ヨコハマトリエンナーレ2020の映像作品のうち、プロット48で上映されている映像全てを鑑賞しました。作品を見た雑感を紹介。
*この記事は、下記より、 鑑賞後に追記した雑感部分を抜粋しまとめました。
- ■川久保ジョイ《ディオゲネスを待ちながら 》(2020.08.23)
- 肆:F
- ■イシャム・ベラダ
- ■イシャムベラダ《数理的前兆 #3》(2020.09.11)
- ■イシャムベラダ《質量と殉教者》
- ■イシャム・ベラダ(再訪:2020.09.29 10.04)
- ■アモル・K・パティル 《のぞき見 3》(2020.09.11)
- ■アンドレアス・グライナー《マルチチュード》(2020.08.23) ⇒移動
- ■レヌ・サヴァント《ミリャでの数か月》(2020.08.24)
- ■エレナ・ノックス (2020.08.24)
- ■サルカ―・プロティック《ラブ・キル》(2020.08.24)
- ■ラウ・ワイ《足りない声》(2020.08.24)
- ■ジェン・ボー(鄭波)《シダ性愛》1-4 ⇒移動
- ■ジェン・ボー(鄭波)《疑似交接》
- ■アントン・ヴィドクル《宇宙市民》(2020.09.25)
- ■アントン・ヴィドクル《これが宇宙である》(2020.09.25)
- ■アントン・ヴィドクルについて
- ■ラヒマ・ガンボ《タツニヤ物語》(2020.08.23)
- ■コラクリット・アルナーノンチャイ《おかしな名前の人たちが集まった部屋の中で歴史で絵を描く 4》(2020.09.08)
- ■ティナ・ハヴロック・スティーヴンス《ゴースト・クラス》(2020.09.25)
- ■ナイーム・モハイエメン 《溺れぬ者たちへ》(2020.09.08)
- ■関連
■川久保ジョイ《ディオゲネスを待ちながら 》(2020.08.23)
〇作品内容
ヨコトリ開催前に、 目を負傷。思うような制作活動ができなくなり、そのプロセス、挫折や苦悩を映像作品に。ナレーションはスペイン語。字幕入れが開幕に間に合いません。開幕してから、字幕が入ったものに差し替えてもいいでしょう。コロナによって当初の予定が思うようにすすまず、また、目の負傷というアクシデント。失敗の軌跡を作品に・・・・
内容については下記がくわしいです。
〇下見から
70分という長編。いきなり見ても、把握できなさそうなので、鑑賞する前に、断片的に映像を見ていました。映像作品が、どんな内容なのか確認。ここを通る度に、床に寝そべっているシーンを目にします。全体の流れの中で、これはどんなシーンなのでしょうか?
本人登場しています。背景のパネルの制作の様子が映し出されました。
断続的な映像は、結局、何を映し出しているのかよくわかりませんでした。作品のメイキングビデオのような映像だと理解しました。
〇スタートと終わりの確認
どこからが始まり?
どう終わる?・・・・終わりの映像エンドロール(15:22)
作品の区切りを目を確認。
*途中に何度か挟まれる床が広がる部屋。それがスタートかと思い、一部、抜けてしまっていたことに、オンライン視聴で気づく。
〇全編を見た(2020.09.09)
いくつかのパートに分かれているようで、途中、章タイトルが挿入されます。
壱:1 ディオゲネス
弐:2 1969
参:3 この印を持って征服あり
肆:4 F
伍:5 福音記者マルコの聖遺物
陸:6 宝石・錆懐く岩盲
漆:7 氷焔・聖火・残灰
捌:8 エフ・サス・フォー
玖:9 ディオゲネスを待ちながら
〇翻訳について 母語
なぜ、スペイン語で話しているのか疑問を感じていました。それをわざわざ日本語に翻訳する・・・・ 日本で行われる芸術祭で、作者は日本人・・・ 日本語で話せばいいことじゃない? そういえば、スペイン生まれとプロフィールに。スペインで生まれることになった経緯は?
漠然と感じていた疑問の答えが、各所で答えられていました。母語がスペイン語。母語で語ると魂がのる。伝わりやすい。その上で、日本語に翻訳。そして英語との関係。日本だけで暮らしていると母語ということを意識することがありません。
断片で目にした、広い床が広がる空間。全編を通してそれが何を意味しているのか、どうつながっているかがやっと見えてきました。またスタート時、何も表示されないカラーバックの映像と音声。。
また、タイトルの「ディオゲネス」とは何か・・・
〇個が根差す場所
個人的な作品のツボとなったのは、個が根差す場所についてでした。いろいろな国を渡り歩く経験をすると、それぞれの場所で形成されるアイデンティティーに悩むと聞きます。
友人が、いくつかの国で子育てをし、悩んでいるのを傍らで見てきたことと重なりました。言葉一つとっても、考える時、表現する時、どの言葉が一番、自分にマッチするのか・・・ 日本語しか知らないと、想像できない世界です。
寝言を言う、危険の瞬間に発する言葉・・・ 意識せず、ふいに出る言語は? 物を考える時の基本言語が、基本思考を形成する。それは思考のプロセスも関わる。
今回、ソースを独学するにあたって、言語の壁を感じていたこともあり、言葉の変換や、言葉について語っている部分に興味を持ちました。
〇思索のハンモック(壁面)
タコとヨーロッパをつないでるらしいです。今はまだわかりませんが、そのうちおいおい、つながりを理解していけたら・・・ということで、写真を合成して保存。
ただ、眺めているだけの時は、何にも見えません。文字を追って見ていくと、タコとオリンピックが浮かび上がり、つながりが見えてきました。
ここからどう広がるのでしょうか?
そのヒントは映像の中にもありました。
〇ドローイングルーム
隠し部屋のようなエリアを発見! 入ることができるので、お忘れなく・・・・
奥に広がります。
会期中、川久保氏のドローイングが送られてきて増えていくそう
これを見てたら展示室の思索のハンモックの内容がつながり見えてきました。
〇アーティストの成功、失敗とは?
映像は、作品の制作にあたり、苦悩が示されています。アーティストが何を考えながら制作をしているのか。失敗のプロセスを作品とすることの是非を自問自答されています。個人的にはとても面白い試みだと思いました。
映像の中で、この作品を見た評論家やファン(?)の反応も紹介され好意的な反応だったようです。失敗を作品にする。すでに前例があるようです。
一方で、tweetでは、失敗を作品にすることについては、厳しい声も・・・
新しいアプローチの作品。初めて見る時は斬新に感じます。あるいは、こういうスタイルを生み出した人に注目が集まります。
しかし、これが、2度、3度繰り返えされたらどのような印象を受けるのでしょう? そして、様々なアーティストがこのスタイルを取り入れ、猫も杓子も状態となったら・・・・ 先鞭をつけた人の既得権のようなものがあるのだろうと想像されます。
初めて見るからこそ、面白い! それが繰り返されてくると… たとえ新たな視点やアプローチを加えたとしても、二番煎じ感を伴うのだろうなと。
「その人」にとって、初めての出会いであれば、ユニークな作品に感じられます。また、作家に対して好意的であれば、肯定的に捉えられるのかも‥‥
全く知らない作家なのに、最初から好意的に受け止めるられる。その背後にあるもの・・・ それは作品とは違う別の要素であることも・・・
〇ドローイングが増えた (2020.10.04)
もしかして、このまま、終わってしまうかも・・・と思わせておいて、追加されていた。
プロット48 川久保ジョイ ドローイングルームに追加されていた(10/4)右から2番目は、何の参加証だろう?菊の御紋と、出雲大社のような神殿作り?蒔絵?由緒ただしそう・・・・ pic.twitter.com/cyOZYAI2ja
— コロコロ (@korokoro_art) 2020年10月6日
〇ポストカードは何?(2020.10.05)
なんだろうこれ?の興味あるカード。
明治神宮協大会の参加証
【関連】 〇(追記:2020.08.23)川久保ジョイ《ディオゲネスを待ちながら 》(70分)
〇オンラインリリース視聴(2020.10.10)
・会場では耳に入らない音が聞こえる・・・バレーボール東京オリンピック優勝実況中継
・スタート部分の認識が違った クリエイターたちの会話だけが響く。
・そのあと床が広がる空間からスタート
壱:ディオゲネス
タコの世界を感じるために、タコになってみるのは?
タコを食べて亡くなった古代の哲学者がディオゲネス。
弐:1969
スペインのアートイベントに訪れた。
スペインでエルグレコの模写をしながら、中華料理店で働いていた父。
巡り合わせ・・・
参:この印を持って征服あり
タコを手に入れる前に行っておきたい場所、そこをめぐる
肆:F
バス移動。人はいない。
伍:福音記者マルコの聖遺物
828年 マルコの聖遺物を盗み税関を潜り抜け、売り付けサンマルコ寺院を建設。
聖遺物によって宗教的、政治的権力を持つ。巡礼による経済的歳入も・・・
地中海における覇権争いに加わりつつあったヴェネチアはシルクロード独占的地位。
壁面の板書の制作風景・・・・
外出禁止(食料・医薬品除)世界の状況は悪化。鎮まりかえっている。
ロックダウンが続き、水槽の置き場もタコのメドもない。
予想どおりにできるのか。失敗は悪いことでないといいきかせようとしている。
それにも気づきながら待つ複雑な心境。
陸:6 宝石・錆懐く岩盲
1453年 オスマン帝国の手に落ちるきっかけに。
海に漂う宝石 ベネティアの覇権
煙る勝利のおちつきが、錆懐く岩盲の元かと
漆:7 氷焔・聖火・残灰
いろいろ作戦を立て辻褄合わせて考えるが嘘をつくことが、未来を打ち落とした原因と考え耐えられなくなりそう。
いずれの作戦も選択はせず・・・ タコに期待。
英語で文章を書くようになり、誌の部分の翻訳問題に突き当たる。ナレーションを英語で行うと流暢さに欠けるため表現力を失う。英語の発音と流暢さに欠けるから。
文章の内容を他の言語に移すことは可能。しかし、母語のスペイン語のナレーションは、リズムや韻、関わる物理現象が変わる。そして形が内容であり、内容が即形であることに気づかされる。身体、そのものが精神・・・
捌:8 エフ・サス・フォー
ぺケットは「アーティストとは他の何もにもまねできないような失敗をすることだ」と語る。が、華麗な受賞歴は、その言葉の説得力が・・・・
父がスペインへ渡ったのが1969年。彼はノーベル文学賞を受賞。失敗礼賛は、華々しい受賞歴にひけをとらない。
アートは全ての結果を受け止める実践。規範を破壊、全ての価値を刷新。しかし現実は・・・ アートを生業にするには、輝かしい結果の上になる。
玖:9 ディオゲネスを待ちながら
国破れて山河あり 心は死なず精神に宿る
祖父の自決をまっとうできない無念の日記・・・ 失意の責任、忠誠心の証としての最後の砦。にわかに する帝国と神々の夢・・・
祖母と語る日本語・・・ 郷愁を感じたのは・・・・
展覧会の日。
■イシャム・ベラダ
水槽内が《質量と殉教者》
背後の映像が《数理的前兆 #3》
■イシャムベラダ《数理的前兆 #3》(2020.09.11)
この映像は、自然界の物理法則に従って、数値を入力し、刻々と変わる変化を収めた3Dコンピューターグラフィックス映像。特に何かを表しているというものではないとのこと。
〇水中 原始の海だと思ってた(2020.09.08)
開幕前のエピソード00でもイシャム・ベラダ動画が配信されていました。
当初、展示作品の映像は、断片的にしか見ていませんでした。作品を行き来する際に、映像を目にしていた状態。エピソード00の映像も、こちらも、水中の原始生命を表現した映像だと。
これは、太古の海を表現したもので、ビックバンによってできた地球の海。生命が現れる元になった海を表現しているとしか考えられませんでした。
ソースのKWには、ビッグバンで発する「ホワイトノイズ」がありました。惑星が爆発して地球に届いた物質が、水中に溶け込み生命を育む。生命の躍動を、実験を通して表しているのだと・・・・
ところが、解説に「生命の名で知られるものは一切育たない」とあることがひっかかっていました。これは生命を表したわけではないということ? いや、生命を表現しているけども、ここでは育たないということ。そんなことを考えながら、解説から電気分解でできた造形であることを理解しました。生命を表現するための手段としての電気分解なのだと・・・・
〇最初から見てみよう
動画は、4:55。断片映像を折々で見ており、最初から見る必要はないと思っていました。なんとなく全体の映像の流れは、想像ができます。
しかし、長尺映像をいくつか見て思ったこと。断片だけをみていたのでは、決してわからないのです。同じような映像が連続していても、起承転結、ストーリーがあります。
この作品も、全部を見たら、見えてくるものが変わるかも・・・ また、約5分の映像を見ることは、負担ではなくなっていました。
スタート映像はどこ?
中央だけに細胞のようなものが表示されます。ここがスタートであることを認識して・・・
〇有機物と無機物の狭間
変わり映えのしない映像が続きます。
と思っていたら、少しずつ大きくなっていて、横に広がりスクリーンをはみ出していることに気づきました。
そしてどんどん横に広がりつつ、次第に拡大されていました。
そして映像は、ミクロの世界に入っていきます。
超拡大された造形
これを見た時、生命体でないことを悟りました。直線的・・・・ 細胞の器官ではない。
次第に広がる独特の世界に、引き込まれていました。この醍醐味は、断片映像だけを見ていては、連続性をとらえることができません。
海の原始生物の細胞が、映像が拡大され部分アップされるに従い、いや、まてよ・・・・ これは、生命体ではない。じゃあ、これまで見ていたものは何だったの・・・・ これまでの思い込みを、全否定されてしまった感じです。
鉱物? あるいは月のクレーターのような・・・ 鋭角な直線、ここに表れる形態は生物のものとは違うことが顕著になっていきます。
生命のようでいて生命ではない。有機と無機の間を、行ったり来たりするのではなく、ある時点から、これは無機物であることを決定づけます。でも・・・・ どこか生命体を感じさせるという不思議さ・・・
有機体だと思い込んでいたものが、大どんでん返しさせられました。しかしまた、生命のようなものも、感じさせられるのです。
〇一部を見て判断しない
部分の映像だけを見て判断し、原始生命だと思い込みをしてしまったミスリード。物の見方を注意喚起されたようにも感じました。一部だけを見て決めつけてはいけない。
トリエンナーレの映像の多さや、長さについていろいろに言われてしまいます。しかし、最初から最後まで見ないことにはわかりません。一見、同じようなシーンに見える映像です。しかし、最初から最後まで見る。たった5分。そこにはストーリーもあって、教訓めいたものまで感じさせられました。
〇境界の捉え方
有機と無機の境界、連続性。いつの間にか無機物となっていて、それがどこでおきたのか、わからなくなってました。
(以前、モネの点描、筆触分割が、点と景色に見える境目のポジションを探したことがあります。その時の「ここ」とは違う感覚・・・)無機と有機を分けずに捉えるような・・・
人はとかく言葉で定義して分けて考えがちと語る猪子さんの言葉を思い出しました。
■イシャムベラダ《質量と殉教者》
2020.08.11
2020.09.08
〇水槽の中は・・・
水槽のなかで鉱物が化学変化する様子を映し出した作品。
水槽の中の2つの彫刻の間には電気が通い、それによって腐食を起こし変化します。しかし元の彫刻は変わっていません。
想像によって作られた世界にも見えますが、法則によって作り出されている世界です。鉱物が化学変化し、形を変えても、その成分はどこかにあり、水槽内は保たれています。水槽内は特殊な溶液で満たされています。この形を生み出すには、驚くほどのエネルギーを要します。
生物が成長する姿にも見えます。私はサンゴにみえました。
〇タイトル《質量殉教者》について
タイトル《質量と殉教者》から想起されたのが、下村脩のソースの中にあった言葉。
「質量分析でわかるのは、おおよその分子量でなく、正確な分子量」
師の言葉として紹介されていましたが、どういう意味だったのか忘れたと語っていました。この言葉が妙にひっかかり、自分なりに理解していたのですが、この作品に繋がるとは!
物質の質量を求める作業は、一つ一つのプロセスを正確に積み上げていけば、その結果は、アバウトなものではなく自ずと正確なものとなる。確実に、地道に歩むことの重要性を説いた言葉。
⇒3-6(2020.03.24):「光に導かれてークラゲ、GFP、そして思いがけぬノーベル賞への道」
殉教者
自らの信仰のために命を失ったとみなされる者のこと。 殉教を参照。 致命者 - 正教会で信仰に生命を捧げた聖人の称号。 殉教者とでは語義に若干の差異がある。
これらから想起したのが
・質量保存の法則
・エネルギー保存の法則
これらを用いて、面白おかしく遊びながら提供している理系YouTuberでんがんさんの「でんがんの定理」を思い浮べました。
「でんがんの定理」とは・・・
・この世のすべての物事はビッグバンに帰着する
・ビックバンのエネルギーは保たれいる
・ゆえ、各人が持つエネルギーの総和がビックバンのエネルギーとなる
冗談でお遊びのように語っていますが、これ物事の真理をついてると個人的には思っていて、今回のヨコトリのKWにも重なると思っていました。
質量、エネルギー、それらはいかなることがあっても保存されます。これが、物理、化学の世界の絶対的な法則。(相対性理論や、宇宙論の登場でそうではなくなってるようですが)
その絶対的な法則に従うこと。教えを死守し、広げるために一生をささげる。場合によっては命をかけて守り抜く伝道者。そんな意味にとらえました。
付記:ビックバンの頃からエネルギーが保存されていると言われています。ところが、原爆が落とされた時、質量欠損がおきた。という話を、トリエン前の独学で、ピックアップして記録していました。絶対的な法則。しかし原爆によって、失われてしまいました。ある意味、それは殉教かもしれません。
〇ヨコトリオンラインガイドにて
オンラインガイドで、この作品について解説されています。《質量と殉教者》それぞれに考えてみましょう。
■イシャム・ベラダ(再訪:2020.09.29 10.04)
〇《質量と銃強者》
日に日に造形が変わっています。予測とは違う変化をおこしていました。これは電気分解による腐食がもたらす変化です。
2020.08.11
2020.09.08
液体の中には、雪が舞っているようでした。
2020.09.29
さぞや彫刻は成長し、液体の中は、吹雪のような真っ白な状態になっていると想像していました。ところが・・・・ 全く逆現象でした。すっきり晴れ渡った快晴。
彫刻部分は、緑色に発色しています。緑青でしょうか?
(⇒彫刻はブロンズ(銅とスズの合金)でできているそう)
2020.10.04
また変化してます。表側は結晶(?)が付着し足元に堆積物。裏はあまり変化がみられません。
2020.10.05
1日の変化は?
水槽の中では、様々な変化がおきています。しかしこの中の質量やエネルギーは保たれているのです。
イシャム・ベラダ曰く
「私は、画家が彼の顔料とブラシを制御するときに動員する現象を制御しようとしています。私のブラシと顔料は、温度、磁気、光です。」
参考
〇《数理的前兆#3》
これまで、3つの映像を俯瞰するように見ていました。一つの映像の前に立つと、没入感が半端ないです。
無機物が生物的に思えた白っぽい球体
それがまた、規則正しい幾何学模様となって、無機物を感じさせます。これと同じ、形態の小さな球体のようなものが左にあります。
このモチーフは、至るところに出現していました。
これ、フラクタル構造ではないでしょうか?
画像スタート時の外側、ゼンマイのような螺旋形の外側も同じです。
球体の内部や外側も・・・
同じ、構造が繰り返されているのです。
さらに拡大すると・・・・
その中には、同じ形態が入れ子のように存在しています。
ぽっかりと口そ開いた、幾何学的な穴。これだけを見ていても面白いです。奥へ奥へ、どんどん吸い込まれていきます。
一度は、見る必要ないと思った映像でした。それがこんなにも不思議が詰まっていたとは! もし、わかったつもりになって、そのまま素通りしていたら・・・・ 短い映像ですが、最後まで「見る・見ない」の選択が、大きな分かれ道に思えました。
(2020.10.04)
幾何学模様の穴の中をみつめていると・・・・
【関連】〇(追記:2020.09.11)イシャム・ベラダ《数理的前兆 #3》(4:55)
■アモル・K・パティル 《のぞき見 3》(2020.09.11)
〇目の種類を分類
無数の目は、いくつかの種類の目で構成されていることに気づきました。一つは、一重で肌の色が違います。そして二重。 さらに、違いをみつけながら、グルーピングしていました。
この映像は3分と記載がありますが、境目はなく、ループしています。
【関連】〇(追記:2020.09.11)アモル・K・パティル 《のぞき見 3》(3分)
■アンドレアス・グライナー《マルチチュード》(2020.08.23) ⇒移動
■レヌ・サヴァント《ミリャでの数か月》(2020.08.24)
〇作品内容
マラーティー語で語られるインド西海岸の村に住む人々の私的な物語。4時間におよぶドキュメンタリー映像。
映画監督の作者が故郷に戻って生活。そこでの日々を記録。取り立てて何かが起こるわけではない、たわいのない日常の記録。
放浪の旅に出て(撮影者=監督のこと?)故郷の村に戻る。村の生活を眺め、ここの生活は、好きなものやそうでないもが、ないまぜになった盃の水を飲み干すようなものと感じたらしい。
つまりは、なにげない日常の中に、喜び、悲しみ、憎しみなど様々な感情が交ざり合いながらが、淡々と時が過ぎてゆく。といった映像なのかな?と、断片的に見た感じと、解説から予測しました。
果たして、通しで見ることができるでしょうか・・・・
〇解説パネル
〇断片見た映像
*会場を行き来しながら、随時撮影。14:00~ 撮影時間でソートし並べてみました。
〇全編視聴完了(2020.10.05)
231分という長編映像。この作品を最初から最後まで見る人は、果たしているのでしょうか? 予め、どんな内容なのか調べてみたのですが全く情報はありません。
2020.10.04
「17:30~終了」まで、連続して視聴しました。最終シーンは、以前にもチェックしていたのですが、終わり20分を見ても、なんだかよくわからない終わり方でした。
雨が降り続けて終わる・・・・ (なにげない日常を描いてるから?)
これまでの断片の映像をつなげてみても、よくわからず、何がおこるでもない映像という解説に妙に納得。それを延々4時間!
最後の20分を見たので、最初の30分を見れば、なんとなくつながるかも?と思い、未視聴だった開始から見ることに。
解説パネルにあった「空から降る、赤い虫」と「死者をどこに葬るかの決着せず、新たな断絶が・・・・」という2点も気になりました。これは何を意味しているのだろうか・・・・
これまでおおよそ、30分のブロックに分けて見ていたので、スタート部分と、抜け落ちた部分を少し視聴すれば、全体が繋がることに気づきました。
冒頭、映像の概要解説がありました。ここが重要。これを見ないで、途中をいくら見ていても、わかりようがありません。何人もの人が、しばし座っては、立ち上がっていきました。
冒頭で、雨の多い地域であることが紹介されていました。そこにおきた自然災害。雷、暴風雨・・・・ そしてエンディングの雨がリンクしていたのでした。
作者は故郷に戻ると、そこに存在する様々な問題に遭遇します。それらを、ドキュメンタリーとして4時間近くにまとめた作品です。
この解説パネルを書いたラスクは、最後まで見たのでしょうか?などと思いながら、、この作品をこの場で上映することの意味、これだけの長尺にする意味などを考えているところです。
3つのカーストから成るミリャ。パンダリーとマラータはヒンドゥ教、マハールは仏教に改宗(1956年)しました。それによって起きるすれ違い。そして火葬場の問題。公共の火葬場とは? 本音と建て前。自分はどこで焼かれるのか… マラータに生まれた作家(監督)の目を通して、ミリャの人々の悲喜こもごもの記録。
教育、海岸線の警備、裏を訪れる人・・・・ 誕生日 儀式 結婚生活。いざかい 貧困… 暮らし 漁業 宗教との折り合い 作者はミリャの土地全体を眺められる海に向かいます。
いろいろな人たちにインタビューしています。
最後をどう迎えるか・・・・ 宗教の問題など・・・・ いろんな立場の人が、いろいろに・・・・
4時間近い映像の見方…
定時から30分見たら、隣のエビコーナーを中心に30分見て、また戻り、30分みることもあれば、他の会場に行ったり・・・・ 訪れる時間に合わせて、30分単位に分けて、部分視聴しながら、全体を網羅しようと考えていました。
最後に残ったのがスタート部分。 ここ見てないとわからないよ~という感じでした。
【関連】〇(追記:2020.08.24)レヌ・サヴァント《ミリャでの数か月》(231分)
■エレナ・ノックス (2020.08.24)
暗かった部屋に映像が流れ、部屋全体が赤くなります。中央の丸いものは、回転ベッドかと持っていたら、エビバーガ-だったことがわかりました。置かれた本も赤、背後の映像も赤。赤は発情を促す色としてとらえているようです。 pic.twitter.com/cRmulxkFIk
— コロコロ (@korokoro_art) 2020年9月26日
■サルカ―・プロティック《ラブ・キル》(2020.08.24)
かつての活気を失いつつあるバングラデシュの娯楽映画を題材にした写真シリーズのスライドを上映。ほかに新作の映像コラージュを展示。
解説には「フィクションではない」「その一歩手前で踏みとどまっている」とあります。そのつもりで見ると、戸惑いが・・・・ ナイフで太ももが刺されたり、銃で撃たれ血を流していたり。これがフィクションではないってどういうこと?
ナイフというのは、そうなるものだろう・・・という状況を写真で見せることで、実際の肌を傷付けることはない抑止力となっている。ということらしい。
世界のニュースを見ていると、耳や目を疑うような映像が流れてきます。そんな信じがたい状況の中にも、何か意味があるのだろうと私たちは探ります。
これ、ほんと? と思ってしまうような嘘っぽい映像。実際に起きていることなのに、その現実感がかけ離れてしまい、逆にフィクションに見えて、陳腐なものになってしまうことがあります。そんな状況を重ねたらしいことがわかりました。思わず苦笑してしまいました。作者の術中にはまってしまった感が・・・
【関連】〇(追記:2020.08.24)サルカ―・プロティック
【関連】〇(追記:2020.08.30)サルカー・プロティック《Raśmi / 光線》(5:50)
■ラウ・ワイ《足りない声》(2020.08.24)
〇内容
下の映像は、いくつもの口が、瞬間的に映し出されます。いろいろなところから寄せ集められた「口」は、静寂を息するように、破ったり、さえずったり、砕いたり…
また、上の映像は、握った手が映し出されます。つかんだり、驚いたり、めでたり… 手の動きが、形を解き放ちます。
口、手の一部が跳ねて、部分として切断されていますが、通りすぎる影は一つになっているよう。
ここに登場する映像は、様々なところから切り取られてており、昔のものから今のものまで、密度を濃くしています。
その映像を囲む身体(青い部分)もまた、カットされてきたもので、再構成されています。
人類を構成するものは、カットして再構築されています。これは、搾取、模倣、コピーなどのスラングと同意ともいえます。細切れになったものを、ホチキスで縫い合わせているかのよう・・・・
【解説パネル】
【プロフィール】
個人史や歴史の資料、映画の表現やポップカルチャー、デジタル・メディアなどを通して「アイデンティティ」がどのように形成されていくのかに着目。その際に生じる歴史とフィクション、記憶と仮想現実の「衝突」を表現。本展ではオブジェに組み込んだ新作の映像を発表。
映像を一つ一つ見て、解説を読んで、プロフィールを見て・・・・ それらの切れ目を掘畜スで縫い合わせるようにすると、この作品の意味が見えてくる感じ…
関連:〇(追記:2020.08.24)ラウ・ワイ《足りない声》
■ジェン・ボー(鄭波)《シダ性愛》1-4 ⇒移動
■ジェン・ボー(鄭波)《疑似交接》
〇作品内容
《シダ性愛》の裏の映像。ラン科の植物と昆虫の関係が映像になっています。《疑似交接》とは、ランがメスに似た形や匂いの花でおびき寄せ、交尾をさせて受粉させます。その様子が映し出されています。
(左)Cryptpstylis subulate(クリプトスティリス・スプラータ)
(中)Cryptostylis leptochila(クリプトスティリス・レプトキラ)
(右)Cryptostylis erectra (クリプトスティリス・エレクタ)
左のランは(初見、食中植物のサラセニアだと思っていました。食べられてしまう昆虫、から、カマキリや、食べられてしまうシダなどの関連を考えていました。)男性シンボルそのものだと思ったのですが、メスの形態に擬態?しているようです。
下記解説をもとに、植物の確認をしました
〇植物の種類
日本語表記では検索できない⇒学名で検索
①Cryptpstylis subulate(クリプトスティリス・スプラータ)
➁Cryptostylis leptochila(クリプトスティリス・レプトキラ)
③Cryptostylis erectra (クリプトスティリス・エレクタ)
〇ランの性質
ランという植物が持つ妖艶性は、生殖という機能を巧みに利用して、おびき寄せ生存をはかっている生態とも関連していそうです。
■アントン・ヴィドクル《宇宙市民》(2020.09.25)
〇作品内容
作品のダイジェスト動画
舞台は現代の東京の神社や墓地。そしてキエフ。
「個人の不死の実現」「復活し新たな生命!」を訴える「宇宙市民」は、宗教は時代遅れと説き「新しい国家民族の成立」させ革命を起こす生宇宙主主義(バイオコスミズム)を唱えます。精神や物質面でのあらゆる差異と制限を越えた形として描かれます。電子楽器テルミンの音楽をもとに、ミュージカル調の映像作品として展開。
ウクライナのアナキスト、アレクサンドル・スヴャトゴル(1886-1937)が、1922ねん発表した宇宙主義のフェスト(OUR AFFIRMATIONS)に基づいてつくられた作品。(2019、デジタル、シングルチャンネル、31分、日本語・英語字幕)東京で撮影
2019年4月にImages Festival(カナダ・トロント)、Art of the Real 2019(ニューヨーク・アメリカ)にてプレミアム上映し、さらなるつながりを持ち続けています。
〇雑感
作品のテーマである「ロシア宇宙主義」を、日本という国の中で表現。よく見慣れた様々な場所から、不死の実現について声をあげます。街並みにたたずむ人々がバトンを渡すように言葉を紡ぎます。お寺に向かう集団、墓地でも・・・
日本の文化、価値観を映像の背景に埋め込み、宗教では救われない。個人の不死の実現を求めています。日本という土地に流れてきた宗教観の否定? 死生観の対比?
工事姿の人が、さまざまな次元で登場します。ヨコトリフライヤーで使われている写真はこの作品だったことがわかりました。(佐藤雅晴さんの骸骨を想起し、その違いを考えました)竹林の中の骸骨、複数の骸骨が踊ります。死んでも死なない。そして過去に亡くなった人を復活させ新たな生命を甦らせようとしています。
ロシア宇宙主義は、キリスト教滴愛国主義と捉えられ、倫理とテクノロジーによって成り立つ思想と再解釈されているとのこと。宇宙的な視点を持つことで、立場や文化や言語や地域などの壁を超え、その先に求めていくものを提示しようとしているのでしょうか?
〇興味を持ったのは撮影の背景
*撮影の許可撮りは?
寺院をとりまく撮影。お寺はよく許可したものだなぁ。撮影、内容を理解した上で、許可したのでしょうか?ゲリラ的に撮影?あるいは・・・・ 撮影手続きのことを考えていました。
*出演者について
事前にtweet情報を見ていたら、アントン・ヴィドクルの作品に出てる、あるいは、出演依頼をされたけど都合で出れなかったとつぶやかれていました。
身近な人に声かけて制作しているのだな。文化祭や大学サークルの自主制作映画のような制作の裏舞台を想像させられてしまいました。
映像を見ながら、これらの配役はどのように決めたんだろう。オーディションみたいなものはあったのだろうか。どんなふうに声をかけたのだろう。人選と役どころ。(この役がこの人?と思う部分もあったり・・・・)ここにも劇団のような配役競争など、あったのだろうか・・・・ 映像の内容とは、全く違うところが気になってしまいました。
アントン・ヴィドクルがASAKUSAで個展開催。「ロシア宇宙主義」がテーマの三部作を上映|美術手帖
上記で、エキストラ、アシスタント募集がされていました。
*焼き場の撮影
焼き場の映像、遺骨・・・ リアリティーありすぎ。これ、作りものじゃないよね。どうやって調達したんだろう? 骨壺に入れたあと、あの台に骸骨のコスチュームを着た人が横たわっていました。どんな気持ちなんだろう。中にいるのは日本人?
撮影は、遺骨を載せる前に終えたのだろうか?あの台も本物? それに乗る気持ちって・・・ ドラマで棺に入るシーンが撮影されるけど、役者さんは、どんな気持ちなんだろう・・・って兼ねてから思ってました。あの台に乗るって・・・・ そんなことばっかり考えてしまいました。(ボルタンスキ―はクジラの骨、作っちゃったみたいだけど、ここでは、本物使った!?)
*挿入歌
途中に流れる曲。これ、なんだっけ? 聞いたことあるけど思い出せない。多分、よく知っている曲。でも、このような場面で、奏でる音も独特だから、曲が全く違うものになってる。原曲とは、印象が全く変わってしまって、それが何の曲かわかりません。
♪ミミラシドシラ~ ファファミレミ~♪
♪金襴緞子の・・・・♪ 違う・・・ 1度見たあと、あとで調べようと思いながら失念。2度目今回は、忘れないように音をメモした。多分、明治期の童謡か、数え歌「とおりゃんせ」「かごめかごめ」のような・・・
調べる方法、曲入力はダウンロードが必要。それはいや。音をそもまま入れてみた。
一発で判明しました。「荒城の月」すごい! 山田耕作だ・・・・と思ったら「滝廉太郎」でした。それにしても、演奏される楽器や、挿入されるシーンでこんなにイメージが変わってしまうものなのでしょうか・・・・
*テルミンの音色効果
独特の音色を奏でるのは、テルミン。世界初の電子楽器。
1920年ロシアの物理学者テルミンによって発明された世界初の電子楽器。本体に手を接触させず、手の位置で音の高さと音量を調節。不安をかきたてるような不思議な音色。恐怖映画やSF映画の効果音としても使われてきました。
得体の知れない不安感を掻き立てる一方、その音色は、物理実験の途中で生まれたというアンバランスな印象。ガス誘電率が、温度や圧力によりどう変化するか測定する装置の開発途中で、音の変化に気づき、楽器を開発したと言います。
日本において竹内正実が第一人者。レフ・テルミンの⾎縁で愛弟⼦、リディア・カヴィナにテルミン演奏法を師事し、直系演奏法継承。
どこかで楽器を見た記憶があると思っていましたが、堺正章などに教授したそうで、かくし芸で見たのかもしれません。
【原理】
・本体から出ている2本のアンテナから電波が発生。
・その電波に手をかざす ⇒周波数を変化 ⇒音階と音量をコントロール
・垂直に伸びたアンテナ・・・音程(ピッチ)を決定
・水平に伸びたアンテナ・・・音量を調節
アンテナを手や指の動きで流れるようにコントロールする様は、まるで空間を自由に操って音楽を紡ぎ出しているかのようです。
参考:
・わずかな静電容量の違いを演奏に利用
・演奏者自身の体格・装身具などによる静電容量の違い
・演奏環境に依存する部分が大きい
・演奏前に綿密なチューニングを必要
・安定した狙った音を出すには奏者の高い技量が要求
・演奏には熟練を要する。
テルミンの機能をマトリョーシカの中に収めたのがマトリョミンです。テルミン奏者竹内正実により開発
音楽による効果
音楽は感情に働きかけます。音色、奏法などから、得体のしれなさ。人智を超えた奏法のようで、宗教と結びつきそうな‥‥ 自分の価値観とは異次元のものに感じられました。自分が知っている科学の世界とは異にするような・・・・ 別の科学応用の世界。どこか心の奥で、拒否反応を示し、排除機能が働いているように感じました。
【関連】〇(追記:2020.09.08)アントン・ヴィドクル(2作品)(60分)
■アントン・ヴィドクル《これが宇宙である》(2020.09.25)
〇作品内容
ロシアが宇宙に憧れていた時代、人間は死を超えられると主張(妄想?)。ロシア宇宙主義の思想を伝える作品。地球に宇宙を作ろうとしたというストーリー。個人的な父祖の追憶から人類の使命を導き、ロシア宇宙主義の思想を伝える。科学的なものと非科学的なものの融合、宇宙と大地の一体化?
ロシア宇宙主義の影響のもとに書かれた哲学的断章、科学論文、文学詩など、広範な資料から構成され、テクストの朗読によりシーンが展開します。
〇注目ポイント
この作品に、ジャイアント・ホグウィードが登場するとの情報。作品中、どんな扱いなのか。最初に見た時は、流れてしまいわからなかったので、再度見たけどよくわかりません。
毒を持つ植物のホグウィードが登場。ここでの意図は?キャプションの流れが速くイマイチつかめませんでした。
木は太陽のエネルギーで育ち、塩の経路で生える。飽和は三次元。電流のイメージ? よくわかりませんでした。
〇赤で与えられるエネルギー
途中、実験と称し挿入される赤バック映像。健康を増進すると言います。しかしBGMもあいまって嫌悪感を抱きました。サブリミナル映像、差し込んでそう。妙な思想を植え付けられそうで怖い(笑) 赤の広場、ロシアの赤イメージと重なります。少なくとも私にエネルギーは届きませんでした。
電波塔が立ち並ぶ映像も、なんだか、ここから変な電波を流されていそう。ここでも、エネルギー保存の法則が語られていました。数量は変化しない。何がおきても変わらない。
〇科学と宇宙と思想
ロシアが宇宙に憧れていた時代、人間は死を超えられると主張(妄想?)。地球に宇宙を作ろうとしたというストーリー。科学的なものと非科学的なものの融合、宇宙と大地の一体化しようとしている?
アポロ11号、月面着陸、子供の頃、心が躍らせました。その裏には、ロシアとアメリカの宇宙開発戦争があったことをのちに知ります。そして、今、ロシアの宇宙開発の背景には、宇宙を開発して再生した人たちを住まわそうという思想があったことを知りました。
わからないことは、無理に理解しようとしなくてもいい。でも、これまで聞いたこともなかった「ロシア宇宙主義」という思想や、時代の背景に、ちょっと興味が出てきました。芸術も文化も、そして思想も、時代の落とし物。
そんな~ 時代も~ あ~ったねと~
ロシアでも語られないという「ロシア宇宙主義」を知りたくなってきました。
【関連】〇(追記:2020.09.25)《これが宇宙である》(28:10)
■アントン・ヴィドクルについて
オンラインジャーナル「e-flux」の創始者
「ロシア宇宙主義:三部作」東京・浅草のギャラリーASAKUSAで個展(2017.11月~12月)で個展を行った。
「ロシア宇宙主義」
20世紀初頭に発生。ロシアの知識人たちに多大な影響を与える。
ヴィドクルがこの思想を作品に取り込んだのはなぜか?
〇キーワード
生宇宙主義・マニュフェスト・不死の達成・
テルミン・竹内正実氏・マトリョミン・ミュージカル
・思想家:ニコライ・フョードロフ(司書)
・物理学者:レフ・テレミンの不死思想
・ロシア・ロケット工学の父:ツィオルコフスキーもその影響下に
〇《ロシア宇宙主義》三部作
宇宙主義は、ソ連崩壊後のロシアで広く知られるようになる。
キリスト教の復権にともない広く知られるようになった思想潮流です。
宇宙主義の開祖であるニコライ・フョードロフ(1829〜1903)
彼の宗教理念はきわめて異端、神を構築することを唱えました。
我々に神は必要ない。私たちは神にたよらず、不死を達成し、祖先を復活させることができる。それは、労働や理性、科学、技術、組織といった能力を用いて、人間が神をつくりあげるという考え。これらは、正教会の教えの根幹に反するものだったため、破門を恐れ、著作を残していなかった。
宇宙主義を一種の左派思想として提示しました。その理念は唯物論や社会主義、普遍主義の伝統と深く関わっています。
宇宙主義の翻訳は、あまり多くないこともわかりました。
ロシア宇宙主義の基盤を探る、
第1部「これが宇宙である」(2014)にはじまり、太陽放射を心理学や社会学、政治と結びつけた生物物理学者アレクサンドル・チジェフスキー(1897-964)の太陽宇宙論から、政治運動や革命と太陽の活動の関係を探る、
第2部「共産主義革命は太陽が原因だった」(2015)
第3部「全人類に不死と復活を!」(2017)では、宇宙主義の中心的な考えである復活と、死者との交わりの場所として博物館を舞台に進行していきます。
哲学者ニコライ・フョードロフの『共同事業の哲学』1943年に日本語に翻訳された
アントン・ヴィドクル氏は、本上映作品《ロシア宇宙主義:三部作》を発表後、
ウクライナのアナキスト、アレクサンドル・スヴャトゴル(1886-1937)による1922年の生宇宙主義のマニフェストに基づいた新作《宇宙市民》(2019、デジタル、シングルチャンネル、31分、日本語・英語字幕)を東京で撮影
2019年4月にImages Festival(カナダ・トロント)、Art of the Real 2019(ニューヨーク・アメリカ)にてプレミアム上映し、さらなるつながりを持ち続けている。
〇歴史背景
ロシア宇宙主義とは?
20世紀初頭、革命に揺れ動くロシア「死こそが社会不平等の根源である」「不死の達成と全人類の復活を訴える」哲学的・文化的運動が生まれました。
ロシア宇宙主義について、もう少し理解しないと、これらの世界観は、わからなさそう。
〇関連情報
・宇宙主義:ロシアでほとんど研究されていない20世紀の哲学運動、
・独自のルールで管理し、宇宙システム。人間の共通の仕事は、彼らの自然の生息地を越えて、空間を征服すること
・最終的には人間が不死を達成し、死者を復活させる
・芸術と政治の同盟は、完全な「バイオパワー」を生み出す
・他の惑星の領土を征服することは、復活した祖先に新しい家を提供
・「すべてのテクノロジーはアートテクノロジーにならなければならず、州はその人口の博物館にならなければなりません」
・宇宙主義者たちは、「美術館国家」によって不滅化されるアートプロジェクトとして扱われる、時間と社会の理想的な秩序を想像
〇「宇宙主義(コスミズム)とは」
かつて生きていた人は死んでしまいました。その全ての人を科学技術により復活させようという思想。亡くなった人の復活によって、地球が手狭になるため、地球を離れて宇宙へ飛び立つという思想を宗教哲学者フョードロフが唱えた。この思想を「宇宙主義(コスミズム)」。ロシア・ロケット工学の父ツィオルコフスキーもその影響下にあった。
■ラヒマ・ガンボ《タツニヤ物語》(2020.08.23)
〇作品内容
ナイジェリアの都市で、無邪気に遊ぶ女子高校生の姿。しかし彼女たちは、西洋教育に反対する「ポコハラム」の襲撃を受けており、学ぶこともままなりません。
それでも学ぶことの喜びや、お互いをいたわりながらの友情をはぐくみ、社会の毒と折り合いをつけるか・・・・
〇雑感
開会前、リリース情報として流れていたのこの画像。
事前情報を入れず、ここから何を読み取れるのかを考えていました。 さっぱりわかりません。ここから何がわかるのでしょうか?
これは何をしているところ? 踊りでしょうか? スーフィ? 民俗が持つリズム。文化の違い? コスチュームと宗教の関係? 民族衣装とアイデンティー? 世界の暮らしぶりの多様性。根差している世界・・・・ そんなことを考えていました。彼女たちは楽しそうです。そこに息づく、彼女たちの根幹のようなものを引きだそうとしている?
ところが・・・・
「ポコハラム」により西洋教育が禁止されたと言います。そんな話は、全く知りません。知らないことを、想像することは絶対にできません。禁止された上で、集まり学び、お互いを癒す姿なのだと。
現在、彼女たちの置かれた状況を知りません。集まることすらゆるされないのか? もし、西洋の教育を学んでいることが発覚したら。どんなことがおきるのか・・・・
それらの基礎情報を知らなければ、楽しく踊っている姿にしかみえないのです。この画像を見て、意図された状況を読み解ける人ってどれくらいいるのだろう。
ちょっと、難題・・・・ しかも、この作品は、キーワード全部盛りです。
ヨコトリ2020のガイドでも紹介されています。5つのソース、すべてが詰まってます。
〇壁面の展示
〇知らなければ想像できないこと
基本的なことを知ること。基本の知識や情報。それがないと、真実にたどりつくことはできない。ということを一番、感じさせられた作品。
「遠足に行く」ということも、命がけ?の世界がある・・・・
【関連】〇(追記:2020.08,23)ラヒマ・ガンボ《タツニヤ物語》(7分)
■コラクリット・アルナーノンチャイ《おかしな名前の人たちが集まった部屋の中で歴史で絵を描く 4》(2020.09.08)
〇作品内容
記憶がなくなりつつある作者の祖母を追いながら、様々な映像が、カットインされます。それらは、ランダムで継ぎはぎのようでいて、関係がなさそうです。しかし、次第に溶け合っていきます。
生命の循環、命のつながり、過去、現在、未来・・・ 世界はどこかでつながっているを感じさせられる作品。そして、自然と人間も区別がなく溶け合っていることも。
〇記憶を失い、それに代わるものも同じ
老いによって様々な記憶の境がなくなり、融合しながら消失もする(=追い出されていく)それらの記憶は、生命に刻み込まれた 根源的なもの。宇宙観的には、人も動物も植物も同列で始まりは同じ。
失われる記憶のあと、そこを埋めるようにやってくるもの。それもまた、失われたものと根源的には同じでつながっていると言ってるのかな。
【関連】〇(追記:2020.09.08)コラクリット・アルナーノンチャイ《おかしな名前の人たちが集まった部屋の中で歴史で絵を描く 4》(23:27)
■ティナ・ハヴロック・スティーヴンス《ゴースト・クラス》(2020.09.25)
〇作品内容
舞台はモハーヴェ。使われなくなった飛行機が解体を待つ墓場として1970年代から利用されている場所。内装や外装のはぎとられた飛行機の中で即興のドラム演奏を日が沈むまで続けます。招魂の意味も。
〇断片で見た印象 (2020.09.26)
ドラムをたたき、背景が暗闇になる。しばらく聞いていましたが、これが11分。最後まで見たら、何かあるのだろうか。背景が暗闇になって演奏は、エンディングで盛り上がり終わるのでしょうか? 最後までここに佇み、見ようという気になれませんでした。
その後、この前を通る時にチラ見をして、結構、暗くなるなんだなぁ…
途中、音楽、リズムもかわるのかな? 何か、突発的なことが途中、おきるのかもしれない。
横浜美術館、プロット48の映像をほぼ見たので、11分なら・・・・と思い、最初から最後まで見た。
〇場所の臨場感が・・・・
耳にヘッドフォンから届く風の音が、現地の自然状況を想像させます。
次第に陽が暮れいきます。
しかし、11分の時間で、暗闇にはなりません。どこでどう編集してつないでいるのか・・・ それが、この映像を見続ける目的とモチベーションに変わりました。ました。
通しで見て、わかったこと。風の音と映像があっていない。映像と音は、別録。映像が動いているのに凬の音がなかったり、風の音がしているのに、映像が動いていなかったり。
これと同じ状況、どこかでも見たなぁ‥‥ そうだ、ボルタンスキ―のアミニタスの映像でした。また、ここで「アートはうそつき」という言葉が浮かんでしまいました。
AFTERGLOW 日没の光の変化を、これまで何度となく追ってきた経験が、11分の時間でそれを納めることができないことを想像させます。細切れでつなぐのか・・・・ と思っていたのですが、あるポイントで、空の明るさが急に変わりました。それを確認できたことが、私がこの作品を見た価値となりました。
途中、演奏も、クライマックスに向けて、盛り上がるのかな?と思っていたのですが・・・・ あるいは、突発的なことが途中、おきるのかもしれない。それは、機体から一部、胴体がはがされています。これは人為的なものなのか。この環境が作り出したものなのか。後者なら、もしかしたら何かおきるかも・・・という期待が・・・・
【関連】〇(追記:2020.09.25)ティナ・ハヴロック・スティーヴンス《ゴースト・クラス》(11:00)
■ナイーム・モハイエメン 《溺れぬ者たちへ》(2020.09.08)
舞台はインド・西ベンガル州のコルカタにある廃墟のような病院。病をかかえた女性が死に向かう中、男性とお互いをいたわり合う様子が描かれた終末医療に関する映像。他者を否定したり、理解したフリをしたりするものではなく、また、政治的な混乱にも立ち向かい生きることへの輝きを示しています。
横浜美術館の雑感はこちら・・・
【関連】〇(追記:2020.09.08)ナイーム・モハイエメン 《溺れぬ者たちへ》(64分)
■関連
■ヨコトリ2020:横浜美術館で上映されている映像作品の解説パネル&評判ウォッチ
■ヨコトリ2020:プロット48で上映されている映像作品の解説パネル&評判ウォッチ
■ヨコトリ2020:映像作品の鑑賞方法 所要時間・上映時間・推奨プラン
〇明治神宮競技大会 - Wikipedi
〇第1回明治神宮競技大会 - Wikipedia
〇代々木まち語り 明治神宮 歴史 神宮御苑
ギリシア、西洋のオリンピック同様、神にささげる?
左の神殿は、明治神宮?
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形が違う… 明治神宮はどこの系列? 出雲大社? と思ったらこの写真は拝殿。
神殿は、昭和33(1958年)に復興