コロコロのアート 見て歩記&調べ歩記

美術鑑賞を通して感じたこと、考えたこと、調べたことを、過去と繋げて追記したりして変化を楽しむブログ 一枚の絵を深堀したり・・・ 

■三菱一号館美術館:イスラエル博物館所蔵 印象派・光の系譜 《睡蓮の池》

三菱一号館美術館イスラエル博物館所蔵 印象派 光の系譜」は大好評のうちに終了しました。現在、あべのハルカス美術館で巡回中です。タイミングを逃してしまいましたが、イスラエル博物館からやってきたモネの《睡蓮の池》について覚書。

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この展覧会には昨年の12月中旬と、1月の閉幕直線の2回鑑賞しました。訪れる前にも、ニコ美で視聴したので、気分的には3度見たことになります。1回の鑑賞中にも、何度か足を運びました。それによって変化する見え方。また過去に見たモネの睡蓮鑑賞の記録とも照らして、「睡蓮鑑賞の系譜」を振り返りじっくり見ていきます。

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イスラエル美術館蔵 モネ 睡蓮の池

美術館入口のパネルに掲げられたモネの睡蓮は、イスラエル美術館の所蔵。コロナ禍の厳しい状況の中、初来日を果たしました。

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メインビジュアルとして、開催前からチラシでお目にかかっています。日本初ですが、展覧会を心待ちにする方たちには、おなじみの絵として浸透していたように思います。

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ポスター、パネルなどで何度も目にする機会がありました。周囲が暗くなった中、浮かび上がる《睡蓮の池》も魅力的です。

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公式HPによると、作品が制作されたのは1907年。その年は、モネの睡蓮作品の「当たり年」と評されています。描かれた数は15点。そのうちの一点です。

 

■作品を見る前の印象

展覧会に訪れる前、チラシやニコニコ動画だけで見ていた時の印象です。

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この絵は、「水面の睡蓮」「水面に映る木の陰」「水底」を描いていることは理解していました。ところが、それを知っていても、白く塗られた部分が水面には見えませんでした。

上に向かって上昇する物体。あるいは上から流れてくる川のように見えていました。

川に見える部分は霞がかかっているようです。霧やモヤ、雲のようにも見えます。その形が龍のように見えていました。そして上(空)に向かって上昇しているようです。

 

■展示会場で最初に見た感想

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初めて作品を見た時、とてもたくさんの人が作品を取り囲んでいました。なかなか近くに行けません。とは言っても、コロナ前の混雑した美術館とは比べ物にはならい快適さです。それでも、前に立つまでにはしばしの時間を要しました。

動画や写真で見て受けた印象どおり、白の部分は水面ではなく白い物体に見えました。

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そして、下から上に向かってくねくねしながら登っていく龍そのもの。先端は龍の頭、三角の形は上昇する方向を示しているようです。そして龍の頭、手足までが浮かびあがってきました。

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ニコ美でも龍やホワイトドラゴンに見えるというコメントもありました。他に妖精、白いドレスの女の人、幽体離脱、おばけ、亡霊、あるいは滝など、見る人によっていろいろに見えていたようです。

 

〇龍に見えるのは

なぜ水面が龍に見えるのか。見る前から想像はできていました。理由は色の重ねかたにあります。「木の影の暗い部分」と「水の白い部分」の境界の色の重ね方です。

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木の影の暗い緑の上から、水面の白を重ねています。そのため白が浮きあがって見えるのだと考えられます。(矢印部分)

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⇒日本人の遠近の捉え方について*1

しばらくじっと見入っていました。すると、突然、手前に見えていた白い空の分が後ろに後退し、映り込む樹々の影が前に出てきました。さらに蓮の部分も全面に飛び出してきたのです。やっと画面の遠近が把握できました。

白い空は進出色、黒い木々の影は後退色。遠くから見るとそのコントラストがはっきりとし、水面のの白が何かの形に見えたのだと思います。そのため前後関係も逆転していたのだろうと思いました。

 

〇睡蓮の塊を目で追う

睡蓮は、手前から奥に向かって小さくなり、遠近を表現しつつ、視線の誘導もしているとニコ美で解説がありました。次は睡蓮に注目してみました。花は咲いておらずつぼみの状態。つまり朝でなく昼から夕方の時間帯を意味すると解説されました。

視線は、水面上の睡蓮を追っています。画面中央から右側に弧を描くように睡蓮が上に向かい小さくなっています。一方、左側は直線的に上昇しています。

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この時、突然、遠近が変化したように感じました。白い水面が後退したような気がしました。白い水面に向いていた視線が、「睡蓮だけ」を見る視点に変化しています。

想像するに、睡蓮にフォーカスを合わせたことによって、その背景はぼんやりとソフトフォーカスに変化したのだと思います。一眼レフで背景がほやけて映るイメージ。それによって、これまで浮き上がっていた白い水面が、霞のようにぼやけ、後退したのだと思われます。

樹々の影もぼやけます。それぞれがぼやけた視界の中では、濃い緑の木々が手前に進出してきたのではないかと考えました。

 

〇中央で発光する水面

中央の白く発光したような水面。白かと思った水面は、うっすらとピンクがかっています。f:id:korokoroblog:20220203003959j:plain

 

さらに近寄ると、さまざま方向の筆運びに、ニュアンス色が重ねられています。ところどころに白のハイライトが施されています。明るさをさらに加えているのでしょうか?

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中間色が多数、使われています。この色は混色によって作られたのでしょうか?筆触分割とは描き方が違うように見えます。

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■複雑な遠近法 フォーカルポイントは?

モネはこの絵にフォーカルポイントや、視線誘導を意識して描いたのでしょうか?この睡蓮を見た時、最初に目をとらえるのはどの部分でしょう?

ニコ美で解説された担当学芸員 安井裕雄氏によると、この構図は2つの遠近法が混在していると言います。一つは下から上に向かって遠くなる遠近法。手前の大きな睡蓮が奥の方では小さく描かれ視線を奥に誘導しています。

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もう一つは、空の部分が画面の下になるほど遠ざかり、上の方は近づくとく逆方向のベクトルの存在。とても複雑な構図だと言います。

またそれだけでなく、下部は水平方向から見た視線、上部に行くに従い覗き込むような視線に変化。例えると、自分が茶碗の中にいて底の部分を見ている視界から縁をみあげるような視野を、一枚の絵の中にまとめているそう。

実際の絵を見る前から、下から上方向に上がっていく印象を受けていました。その一方で、上から川が流れてくるように降りてくるようにも感じられました。2つの遠近法が同居していたためだと思われます。

では、この複雑な入り組んだ遠近法で描かれた絵は、最初、どこに目がいくのでしょうか?

 

〇最初に目がいくのはどこ?

画面の左下部の睡蓮から出発し、誘導されながら上に向かっていく視線。しかし私が最初に目についたのは上部の龍の頭の部分でした。

美術展で鑑賞をしていない友人に、ニコ美やチラシを見て、最初、どこに目がいったか聞いてみました。「真ん中の光 この絵はアインシュタイン相対性理論
ピカソが受けてキュビズムにその影響でモネが描いた」といういう返事でした。

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真ん中! それは想像しなかった答えでした。また、この光がアインシュタイン相対性理論の影響を受けている。そこまではわかりませんでした。

 

〇2回目 最初に目に入るのはどこ?

2度目の鑑賞では、最初に見たことを忘れ、フラットな状態で、どこに視線がいくかを確認しました。やはり龍の上の部分でした。「真ん中」、「アインシュタイン」「相対性理論」という自分好みの新たなKWを得たのですが、上部の白い部分でした。

2度目の鑑賞も人が多かったので、最初にざっと見て、下の階に展示されている3つの睡蓮に移動しました。日本の睡蓮にどっぷりつかって、昼と夕方の睡蓮を堪能しました。

その後、入館前に購入した安井裕雄著『図説「モネ」睡蓮』や図録を閲覧。

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これらの絵がモネの画業、睡蓮作品の中でどのあたりに位置するのかなど確認。そしてまた戻ってきました。

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〇左右から見る

これまで何度か見てきたモネ展で得た絵画の見方があります。それは左右から見ると見え方が変わるということ。睡蓮の絵具の厚み、重ね方、筆致によってもたらさされる表面の凸凹。絵具の厚みが光の反射を変化させます。ここのところ忘れていた見方でした。

2015年に行われたマルモッタン・モネ展で見た睡蓮。描く絵具の厚さや表面の凹凸。そこに光を当てた時、光の方向によって見え方が変わることに気づきました。固定されたライトなので、左右から見ると違って見えることを過去の記録から思い出していました。

参考:○モネ展:(4)2つの《睡蓮》 「赤く染まる深淵な池」&「画面に浮かぶ睡蓮」 (2015/12/12)

今回の睡蓮では、左右の違いはあまり感じられませんでした。

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左右の比較

睡蓮に近寄ってみると、睡蓮の厚みがそれほど厚くありません。表面が凸凹になることで乱反射していたのですが、白い睡蓮は平たんに近いです。

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以前見た、睡蓮のように全体的に厚さはないようです。

 

■モネの睡蓮から感じる宇宙

モネは、睡蓮を描き、水面を描き、そこの映り込む周囲の木々や空を描いて水の中に溶け込ませました。比叡山山頂にあるモネの庭で、映り込んだ空と、水深が融合して宇宙につながる体験をしたことがあります。

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水面に映る樹々と空、そして雲。雲はどこに存在しているのでしょう。その先は?と想像していたら鯉がやってきて、それまであいまいだった水中との境界が崩れ、水中であることを明確にしました。

風によって雲がなくなり、木々の映り込みもない場所では、どこまでが水中なのか、空なのかわからなくなりました。どこまでも深く吸い込まれそうです。そして空と宇宙がつながり、水底ともつながって融合しました。  宇宙と水底はつながっている。水と空の境界はなくなり水底が宇宙となりました。

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睡蓮も、まじりあっていた水と空間を分け、水面の境界を明確にしました(左写真)水底か空か、宇宙なのか、境界が判らなくなっていたところに、一匹のアメンボがスイスイと泳いできました(右写真)水の輪を描いて残します。それまでの垂直方向への広がりを断ち切って、ここが水面なんだよ… と教えてくれました。水中と水上の生き物が水面の境を浮かびあがらせました。

モネが描きたかったのは、こんな世界だったのだと確信しました。 

 

〇マルモッタン・モネ展の《睡蓮》

2015年、マルモッタン・モネ展で見た夕暮れの睡蓮。今回イスラエル博物館からやってきた《睡蓮の池》と同じ年、1907年に同じ場所で描かれたものでした。

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この絵を見た時、水深方向、キャンパスを貫く新たな遠近表現を見出すことができました。水深方向の奥行を持つ3次元の世界。さらに時間の経過を加えた四次元の世界も表していると感じました。

この時は絵からそれを自分で感じとったと思っていたのですが、その後、比叡山で見たモネの庭の体験がベースとなっていたのだろうと思われました。この体験は自分の中ではとてもセンセーショナルな出来事だったようです。

モネの絵を見ても、水深を感じることはできます。しかしそこから生き物の動きによって現実に引き戻されるような、ハッとさせられる瞬間は体験できていません。空と雲、その先の宇宙、そして水面が一体化し現実にもどされる。それと同じ感覚を求めてしまっているようです。

関連:『モネ展:(4)2つの《睡蓮》 「夕方赤く染まる深淵な池」&「画面から浮かびあがる睡蓮」』 ⇒睡蓮から感じた新たな遠近法と四次元の世界⇒*2

残念ながら今回も、はるばるイスラエルからやってきた《睡蓮の池》から、宇宙を感じることはできませんでした。またいつか、次の機会に遭遇できることに期待したいと思います。

 

■誰もいなくなった展示室 《睡蓮の池》を一番遠く離れて

最終日間際で、夜間開館も会社帰りの人が多く大盛況。誰もいない状況で鑑賞することはまず無理と諦めていました。それでもダメもとでと再度、展示室を訪れてみました。幸いにも人はいなくなっていました。独り占め状態です。

最期に確認したかったのは、離れられる限り遠い場所から、さえぎる物なく《睡蓮の池》を見ること。これまでも展示室内で、一番離れた場所から見る習慣がありました。可能な限り距離を置いてみた時、そこが思わぬ鑑賞ポイントだったり、ベストポジションだったりすることがよくありました。

関連:『直島:地中美術館 「モネ室」』 ⇒*3

 

一番離れた距離は対角線方向。それぞれの左から右から・・・・

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そして正面から一番離れた場所・・・・ 

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その位置から、ちょっとだけ左に移動した瞬間、白く発光していた水面が、鏡面と化したのです。水面は透明化し、鏡面反射による強い光を放ちました。

その光は、写真に納めることができませんでした。

 

今回も「モネが描いた睡蓮の池からは、宇宙を感じることはできなかったなぁ…」「またの機会があるさ…」と思っていたところ、思いもかけないサプライズが待っていました。

じっくり時間をかけて向き合う。そうすると、何かプレゼントを投げ込んでくれるようです。

 

そしてもう一つの発見… 思いもかけないところに、モネの宇宙が存在していました。宇宙の場所は下記のツイートの中に…

 

 

長くなりましたが、次は「睡蓮:水の風景連作」の予定

 

 

■脚注

*1:■日本人の遠近の捉え方について

ピエールボナール展で、キュレータの方から、日本人は手前にあるものを自動的に近いと判断する習慣がある。それは脳内に投影されている映像、ビジョンで見ているからだと言われたことがありました。隣り合う色がどのように描かれているかを見ると、遠近の関係がないことがわかります。

それ以来、隣り合う色がどのように接して(色の重なり具合)描かれているかを見るようになりました。

コロコロ on Twitter: "#美の巨人たち ピエールボナール《黄昏》10層のかちわりと解説。内覧会でカーン氏の解説は「従来の遠近法を使っておらず平面的」でした。手前と奥の表現は日本的遠近法だと思うし、木の茂みには影があり立体に見えます。「西洋的」遠近法を使ってないという意味なのかと質問をしました。ボナールは"

 

*2:■モネの睡蓮から感じた新たな遠近法と四次元の世界

さらに、この絵には新たな遠近感が存在していることに気づきました。明るく光のあたった水の部分の透明度が高く、池の底の方へと広がっているのです。水の深さという遠近感が表現されていました。

これまで見てきた遠近法は、画面の縦方向に対して奥行を感じさせる手法でした。画面に対して、突き抜ける方向の遠近法ここには存在していると感じました。

水の明るい部分中央後ろの部分の暗さと対比され、遠くから見ると、明るい部分が強調され、透明度をまして、
どこまでも深い奥行を見せるのでした。

■平面の世界を三次元、四次元で表す
以前、武田双雲さんの「書」を見た時に、書にに三次元の世界を「書」で表現しようとしていると語られていました。それは、墨の濃淡で表しているようなことを言われていたと、記憶しているのですが、それと共通するものを感じさせられます。
また、さらに四次元の世界を表現しようとしているとも。それは時間の変化だとおっしゃっていたと思います。
モネもまた、風や雲などを通して、一枚の絵の中に、時間の経過を表わし四次元の世界を描いたのかもしれません。

 

*3:■展示室から一番離れた場所から見る  

■夕方のモネ室 一番遠い位置から  
■薄暗い三角の部屋から見るモネ
■ちょっとがっかりだった睡蓮が一転

だれもいなくなった地中美術館の睡蓮。広い展示室の一番離れた場所を探します。その場所は展示室を出た外にありました。ここはおそらく誰も知らない特等席。そこから見る睡蓮は… ちょっとがっかりしていた鑑賞を一気に変えました。