コロコロのアート 見て歩記&調べ歩記

美術鑑賞を通して感じたこと、考えたこと、調べたことを、過去と繋げて追記したりして変化を楽しむブログ 一枚の絵を深堀したり・・・ 

■静嘉堂文庫美術館:最後の曜変天目 (「旅立ちの美術」にて) 

静嘉堂文庫美術館の「展示ギャラリー」が2022年、丸の内に移転します。移転前、最後の展覧会「旅立ちの美術」が行われました。前期に国宝7点すべてを展示。中でもひときわ輝きを放つ《曜変天目》。世田谷岡本の地では見納めです。

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写真は絵葉書より

 

静嘉堂文庫美術館河野元昭館長は、常々「所蔵品は所蔵館で、地酒はその土地で」とおっしゃっています。美術館への続くアプローチのサインとしても利用されている静嘉堂の至宝《曜変天目茶碗》

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この場所での姿を、最後しっかり目に焼きつけておこうと最終日に訪れました。「旅立ちの美術」で曜変天目を見たのは3回になります。

 

 

静嘉堂文庫美術館の思い出

静嘉堂文庫美術館に初めて訪れたのは、2017年、曜変天目茶碗が目的でした。岡本静嘉堂では曜変天目に始まり、曜変天目で終わることになりました。

館内の広間には、これまで開催された展覧会のポスターのミニ版が、展示ケースの回りを囲んでいます。展覧会は総計114回。4面に配置された展覧会を見ると・・・f:id:korokoroblog:20210614185230j:plain

私が鑑賞した展覧会は、後半の一面、しかもほんの一部。静嘉堂文庫美術館の長い歴史の中では一瞬にすぎません。

 

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しかし、そのわずかな展覧会から、いろいろなことを学ばせていただきました。

 

 

■作品の見方や価値感が変わる

作品の価値、曜変天目などの茶碗は、当初、モノとしてとらえていたように思います。興味があるのは、どんな構造なのか、どうやって作るのか。どうしてこのように見えるのか・・・・

伝来を聞いてもそれは、誰?という状態。時の権力者が所持したといっても、権力者の審美眼が必ずしも正しいわけではないはずと思っていました。歴史をわかっていないので、伝来の意味も価値も、だから?ぐらいにしか思っていなかったのです。

しかし、時代が価値を生むこと。また価値は変化することなど、静嘉堂文庫美術館が所有する名品などを通して、次第に理解するようになりました。

 

〇構造色とは

曜変天目茶碗の色は、構造色だということを案内ビデオで知りました。構造色がどういうものなのかわかっていなかったので、それを理解するのに、1年ほどかかりました。色には化学的な色と、物理的に見える色がある。ということを改めて認識し、曜変天目茶碗へ向ける目が、より物質面に傾倒していきました。

◆構造色について ⇒ *1

 

曜変天目の何を見るか 何を目にやきつけるか

静嘉堂美術館では最後となる曜変天目をしっかり目に焼き付けておく。そして心にひっかかることがあったので、ここで見た姿は、ここで解決しておきたいと思い最終日、訪れました。

 

 

■最後の見納め 曜変天目茶碗 

〇前回の発見が確認できない

前回、曜変天目の見え方について、自分なりの大きな発見がありました。しかし、今回、それを確認することができないのです。

スコープで見ると、斑紋や光彩は釉薬の厚さ中を、浮遊するように各層に存在していました。斑紋の顆粒は下図のような階層の中に存在していることが確認できたのです。

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光彩は、こんな状態でキラキラの部分を反射しているように見えました。

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それが今回の展示では、層の状態も顆粒も、前回見えたように見えないのです。大発見をしたと思っていたのになんだか残念感が・・・

茶碗全体を確認したわけではなかったので、限定的な見え方だったのかもしれません。もう一度、確かめようと思い2回目、訪れてみました。しかし同じようには見ることができませんでした。

【関連】 

■斑紋の顆粒に注目して鑑賞
■光彩の発色には階層がある

 

〇前回見た場所を特定しもう一度

そこで、前回の場所と同じ部分を特定し確認しました。赤い囲みの部分です。

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やはり前回見えた、光彩らしきものが全くみえません。階層状態にも見えません。輝かないのは、光量が不足しているからのようです。光彩が輝いて見えるのは、この部分ではなく、他の部分です。

  

〇光の当たり方が違う?

なぜ、同じ部分を見ているのに、同じように見えないのでしょう?光をあてているポイントが違うと感じました。展示ケースの照明を見ると、四隅にライトがあることがわかりました。そして光の方向も調整できるようです。

これまで、トップから均一な光が、格子ごしにまんべんなく当たっていると思っていました。四隅に方向性のある光があることは意識していなかったので、光の方向や当たり方に注意しながら、見直してみました。

前回見た斑紋と光彩には、光がほとんどあたっていないことがわかりました。光量が足りないため、階層や、ラスターのような輝きが確認ができなかったのだと理解しました。

  

〇茶碗各面で強く反射する光彩

茶碗を、展示ケースのガラス面と同じ面で4つに分割すると、それぞれの面の中で強く反射する光彩があることに気づきました。おそらく照明の向きによって、強い光を放っているのだと思われます。

もしかしたら、この部分を意識的に見せようとしているのかも・・・ この面ではここ、こちらの面はここ・・・というように。

この光が当たっている部分を観察すれば、層状態、あるいはラスター様の輝きの深度が確認できると思いました。ところが、またしても、確認ができないのです。

なぜ、層のように見えなくなってしまったのか。その原因をつきとめたいと思いました。もう少し丁寧に四隅の光との関係を確認しながら、観察すれば、階層が見えなくなってしまった原因がわかるかもしれません。3度目の正直、そして静嘉堂で見る最後の日。ラストチャンスに期待してでかけました。

 

曜変天目茶碗の正面はどこ?

四隅のライトの存在に気づいたら、曜変天目茶碗に正面はあるのかという素朴な疑問が生まれました。曜変天目茶碗の正面はどの向きなのか?これまで見てきた茶碗は、いつも同じ面が正面を向いていたのでしょうか?

同じようなパターン模様なので、どこが正面なのか意識しては見ていませんでした。もしかしたら展覧会によっては、向きを変えて展示していたこともあったのでは? 

これからは、茶碗の向きに、注意してみようと思います。

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ちなみに、販売されている絵葉書や、HPの写真、図録や展覧会関連のリリースなどで向きを確認すると、上記の絵葉書の向きで統一されているようです。

◆茶碗の正面について ⇒*2

 

 ■見る場所、ポイントを絞る(3回目)

〇各面の目につく斑紋、光彩を観察

茶碗を展示ケースと同じ面で4方向に分け、各面の一番、強く目に入ってくる光彩と斑紋にしぼって観察。見る方向も一方向に限定しました。観察する光彩、斑紋、顆粒を限定し、見るポジションも固定すると、釉の層や顆粒の焦点深度が変化するのが、やっと確認できるようになりました。

しかし、ちょっと見る角度がずれたり、さらに他の鑑賞者が間に入り、大きく立ち位置をずらすとその輝きや深度が失われてしまうのでした。

層状態が確認できるのは、限定されたポジションであったことがわかりました。またある程度、光量がないと、その輝きは確認ができなかったのです。

「見る」ということは「光の反射」を見ています。ダイヤモンドの輝きは、光がないと輝きません。それと同じことだったのでした。一番、輝いている光彩を選ぶ。それは十分な光量が存在していること。輝いて見える点をとらえていたこととだったのでした。

次に、光るポジション、光らなくなるポジションを確認しました。

 

以下は、それぞれの面からみた様子の覚書メモ。 

①正面

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・正面からは輝く光彩が見られない。しかし少しずれると出現
・写真などでオレンジ色に見える部分  焦点深度
・少しずれたり、斜めから見ると光彩見えなくなる
・右上のライトが影響
・見える・見えないは偶然の角度
・下部の真っ黒な斑紋は顆粒確認できない
 

➁左側面から

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・他の光彩とは明らかに違う強い反射があり、赤味を帯びている。
・手前側に位置し、釉が層になっており、上部にキラキラとしたラスターのような輝き
・この層は、表層にかなり近く、明らかに他の輝きとは異なる位置に存在する。
・もしかするとテグスが反射しているのかも?
・離れて見た時にも強い光を発している。テグスが反射した光かも。

・側面の右に斑点

 

 ③右側面

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・スポットがあたっている斑紋と光彩あり・・・・角度を変えると光彩がなくなる
・茶碗の上部、ふちに、見えるか見えないかの薄い斑紋あり 

 

④裏

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・非常に強く輝く光彩あり 移動しても輝きが変わらない
・上下に大きく動いても、どのポジションでも輝く
・ただし左右にずれると輝きが弱まるが、他の光彩と比べると光が強い 

 

 

〇見る場所や角度により七変化

これらの観察でわかったことは、見え方は偶然の産物だったということでした。前回、鑑賞した時に、見る対象、見る場所を固定して集中的に見るという新たな鑑賞方法で、新しい世界が開けたと思いました。

曜変天目茶碗が見る角度によって七変化するということは、わかっています。しかし、見る場所見る対象固定して見ることで、その時の光の反射状態も固定されていたのです。反射し続けて見える状態になっていたのでした。

見る条件を変える。いろいろな条件を与えて、見方を変える。与えた条件が、ちょっとずれた時、輝き方もかわってしまうのでした。

目に入る、一瞬一瞬によって、輝きが成り立っていた。そのため、階層に見えtaたり、光彩が輝くのも瞬間的なものだったということがわかりました。

 

 

■これは鑑賞?

〇作品を物質としてみてる?

見えなくなってしまった階層や光彩の輝きの原因を、自分なりに理解できました。しかし鑑賞をしながらこれは鑑賞なのだろうか?という疑問が頭をかすめていました。鑑賞というより、茶碗を物質として観察しているだけ・・・ 

どうしても、このような見方になってしまうのが自分の鑑賞の癖であり、逃れられないのだと思いました。と作品という物質、その表面の状態反射という見方で見てしまう。自分が見えた状態と、光と物質の関係の辻褄があっているか・・・ 

そこに納得できない違いが確認されると、その原因を自分なりに解決ができないと、すっきりしない。何度も足を運んでしまうのでした。

 

〇見える状態は一方向からの瞬間

展示ケースに入った作品に、いくつかの光が、一方向から当てられているのを見る行為。それは展示されている作品の光の一方向から見た一面に過ぎない。と伺ったことを思い出しました。そして・・・・

ガラスケースの中の展示というのは、その姿のある一瞬しか表現できていない。立体のスチル画像のようなもの。

という話も思い出されました。今回、いろいろな角度から確認していたことは、一方向から見た立体のスチル画像を、何枚も連写するような目で見ていたのだと理解しました。この展示に与えられている一瞬の光を、角度を変えて捉えていたのだと・・・・

 

 

曜変天目茶碗の鑑賞

〇飲むことをイメージする

曜変天目茶碗の鑑賞は、どうしてもその文様に注目してしまいがちです。茶碗を鑑賞するようになった頃、茶碗は、どのように鑑賞すればよいのか。一つの鑑賞法として、茶碗にお抹茶が入った状態を想像し、それを手にして飲むことをイメージするという鑑賞法を耳にしました。

それを知って思ったのは、曜変天目茶碗の複雑な文様と色、そこに抹茶の濃い緑の取り合わせ。果たして美しいのだろうかという素朴な疑問でした。個人的には美しいとは思えないなぁ・・・と。⇒*3

しかしいつの間にかそんなことは忘れ、文様の不思議さ、神秘さばかりに目が向いていきます。

 

〇初めての人は、全体を知らない

今、岡本静嘉堂曜変天目の文様の一つ一つを穴があくくらい見ていて見えてきたことがあります。それは、これらの文様の全貌は、初めてこの茶碗でもてなされる方は知らないということでした。

外側の黒い胴と腰に、威容な光を放つ文様が内側から一部だけ見える状態。

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ブルータス 曜変天目より

茶碗を持ち上げ、文様が目の前に近づいてきます。飲むつれてさらに現れる意外な文様。そして飲み干した時に表れる景色とその驚き。そこにこの茶碗の真価があったのでは? 私たちは曜変天目茶碗の内部がどのようになっているか、すでに知ってしまっています。

しかし、初めてこの茶碗に遭遇する時は、全く未知の状態であることを何度か見るうちに忘れていました。

飲むという行為が作り出す茶碗の角度の変化。その角度が文様の七変化をもたらしこれまで見たこともない光景を次々に繰り広げます。あるいは抹茶の液体が傾くことで、抹茶色の濃淡の勾配ができます。その液体を通る光の屈折によっても文様の見え方は、変化するはず。お天気による光の状態によっても変わるはず。それらの複合的な驚きをこの茶碗によって饗されていたのだと思いました。

初めて遭遇する体験インパクト・・・・  同じ時期に見ていたクールベと重なりました。初めてクールベが波を見た時の衝撃に通じるものがある。知ってしまうとあたり前になって忘れてしまいます。それを呼び戻された気がしました。

 

〇展示ケースで見ること 手にして見ること

展示ケースに入った状態で見る作品と、自由に光の角度を変えて見る作品。飲むという行為によって角度は連続的に変わり、次々に現れる文様を目の当たりにします。最高峰と言われる茶碗が持つ世界には計り知れないものが潜んでいるはず。

斑紋や光彩の一つに絞って、角度をすこしずつ変えながら見る。それは、光によって作り出されていた瞬間瞬間を観察していたこと。そしてお茶を飲むという一連の動作で見える景色を、バラバラになったワンショットで断片的に見ていたのかもしれないと思いました。
 

 ■補足 

*1:◆構造色

構造色という言葉を始めて知った。干渉なら聞いたことあるけど… 基礎物理学で学んだ記憶もない。生化学検査の原理は化学反応による色素の変化を一定の波長において物理的にとらえていた。考えたら構造色という原理を使った検査ってなかったような・・・・ 

色の認識が化学反応の色素によるものが主流だったことに気づかされた。物理的に認識する色がある。その後、構造色という言葉を追っていた。

https://twitter.com/korokoro_art/status/1072741130347798528
https://twitter.com/korokoro_art/status/1062935410140016640
 https://twitter.com/korokoro_art/status/1072741131778060288
https://twitter.com/korokoro_art/status/1285471195790376961
https://twitter.com/korokoro_art/status/1402083160398065664

  

*2:■茶碗の正面について

調べてみると茶碗には、正面があることがわかりました。無地のわかりにくいくい場合は,茶碗の裏に刻印がありそれによって決まるのだそう。

茶碗を裏返すと刻印があります。刻印が左に来るようにお茶碗を持つとそこがそのお茶碗の正面です。お茶碗の作者がお茶碗の正面を定めて刻印を押しているのです。

出典:お茶碗ってなんで回すの? | コラム | はじめての茶道ガイド

稲葉天目の裏を見ると、刻印はなさそうです。というより他の2碗にも同様に刻印がなさそうでした。 f:id:korokoroblog:20210619145555p:plain

出典:茶道具の美(静嘉堂パンフ)

 

*3:(2021.06.23)曜変天目が作られた時代のお茶は・・・

曜変天目が作られた南宋時代と考えられますが、1世代前の北宋宮廷では、兎毫盞を最上とする建盞を用い、白茶(茶葉の日光を浴びない、白っぽい部分だけを集めた高級茶。抹茶として加工)を攪拌して飲んでいた。(ブルータスより)

この時、そういうことだったのか・・・と思いながら、すっかり忘れていた。