コロコロのアート 見て歩記&調べ歩記

美術鑑賞を通して感じたこと、考えたこと、調べたことを、過去と繋げて追記したりして変化を楽しむブログ 一枚の絵を深堀したり・・・ 

■サントリー美術館:刀剣 もののふの心

サントリー美術館にて開館60周年記念展として「刀剣 もののふの心」が行われました。今回の展示では、由緒正しい神社や寺院に奉納され、伝来した貴重な刀剣を一堂に集められていました。ここだけの貴重なものがいっぱい。(2021.10.31終了)

f:id:korokoroblog:20211107102628j:plain

最終日、あわてて来館したものの、せっかくレア展示されていた刀剣もよくわからないまま。刀剣の言われなどを調べたものを覚書として残しておくことに。

写真NGだったので、公式twitterと会員向けの美術館ニュースをもとにまとめています。

 

 

 

展示替えリストの構成に沿って、展示番号とともに記載しています。

f:id:korokoroblog:20211117064045j:plain

 

1⃣絵画に見るもののふの姿

《前九年合戦絵巻》や《後三年合戦絵巻》では甲冑で合戦に赴くもののふの姿が描かれました。また『平家物語』では、弓や槍と共に太刀をふるって戦う武家の姿がえかれます。そこには刀剣が機能性を究めることで洗練されてきたことを物語ります。

[1]《前九年合戦屏風》(後半)

[2]《後三年合戦屏風》(前半)

前九年合戦・後三年合戦、武士が戦う様子が屏風に描かれています。これらの戦いは源氏が東国に勢力を築くきっかけとなりました

[3]《石山寺縁起絵巻》(前半)

近江国石山寺の草創から、寺の沿革に関する各種の霊験譚を説いた絵巻、7巻のうち6巻。谷文晁による。鎌倉幕府の武士による謀反人の討伐を描く。

[5]《屋島合戦屏風》

 

 

2⃣祈りを託された剣と刀 古社寺伝来の刀剣

京都を中心に、由緒正しい神社や、崇敬を集めてきた寺院に奉納された貴重な刀剣を展示。刀剣に託された人々の祈りや、様々な伝承から今に伝わる歴史を伝えます。

刀剣には、刀工の銘とともに、天皇や公家、僧侶、武将など、奉納した人々の名が伝わるものもあります。

[67]国宝 無名 黒漆

 

3⃣武士が愛した名刀 武士と刀剣 

名刀には歴史上、有力な戦国武将が所持していた伝承を持つものがあります。源氏の重宝、織田信長今川義元から奪った刀など、時代を超えて名物が目の前に・・・

 

[72]《太刀 銘 □忠》(名物膝丸・薄緑)

「太刀 銘 □忠」の「□」は破損して読めないことを意味しています。この太刀には「膝丸」「薄緑」など様々な呼び名があります。

 

●『膝丸』

平家物語では「膝丸」の名で登場。
・罪人を処刑した際には首を落とした勢いで膝まで切れたという伝承。
・異国人が作ったという特別な出自のエピソード
・切れ味鋭い性能のエピソードを重ねて、 霊威と機能を担保している。
・満仲が異国の刀鍛(鉄細工師)に「髪切」という刀を作らせた。

 

●『薄緑』

・時代を経て所有者が変わる。
源義経に渡ると『薄緑』と呼ばれる。
・一ノ谷、屋島、壇ノ浦の合戦で平家を討っ た義経
・腰帯に『薄緑』が下げられていた?

(太刀は馬上戦で使わ れた刀、
 武士が身に付けっていた様子が、様々な合戦国絵巻に見られる)

 

●『薄緑』『髪切』

武家政権(鎌倉幕府)を作り上げた頼朝は、弟・義経を倒す。
・源氏の重宝「薄緑(丸)」と「髭切」を待つ
  ⇒ 頼朝が源氏の正統であることを暗に主張。

 

曽我物語

・別の伝承、曽我兄弟の仇討ち話もあり。
曽我物語義経が 箱根権現に奉納した刀を使って、 曽我兄弟が父親の仇討ち。
・先の「薄縁 太刀伝来」にも、義経と頼朝の間 に曽我時宗 (五郎の名が記される」。

 

刀剣の所有者が変わるとその名称も変わり(源頼光義経、頼朝、曽我兄弟 らが「薄緑」(丸/蜘蛛切など)エピソードも加わっていきます。それらは絵巻や昇風、浮世絵に描かれ、浄瑠璃や歌舞伎の演目にもなって引き継がれてきました。その伝承によって刀はよりオーラを放っていきます。

 

名刀の付属資料にもGHQにまつわる特有のエピソードがあります。(図録未収録)

 

f:id:korokoroblog:20211117063848j:plain

 

 

[73]《太刀 銘□□国則宗(名物二ツ銘則宗)》

足利尊氏佩用(はいよう)していたと伝わる二ツ銘則宗(ふたつめののりむね)

 

[74]《革包太刀拵》(前期)

革包太刀拵わづつみたちこしらえ)笹丸)も展示
・中世太刀拵の最高峰

《太刀 銘□□国則宗(名物二ツ銘則宗)》拵の特別展示

 

f:id:korokoroblog:20211117064236j:plain

[75]《名物義元左文字

桶狭間の戦い織田信長今川義元から奪取したという逸話のある刀

桶狭間の戦い織田信長今川義元より奪い取った秘蔵の刀。
・後に豊臣秀吉徳川家康の手に 明治時代、 徳川家⇒神社に奉納。

信長は、桶狭間で勝利した手にした経緯を刀の茎(なかご)に金象嵌で刻む。また自分の 好みに合わせて短くさせた。(よほどうれしかったと思われる)

・明暦の大火(江戸時代)で 燃える。
・再刃(さいば)(刀に再び 焼き入れを行う)した記録あり。
・現在は、製作当初の文も肌もないが、天下人の起点の戦の生き証人。

 

[76]《骨喰藤四郎》

足利将軍家を経て豊臣秀吉、そして徳川将軍家と、歴代の天下人が所持したことで知られる名刀。江戸期の大火を経て今に残る名品。

 

豊臣秀吉ゆかりの豊国神社に 伝わる名物「骨喰藤四郎」
・明暦の大火で燃える。無名 作者不明。

●作:吉光作
 豊臣秀吉が大友家に宛てた書状があり、”吉光骨啄刀”を受け取った旨の記載。

●吉光: 田口派の名工 藤四郎吉光

●骨喰 (喰 )
足利将軍家に代々伝 わったとされる刀
・長大な薙刀 を上げて打刀に仕立てたもの。

・伝承:切る真似をしただけで 相手の骨が砕けるほどの威力が あったと伝わる

・刀身には不動明王の姿と毘沙門天を表わす梵字が彫られている。
比叡山の横川三尊に始まる組合せ。
・所有者を中尊に見立て、二尊が脇侍として所有者を守る。

 

【刀剣の意味】

自力救済の中世において、 刀剣は敵を倒すよりも、防御、身を るための道具。 身の安全を 祈願し、 辟邪の力で人々の を守るために、刀は古自社に奉納された。

祭礼に用いられたのも同様。

 

[69]《黒漆剣》

本展で最古の9世紀・平安時代まで遡り、坂上田村麻呂所用と伝わるもの。経年の錆で刀身が侵食されていますが、その傷が千年以上の歴史の重み

 

 

4⃣もののふの装いと出で立ち 甲冑武具と刀装具

甲冑の様式の変遷により、拵などの刀装具も、精巧な工芸技術により装飾がされました。甲冑武具や刀装具は、格式を伝え時代を生きたもののふの心をうかがわせます。

 

[78]《豊臣棄丸所用小型武具》

 

[36]《朱漆塗矢筈札紺糸素懸威具足 伝豊臣秀次所用》(前半)

 

[00] 井伊の赤ぞろえ

 

[00] 鐔(つば)の装飾

 

 

5⃣祭礼と刀剣 祇園祭礼図を中心に

祇園祭にみられる刀剣などを通して、祭礼行事と刀剣のかかわりを展示。

祭礼の場においても、邪気をはらうシンボルとして刀剣が用いられます。祇園祭礼の山鉾巡行を描く画中には、壮麗な長刀鉾が描かれています。

会場で山鉾のシルエットとともに展示されているのは薙刀祇園祭山鉾巡行では、先陣を切る長刀鉾の鉾頭として、室町時代後三条長吉が制作した薙刀が現存しますが、そこから150年後の江戸時代に製作されたものです。

f:id:korokoroblog:20211117064740j:plain

[80]《長刀 和泉守藤原来金道》

祇園祭山鉾巡行で先頭を巡行する「長刀鉾」の先端に据えられていた江戸期の長刀。大長刀の霊力で疫病を祓い都を浄化して回りました。

 

[82]《祇園祭礼図屛風》

祇園祭を描いた屏風。最前列を見ると確かに長刀の鉾が掲げられており納得・・・と思ったら、あとから描き加えられたのだそう。

江戸時代前期に制作された「祇園祭礼図屛風」

にぎやかな祭礼を描く画中には「橋はし弁慶山」や「 浄じょう名 山」など、武家にまつわる曳山も描かれています。長刀なぎなた鉾ほこの壮麗な姿は象徴的。

 

[85]祇園社御剣 出羽大掾藤原国路

素戔嗚尊主祭神とする八坂神社。奇稲田姫(くしなだひめ)命,八柱御子(やはしらのみこ)神の三祭神に奉納された刀剣の一振りと拵。

 

 

6⃣躍動するもののふのイメージ 物語と武者絵

中世の合戦絵巻から物語絵、江戸時代の浮世絵の武者絵など、絵画の中から刀剣を携えた武家を探ります。刀剣に関する説話を描く絵巻は、刀剣を象徴として、邪悪なものに立ち向かう武家が描かれています。

f:id:korokoroblog:20211117064941j:plain

[13]《酒伝童子絵巻》

刀剣をメインにした展覧会ですが、サントリー美術館の《酒伝童子絵巻》修復のお披露目も目的でした。鬼という霊力を持つ邪なものを打ち破る力(=辟邪(へきじゃ)の力が刀にはあると考えられていました。鬼の首をはねるという鮮烈なシーンによってそれを表現した絵巻です。

もののふが僻邪の力を持って悪を祓うスーパーヒーロー的な話の舞台は平安時代。しかしこの時代、このような武士や刀の存在はありませんでした。

源頼光が家来の四天王と藤原保昌(ふじわらやすまさ)を引き連れ、八幡・住吉・熊野の神々の加護を得て、鬼退治をする話。

四天王は下記の4人です。
渡辺綱(わたなべのつな)
・坂田公時(さかたのきんとき) ←金太郎
碓井貞光(うすいさだみつ)
・卜部末武(うらべすえたけ)

頼光は実在していましたが、この時代、鎧も日本刀もなし。室町時代になって伝説の物語として武士の立ち回りの話として成立しました。

武士が霊威ある鬼の首を刀で切る。その刀に宿る霊力としてさらに逸話が加わり名刀としてして伝えられていくという背景があります。

 

[21]《和漢準源氏 源賴光 薄雲》歌川国芳

酒伝童子で鬼退治に出かける伝承のある源頼光。土蜘蛛退治を浮世絵に。その手には愛刀、膝丸が描かれています。

【つちぐも】

「つちぐも」は、時代によって表記も意味も変化。当初は、天皇への恭順を表明しない土着の豪傑・豪族・賊魁などへの蔑称。近世以後は、蜘蛛の姿の妖怪と認識されるようになる。蜘蛛と表記もされるが、生物お蜘蛛とは関係無い。

 

[ ]《秋田藤四郎》(後半)

カーンの梵字守護本尊は不動明王と利剣。豊前国小倉藩主小笠原家に伝来。秋田城介所持であったため「秋田藤四郎」と呼ばれる。

 

7⃣絵画にみるもののふの暮らし 武家風俗画の世界

刀とともに生きた武士の暮らしにも注目。戦いの道具としてではなく暮らしの中の美と刀がどのように共存していたか。それは刀を飾る拵や甲冑道具にも見られます。あるいは共に戦った馬との関係、刀剣を守ってきた古社寺など、あらゆる場に見出せます。

屏風に描かれた暮らしを追うことで、重層的に折り重なるエピソードや伝承に思いを馳せることができます。

 

[57]《調馬・厠馬図屏風》

馬の調教、武術、剣術の鍛錬に勤しむ様子が描かれています。それだけでなく、雙すご六ろくや、茶を点てたり、主人や小姓の語らいなど武家の日常が描かれています。

戦いのイメージが強い武士の日常が垣間見えます。

 

[11]《平家物語忠度出陣屏風》

 

 

■感想・雑感

サントリー美術館の理念は『生活の中の美』。美を多角的にとらえると、戦いの中にもそれを見出すことができるということだと・・・・

刀工は切れ味のよい刃を作ることが目的なのではない。その美しさで相手の戦意を喪失させ、戦わずして持ち主の命を守る。そんな話が思い出されました。

時代とともにエピソードが加わり、価値が更新されていく。今の刀剣乱舞も時代のエピソードであり新しい価値の創出なのかもしれません。かわいいという美が生まれたように、刀剣を擬人化することによって新たな美、そして『生活の中の美』ととらえることができるのかもしれません。

刀剣乱舞とのコラボ。

 

tweetに乱舞していた「骨喰藤四郎」「秋田藤四郎」「宗三左文字」「膝丸」「秋田藤四郎」の文字。刀剣はなんどなく見てきましたが、なんのことやらさっぱり。せめてこれらがどのような謂れのものなかぐらいは知っておこうと思い記録に残しておおうと思いました。

学びの世界の入口はいろいろなところに開いている。ここがきっかけとなって関連する美術作品への興味に広がったり・・・・ なかなか興味を持てなかった刀剣の世界でしたが、こんなつながりもあるのだなぁ‥‥と。