今年は明治150年ということで、博物館、美術館ではそれに関連する企画が行われています。ウィーン万国博覧会は明治の幕開けとともに、近代国家を目指す日本にとって、世界へのアピールの場であり学びの場でした。たばこと塩の博物館で開催されている「ウィーン万国博覧会」をご紹介しながら、明治という時代の熱さを、他の美術館の展示ともからめながら紹介します。
*写真は博物館の許可を得て、掲載しております。
- ■産業の世紀の幕開け ウィーン万国博覧会
- ■注目の出品作品
- ■ウィーン万国博覧会への参加準備
- ■会場の様子
- ■ウィーン万国博覧会後の日本
- ■特別展示 クリムト作品
- ■関連展示
- ■関連資料
- ■関連ブログ
- ■「万博」と「内国勧業博覧会」開催と準備に関する年表
- ■脚注
■産業の世紀の幕開け ウィーン万国博覧会
南武線 武蔵小杉の駅で見た看板です。左は日本の焼物だとわかるのですが、右のこのデコラティブなものは一体何でしょう?
たばこと塩の博物館でウィーン万国博覧会展が開催されていることを知りました。
ウィーン万国博覧会と言えば、近代化を目指す明治政府が、総力を挙げて世界に打って出ようと初めて公式参加した万博として知られており、日本の文化や技術が注目を浴びた万博だったと聞きます。
その日本にとって、エポックメイキングのようなウィーン万博ですが、そこだけを中心にスポットを当てた展示というのは、あまり聞いたことがないような気がします。⇒*1
11月23日には、「博覧会と明治の日本」と題した國 雄行 (首都大学東京教授)氏による講演会も開催され参加しましたが、大盛況でした。
あのデコラティブな造形物は、なんだったのかというと、さすが「たばこと塩の博物館」にちなんだアイテム「パイプ」でした。たばこと塩の博物館とウィーンは友好関係にあるようです。
日本でも超絶技巧と言われる磁器がのちの万博に出品されていました。しかしどう見てもこれは日本製ではありません。
こちらは、オーストリアが、ウィーン博に出品したメアシャムパイプでした。
万博によって、ジャポニスムのブームがおこり、日本の工芸品が好評を博し、技術の高さや繊細さなどが高く評価されていたと聞きます。しかしこのパイプを見たら、日本だけではなかった・・・・ 海外も日本と同じような繊細な技術があったことを目の当たりにしました。
昨今、ジャポニスムが取り上げられることが多くなり、日本人ってすごいよね~と自画自賛モードになっていましたが、この時代、日本だけでなく世界が総力を挙げて、産業の発展に尽力し、技術を磨き競い合っていた時代であったことを、このパイプが雄弁に物語っていると思いました。
上の写真は、垂れ幕の写真を拡大撮影したものです。繊細すぎます。素材は何でできているのでしょう?どうやって彫ったのでしょうか?
先日(2018年12月16日)の日曜美術館のアートシーンで、この展覧会が紹介されました。
■注目の出品作品
高さ約2m 富士山を染付、御所車を蒔絵で表現した大花瓶。出品された陶磁器の花瓶の中では最も大きな作品です。
博覧会の日本館内部の写真にも、入口に配置されており目立つ存在でした。
さて、こんなに大きな花瓶をどのように焼いたのでしょうか?当時の日本人は小柄で、外国人と並ぶととても小さく目立ちません。大きなものを作って目を引こうとしたようです。ところで小柄な日本人がどのようにして2m近い花瓶を、ろくろで作ったのでしょう? この花瓶は上下に分けて作られ、生乾きのうちに接合されました。その技をしても技術の高さがうかがえます。⇒*2
【参考】万博以前、江戸時代、伊万里から欧州に輸出され宮中を飾っていた焼物
*東博本館にて撮影
日本人を表すために、武士・商人などのいでたちを髪や着物の模様を繊細に制作して紹介したものと考えられているそうです。⇒*3
室内の展示だけでなく日本庭園の展示も行われました。こちらは、各パビリオンの写真をカードにした土産物です。
日本庭園には社も立てられ、この金属製の灯篭がかけられていたのかもしれないそうです。
メインビジュアルにも取り上げられているパイプです。
ゴシック建築の塔の形をしており、アケードに彫られた2体の人物は、芸術、科学、貿易、技術を具現化しています。蓋には4つの琥珀のメダルが嵌め込まれウィーンを象徴するモチーフが入っています。
メアシャムとは海泡石のことで、多孔質できめ細かい粘土状の石でパイプの素材として珍重されました。それを細密に加工します。(⇒常設展 たばこと歴史の文化に行くと、詳細の展示があります)
◆メアシャムとは
主にトルコを中心とした地中海沿岸地域で採取される石で貴族がみつけ、それでパイプを作るよう命じたことがはじまりだそう。
固そうに見えますが、材質が柔らかいため、細かい彫刻ができることから、美術的な工芸のパイプに使われたようです。使い込むと色が変化します。壊れやすい欠点があっても、愛好家人気があるとのこと。
世界中が国家の威信をかけて、技術力を披露して出品していることがうかがえます。
■ウィーン万国博覧会への参加準備
1873(明治6)年に開催されたウィーン万国博覧会に、国家として初めて公式参加しました。様々な出品作品が好評を博し、技術力、対応力の高さに大反響でした。
参加に至る道筋を追ってみます。
1871年 | 明治4 | 〇ウィーン万国博覧会参加決定 |
〇文部省博物局設置 | ||
⇒日本の天産物(鉱物や水産物、植物、動物)の収集 | ||
⇒古器旧物(歴史的資料)の保存目的 | ||
⇒万博の参加決定により、一層、各地から出品物集まる | ||
⇒博物局の資料充実 | ||
1872年 | 明治5 | 〇博覧会の告知 博覧会事務局設置 博覧会御用掛の任命 |
〇各地から物産調書 出品物の収集 予算計上 | ||
〇湯島聖堂 大成殿で大規模な博覧会開催 | ||
1873年 | 明治6 | ■ウィーン万博参加 |
博覧会事務局から全国へ、ウィーン万国博覧会への出品が呼びかけられました。有志は6月末日までに日比谷御門内に設けられた事務局へ申し出るようにと記されています。
〇湯島聖堂 大成殿
ウィーン万博(1873)の前年、1872(明治5)年に、国内で万博が行われました。場所は文部省のある湯島聖堂大成殿です。
展示物が所せましと並べられている様子が描かれ中央には金の鯱が展示されています。絵画や武具、衣装の他にも、鳥類、魚類のはく製もあり、様々なものが集められていたことがわかります。
〇東博の始まりが湯島聖堂展
この湯島聖堂で行われた博覧会が、東京国立博物館の創立となります。そんな関係もあり、ウィーン万博の展示のご挨拶には、東京国立博物館館長 銭谷眞美氏のパネルが掲げられていました。
そして、先日まで東博で行われていた「マルセル・デュシャン展」は、フィラデルフィア万博(ウィーン博の4年後に開催)のメモリアルホールが起源となっているというつながりがあります。
世界が互いに切磋琢磨し、その技術を競い広めた遺構が、今につながっているのを感じさせられます。
こちらでも画面中央に名古屋城の金鯱がガラスケースに収められ、注目の的であったことをうかがわせます。
〇東博本館 15「歴史の記録」の展示と合わせてみるとより深まる
東博本館1階の「15」のエリアは「歴史の記録」 その入口の写真に思わず反応してしまいました。これは金鯱!
このエリアは、東京国立博物館の歴史を伝える作品や資料をもとに、明治5年(1872)の博物館創立当時から、博覧会の開催や文化財調査を通じて収集されてきたものが展示されているコーナーです。
東京大学史料編纂所との共同研究による成果として、明治最初期のコロジオン湿板の伝来と原板が含む豊富な情報について、その一端が紹介されていました。
幕末から明治以降に撮影された厖大な古写真コレクションから、博覧会や風景、人物や文化財など、当時の様子を伝える写真を展示が、2018年10月30日(火) ~ 2018年12月25日(火)まで行われているので、併せてみると当時の熱気が伝わります。
・湯島聖堂大成殿
・湯島聖堂博覧会 金鯱
・湯島に集まってきたもの
女官礼服
東博本館の「歴史の記録」コーナーの壁にかけられているスクリーン
湯島聖堂博覧会の様子
・澳国維府博覧会出品撮影(おうこくうぃーん)
■会場の様子
ウィーン万博に参加するにあたり、事前にシュミュレーションのような万博が国内の湯島で開催されていました。こうした経緯を経て、晴れて、ウィーンの地に乗り込んでいきました。
ウィーン万博の会場俯瞰図
*wikipedhiaより
日本展示 金鯱 日本でも好評だった金鯱の展示はウィーンでも・・・・
*wikiphedhiaより
〇鯱や大仏など日本人気
日本で好評を博した金鯱はウィーン博へ・・・・ 鯱のほかにも、鎌倉の大仏(紙で作った張りぼて)、高さが2間の提灯、直径8尺の太鼓、五重塔などが展示されました。
なにはともあれ、大きさで圧倒したかったのでしょうか?
引用:ウィーン万国博覧会 図録(p36・37)より
〇東博本館の展示より
東博の本館に万博や湯島聖堂の万博関連の展示がされています。それらを紹介。
博覧会関係者の集合写真です。
〇会場の写真は、図録にも満載
ウィーン万博に展示された作品や、会場の様子は、写真やスケッチとして、図録に満載されており見ごたえ十分です。東博の本館でも万博や内閣勧業博覧会の展示をこれまでにも見てきましたが、そこでも見たことがないような写真が盛り込まれています。
注目は、ウィーン万博の目録では確認できていないという盆栽の写真も掲載されています。昨今の西欧での盆栽ブームの下地は、こんなところにあったのかもしれません。
図録(p74・75) 盆栽
博覧会全体の鳥観図や、平面図がいくつかの角度から見たものが掲載されていたり、記念ハンカチとして販売もされたようです。
図録(p76-79)
また、「日本列品所全図」(日本館の出品の配置図)なども掲載されています。出品写真や、会場の様子を撮影した写真と照らして、どのアングルからのものか、想像してみるのも楽しいです。これまで断片の写真でしかなかったのですが、全体を想像する手がかりができました。ウィーン万博の日本館内を、脳内バーチャル散策しているかのような気分が味わえます。
〇扇や団扇も人気
ウィーン万博のお土産として団扇や扇がとても人気で大行列ができたそうです。
(参考:椎野正兵衛衛とウィーン万博 | 繭家の人生こぼれ繭)
ウイーン万博のあと、フィラデルフィア万博が行われ、その翌年、1878年(明治11年)にパリ万博が行われ、ジャポニスムの流行はさらに加速していました。
現在、サントリー美術館で行われている「扇の国 日本」では、パリ万博に出品された扇が展示されています。幅広い時代と流派を網羅した、百本の「扇」があったと伝えられているそうです。
■ウィーン万国博覧会後の日本
〇内国勧業博覧会
日本はウィーン万国博覧会で、多くの賞を獲得。日本の技術力を世界に向けてアピールすることに成功しました。そこで、国内産業のさらなる発展を目指して国内で、内国勧業博覧会を開催することに。
第1回内国勧業博覧会は、1877年(明治10)。45万人を超える大盛況ぶり。博覧会は5回まで開催されました。
会場では臥雲辰致(がうん・たっち)が考案した紡績機などが注目を集めました。
〇ワグネル博士の釉下彩陶器
ゴットフリード・ワグネル博士はドイツのお雇い外国人で、ウィーン万博参加時、顧問として活躍しました。日本の窯業に深くかかわり、ワグネルが開発し日本の陶磁器を美しく進化させたた釉下彩陶器で化学遺産の認定を受けています。
■特別展示 クリムト作品
万博が行われジャポニスムが広まった世紀末、日本の影響を受けたといわれているウィーンの画家、グスタフ・クリムトの習作が特別展示されています。
(左)キモノを着た女 グスタフ・クリムト (個人蔵)
(右)毛皮をまとった婦人 グスタフ・クリムト (個人蔵)
■関連展示
明治150年を迎えた今年は、明治という時代が持つエネルギーを感じさせられる展示がいっぱい。それぞれの展示を横断しながらみることで、より一層の、時代の熱気を感じられるのではないでしょうか?
〇明治150年記念 日本を変えた千の技術博|2018年10月30日(火)〜2019年3月3日(日)|国立科学博物館(東京・上野公園)
幕末から明治以降に撮影された厖大な古写真コレクションから、博覧会や風景、人物や文化財など、当時の様子を伝える写真を展示(2018年10月30日(火) ~ 2018年12月25日(火))
序章 ここは扇の国
1878年(明治11)、フランス・パリ万国博覧会で、幅広い時代と流派を網羅した、百本の「扇」が出品。その扇の展示があります。
〇モダン美人誕生 - 岡田三郎助と近代のよそおい | ポーラ美術館
開国によって変化した美人の概念の変遷を追う
西欧に追いつくため、日本の美に対しても変革がおこった時代
■関連資料
〇日本の出品にみるフィラデルフィア万国博覧会とウィーン万国博覧会の関連
〇ウィーン万国博覧会に出品されたみすず細工 – 市民記者ブログ -
■関連ブログ
〇ウィーン万博展 - 博物館学を読む - Yahoo!ブログ
〇 展覧会『ウィーン万国博覧会 産業の世紀の幕開け』 - 可能性 ある 島 の
〇産業の世紀の幕開け ウィーン万国博覧会 | アートテラー・とに~の【ここにしかない美術室】
〇開館40周年記念 産業の世紀の幕開け ウィーン万国博覧会:artscapeレビュー|美術館・アート情報 artscape
〇■万国博覧会 と 内国勧業博覧会 - コロコロのアート 見て歩記&調べ歩記
■「万博」と「内国勧業博覧会」開催と準備に関する年表
■脚注
*1:過去にウィーン万博を取り上げた展覧会
*2:どうやって焼くの?
2mを超える窯があるとは思えなかったので、焼いたあと接合していると思っていました。接合部の収縮率とか、どうやって計算しているのだろう。焼いたものを接合する技術とは? と思っていたので、生渇きで接合していたことを知り、やっと納得。
万博における「民族学的展示」(人間動物園)を自ら行うという意識があったのでしょうか? チョンマゲ、袴の武士のいでたちは欧州諸国には奇異に映りました。世界初のロンドン万博(1851年・・・ウィーン博の21年前)では、日本人を人間展示するという話があったと聞きます。しかし植物を愛する姿に文化度を感じ取りやめになったという話を耳にしました。万博の光と影を見たように感じられました。
一方、ウィーン万博後、日本では内国勧業博覧会が行われ、その人気は全国に博覧会ブームを起こしました。各地で行われた博覧会で、アイヌ民族や沖縄民族の展示が行われていたという事実を知りました。そしてまた今の時代、アート表現として、同様のことを行い問題提起を起こそうとしている動きもあるようです。
東博のデュシャン展によって、美術館、博物館の展示物から「考えること」。作り手はそれを提起することがアートだと理解しました。しかし何を展示してもよいのか・・・・ そんなことも考えさせられます。いろいろな場所で歴史は同じようなことをを繰り返すもの。他山の石は、足元の石でもあった・・・・という人のサガのようなものも感じられました。