ヨコハマトリエンナーレ2020は、開催前にソースを配布するという新たな手法が用いられています。そこに紹介された5つのストーリーを、事前に共有し、それぞれが思考を深め、展覧会の世界観を作り出すという試みです。会話や対話により、茂みのような思想があらわれることを期待し、そのしかけも準備されています。
*この記事は、■ヨコハマトリエンナーレ2020 AFTERGLOW 光の破片をつかまえる(自分用メモ)より「ソースブック」と「キーワード」に関する部分を独立させました。
ソースブックからキーワードを抜き出してマッピング
提供されたソースブックを最初に見た時は、つかみどころがありませんでした。提示されているキーワードや、ストーリーについて、折々で感じたことや考えたことを、随時メモに残していくことにしました。
最初は、思い浮かんだことの羅列にすぎませんが、次第に何かが見えてくることを期待することに・・・・ 「独学」というキーワードのもと、時間の経過で変化していく理解の様子や、進行状況を、タイムスタンプとともに記録します。
- 1■ヨコハマトリエンナーレ2020のコンセプト
- 2 ■(2020.03.24)ソースの共有
- 3■(2020.03.24)ソースブック 5つのソース
- 4■(2020.03.25)ソースブックのキーワード
- ■ソースブックとキーワード
- ■関連
- ■補足 注釈
1■ヨコハマトリエンナーレ2020のコンセプト
ヨコハマトリエンナーレ2020で、大きな柱となっているのが「ソースブック」の存在です。それはいったいどんなものなのでしょうか?
1-1(2020.03.24)ソースブックについて
ソースブックは、コンセプトとラクスが選んだ5つの「ソース」(資料)の文章を抜粋、編集した冊子
引用:ソース - ヨコハマトリエンナーレ2020「AFTERGLOW―光の破片をつかまえる」-横浜トリエンナーレ
芸術祭といえば、テーマを決め、対象を絞り込み、それに沿った作品が制作され、展示されるというのが常です。
ところが、ヨコハマトリエンナーレ2020「AFTERGLOWー 光の破片をつかまえる」では、展覧会の「テーマ」を設定していません。それに代わるものとして「ソース」が掲げられています。ソースとは何でしょう?
「ソース」には、時代や文化的背景の異なる実在の人物の生き方や考え方を示す5つの資料が提示されています。これらを元にして、共に語り、思考するための素材として利用してもらおうというコンセプトの元、構成されています。
このれらのソースは、ソースブックとして小冊子にまとめられ、プレイベントで配布されました。冊子で配布されるのは、この時だけで、今後、配布の予定はないようです。オンライン上で見たり、ダウンロードすることができます。
ダウンロード ⇒ソース - ヨコハマトリエンナーレ2020「AFTERGLOW―光の破片をつかまえる
オンライン ⇒ Source - ヨコハマトリエンナーレ2020「AFTERGLOW―光の破片をつかまえる」
「ソースブック」を、開幕前から配布し、アーティストや関係者だけなく、参加者とも共有して、展覧会の世界観を作っていく。これまでにない新しい試みです。
この活動によって、「茂み」のような豊かな思想と思考の世界が現れることを目指すというのがコンセプトです。
「ソース」に、独学すること、ケアすること、自ら世界を把握し、自ら光を放つ(⇒光輝)ことへのヒントを見出しています。そして、光が遠く異なる時間や場所へとつながるように「ソース」から思考を広げていきたいと考えています。
KW:独学(思考を拡げる・つながる) ケア 自ら光を放つ(⇒光輝) (茂み)
1-2(2020.03.24)エピソードから始まるヨコハマトリエンナーレ2020
トリエンナーレと次のトリエンナーレとの間には1000日間の時間があります。その間の時間を、対話を拡げる通路と考えたと言います。次の1000日という間の時間に、美術作品をめぐる言葉の対話を重ねていきます。(茂み)
さらに「エピソード」と呼ばれるイベントも開催し、対話のきっかけを深めていくことを予定しています。これらの「エピソード」に招かれるのは、映像制作者やダンサー、ミュージシャンなど、多岐に渡ります。
1-3(2020.04.28)ラクス ・メディア・コレクティヴをディレクターに
ラクスは、インドを拠点に活躍する3名から成るアーティスト集団です。ラクスのキュレーションは、「テーマ」ではなく「ソース」から発想することが特徴と解説されていました。
ラクスのキュレーションの特徴は、初めにテーマを設定するのではなく、「ソース (source)」というコンセプトの源ともいえる素材を出発点とすることです。
(*1)■ラクスのキュレーションについて (2020.04.28)
◎ラクスのこれまでのキュレーション
◎キュレーションをした展覧会
(*2)■情報の氾濫(2020.05.13)
(*3)■「国際展をキュレーションすること」のまとめ(2020.06.19)
1-4(2020.04.28)ラクスのキュレーション手法について
ラクスがこれまで、どのようなキュレーションをしてきたかについては、追々、調べてみようと思っていたら、下記で紹介されていました。
ラクスは目標やマニュフェストを掲げないことにこだわってきたと言います。目標を掲げると達成したら解散となってしまいます。「何をするか」でなく「どのように活動に取り組むか」というのがラクスの特徴なのだそう。
「キュレーションするときに心掛けているのは、対象とする土地や街の在り方に対して、一つの新しい風穴を開けることです。どこかに一つ穴を開けて、今までには無かった視点に皆が気付くような可能性を実践したいと考えています」
「展覧会をキュレーションするにあたっては、その場所がどういう場所なのか、その場所にとってこの展覧会は何を意味するのか、そういったことに真摯に向き合わなければなりません。
ヨコハマトリエンナーレにおいて、ヨコハマという土地柄に注目した内容になっています。中でも注目は、日本の寿町の日雇い労働者で、哲学者でもある西川紀光へのインタビューをソースとして取り上げていることです。
始めて、このソースに触れた時、意外性を感じました。それは横浜が持つ既存のイメージを壊し、風穴を開けるというラクスの目論見だったと考えられます。
また日雇い労働者ながら、独学で学んだ哲学者という生き方にフォーカスするというのも、今までにない視点です。このソースが、アーティスティック・ディレクター選考の上で、選考委員から大きく評価を受けたようです。
文化・芸術が生まれる根源「ソース」はどこにある?
世界的な現象として、同時多発的にあらゆる人が移動できるようになってきており、特定の地域にとどまることなく皆が移動を続けるグローバルな時代です。(略)私たちが興味を持っているのは、文化・芸術を作り出している源、真の発信源となっている作り手たちはどこにいて、どのように動いているのかということです。私たちはこれを『ソース』と呼んでいます。
昔に比べて私たちの『ソース』は、はるかに分散し、複雑なものになっています。それが極めて多種多様なものになってきている近年の傾向を、キュレーションを通して皆さまにご紹介したいと思っています」
文化芸術を作り出す源となっているソースが、世界のどこにあるのか。それらは、多種多様となり、発生場所とは違うところで分析され論じられます。発生場所は、世界中にバラバラに分散しています。これらのソースをキュレーションし紹介することで、社会的なポジションを超えて多くの人たちと語り合うことを目指しています。(茂み)
1-5(2020.05.10)ソースブックが目指すこと
エピソード00 プレイベントにおけるコメント - ヨコハマトリエンナーレ2020「AFTERGLOW―光の破片をつかまえる」-横浜トリエンナーレ
バグチの言葉で、KWにはなっていませんが、何度か使われている言葉として「感染」が目につきました。現在のコロナの蔓延の状況にも呼応し、「毒」のKWにも通じるものがあります。
「感染」には「広げる」というニュアンスがあり、そこから「伝達」「伝播」「拡散」「反応する」といった言葉も浮かびます。「何を拡げるかによって社会への影響が変わる」ということで、毒にもなれば、ケアすることにもなります。
ソースの言葉を別の言葉で言い換える。あるいは、直接的ではない言葉の中にもソースの要素が見えてきます。ソース同志の接点、結びつきが強くなってきます。
また、言葉の表現が違っていていても同じ意味であることが見えてくると、何を伝えたいかが明らかになってきます。
バグチ :
「エピソード」は、ヨコトリ2020が時を感染させていく様々なやり方を上演し伝達し具体化する
バグチ:
ソースの広がっていく宇宙の中では、どれかのソースがほかのものと比べて特に大きかったり近しかったりするようなことはありませんし、同時に小さかったり遠かったりすることもありません。行動どうしのきめ細かい網目が認められています。すべての創造的な行為が、すべての問いかけが変化のソースとなりえます。そして、そのすべての変化が、審査に影響を与える一瞬を記述するのです。
バグチ:
『ソースブック』は、平等主義的で非競争的なスタンスを知り、保持し、見るために、これらの抜粋を近い場所に置きます。このスタンスは、分岐し、ときには逆になることさえある弧たち、創造とヴィジョンと発言の弧(アーク)たちの間にあります。『ソースブック』は、それらの抜粋が互いに感染しあい、つながりあうことを強く求めています。横浜トリエンナーレのもつ時間のリズムとその意味領域を大きく広げるエネルギーの渦と流れを作り出すために。
・それぞれのソースは、平等で競争しあわない。
(⇒)「茂み」:ソースは、言葉。その間に競合しない平等を与える
・どれが大きくて重要ということもない
・またソースどおしは、どれかが近しいということもなく等距離にある。
・問いかけや創造的なこういいによって、ソースから分岐がおこる
・お互いに感染しつながりあうことでおきる変化を求めています。
(⇒) 「茂み」:ソースの要素が互いに関わり「感染」しあえる
「感染」の言葉から読み解ける意味
ソースは、均等。上も下もない。
2 ■(2020.03.24)ソースの共有
(2020.05.14)プレイベント「エピソード00」の動画を公開が公開されています。オープニングスピーチで語られた「ソースの共有」開始~7:10
【7つのワードによる「ソースの共有」】(2020.04.15)
ソースブックには5つのストーリーが取り上げられています。これらのストーリーの理解を助けるために「ソースの共有」として7つのワードが最初に上げられています。
ブックをダウンロードし、最初に示される7つのワードを見ましたが、これらが何を意味しているのか、よくわかりませんでした。いきなり前置きもなく7つの言葉が示されたように感じました。それぞれは関連しているのか、独立したものなのかもわかりません。次の言葉があげられていました。
「ホワイトノイズ」「ルミナス・ケア」
「分離」「分割」「茂み」「明滅する光」
「反百科事典」「漁師のアドバイス」
「有毒な光」「翻訳不能な言葉オンシトラ」
そのあとに「5つのストーリー」が続きます。ストーリーを読み進めると、次第に「ソースの共有」で紹介される一つ一つのワードと、ストーリーとの関係が見えてきました。ストーリーから、キーワードを抽出し、それに関する解説だったことがわかってきました。
最初に唐突に出てきたように思えた文章は、ストーリーから抜粋したキーワードだったのでした。(【独学】全体がわからず読み始めると、部分は、脈絡なく存在し、関係性も理解できません)
「ソースの共有」や、5つのストーリーから連想したことや考えたこと、調べたことなどとりとめなく記録していきます。以下、思い付きの羅列メモでのようものです。キーワードのテーマからそれるものもあります。
2-1(2020.03.24)「ホワイトノイズ」
(2020.03.24)
・ビッグバン そこから放出されるもの 地球に届くもの
・いいものもあり悪いものもある
・砂嵐・・・テレビの創成期、ビッグバンで放出された電磁波が含まれる
・放射線 いいものあれば、悪いものも
⇒表紙は、宇宙から届く光、そして砂あらしの粒子を表していると思った
⇒小沢健二「彗星」のコンセプトとの共通性を感じる
⇒〇生命の始まり
⇒〇宇宙の爆発でできた私たちの世界
(2020.06.16)情報元は?
・ホワイトノイズに関する情報をさぐるも、ここに書かれているような情報にみあたらない
・宇宙の始まり、ビックバン、ブラックホールなどは、まだいろいろな情報があり、定かではないよう
・ソースブックを再度、眺める。7つのワードに関する参考文献が巻末に記載されていることに気づいた
・今回、与えられたソースブックの情報元に辿りつけない理由判明
・海外文献がソースの元になったいたからだった
・ホワイトノイズについては、下記が参考文献のもよう
参考文献
ビッグバンのテレビでのプレーhttps://www.nasa.gov/vision/universe/starsgalaxies/cobe_background.html
Jack T. O’Malley-JamesおよびLisa Kaltenegger、「Biofluorescent Worlds – II。 新しい一時的なバイオシグネチャーである恒星のUVフレアによって引き起こされる生物学的蛍光」、王立天文学会の月次通知、第488巻、第4号(2019年10月)、4530〜4545ページ
(2020.06.17)情報元は?
科学関連のソースに書かれていることは、正しいのかどうか。
美術の世界が取り上げる科学ネタは、精査されているのか?
⇒似非科学とされる右脳、左脳が美術展のテーマになったり
⇒過去にはアフォーダンスのような例もある
話題性で取り上げている側面もあるように感じている。
提供されたソースの情報は、どんな媒体で取り上げ、どんな人に向けた情報なのかを確認することが大事。宇宙のことは、まだわかっていないことが多いと思うし、仮説やトピックス的なこともあると思う。一つの見解を、正しいことのように扱っていないか?
元ネタがどこにあるかを確認することは、科学においては最低限、しておきたいというのが私の「こだわり」。その上で、美術の世界では、それをどう扱おうとしているのかを考えるようにだんだんなってきた。
2-2(2020.03.24)「ルミナスケア」
2-2-1 (2020.03.24) 光 毒 自発 反射
・地球を構成するものには、役立つものと、毒性を持つものあり
・放射線や紫外線など毒を併せ持つ
・太陽の光によって照らし出されるもの
・一方、自ら発光するものが現れる
・有毒なものが発生しても、それをケアするものが残光の中から生まれる。
2-2-2 (2020.03.24) 彗星のジョーカー
⇒小沢健二「彗星」の映像に登場するジョーカー
行ったりきたり&裏と表
2-2-3 (2020.03.25) ルミナス??
◎「ルミナス」どこかで聞いたことある単語
・商業施設の名前? それは、ルミネだった。
・ワイヤーラック ⇒ エレクター vs ルミナス
・【言葉・語源】英語で、光る、輝くの形容詞
・明るさの単位 単数で「ルーメン」、複数で「ルーミナ」
・illumination イルミネーション ⇒言葉の分解 語源(ルミ?)
nathion:生まれる
【独学】新たな言葉は分解 語源で理解
2-2-4 (2020.06.16)出典判明?
第20回IMEKO TC4で発表された木村、高辻敏弘、内山浩二、駒正由香子、北村亜希子、佐藤仁子、佐藤仁志、マイケル・ブジニー、「福島第一原子力発電所事故後の放射線汚染の現状と課題」 2014年9月15〜17日、イタリアのベネヴェントで、経済の好転に向けた電気および電子測定に関するADCモデリングおよびテスト研究に関する国際シンポジウムおよび第18回国際ワークショップ。
オンライン記事:https://www.researchgate.net/publication/266140667_Current_Situation_and_Challenges_at_Fukushima_Hands_on_Measurements_of_Radiation_Contamination_after_Fukushima_Daiichi_Nuclear_Power_Plant_Accident
オンライン記事の概要、日本語訳を見る限り、キーワードの内容が書かれているのか不明。
2013年9月、日本政府とは独立して、福島第一原子力発電所(FDNPP)の半径1.0km以内の海洋調査が行われた。海水と海底の砂のサンプルは、下水出口の近くとFDNPPの港の前で収集されました。海水の放射能のレベルは、人々の健康への即時の害の証拠を示さなかった。ただし、海底への放射性核種の堆積は海底砂の結果から推定した。3点すべての砂サンプルで検出可能なレベルのストロンチウム90が見つかりました。生物学的濃度の影響に関する限り、地下の放射能よりも深い海水と海底の砂の放射能を監視することが不可欠です。総量と濃度の両方の規制を考慮する必要があります。
2-3(2020.03.24)「茂み」
2-3-1 (2020.04.13)展覧会という「茂み」について
展覧会企画概要 展覧会という茂みについて 西村絵里子 企画統括 より
あらゆる物事が複雑に絡み合う世界の中で、思考と知恵の「茂み」の中に流れるエネルギーと、それを自らの手でつかみとろうとする行為を象徴する「光の破片=AFTERGLOW」
KW:茂み 「光の破片=AFTERGLOW」
人間の探究心や独学で得られた知識、友情や他者への思いやり、有毒
なものとの共生といった、既成のヒエラルキーに囚われない価値観が込められています。
KW:友情 有毒
2-3-2 (2020.04.17) 自ら学び茂みからみつける
・西川紀光 【独学】で、指導者なく膨大なソースを得る。
(茂みから茂みを作る?)
・土地に根差した横断的知識
・それは私たちの参照点
・隠喩と探求心にあふれ、行為・素材・痕跡の凝集体・・・
⇒自分なりの理解と、言葉を持つ
・ソースは、言葉。その間に競合しない平等を与える。
⇒言葉の共通性から理解
・ソースの要素が互いに関わり感染しあえる。(⇒)
⇒「感染」という言葉の二面性 「病的な感染」&「影響を与える感染」
・指導者のない知識の獲得は、自由な解釈を生む
・影響を与え合ったりぶつかりあう。
・熟考の時間にソースを重層化し、創造と発掘を推進。
・距離や時間(年代)を問わず離れた人達が生きるすべを互いに考える。
・よりどころとなるソース携えて、このコンセプトに興味を持った人たちと、茂みの中から探し出す。
・ソースは、私たちに考えることの面白さを気付かせ、その灯をともらせる導火線。
2-3-3 (2020.04.29) 学びを捨てるような刺激とは?
・そして「学びを捨てるような刺激」を与える触媒
⇒「学びを捨てるような刺激」とは? それが触媒? ニュアンスが?
(学びを捨てるような刺激が何か不明。そのためそれが触媒という表現が適しているのか疑問を感じる)
学びには、「獲得する学び」と「捨てる学び(アンラーン)」の2つがある。過去の成功体験が通用しないときには、その体験ごと棄却、さらに他者と一緒に学ぶことは、相互作用をもたらします。自分が変わるということは、周りを変えることにもつながる。
引用:東大 中原淳准教授 インタビュー 社会人の学びについて
・全く新しい考え方や知との出会いは、これまで学んだことを無にするらしい。
・天地がひっくり返り、これまでの学び捨てるような体験を、まだしたことがない
・そのため想像できなかった。いわゆるコペルニクス的展開のようなもの?
・自分が体験したり見聞きしたこと以上のことは、理解や想像はできない
・その好例かも。(「触媒」の言葉の使い方、おかしくない?と思ったけど納得)
「学びを捨てるような刺激とは?」
・無駄になる学びというのはないと思う。
・捨てる必要はなく、地層の奥深くに眠らせておけばいい。時を経てまた役立つはず
2-3-4 (2020.04.29) 触媒とは?「言葉」の意味から理解
「触媒」という言葉は、化学反応における言葉。ところが、最近では「触媒」という言葉を比喩的に用いられるケースがある。
触媒とは、それ自身は変化せず、他の物質の化学反応を速めたり、遅らせたりする物質のこと。そこから転じて、人に対しても、刺激を与え活性化させるようなものに対して使われるケースを目にする。
比喩として使われる時に、本来の化学反応の意味から逸脱していないか・・・・と見てしまうのが、自分が根差した世界からのモノの見方。
たとえば、エビデンスも、本来、学術的な意味から今は、かなりかけ離れた使われ方をしていることも。業界用語として意味が変化し、使う人によってその意味も変化。
どこかアフォーダンスの使われ方と同じ空気を感じる。自分の世界にない新しい言葉を他の世界から探してきて使う。目新しく新鮮だけども、本来の意味をきちんと理解【独学】してなかったり、解釈が違っていたり、別の意味に変化してしまうことがありそう。そして別の意味の方が主流となり席捲していく。
触媒という言葉も同じような使われ方をしないか?
触媒の類語:仲立ちとなる物質 触媒 ・媒質・酵素・マテリアル・物質
触媒には、「マテリアル」という意味もあるので、現代美術で、素材に対して今後、イメージ的に使われそうな予感。触媒は「それ自身は変化しない」ことが大原則。そこをちゃんと理解し押さえた上で言葉を使っているかが気になる・・・・
というのは、化学を学んだ立場からの視線。立場が変わると、刺激を与えるもの、反応を加速させるものという意味で使っていることも・・・
【独学】他業界に感じる違和感
2-3-5 (2020.05.16)青い絨毯と本の制作の背景にある「茂み」
外国人同士の集まりがお互いを知ろうとしているときに、ワインと歌と詩がもつ磁力のような魅力も。私たちの時代の地政学からいえば、そのうち何人かは敵どうしであったはずですが、彼らは最後には友人になりました。詩はつかの間の停戦をいくつか実現してみせたのです。それらはいまだに続いています。
詩の韻律は身体の間を通り抜けます、特にしゃべる口と聴いている耳の間を。こうして詩は口伝えで共有されました、それを聴いて記憶した人々が、讃え、通り過ぎていくうちに。こうして詩は読者の手から手へと受け渡されていったのです。
引用:エピソード00 プレイベントにおけるコメント - ヨコハマトリエンナーレ2020「AFTERGLOW―光の破片をつかまえる」-横浜トリエンナーレ
直接的なKWとしての「茂み」という言及はありませんが、「茂み」というKWが埋め込まれています。対立する時間的視野を持つ多様な集まりが、言語を超えた伝達によって、再編成され、お互いをさらに引き出すことが実現します。共生が生まれ、主役が交代し枠組みが変化します。
2-3-6 (2020.05.16) 茂みを発生させる拠点
横浜美術館とプロット48を「茂みを発生させる拠点」と考えてみてください。精神と想像力の生物学的多様性のための臨時避難所なのだと。私たちが「社会的距離」という新しい語彙を学び始めたまさにこの時期に、茂みのことを考えてみてほしいのです⸺
引用:エピソード00 プレイベントにおけるコメント - ヨコハマトリエンナーレ2020「AFTERGLOW―光の破片をつかまえる」-横浜トリエンナーレ 第1部
KW 茂みを発生させる拠点
茂み=精神と想像力の生物学的多様性のシェルター 社会的距離
この茂み=社会的距離は、排他的なパンデミックが広がるようなものとは違い、密度や没入感、絡み合いといった、密な関係です。この茂みの中を歩き回るっている時に、警戒心が高まることについて考えると、この状況下での時間は遅くなります。この時間の経験は、共感を得ることもあります。
2-4(2020.03.24)「明滅する光」
・東ベンガルから日本へ 自ら学ぶ「独学」
・輝き: 自ら輝く 労働後の汗の輝く
・知の形式 翻訳不可能な経験とせめぎあう
⇒知らない世界のルールは、経験によって歩みよる
⇒友情・・・人だけはなく、知とも友達に
出典:(2020.06.16)
ハリプラバタケダ、ボンゴモヒラルジャパンジャトラ(日本へのベンガル語の女性の航海)、1915年ダッカで初版。SahityaPrakash出版社、ダッカ、1999年に再版。
2-5(2020.03.24)「反百科事典」
2-5-1 (2020.03.24)
・旅する独学者
2-5-2 (2020.05.09)
・引用部分の確認 目次より抜粋
・目次は知り得たもの、想像で書かれたもの境界を持たない宇宙の見取り図
・自分の知っていることをシェアする人、自分の知らないことに興味を持つ人は友達になれるしケアができる。
2-5-6 (2020.06.16)出典
エマフラット、「Nujūmal-‘ulūmの著作と意義:ビジャプールの16世紀の占星術百科事典」、Journal of the American Oriental Society、Vol。 131、No. 2(2011年4月- 6月)、pp。223-244。(帆足亜紀訳、矢野道雄翻訳監修)
2-6(2020.03.24)「漁師のアドバイス」
(2020.03.24)
・友情
・光
(2020.04.21)
・南方熊楠
・地元民との交流 (友情)協力者
(2020.05.09)
・原子爆弾の投下の時に見た目のくらむような閃光がきっかけで生物発光の研究
・一匹一匹を丁寧に観察 漁師と友達
・GFPは、有毒物質に反応し発光 バイオセンサーとして活用
2-7(2020.03.25)「分離」「分割」
2-7-1(2020.03.25)階級としての「分離」「分割」
・仕事のヒエラルキー インド
・あるベンガル人 大学生 車引き 自分を高めるためには厭わない
2-7-2(2020.04.29)頭の中で、プロセスを「分離」「分割」し意識化
(4:50~)本題
・道具には"正しい"使い方がある
・わからない原因は技術ではなく「考え方」を知ること
・技術は調べればすぐにわかる 間違った「考え方」で使うことがわからない原因
・基本設計は「入力」「計算」「出力」で構成されている
・3つの処理を「区分」(「分離」「分割」)すること 頭の中で作業を意識し「区別」すること
・プロセスの何をしているかを意識する
・エクセル 「入力」「計算」「出力」を分離して考える
⇒レイヤーの考え方も同じ? googleマップのレイヤー
⇒新しい概念との遭遇 最初理解に戸惑う
・一太郎からワードへ。使いが手が悪い。おせっかいばかりする。効率悪い
・理解できない。おせっかいを戻すのに手間取る ・・・・⇒初期設定変更で解決
・設計思想を理解する。日本とアメリカの文章作成の習慣、考え方の違い。
・道具には文化の違いが内包。
・それを理解することで、使いこなせるようになった経験。
⇒階層を分けたり、分離することで、見えなかったものが見えてくる
⇒構造を知る エクセルの「セル」の構造を知る(セルのモードの切替)
https://www.youtube.com/watch?v=j1NiyGprx2U
【独学】物の(道具)の構造、仕組を知ることが理解を促す
カーソルの動きの法則を知る
2-7-3(2020.04.29)言葉を「分離」「分割」する
・漢字を分離 ⇒■(2020.02.02)美術史とは? そういうことだったの?¥
・言葉を語源に分離⇒■(2020.03.24)トリエンナーレって?
・【独学】言葉を理解する時は、最小単位の語源に分け、その意味から捉える
⇒分割して考えることが基本思考になっている【独学のアプローチ】
・「分離」「分割」という言葉は、ツボワード。
・ここで使われている「分離」「分割」と意味あいは違うけども、「分離」「分割」という共通語によって明らかになる基本思考
2-7-4(2020.05.04)音を「分離」「分割」する
・暗譜をするための練習がある
・また、自分のやり方を考えたりみつけたりできるようにする
・人によって違う それぞれの記憶力 性格 暗譜する楽曲も違う
・しかし、基本というものがある。
・練習も分け行う(「分離」「分割」)
・「テクニックのための練習」「表現をあげる練習」「暗譜の練習」
・通しで引く‥‥わからないところを明らかにしてチェック・・・
・ただ暗譜するのとの違い
・同じ通し練習でも、「集中力を鍛える通し」と「暗譜のための通し」は違う
・左手だけを暗譜でひく(「分離」「分割」)
・たいていは右手のメロディーを追う
・両手の感覚で左が覚えている (左は右の付属のような感じ)
・音を細かく、細かくとらえる (左手だけの暗譜は、音を分離分割)
・両手でひきながら左手を歌う 演奏の時はメロディーラインを心で歌う
・楽譜を書き写す (一つ一つの分離分割して確認)
(高校の古文の先生、流行りの歌、新曲が覚えられない。早く覚えるには、書き写すことだと言っていたのを思い出す)
ピアノの練習方法も、暗譜の時、音を右手、左手に分離分割してとらえ、蔑ろになりがちな左手をメロディーラインとして把握する。さらに音の分解として暗譜して楽譜に書き写す。
ピアノを習っていた時、バッハのインベンション、左手を歌うように弾くと言われたことを思い出した。そしてバッハの弾き方は、バッハという楽曲が歴史の中で、どのような楽器を使い(チェンバロ)、それがどんな音の出し方だったかを理解すること。音楽性を理解することにつながっていたことを、今になってわかった。
発表会の曲は、何度も練習するうちに自然に覚えてしまうもの。(まだレベルが低いのでそれで覚えられる)「暗譜をする」 という意識がなくても、弾いているうちに覚えられるレベル。
ピアノは好きだったけど、習うということの基本を全く知らない。ただ譜面を見てそれを弾く。たくさん練習をすれば上達する、ノーミスで弾ければ上手だと思っていた時代。(ノーミスで弾けること=ピアノがうまいという理解)
そこには「どうやって習得するか」ということは、一切考えたことがなかったし、そういうことを考えることにすらたどりついていないということをこの動画を見て思った。いろいろなことを独学してきたと思っていたけども、好きだったピアノの学び方、習うということの基本を知らずに、ただ弾いていただけだったことを今になって知る。教えられることと、自分で考えつかんでいくことがある。
(一般家庭のお稽古事のピアノと、幼少のころからピアニストを目指す人たちのピアノレッスンは全く違う世界でルートが違くことを、高校、大学あたりになって知った。中学までは、ピアノの弾ける人ということで、合唱コンクールの伴奏者をしてた。ところが、高校に入ったら、ピアノの弾ける人なんてざらにいる。ショパンを簡単に弾きこなす人。音大目指している人、ポプコンに応募しようとしている人。そして、大学でも、医療系なのに、ショパンは朝飯前。小・中クラスに一人、ピアノが弾ける伴奏者は、外に出たら井の中の蛙。
小4の時、作文でピアニストになりたいと書いた。先生は、一生懸命練習して、頑張ればなれますよ。と言って時々「練習、ちゃんとしてる?」って声をかけてくれてた。のちに、社会の構造を知った。環境、指導者の選択。プロになるためのレッスン。そういうことは、一般家庭では知り得なかった時代。スタート時点で格差(分離分割・ヒエラルキー)が存在していることを知った。あのまま、真剣にピアニストになろうなんて思わなくてよかった(笑))
左手だけで弾く‥‥と言われた記憶がよみがえる。しかし、それはなぜそうするのかがわからないから、なんでいちいちそんなことするんだろう・・・ぐらいにしか思えなかった。ハノンも、何の意味がある曲なのか。わからなかった。
年を経て、ピアノがどんな楽器なのかがわかるようになり、音楽家の曲作りが、その楽器で演奏することを念頭に作られていること。また歴史の出来事にも曲作りが連動していることを知った。⇒■追記:祖国への愛から
時を経て学ぶ。独学することは、思わぬ方向から過去に学んだことがつながる面白さがある。今、一連のピアノレッスンの動画を見て、自分が習っていたピアノの世界との違い、レッスン受ける意識の未熟さに愕然とした。
2-7-5(2020.05.04)気づいたら分割が「分離」に置き換わっていた
「分割」というKWが、いつの間にか「分離」に置き換わっていました。
同義でしょうか? ⇒ 〇分解(ぶんかい)の類語・言い換え - 類語辞書 - goo辞書
ここで取り上げられているワードは、分裂/分離/分解/解体
分割はふくまれません。分割で調べると類語はありません。
「分割」よりも、「分離」の方がなじみのある単語なので、置き換わってしまった?
言葉のイメージとしては、いずれも「分ける」ことですが
・分割⇒わけただけ
・分離⇒分けたものから何かを引きだす´ 抽出を伴う
2-7-6(2020.05.04)「分割」して観察
曜変天目茶碗の斑紋や光彩を観察するにあたって
〇斑紋の粒子は3パターン?・・・・形状を分割
■光彩の発色には階層がある・・・・階層で分割
形態から共通点をみつけ、グルーピングし、分割するという基本思考
自然科学を学んだ人や、KJ法などのトレーニングを受けた人にとっては当たり前の考え方。学習によって後天的に得た思考だったのですが、自分本来がもともと、持っていた考え方、あるいは、自然科学の学びによってもたらされた思考だと思うようになっていました。
なぜこのような考え方をするのか。そうなったのはいつからかを考えていたら、職場のKJ法の研修依頼であることがわかりました。それ以後、この思考を基本として、物事を捉えるようになり、年月を重ねると、もともと、そういう思考を持っていた。それは、自然科学がそのような学問体系だから・・・・と理解するようになっていったのでした。
研修以来、分割して考えることが自分の中に浸透し、元来持っている基本かと思うようになっていました。
先日、佐藤可士和さんの特別授業を見ていて
佐賀県有田工業高校の授業風景が映り、机にはKJ法の表が置かれて、問題解決に取り組んでいました。今は、高校生がKJ法を学び、社会に出てくるのだとういう隔世の感が・・・
となると、バラバラのものをグルーピングし、そこから論理を引き出すという方法は、そんなのあたり前となる時代がくるのかもしれません。
2-7-7(2020.07.21)社会構造の分割
・インド文明の毒物と生命の関係
・何千年も続き今も・・・ お荷物の毒 全く汚染されない人
・排泄物・死骸・ニオイ・毒素から分離・・・時間・権力・財を持つ人の仕事ではない
関連:インドのカースト制度(3-2-8 2020.05.27)
・インド カースト制度&男尊女卑の世界
⇒インド:カースト制度が強いる生業としての排泄物清掃 | Human Rights Watch
このような制度があることを知らなかった。
2-8(2020.03.24)「有毒な光」
2-8-1 (2020.03.24) 毒の二面性
・両面性 毒性 毒を持って毒を制す 良薬口に苦し 種痘 ワクチン
・ジョーカー 彗星
・メルトダウン 光輝く 美しい 放射線
・美しいバラには棘がある
・一般的な視覚ではない光
・毒との共存
2-8-2 (2020.04.15) 有毒な生命体
・宇宙の爆発によってもたらされるもの 放射線 見えない恐怖
・ウイルスも同様 人類は細菌を発見。ペニシリンで克服?
・しかし、未知の病原体。スピロヘータ、リケッチア、ウィルス・・・
・人類がまだ発見していない、ウイルスとは違う病原体がもしかたらいるのかも。
・微細生物の生命力、生存能力は未知の力が。
・しかし歴史は、それを利用しながら克服の道を開く
2-8-3 (2020.06.16) 生物発光 毒性:参考文献
下村、「生物発光の化学の研究に興味のある学生へのアドバイス」、生物発光:化学原理と方法(シンガポール:世界科学出版、2006)、pp。375–378。 (帆足亜紀訳)
Raqs Media Collectiveは、毒性を均等に分割することを夢見
2-9(2020.03.24)「翻訳不能な言葉 オンシトラ」
2-9-1 (2020.03.24)
・マクロコスモス ミクロコスモス
⇒人体と宇宙のつながり
2-9-2 (2020.04.27)ベンガルってどこ?
・「antashira(オントシラ)」はベンガル語
・内在的な流れとあまねく広がる感覚を表すときに使われる言葉。
・「オントシラ」は「気」のように、神経系のエネルギーの流れに似たもの。
⇒ベンガル語辞書では「静脈」神経や血管のように全身をめぐるようなイメージ?
・「オントシラ」は、そのすべての広がりの中に生命を形づくる。
⇒生命を駆け巡る アーユルベーダ―的なもの?
・ベンガル語辞書では、 antashira⇒静脈内
・ベンガルってどこ?
Aziz Tarak. - 投稿者自身による作品, CC 表示-継承 4.0, リンクによる
ガンジス川とブラマプトラ川の下流にあるデルタ一帯を占め、インドの西ベンガル州とバングラデシュが含まれる、南アジア北東部の地域。歴史的に古い地域で人口も多いが、宗教的対立によって今日ではインドとバングラデシュによって分断
アーユルベーダ―
相互に影響し合って発展した。トリ・ドーシャと呼ばれる3つの要素(体液、病素)のバランスが崩れると病気になると考えられており、これがアーユルヴェーダの根本理論である。
その名は寿命、生気、生命を意味するサンスクリット語の「アーユス」(梵: आयुस्、ラテン翻字:Āyus)と知識、学を意味する「ヴェーダ」(梵: वेद、ラテン翻字:Veda)の複合語である。医学のみならず、生活の知恵、生命科学、哲学の概念も含む
・私たちすべての間を流れていく。・・・血液、体液、神経
・私たちは、個々の生のミクロコスモス(小宇宙)=人体、と、この惑星というつながりあった生命と、宇宙というマクロコスモス(大宇宙)の関係を作り直す。
3■(2020.03.24)ソースブック 5つのソース
【ソースブックの内容】(2020.04.25)
ソースブックには、時代や文化的背景が異なる実在の人物の生き方や考え方を示した冊子です。下記に関する資料が、文章や画像で収められています。
〇2007年:横浜の寿町の日雇い労働者で、哲学者西川紀光(きみつ)
〇1912年:日本人の花嫁として来日したベンガル人女性ホリプロバ・モリック
〇スヴェトラーナ・ボイムによる友情を表す言葉
〇16世紀:南インドを治めていたビージャープル王国のスルタン、アリー・アーディル・シャーの知恵
〇2008年:ノーベル化学賞受賞 生物学者、下村脩(おさむ)研究の様子
上記の資料では、在野の人、偉人たちが紹介され、それぞれの生き方が浮かび上がってきます。生まれた時代も違えば、国も違います。また、属している世界や環境も違います。そのため、社会とのかかわり方や生き方が違います。それぞれが属している世界から、見つめている眼差しも異なります。
しかし、その眼差や生き方は独自の光を放っているということは共通しています。いろいろな立場の人がいる中で、個々が放っている光を捉えよう。ということが「光の破片をつかまえる」というサブタイトルにつながっていると思われます。
これらのソースをもとに、アーティストも参加者も思考や思想を深めていきます。以下、それぞれのストーリーについて、思考したことを記していきます。
3-1(2020.03.25):「毎日あほうだんす 」
3-1-1 (2020.03.25) あほうだんす? 西川?
・そんな人、知らない・・・
・野毛あたりは、大道芸とかよくでかけたけど 寿町とはまた違う
・実存主義
・西川のストリートから 宇宙をつなげる黙想
⇒いまここにある暮らし 宇宙 ⇒彗星
3-1-2 (2020.03.26) あほうだんす=アフォーダンス
・阿呆がダンスをするという言葉を自嘲して発したのかと思っていた。
・「アフォーダンス」といいう言葉の存在(論文読み直してその存在に気づく)
・ざっくり意味をながめる
3-1-3 (2020.04.06) アフォーダンスの解釈
・デザインの世界で意味を取り違えて伝わる・・・その後、修正されるも混乱のまま。
・本来の意味で使う人と、デザインの世界の解釈する人の混在。
・新しいいものを追いかける。概念を取り込むのに、別の世界の考え方を持ち込む
・知識が未熟で、都合のよい解釈を作り上げてしまう。(独学)
・あほうだんすは?
・人の作り上げた概念をそのまま受け入れるのではではなく自分で考え咀嚼(独学)
・そして自分のものにする
3-1-4 (2020.04.06) 「アフォーダンス」からみる「あほうだんす」
・アフォーダンスについて再度、調べてみた ⇒
・デザイン業界では、本来の意味とは違う形で使われる。他業界でも
・西川は、この言葉と出会い独学し、独自の解釈に至ったのがあほうだんす?
・『毎日あほうだんす』の中では、「あほうだんす」をどのように解説しているのか
・本の目次に「あほうだんす」項目がある
毎日あほうだんす Gill, Tom(著) - キョートット | 版元ドットコム
本を読めばわかるのか? 読むべき?
・読んでもおそらくわからない
・他からのつながりによる理解に期待
・独学することの面白さ 続けられるものをみつけること ← テーマ?
・ここでは、わからない世界を、自分の力で学びつかみとる姿勢に学ぶと理解
・理解できることが大事なのではない。理解しようとすること。
・世の中はつながっている 思わぬつながりの発見の面白さ
・独学によって、自分にはないいろいろな世界にたどりつくことができる
・聞いたこともない言葉、概念に触れる
・【独学の方法】頭を切り替える。内容は把握しなくてもいい
・新しい学び方、学ぶことへの姿勢を学ぶ
・科学の世界は、わからなくても、言葉を一つ一つ追えば何とかなると思ってた
・門外漢の世界は、すべての言葉がわからないから進めない。⇒
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■ヨコハマトリエンナーレ2020 AFTERGLOW 光の破片をつかまえる(自分用メモ)
- 3-1(2020.04.06)用語について
- 3-2(2020.04.06)アウトサイダーアート
- 3-3(2020.04.06)【芸術表現のコミュニケーション】
- 3-4(2020.04.17)アフォーダンスの受容と反駁
- 3-5(2020.04.20) あほだんす
・常に新しいものを求めるアートの世界。
・概念なども、他の世界から取り込む。
・新しく新鮮な考え方の発見。
・それを広める。
・受容され広がる
・意味の捉え方の違いを指摘される
・修正
・一度、広まったものは、修正されない
・2つの意味を持ったまま
・アフォーダンスを語る時の齟齬
・議論が通じない・・・・ ⇒言葉の理解、共通認識 ⇒質量の言葉の意味
⇒【独学】新しい言葉
・西川流の知識人への痛烈な皮肉かと思っていた・・・・
・聞き手、そして読み手側にもある偏見の目
―――――――――――
3-1-5 (2020.04.19) 「アフォーダンス」「あほうだんす」の解説
・「あほうだんす」の言葉のもとが「アフォーダンス」であることはたまた知った。
・しかし、これは一般的な言葉ではないと思う。
・参加者はどうやって「アフォーダンス」にアプローチするのか
3-1-6 (2020.04.19) 中沢新一に影響受ける
2007.2.17
・西川が影響を受けた日本人がグル中沢(中沢新一)
・中沢と言えばオウム問題で批判‥‥何を批判されたのか?
・遠くから見たら、人間と人間の間、人間と動物と植物の間に大した違いはない。人間は特に飛び出るほど偉いものではない。
南方熊楠、中沢新一・・・・その先に西山に通じるものがあるのかも
⇒南方熊楠を調べる過程で、中沢と出会った。認識変わった。
⇒人類はまだ天才「南方熊楠」の思想にたどり着けない
〜現代人が見習うべき唯一無二の思考法(中沢 新一) | 現代新書 | 講談社(1/6)
・西川は、世間の評判、表向き評価で判断しないのだろう 独学の目で人を選ぶ
・何が問題だったのか? ⇒中沢新一 - Wikipedia
3-1-7 (2020.04.19) 再読 アフォーダンス ソースに記載あり
2007.3.10
・ソースを再読 ソースで「あほうだんす」について言及されていた。
・聞き取りの際の聞き間違いと意味の取り違えで「あほうだんす」と記録
・「アフォーダンス」遺伝学、ダーウィンを超えた自然科学、生物の話。
(西川自身のオリジナル解釈も含まれているという推測を打ち消す)
・中沢新一氏も大切にする概念
・生物学、遺伝学、ワトソンクリック、ダーウィン、自然科学、中沢新一
・知っている言葉は目にとまる。他の言葉は目に入らない。
・意味の分かる言葉だけを拾う。あとはスルー
→言葉を知っていることが重要 →それによって興味につながっていく
・西川氏は最初から「アフォーダンス」という概念のを語っていた。
・インタビュアーが取り違えていた。
・西川氏が注目する中沢新一氏に対する見方の変化
・中沢新一によって、南方熊楠の概要が見えてきた。
・あの中沢新一・・・・という受け止め方をしていたが、熊楠を取りあげた部分に着目。
・西川が中沢に着目。西川の中に、南方熊楠と通じる部分があるかもしれない
・つながりで見ることができるかも・・・・(間接的なつながりでも、興味の糸が伸びる)
・一方、中川がなぜ、オウムに利用されてしまったのか
・そこに何か理由があるのかも と受け止め方が変わる
・全てが明らかになったあとから見る目線と、その時は違う
・コロナも同様 見えない時の知見と、次第に見えてきてからの知見
⇒知識を扱う人の誠実さ 理論は悪用もされる
3-1-8 (2020.04.29) ソースに選ばれたのは
・ユニークなソースであるとともに、一番、わかいにくいと感じられたソース。
・横浜には、開港、港町。文化の入り口という華やかなイメージがある。
・その一方、日雇い労働者の街寿町も存在する。
参考:ホームレスと生活保護-横浜・寿町から見える日本 | nippon.com
・ラクスは、横浜が持つ既存のイメージを壊し、風穴を開ける効果としてのソース?
・ラクスの展覧会キュレーションの手法として?
・日雇い労働者ながら、独学で学び哲学者というユニークな「ソース」
3-1-9 (2020.04.30) 高橋源一郎 書評
〇「毎日あほうだんす」ということばが、毎日頭の中で鳴り響いている :
・「あほうだんす」は、アフォード、生物学の話。
・遺伝学やダーウィンを超えた自然科学の話だった。
Q 既存の知識の解説で、そこに独自性はなかったのか?
この用語は視覚心理学や人間工学ではよく使われるが,紀光用語としては人間の自由が環境に制限されている意味になる。人間はなんでもできるという純粋な自由論は間違いで,実は人間は環境に許されることしかできない
紀光用語として昇華されてる。
3-1-10 (2020.05.10) プレイベント コンセプト共有より
・ソースブックが西川紀光に多くを学ぶ
・西川は、雇い労働者でありつつ、好奇心に満ちた滞在者
・宇宙をさまよう独学者であることの意味を具現化
・西川のストリートと宇宙をつなげる黙想
3-2(2020.03.25):「あるベンガル婦人の日本訪問記」
3-2-1 (2020.03.25) 異文化の遭遇 自国文化の客観性
・小泉八雲が見た日本と共通性
・日本人の礼儀正しさ 精神性
・日本人の気質。当たり前のことが当たりまえではない。
・常に挨拶 頭を下げる それぞれの挨拶が違う
⇒いただきます
・へりくだることで相手を敬う ⇒謙譲語 言葉でなく態度 膝をつく
・日本での当たり前は、世界の当たり前ではない
・新しい外国人を目の当たりにした時の反応
(なぜ、ベンガルの花嫁を取り上げたのか
日本人をみつめた外国人は、他にもたくさんいる)
3-2-2 (2020.03.25) 日本の神道 仏教が根底?
・お互いを大切に敬う 外国人も同じ ・・・・ケア
・異文化との出会い・・・毒になることもあり
・外国人への暖かさ ・・・友情
・亡くなった人への敬愛など日本の宗教の根幹
・一人で外国からやってきて日本を理解・・・独学
・その地域に馴染もうとする心が回りを巻き込み輝かせる
・配慮しているのに、珍しい外国人を法事の人集めに・・・こだわり?
ペリー来航時の日本人の好奇心、外国人を一目見たい。
そんな好奇心が理解できてしまうから‥‥こだわり?
ケア、毒性、独学、友情、光輝、こだわり、発光
キーワードのこじつけ(笑)
3-2-3 (2020.04.28)ベンガルはどこ?
・当初、ベンガルを調べても場所の特定ができない 歴史もわからない
・ベンガル語を調べていたら、「ベンガル湾」がみつかり「ベンガル地方」が判明
・インド北東部、ガンジス川とブラマプトラ川下流のデルタ地帯
・ベンガルの歴史:1905年にベンガル分割令、1911年にベンガル分割令は撤回。
⇒ホリプロバが来日した時は、ベンガルだった 現在、バングラデシュ
⇒日本からまたインドへ戻る。現地で出版 この時はバングラデシュ
Aziz Tarak. - 投稿者自身による作品, CC 表示-継承 4.0, リンクによる
⇒ミュシャのスラヴを調べた時と同じ感覚
スラブという国はない。スラヴ語を話す人という意味
多くの国が統治が変わる・・・・日本との違い
・いつの話? 1907年
・参考 https://shodhganga.inflibnet.ac.in/bitstream/10603/234116/8/08_chapter%203.pdf
1915年 タゴール来日
(インド思想家 アジア初ノーベル賞渋沢栄一、原三渓と会う)
1903年 岡倉天心 インドへ
日本とインドの文化的交流が始まった時期
上記の資料によって、日本人とインド人が結婚の経緯や背景がみえる
3-2-4 (2020.04.28)ベンガル婦人とラスク
・当初、ベンガルがどこかもわからなかったが、なんとなく浮かびあがる
・1912年(明治45年大正元年)この時代に、ベンガルから来日という驚き
・1907年 結婚
・日本に来て、日本の文化や日本人の親しみやすさ、優しさを日記にし出版
・日本人の特徴や文化に言及した人や書籍は他にもいろいろいある。
・なぜ、ベンガルの花嫁の来日をソースに選んだのか?
・この時代のベンガルの教育は?
・現地では知識階級だった? 女性による出版は珍しい?
3-2-5 (2020.04.28)ホリプロバ来日頃のベンガルの歴史
ホリプロバによって書かれた、「あるベンガル夫人の日本訪問」
は、アジア大陸において女性の手によって書かれた貴重なものであ
る。個人的な日記様式で書かれているが、当時のベンガルと日本の
社会的あり方を理解することが出来る、貴重な資料である。
引用:https://shodhganga.inflibnet.ac.in/bitstream/10603/234116/8/08_chapter%203.pdf
・ベンガル社会の女性蔑視。女性には教育は必要ないという風潮。
・周囲から尊重されず無視をされる社会だった。
・19 世紀になると転換。女性をそのまま受け入れていく風潮。
・19世紀、女性のために新しい光をもたらしている
・社会教育者により、女性教育の発展。
・女性たちの夜明けが見え隠れていた才能が発揮される舞台が生まれる。
・1890 年 ホリプロバ・モッリク 東ベンガルで生まれる
・幼い頃、捨てられ拾われ育てられる
・
・アートディレクター ラクスがインド出身であることがわかった
(随所に記載があるが、目には留まっていなかった)
・日本とインドとの関係を紹介する意味があったのかも? 友情
・1907 年に結婚 日本人とインド人の結婚では、最初の例ではないかと言われる。
(2020.04.28)ベンガルという名称
・俳優・・・・芸名は唐十郎演出の舞台『ベンガルの虎』
・ベンガル猫・・・・インド地方の虎に似た柄
3-2-7 (2020.05.10) プレイベント コンセプト共有より
・100年ほど前の明治時代、バングラデシュから日本への旅行記から、自分自身の、また自分たちのケアのしかたについて書かれている
・別の世界に慣れ親しむにつれ、農場や台所をつくことへ潜り込む
・新しい世界を構成する外国人へのおもてなしや友情がどんなものか私たちに感じさせる
・ホリプラバ・タケダの旅、それかせるエネルギーを指し示します。
3-2-8 (2020.05.27) インドのカースト制度
・インド カースト制度&男尊女卑の世界
⇒インド:カースト制度が強いる生業としての排泄物清掃 | Human Rights Watch
女性たちが夫とともに野良で働く姿を頻繁に目にする。市場、店、駅、郵便局、どこでも女たちが働いている。人出で賑わう盛り場でも、女性たちが仕切っている。見世物小屋の切符売りは女である。この国では女を縛るものはなく、女たちは男たちと一緒に働き、行動する。そうすることに何の障害もないし、躊躇もしない。
明治期に日本を訪れた外国人は、日本の女性が大切にされていることに驚いている様子は、小泉八雲も記述している。明治期の日本には男尊女卑があり、暗黙の身分階級もあったと考えられます。しかし、外国人にはそう見えていないようで不思議に思っていた。
江戸時代の士農工商。これは身分を分類しているだけで、法的な根拠はなく、身分の序列や支配関係を表すものではないと、今では言われていますが、それぞれの間には、乗り越え難いものがあったと感じます。
それでも、外国人の目には、日本は平等で豊かに写っているようです。絶対的な身分制度、インドのカースト制度と比べるとよかったのかも・・・・というように捉えていました。
その知識はあっても、実際にどれほどのもので、現在もそれが反映された事件が絶えないことを目の当たりにし、外国人が語ることの真意が見えました。⇒★
日本人は自分を高めるためには、どんなに卑しいとされる仕事も厭わない。ある新聞で読んだ話だが、日本の大学で勉強中のインド人の学生が、ある日帰宅途中で雨に降られて濡れながら歩いていたところ、人力車が寄ってきて乗っていくかどうかを尋ねた。何とその人力車夫は学生の日本人の同級生だった。(略)このようなことは日本ではめずらしくない。学生たちは休みともなれば俥を借りてきて引いたり、魚や野菜を配達してまわったりする。(この国では、どんなものでも注文を受けて届けるようになっている。)どの学生も機会さえあればこうした仕事をしている。……
車引きが卑しい仕事と感じるのか・・・・? 高い教育を受けたものは肉体労働はしないものという概念がインドに?インドには職業に対するヒエラルキーがある?
インドのカースト制度を知っていても、その厳しい階級社会の現状までは理解していないため、理解しにくさを感じていた。階級間は絶対に超えることができないインド。一方、行き来できた日本との違い。頭でわかっていても、現状として理解していない。
「独立心に強く、どこへでも一人で行けて、道路でも心配がない。電車でも男女の差を問わず、一緒に座っている姿には、驚きである。。。。。また日本では女性たちも勤勉に働き、教育を受け、家事も上手にこなしている。女性は清潔な服装をしているが高級な物ではない。そして誰もがアクセサリーを付けないのがとても印象的である」14(筆者訳)
引用:https://shodhganga.inflibnet.ac.in/bitstream/10603/234116/8/08_chapter%203.pdf
日本に訪れた外国人が、口をそろえて語るのは、貧しくても、小ざっぱりとしていて、頻繁に風呂に入りこぎれい。今、問題のコロナ感染を抑制した新たなファクターXとして、この衛生状態も可能性も挙げられています。
参考:インドのカースト制度は「人種差別」。カースト廃止を望まない被差別層もいる現実[橘玲の世界投資見聞録]|橘玲の世界投資見聞録 | 橘玲×ZAi ONLINE海外投資の歩き方 | ザイオンライン
日本でも・・・・男木島で見た今昔物語のパネル。
下肥を頭に乗せて畑の肥料にしていた時代
引用:■男木島の豊玉姫神社
関連:
2-4(2020.03.24)「明滅する光」
2-7(2020.03.25)「分離」「分割」
3-3(2020.03.25):「友情のセノグラフィ」
3-3-1(2020.05.08) リリース情報からさぐってみる
・つかみどころがない。わからない。途中、何度か読むもわからない。
・このソースだけ、理解できず最後に残った
・セノグラフィに言及されたリリース情報をよりどころに読み解く
・友情が持つ光輝を探求
⇒エピソード00 プレイベントにおけるコメント - ヨコハマトリエンナーレ2020「AFTERGLOW―光の破片をつかまえる」 第3部 ナルラの言葉より
理論家で作家のスヴェトラーナ・ボイムは、「友情のセノグラフィ」という論文の中で友情のもつ光輝について探求します。
・明滅する光 ある光 目的は啓蒙ではなく光輝 (ソースブックp17)
⇒ソースの共有 - ヨコハマトリエンナーレ2020「AFTERGLOW―光の破片をつかまえる」
・セノグラフィ 明暗法 舞台芸術
3-3-2(2020.05.08) セノグラフィについて調べる
・セノグラフィ(Scenography)=「Scene」+「Graphic」
(シーン+グラフィック)
・舞台美術のこと。直訳では「風景や光景を図象化すること」。
参考:
上記から、気になる言葉をピックアップ
「シーンを演劇でなく視覚化」「シーン」「場所が持つエネルギー利用」「シチュエーションの決定」
「演出家と科学者の登場が同じころ」「劇場の構造のなぜを考える」「アフォーダンス」「科学的に演劇を切り取る」「アフォーダンスの演劇への応用」
「違う」「人の認知する事柄には興味」「デザインが変わる瞬間」「自分で定義できないもの」「それがアフォーダンス?」
「触れたくなる、名付けたくなる、でも名付けられない」「なのに関係を持ちたい」
「言葉と意味が離れる」「狙うのでなく結果としてなる」「映像を意味でなく光として捉え踊る」「身体感覚が開かれている」
すげー!というのは分かるのですが、何がすごいのかが分からないわけです。そこで、ゲルニカやピカソについて本を読んだりしたのですが、どれだけ勉強しても分からないものが残る。言葉にできない。どうしてこんなに分からないのだろうと思うのと同時に、分からないこと自体に興味を持ったんですよね。
【独学】わからないこと自体に興味を持つ
「すごいけど何がすごいのかわかならない」「勉強してもわからない」
「どうしてこんなにわからないのか」「わからないこと自体に興味を持つ」
3-3-2(2020.05.08) 意味の理解と知っている知識との結びつき
【独学】自分が知っていることと結びつくと興味へつながる
・セノグラフィーとアフォーダンスがこんなところで結びついていた
【独学】言葉の意味がわかると面白い
・「セノグラフィ―=舞台芸術」という理解だけでは、友情との関係はわからない
・セノグラフィ―という世界が、どのような考え方で、どういう手法で成立しているかがみえてくると、友情というものを見せるための背景、舞台としての役割が見えた
・どのようなしかけや、仕組、表現など様々な構成要素があり、その中で、光は重要な役割を果たしている。
・友情という概念の「中」にあることや「回り」に存在すること、その明暗。
・ある意味、毒やケアのKWに置き換えられるような、二面性や多面性を見据えつつ、その背景となっている舞台に目を向けながら、友情の中に潜む光輝を浮かび上がらせるということではないかと思えた。
3-3-3(2020.05.08) セノグラフィと友情
ソースの中で「セノグラフィ」という言葉がどのように用いられているか・・・
「われわれは友情を単に親密さの一現象としてみることになれてきています。友人たちはこの親密さのなかで世間やその要求に悩まされることなく、相互に胸のうちを明しあうというわけです」。(1)じっさいアーレントにとって、友情とは、正確には世間に悩まされ、同じ反応を——いわば、存在の次元を拡張し、この世の舞台で共創することによって——返すことなのである。この舞台には、独特の舞台芸術(セノグラフィ)がある。明るく照らされているわけでもなければ、完全に啓発されているわけでもなく、光と影の相互作用によって織りなされる明暗法の(ギアロスクーロ)のセノグラフィなのだ。
悩みを打ち明けられた時に、相手に共感し、相手が求めているだろう答えを察して返す。そのような関係を友情、親密さと捉えることに慣れている。
この状況を表す背景の舞台(セノグラフィ)を考えると、それは、明るく照らされているわけでもなく、啓発されるような緊張の場面でもない、光と影の明暗で構成された舞台装置の中に立たされている。そんな特有な状況の舞台装置が存在しているという意味で使われていました。
友情は、その心情や形によって、背景の舞台装置(セノグラフィ)は、様々に変化させて表現ができる。背景にどのような光を当てるかで、友情の形を浮かび上がらせることができる。
友情の在り方を客観的に見る。演出家=セノフラファは、どのような光で表せばより的確に、友情の関係性をに表せるか。漠然と友情を考えるのではなく、舞台装置の上に乗せ、演者と演出者という視線を通して、友情の形が浮かび上がらせようとしている?
セノグラフィという捉え方を介在させることで見えてくる友情の形。真の友情やそれが放つ光輝を捉えてみようということではと思った。
3-3-3(2020.05.08) 国による友情のかたち(配慮)
・その一方で、相手が欲していることを答えるというのは、日本的な印象。
・海外でも友人関係は、相手が望むものを汲み取り提供しているのか?
・欧米、中国などは自分の考えをストレートに伝えるイメージがある
・寄稿者はどこの国の人?
・今、世界がこのような傾向にあるということ?
3-3-3(2020.05.08) 友情の捉え方 研究ジャンルによる違い
・友情というテーマについて
前回のヨコトリで行われた「ヨコハマラウンド: ラウンド1 <0と1の間にあるアート> 養老孟司×布施英利」の動画の中で(1:37:04)「コンピューターで意識が作れるか」という問いに、養老氏は自然科学では「意識」は定義できないから、それは議論できないと語る。
6-3(2020.05.06)定義がないと語れないと考える人たち
この考え方からすると「友情」も定義できないので議論できないということになってしまうなと思った。
【茂み】茂みを形成するための大前提の違い
様々な立場の人が集まって、茂みを立ち上げよう。議論しようという目的を持っていても、自然科学を学んだ者は、定義思考を持っている。それは、意識されず、気付かぬうちに体に染みついてしまっていたことに、ある時、気付かされた。
基本思考として「定義されていないものは、議論できない」と考える人と、議論することは可能なのかと思っていた。
定義のないもは、議論の遡上に上げることすら否定をしてしまう人達と、議論はできるのか?
お互いの思考を理解し、歩み寄りが必要。
3-3-4(2020.05.08) この文章は誰が書いたのか?
・つかみどころのないと感じた文章。この文章を書いたのはどういう人なのか。
・巻末にソースの寄稿者の紹介があったことに気づく。
・そこからこの文章の意味をつかもうとした
⇒ソースの寄稿者 - ヨコハマトリエンナーレ2020「AFTERGLOW―光の破片をつかまえる」
◆スヴェトラーナ・ボイム|(1959–2015)享年56歳
・米ハーヴァード大学スラブ語と比較文学の教授
・メディア・アーティスト、脚本家、小説家
・ハーヴァード大学デザイン大学院ファカルティ・アソシエイト。
・主に「オフ・モダン」の理論構築の研究に力を注ぐ。
友情、特にジェンダー、年齢、文化、信念、世代、気質の異なる人の間に生まれるそれをめぐる思想と理想に、知的・感情的に、また情熱的に関わってきたことで知られている。
【独学】寄稿者に興味を持ち始めると横顔から興味の扉が開く
⇒とりとめなく感じられた文章が少し、近寄ってきた。
⇒ スヴェトラーナ・ボイムの研究テーマが、友情を中心に、気質の異なる人の間に生まれるそれをめぐる思想と理想に関わってきたこと。比較文学の教授というところで、友情の一面に、相手が望む答えを出すということにスポットをあてたことが理解できたような・・・
引用:「真実」はいかにつくられ、拡散されるか (2020年4月14日) - エキサイトニュース(4/5)
3-3-5(2020.05.08) このソースはどんな文章?
・スヴェトラーナ・ボイム著
「Scenography of Friendship(友情のセノグラフィ)」
上記の「出版物」からの抜粋と理解していたのだが・・・
・「論文」という記載があった 「著」の意味は、論文を意味していたのか?
・「論文」から抜粋された一部?
・「友情のセノグラフィ」という「長編読み物」からの抜粋?
【独学】提供されたソースがどういうものなのか。
・一部の抜粋なのか、全体なのか。
・どのようなソースなのか素性がわからないと先に進めない
⇒光に導かれて――クラゲ、GFP、そして思いがけぬノーベル賞への道
この文章も、どういう文章なのか、把握ができず戸惑った。
・その後、「短いエッセー」という解説動画も目にする
美術評論家連盟2020年度シンポジウムにて木村氏より
3-3-6(2020.05.08) 興味を持てるきっかけ
【独学】書いた人のプロフィールを辿る
・巻末の寄稿者紹介が目に触れた。
・何をテーマに研究している人が書いたものかが見えてくると近づいてくる
・相手がどんな世界の人か、関心が向くと興味も沸いてくる
・つかみどころがみつからない時は、人を探ってみる
【独学】言葉の意味を知る
・全くわからなかった世界に光がさしたもう一つの理由・・・・
・言葉の意味を理解することがきっかけになる。
・言葉を調べる習慣はあったが「セノグラフィー」は調べていない
・調べたいという興味がおきなかった
・興味の度合い、知りたい度合が調べることに影響
・比較文学というKW・・・
学生時代に知った学問のジャンル。ずっと謎に包まれていた。
わずかでも聞いたことがある言葉は、入り口となる⇒(*4)
3-3-7(2020.05.08) 脚注から探る ソース全体がみえる。
下記のような脚注を目にした。
・何か手掛かりになるかもと脚注を探ってみた
・登場人物の著書についてアマゾンで調べる 『暗い時代の人びと』
・読書メーターでも 『暗い時代の人々』|感想・レビュー - 読書メーター
・[書評]『暗い時代の人々』 - 大槻慎二|論座 - 朝日新聞社の言論サイト
様々な人の著書の感想を見て、どのようなことが書かれているのか概要をつかむ。
読書嫌いの読書術はいつもこれ。それでわかったような気になってる。しかし、これはつかみどころがない。
・2人の友人として登場する哲学者ハンナ・アレントへの興味はおきない
・書かれている内容にひっかかりがない。それは難しすぎるから?
・ここでもう少し調べれば、世界が広がる可能性がある
・しかし、今は、期が熟していない きっかとなるつながりがない
・そのうち、何かで出会う機会があるはず。
・知りたくなる時を待つ。
・知りたい欲求に沿って学ぶ ←独学のこだわり
3-3-7(2020.05.08) ソース全体がみえる。
以下の文献から抜粋し、翻訳した。
Svetlana Boym, “Scenography of Friendship,” Cabinet, Issue36 “Friendship” (Winter 2009–2010).
オンライン掲載:http://www.cabinetmagazine.org/issues/36/boym.php
翻訳:清水知子
オンラインの掲載先のリンクで確認してみた
⇒CABINET / Scenography of Friendship 翻訳されたものを読むことができる
⇒CABINET / All Issues キャビネットの36号「友情」の中の一節だとわかった
・自動翻訳されるので、比較しながら見ていると、なんとなくわかってくる部分も
・ダイモン≠ デーモン ダイモンが「大門」と訳されてる
・オンライン上で見る元ネタとソースブック。
・ソースブックでは一部がカットされている。
・ところで、この文章は、論文なのか?また思った。
・比較文学の世界では、これも論文として扱うのだと言い聞かせる。
・訳者の論文紹介ページを見たら、ソースブックの翻訳も論文として紹介
・美術手帖への寄稿、インタビューも論文として紹介。
・これまでの「論文」という形式の認識が変わった
⇒清水 知子 (SHIMIZU TOMOKO) - 論文 - researchmap
(比較文学では、翻訳や美術雑誌への寄稿も論文)
*美術の世界も、図録への寄稿が、論文として扱われていることを最近知った。
ところで、「論分って何?」調べてみた ⇒https://www.jstage.jst.go.jp/article/bplus/9/4/9_216/_pdf
⇒https://www.koubundou.co.jp/files/50131.pdf
3-3-8(2020.05.08) 言葉の理解のズレ
【独学】自分の言葉の理解とギャップ
・このソースについて、唐突な印象を受けていた。
・これは、何の文章なのかわからなかった
・この文章の概要がやっと見えてきた
・読み物だと思っていた文章が「論文」と紹介される
・解りにくい記載だと思った。
・著者を理論家と紹介されている。理論家とはこのような人なのか。
・私が考える理論家とは違う。理論家について調べた⇒(*5)
(もしかしたら、翻訳が違うのかもしれないとよぎった 2020.05.29)
3-3-9(2020.05.08) 友情について 本文要約
友情という言葉を各国の語源から解釈したあと、私見が述べられている。
いくつかの友情の在り方の例が提示され、その友情の観察法としてセノグラフィという視点を加え、そこから友情の形を紐解こうとしている。
友情を哲学的にとらえ、男女の友情の違いについて言及。また女性どおしの友情を理論化し、実践を試みる。2人の関係から見えてくるのは、様々な立場の目を通して浮かび上がる多様な視点は自由な豊饒さを可能にしている。
独居と孤独の違い。独居の中で会話する自己の内面=真の自己=ダイモン 真の友人とは、このダイモンが会話をしダイモンの肩越しで会話をしている。
3-3-10 (2020.05.13) 友情の定義は?
・この文章、つかみどころがない。しかし漠然と感じていたこと。
・ここでは、何をもって、友情と考えているのか・・・・
・再度、読み直すと、そこに言及されていたことに気づいた。
・非常にわかりにくい文章のため、書かれていることに気づかなかった。
私の理解では、友情は、慣習的な親密さではなく、男たちの連帯や女たちの連帯、あるいは人脈づくりの機会でもない。むしろ友情とは、最終的に完了することのない選択的親和性であり、プロットや場所のない社会における関係性であり、それ自身のための経験である。友情は必ずしも民主的または平等主義的ではなく、むしろ選択的であり完全に包括的でもない。
・一般化された友情を語っているわけではない。著者独自の考え方が提示。
・このあたりに、慣れ親しんだ世界との違いを、これまでは感じてきた
・物事の捉え方が、自分とは違う世界が存在する
・ある時から、それを受け入れられるようになった
・理解できるようになったつもりでいたが、今また、再認識させられている。
3-3-11 (2020.05.13) 人文科学とは?
・人文科学について調べてみた wikiphedhiaより
広義には自然学が学問的対象とする自然に対して、人間・人為の所産 を研究の対象とする学問であり、またそれを可能にする人間本性を研究する学問である。
人文科学の分野の多くが実験による実証ができないために、(略)人文科学における、研究方法の一つの主要な柱は文献学的方法であり、解釈の論理的整合性だけが研究者の主張に妥当性をあたえる。
人文科学の世界は、実験や実証ができない。(←ここを理解できていなかった)そのため、文献学となるため、解釈の論理的整合性が妥当性を与えることになる。文献学という世界を知った。これまで、裏付けもなく、好きなことを言ってるという印象があった。
3-3-12 (2020.05.13) 世界観の違いを再認識
「友情」について語った部分について、それは、著者の個人的な捉え方だと思う。一般化されたことではないと思う。だから余計にわかりにくくしている。
友情の事例もニッチ。その特殊性から新しい着眼点を引き出すことに重きを置いている印象。こういう視点を私は見出しました。いかがですか?みたいに感じられた。
これまで、言及されていない新たなものの見方を提示する。過去の文献を参照し、論理的にまとめていくのが、この世界の習わしなのだと思った。(しかし論理的の概念も違うように感じた)
結論が一般化されていないと感じられ、特殊ケースから、独自の解釈を展開。着眼の新しさを提供しようとしている。最初は違和感を持っていた。次第に、これがこの世界のスタイルなんだと理解するようになった。
そういえば、過去に、学問の形態、アプローチが違うということに気づいた時のことを思い出した。⇒
(*6 )■3-3-12 思考の共通性が見えた動画 友達とは?
(*7 )■3-3-12 研究手法の違い
(*8 )■3-3-12 研究対象の違い
(*9 )■3-3-12 人文科学の学問分野相関図
(*10 )■3-3-12 美術展示と考古学展示の違い
3-3-13 (2020.05.22)キュレーター解説
[1:51:03~] 友情のセノグラフィーに関する解説がキュレータより
2人の女性の間で書簡を通して交わされた深い友情を、スヴェトラーナ・ボイムが短いエッセー「友情のセノグラフィー」を書いた。男女の愛や2人の世界は閉ざしてしまうが、友情は、2人だけではなく、複数同時に発生しうる。そして独立した個人であることが重要。2人の間で交わされた書簡を通して、下記の2人の間の特殊な友情を書いた。
・ハンナ・アーレント:ドイツ哲学者
・メアリーマッカーシー:アメリカをベースにした批評家
*ここで紹介されていた2人は、一般的な女性だと思っていたが、哲学者、批評家といった知識人だったことが判明。当初、論文だと理解して読んでいたため、サンプルが特殊すぎないかと感じていた。また、知識人ゆえの友情関係なのでは?とも思われた。
3-3-14 (2020.05.28) ハンナ・アーレントについて
NHKで『世界の哲学者に相談』(2020.05.28)が放送された。この日、取り上げられた哲学者は、ハンナ・アーレント。この名前、聞いたことある。「友情のセノグラフィ」に登場した2人のうちの一人。哲学者だったのか・・・・ と、哲学者であることをすっかり忘れてる。
(名前が頭に残っていたのは、キャプションで示されていたハンナ・アレントの著書『暗い時代の人びと』を探っていたから? 哲学者の著書だったことがわかり、だから、ここで語られている友情の形が、一般には理解されにくいむずかしい形態なのだと思った。「友情のせのグラフィ」を書いた「スヴェトラーナ・ボイム」は興味が持てたが、友情について語られている2人は、またそのうち・・・・期が熟したらと思っていた。そこに、テレビの哲学番組から飛び込んできた。散らばっているピースとピ―スがつながっていく感覚。)
◆ハンナ・アーレント ⇒ハンナ・アーレント - Wikipedia
調べ出したら、哲学者であることを認識していたことが、蘇った。
(最近、少しずつ哲学の世界の人へのアプローチもできるようになってきたので、そのつながりで、ハンナ・アレーントにもつながるかも・・・・と思っていたら)
アーレントは、ハイデッカーとの出会いが哲学へ没頭するきっかけとなった。哲学の世界も系統があって、つながっている。時代が違っても、どの流れを汲んでいるか。一方、新に加わったり、移動したり・・・・ 系譜図のような全体図が欲しいと思った。
ハンナ・アーレント関連
・ユダヤ人 ナチス ドイツ
・ナチの迫害、ユダヤ人の裏切りになどが思想に影響
3-3-14 (2020.05.28) 「活動的生活」と「観照的生活」
本文で理解しかねていた部分。そのままでしたが、
友情の哲学は古代ギリシアとローマにまで遡る。そこでは、友情は「活動的生活」〈vita activa〉と「観照的生活」〈vita contemplativa〉の両方の要であり、政治の要であり、哲学[それ自体がフィリア(philia)と語源的に関係する]の要だった。
女性同士の友情は、なぜか哲学的な重み〈gravitas〉が欠けていると思われているのだ……。
上記は、古代ギリシア、ローマ時代の友情論と理解していたが、ハンナ・アーレントの人間の生活の分け方を示していることが、Wikipedia 同じ記載を見た。
アーレントは、人間の生活を「観照的生活」(vita contemplativa)と「活動的生活」(vita activa)の二つに分ける。
結局、理解には至らない。
3-3-14 (2020.05.28) 哲学 学問関連系譜
【参考】哲学の系譜があるといいな と思って探したらいろいろな系譜が・・・
とっつきにくい哲学。しかし科学との馴染みがよさそう。そのあたりから攻略するとなじみやすいかも
・広大な学問の世界を旅するためのガイドブック登場! – ページ 2 – 日本実業出版社
・文系理系を問わず学ぶからこそ“学問”は楽しい!大人のための「教養本」 | ダ・ヴィンチニュース
・リベラルアーツまとめ~正しい学問体系を知ろう~ | リバータリアン心理学研究所
・18(上): 哲学は進歩したか? - 理系の科学哲学; コペンハーゲン解釈; 理系の西洋哲学史
・系統体系学の世界:生物学の哲学とたどった道のり
・あとがきたちよみ/[けいそうブックス]『系統体系学の世界 生物学とたどった道のり』 - けいそうビブリオフィル
学問の成り立ちの体系を理解しておく。 科学から見た世界。全体を知った上でみる世界。⇒■「世界を変えた書物」展(上野の森美術館) 個人的アーカイブ
3-3-15(2020.05.29)どんな立場で、誰に向け、どんな媒体に書いたのか?
【独学】独学を始める時のスタート時の確認
・どの媒体で、どんな対象に向け、どのような立場で書いた文章なのか。
・無意識に確認する習慣がついていた。
・それによって、内容に求めることが変わる。許容できること、できないこと。
・自分のテリトリーではない世界の内容は全く理解はできない。
・それでも、何を目的として、だれに向け、どんな媒体で書いたのかを把握。
・それからでないと、文章の理解がスタートできない
・「論文」と思って読んでいたものが、「短いエッセイ―」と紹介されていた
・これがエッセーなら、受け止め方はガラリと変わる
3-3-16(2020.05.29)「友情のセノグラフィ」は論文? エッセイ?
【独学】ソースによって受け止め方が変わる
「論文」と紹介されていたり 「エッセイ」と紹介されていたり・・・・
理論家で作家のスヴェトラーナ・ボイムは、「友情のセノグラフィ」という論文の中で友情のもつ光輝について探求します。
引用:エピソード00 プレイベントにおけるコメント より
⇒「論文」と紹介 (2020.05.10)
・「短いエッセー」と紹介。
美術評論家連盟2020年度シンポジウムにて(2020.05.22視聴)
この文章が「論文」であることを前提で読むと、この世界の研究手法、表現法、アプローチの違いに目がいく。最初に自分が知っている世界との違いを受け入れるところからスタートしていた。
一方「エッセイ」なら、そういう考え方もあるのね。とそのまま受け止められる。共感したり、「私は」そうは思わないと考えたり・・・ 理解する上で壁を感じたら流したり。
そんなわけで、この文章が、どんな文章であるかを確認することは、私にとって無意識の習慣。いつの間にか身に着いた独学する上での、こだわりともいえる。
茂みをつくり、会話を誘発させるというコンセプトの中で、提供されるソースがどういった性質のものか、明確に伝わってこないと、捉え方も変わる。その世界に対する間違った認識も生むことに・・・・
3-3-17(2020.05.29)翻訳に立ちはだかる壁 茂みの形成における問題
「論文」という記載は、翻訳によってもたらされた。
エピソード00のプレイベントの中で通訳された言葉。
もしかしたら、これは翻訳による問題かもと推測された。
(「理論家」という言葉にも、その可能性がありそう)
実際にどのような英語が使われたのか確認すると・・・
トークの中では「essay」に聞こえた。
仮に元の言語が「essay」だとして、「論文」と通訳され、その後、提供された活字リリースでもその言葉が使われる。(トークショーの通訳と、リリースの翻訳は同じ人によるものなのか? おそらく同じと考えられるのだが、トークショーと、リリースの訳が若干、違う部分がある。また、YouTubeによる翻訳は、AIによるものなのか、おかしな部分も多々あるが、それはそれで参考になった。3つの訳から理解をした。)
「論文」と訳されたことで、なじみのない比較文学の世界の発表は、このような発表スタイルなのだと勝手に推測して納得してしまった。
「論文」という言葉をどう受け止め、どう理解するのか。あるいは、この言葉を、どのような人が、どんな場面で、どのような意味で使うのか。母語の違う会話に介在する翻訳の影響というものを感じた。
今回のような、話し合いの場を持とう。じっくり考えようというコンセプトの中で、「言葉」が果たす役割はとても重要と感じる。いつも以上に、言葉は吟味され、考えられていくと思うので、翻訳による齟齬が生じることに直面した。
3-3-18(2020.05.29)独学で身に着いた習慣
また、コンセプトの「独学を進める」上で、これまでにそれぞれが蓄積してきた、個々の独学の方法やスタイルがあると考えられる。理解をするにあたり、どんな文章なのかまずは、自分なりに把握し確認。それから扉を開くというプロセスをとっていたことに気づいた。
「論文」なのか「エッセイ」なのか。「全体」なのか「一部抜粋」なのか。(抜粋の場合は、何を拾い上げ、何をカットしているのか)それによってソースの受けとめ方が全く変わり、導き出す答えも変わる。
言葉が、いくつかの壁を超え、段階を経ることによって、違うものに変換してしまう可能性があることを、改めて感じた。
気にならない人には、そんな細かいこと・・・・ 別にいいじゃない?と思われてしまいそう。理解されにくいかもしれない。しかしそれが私の独学のプロセスだし、こだわり。
自分にとって「おかしい」と感じた直観は大切にする。あとになってそこに大事なことが潜んでいることが多い。英語が苦手なのに、耳を傾け、原文を確認しようと思ったのは、大きな変化。おかしい、知りたいという思いは苦手の壁を超える?
3-3-19(2020.05.29)翻訳について
【essey】の意味:essayの意味・使い方・読み方 | Weblio英和辞書
随筆,エッセー; (ある問題に関する短い)評論,小論 〔on,upon〕.
*ここには、論文という意味はない
【論文】: Weblio和英辞書 - 「論文」の英語・英語例文・英語表現
paper; treatise; thesis; essay; dissertation; article
*essey なし
YouTubeでは、字幕表示が可能で、日本語、英語の字幕を出すことができる。
訳された日本語を、英語ではどのような言葉が使われていたのか確認も・・・
日本語で訳された「論文」の部分は、英語では「paper」と訳されていた
https://youtu.be/t7h7ZL7Bwfw?t=3320
【参考】
「理論家」・・・ トークを確認したところ「realist」 と語られているように思った。
〇realist⇒リアリストとは - Weblio辞書
③ 〘哲〙 実在論者。⇒
〇理論家⇒theoretician
ideologue theoretician theorist theorizer〔【動】theorize〕
3-3-20(2020.05.29)ソースを把握するまでのプロセスを振り返る
【独学】理解を始める前に前段階プロセスがある
当初、リリース情報からこのソースを「論文」と理解して読んでいた。これが「論文?」という疑問が何度も頭をかすめていった。ここは、このようなスタイルも論文と認識されている世界なのだと言い聞かせるように理解した。
提供されたソースの冒頭を見た時。
私たちが生きているのは、友人を[SNSで]追加する世界であって、友情(友愛)の世界ではない。友人はおおむね友情以上の何かを示す婉曲表現になった。「友人」とは、ホームページを埋めつくす目立ちたがりの知り合いか、あるいはそこを避けようとする、目立たない恋人のことだ。
出だしに面食らった。論文の始まりがこれ? 論文というのは、基本の記載フォームというものがあると思うのだけど・・・・ これは、論文の一部が切り取られて抽出されたものなのかな?
このジャンルの論文は、こんなスタイルもあるんだ・・・・(へんなの)と思いながらも、そういうものなのだと理解。
それにしても、美術系の論文の様式とも違う。論文の体を成していないと思う。一種独特の様式がここにはあるのかも。ところが、調べるうちに、文章の元となるものソースに遭遇した。やはり、これを論文とは言わないでしょ・・・・
しかし、このような形式の発表も、一つの形として認められているのだと納得。
そこに、
そこで悟った。「論文かエッセイ」か。そんなことは、あまり重視される問題ではないのだ。
この文章が、どのようなものかで、受け手の受け取り方が、全く変わるという認識はされないのだろうか?という寂しさ、そして物事の捉え方の違いの壁を感じさせられた。
ソースを提供し、それを元に茂みを作り、話し合いの機会を持とうというコンセプトの展覧会。そこで提示される大元のソースの基本情報があいまいということに脱力させられた気分。
(しかし、結果として研究ジャンルによる表現の違いを理解しようと、その周辺をうろうろでき、前から知りたかったことがわかったので、いいチャンスにはなった)
こちらが妙なところにこだわりすぎているのだろうか・・・・
しかし、情報を判断する上で、必要不可欠なことだと思っている。どんな場で、だれに向けて発しているのか。それを理解した上で判断するというのは、独学の上で、私の基本ルールでありこだわりでもある。
正しい情報を見極める上でも大切なこと。論者は必ずしも、本音を語るわけではないと思っている。それを見極めるためにも、重要なポイント。同じ人が同じテーマで書いても、媒体や、どこからの依頼か、誰に向けて書くか、によって、表現、時に論旨が変わることだってあると思っている。
これがエッセイであれば、捉え方は単純。表現はどんな形をとってもよいし、そこにパフォーマンスや、想像、作り事も含まれていてもよい。あれこれ細かいことは考えない。読み物として、著者は、そんなこと考えてるんだ・・・・と受け止める。
当初、論文と思っていたため、テーマの「友情」とは? それを研究するための手法や、アプローチ、サンプルの選択ということに目がいってしまった。
3-3-21(2020.05.29)これがエッセイだったら・・・・
これを、最初からエッセーだと理解してみていたら・・・・ 全く捉え方は変わる。注目する部分も・・・ 随分レアな友情のケースをひっぱってきたものだなぁ。これは、著者の交友関係あってのものなんだろうな。それを元に友情を考えるから、自身の友情の捉え方も独特。このような友情の形もあるのね。(でも、実際のところは、むずかしくて、理解ができてないけど・・・・) そういう方向からとらえる世界観が面白い。
特に友情を、舞台の背景の光を介してとらえるという視点がユニーク。そんな見方をする人はまずいない。そういうオリジナルな捉え方が好き。
考えたら、絵を見る時、主題よりも、背景の空や雲、水など、主題をとりまく見えないものをどう表現しているかの方が興味があった。形を決めるものは、その回りの空気。彫刻なども、次第にそのように見るようになっていた。それに通じるものがある。しかし、それを舞台にあてはめたことはなかった。
舞台の回りの景色、中でも光に注目するというのは、すっごい興味がある!これまで光についてはいろいろ関心を持って見てきた。舞台だと演者にあてる光に目がいっていたと思う。空間にあてられた光ということには、あまり意識はしていなかった。
今まで、セノグラフィという世界を知らない。その存在を知ることによって、世界が変わる。一つの知識を得ることで、モノの見方が変わり、感性を変える例だと思う。舞台を見る時の面白さが一つ増えた。
そして、その視点を、友情の関係を見るために使うという発想が面白い。一つの知識を得るだけでなく、自分のもの見方に活かし、応用させている。このソース。いろんな視点を与えてくれる、興味深い読み物。
最初は難しくて、とっつきにくかったけど、噛めば噛むほど味わいが出てくる。自分の歩み、知識によって、これからもいろいろなものが染み出してきそう。
受け取るものが全く変わります。
3-3-22 (2020.05.31)「論文」と思って読んだことで・・・
これが「エッセー」だとわかった時、ちゃんと伝えて欲しかったな。翻訳を、リリース情報として提供する時は、原稿チェック、ちゃんとして欲しい。そして翻訳者も安易な翻訳をしないで欲しい・・・って思った(笑)
まず、この形が論文であると受け入れるのに、随分、遠回りさせられたし、時間も要した。最初からエッセイだってわかっていたら、こんな手間や時間はかからなった。こんな理屈っぽいことも考えないのに・・・
そして「論文」というものを、自分がどう受け止めているのかがはっきり見えた。
卒論すら書いたことがないし、論文がいかなるものかわかっていない。しかしそれを書くことがどいうことなのか、自分なりの考えができていたことに驚いた。
論文とはどういうものなのか。自分で勝手に作り上げていた。
でも調べてみたら、定義があるようなないような、ジャンルによっても違うし、表現方法も違う。
また比較文学とは、どういう学問なのか。友人の友人に比較文学を選考をする人がいた。どんな授業を受け手いるのだろう? 隣は何をする人ぞ・・・ 数十年前、疑問に思ったこと。そのままになっていたことが、今になって少し姿を現してくれた。
3-3-23 (2020.06.17) 「労働」「仕事」「活動」
人間はどうなったら、人間らしいのか? そこで登場するのが、「労働」「仕事」「活動」と解説されている。(14:00~)
wikiphedhiaで理解できなかった部分
活動的生活は主として、活動(action/Handeln)、仕事(work/Herstellen)、労働(labor/Arbeiten)の三つに分けることができる。
動画では、次のように語られていた。
・活動:お金かせぎ・消費・・・・⇒考えていない ただ働き使うだけ
・仕事:自己表現 創作活動 ⇒考えることが人間らしい
・労働:ボランティア 公共への奉仕
一方wikiphedhiaの解説。
人間が関係の網の目の中で行う行為であり、平等かつお互いに差異のある人間たちの間にのみ存在しうる。個々人は自発的に「活動」を開始し、その行為の結果として自身が何者(who)であるかを暴露する。それはちょうどギリシアにおけるダイモーン(守護霊)のように、自身には決して明らかにはならないが他者には明白ななんらかの徴である。
難しくてわからない。それ以上、読む気がしない。進まない。止まる。
『友情のセノグラフィー』で登場するアーレンとマッカシ―。その2人の友情。それは哲学者としてのアーレンの研究をベースにして構築された友情論だったことに気づく。
友情の哲学は、古代ギリシアとローマにまで遡る
というのは、壮大な哲学の歴史、上記の動画の(16:22)から語られる、ギリシャの時代から、哲学は、その時代、時代の悩みに答えるための、物事の捉え方や考え方を提示してきた。その歴史、変遷をふまえた上での、今ということ。西洋哲学の流れをざっくり眺めることができて見えてきたこと。
これらの哲学は政治的なものと非政治的なもの、世俗的なものとユートピア的なものとのあいだで交替してきたが、ジャック・デリダ、ジャン=リュック・ナンシー、ジョルジョ・アガンベンによる同時代の分析を含め、これらはすべて主として男性の友情を語っている。
スヴェトラーナ・ボイムのエッセーに登場する、哲学者 ジャック・デリダ、ジャン=リュック・ナンシー、ジョルジョ・アガンベン。聞いたこともない哲学者がまたまた登場。しかし、アーレントとはどのような位置関係にいて、系譜ではどのあたりの人なのか。どんな主張をしていたのか。そんなことがちょっと気になり出しました。
そして、ギリシャにおけるダーモン。女性の友情は哲学的重みが欠けているといいます。今の時代、女性の友情は哲学的重みが欠けるなんて言ったら、どこかから石が飛んできそう。美術館女子が物議をかもす時代。女性は・・・という性差でモノを見る軸が問われている時代が今なのかと。
3-3-23 (2020.06.18) 友情関連
中島みゆきの友情って曲の歌詞に、 背中に隠したナイフの意味を問わないことが友情だろうか、 っていうのがあって、あぁこの人はアーティストでもあり哲学者なんだなと思った記憶がある。
YOU Tube大学コメントより
3-4 (2020.03.25):「占星術百科事典『ニュジューム・アル・ウルーム』の著者と意義について」
16世紀、ビージャープル王国のある写字生による、贅沢な図版を施した占星学と星の魔術に関する書物。「ヌジューム・アル・ウルーム(諸学の星々)」として知られる。
その内容は多岐渡り、学術的に注目されてきたのは、豊かで荘厳な約400点に及ぶ図版。
3-4-1 (2020.03.25) 知も友人
・友人の捉え方 何を友人と考えるか。知も友人のうち(友情)
・知識が娯楽であり、その知が人を励ます 【独学】 (ケア)
3-4-2 (2020.03.25) 言葉による共通認識 会話の成立
・言葉、概念を明確にする=定義 共通認識があって、語り合える
・知の体系 博物学 分化 (独学)(分割)
・興味のあること、不思議を集める (独学)
・それを伝えたいという本能的欲求
・その先に体系化された知が成立
・言葉の共通理解
3-4-3 (2020.04.18) アイルランド タブリン 妖精 神話の国から生まれた知
・占星学、星の魔術に関する書物完成
・現在アイルランドのダブリン チェスター・ビーティー図書館に保存
⇒小泉八雲の出身地 妖精が住む町と言われるダブリン 神話の国
・図版に描かれているものは、天使や女神、ホロスコープ
・知は誠実な人によって引き継がれるべきもの
・人類に益をもたらす知を、正しい目的、知的欲求により引き継いでいく。
(植樹・医学・天文学/占星術 護符 魔法 呪文)
・そこには人々を救う植物学(ケア)もあれば、使い方を間違うと難をもたらす(毒)
・かつての秘術と医学は同列だった 薬の起源は植物にあり (ケア)
・治せる人が力を持つ 権力 悪用 負のスパイラルもあり(毒)
・未分化の知は混沌としており、その中に真理がある。
・これらを扱う人たちに求められる誠実さ
・未知のものは、分化され命名されることによって認知される (分割)
・やがて科学や神話なども、学問体系は分化していく (分割)
・しかし、それらを完全に分断しない捉え方も必要⇔分割することの弊害
・知を提供する人と、求める人との関係
・適切な相手を選ぶ目 提供する側の倫理観も
(2020.05,22)
・インドにおける最先端の学問が集結した百科事典
・占星術・馬・像・音楽・絵画・医学など多岐に渡り学問の貴賤はなく等価でつながりあう面白さ。
3-4-4 (2020.04.29)ラクスの出身地との関連?
・16世紀、ビージャープル王国で編纂。聞いたことのない国。
・なぜこの国の、百科事典が選ばれた?
・ビージャープルは、15~17世紀(1490ー1686)南インドを治めていた
・首都はビージャープル
Mlpkr - 投稿者自身による作品, CC 表示-継承 3.0, リンクによる
・ラクスはインド出身。
・日本とインドの関係、インドの歴史を伝えようとした?
・日本人はインドのことをよく知らない (友情)
3-4-5 (2020.05.10) プレイベント コンセプト共有より
・16世紀の南インド書かれた「友人の命をケアするときの治療薬」が書かれる
・神々しい身体、植物、鉱物、動物、そして天使が書かれる
・『ヌジューム・アル・ウルーム(諸学の星々)』デカンの本
・16世紀のデカンの写本で「友」と見なされる多くのかたちの生命と物質
3-5(2020.03.25):「ヌジューム・アル・ウルーム[図版]」
3-5-1(2020.05.03)日曜美術館
15世紀始めに制作されたフランスのベリー公のいとも豪華なる時祷書
Limbourg brothers - 投稿者自身による作品, パブリック・ドメイン, リンクによる
・戦争や疫病などの流行に、人々は宇宙や自然との調和の中に安らぎを願う。
・季節や自然とともに暮らす日本。
・日本の特徴と言われるけど、フランスにも自然の中で生きる生活がある。
2月、 西洋絵画であまり描かれない雪景色を描いている。
2-9(2020.03.24)「翻訳不能な言葉 オンシトラ」
3-6(2020.03.24):「光に導かれてークラゲ、GFP、そして思いがけぬノーベル賞への道」
一番、なじみがありそうな話題なので、ここを一番最初に読んだ。
3-6-1 (2020.03.24) 文章の構成が理解できない
・構成を理解するのに時間を要した 最初、論文だと思ってた
・インデックス 章見出しは何?・・・やっと理解。全体が見える
⇒■これはどんな文章?(2020.06.01)(*11)
・抜粋されたものと、されなかったもの
・エッセイであることが判明(
・内容、むずかしい わからない
・わからない時は、それぞれの言葉を調べる。
・しかし、これは、そういう文章じゃないと思った。
【独学】学び方
3-6-2 (2020.03.24) 興味を持った言葉
・「質量分析でわかるのは、おおよその分子量でなく、正確な分子量」
・この言葉、気になる。どういう意味だろう?
・一つ一つのプロセスを正確に積み上げていけば、その結果は、アバウトなものではなく自ずと正確なものとなると理解した。
・確実に、地道に歩むことの重要性?【独学】
3-6-3 (2020.03.27) 質量という言葉の意味
「質量分析」に関連する専門用語が、研究者の間でも正しく理解しされておらず、使いこなされていない現状がある。研究者どおしのコミュニケーションには、共通の認識が重要で、ディスカッションには不可欠。今後の議論のために正確な理解を求めた論文。
科学の研究者の間でも、「科学的に」という言葉をどのようにとらえているかの違いがあることを思い出した。(それ、科学じゃないでしょ!と思う研究もある 医学の中でも・・・)
言葉も道具 その道具をどう使うかのすり合わせがないと話し合いはできない
⇒トリエンナーレに向けても同じことがいえる?
美術界は言葉の定義があいまいな印象を持っていた
→
・トリエンナーレに向け、参加者どおしの会話や対話を重ねるのが目的
・開催までに提供されたソース。
・しかしそれらは定義されたものではない
・各自が自由に考える
・前提条件が不確かだと、議論は成立しないと考える科学の世界
・物事のアプローチや取り組み方、思考の違いを感じるところ
3-6-4 (2020.04.17) 原爆で質量欠損 ビックバン以前全ての物質はエネルギー
参考:質量欠損
広島の原子爆弾では約0.7gの質量欠損が生じたそうです。たった0.7gであれだけの爆発エネルギーが生じたと考えるべきなのか、0.7gという可視化することができる、とてつもなく多大量の物質が消滅したと考えるべきなのか迷ってしまいます。これが、ビッグバン以前には、この世の全ての物質はエネルギーだったと考えられているそうですので、どれだけ大きなエネルギーがあったのか想像もつきません。同時にそんなことを考えられる科学者の頭というものもすごいものだと思います。
3-6-5 (2020.03.24) テレビで見た「文系vs理系の討論会」
理系が入ったとたん空気が変わった
「文系の人たちのこれまでの議論を見ていると、自分の専門ジャンルを好き勝手にただ話してるだけ。話しっぱなし。目標や着地点の設定がされていない。そんな討論は何も生まない」何を議論にするのかをまず決めないと・・・・と語った言葉が印象的だった。
物事の基本的なアプローチ、捉え方が違う。目的とする世界も違う。基本思考の違いを感じた。理系は定義思考? まず枠組みを決めてから。そして、その枠内、条件を与えて考えようとする傾向あり?学問形態がそうだから?
この場で猪子氏は、文系側に立って発言。あとで理系の方だと知る。
物事を対処する時に、相手の文化とは違うアプロ―チ法が存在していることに、お互いが意識的になる必要がある。
最初は、自分の根差した世界との違いに戸惑いや一種の拒否反応を感じた。
3-6-6 (2020.05.06) 定義のないことは語れない
前回のトリエンナーレの
興味深い質疑応答がありました。
コンピューターで「意識」はつくれますか? という質問に対する、養老氏の答え。
「意識」を持つかについては、質問があいまい。「意識」には定義がない。あるようでだれも定義できていない。そのため、自然科学の中に「意識」が入っていない。「意識」を定義するとしたら、電気なのか、磁器なのか、エネルギーなのか。それを定義しているものが意識だから。
このお答えは、非常に納得できることでした。そして自然科学を学んだ人、特有の捉え方でもあると感じました。この捉え方を理解できるかどうかに「バカの壁」が存在しているのかと・・・・ 定義できていないことを、どうやって語るんだっていうのは当たり前と思うのは、こちら側の壁にいる状態。「意識」を自然科学の中から定義しようとするのも、こちら側の意識。
人文科学には、人文科学の言葉で「意識」は定義されているのではないか? あるいは、それぞれ、語る人が考える定義で、語っている世界のような気もします。
科学は実証や再現性を求められられますが、人文は、個々がそれぞれ違う。それを語り合うという捉え方をしているのかなぁ‥‥と思いながら。
きっと、「定義がないと語れない」と考える人と「定義がなくてもそれぞれの視点で語ればいいことだろう」と考える人の間に「バカの壁」が存在していると感じている。
3-6-7 (2020.04.16) 哲学者デューイ 目的を見極める
世界の哲学者に人生相談「“行き詰まりから脱出するには”~ジョン・デューイ」大事なのは「思い込みを捨てる」… - ■NHKEテレ
目的を見極めて問題解決 vs 目的(テーマ)を作らずにさぐる
このトリエンナーレはテーマをつけることを前提としない取り組み
目的や着地点のない取り組み?
目的のないところから、発見、洞察。茂みの中に隠れているものを引き出すことを目的とする?
3-6-8 (2020.04.17) 同じ世界でも、研究室毎の文化の違いあり
臨海実習 同じ研究ジャンルにも、場に流れる文化がある。
3-6-9 (2020.03.24) 肝心のGFPの話題はどこ?‥‥やっと登場した
・これは、研究に至るプロセスの物語だったよう・・・・
⇒「ノーベル化学賞の成果となった、緑色蛍光たんぱく質(GFP)の発見までには、同じオワンクラゲからとれた発光たんぱく質のイクオリンや、それ以前に日本で取り組んだウミホタルのルシフェリンの研究が役立った。これらが成功裏に進んだのは、様々な幸運もあったし、巡り合わせが作用した
下村脩の名言格言13選│名言格言.NET(2020.03.25)
⇒プロセスの重要性 回り道
「ノーベル化学賞の成果となった、緑色蛍光たんぱく質(GFP)の発見までには、同じオワンクラゲからとれた発光たんぱく質のイクオリンや、それ以前に日本で取り組んだウミホタルのルシフェリンの研究が役立った。これらが成功裏に進んだのは、様々な幸運もあったし、巡り合わせが作用した
3-6-10 (2020.03.24) GFP
・深海魚展の時に見たような気がする…
・発光物質の専門的な解説になってきました。全くわかりません。
・これ、トリエンナーレに必要? ノーベル賞クラスの研究。
・そんなのわからなくて当然。
・途中に挟まれている章立ての意味がわかると、章の小見出しも追うようになる
・飛ばされた部分の見出しと、紹介されている内容。その違いは?
・飛ばされた部分に興味が・・・・
7.3 純粋な科学の価値・・・・私は、ここが、読みたかった。飛ばされちゃった
・次第に内容ではなく、落とされた部分の方に興味を持つ。
・残された部分は、そこに何か意味があるということ?
3-6-11 (2020.03.24) 理解をしなくてもいい 本質をさぐる(取り組む姿勢)
・最後まで読んで、これは、理解するための資料なのではないと感じた。
3-6-12 (2020.03.24) 科学とアート
・GFPによって蛍光を放つ動物が登場し光る動物をアート作品として展示
・パリの研究所で生み出されたウサギ
・一般から批判 研究所は動物の引き渡し拒否の事件 倫理的課題
・科学の進歩とアート ‥‥・バカの壁の存在
⇒風船に種を入れて飛ばすアートの是非 生態系の破壊 交雑 アートの裏にある事象の基礎知識
一度、壊してしまったら自然は取り戻せない(遺伝子レベル) 危険性の自覚はあとからでは遅い
言及しても理解されない バカの壁の存在 学びの世界の違いを痛切に感じた出来事
現代アートの危険性を感じた
⇒昨今の遺伝子工学を使ったアートへの応用 ⇒
・現代美術がどんな素材や技術を扱うのか。
⇒「芸術と科学」の展示が浮かぶ。
・常に新しいマテリアルを求め、技術を取り入れ、アートに組み込む。
・それは遺伝子までも取り込まれる
・こんなものまで、アートの素材にしていまうの?! という驚き。
・アーティストは常に新しい創作のマテリアルを探求
・科学技術も利用 科学発達すれば、その技術で作られたものが、素材となる。
・その世界が無制限に広がる。
・手法も同様で、写真などは今では、技術という認識すらなくなる。
・先端技術として送り出された時、アーティとたちは、こぞって取り入れた。
・科学が作り出したものによって、芸術の世界も大きく変革。
・そのスピードは、これまでの100年と、これからの100年では全く違うはず。
・そこに歪や問題も生まれてくることが想像される
3-6-13 (2020.03.24) 作品を「見る」ことと光の関係
・アート作品を見る。という行為は、光と切ってもきりはなせない。
・宇宙から届いた光の中から、どんな光を取り込み、反射させて網膜に映すか
・それに気付かされたのは、直島の展示。
・一般的には、太陽光によって、目に届く。
・あらたな技術により、太陽を必要としない光もある。
・自ら光る物質も発見された。
・その過程で、害のあるものも発生。
いい、悪いでなく共存が必要。
3-6-14 (2020.05.10) プレイベント コンセプト共有より
・生物学者下村脩は、生物発光という現象に照らされながら一生を研究に捧げます。
関連:
2-6(2020.03.24)「漁師のアドバイス」
2-8(2020.03.24)「有毒な光」
3-7(2020.03.25)「ソース寄稿者」
3-7-1 (2020.05.09)スヴェトラーナ・ボイム
・最後まで、読み解けなかったソース「友情のセノグラフィ」
・巻末に寄稿者プロフィールがあったことを思い出した
(1959–2015)享年56歳
・米ハーヴァード大学スラブ語と比較文学の教授
・メディア・アーティスト、脚本家、小説家
・ハーヴァード大学デザイン大学院ファカルティ・アソシエイト。
・主に「オフ・モダン」の理論構築の研究に力を注ぐ。
友情、特にジェンダー、年齢、文化、信念、世代、気質の異なる人の間に生まれるそれをめぐる思想と理想に、知的・感情的に、また情熱的に関わってきたことで知られている。
・寄稿者の横顔に、自分の知っているワードがあると、そこから興味へ。
・ 研究テーマがわかると、それを軸にして読むと見えてくる。
・比較文学 スラブ 気質の異なる人を対称に研究
4■(2020.03.25)ソースブックのキーワード
エピソード00 のイベントが行われたあと、ディレクターメッセージが寄せられました。その中で、ソースブックのキーワードのミリューについて語られました。
ソースブックには、以下の7つのキーワードを持つミリュー(⇒*12)の構成が含まれるといいます。
“『ソースブック』には、以下のようなキーワードをもつミリューの構成が含まれています。ケア、毒性、独学、友情、光輝、こだわり、発光――それらすべては一体となって、現在の意味を現在の中に与えてゆきます。”
引用:エピソード00 プレイベントにおけるコメント - ヨコハマトリエンナーレ2020「AFTERGLOW―光の破片をつかまえる」-横浜トリエンナーレ
7つのキーワードが加わりました。同じものを感覚で分けてみました。
「ケア」「毒性」
「独学」「こだわり」「友情」
「光輝」「発光」
【7つのキーワード】(2020.04.15)
新たに加わった7つのキーワード(赤字)と、9つの「ソースの共有」を並べ、同じようなグループにまとめてみました。
「毒性」「ホワイトノイズ」「有毒な光」
「光輝」「発光」「ルミナス・ケア」「明滅する光」
「分離」「茂み」
「独学」「反百科事典」
「友情」「ケア」「漁師のアドバイス」
「翻訳不能な言葉オントシラ」
「こだわり」
マインドマップをテキストベースで作ることができるText2MindMapがみつかりました。(マインドマップを簡単に作成できるツールがないか探していてやっとみつけたもの。思考の流れや変化をそのまま投影できて便利。)まとめると‥‥(赤字のキーワードには★印)
さらにソースブックに収録されたストーリー毎に、キーワードをあてはめると・・・
キーワードは、それぞれのストーリーに横断的、重層的に存在していることが判ります。ソースを読み込むと、深いところでキーワードは重なっていることが見えてきました。(こちらはツリー構造にして、共通ワードを軸でそろえ、構造化すると、全体の流れがわかりやすくなりそう。もしかすると、それぞれのストーリーに、全てのキーワードがあてはまってきそうな予感)
このような関係性を頭におきながら、新たに提示された7つのワードから連想されたこと。また、今、コロナという大きな社会の問題を、「毒」ととらえ、「毒」というものをどのようにとらえるかなど広げて考えてみました。
(2020.05.09)互いに引出し引き入れあい分岐し収束する線を震わせる
トリエンナーレは、ひとつに統合されたものとして簡単に検索できるようなものなどではなく、複数の複数の複雑性(コンプレクシティーズ)で構成されるものです。それらは互いを引き出し引き入れあっては、分岐し収束する線を震わせます。『ソースブック』はこの見方を表明し、キュレーションの枠組みの自覚として記録します。ひとつのソースは別のソースへの扉をあけ、それはまた次の扉へ、次の扉へとつながっていくのです。
引用:エピソード00 プレイベントにおけるコメント - ヨコハマトリエンナーレ2020「AFTERGLOW―光の破片をつかまえる」-横浜トリエンナーレ
第3部 コンセプトの共有よりナルラの言葉
(2020.05.22)
5つのソースから導き出された「独学」「自ら発光する」そこに伴う「毒性」「友情」「ケア」というKWを導き出し、作家たちが自分の作品として応答する展覧会を企画。
4-1(2020.04.15)「ケア」互いに慈しむ
4-1-1(2020.04.15)毒とケア
・毒がもたらされてた時に、いかにケアをしていくのか
4-1-2(2020.04.22)日曜美術館 疫病を超えて
・まさにタイムリーな美術番組
・毒(疫病)をいかに美術でケアしてきたか
・日本人は、疫病とは戦わない付き合い方を身に付けてきた
・未知の病を鬼(毒)とみなし見える化し、怖くもありユーモラスに描く
・見えないものをイメージとして理解することで恐怖を除く
・そこに日本人が元来持っているユーモアセンスをプラスし笑って吹き飛ばす
・祈りによって救われるというストーリーを描く
・起承転結の「結」が終結を意味
・美しいものを捧げれば救われる
・「疱瘡絵」のような祈りは、今の時代もアマビエという形で現れる
⇒神札が「松江の唯一の防火設備」と語った八雲を思い浮かべた
・過去の美術は災害や疫病に対して、その心のケアをどうするかというのを重要視していたといいます。
・祈りが形に、恐れが形としてあらわされることの安心感。このことを過去の美術から考える
KW:毒 ケア
【日曜美術館】疫病をこえて①【美術館番組まとめ】 | masaya's ART PRESS
【美術館番組まとめ】西洋美術から知る疫病との向き合い方 | masaya's ART PRESS
今のコロナの問題は、トリエンナーレのキーワードに挙げられた「毒」と「ケア」のキーワードそのもの。しかし、その問題を果たして、美術は解決できたり、はたらきかけたりできるものなのかと思ってました。
そんな折の番組は、日本の自然や災害との共存の在り方と同様、病に対しても、抗わず受け入れながら、それが過ぎたあと教訓として残し、次の世代に引き継いでいる。
護符というものが、現代の技術に乗って拡散していく様子は、人の中にある本質的なこと、願い、祈りのようなものは変わっていないことが伺えます。
八雲が日本にやってきた明治期、神札を不思議がったように、西洋にはそのような習慣がないのでしょうか?
癒し方、癒された方の違い?
4-1-3(2020.04.22)NHKスペシャル「ヒグマと老漁師~世界遺産・知床を生きる~」 - NHK
野生のヒグマを叱って追い払う老漁師。ヒグマと共存していく術を身に付ける。
「こら!」と腹の底から怒鳴る。こちらが強いことを、知らしめる。母熊といる子熊に教え込む。半世紀、襲われることなく共存してきた。
ユネスコの調査団は、その付き合い方に驚く。ありえない。
人と動物は一定の距離を置くもの。
日本人は古くから、自然や動物と共存し生きてきた社会。一方、自然は、コントロールするもの。人の支配下にあると考える西洋の捉え方にギャップを感じた。文化、価値観の違い。大きな動物も、小さな見えない生き物とも、共存することを常に模索してきた歴史。理解はされるのか・・・・
4-1-4(2020.04.22)
コロナへの緊急提言 データ解析の専門家、対策班から危機感を直接伝える試み
一方、心の専門家から。伝え方、言葉の選び方によっても、人の行動は変わる。
〇〇しなさい 〇〇してはダメ 禁止ばかりではない言い方の模索
伝え方というのもケアなのかも‥‥
メッセージの出し方に注意しなければいけない。個人の行動変容は禁止のメッセージではなく、インセンティブによって起こる。私たち一人一人の行動を変えていくことで、人の命を救うことができる。そういったポジティブな未来のイメージに働きかけて、国民全員にメッセージを伝えていく必要があると思う」
引用:緊急事態宣言・いま何が起きているのか NHK総合【NHKスペシャル】|JCCテレビすべて
4-2(2020.04.15)「毒性」否応なく存在する毒と共存する
4-2-1 (2020.04.15)毒=ウィルス
・コロナが問うわれわれの社会への問題提起
・今回の展覧会への大きな問題提起でもある
・難題にいかに立ちむかうか
・この展覧会にもテーマを投げかけている。
・美術展の在り方
・世界が直面する問題
4-2-2(2020.04.22)私たちができること 意識を変える 見方を変える
未知のものへの正しい理解 わかっていること わからないこと
・現状を正しく理解する
・専門家もいろいろ 現場にいる人 いない人
・検査の一つ一つのプロセスを知る
・安全のためにスタッフがしていること
・情報に惑わされない 肩書に惑わされない
・自分でも学び、調べ、理解して判断する【独学】
4-2-3(2020.05.25)コロナ=毒
・今をとりまく大きな社会的な問題、コロナ
・この展覧会のキーワード「毒」に相当し、その問題を語ることは「茂み」に置き換えられる
・コロナの問題を「毒」ととらえ、それらの情報をどのように受け止め、どう考えるか。
・議論の茂み・・・・それぞれの立場と目的の違い ⇒(*13)
4-3(2020.04.15)「独学」たくましく学ぶ
・初めてのことにエビデンスはない
4-4(2020.04.15)「こだわり」⇒カット?
・それぞれの立場のこだわり プラスにもマイナスにも働く
・社会vs科学
4-5(2020.04.15)「友情」光の中で友情を育む
4-5-1(2020.04.15)マスクの譲り合い
4-5-2(2020.04.18)仲間に支えられる
・検査技師 臨床検査技師の(⇒*14)先輩からお手紙と小包が届いた。定年退職のご挨拶とマスクだった
・退職後、引き続き保健所で働くとのこと。その使命感に頭が下がる
・そんな状況の中、貴重なマスクを送っていただいた
・技師としてここまで働けたのは、技師の心構えを教えて下さった「〇〇(前の職場)」とそこで出会った人たちのおかげと綴られていた。
・PCR検査について伺った。やはり付け焼刃でできる検査ではない。
・知識は正しく使われなければいけない。そして、技術も同様。
・またそれらを生かす社会の仕組みの整備も必要
・「毒」に向かい戦う人、それを支える人、その仲間たち⇒
(*15)■4-5-2(2020.04.18)同時代における社会情勢や問題
(*16)■4-5-2(2020.05.10)研究室に検査を
(*17)■4-5-2 (2020.05.12)検体採取を増やしても検査はどうなる?
(*18)■4-5-2 (2020.04.18)なぜ日本は検査が少ないのか?
(*19)■4-5-2(2020.04.18)正しい知識
(*20)■4-5-2(2020.04.18)専門家は正しいのか?
(*21)■4-5-2(2020.04.18)友情 仲間
4-5-3(2020.04.20)共に語る
同じ興味を持つ友人と語る。ちょっとした会話がヒント、きっかけに。現代美術に関わる人は、みんな「あほうだんす」と言われたら理解できるのだろうか。「あほうだんす」について書かれていた内容を聞く。
概要を聞いてもわけわからない。これは、理解できなくてもいいと悟る。
いろいろな哲学者が登場。八雲、フェノロサ、スペンサーなどのつながりから、少しずつ哲学者の名前を知る。知ってる人がいるかも・・・・ ⇒まだいない でも、そのうちお目にかかれるはず。
4-6(2020.04.15)「光輝」⇒「発光」に統合?
4-6-1 (2020.04.15) 人が輝く
・問題を乗り越えた先にある輝き
4-6-2 (2020.04.16) 輝く光の種類 原理 輝き方
・輝き方はいろいろ
・自ら発光 反射して発光
・アーティストも輝く 見る人も輝く
・お互いが反射したり、自発発光したり
4-7(2020.04.15)「発光」学んで世界へと光を送る
4-8(2020.06.03)キーワード7つから5つへ
7月17日 開幕より
【5つのキーワード】
・「独学」たくましく学ぶ
・「発光」学んで世界へと光を送る
・「友情」光の中で友情を育む
・「ケア」互いに慈しむ
・「毒」否応なく存在する毒と共存する
KWは5つになったもよう
「光輝」⇒「発光」と統合
「こだわり」⇒カット
https://prtimes.jp/a/?c=13670&r=625&f=d13670-625-pdf-0.pdf
■ソースブックとキーワード
最初はつかみどころがなかったソースブックとキーワードでしたが、行きつ戻りつしながら、すこしずつつながり出してきました。キーワードが本題とは関係のない方向への寄り道も、無意味なことはなく、どこかでつながっているという確信が持てました。
それは過去の学びでも、理解していたことでした。なぜか、現代美術は別もので、繋がりが遮断された芸術だと思ってきました。
今回、このプロジェクトを通して、同じようにつながっていることがわかったことが大きな収穫。
コロナの自粛が、この先も続くと思われる状況の中、この展覧会がどうなるのか。社会問題にアプローチするという現代美術。歴史あるヨコハマトリエンナーレがこのイベントに対してどのような答えを出すのか楽しみです。
中止になったとしても、考え続けること。独学を続けること。それが、現代美術にアプローチできる、地道な近道だということがわかりました。
KWを色分け。事象の中に含まれているKW、奥の方に隠れているKWも、色分けによって浮かび上がらせることができる。色を追えば関連性も見える。
(PCR検査の基礎 核酸の塩基配列 名称は必要なく色で表せば伝わるがヒント)
*ソースのキーワードを色分けして表示
独学・・・青
光・・・・・橙「残光」「光輝」「発光」「明滅する光」・・・・橙
他‥‥赤
〇(2020.06.03)PRタイム プレスリリース情報
https://prtimes.jp/a/?c=13670&r=625&f=d13670-625-pdf-0.pdf
KWは5つになったもよう
【5つのキーワード】
・「独学」たくましく学ぶ
・「発光」学んで世界へと光を送る
・「友情」光の中で友情を育む
・「ケア」互いに慈しむ
・「毒」否応なく存在する毒と共存する
■関連
■補足 注釈
*1:■ラクスのキュレーションについて (2020.04.28)
⇒ソースは、ラクスが手掛ける企画全般の共通点を意味するのでしょうか?
⇒これまでどんな企画にたずさわり、どんなキュレーションをされたのか?
⇒他の展覧会では、どのようなソースを選び、そのあとは共に語り、思考するための素材にするというところが落としどころとなるのか?
◎ラクスのこれまでのキュレーションについて調べると
⇒ネット情報は、ヨコトリに関するものが中心(画像検索も同様)
⇒wikiphedhiaへの記載がない
(賛否のある情報元だが、掲載されることは、世間一般の認知度を示す指標)
⇒掲載がないということは、ごく限られた世界の人という認識となる。
⇒世間一般の認知度は低いという認識に変わった。
ニューデリー生まれの3名によるアーティスト集団で、ジャミア・ミリア・イスラミア大学(ニューデリー)のマス・コミュニケーション修士課程の同窓生だそう。
現代美術は同時代性がテーマであるという。インターネット情報もまた利便性を考慮し、同時代性が優先され選択的に表示される。便利な反面、偏りも生む。知りたいことを知る機会を削いでしまう。
◎キュレーションをした展覧会
〇2018-19年:(バルセロナ現代美術館[MACBA]、スペイン・バルセロナ、)
「In the Open or in Stealth-The Unruly Presence of an Intimate Future」
〇2016-17年:第11回上海ビエンナーレ
「Why Not Ask Again: Arguments, Counter-arguments, and Stories」
〇2014年:(インディラ・ガンジー国立芸術センター、インド・ニューデリー)INSERT2014
〇2012-13年:「Sarai Reader 09」 (デヴィ美術財団、インド・グルグラム)
〇2008年:マニフェスタ7「The Rest of Now」(イタリア・ボルツァーノ)
⇒それぞれの展覧会のコンセプトから、どのような手法を用いたのか、確認しようとしたが、すぐにはわからない。
◎「アーティスティック・ディレクターの選考にあたって」
選考にあたって選考委員会 委員長 浅田彰氏のコメント
アーティスティック・ディレクターの選考にあたって
ラクスの提案でポイントとなったのは、ドゥルーズ&ガタリの思想を語る横浜の日雇い労働者に密着したイギリス人人類学者のルポルタージュなどをソースとしたこと。それを元に参加者が次々に連想の網を広げていくという方法の独自性も評価。
さらに、これまでの展覧会経験と、状況に応じた柔軟な対応能力は、横浜ならではのトリエンナーレを実現できるという期待。
*2:■情報の氾濫(2020.05.13)
2001年から20年の時間の広がりは、情報の氾濫の側面も持つ。その間に消えたデータを供養する儀式が日本の仏教僧によって行われた。エピソード00「ソースの共有」. コメント全文テキスト(第1部)
(2020.05.16)この話題は、パフォーマンス「畏怖/If」 田村友一郎の作品へとつながっていた。⇒12-17(2020.05.16)作品が伝えること その背景
*3:■「国際展をキュレーションすること」のまとめ(2020.06.19)
第2回目「国際展をキュレーションすること」(2019年2月20日開催)
「横浜美術館×横浜トリエンナーレ組織委員会 共催企画 美術館と国際展を巡る連続講座」のまとめとしてヨコトリ2020HPに掲載。 ⇒ 10-0(2019.11.08)「国際展をキュレーションすること」のまとめ
ラスクの過去のキュレーションは、どのようなものだったのか調べてみたけど、下記の情報ぐらいにしかたどり着けなかった⇒ラクス・メディア・コレクティヴの「キュレーション」――ヨコハマトリエンナーレ2020へ向けて | 創造都市横浜
HPのトップページWHAT'S NEWのリストからは、隠れてしまった古い情報の中に潜んでいた。⇒情報を探すということについて
*4:■比較文学とは? 知らない世界へ導かれるきっかけは?(2020.05.08)
・この学科の人たちは何を学んでいるのか謎 ずっと謎のまま数十年が経過
・なんでそんな学問に興味を持ったのか不思議?
・どうやってそんなジャンルを知るのか? どうやって学校をみつけるのか?
・未知の世界は謎だらけ。
・文学の何をどう比較するのか?
・聞いてみたところでどうせわからないから聞かない。
・そもそも、それ以上知りたいとも思わなかった。
・美術史、歴史に触れ、文化の違いが見えてきた
・あの時、謎だった比較文学の世界が、少しわかりかけていたところ
・このソースの寄稿者はスラブ語の比較文学の教授
・スラブ語は、国や言語、文化について、日本と比較して考えるきっかけとなった言葉
・比較文化ってこういうことかな?と感じたきっかけがミュシャ展のスラブ語
⇒■民族のアイデンティティーとは何か?
*5:■理論家について(2020.05.08)
〇理論家(リロンカ)とは - コトバンク
〇Category:理論家 - Wikipedia
↑ 理論家別にカテゴライズされてる
その世界の「知」を論理的、系統的にまとめることができる人のこと?
専門領域なので、未知の世界は、理論的にまとまっているのかすらわからない
未知の学問の論理という概念が、わからない。
理論家がカテゴライズされ、看護の世界も理論家としてカテゴライズされていた
看護には、看護理論はあるけども、検査には検査理論はなかった 検査「概論」
看護にはナイチンゲール誓詞、医学ににはヒポクラテス誓詞というよりどころがある
しかし、検査にはない 医学の進歩で枝別れした新しい領域
何をよりどころにしていくのかということもこれからの課題という話が最初にあった
理論として独立した体系にまでまだ昇華されていないということか?後発の学問であることに通じる?
*6:■思考の共通性が見えた動画 友達とは?(2020.05.13)
何気ない会話でも、定義思考が出てしまうことを感じた動画
ヨビノリたくみさんの動画で自由研究について語っている部分(10:00~ )
たくみさんが、小学校時代に参加したサイエンスキャンプで、統計、データをとるという概念に触れた。それを使ってみたくなくなり自由研究を行う。テーマは「円周率を覚えている桁数と友人の数に相関はあるのか?」学校中、聞きまくる。その結果、明らかな負の相関があることがわかったという話。
それを聞いていた須貝さん(quizknock)の、どういう関係を友達と設定するか?ということに触れていたことが面白かった。日常から、定義から考える習慣が染みついている様子が伺えました。
*7:■研究手法の違い (2020.05.13)
もし、友情というテーマに研究をするとしたら、友情には「〇〇」「〇〇」「〇〇」「〇〇」という要素があると考えられる(仮説)その上で、様々なケースを事例に上げながら、カテゴライズし、そこに共通性を見出して一般化、さらに総体として友情とは?という流れで、セオリーのようなものを導き出そうと、私だったら考えると思った。
実験ができない部分を、統計を裏付けとして考えようとします。そのためか、このソースを見ていて、事例が少なすぎない? というより、単発例を持って、そこから引き出したことが結論でいいのか?という感想を思っていました。
客観的に、誰もがそれ、あるあるのような結果を導き出すのではなく、個人の見解を結論にしている。そんなことを感じていました。
*8:■研究対象の違い(2020.05.13)
ところが、人文科学について改めて調べたら、研究対象が「人間、人為の所作」だということがわかりました。
向かっている方向が違うし、研究対象が、そもそも違うこと。自然科学で「友情」は絶対に研究対象にはならないこと。そんな齟齬と、哲学的、観念的に感じられる言葉でわかりにくいことが、最後まで、このソースに取り組めない理由だったのかのかと思われました。
友情とは、真の自己、ダイモンとの対話という結論。結局、それは、何?と思ってしまい、よくわからないのだということがわかりました。
研究手法に加え、今回は、研究する対象が違っていたということが、見えました。
価値が人によって変わるということが、なかなか理解できなかったことにも通じます。
モノの見え方に関する研究についても・・・・
*9:■人文科学の学問分野相関図(2020.05.13)
引用:人文科学系統 | 学問内容リサーチ | 逆引き大学辞典
*10:■美術展示と考古学展示の違い(2020.05.13)
美術鑑賞をするようになり、縄文や弥生時代の考古学展示も見るようになって感じていたこと。
量で見せている印象がある考古学展示。これでもかと展示されてもお腹がいっぱい。それよりも、一つ一つの土器の美しさにスポットをあてて、表情を見せてくれた方が面白いと思うんだけどな‥‥
ところが、美術展示と考古学の展示は違うことを知った。
考古学とは、膨大なものを整理して、秩序立てるための形式学で、1つだけあっても考古学の意味がなさないといいます。
検出される考古資料は膨大な数量におよぶが、個々の資料には相互に同質的な部分と異質の要素があり、それをさぐりだし、検討を加えることによって、これらの人工物をつくり、それを残した人間活動のありようとその時間的・空間的な広がりを推しはかる必要がある(wikipedhiaより)
1点の美しさを評価するのは、美術史的評価で美術品の扱い。考古学は、出土品がグループで存在し、ある地域にまとまって出土することから、暮らしなどを読み解く世界。一つの美しさを見せても意味がない。
かつて岡本太郎が、縄文土器の美しさに着目した時、考古学者との目線の違いが取り上げられました。
岡本太郎と考古学者のエピソード
太郎が考古学者に頼んで撮影させてもらった土器の写真。それを出土地など間違いがないか確認に行きました。ところが、考古学者は自分たちの土器ではないと言ったそうです。太郎の写真の切り抜き方と考古学者のとらえ方が明らかに違っていたから。考古学者は「なるほどね。写真が芸術的すぎるから‥‥」自分たちがいつも見ている土器と違うように見えてしまったのでした。
この時、考古学者は、土器が持つ芸術性になぜ目が向けられなかったのだろうと思っていました。しかし、目指している方向性が、全く違うのだということが、やっと理解できました。
考古学者とは、違う視線を送る岡本太郎。素晴らしいと思ってしまいましたが、考古学者は一つ一つを見ているのではなく、量が存在することによって見えることに着目していたことを知りました。
そして、科学のアプロ―チそのものであることも知りました。
*11:■これはどんな文章?(2020.06.01)
当初、論文として読んでいるたため、こんな構成あり? 章タイトルに、枝番のサブ見出し。論文の書き方ではないし、タイトルも論文ぽくない。11章まである。長い・・・・
そのあたりで、冒頭に書かれていた目次を読み飛ばしていたことがわかった。
目次
献呈の辞 ⅴ
序文 ⅶプロローグ 1
第1章 幼少期:満州、佐世保、そして開戦 5
1.1 福知山から佐世保へ 5
1.2 下村家の家風 8
1.3 満州にて 12
1.4 佐世保再び 15
1.5 大阪にて 20
どうやら読み物らしい。
これは、いったい誰に向け書かれた文章? どこで発表されたもの? 調べてみたけど、わからない。
下村氏の著書に『光るクラゲがノーベル賞をとった理由―蛍光タンパク質GFPの発見物語』があり、そこからの抜粋、要約か・・・・
あるいは、専門誌にノーベル賞受賞記念として頼まれた、エッセーのようなものだと理解した。それにしても、ノーベル賞受賞者が寄稿した文章。調べても、トリエンナーレ関係しかみつからないといという不思議。
ヨコトリ2020のソースは、ネットで簡単に調べることができないようなものが選ばれているというが、ここまで拾えないというのも謎・・・・
と思っていたら、英文で発表された自伝らしいことが判明
改めてソースを読み返した。出典が記載されていた。
下記文献から抜粋・翻訳し、レイアウトした。
Osamu Shimomura, Sachi Shimomura, John H Brinegar,
Luminous Pursuit: Jellyfish, GFP, and the Unforeseen
Path to the Nobel Prize (Singapore: World Scientific Publishing, 2017).
レイアウト:ラクス・メディア・コレクティヴ
翻訳:鴻知佳子
ノーベル章受賞者が系統的に、11章にも渡って書いた文章。その元ネタが見つからないという違和感。この文章は何のために、誰に書いたのか。なぜ埋もれてみつからないのか。そんなことを同時に考えていた気がする。
個人的な記録? ごく限られた人たちに向けて、限定的に配られたもの? ニュースレターや、祝賀会の配布物とか? トリエンナーレのための書下ろし?(←それはないと思いながら) 今の時代に「高名なノーベル賞受賞者の著作が、インターネット上で。オリジナルを確認できない」ということが、何のための文章なのかを把握しきれず、すっきりしない感じをずっと持っていた。この文章は本当に存在しているのか? とまで考えていた。
一次情報はどこにあるのか・・・・ それを確認する習慣はついているようだ。
*12:■ミリュー 「中間」「環境」を意味するフランス語。芸術現象を地理的・空間的方向において外部から規定する環境的因子をさす。ミリュー説の主唱者イポリット・テーヌの実証主義的,決定論的見解によれば,ミリューは「人種」 race,「時代」 momentとともに,芸術をも含めたもろもろの文化的事象を決定する基本的精神状態をつくりだす源泉の一つである。ミリュー説の先駆をなす思想として 18世紀のデュボス,19世紀初期のスタール夫人をあげることができる。
*13:■立場の違い
■仕組と法律
・行政検査という仕組みと法
・コロナの検査は当初、保健所と言われたがピンとこない
・保健所に検査室はあるのか PCR検査をおこなっていたのかという疑問
・検査技師の就職先として、保健所という話を聞いたことがなかった
・保健所と検査技師の業務 ⇒http://congress.jamt.or.jp/j67/pdf/general/0466.pdf
・保健所が担う検査業務の違い 法律
https://www.rnaj.org/component/k2/item/798-masutomi-1
「臨床検査技師」と正しく言おう~新型コロナと向き合う重要な人たちに心からの支援を(榎木英介) - 個人 - Yahoo!ニュース
病理医の先生からの提言。「臨床検査技師と正しく言おう」と言われてハッとしました。安倍首相の声明で、臨床検査技師と正しく呼称されたことに、確かに驚きがありました。常々、検査技師だろうが、臨床検査技師だろうが、一般の方には変わらないし、そもそも知ってる人すらいないだろうから・・・・ そこにわざわざ正し呼称を使うのは、妙な主張をしているような気がして、あえて避けた。そんな心の内がありました。たまに正確な名称でこの仕事のことを語る人がいると、「臨床検査技師」なんて知ってました?と驚いていました。認知度の低い、裏方仕事と、自らそういう認識をずっと持ってきたことに気づかされました。
認知度の低さと、業務独占のない仕事であることが、影響していることは確か。看護師と業務に関する内容に、見えないヒエラルキーが存在していることを感させられてきたのだと思います。これは、ある部分で、ヨコトリ2020のキーワード「分離」(←2-3「分離」階級としての分離)に通じる社会構造の問題でもあるかも?ここには、仕事の成り立ちと、医療技術の急激な進歩など社会背景も潜んでいる?新たに生まれる技術を、誰が担うか。いかに独占業務にできるか。そこには政治的な力もかかわってくると言われており、検査の業界は、それが弱かったとも言われています。一般社団法人日本臨床衛生検査技師会の会長が、自民党の参議院議員であることを知った。
*15:■4-5-2 (2020.04.18)同時代における社会情勢や問題
〇検査はどこが担っている?
・今、この時、問題として投げかけている「毒」 コロナウイルス
・私が現場にいた時には、PCR検査はなかった
・特殊検査? どこでやってるのか?
・特殊検査を得意とする大手検査センターが担ってきたのだろう
最大手の検査センター
遺伝子検査へも積極的に取り組んでいます。
1984年にB型肝炎ウイルスの遺伝子検査を受託開始して以来、大学・大学病院から研究検査としての各種遺伝子検査の受託や、様々な研究機関と共同研究を行っています。
これでやっと全貌がみえた。
・今は、保健所などの微生物検査室が担い、民間でも行われるように
(そもそも各保健所に検査室ってあったけ?)
〇保険適用がされていないと
・保険医療として認められなければ、導入ができない
・保険適用が決まり(3月から)動き始めた
・しかし、一般的な検査室では対応ができない ドラフト設備が必要
・技術も要する。正確なピペッティング (トレーニングが必要)
⇒https://www.jstage.jst.go.jp/article/jamt/67/1/67_17-80/_pdf
スポットへ正確に分注する技術(コンタミ防止)
〇誰が検査する?
・専門外の検査技師では、すぐに対応はできないと思う
(病理、細胞診、生理機能など検査のジャンルはいろいろ
それぞれの技術が違う)
・だれにでもできる検査だという指摘もある
・それは研究室レベルでの話で、生命科学研究の現場にいる人たちは・・・・という意味かと思われます。
・日々、研究のため、試料のサンプリングに慣れた人達が集う環境なので、うちの研究室でもすぐにできるという発言になるのかと・・・・
〇神奈川県医師会が、「不安をあおるメディア」に投げかける疑問 「医療現場の現実を、知ってもらいたいのです」: J-CAST ニュース【全文表示】
〇なぜワイドショーは解説しないのか? 「PCR検査をどんどん増やせ」という主張が軽率すぎる理由
検査を増やせと言っている方は、研究室側の方。現場との温度差があるように感じる。都は検査数を増やす体制を整えたという。検査に携わる人も。増やして30人と聞いた。
様々に飛びかう情報の取捨選択 自分の選択が正しいのかはわかりませんが・・・
*16:■4-5-2(2020.05.10)研究室に検査を
安倍首相に山中伸弥氏「今の100倍PCR能力を」 - 社会 : 日刊スポーツ
・中山教授は、大学などの施設も活用したPCR検査の必要性を説く
・他の検査方法の早期導入も並行して
・現在、研究室にはPCR検査の機械が30台あるという
・各大学の施設を活用などで、検査数を増やせる
・大学の研究室で・・・という話題が出た時、臨床検体と、実験試料は違うといった声を目にした
・業務独占ではないが、業務上の縄張り的なものがある?
・医療職は、業務を開かないイメージあり
・介護福祉士制度の時も、患者を起こすことができるのは看護師の資格が必要
・喀痰の吸引や経管栄養を介護士に認めるかで大きな論争に
・仕事の分割 ヒエラルキー が存在してる?
・研究室にも任せるという発想がなかったかも(検査・医療機関ではない)
・行政は自分の管轄下の中で行いたいという意識あり?
・大学で検査を行うためにはシステムが必要?
・保険請求の問題?
*17:■4-5-2(2020.05.12)検体採取を増やしても検査はどうなる?
PCR検体の採取場所を増やし、採取方法もドライブスルーを利用、採取も歯科医師も可能にと報道。しかし、それを検査する体制はどうなっているのか?
検査をする技師には専門性と熟練が必要
マイクロリットル単位で何種類もの試薬を順番を間違えずに加えるという根気と技術力の必要な仕事だ。キャラクターの問題もある。私は長く見てきているし、部下を適材適所で配属しなければならない立場なので、向いている人と向いていない人の違いがわかる。(略)その技術を持つ人の養成は一朝一夕にはいかない。
検査を増やす体制を整えても、それを検査する技師の確保は? トレーニングは? 新たな検査方法の導入も叫ばれている。
技師の確保について技師会の募集要項などを見ていた。OB OGへの声かけ、微生物検査経験者という条件。大学院などでPCR経験者、などの条件が提示されていた。
しかし、そこには表にはでにくい、上記でも指摘されているキャラクターの問題が潜んでいることは、身に染みて理解できる。向き不向き、手先の器用さなど、現場レベルの適正があることは、どの世界でも同じことかと。そもそも微生物検査の経験がない検査技師には難しい。離職して何年もたつ検査技師が、即戦力で働けるものなのか?PCRは新しい検査。実習経験のある人、ない人・・・・
テレビのコメンテーターになっている医師たちが、「(簡単ですよとは言わないまでも)私も研究で何百回となくやりましたが」とか、「人をかき集めて訓練すればできますよ」などと言っているのを聞いて、正直、腹が立ちますね(略)
自分の研究のために大した時間の制約なくやっている先生たちと現場の技師の置かれている状況は違う。現場には次から次へと検体が送られてきて時間に追われて、かつ、失敗が許されないという緊張を強いられながら仕事している。
臨床と研究の意識の違いの声は、初期段階にも目にしました。もしかするとその裏に縄張り的な意識もあったり?と感じたりもしましたが、やはり、研究と臨床の業務では違うということはありそうです。
似たような例として、アダチ版画に入ってきた版画を選考していた美大生。入社して、摺りを担当。学生時代、自分のペースで、5~6枚摺るのと、販売品として時間に追われながら、摺りの技術を保ち、効率が求められるのとでは、全く違うと話していたことに通じるかと。
*18:■4-5-2 なぜ日本は検査が少ないのか?(2020.04.18)
関連:日本はなぜ検査数が少ない? 新型コロナ「PCR検査」の疑問を医師に聞く - 身近でやさしい医療メディア
・保険医療として認められていない検査だったから?
・保険適用がなければ検査項目として導入はされない
・研究室レベル、あるいは、研究室との共同で行っていた検査
・3月から保険適用が決まりやっと保健所など公的機関で検査・・・・ そして民間へ
・試薬の供給準備
・背景にはシステムの問題も?⇒ 社会の仕組みの改善も必要?
・保険が適用になることの意味 裏にあること
・保険で認められた検査でなければ、導入もしない 検査できる人も育たない。
(・トラブル時の補償問題かと思っていたが、医療費の増大も背景にある? )
・抗体検査も臨床に使える精度などの検討に加え、同様の問題あり
・知識や技術は正しく使われなければいけない。・・・仕組みの整備とともに
〇検査の信頼性
・出した結果に対する信頼性の維持
・すべてが陽性となりコンタミの疑いで再検査のニュースがあった
・どうして判明したのか?
・全体の陽性率に、数字は反映されないはず。
・個々のグループ別に陽性率を見ているのか?
・ 精度管理、マイナスコントロールがとられている?
・研究材料と検体
・データを読み解く目 知識が適正に活用される
⇔7-4(2020.03.25):「占星術百科事典『ニュジューム・アル・ウルーム』の著者と意義について」
・適正に使われるためには、社会の仕組みの問題もある
*19:■4-5-2 (2020.04.18)正しい知識
・PCR検査は、コロナに特異的な検査方法だと思っていた。
・「核酸増幅法」のことで、病原体のDNAを増幅させることで検出する「検査方法」全般を意味している
PCR検査とは
微量の検体を高感度で検出する手法で、Polymerase Chain Reaction(ポリメラーゼ連鎖反応)の頭文字をとってPCRと呼ばれています。
クラミジアやウイルスといった顕微鏡では見ることのできない病原体の有無を調べる検査です。病原体のDNAを増幅させることによって検出する検査方法であるので、確実な診断が下せます。
検査で分かる病気
引用:PCR検査について|五本木クリニック(泌尿器科・皮膚科・内科・美容皮膚科・美容外科)|東京目黒区
PCRは、コロナに対する特異的な検査を意味していたわけではなく、目的の病原体を検出するための検査方法のこと。プライマーといわれるものを変えることで、他の遺伝子も検出できる「方法」「原理」
*言葉を分解 略語は原語を確認 それぞれの意味がわかると理解につながる
PCR=ポリメラーゼ チェーン リアクション
この図の意味が、さっぱりわからなかった。やっと概要がわかった気がする。
Enzoklop - 投稿者自身による作品, CC 表示-継承 3.0, リンクによる
諸外国と検査のスッテプが違うらしい。
PCR検査を理解するための基礎知識
(核酸の塩基、色で表せば、知識がなくても概要がつかめる 表現方法)
*20:■4-5-2(2020.04.18)専門家は正しいのか?
⇒それほど専門家ではない専門家がテレビに出ている件
*21:■4-5-2 友情 仲間(2020.04.18)
うちで踊ろう 首相の動画。誰が撮影し、誰がアップしたのか。本人自ら? 側近は、チェックしていないのか。進言しないのか。
クルーズ船のツイートも同様。状況を判断し、サジェッションする人がいない悲しさ。取り巻きの無能ぶり。YESマンばかり? 人に恵まれていない。
東日本大震災 メルトダウン 情報隠蔽 正しい情報が伝えられなかった前歴
自ら判断できるよう、知識を持つ、その社会背景も含めて・・・
行政の情報だからといって、正しいわけではない
⇒クルーズ船内の分離。なぜしないと思ってましたが、しない、できない理由があったことを神奈川医師会の提言から知った。しても意味のない状況になっていたこと。
自分側からしか、ものを見ない。東日本大震災の時も、ブルーインパルスの水没。なぜ、津波の前に飛ばさないと非難。そこには飛ばせない理由があった。そんな事情もわからず、人は見えている現象だけしか見ていない。