ヨコハマトリエンナーレ2020の映像作品のうち、横浜美術館で上映されているもの全てを鑑賞しました。それぞれの作品を見た雑感を紹介。
ローザ・バルバ 《地球に身を傾ける》
*この記事は、下記より、 鑑賞後に追記した雑感部分を抜粋しまとめました。
- ■新井卓《千の女と旧陸軍被服支廠のためのアンチ・モニュメント》 (2020.09.18)
- ■レボハング・ハンイェ
- ■岩間朝子《貝塚》(2020.09.13)
- ■飯山由貴《海の観音さまに会いにいく》(2020.09.17)
- ■飯山由貴《オールド ロング ステイ》(2020.10.19)
- ■チェン・ズ(陳哲)《パラドックスの窓》(2020.08.26)
- ■ローザ・バルバ 《地球に身を傾ける》(2020.08.27)
- ■パク・チャンキョン 《遅れてきた菩薩》(2020.09.06)
- ■アリア・ファリド《引き潮のとき》(2020.08.27)
- ■旧レストラン
- ■ヨコトリ2020 横浜美術館の全映像作品を見て
- ■おすすめベスト3
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■新井卓《千の女と旧陸軍被服支廠のためのアンチ・モニュメント》 (2020.09.18)
新井卓《千の女と旧陸軍被服支廠のためのアンチ・モニュメント》
〇作品内容
千人針の当初は、個々のささやかな切なる願いであった祈りが権力に利用され、武器にされてしまう可能性を持っていたことを示唆しています。その千人針を、縫ったことのある92歳の女性によって今によみがえらせます。そのきつい結び目を娘がほどくという作業を通して解体します。
元の布に戻した布を、孫役を演じる女性によって、アイロンがけをしてサラの布にされました。
〇祈りのひと針
コロナ渦の中、マスクが作製されています。手縫いをする人も多くなりました。ひと針ひと針に、コロナ鎮静の願いを込めて・・・ 現代の千人針?という声も聞こえたと言います。
〇絹ができるまで
千人針の布は、絹が使われることも多く、その布の中で蚕が糸を吐き出して繭を作っています。
桑を食べる蚕。その糸を絹糸に。そして布へ・・・・
〇千人針
古書店で入手した千人針
(参考: ヨコハマトリエンナーレ2020 開幕 アーティスト・新井卓にとってウイルスと共存する社会とは? | 創造都市横浜)
千人針という言葉は知っていても、それがどのようなものかは知りませんでした。刺し子のようなものだと思っていたので、これを見た時、千人針であるという認識は全くしていませんでした。
が、玉結びの存在が気になり、寄って撮影していました。
裏は、どうなっているんだろう・・・・一つ、一つ、糸をカットしたのだと思ったら・・・
次の結び目に糸が渡されており繋がっていました。
〇千人針とは
千人の女性が一針ずつ縫って結び目をこしらえた白木綿の布。これを肌につけて戦争に赴けば、戦苦を免れ無事に帰還することができるという俗信から発生した風習。このような俗信は、弱い者や危機にある人のために、多人数の力をあわせて、危機を無事に脱却させようとする動機から出た呪願(じゅがん)の一種とみてよい。1894~95年(明治27~28)と1904~05年(明治37~38)の日清(にっしん)・日露戦争のときから始まったという。肌に巻く晒(さらし)などに赤い糸で縫うもので、この赤という色にも災害をよける意味があったとみられる。
上記には、作者ご本人による、千人針に関する詳細な調査が記されています。千人針という言葉は知っていても、それがどのような背景を持つものかまで知りませんでした。
〇結び目の接写
作者が手に入れた千人針。その結び目、一つ一つを接写(139節)することで、そこに込められていた、表に出ることのなかった思いや、当時の世相を浮かびあがらせようとしています。人々の切なる思いがダゲレオタイプの写真に映し出されています。
こちらは何でしょうか? 穴の開いた5円玉のようですが、古い硬貨のようです。菊の紋、鳳凰?が刻印され、穴に糸を放射状に通してあります。
当時流通していた五銭・十銭の穴あき硬貨を同じ糸でかがりつけて、「死線(四銭)を越える、苦戦(九銭)を免れる」などという呪(まじな)いにする俗信もあわせて行われていた。
コトバンクより
〇写真だけで、どこまでわかる?
ダゲレオタイプの写真、何も知らずに見たら、何だと思ったのでしょうか? 映像を見るまでは、写真は見ないようにしていました。ところが、日曜美術館の放送や、リリースされる情報から、玉結びを一つ一つ、撮影したものであることが事前にわかってしまいました。
日美で篠原ともえさんは、繊維であることを、見抜かれていました。さすが、デザイナーといった感じ。自分にはわかっただろうか?と思いながら・・・・ 5銭はなんとなくわかりましたが、その目的まではわかりませんでした。
この写真が、千人針の結び目だと知ってみる。知らずに見る。また、テーブルに置かれていた「千人針」との関係。映像との関係。作品を見た時の基本情報がどのようにもたらされるかで、受け止め方も違うと感じられました。
コンセプトは、AFUTERGLOWです。おそらくそれに合わせて、明滅する光に着目してたと思います。ボルタンスキ―を思い出しながら、命の灯の明滅とか?
■レボハング・ハンイェ
〇《ケ・サレ・テン(今もここにいる)》(スティル)(2020.10.02)
白黒の立体映像が、アルバムをめくるように展開していきます。
黒人一家の生活を描いているようです。
祖父は電車に乗って都会に行き、家族はそのあとを追いかけます。
しかし追いかければかけるほど、そこでおきる出来事は断片化し分解されます。
その狭間に入り込んでしまった自分の姿を作品に描き込んでいるようです。
印象派のモチーフとなった「洗濯女」を思い出させます。都会に憧れで出てきた女性はのつく仕事は、洗濯やアイロンがけ。夢を追いかけて成功すると、現状に甘んじる人
・・・
祖父を追いかけて都会へ向かう自分や家族・・・・ 自分が今、何をしているのか。路地に迷い込んでいるような状態を客観的に見出します。
祖父あるいは父(?)は、新聞を読めるまでの教養を身に付けます。
新聞を読む祖父でしょうか? 気づくと息をひきとっているようです。「新聞を読む」という行為が意味すること。横浜美術館で行われたメアリーカサット展でみた《フィファロの新聞を読む》画家の母の肖像を思い浮かべていました。
教養人であることの証。しかし、それを持ちながら・・・・ というのも何かを示唆しているような。
電話が鳴り響きます。その知らせでしょうか? それ受け取るのは、生活が豊になった私(?)
光を追いかけて、都会へ出ても、私のいる場所はここ。追いかけている先には、また別の光があたります。この光が浮かび上がるのは、「影」があるからこそ、明るさを増します。
「影」のことを、南ソト語では、「威厳」という意味を内に秘めていると言います。
この作品、シャドーボックスを思い浮かべていました。
平面の写真や絵を、パーツごとに何枚か重ねて、3Dのような奥行きを出す立体アートです。シャドーボックスも、光の当たり方、陰影で立体的に見せる不思議なアート作品。光は影があるからそこ輝く?
〇《モショロ コメディ・ワ・トラ(灯台守》(2020.10.02)
中央のライトを中心に、舞台装置のようなセットが取り囲むように、配されています。家族のアルバムからモチーフがとられているようです。光は舞台にスポットライトをあてるように周回して、照らし出し、物語りを紡ぎ出しているようです。
新聞を読む祖父(父)の姿が重なります
個人のアルバムから、呼び起こされた記憶や現実の体験を取り出し、歴史上の出来事をからめます。そこには、現実とのズレが生じます。そのズレから想像を膨らませて、時間を交差させて紡ぎ出した作品のようです。
「灯台守」というタイトルから、灯台が夜の闇を照らし、航路を案内していることとと重なります。
《ケ・サレ・テン(今もここにいる)》と、シンクロしているのでしょうか?一部モチーフが重なっていました。
■岩間朝子《貝塚》(2020.09.13)
岩間朝子《貝塚》
〇作品の内容
1960年代、スリランカと日本を行き来し、農村の暮らしを調査していた作家の父。写真や日記に残された断片的な情報を淡々と重ね、足跡をたどる映像作品。知られざる父の姿と現地の人たちとの交流(友情)から父の私的な物語を紡ぎだそうと試みています。
その一方、内戦などの影響もあり(毒)その地を訪れるのが難しくなっていきます。父の行動もわからないことが多い。とりまく美しい自然、変化していく社会情勢。避けることのできない現実が重なります。
その後、東日本大震災後に訪れた釜石の父の生家。津波で流された跡地に見えた白い貝殻。それは、震災によって流れてきた貝ではありません。家族が貝をとり食べて暮らし食事をした痕跡。現代版貝塚のよう・・・
〇断片で見た映像 映像の見せ方がユニーク
初見の時、見せ方に興味が惹かれました。スクリーンの両脇から差し出される手と写真。シワ加工された透明なシートに映し出される映像と連動しています。
(右)鏡越しに見る映像
その回りには木製のオブジェが・・・
このオブジェと映像とは、どんな関係なのでしょう・・・
その後、ここを通るたびにスクリーンの撮影をしていました。美しい自然。重ねられていく写真。現地の人々。ブルーの万年筆でびっしりと書かれた丁寧な文字と記録。これらの断片情報は、どのように結びつき、つながって連動していくのか。通して見るのを楽しみにしていました。
〇断片の積み重ねを追体験
作者が父の残した断片の資料を紡ぎ重ねていく映像。その断片映像を、断片的に見ながら、作品について想像を膨らませている状態でした。
ループ上映は、どこからが見ることになるかわかりません。どうしても中途半端になってしまいます。20分近いと、見るタイミングも重要。通りすがりにうまくスタートとタイミングが合うのを待ってました。しかし、そんなに都合よく出くわせるものではありません。
1時間以上の映像を何本も見たあたりから、17分の映像は、あまり負担には感じなくなっていました。途中からでもいいか・・・・
何度となくここを横切る時に目にしたスリランカの自然。その映像から見始めることになりました。重ねられていく写真、そして海・・・・ そのあと黒バックに。ここからがスタート。ここまで4分ほど。後半1/4あたりから見たことになります。
〇タイトルの貝塚
「貝塚」・・・この作品の全編に渡って通底している主題です。しかしエンディングまで見なければ、おそらくその意味は理解はできないはず。ネタバレしてしまうと面白くありません。しかし、ネタバレしてわかってしまっても、それがどう表現されるのか、気になるということもあると思います。
縄文時代、食べた貝を一所に集めて捨てていました。それらがつみ重なり層を成す貝塚。
神奈川県立歴史博物館にて
時を経た現代においても、貝をとり食べた貝殻をひと所に集めていました。太古と同じことを、今も行なっているのです。そしてヒトの記憶、思い出も、貝塚のように、積み重ねられて今に至っています。記憶の断片も、貝塚の貝殻と同じということでしょうか?
作品を見るまで、この前を何度か通りながら、映像の断片をランダムに視聴していました。それもまた、映像が積層されていて貝塚になっていたこに気づかされました。
木製の壁面に置かれたオブジェ。その木は、スリランカの山からでしょうか? あるいは、震災後の釜石の土地に流れた枝なのかもしれません。
〇食・植のつながり
作者のプロフィールから、食に関する取り組みを行っていることを知りました。「自然と人間のつながりや在り方、「食べること」「滋養」とは何かを問いながら制作」
そして、オラファ―・エリアソンのスタッフの食堂立上げに携わっていたこと。オラファ―は、ヨコトリの独学をしていた時に知り、魅力を感じた現代美術のアーティスト。そのアーティストとつながりがあったとは!
食に関するイベントも行っています。
食とは「取り込むこと/取り込まれること」という抽象的な側面から「食べること」を考察。アジアからヨーロッパへの食=植物の移動のひとつ、日本のハマナスの実がヨーロッパに自生していました。イベントのハマナスのポスターを持ち帰ることができるようにし、植物の移動を再構築しています。
食にかかわる活動は、父の仕事との連続性を感じさせられます。そして、植物の移動。それは、ヨコトリ2020の作品、インゲラ・イルマンの 《
作品どおしも影響しあって繋がっている。
〇オラファ―つながり・・・太古の水
大きい水 on Twitter: "「80億年前の海はおよそ0.85%の塩分濃度だった。それは海の面積の縮小に伴って3.5%まで徐々に上昇した。
人体を構成する60%の水には0.85%の塩分が含まれる。
私たちの身体の中には古代の海がある。」"
0.85%は生理食塩水濃度。血液、体液と同じ濃度。(確認したら0.9%になってるみたい?)海の塩分濃度と体液の塩分濃度とが違うのはなぜか?ヒトが海から陸上に上がったのなら、同じ濃度になるのでは?と思っていました。
それは海の面積が縮小し、塩分濃度が高まったからだとわかりました。やはり太古の海が体の中に取り込まれていたのです。こういう繋がりの発見が好き、こういうつながりを提供してくれるアーティストが好きなんだと思いました。
■飯山由貴《海の観音さまに会いにいく》(2020.09.17)
飯山由貴《海の観音さまに会いにいく》
〇作品内容
精神疾患を患う作家の妹は、自身が妖精でムーミン谷に住んでいるという幻覚の世界があります。その世界を理解するために、家族でムーミン一家の仮装をし、追体験にでかけます。妹のことを知り、距離を縮めるため手段として・・・
*観音様に会いにいく
手作り感のあるムーミン一家の着ぐるみを家族で纏います。
妖精の妹に誘われ、海を守る観音様に(魚を持っています)お参りにいきます。
ここで黒バックが差し込まれます
そのあとスナップ写真がランダムにカットイン
観音様に会いに行く様子や・・・・
妖精が森を彷徨っている様子
*遊覧船を見送る
ムーミン一家は箱根の遊覧船を見送ります
そのあとスナップ写真が続きます
*妖精の妹と作者の会話
ムーミンとフローレンの赤ちゃんが生まれ、赤ちゃんの名前を考えます。でも、私の妖精の種族は結婚ができないし、幸せになれないのだと嘆きます。ムーミン一家の冬から春の暮らし方などを語ります。
作者は妖精の妹によりそうように、突然変異で幸せになれる種族かもしれないと言葉をかけました。2人で市販の飲み物を、木苺ジュースだと思って、おいしそうに飲んでいました。
海の周辺で撮影したスナップが挿入。
〇スタート部分が不明
3つのコンテンツから成っているのですが、どこがスタートかわかりませんでした。途中、1か所だけ黒バックが入るので、そこからスタートかと思われるのですが、どうもつながりが・・・
確認したところ、それぞれのコンテンツの間に、エンドロール、黒バックがあるらしいのですが、編集でカットされてしまっているため、わかりにくくなっているとのことでした。
〇他者性と自分事
精神疾患の世界は、理解できないと思いがち。しかし、精神疾患の罹患率は、思っている以上に高かったりします。統合失調症は約1% 最近では、お馴染みとなったうつ病は、1~8%
他人事と思って見ていたことが、自分事に変わることもあります。また家族や身近な友人などで見られることも・・・
日常生活でも、お互いの世界観、思考の違い、学問的なアプローチの違いなど、様々な違いを理解する必要があります。病もこれらと同様に理解が必要です。中でも、精神疾患は特別なものと思われがち。別枠でとらえてしまいます。
病気や事故による障害などに遭遇した時、まず、自分自身が受容できるまでがこえなくてはならない大きなハードルです。そして家族や周囲の受容も不可欠。回りの理解によって、当事者は安定すると聞きます。
その一つの方法、寄り添い方として、妹と同じ世界観を一緒に家族で体現するという試みが示されました。
だれにでもできることではありません。しかしその根底に流れているマインド。個人の取り組みを、アートという表現方法を使って社会になげかけたことに大きな意味があると思われました。
実際には、医療側からはどのようにとらえられるのか。すこしずつ理解を得られているという言葉を目にしました。しかし、実際は、そんなに甘いものではないと思われます。「医師 vs 患者・家族」という壁は厚いはず。また「精神医学vs医学」の間にも壁というか偏見すらあると聞きます。さらに一番、理解者でなければいけない、医療従事者の間にも、精神医療に対する偏見の目があることも、事実として耳にすることです。同僚のうつ病に対して、医療従事者はとても厳しいと聞いたこともあります。(経験談レベルですが・・・)
それでも、個を理解するための方法として、社会へ、精神医療への一石となる試みでないかと思いました。相手によりそうのではなく、そのまま入り込んでしまう。
日常的に意見の対立が起きた時に、自分を全く相手と同じ立場や環境、思考に置き換えて、自分の主張は他人のものとして見つめる。そんな理解の方法にも通じるきがしました。
〇精神疾患患者は自分や周囲を客観視しているのでは?
《hidden names:短縮版》で語られていた「<妄想が強いと思われると保護室に入れられるから、自分の心を語らない>」という解説に意を得たりでした。
《海の観音さまに会いにいく》の映像も重なりました。自分の妄想の状態を患者は客観視している。それによってどのような処置がされるかもわかっている。そのため、自分の中におきる幻覚や妄想を語らなくなると・・・・
しかしその危険がないと安心できる状態が担保されていれば、自分の世界を語り、本人も安定することがみてとれました。
〇始まる前からぜひ見たかった作品
この作品、ヨコトリが始まる前から興味があり、是非見たいと思っていました。それは、医療に関わりながら、精神医学をどのようにとらえてきたかという自分自身の問題もあったからです。
そしてアートに興味を持ってから、作品作りと精神医学という部分にも興味を持ちました。また、南方熊楠という人物を知り、調べていく中で、精神疾患を疑われていることがわかりました。
彼の行動や様子を見ていると、自分の多面性や他人との差異を、実は客観的に見ており、理解しているのでは?と感じていました。熊楠特有なのかもと思っていたのですが、過去の精神病院の古い記録の中で、それは確信に変わりました。
〇鑑賞方法
*2作同時視聴
3つの作品をそれぞれに視聴すると、時間も体力的にも大変。字幕で見ることができるので、《海の観音さまに会いにいく》(21:19)と、《hidden names:短縮版》(25:42)の同時視聴が可能です。
*長編(170分)《オールド・ロング・ステイ》をメインにみつつ
170分の長尺作品を見ながら、横眼で《海の観音さまに会いにいく》(21:19)をとらえ、スタート部分を待ちます。始まったら、同時に視聴。
(《海の観音様に会いにいく》は3篇で構成されていますが、途中のエンドロール、ブラックバックがありません。そのため、どこがスタートかわかりにくいのです。)
それを見終わったら《hidden names:短縮版》(25:42)のスタートを待ち、同時視聴。
ただし、こちらの作品は、つぎつぎに字幕が現れ、切り替わりも早いので、《オールド・ロング・ステイ》と同時に見ることは、むずかしいかもしれません。
〇アートと精神医療(2020.10.18)
これまで精神医療について調べたり考えたりしてきた記録
脳の解明と人権
→◇体部位再現図はいかにして調べたのか
■小泉八雲 ジャーナリストとしての指摘
→〇実は病気に対して客観的な目を持っていたのでは?
→〇「てんかん」は今は、神経疾患
→〇「狂気」と「平静」の使い分け
■飯山由貴《オールド ロング ステイ》(2020.10.19)
在日コリアンの障害者年金の支払いがされないという不条理な問題について、様々な立場な人たちへのインタビューを通して浮彫に。
ハンセン病患者の年金受給について。在日コリアンの貧困世帯に感染者がかなり多い。朝鮮語しか喋れないと制度を知るすべがない。一世の子は、日本語の手話しか学べない。聾唖の子とコミュニケーションがとれない。協働の仕組みがあっても、機能しない。
インタビューの中で、「行政は、何も教えてくれない」という発言がありました。何も教えてくれないのは、日本人に対しても同じ。
ご主人が認知症になり、行政窓口に何度も足を運んでいても、制度は教えてくれない。こちらから聞かないと、行政側からは語らないと知人が嘆いていました。
福祉には様々な制度が用意されていますが、自らが学んで、求めていく姿勢がないとその恩恵にはあずかれない。
世間体などもがあって、そのことを語りたがらない。相談しない。だから、知る機会もない。もし、家族に認知症が出たら、私に相談してと語っていた。いろいろな制度、勉強したから、それを伝えることができる。絶対にこもらないで・・・・と。
家族の認知症。それを受け入れることから、そしてオープンにして情報を得ることが大事だと。
在日コリアンの場合は、言葉の問題はあると思う。しかし、何も教えてくれないのは、日本人も同じと心の中で思っていた。
■チェン・ズ(陳哲)《パラドックスの窓》(2020.08.26)
チェン・ズ(陳哲)《パラドックスの窓》
〇作品内容
作者が、たそがれ時に言及した文学作品に魅了されて制作。たそがれの複雑で、はかない経験を思いださせるイメージを作品化しています。
〇作品の境界がよくわからない
内と外の窓の画像は、連動してるのでしょうか? どうもつながりはなさそうです。全く別の作品ということ?
この画像を、当初、動画と思ってしまったのですが、静止画でした。(だから映像作品リストに掲載されてなかったのでした。動きが緩慢そう(動いてない)=長い動画 と思ったようです)
窓の表裏の画像に、連続性はありません。
〇窓辺に映るたそがれ時の木漏れ日
反対の壁の裏には、映像が投影されています。
この壁に投影されている映像は、てっきり、反対側で流されている ローザ・バルバ《地球に身を傾ける》と関連づけられた映像だと思っていました。 ↓
そして、壁に映された映像は、窓の部分から、反対側の床にも映し出されていました。木漏れ日が、ちらちらとゆらいでいます。
さすがにこの床に、隣の映像の影が、侵入してしまうとカオスになってしまいます。この作品の壁に投影された木漏れ日の映像が、窓を通して床に映し出されていたのでした。
↓ 静止画をgifにしたもの
↑ この映像は、どこから映し出されているのでしょうか?
↑ 投影機の上方からプロジェクターで映し出されていました。
この壁に映し出される映像は、いろいろな効果をもたらしているようです。内と外に揺らぎをもたらし、映像が交わり合う幻想的空間に。
↑ この壁の前に立つ人の影が、非常に縮小されて短くなっています。
〇遠近感を見失う
壁面にずらりと展示されていた作品、レイヤン・
しかしこの位置から見て、反射はしないはず。おかしい・・・・ 当初、この窓にはガラスが入っていないと思っていました。反射しているように見えることも妙なのですが・・・・ 遠近感を喪失さられてしまったようです。拓本がガラスの上にのっているように感じられました。
この錯覚は、たそがれ時の光の影響だったのでは?と思いました。
〇曖昧な作品の境界
作品全体の境界が曖昧な印象。どこからどこまでがあなたの作品なの?はっきりさせて・・・・ そんなことを思いながら見ていました。解説を見ると・・・・
居心地の悪さ(確かに・・・・)
境目がどこなのか(そうそう・・・)
人はどのようにして境を知るのか・・・・(私は、3回も行ったわ)
解説が、ドンピシャ響きました。
〇明確に区分すること
自分のモノの見方を認識しました。物事を分けて境界を明確にし、それから理解をしようとするようです。
学生時代に解剖学を学び、卒業してから、解剖学とは、どんな学問なのかを、総論的に知る機会がありました。それは「切り分けて範囲を決め命名すること」でした。科学も同様で、分けて範囲を決め、名称をつけることだったと知りました。
そのような学びは、現代アートの作品を見る時にまで、同じような見方をあてはめていることに、苦笑してしまいました。どこからどこまでがあなたの作品なの? はっきり境界をつけてからでないと、鑑賞が始まらないのです。
物の見方、捉え方というのは、学んだ世界のセオリーに大きく影響を受けるものだと自覚しました。境界がわからないと、どうも居心地が悪いのです。何度となく足を運んで確認をしました。最後、スタッフさんに、どこからどこまでが、どなたの作品なのか、確認をしていました。それぞれの思考の中に、こうした癖のようなものがあって、自分にとっては当たり前なのですが、それがわからないと、何でそんなこと考えるんだろうと理解されにくいのだろうと思いました。
〇たそがれのイメージ vs たそがれの光が空間に与える効果
《パラドックスの窓》は、作家が、たそがれ時に言及した文学作品に魅了されて制作したもの。たそがれの複雑で、はかない経験を思いださせるイメージを、作品化したと言います。
一方で、私は、たそがれのイメージよりも、たそがれの光が空間に与える視覚的影響に興味を持ちました。見えないはずの反射映像が見えた。映る影の比率の違い。窓に反射する映像。渾然となって、理屈ではこうなるはずなのに、ひっくり返されたり。
〇たそがれの光がもたらす幻惑 パラドックス
夕暮れ時、交通事故が多くなると、教習所で聞いた話を思い出しました。たそがれ時の光は、物の見え方を平面的にし、遠近感を狂わせるのかも。それが事故に繋がっているのかもしれない。たそがれの光によって、惑わされていました。確かに夕暮れ時、車内から外を見る時、独特のノスタルジックな世界が広がることがあり、幻想的に見えることがあります。
てっきり、窓にガラスはなかったという記憶から、あれこれ推測して、もっともらしい答えが導けたと思っていました。ところが他の方が撮影した作品の写真を見て、窓ガラスはあるようなのです。なんだか、この空間に混乱させられています。窓のガラスはないと思って、それらしい結論に達したのに、窓にガラスはあった。これこそがパラドクス?(正しそうに見える前提と、妥当に見える推論から、受け入れがたい結論が得られる事を指す言葉)
〇またもや錯覚に陥る
この写真の左奥に映っているカーテン。窓ガラスはないはずなのに、なんで映りこんでいるんだろう・・・・ 窓に映るカーテンのボーダー。そんなものはないのに・・・と思ったらそれは窓枠でした。
これとこれの位置関係は、こうだから、ここにこれが映って、でも、これは何?
そんな幻惑がいろいろなところに・・・・
物を見る時、無意識に、どの光がどう反射して目に届いているのか。という見方をしています。ガラスなどの美術作品を見る時は、その傾向が非常に強いことはわかってましたが、こんなところでも、光の反射の道筋を追って見ていたとは・・・・
〇準備が整ってから鑑賞の始まる
どこに光源があって、何がどう映ってて、どこまでが作品なのか・・・・ そんなことがわかってから、やっと作品の鑑賞モードに入れるのでした(笑) 浮世絵もどうやって制作するのかわかるまで、鑑賞モードになかなか入れなかったのと同じかも。
たそがれ時の光がつくり出す幻影や錯覚が、この混沌とした世界、回りの作品との影響関係など、光による効果が作品の世界観を作っていると思いました。
〇たそがれ時のセノグラフィー効果?
舞台装置としての光。セノグラフィーを思いだしました。今回のソースブックの中に「友情のセノグラフィー」というソースがあり、舞台装置としての背景。そこに充てられる光のことが語られていました。
光によって、登場する人の心情や場面の状況を表現する演出技術。文学を元にしたテーマの「たそがれ」は、その時間帯特有の光効果が、映像作品に複雑な感情をもたらしていて、人が登場しなくても、その感情を伝えます。また、そこに映る偶然の人影に感情を加える効果があるように感じました。
たそがれ時の光のマジック。「たそがれ=日没前後1時間」つまり、今回のテーマ,AFTERGLOWの光でもあったのです。ブルーアワーとも言われたり、ものの見え方を変化させる光の効果を《パラドックスの窓》の中にみつけました。
〇境界のない展示室の効果(2020.09.03)
人間は世界に境界を作りがち。宇宙と地球は連続したもの。しかし、宇宙と地球という「名前をつけて」それぞれを定義付けることで、宇宙と地球の間にあるはずのない境界線ができる。
ずっとそれは当たり前だと思ってきました。どこからどこまでが誰の作品なのか・・・・エリアを区分して、そこに作者の名前をあてて明確にする。それからおちついて鑑賞モードに入っていたわけです。
一方で、映像や光、作品が交じり合って融合している状態に面白さも感じていました。明確に分ける前のわからない状態。どうなってるの?を楽しんでいたようです。
猪子さんが以前、琳派について「フレームレス」と語っていたことを思い出しました。⇒チームラボ猪子が解説、長年の研究でわかった江戸琳派の大発明 - インタビュー : CINRA.NET
連続性もあって、壁でほとんど仕切られていない今回のトリエンナーレの心地よさ、気持ちよさの理由でもあるんじゃないでしょうか。実際、どの空間にいても、さまざまな声が重なって、響き合っているように感じられました。
コムアイ×ドミニク・チェン ヨコトリで考える孤立と共生の感覚 - インタビュー : CINRA.NET
仕切られていない空間を心地よいと感じるかは個人によって違うと思います。音よりも、光、映像、作品の重なりが響き合って面白い効果を出していたと思いました。
■ローザ・バルバ 《地球に身を傾ける》(2020.08.27)
ローザ・バルバ 《地球に身を傾ける》
〇作品内容
大地には、美しいアースカラーが広がります。実はここは、北アメリカの放射性廃棄物貯蔵管理施設です。ヘリ上空で、旋回しながら、それらの施設を撮影した映像です。
画像は、4つのコンテンツから成っています。
〇映像は、スクリーン裏でも上映されており椅子あります
スクリーンは裏側でも上映されており、壁面には椅子が設置されています。
裏側の映像は、どこに映写機があるのでしょうか? 表と裏の映像は、反転していないと思ったので、反対側のどこかに映写機があるのだと思い探してみたのですが、見当たりません。
再度、映像を確認すると、透過映像だったことがわかりました。
(左)表から (右)裏側
裏側から見ると、文字は逆転しています。
〇大型の投影機
映像内容よりも、大型の投影機の方に興味を持ちました。フィルムがどのように回転して巻き取られているのか。じっと見ていると、エンドレスで回わっているようです。
この回転盤にフィルムが巻き取られ、また吐き出されていきます。
ローラーでフィルムが送られています。
レンズと電球の光 ここからスクリーンへ ・・・
大型映写機によって映し出された巨大映像。
同じように、投影機を興味深く見ている方がいらっしゃいました。仲間意識を感じられました。
下記と合わせてみると、そのしくみがよくわかります。
〇(追記:2020.08.27)映像からの隠されたメッセージ
*音、放射性廃棄物、毒・・・・慣れてくる
・投影機からは大きな音がしています。しかし次第に気にならなくなりました。
・耳障りな音も慣れてしまいます。
・放射性廃棄物も、ここにあることに慣れてしまい当たり前のようになってしまうのでしょうか?
*映写の仕組み 映写機の確認
・裏の映像を映し出す映写機が見当たりません。
・映像機の仕組みから、裏に投影できるようには見えませんでした。
・映像は、そのまま通り抜けているようです。透過性あり?
・投影される映像が、どこから送り出されているか確認できないとおちつかない
*映像のスタートと終わり どう始まりどう終わる?
・映像の始まりは?区切りに解説のテロップが入ります。
・4本の作品で構成されていることがわかりました。
・全体のスタートはどこ?どのコンテンツからスタートかわかりません。
・エンドレスに繋がったフィルム・・・ 始まりも終わりもないということ?
⇒廃棄物処理も、使われなくならない限りエンドレスに排出
・「分ける」「分割」(確かソースのKWにもあった、5つからは消えたけど)
・何を、どう分けるのかで、「分ける」「分割」の意味の幅が広がる。
・ヨコトリ作品を理解しようとすると、自分なりの「切り分け」「分割」から始まる。
・特に映像作品は、どう始まり、どう終わるのか。どういう構成なのか確認してる。
・作品のスタートはどこか?どこが終わりか。区切りをつけないと鑑賞ができない。
*隠された真実
・上映中、英語で交わされている会話
・スタッフさんが、訳した資料を持っています。
・映像の件で質問したら見せてくれました。
・映像だけでは伝わらない、そこに書かれていた真のメッセージに驚く
・映像、解説パネルを見ていただけはわからない、知られざる廃棄物の処理
〇擬態するかのような核の保管 これも技術
投影される仕組みがわかって、やっと内容に目が向き、入ってくるようになりました。
放射能廃棄物貯蔵管理施設は、自然の中に溶け込ませ、擬態しているかのように、埋め込まれています。その土地の植物にも被われ次第に隠れてしまいます。
(地中美術館のことが浮かびました)
しかし、その中に入っているものは全く違います。放射性廃棄物を詰め込めるだけ詰め込み、無害になるまで密やかに保管された場所。空からの景色は、一見、美しささえ感じさせます。ここにあるのは、私たちの無限の未来に捧げられた工学技術の賛歌と言い換えることができます。未来にもちこしてはいけないものを、静かに密かに保管する技術が結集して人知れず眠っていたのでした。
しかし、実際に必要な量は、補えていないという現実‥‥
■パク・チャンキョン 《遅れてきた菩薩》(2020.09.06)
パク・チャンキョン 《遅れてきた菩薩》
〇遅れてきた菩薩 内容
上記を参考に、内容を紹介。
オープニング、仏の涅槃の絵。ニルヴァーナ(涅槃)を描いた絵画の場面と、仏の火葬に遅れたゴータマ仏(釈迦)の主弟子であるマハカシャパの物語を使用。
釈迦の愛弟子迦葉は、涅槃の姿を見るのに間に合わず遅れて到着。涅槃に入った釈迦は迦葉に棺から両足を出して見せた。
そして、釈迦の棺に火が放たれ、荼毘に付した。という話が冒頭で紹介。(これは逸話)
〇スーパーフェニックス
死なない鳥 もっとも古い高速増殖炉、フランスの”スーパーフェニックス”は、エジプト神話に登場する不死鳥の名前。
ラジウム226の半減期は1600年、高レベル核廃棄物の場合は約30万年、ウラニウム238の半減期は45億年。
以下、オムニバス形式でストリーが進むため、初見ではストーリーの進行が見えにくいです。
〇コンテナを運ぶ船とトラック
広い海。その表面を滑る巨大な貨物船に乗せられてきた大量のコンテナ。
そのうちの一つが、山中深くにトラックで運ばれていきます。山の中腹の広場に、四角く示された位置に置かれます。
〇山をさまよう2人の女性 アーティスト
山の中をさまよう女性2人。一人は登山姿、もう一人は、完全防備のいでたちで放射能汚染を測定したり、サンプル採取をしています。2人の女性が、交互に映し出されながら、自分自身の居場所を探し続けます。
〇作品を制作するアーティスト
汚染された環境の中で、制作活動をする若いアーティストらがカットイン。
山水画を描く人、松の木のオブジェ制作する人、
機械仕掛けの器具を調整したり、
足の型をとった彫刻を制作しています。
(ここで作られている作品は、クライマックスのシーンにつながります)
放射能汚染後の居場所をそれぞれが求め、彷徨い救いを求める姿と重なっていきます。
白黒の反転させたネガポジのような表現が、放射能汚染後の世界(福島原発?)を表しているようです。目に見えていない放射線の汚染状態が可視化され、今の福島等の現状を想起させます。
〇引き寄せられるように・・・・
2人の女性と、他の登場人物たちは、導かれるように一つの場所に合流します。
日本の原子力発電所の写真が挿入され、もんじゅとふげん、どちらも仏の名であることが文字で説明。
また1974年にインドが行なった核実験のコードネームが「微笑むブッダ」であることも・・・・
放射能を計測していた女性が、最初にコンテナに到着。他の面々も到着しますが、登山姿の女性(菩薩)は遅れて到着。
その間、コンテナの中では・・・・
アーティストが描いていた山水画を全面に貼りめぐらし、外には彫刻の沙羅双樹が置かれます。
〇仏陀の荼毘に重ねて
集まった人々の前に表れたのは・・・・
反転映像が戻り一人一人の表情が明らかに・・・
全員で棺を担ぎ上げて回転させます。すると、棺の板が外れます。中から、自動搬送装置に乗せられた彫刻の足が出てきて、遅れてきた女性にその足が示されます。
エンディングに向けての布石、前半の制作活動の様子などが随所に織り込まれます。
貼り付けてもはがれてしまう炎。最初に見ていた時は、意味がわかりませんでした。あとで振り返って理解。「遅れてきた菩薩」を待つためでした。
その後、コンテナ内の棺は激しい炎に包まれ、荼毘に付されます。
最後、最初に登場した不死鳥が再度、登場します。
これは、「オートラジオグラフィ」福島2012〜現在までの、放射能汚染を示すもの。写真の白い部分は放射能汚染を示します。
毒の中にある美しさでしょうか?
「この話の要点は、人々が彼の死に集まってコミュニティを形成したということです」人々は科学で神を演じている。結果、災害が続き、自分自身を救うことができません。と作者は語っています。
【微笑む仏陀】
汚染調査をしていた女性が、棺の中に入ります。足が飛び出し外に出ます。そして起き上がった時の表情・・・・ えも言われない笑み。これは仏陀の笑みを意味している?
【慧可断臂】
「逃げるべき場所はどこですか?」 その答えは・・・・
「赤い雨を降らせたら・・・」 どうやって赤い雨を降らせたかというと・・・
このシーンに関する注意書きがあります。
これがどこにあったかというと・・・
こんなところに掲示されても、気付かないし、関連性、わからないよなぁ・・・・ しかも慧可断臂の話。私はたまたま知っていたけど、知らない人だって多いと思うし、そもそも、あの映像が、何を意味しているかわからないと思うから、過激とも思わないだろうな・・・・
この文言を確認するために、パネル解説を、端から端まで何度も読み直してました。
注意書を見た記憶があるのに、どこにもみあたりません。スタッフさんに伺ったら、あちらの入口ですと。
こんなところにあったの、よく気づいたものだなぁ……と我ながら感心。(それを確認する過程で、下記の5.1サラウンドに気づけました)
関連:〇《慧可碑臂図》
この絵について、緊張感があると言う解説に疑問。どう考えたってトホホの絵でしょ…って思った雪舟の絵。最初に見た時の印象の方が、いろいろ感じて考えていたようです。何度も見るから深まるわけでもない。
【音響】
座る椅子の位置によって、音の立体感が変化します。最初は、感じなかったのですが・・・・ 何度か見てると、細部に意識が向くのかな?と思っていました。
タイトルのパネル解説を見て納得。5.1サラウンド。後列の中央座席に座った時、4つのスピーカーから交互に会話が聞こえてきてきました。取り囲まれたような感覚に・・・(ここの上映がブースで行われたのは、そういう意味もあったのかな?)
5.1チャンネルスピーカー
MalteRuhnke, CC 表示-継承 3.0, リンクによる
【概要】 〇(追記:2020.08.27)パク・チャンキョン《遅れてきた菩薩》(55分)
【参考】
■アリア・ファリド《引き潮のとき》(2020.08.27)
アリア・ファリド《引き潮のとき》
〇作品内容
イランケシュム島の漁民たちが、海がもたらす恵みに捧げる歌や踊り、音楽。
3つのパートで構成
*男が歌う恋歌と踊り
*白い布をかぶりトランス状態で踊る
*海に向かって踊り祈りをささげる
〇ケシュム島ってどこ?
<a href="//commons.wikimedia.org/wiki/User:Uwe_Dedering" title="User:Uwe Dedering">Uwe Dedering</a> - <span class="int-own-work" lang="ja">投稿者自身による作品</span>, CC 表示-継承 3.0, リンクによる
Unknown NASA official - NASA:STS075-702-049 <a rel="nofollow" class="external free" href="http://eol.jsc.nasa.gov/sseop/EFS/lores.pl?PHOTO=STS075-702-49">http://eol.jsc.nasa.gov/sseop/EFS/lores.pl?PHOTO=STS075-702-49, パブリック・ドメイン, リンクによる
島民は漁業、ダウ船建造、商業、サービス業で生計
〇国や宗教が違っても
どこか懐かしいというか日本の風習や祀りとの共通性が感じられました。そのため、アジアの島かな?と思ってしまいました。イスラム教が主流の地域でした。
自然の恵み、恩恵への感謝を表す方法として、被り物などでそれになりきる。自然の驚異(毒)も、儀式的なもので乗り越えようとしてきた歴史は、宗教や民族などを超えて、共通の祈りであると感じさせられます。(日本のなまはげや、イタコの憑依などと重なりました)
日本について、よく一神教ではなく八百万の神、自然崇拝、自然を神として共生してきたと言われます。しかし一神教でも自然を崇め奉り、自然と折り合いをつけている場面に遭遇することがあります。自然と共存、共生する術を見出している痕跡をここでもみつけました。
■旧レストラン
〇ジャン・シュウ・ジャン 《動物故事》(2020.10.02)
【作品内容】
アジアの民間に伝わる童話、台湾の伝統芸能にインドネシアのガムラン音楽がBGMの映像のインスタレーション。
動物は、紙で製作したパペット(指人形)を使い、ジオラマを使ったストップモーションによるアニメーション新作「動物物語シリーズ」ガムラン音楽に合わせた不思議な動物の動きは、一つ一つ、手で動かして撮影しているようです。
作家の家業が、儀式や葬送用の紙細工作りを営む。近年、廃れゆく家業、同じような社会状況を作品に反映、奇怪な生き物の営みを作品化しています。
【解説パネル】
【上映映像】
【厨房】
撮影で登場した動物たちと、ジオラマが展示されています
動物たちは、スピーカーの上に乗っています。もしかしたら、スピーカーは、動物が演奏している打楽器の音を奏でているのでは?と思ったのですが、全体の音楽でした。
キラキラ光っていた水
足だけを瞬間カットで挿入されていました。
足だけ撮影された人形の上部は、こんな状態だったのでした。
水の中の見えない部分には足が・・・・
赤い脚は、目を引き、印象に残りました。
水中にいるのは豚? かと思ったらワニに変身?
バックヤードには2つの人形が展示されていました。
この映像、因幡の白兎を思いだしました。
因幡の白兎の物語は、世界各国にあります。
参考:■サメを並べて島を渡る知恵は誰が考えた?(2020.01.16)
世界各地に伝わる昔話を類型ごとに収集/分類した「アールネトンプソンのタイプインデックス」も参照しながら、アジアのフォークロアに見る類似と相違を探索している。
引用:ヨコトリで必見。2人の台湾出身アーティストが、コロナ禍のいま問うものとは|美術手帖
■ヨコトリ2020 横浜美術館の全映像作品を見て
今回のヨコトリ2020は、映像作品が多く、しかも長い。時間的に見るのは大変。鑑賞側のこと、考えているのかという声も多いようです。
作品の出品が決まった時は、映像かどうかは決まっているのか。その長さはどれくらいなのか、会場のどんな場所で、どんな状態で上映されるのか。それらはいつ頃、どのように決められるのでしょうか? ある程度、でそろったところで調整しているのか・・・・などわからない部分も多いのですが。
全ての映像を見て思ったことは、見る側に負担を強いるボリュームだったり、環境だったり・・・・ いろいろあるけども、見たい人は見ればいいし、見たくない、あるいは、これでは見れないと思ったら見なければいい。ただ、それだけのことだと思いました。
不都合があっても、見たい人は見る。どうしても見たいと思える作品に出合えるか。あるいは、通りすがりでも、引き寄せられて見ないではいられい作品との巡り合わせがあるかどうか・・・・
言われるまでもなく、興味のないものは見なくていいのですから・・・
ただ、全てを見て思ったことは、見れば、なにがしか、響くものがあるということ。最後まで見たら、受け止められることが各段に違います。さらに2度見たら、見えていなかったことが見えてきます。そして読取違いが、思いの他、多いことわかります。全部を見るからこそ得られることも多い。人にもよるとは思いますが、時間をかけて見る価値は、絶対にあると思いました。それが通しで見ることのモチベーションになりました。
今はわからなくても、今、この時に見たということは、きっとどこかに刻まれるはず。未来の自分のための栄養源になるはずという確信。せっかく、現代アートに興味を持った今だからこそ、この機会を逃さないようにしたいと思いました。
いろいろ、物理的な制約もありますが、見たいものを見たいように見る。それによって享受できることを受け取ればいいのかなと思いました。
■おすすめベスト3
横浜美術館映像作品で、おすすめの映像作品3選
独立した4本のコンテンツから成り、1本、約4分なので、どこから見ても、つながりは気になりません。美しい映像に隠された真実。もっと知りたくなったら、監視スタッフさんに、資料を見せてもらうようお願いしてみて・・・ 背筋が凍るかも??
タイムスケジュールが定時から決まっているので、ぜひ時間に合わせて最初から最後まで見ることをおすすめ。細部に伏線がいろいろあるので、2度見もおすすめ。最初のこの映像にも秘密が・・・・
最後のオチ(?)の部分、映像表現されていないのもよかったです。
【別枠】
プロット48の映像作品の雑感はこちら
■関連
*1:■プロット48 小泉八雲がエレナ・ノックス作品の中に(2020.10.18)
この書籍の噴火を表現した中に小泉八雲の作品が存在していた
ヨコトリ2020 キーワードの独学を始めた頃、コロナ自粛が始まる前に、島根を訪れ、AFTTERGLOWの光を感じていました。
3■(2020.03.06)AFTERGLOW(残光)とは?
- 3-1(2020.03.24)AFTERGROW(残光)はマジックアワーのこと?
- 3-2(2020.03.24)マジックアワーの光を分離
- 3-3(2020.03.24)宇宙の爆発の光と、AFTERGLOW(残光)
- 3-4(2020.03.24)マジックアワーの光の破片をつかまえる
- 3-5(2020.03.24)太陽が沈みきったあとの光の破片
- 3-6(2020.03.24)ビックバンの光を背後に受けて
そして、小泉八雲からインスパイア―され、そこで知った書籍にここで遭遇。八雲がとらえた自然と、自然科学の違いが、ヨコトリ2020の中にも見え隠れしていました。