりました。
絵画も彫刻も、同じ才能によるもの。仲直りしようよ・・・と。
〇ミケランジェロ レオナルドに大恥を
ところが、23歳年下のミケランジェロは、その後レオナルドに対して大恥をかかせるようなことをまたもや投げつけます。
↑ これは、スフォルツァ騎馬像 を仕上げることができなかったレオナルドに対して浴びせた言葉です。
↑ 馬の素描を青の下地を塗り金属尖筆と鉛白でレオナルドは描きました。
素描を描いたあとは、試しに粘土像を作成、1493年11月に完成しました。ところがフランス軍の侵攻によって、鋳造用に用意されていたブロンズは、大砲に使われてしまい中断を余儀なくされます。作成していた粘土像はその後、フランス軍の射的の的になって破壊されてしまいました。
そんな状況のレオナルドに対して、ミケランジェロは、「素描を描き、ブロンズまで用意されていたのに、完成できないのは、恥知らずだ」と言い放ちました。騎馬の粘土像が完成した1493年、レオナルド 41歳、ミケランジェロ18歳です。40歳を超えたレオナルドは、18歳の若造にこんな言葉を浴びせられてしまったとは、心中いかに?!
レオナルドは不可抗力だったと思うんですよね。材料を取り上げてられてしまったんですから・・・ それでも、若造、ミケランジェロは容赦なくここぞとばかりに叩きます。叩かれてしまったレオナルドは失意のどん底だったと、ぶらぶら美術館で言ってましたが、そんなの言わせておけ! って思っていればいいと思うんですけどね(笑) レオナルドならきっとそう考えると思っていたのですが、意外にメンタル弱かった?(笑)ちなみに、この設計図でブロンズで制作していたらおそらく崩壊していただろうとのこと。レオナルドにとっては、汚名を残さずにすんだわけで、ブロンズを没収されたのは不幸中の幸い・・・・
〇レオナルドの無念を日本で
そんな無念の騎馬像は、日本の名古屋国際会議場に再現されています。
名古屋市制100年(1989年平成元年)を記念して行われた世界デザイン博で出品。レオナルドの手稿やデッサンをもとに粘土模型が作成され、強化プラスチック(FRP)で仕上げられました。これらは日本の技術と研究による唯一のものです。二本足で支えるバランスや技術。ブロンズでは無理だったと言われているようですが、FRPで再現しました。
【追記】2017.07.25 馬の耳に念仏状態だったレオナルドの馬の像
友人が名古屋に行った際に、この像をわざわざ見に行ったと語っていました。2本の足でこれだけの像を支えることがいかに大変なことか・・・を熱く語っていたのですが、その時は、あまりピンときていませんでした。レオナルドの話には興味があるのですが、馬の話はあまり興味がなかったようです。
レオナルドは、科学や解剖の人・・・そういう情報なら反応するのですが、馬が好きでたくさんの素描を残していたことなど知りませんでした。素描の写真を見せた時に、これがあの名古屋の像よ・・・言われて初めてつながったのでした。さらに、ぶらぶら美術館でこの像が出てきて、数々の馬の素描を見たこととつながり、やっとそれらの一連の話がつながりました。
内覧の撮影した写真を見ると、いかに馬の素描には興味がなかったかが撮影の結果に表れています。注目して撮影したのは、青の下地の一枚だけ。馬に着目したのではなく、青の下地を施し、金属尖筆を使い、鉛白でハイライトを使った一枚ということ。ミケランジェロの弟子も青の下地使ってたなぁ・・・と。
〇パラゴーネ 絵画・彫刻優劣論争
言葉上のバトルは、以上のようなライバル心、むき出しでぶつけ合っています。16世紀の半ばになると、絵画・彫刻優劣論争(=パラゴーネ)が起こります。素描を基本とする「線および彫刻」と「色および絵画」のいずれがすぐれているかという論争です。
レオナルドは絵画について次のように語っています。
「平らなものを立体に見せるという技量…画家はこの点で彫刻家を凌駕している。彫刻家は、そのような立 体を作っても、それは自然によって作られた現実の立体であるから、それ自体で驚嘆されることはないが、 画家の描く立体は、自分の技量によって手に入れたものであるから、驚嘆されるのである。」
一方、ミケランジェロは
「画家は絵画よりも彫刻をおろそかにしてはいけないし、 彫刻家は彫刻よりも絵画をおろそかにしてはならない」
出典:絵画が上か 彫刻が上かより
どうも、レオナルドは意固地な堅物、自分を曲げない人。一方、ミケランジェロは柔軟性があって俯瞰した見方ができる人という印象を与えられます。
では、レオナルドとミケランジェロの舌戦対決を、素描作品で比べてみましょう。
■代表作の素描の対決
〇《少女の頭部》vs《レダと白鳥》のための頭部習作
レオナルド ミケランジェロ
以下、両者の比較を一覧にしました。
〇ミケランジェロの「頭部を削るように描く」とは?
内覧会に参加するにあたり、予習がわりにHPの見どころを移動中見ていました。ここで理解できなかったのは、削るように描くという手法です。解説を聞きましたがやはりよくわかず、高橋館長に具体的にお聞きしました。
高橋館長の解説より
絵というのは、陰影をつけて加えていくもの。ところがミケランジェロの頭部を見ると、斜線をクロスに交差させて描くことによって、あたかもその部分を削りとったかのような描き方になっているとのこと。
写真撮影スポットのパネル、拡大写真でみると・・・
頭部がそぎとられたかのように表されていることがよくわかります。
↓
上記の画像では、わかりにくいですが、下記の公式サイトの画像は、
部分拡大して見ることができます。拡大するとそぎ取って描かれている様子がよくわかります。またレオナルドの素描は、影を加えていく技法であることもわかり、両者の違いがよりわかりやすく比較ができます。
〇影を足していくレオナルドの手法
右下がりの斜線を加えていくことで陰影をつけ立体感を出しています。
さらに、目元、頬にはハイライトが加えられ、陰影、凹凸を表現しています。
これらの違いについてはやはり、実物で確認するのが一番! 単眼鏡があれば、ぜひ持参しておくといいでしょう。
〇彫刻は削るもの 絵も削るように描くミケランジェロ
二人の技法の差は、下記のミケランジェロの言葉とリンクします。ミケランジェロは、絵画でも彫刻を彫るかのように削りとるという手法で描きました。
「彫刻と言いますのは、削り取っていく種類のものを言っているので、付け加えていく種類の彫刻は絵画と同じものです。」ミケランジェロ
「彫刻は削るもの」「絵画は付け加えるもの」そんなふうにミケランジェロは理解していることがわかります。そして、つぎのような言葉に引き継がれていくのでしょう。
余分なものを取り除くことによって荒々しく硬い石から生命ある像が得られ、石が減るに従って像が大きくなるように・・・ ミケランジェロ
〇レオナルドの素描は、金属尖筆
明るい褐色に地塗りしたところに、金属尖筆で描いています。
◆金属尖筆とは (wiki phethida)
骨灰などの白色顔料を混ぜた、研磨質の地塗りを支持体に施して描く。金属尖筆には金、銅、鉛など様々な素材があるが、銀は最もよく使われてきた素材で、灰色の筆跡が経時変化(硫化銀)によって褐色がかるのが特徴である。濃淡の表現が難しく、容易に消すことはできないが、緻密で半永久的に耐久性のある描線が得られる。少なくとも12世紀には存在し、15世紀頃から素描に盛んに使われたが鉛筆の登場でつかわれなくなる。
今の鉛筆のように消しゴムで消したりできないため、一発勝負で描かねばなりません。消せないことはないようですが、きたなくなってしまうそうです。相当な画力が必要とされることがわかります。
〇ミケランジェロの赤チョーク
デッサンで使う赤チョークというものがどうものなのかが、知らべてみてもよくわかりません。いらゆるチョークのようなものなのでしょう? あるいは「コンテ」のようなものなのでしょうか? だとすると、クロスハッチングのような細い線はどのように描いたのでしょう? 謎です。
〇削ったあとが光る!?
この絵の前を通りすぎようとした時、目に妙な光が!
よくよく見ると目のあたりが、線画で削りとられて描かれている様子がよくわかります。
青色に地塗りした紙に金属尖筆で描いたものと解説がありました。
元絵はこんな感じ・・・・
この作品は、ミケランジェロの弟子、アントニオによるものです。レダの習作のモデルになった人物の作品です。
■その後の作品
〇《背を向けた男性裸体像》ミケランジェロ(1504-1505)
ヴェッキオ宮殿の壁画《カッシナの戦い》を描くための習作。この壁画は、フィレンツェ共和国のピエロ・ソデリーニが、ミケランジェロに発注しました。
伸び上がるような姿勢の男性の背面には、筋肉のつき方が事細かに把握されており、彫刻家の捉え方が現れています。
(ところで、上記の筋肉、一見、リアルな筋肉表現かに思えます。しかし、背中ってこんなに筋肉がでこぼこしてましたっけ? まるでボディービルダーのような筋肉です。鍛え上げた筋肉を表現しているのでしょうか? ミケランジェロは、工房の男性をモデルにして描いていたと聞きます。工房作業で、ここまで筋肉隆々になっていたということでしょうか? おそらくこの筋肉は、より筋骨隆々に見せるために、誇張した芸術表現ではないかと思いました。
【ちょっと寄り道】
参考:解剖学講座 | 30代からの筋トレ&ダイエットのススメ。
東大のボディービルダーが理論的トレーニングや栄養学に基づいて短期間に優勝をしたという話を過去に聞いたことがありました。理論的なトレーニングについての解説を見たら筋肉の形成について何かわかるかもと思って探したのですがわかりませんでした。ボディービルダーの背中の筋肉を見ているとそんな筋肉、どこをどう鍛えたらそうなるの? という筋肉がモリモリしていてある種の不自然さを感じていました。おそらくボディービルダー特有の筋肉の作り方があるのだと思っていました。その方法がわかれば、ミケランジェロの筋肉表現についても何かヒントになるかなと思ったのですが・・・
↑ このような筋肉構成で ↑ 鍛えたらこんな筋肉になることが不思議・・・
当時、工房で彫刻作りをしていた弟子が、どんなに力仕事をしていたとしても
はたしてこんな(↓)筋肉になるのだろうか・・・・と思いながら見ていました。
しかし・・・・ ↑ なんだかこの筋肉と似ています
現代のトレーニング科学(?)によって作られる筋肉を予言していたかのようです。
参考:ステロイドが無い時代のボディビルダー。100年間のボディビル界の様子 | パラリウム
(↑ 以前からボディービルダーの肉体がどうしてあのような筋肉構成になるのかとても疑問に思っていたのですが、やっと謎が解けました)
話があらぬ方向にそれてしまいましたが、ミケランジェロもルネサンスの自然の観察に基づく解剖学的視野から絵を描き、彫刻を作成していたと言われています。
余分なものを取り除くことによって荒々しく硬い石から生命ある像が得られ、
ミケランジェロの目には、肉体から余分なものをそぎ取っていった結果、あのような筋肉が目に浮かんだということなのでしょう。
〇《髭のある男性頭部》 レオナルド(1502年)
一人の人物を違う角度からとらえて描いています。これは、製図において正面図、側面図、平面図で表現した原型ともいえるのではないでしょうか?
ミケランジェロに、絵画なんて2次元の世界じゃないか! と揶揄され、それに奮起したレオナルドは、このような試みで、絵画だって立体は表現できるんだぞ! と証明しているようです。
同じ人物を違う角度で描くというのは、一つの物体にあらゆる視点を加えることであり、それによって、平面の組み合わせでも立体を構築できるということを表現したと考えられ、レオナルドの意地のようにも感じられます。
レオナルド、こんなことを言っていましたね。
「平らなものを立体に見せるという技量…画家はこの点で彫刻家を凌駕している。彫刻家は、そのような立 体を作っても、それは自然によって作られた現実の立体であるから、それ自体で驚嘆されることはないが、 画家の描く立体は、自分の技量によって手に入れたものであるから、驚嘆されるのである。」
モデルは、軍人チェーザレ・ボルジャと言われています。
参考:レオナルド×ミケランジェロ展|三菱一号館美術館(東京・丸の内)より
そういえば、レオナルドの絵画は少なく、仕上がっていないものばかりです。それは、つぎつぎに新たな興味や発見が押し寄せてくるので、そちらに向かってしまうからでは?という話を聞いたことがあります。そして動力などを利用した、様々なものを思いつき、それを実現するための設計図を作るには、どのように描いたらいいか。図面の描き方の研究に興味が映っていき、パースなどの描き方もレオナルドによるものだったと言います。(⇒3.建築と解剖を結びつける)だとしたら、このような人物をいろいろな角度から描くという描写が、図面を描く上でのヒントになっていたのでは? と思われます。
■自然観察から解剖、そして「人体の美の法則」「観相学」へ
自然観察に重きが置かれたルネサンス時代、解剖をもとにしてさらに正確さを追い求めました。そしてそれらの観察は、人によって違う人間の形態の中に、黄金比のような共通の美を感じさせる比率を見出そうとした様子が、素描から伺えます。
〇《顔と目の比率の研究》(1489-1490)
この変形した画面。なぜかと言えば、もともとは1枚だったものが、切り離されてしまい(なんて雑な切り方!)20世紀になって、一緒にしたため、こんな変な形なのだそう。よく見ると切込みがあります。マットのカットにも工夫のあとが?
上記の絵には顔に引き出し線とアルファベットが加えられており、 それぞれの比率が書きこまれています。
このような人体における理想的な比率を見出そうとしたのは、レオナルド(1452-1519)の前にもいて、ルネサンス初期のアルベルティ―(1404-1472)ーレオナルドと48歳差ーでした。
アルベルティ―は、ウィトルウィウスの『建築について』に興味を持ち、そこに書かれている人体比例と建築比例の理論に着目、1451年までに著書『建築論(De re aedificatoria)』を完成。(レオナルドの生まれる1年前)
人体の比例を数値化するというシステムの確立は、レオナルドにとっても大きな関心となり、この素描と同時期に描かれた《ウィトルウィウス的人体》(1485~1490年頃)の素描となったと考えられているとのこと。
▼《顔と目の比率の研究》 ▼《ウィトルウィウス的人体》
(1489-1490) (1485~1490年頃)
( wiki phethidaより)
〇《老人の頭部》
この素描を見た瞬間、うわ! なんだこの表情は! と、これまでの素描とは違うなんともいえない感情がわき起きるのを感じました。言っていいかどうかわかりませんが、「いじわるそうな性格」「頑固そう・・・」「性格悪そう」に見えました。
レオナルドは人の美しさという基準を数値で表すことを試みました。さらには、対象物の内面までも描きだそうとしたそうです。当時、観相学と言われる学問が流行していて、性格と外見を呼応させることに注目していたようでした。
数々の素描を繰りかえすうちに、美の比率だけでなく、「性格」と「表情」に相関関係を見出すという新しい試みをしていたのでした。
「顔に性格が出る」とか「顔にはその人の歴史が現れる」とよく言われます。私たちは表情から直感的にそれを感じとっています。(そういえば、ある日本画の大家と言われる方が、知り合いによく似ていて同じような性格ではないかと思って調べたら、よく似ていたということがありました。)
レオナルドは、ルネサンス期、たくさんの素描を描くことによって得た、人の本質(?)のようなものを見抜いて、それを体系づけ、肉体面だけでなく精神面も含め、より一層、対象の理解を求めようとしたのかもしれません。
ちなみに下記の解説によると、《老いた老人の頭部》のモデルは、元軍人でその猛々しさを表現するために頭部を獅子のように表現し、あるべき理想的な姿で絵がかれているとのこと。どうりでオデコが広くてちょっとバランス悪くない? とは思いましたが、それが猛々しさを表現していたとは! それはわからなかったなぁ・・・
私には我が強くて、意地悪で、自分の言ったことは絶対に曲げない意地っ張り。扱いが非常に難しいタイプの困った老人にしか見えなかったのですが・・・・(笑) 観相学的観点からいったら、こういうタイプは扱い注意を喚起するための素描? あるいは、こうならないように・・・・みたいな意味も込めていたのかなあ・・・(笑) 人間観察がまだまだ甘いのかもしれません。
上記の解説をもとに「レオナルド」と「ミケランジェロ」の顔貌表現の比較を一覧にすると・・・
次々に新たな問題、テーマをみつけ、新境地を開拓していくレオナルド。理論的に物事をすすめます。一方、ミケランジェロは、感覚的。夢想家?(は、ちょっと違うか・・・) 自分の理想を追い求め、内なる像を投影していく夢追い人。だから「老人も若者も同じ肉体でおかしい」ってレオナルドにいわれちゃう。
しかも500年後の21世紀。コロコロにまで「人の筋肉ってそんな構成してないんですけど・・・・」って言われてしまう(笑) でも、ミケランジェロにはミケランジェロの中に、自分の理想的な肉体、筋肉像ってものがあったってことなのね。だから、解剖をしていても、表現する肉体は違っているし、老人と若者が同じ筋肉だっていいってこと。人の理想形は、ミケランジェロの頭の中に存在していたのでした。
〇「観相学」参考情報
◆観相学とは
顔だちや表情から、その人の性格・気質、また才能を判定しようとする学問。18世紀、スイスのラバーターが基礎をつくり、現代ドイツの心理学者クレッチマーの体質の理論へと発展。人相学。 (デジタル大辞泉より)
人相学より
…人相を調べてその人の気質や性格を明らかにし,さらにたどるべき運命も予測しようとする経験的な知の体系。人相術,観相学(術)などとも言う。この場合,人相には顔貌だけではなく,身体の形状,姿勢,動作なども含まれることがあり,霊魂と身体とは互いに共感・照応するものであって,人の気質や性格は身体の外面に反映されるとする考えが根底にある。…
ラーファタより
…スイスの牧師。シュトゥルム・ウント・ドラング運動の著述家,詩人として早くから名を知られたが,若きゲーテの協力を得て結実した観(人)相学研究は全欧に一大センセーションを巻きおこした。スウェーデンボリの心身対応論を基礎とし,膨大なデータをもとに人間の容貌からその内面の性情を科学的実証的に解明せんとした彼の観相学の中核には,隣人愛というキリスト教理念と,原罪によりそこなわれた〈神の似姿〉としての人間性の再生という終末論的救済観がある。…
観相学の始まりは?
・レオナルド(1452-1519)
・ゲーテ(1749 - 1832) 若きゲーテの協力を得て観相学結実
レオナルド時代の観相学情報がみあたりませんでした。
■まとめ
自然をより観察することによって真理に近づいていくという ルネサンス期の芸術を代表する「レオナルド」と「ミケランジェロ」。両者は同じように、より詳しく観察するために「解剖」を行い、光と影の表し方を研究。平面を立体に見せるために遠近法という同じ手法を使って、より深くアプローチをしていきました。同じ視点であってもその方法は全く違うものであり、アウトプットされたものも違っていました。
また、23歳という世代格差は、時に後発のミケランジェロの勢いを感じさせられる場面もありました。若い時の23歳差は、父と子の差ぐらいあります。レオナルド41歳、ミケランジェロ18歳。イケイケミケランジェロに、タジタジレオナルド。
お互いを挑発していましたが、自分にないものを持つライバルのよきところは認め、こっそり取り入れていたという話もあるようです。そんな切磋琢磨があったからこそ、ルネサンスの二大巨匠として、今に名を残し語り継がれているのだと思います。
色もない、線だけで表現された「素描」でもこれだけのバトルが繰り広げられています。水と油のような二人ですが、観相学的にはどちらが好きでしょうか。発言から見る性格と観相学を合わせてみたらどうでしょう? そして「素描」の描き方はどちらが好み? これまで「素描」の様々な対決を見てきましたが、対決要素はまだまだいっぱいあります。それぞれの対決において、どちらに軍配をあげるか、ジャッジしながら見るのも面白そうです。
▼レオナルド ▼ミケランジェロ
■展示構成(対決のポイント)
「レオナルド」と「ミケランジェロ」対決は、次のような構成になっています。
- 序章:レオナルドとミケランジェロ ― そして素描の力
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Ⅰ.顔貌表現
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Ⅱ.絵画と彫刻:パラゴーネ
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Ⅲ.人体表現
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Ⅳ.馬と建築
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Ⅴ.レダと白鳥
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Ⅵ.手稿と手紙
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終章:肖像画
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「十字架を持つキリスト」像:ジュスティニアーニのキリスト (1Fで特別展示)
まだ、まだ見どころはいっぱいです。
■対決の感想
個人的には、 人を忠実に描き、より近づこうとしながら、肉体だけでなくその内面にもメスを入れ、さらには、美を追究する中で、顔の理想的な数値で表すことを試みたレオナルドの方が好きかなと思いました。人の顔つきを模写だけで終わらせず、性格と気質をマッチングさせて理論化しようとしてみたり・・・・
何かを追いかけたら、それを踏み台にしてまた次なるステージに上がっていきました。そしてレオナルドが考えていたことは、のちの心理学のクレッチマーの体質理論のベースにもなっていったと考えられます。(これらの理論が正しいかどうは別問題として)
こうした発展性や、今につながる知見など、絵画に留まらない広範囲の発見の数々。ひとところに留まることのないあふれ出る好奇心は、完成を見ずにつぎつぎと移り歩いてしまいます。「完成できてないじゃないか・・・・」と言われたとしてもいいんです。その後のさまざまな学問や技術の基礎を担う先見性のあるネタをいっぱいばらまいてくれてたのですから・・・・ 私は汎用性のあるネタをいっぱいみつけたレオナルドに軍配を上げたいです。
個人的にも美術展を見ていて、いろいろ調べたいと思うことが出てきます。しかし新たな美術展が開催されると、そっちにどんどんなびいてしまいます。先日の海北友和展は、わざわざ京都にまで行ったのだから、今度こそ、ちゃんと自分なりに理解してまとめようと、あとから図録まで買ったのに、結局、次から次と、面白そうな展示がやってくると、そちらになびいてしまいまうのです。おこがましいですが、レオナルドの気持ちがわかるような・・・ もっと興味のある人参が目の前にぶら下げられるとそれを追いかけてしまうのだろうと思うのです。そういえば、レオナルドは馬フェチでした。ミケランジェロの若造になじられ時に形勢不利かと思うようなこともありましたが、ミケランジェロの頭の中にある理想の肉体は、見ていて、ずっとなんか変・・・と感じてしまいました。それがミケランジェロにとっての理想の肉体であることは理解するけども、私の心は打たれなかったと、レオナルドに伝えたいと思いました。
■参考サイト
〇「史上最高のジェネラリスト」レオナルド・ダ・ヴィンチはいかにして多様なスキルを身につけたか|Career Supli
〇レオナルド×ミケランジェロ展の感想~巨匠の頭の中を覗いてみよう | 青空庭園
■関連
2017-01-28 ■「レオナルド・ダ・ヴィンチ 美と知の迷宮」
②レオナルドの根源は「解剖学」にあり!?
2017-01-19 ■【試写会感想】「レオナルド・ダ・ヴィンチ 美と知の迷宮」
①再現ドラマから浮かびあがるレオナルドの姿
2017-01-15 ■デザインの解剖展:感想 「解剖」って?
【追記】2017.07.22 これがレオナルド? の疑問が解ける
このあたりの展示は、最後、駆け足で見た状態でした。なんだかバランスが悪い人体表現だな・・・ミケランジェロ作かな? と思ったら、レオナルドだったので、あれ? と思った作品だったので、撮影していました。レオナルドも、こんな素描を描くんだ・・・と思いながら。撮影した写真の解説をあとで見て、その理由がわかりました。
レオナルドが古典彫刻を研究した結果の素描。この背景には、ミケランジェロが制作した《ダヴィデ》に対して、ヘラクレスの彫像を委嘱されており、レオナルドなりのヘラクレスを構想しスケッチしたものらしいとのこと。構想するにあたって、かなりミケランジェロを意識し、火花を散らしていたようです。
レオナルドがどんな絵を描いてきたかを理解しているわけではないのですが、これを見た時、レオナルドっぽくない。なんでこんな肉体になっちゃったんだろう・・・・と思ったのでした。
そしてこちらの足の筋肉もそう・・・・ ミケランジェロみたいな表現・・・・
これも、ミケランジェロとの対決した《アンギアーリの戦い》のための習作だったことがわかりました。わが道を行く人だと思っていたレオナルドでしたが、若い才能を前に、ちょっと揺れて、その表現に似通ったりした時期があったのだなぁ・・・・と思いました。
《月桂樹の冠をかぶった男性の横顔》 1506-08年頃
この素描も、顔と体のバランスが悪く感じて、レオナルドだと知ってあれ? と感じていた作品。
レオナルド×ミケランジェロ展 | 岐阜新聞 本社事業の解説によると
月桂冠をかぶった頭部と胸部の組み合わせは、古代ローマ帝国のコインに刻まれた皇帝の肖像を意識している。また筋肉の表現はミケランジェロの《ダヴィデ》像を参考にしていた可能性もある。
この作品では、レオナルドは老人の頭部と若者の肉体を組み合わせて描いています。肖像画として英雄的な表現をするなかにもモデルから乖離しないことを意識した結果、自らが好まない表現となってしまったと考えられます。
肖像画として英雄的な表現をするために、体は若者の体にしたということでしょうか? しかし、モデルから乖離しないことを意識するのだとしたらなぜ? と疑問が残ります。胸部はミケランジェロの肉体表現とも違って、描きこみが甘く、頭部ちぐはぐに感じたというのは、当たっていそうでした。
【追記】2017.07.24 高橋明也館長による見どころ
三菱一号館美術館公式ブログ「【レオナルド×ミケランジェロ展】
ルネサンス期を代表する二人の偉大な巨匠であることに違いはありませんが、実は見ていたものが全く違うということを知って頂けると、本展がより面白いものになるのではと思います。
なんだか、いいところに着目できていたみたい(笑)
私は2人が見ていた世界の違いを次のように理解しました。
レオナルド:肉体を見てそこから沸き起こる数々の好奇心の謎を見ようとした人。
ミケランジェロ:肉体を見てそこに自分の理想とする美を見ていた人。
【追記】2017.07.24 1000年もたてば、顔も知りたいとは思わないの意味
下記のミケランジェロの言葉、今一つ、意味が理解しかねていた言葉でした。
絵画に力を入れ解剖までして忠実に描こうとするレオナルドに対して、そんなことしたって無駄。1000年もたてば、その人がどんな顔だったかなんて誰も興味を持つ人はいない。
生きている人たちに向けて権力の誇示、本人の自己満足を満たす肖像画。1000年後の人間は、1000年前の人物がどんな顔をしていようが関係ない。絵画より彫刻の方がすぐれている・・・・ということを言いたいのだろうと理解していたのですが。劣化、破損のリスクのようなことも含まれていたのでしょうか?
下記に、その意味が解説された漫画が掲載されました。
漫画「本当にあったレオミケ話」|レオナルド×ミケランジェロ展|三菱一号館美術館(東京・丸の内)
メジチ家の墓に添えられたミケランジェロ作の銅像。それは似ても似つかない人だったと言います。
その心は・・・・1000年もすれば本人がどんな顔かなんてわからなくなる。だったら、似ていることよりも、君主らしい理想的な容姿にしておいた方がいい・・・・・
この一言に、ミケランジェロのすべてが見えた気がしました。どこかおかしい、おかしいと何度も感じさせられたものは、ミケランジェロは見た目に近いことは、まったく考えておらず、ミケランジェロが思う理想、みんなが好ましいと思う姿を作りだしていたということだったのでした。
【追記】2017.07.25 「最も美しい素描」と言ったのは誰?
〇レオナルドとミケランジェロ 女性像の素描の軍配は?
絵画など「最も美しい〇〇〇」とか、「〇〇の最高傑作」という評され方をします。いつもこのような評価を見た時、誰が言っているのか。世間のだれもがそう思っているか。(モナリザのように・・・)何を持ってそのような評価がされているのかという見方をしてしまいます。そして自分はどう思ったか・・・
「最も美しい素描」と言われているのに、私はこの絵を知りませんでした。最も美しいなら耳に届いてきてもいいと思うのです。
実は、この素描を見た時、「これが最も美しいのか・・・」と思ってしまったのでした。ミケランジェロの素描とともに並んでいました。個人的に私はレオナルド派で、全体を通して見終わったあとも、対決はレオナルド勝利だと思いました。しかし、この素描については、ミケランジェロの方が美しいと感じていました。
高橋館長の言葉にもあったように、絵というのは、影を加えていくものという認識がある中で、削いでいくという描き方は、ミケランジェロ独特のもので、オリジナリティーの高さを感じさせられます。また完成品の陰影もとても美しいと思いました。一方、レオナルドは陰影もハイライトを「加える」という表現を用いています。
さらに、あとになって知ったこのモデルが男性であったこと。男性を見ながら、ここまで美しい女性を描くという想像力。彫刻家ならではの素描の描き方に加え、男性から女性を描いてしまうということは、男とか女であるということは、単に形態的なタイプにすぎない。人そのものを見ていたから、このような女性像も描けたのではと思い、ミケランジェロの素描の方が美しいと感じさせられたのでした。
ところが、見る人だれもが、「レオナルドの素描が美しい」と語るので、私は、「ミケランジェロの方が美しいと思う」とは言えず(笑) 最後の方にこうして追記してます(笑)
〇モットも美しいと語ったのは?
《少女の頭部》をこの世で一番美しい素描と評したのは、ルネサンス美術研究家 バーナード・ベレンソン( 1865 - 1959)によるものだそうです。
出典:『レオナルド×ミケランジェロ展』をレポート 2大巨匠の素描を間近で見比べる、贅沢な展覧会 | SPICE - エンタメ特化型情報メディア スパイス
*ソース不明 プレス向け資料に記載されているような・・・・
バーナード・ベレンソン氏は、どのような形で、何を持って「最も美しい」と語ったのか興味があります。
【追記】2017.07.25 「もっと美しい素描」発見!
以前、内覧会で見た映画のレビューを見直してみました。
■「レオナルド・ダ・ヴィンチ 美と知の迷宮」 ②レオナルドの根源は「解剖学」にあり!? - コロコロのアート 見て歩記&調べ歩記
そこで新たに発見され(2016年3月)レオナルドの素描だと認定された下記の絵。
この絵は、発見された絵ではないようです。
出典:謎の絵の作者はレオナルド・ダ・ヴィンチだった 鑑定人も驚愕
私はこちらの素描の方が美しいと思ってしまいました。
【作品概要】
《ほつれ髪の女》は、画家のレオナルド・ダ・ヴィンチによって描かれた作品。制作年は1500?年から1500?年で、パルマ国立美術館(イタリア)に所蔵1839年より北イタリアのパルマ国立美術館に所蔵されており、「岩窟の聖母」「聖アンナと聖母子」「聖ヨハネ」と同時期のレオナルドの円熟期に描かれた傑作。
出典:《ほつれ髪の女》レオナルド・ダ・ヴィンチ|MUSEY[ミュージー]
2012年にBunkamuraに来ていたらしいです。
開催概要&チケット情報 | レオナルド・ダ・ヴィンチ美の理想 | Bunkamura
もしかしたらこれは、「素描」ではないのかな?
美とは何か。何を持って「美しい」と判断するのか・・・・ レオナルドやミケランジェロが追いかけていた最初のテーマ「美」について、改めて考えさせられました。
「美」は見る人の中にある・・・・・ ってことでしょうか?
【追記】2017.07.28 知るってしまうことで変わる見方の変化
ミケランジェロの描いた女性のモデルは男性だった。その知識を得たことでミケランジェロの絵の見方が全く変わっていることに気づきました。
始めてみる時は、まさかこれが男性とは思わずに見ています。しかしモデルが男性であることを知ってしまうと、最初から男性であることを前提として見てしまうように変化しています。一見、女性に見えるのですが、実は男性。スケッチの中に、男性の要素を探しだすという見方に変化し、やっぱり男性よね・・・・とわかった風に(笑)
最初に感じた「これってもとは男性だったんだ・・」という驚きはすっかり消え去り、ミケランジェロ作品の女性は、すべて男性であるという先入観の中で見るという視点に変化してしまったなぁ・・・と。男性らしき表現をみつけて、ああやっぱり・・・・と納得している自分に、最初は、「男性を見てここまで、女性を描けてしまうミケランジェロの観察眼をすごいと思っていた」とを思いださせられました。
【追記】2017.07.28 レオナルドの描く顔はどれも同じ?!
以前、「レオナルド・ダ・ヴィンチ美と知の迷宮」の映画の試写会を見た時に、(⇒■「レオナルド・ダ・ヴィンチ 美と知の迷宮」 ②レオナルドの根源は「解剖学」にあり!?)次のようなことを書いていました。
映画で、レオナルドが描いた女性像が次々に紹介されていきます。私にとっては、初見の絵ばかりだったのですが、漠然と見ていていると、どことなく、みんな似ている・・・・ そう思って見ていました。
そして池上英洋先生より次の解説が・・・・
「人物だけは判で押したように一緒。
背景だけが全部違う・・・・」
今回は、それと同じようなことを、ミケランジェロが描く肉体に感じていました。その一方で、レオナルドの人物画の素描に対しては、同じだと感じてはいなかったことが不思議です。またレオナルドが描く顔がみんな同じと思っていたことなども、すっかり忘れていました。女性のヘアスタイルが似ていることから、同じように見えたのかもしれません。
解剖を行っていたため、骨格を見ていたので、同じ表情になったのでは? という考察をこの時にしていました。
そこでレオナルドが解剖を行っていた時期を調べると、1510~1511年で58~59歳の時でした。67歳で逝去していますので、レオナルドの描かれた作品のほどんどは解剖をする以前のものだったことがわかりました。
ちなみに今回のメインアイテムである《少女の頭部》《糸巻の聖母》の主題の翻案は1510年でちょうど解剖をしていた時期と一致するものです。