コロコロのアート 見て歩記&調べ歩記

美術鑑賞を通して感じたこと、考えたこと、調べたことを、過去と繋げて追記したりして変化を楽しむブログ 一枚の絵を深堀したり・・・ 

■ミロ展 ―日本を夢見てー(2) Bunkamuraザ・ミュージアム

Bunkamuraザ・ミュージアムで行われている「ミロ展 ー日本を夢見てー」が終了間近です。(4月17日まで。4月11日からは要予約)ブロガー内覧会のレポートを「物質性」に着目し紹介しました。

korokoroblog.hatenablog.com

上記で紹介できなかった作品について『もっと知りたいミロ』からも補足して追加レポート。章と年代を追いながら制作や日本との関係を追っていきます。

*写真はブロガー内覧会にて本展主催者の許可を得て撮影しております。

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■1章:「日本好きのミロ」

〇1883年 ジャポニスムの中で生まれたミロ

1888年バルセロナで開催された万国博覧会を機に、パリに少し遅れてジャポニズム・ブームが広がりました。
1893年、ミロはそんなジャポニズムブームの真っただ中、バルセロナに生まれます。周囲には日本美術を扱う販売店が多数あり、日本の空気が漂う土地で過ごします。

父は金工細工の職人でしたが、ミロを会計士として一人立ちさせようとしました。病弱で気弱なミロは、うつ病と腸チフスを発症、別荘のモンロッチで療養。回復後は、望みの画家を認められました。美術学校へ入学。そこで日本好きの仲間と出会いました。

 

〇1917年《アンリク・クリストフル・リカルの肖像》

モデルは美術学校の学友ミカルで浮世絵コレクター。ミロに影響を与えたと言われています。そんなモデルを象徴するかのように背後に浮世絵が… ミロのサインは縦書き。ゴッホやガレが思い浮かび、人物はマティスを想起させられました。これまでに見てきた表現が思い浮かんできて、いろいろな作家の作品からインスパイアされていることが窺えます。

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左: 《アンリク・クリストフル・リカルの肖像》 1917年 ニューヨーク近代美術館 
右: 《ちりめん絵》 作者・制昨年不明 アルマンゴル=ジュ二ェン・コレクション

隣には同じ図柄の浮世絵が展示されています。ミロの描写力は?と思いながら、両方を何度か見比べていました。再現性が悪い。色調も薄く退色してしまったのか? あるいは右の現物は、保存状態のよい優品が展示されたため、発色がよいのか?あるいは、版を重ねると版木も劣化します。後期に摺られたものをお手本にしための描写?と思いながら何度も交互に見ていました。

ところが! この背後の浮世絵は、本物の浮世絵をコラージュしたものだということが帰ってからわかりました。何度も確認していたのに、コラージュだったことに全く気づきませんでした。貼り付けた境界あたりは見てなかったからでしょうか?

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《アンリク・クリストフル・リカルの肖像》 1917年 ニューヨーク近代美術館 

しかし、この浮世絵「ちりめん絵」だと言います。紙の凸凹感もあったはず。ガラスケースには「ちりめん絵」も展示されていました。しかし「ちりめん絵」と認識していなかったため、普通の浮世絵と思って流し見しただけでした。

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コラージュだったことに気づかなかった… 何を見ていたんだろう!? 初見では、この絵をどのように見ていたのか。そこを確かめたくもう一度、訪れる予定。

 ⇒【Check】*1

 

黒の太い輪郭線で縁取られ、赤い扇が描かれています。これもジャポニスムの影響でしょうか?

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右:10《赤い扇》1916 油彩 厚紙 株式会社フジメディアホールディングス

太い黒の縁取り、赤と緑の補色の対比。ゴッホが浮かびました。

 

左:シウラナ村(ミロが療養したモンロッチから車で1時間ほど)を描いた作品。くねくねと蛇行する虹色のようなジグザグの線で地層が描かれています。歌川国虎の近江八景》土坡の表現に通じるものがあると言います。

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左:12《シウラナ村》(1917)油彩 キャンバス 吉野石膏コレクション(山形美術館寄託)
右:13《シウラナ教会》(1917)油彩 キャンバス 静岡県立美術館

私は、セザンヌっぽいなぁ…と感じていました。

 

美術学校で学び始め(1913)てから、初期に描いた作品。直観的に思い浮かぶのは、その時代に描いた画家の作品群を想起させられていました。

画家の初期作品というのは、代表作品とは似ても似つかない画風です。またいろいろな画家を参考にしており、どこか見たことがあるという印象を受けることが多い気がします。ミロも日本を初めてとし、様々な画家たちを手本に模索していたのだろうと感じました。

 

 

■2章:「画家ミロの歩み」

〇1920~40年 シュルレアリスムから「夢の絵画」

1920年 春、初めてパリ旅行。以後、初夏までをパリのアトリエで、残りはモンロッチの農園で過ごすようになります。パリではシュルレアリスムの詩人や画家の影響を受けます。

「夢の絵画」

モノトーンの背景に細い線を慎重に引いた一連の作品はミロの代表作。スケッチブックに偶然できた鉛筆の汚れや、一般的でない画材の質感を楽しみ、それまでの絵画を乗り越えようとしていました。ミロの試みは世界に発信され、日本にも届いていましたが作品を見る機会はほとんどありませんでした。

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 ⇒【Check】*2

 

1936年 スペイン内戦が勃発すると、故郷に戻れずパリにとどまります。
第二次世界大戦勃発で、各地を転々としました。
1940年 妻の故郷マジョルカでひっそり暮らします。

左壁の大きな作品はタペストリー。絵画や陶芸だけでなく、織物制作にも手をひろげており制作への貪欲さを感じさせます。

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左・中央:《無題(『カイエ・ダール』9巻1-4号所収ステンシル)》1934年 愛知芸術文化センター・アートライブラリー 
右:《無題(『カイエ・ダール』9巻1-4号所収ステンシルによるタペストリー)》制作年不詳 埼玉県立近代美術館

 ⇒【Check】*3

 

〇1932年 巴里新興美術展覧会 

1932年12月~翌年。東京・大阪・京都・福岡・熊本・大連・金沢・名古屋を巴里新興美術展覧会が巡回。雑誌でしか見ることのなかったシュルレアリスム作品を見る機会となりました。その時のカタログ類。(22)

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詩人であり美術評論家の瀧口修三が日本に紹介しました。

 

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右側のガラスケース内

 

〇1948年 筆触の実験

奥の赤い壁面のブースには、筆触の違いや濃淡の点描など、様々な表現を試みた作品が展示。表現を楽しいながら実験を行っているようです。

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38《アルバム13》1948年 リトグラフ 三重県立美術館

画像の小さなアイコンで見ると、黒い筆の強弱が明瞭です。

 ⇒【Check】*4

 

〇1928年~ コラージュ作品

1928年頃から、コラージュ作品を制作。絵画と交互に制作をしていました。左右端の作品はコラージュで中央は絵画です。ミロはコラージュ制作を通して「絵画を暗殺したい」と語っていたそう。絵画に留めをさしたようでいて、コラージュから得た素材の生感覚を絵画にも生かしていたと言います。

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様々な素材を用いてミロのこだわっていた物質性を感じさせられます。特に右の作品は凹凸があり、絵画の領域を超えた何かを感じさせます。 

左:33《無題(デッサン=コラージュ : 浜辺》(1933年8月15日) 
   コンテ・コラージュ 富山県美術館
*5

中央:34《絵画》(1936年 夏)油彩・カゼイン・塗料・タール・砂・メゾナイト*6
右:35《絵画(絵画=コラージュ)》(1936)セゾン現代美術館*7

 ⇒【Check】*8

 

 

■3章:「描くことと書くこと」の展示風景

画面にたくさんの文字を配することで、それがひとつの詩をなしているような「絵画=詩」シリーズです。

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〇1948-50 文字を絵に

トリスタン・ツアラ(ダダの詩人)とミロの共作。句読点のない詩に、ミロはローマ数字やアラビア数字の記号を人やカタツムリなどで表現。文字に命を吹き込み文字を絵のように表現しました。

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42《独り語る》1948-50 リトグラフ  群馬県立館林美術館

 ⇒【Check】*9

 

〇1934年 《絵画(カタツムリ、女、花、星)》

ミロの絵によく登場する四つのモチーフ(カタツムリ、女、花、星)が、文字で描かれています。文字も絵のような表現で描き、ミロは絵画と詩を区別していませんでした。

タペストリーの下絵として制作された作品で、ミロの戦前の代表作といわれ、56年ぶりの来日という注目の作品。

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40《絵画(カタツムリ、女、花、星)》1934年 王立ソフィア王妃芸術センター、マドリード
解説の四つのモチーフ(カタツムリ、女、花、星)を「文字」で描いたという部分を見逃しており、どれがカタツムリ 女? 花? 星?と考えていました。考えてみてもよくわからないと思い、隣の作品へ移動。

 ⇒【Check】*10

 

 

■4章:「日本を夢みて」

〇1944年 陶芸を旧友と始める

1944年、学生時代からの旧友で陶芸家アルティガスと陶芸制作を始めます。彼は、早くから日本の陶芸に興味を持ち、郷土玩具などもコレクションしていました。

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4章展示風景

 

〇1950年 日本からミロのもとへ

1950年代になると、日本からミロに興味を持ったコレクターや評論家たちも訪れるようになります。ミロの日本熱はますます高まり、日本へ訪れることを夢見るようになりました。

1954-56年 2年間は、共同制作のピークで、230点の数に上ります。

 

〇日本から受けた影響

上の作品は、戦時中、おちついて油彩で描くことができなかった時、鉛筆や水彩、墨で描くことを試みていたものです。

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横長が画面に人物描いた日本の浮世絵も、ミロが制作する作品も横長画面に描くことに影響しているのかと推測されています。

 

〇1966年 日本へ作品寄贈

1966年 ミロ展を開催した国立近代美術館へのお礼に寄贈した大壺。巨大な窯を制作したことにより作品は大型化。ミロ展には4点出品。そのうちの1点を寄贈しました。

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53 《大壺》 1966年 ジュゼップ・リュレンス・アルティガス、ジュアン・ミロ 京都国立近代美術館

渋い緑に黒の絵つけ。ミロらしい絵?

 

 

〇陶芸への興味

2人の共作で、手前の作品はミロがよく描く人物像と星が描かれています。手で土の素材に触れる陶芸は、物質の手触りを重視するミロには刺激的だったと考えられます。

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陶芸制作をしながら、周囲の友人たちの陶芸や日本への熱もあいまって、日本へのあこがれは、来日を実現することに向かいました。実現の折には、信楽、瀬戸などの窯元に足を運んでいます。

 ⇒【Check】*11

 

〇素材の感触に注目したミロ

赤べこなどの民藝品や、埴輪などにも興味を持っており、それらのコレクションは、素材や質感などの手触りを好んだといいます。

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日本に関する数々の展示物。民芸品への関心については、美術品とは違う「用の美」を感じているのではと想像ができました。が、埴輪への関心がどのあたりにあったのかつかみかねました。人物表現のシンプルさに興味を持ったのかと想像していました。

埴輪のおおらかな造形や質感に興味を持ったらしく、埴輪に関する蔵書も多かったとのこと。ここでも、素材感に興味があることが窺えます。

 ⇒【Check】*12

 

〇ミロの友人たちと日本への興味

日本に関心を持つ彫刻家エウダル・セラ旅行家のセルス・ゴミスと交流を深めていました。

1935~48年、セラ来日。第2次大戦中も日本にいて山内金三郎(大津絵コレクターで編集者)と交流しました。
1939~47 ゴミス来日。柳宗悦民藝運動に関心を示し、民芸品や出版物を収集。ゴミスの弟セレスは、戦時中、日本へ渡り、こけしを収集。こけしの版画も制作。ミロにこけしを贈りました。

ミロの日本への傾倒。それはミロ自身の関心はもちろんなのですが… 周囲の人たちもまた、戦況の厳しい中、日本に訪れて長期にわたり(戦前から戦後)過ごしながら制作活動をするほどの日本びいきでした。ミロに劣らず日本に魅了され飛び込んだ友人たちの存在を知りました。

当初、ガラスケースに展示されたものは、ミロ所有の民芸品とばかり思っていました。とことが友人たちが実際に日本で暮らしながら集められ、バルセロナに持ち帰った民芸品で、展覧会(1950)も開催されていたこともわかりました。

ミロ自身の日本への興味に隠れてしまいがちですが、彼らの存在があってのミロ芸術が確立していたことが窺えます。

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54

 

 

■5章:「二度の来日」

戦前はシュルレアリスムの画家という評価でしたが、戦後はピカソと並ぶスペイン代表の画家として認知されるようになりました。

 

〇1966年 初来日 ミロ展開催

1966年 『ミロ展』のポスター《ミロ展ポスターのためのリトグラフが展示されています。(下記写真 左から4点)

1966 71 ジョアン・ミロ《ミロのポスターのためのリトグラフ富山県美術館 
1966 72 粟津潔《ミロ展ポスター》富山県美術館 
1966 73 原弘《ミロ展ポスター》個人蔵 
1953 68《マーグ画廊ミロ近作展ポスター》一般財団法人草月会

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上記写真の右側の2点は、ミロが勅使河原蒼風(いけばな草月の創始者)に贈った作品。

1954 69《すると鳥は、ルビーが降り注いで茜色に染まったピラミッドの方へ飛び立つ(勅使河原蒼風のために)》一般財団法人草月会、
1958 70《女(勅使河原蒼風のために)》 一般財団法人草月会

「蒼風・勅使河原に、友情を込めて」という書き込みがあります。書のような書き込みもあり、「書」と「絵」の融合が見られます。

 

 

〇1936年「ヨアン・ミロ」瀧口修三 ミロゆかりの日本人

ミロと交流のあった日本人。ミロの詩 瀧口修三。

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〇1940年~ ミロと瀧口の交流

1940年瀧口修造はミロに関する単行本を出版。ミロとの交流が始まりました。ミロに関する出版は世界初です。

1952年 ミロはこの本を手にしていました。

世界で初めてミロに関する単行本が、瀧口修三の手によって世界で初めて出版されました。右は図書館で所蔵されていたもの。

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〇1966年 ミロ展開催 初来日

東京の国立近代美術館、京都分館にて「ミロ 展」が開催されました。代表作171点(絵画 から版画、タペストリー、彫刻、 やきものまで)を出展し、日本におけるその 巨匠の地位を確立。「長い間、日本を 夢見ていた」 と語りました。

瀧口修造との初対面を果たし、初来に地では、龍安寺東大寺信楽や愛知の窯元を訪ねたり、書家たちと交流、各地の博物館を精力的に見てまわりました。

 

初来日では勢力的に日本国内を回ります。毎日新聞社の記者カメラマン同行し連日報道。ミロお気に入り写真の記念アルバム(76)を制作し送りました。

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左:ミロゆかりの日本人と 74松丸東魚とミロによる「色紙」

 ⇒【Check】*13

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〇1966年 祝毎日 

初の展覧会は毎日新聞が主催。記者も連日同行。その縁もあり東京本社の落成の記念に「祝毎日」と感じで書いたものを残しています。

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《祝毎日》1966年10月4日 毎日新聞社 

 

〇1970年 日本万国博覧会

1970年 日本万国博覧会が開催され、ミロは大阪ガスパビリオンに登板壁画《無垢の笑い》を制作。気に入ったミロは会場スロープに壁画を描きました。

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〇1976年 《ジュアン・ミロからの贈物(ミロのカラバサ)》

ミロが瀧口に送ったカラバサ(ヒョウタンの実)はカタルーニャ地方の自然物。ミロは作品のモチーフとしアトリエに置いていました。瀧口は喜び家宝にし詩にも登場します。

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98《ジュアン・ミロからの贈物(ミロのカラバサ)》1976年贈呈 富山県美術館

解説見ずに展示を見て、白鳥を模した造形物? ヒョウタン(?)らしきものが形を変え、別のモノに見える造形の面白さを自然から切り取った。日本と白鳥・・・・ その関連性があるかな?と考えていました。

あとで、瀧口に送ったプレゼントだと知りました。数ある自然物のひょうたんから、ミロが選び抜いたモノを贈るという価値。

デュシャンは既製品にサインをして価値を与えました。自然が作り出した既製品(手を加えていないという意味で)にミロの目が加わり価値を持つたもの。それを瀧口に贈るという行為が作品となっています。

贈り物という認識をしてみていなかったので、素材を造形物に見立てた作品の一種かと思っていました。ミロが注目した物質性の表現例として。

 

〇1969年 瀧口修三へ贈った版画

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〇1970年 瀧口へ送ったミロ作品

1970年 ミロが瀧口へ贈った作品(左の3作)

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97《無題(瀧口修造へのオマージュ)》1970 グアッシュ 墨 和紙 富山県立美術館

 

〇1970年 ミロ関連書籍刊行のポスター

1970年 ミロの関連書籍刊行の際、ポスターの原画として準備されたもので書籍3点のタイトルがカタルーニャ語か日本語で組こまれています。ポリグラファ(バルセロナの出版社)に関する資料。(88 89)

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右側は、ミロが画、瀧口の詩で構成された共作。詩画集の装丁はミロ。

 

〇版画は形の普及に効果

ミロにとって版画は、「形を普及させる点で効果的」と考えられていました。絵画を金銭的価値抜きに見るためには、街中に張るポスターも重要な役割と考えていました。

 ⇒【Check】*14

 

 

■6章:「ミロのなかの日本」

日本滞在により影響を受けたミロ。

帰国 してすぐ、日本の影響を受けたテーマの作品をいくつか手がけてはいますが、本の書画や史跡などを参照したことが分かる作品は、多くはありませんでした。

が、ミロ自身が「日本の書家たちの仕事に夢中に なったし、確実に私の制作方法に影響を与えています」 「私の絵画はますま す身振り的になっていると思います」と語ったと言います。

1950年代、日本の前衛的な書は欧米で注目を集めましたが、東西の交流は長く続きませんでした。しかしミロは、日本で得た 刺激を内側に溜め込み、時間をかけて昇華しました。ミロらしい生き物たちは、シンプルな線やかたちとなり、色も削ぎ落されました。

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110 ミロ《人、鳥》1976年2月18日 ピラール&ジョアン・ミロ財団

 ⇒【Check】*15

 

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113 《マジョルカ・シリーズ》 1973年

 ⇒【Check】*16

 

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第5章展示風景

1966年 「ミロ展」に出品した《マキモノ》

出品リストにはありませんでしたが、日本開催ということで、絵巻を追加。漆塗りのような附属木製ケースとともに。全長8メートル。

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1966 111 《マキモノ》 1956年 町田市立国際版画美術館

 

■再訪して確認すること

ブロガー内覧会後、講演会を視聴したり、動画を見たり… 『もっと知りたいミロ』図書館で借りた本を見たり… 再度、振り返ってみていたら、見逃していた部分やもっと見たい部分、図録ではこの部分はどんなふうに紹介されているのか知りたくなったり…

浮世絵をコラージュした作品をもう一度、確認したいし、どんな素材に描いたのかその材質をもっと知りたくなりました。最後の禅画のような墨絵。何が描かれているのかもっと細かく確認したい。そしてミロは宇宙を描こうとしたのだとは思うのですが、実際に宇宙を感じることはできませんでした。(モネの時と一緒)再度見たら、宇宙を感じることができるのか、見え方が変わるのかどうか… 

残念ながら、撮影できる日に再訪できず、4月に入り会期も迫ってきました。混まないうちに再訪してみようと思います。

 

⇒【Check】*17

⇒【Check】*18

⇒【Check】*19

 

■関連

■ミロ展 ―日本を夢見てー Bunkamuraザ・ミュージアム 

■ミロ展 ―日本を夢見てー(2) Bunkamuraザ・ミュージアム ←ここ

 

 

■展覧会について

会 場  Bunkamura ザ・ミュージアム 
会 期  2022/2/11(金・祝)~4/17(日)

 

■脚注・チェック

*1:【Check】1
・コラージュの浮世絵の張り方&質感
・ちりめん絵の質感

*2:【Check】15
・右作品:青い背景の木枠

*3:【Check】24
タペストリーの織り方

*4:【Check】38
・離れて見る

 

 

*5:■33 無題(デッサン=コラージュ : 浜辺)(1933年8月15日)
 コンテ・コラージュ 富山県美術館 

茶色の植毛紙(短い繊維を吹き付けた紙) に、 二人の人物のような形が描かれています。1933年 8~9月にデッサン とコラージュを組み合わせた作品を制作。
印刷物の切り 抜きが貼り付けられている。浜辺を想起させる水着姿の女性や人魚などの印刷物、 左の人物の頭は 微生物の図版。これらはシュルレアリスムの手法を思 わせる。 シュルレアリスムの提唱者アンドレブルトン旧蔵。

 

*6:■34《絵画》(1936年 夏)
油彩・カゼイン・塗料・タール・砂・メゾナイト

1936年 の夏から秋:メゾナイト(木材チップを 圧縮成形した硬質な板)を支持体にした作品をシリーズで 27点の制作。
画面には小さな穴があき、絵画で用いられない素材を使用。作品は破壊的な表現が用いられています。その背景に、スペイン本土で内戦という混迷した社会情勢がうかがえます。 メゾナイトシリーズを完成させ た10月、ミロはパリへ戦禍を避けました。

 

*7:■35《絵画(絵画=コラージュ)》(1936年10月29日) 
油彩・鉛筆・コラージュ・麻紐・針金・合板

 

*8:【Check】33 34 35
・キャプション確認 右・左
・素材の確認 近くで見る 絵とコラージュ―の違い確認

*9:【Check】42
・数字と絵画 数字をどのように描いているのか

*10:【Check】40
・文字の表現と絵の関係
・黒い太字がオルガン説について
・サインのMとの関係

*11:【Check】47 48 50
・陶芸の絵付けの裏
・陶芸作品の質感 釉薬
・47 48のキャンパス 下処理 目地状態

*12:【Check】
〇埴輪の質感 頭

*13:【Check】74
・サインは猫の耳? ⇒ミロは猫好き?  M  
・41 オルガンの猫耳との関係 

*14:【Check】
・5章は全体的あまり興味を感じなかったのでほとんど見ていないので再チェック

*15:【Check】110
・キャプションチェック

*16:【Check】6章

・時間切れで細部まで見ていないので要チェック
・特に白&黒の中に描かれているもの

 

 

*17:【Check】■日本の筆との出会はいつ頃?
■墨筆風の絵や線はいつ頃から確認できる?

・墨筆風に描き始めたのは?(それは日本の影響? 自ら?)
・初期シュルレアリスム風の細い筆線の観察 何で描いている?
・生まれた時からジャポニズムに浸る ⇒墨筆画との出会いは?
・1948~50年代 書と絵の融合 筆線確認 日本的部分は?…
   日本テイストに至る手前の感じ。
・1948年 《アルバム13》の中で日本的な描き方は?

 

*18:【Check】■コラージュ作品の質感・素材確認

・グアッシュとキャンパスの発色の対比
・キャンバスの色比較、目地の大きさ

 

*19:【Check】