コロコロのアート 見て歩記&調べ歩記

美術鑑賞を通して感じたこと、考えたこと、調べたことを、過去と繋げて追記したりして変化を楽しむブログ 一枚の絵を深堀したり・・・ 

■感性を磨くには? ①よく見る 『アート鑑賞、超入門』を読んで考える

感性を磨くためにはどうしたらいいのでしょうか・・・・


これは、長年の課題でした。よく美術館などにでかけて、鑑賞をするといいと言われます。そこで、新聞の販売店からいただく、招待券で美術展に何度かでかけてみました。しかしさっぱりわからないし、感性が磨かれているという実感が全くありませんでした。美術鑑賞したって、感性なんて磨かれやしないじゃない! が私がずっと思っていたことでした。(笑)

 

そこで、どうしたら感性が磨かれるのかをネットで調べてみました。しかしなるほど・・・と納得させてもらえる情報に遭遇することができません。感覚的なことばかりで、具体的にどうすればいいのかわかりません。総論としてはわかるのですが・・・・ 私の心に響くものがありませんでした。

 

 

 ■物理学者が教えてくれた感性の磨き方

それを解決してくれたのは、なんと物理学者で、志村文夫さんという方でした。

 

  「理系の頭」で考える技術ー

    ”核心”をズバリととらえる「ものの見方・考え方」

 

という本の中で語られていた感性の磨き方の解説が、他の誰よりも具体的で、私にはとてもしっくりと納得させられる内容でした。正に腑に落ちるというのは、このことで長年の問題が、霧が晴れるように解決できたように思われました。この本との出会いによって、美術鑑賞の幅が劇的に広がったと実感しています。

 

そして、ここで紹介されたもの見方や考え方というのは、美術に限らずあらゆることに通じる思考法だったのです。いかに学ぶか、そして知識を広げていくかということを教えてくれました。関連づけによって深い思考がもたらされるという具体例が、いくつも紹介されていたので、とてもわかりやすいのです。この本によってその後の物事のとらえ方に大きく影響を与えてくれました。自分自身に転機をもたらしてくれたと言ってもいいくらいの影響力でした。

 

それは、自分の思考傾向ということについても自覚できたことが大きかったと思います。たぶん、ここに書かれているような思考法は、実際にはしていたように思うのです。ただ意識的ではなかったので、それが言語化されたことで、意識下に浮上してきた気がしました。さらに具体例をたくさん示されていたことで、深め方のパターンをいくつも知りました。この本については、また、改めて紹介したいと思っています。

 

今は、最近読んだ、『アート鑑賞、超入門! 7つの視点』という著作から、感性を磨くということについて、考えさせられたことを紹介したいと思います。

 

 

■アート鑑賞の7つの視点

タイトルの「7つの視点」は、下記のような「7つの章立て」に割り振られて解説されています。それぞれの章には、〈アート鑑賞を深めるためのヒント〉が①~⑳によって構成されています。 

 

第一章 よく見る

第二章 私が見る

第三章 感性で見る

第四章 知性で見る

第五章 知って見る、知らないで見る

第六章 肯定的に見る、否定的に見る

第七章 気づきから寄り添いへ

終章  アートを見るということ

 

それぞれの章のポイントや概略、気になったフレーズを紹介したあと、私が感じたことなどを、紹介したいと思います。

 

 

■第一章 よく見る

【内容】

美術館に行って、作品をどれくらいの時間、見ているのでしょうか? ほとんどの人が1分以下で、自分の気になったところだけ数十秒見て次の作品へ移るというのが常。そこでディスクリプションという見方が提案されました。

 

 

ヒント① ディスクリプション(p24)

作品がどのようなものかを、言葉で変換する作業で、見たままを言葉にすればよいので、誰にでもできることです。この言葉にするという作業は、見落としに気づき、作品全体を見るようになるという効果があります。

 

【私の見方】
ある時、人と違う見方をしているのでは? と思うことがありました。それは、絵画を双眼鏡で見るようになって気づいたことでした。顕微鏡の視野を見る方法で見ている・・・・・ 

まずは、肉眼で気になるところを見ていきます。そして、画面の端から順を追って規則的にくまなく見るということをしていたように思います。その見方が顕著になったのが、双眼鏡で見るようになってからでした。

双眼鏡でもまずは、気になる部分を拡大して見ていきます。十分、観察が終わったら、最後に、画面の右上の端から下までなめるように見ていきます。次にそのとなりのレーン(?)にずらして、下から上へ流します。こうして、画面を規則的にくまなく見落としがないように網羅して見ていました。下記のような感じで、体育館でモップ掃除をするような見方です。自分ではそうやって見ることが当たり前に思っていたのですが、他の人たちは、このような見方をしていない気が最近してきました。

 

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双眼鏡で見ているときは、上記のように端から端まですべてを見ることになり、絵の細部にも注目できて、いろいろなことに気づけます。「こんなところに、こんな小さな〇〇を描いている!」みたいに・・・・

 

これは、かつて顕微鏡で見るという経験が反映しているのだと思いました。それに気づいたのが、「顕微鏡の発達や導入が絵画にどのような影響を与えていったのか・・・・」ということを考えていた時のことでした。私は、顕微鏡で100倍(弱拡大)で全視野を鏡見するときと同じ方法で見ていたのでした。

 

この見方をしている時は、描かれている物全体の認識からは解放されていました。ただ、ただ、パーツのみ、部分だけを見ているのです。「顕微鏡の弱拡大で全視野から、異常な細胞をみつける」それと同じような感覚で見ていたのでした。

 

そして、「あっ! ここ変!」 という発見は、病変を見つけるかのような感じだったのです(笑)  それは、「小さな蕾」だったり、「虫」だったり・・・ この発見は、こんなところにこんなものがあるなんて誰も気づいていないはず。それは癌になる前の細胞の変化をみつけたかのようで、早期発見したような感じと似ているかも(笑)

 

双眼鏡で見ている時は、全体の形態ではなく、色の発色違いや、金箔の張り方着色のムラ質感・・・・といった、ディティーや、技術的なことに目が向くようになっていたと感じています。それは、あの大混雑をした若冲展で、「単眼鏡では近くまで寄らないと見えないので、双眼鏡を持参すると便利」という話を聞いていてから、持ち歩くようになってのことなのでした。  

 

というわけで、絵を細部まで細かく観察し、端から端まで見て何が描かれているかを見る。ということについては、過去の経験も影響して、すでに行っていました。そして、当たり前のようにこういう見方をしていたのですが、もしかしたらこの見方は、人とは違う観察のしかたをしていたかも・・・・というようにとらえるようになりました。

 

サントリー美術館で行われた鈴木其一展の《風神雷神襖》 何も描かれていない部分まで端から、端まで双眼鏡で見ていました。回りを見ても、何も描かれていない部分をしげしげ双眼鏡や単眼鏡で見ている人はいないということに気づき、人はそのような見方はしないのかも・・・・と。⇒【*1

 

 

 

ヒント② 時間をかけてみる(p29)

最初に気づかななかったことも、時間をかけることで次第に見えてくるものがあります。たとえば、〇〇〇、〇〇〇、〇〇〇・・・・など。最低5分は見たいところ。

 

【感想】
時間をかけて見る・・・・というのは、前術のとおり、すでに実践しています。午後一で訪れて閉館まで見ている。ということもよくあります。閉館間際は、混雑も解消され、自分一人が見ているという状況も・・・・  一つの作品を10分、15分ぐらい見たりすることもあるでしょうか? これは、クリアです!!

 

 

 

ヒント③ 数多く見る(p31)

上野行一教授によると「鑑賞力は精神発達に比例するのではなく経験に比例する」と言われています。この意味は、

「作品の部分と部分の関係や、部分と全体の関係など、作品を把握、理解する力は多くの作品を見れば見るほど養われるといいます。」数多く見ることによって、自分の見方も養われます。

 

【感想】
 「作品の部分と部分の関係や、部分と全体の関係など、作品を把握、理解する力は多くの作品を見れば見るほど養われるといいます。」という部分を、もっと具体的に事例を示して欲しいと思いました。  

 

たとえば、「Aという絵」を見た時に、以前見た「B(作品名)」という作品に描かれていた「C(アイテム)」が共通していると感じました。両者はまったくつながりもない作品なのですが、同じモチーフ「C」が描かれています。しかし「C」というのは、誰もが描くモチーフです。でも何か関係がありそうな気がするのです。するとそれは「D」という共通点があることに気がつききました。となると、「以前見たE」という作品の中にも、「C」が描かれていて、それも「D」という共通点を持っていたこと思い出しました! 「C」というモチーフの中に「D」という共通点があるということは、これは何か意味するのかもしれない・・・・

こんな感じで、「多くを見る」ことによって、作品がつながっていきます。見れば見るほど、そのたくさんのつながりが見えてくるとう経験をしています。どんなふうに作品を把握し理解につなげていくのかという具体例が必要だと思うのです。

 

昨年、1年、多くの作品に触れることができました。それもあって、今の私にはこの言葉がどういうことを意味しているのか理解することができます。そして、具体的にどういう例があるかというのも、食べログの日記にしたためてきたので、提示することができると思います。

 

しかし、30代の過去の私が、この本を読んだとしたら・・・・・ この言葉は、漠然としすぎてさっぱりわからないと思ったはず。言おうとしていることはおそらく理解できたと思います。なんとなくそういうことは、他のジャンルで実感していたことでしたから・・・ しかし美術の世界で、たくさん見ることで得られる理解というのは、具体的にどういうことなのか・・・・ その例を2~3例でいいので、具体的に示してくれなきゃわからない! きっとそんなふうに思ったと思うのです。

 

たくさんの絵を見ることによって、もたらされる知の広がり。そこで見つけられる共通性が飛躍的に高まるのを昨年1年を通して実感しました。これまでもそういう経験はしています。しかしその関連付けの範囲が、多方面に広がったのです。

 

それは、2つの美術館の会員となり、作品の好き嫌い問わず、開催されるものはすべてを見に行ったことが影響したと思っています。これまでは好きなものしか見ませんでした。しかしなんでもいいから見る。ということは、興味のないジャンルのことも、情報が入ってくるのです。そして気になったものは、同じ展示でも何回も見るようにしました。好きでない美術展でも、外出の次いでに10分でも20分でも、会場を歩いてくるだけでもいいから、その空間に触れる。するとそれによって、訪れるたびに、何かわかりませんが、シャワーを浴びているような気がするのです。見るたびに新たな知が知らぬ間にしみ込んでいたように思うのです。そしてそれらは、次に作品を見る時に、ジャンルを超えて、なんらかの形で共通点を見つけ出せるアイテムとなっていったのでした。

 

たとえば、作者の置かれた環境や時代、社会背景を、表面的な解説だけでなく理解し、いままで以上に、内面にまで迫って見るという経験をしました。すると、画家の心情になりきって想像してみるということを体験しました。すると、次に見るアーティストに対しても、同じように、表面的に語られることだけでなく、その時代の社会の状況を調べたり、知られざる家族関係や、そこから派生する心情なども想像されて、いろいろな角度から理解してみようと思うようになっていました。

 

(こういう事例も、具体的に作者名をあげて、どういう時代の、社会の裏の背景を知ったのかを示しつつ、そこからどんな心情が見えたのかを具体的示すこと。入門者に向けて語るには、そこの部分が必要なのだと思います。)

 

そうした新たな作品の見方が発見できると、次の作品の見方にも蓄積されて、一枚の絵から得られる情報が増えます。さらに自分が想像したり考えたりできることも、考えるための材料が増えてどんどん膨らんでいくのを実感した1年でした。

 

 

多くを見るということは、こうした関連性を見出す気づきのポイントが増えるということなのだと理解しています。鑑賞の範囲が広がれば広がるほど、ジャンルを超えた知識をもたらしてくれます。それは、その時は独立したものなのですが、あとになって何かとつながりが見えてくることがあります。あるいは、そのジャンルはあまり好きでないもので、ただ、見ているだけであったとしても、次の鑑賞のヒントになりうることもあってちょっと面白いと思いました。⇒【*2

 

 

■第一章 まとめ

「よく見る」⇒鑑賞の土台作り

  〇「ディスクリプション」

  〇「時間をかける」

  〇「数多く見る」

 

 

 (続く)

 

■関連

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■脚注

*1:鈴木其一 江戸琳派の旗手:《風神雷神図襖》

↑ なにも描かれていないように思える部分(襖と襖のつなぎ目など)も、細かく見ていくと、そこには何か意図を持って描いたのでは?と思えてきます。シミのように見えますが、何か意図があるのかも・・・という想像につながります。

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*2:エッシャー展―視覚の魔術師―  錯視の秘密
↑ エッシャーの絵は子供だまし・・・ 絵画、美術とは違う、なっちゃってアートだと思っていました。ところが実際に行ってみると、こんな絵を描いていたの? モネと同じ! 其一と同じ! と全く違うジャンルの絵なのに共通点が見つかりました。画家っていうのは、突き詰めていくと、描くものは似てくるのかなぁ・・・ なんてことを思っていたのでした。
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