コロコロのアート 見て歩記&調べ歩記

美術鑑賞を通して感じたこと、考えたこと、調べたことを、過去と繋げて追記したりして変化を楽しむブログ 一枚の絵を深堀したり・・・ 

■小沢健二「彗星」ミュージックビデオ & 監督・小松真弓へのインタビュー

小沢健二さんの「彗星」のミュージックビデオ(MV)に触れた時、いろいろなことがフラッシュバックしてきました。これまで見てきたこと、聞いた話、体験したことなどが、一気に押し寄せ、覆いかぶさってくるようでした。それらにどんなつながりがあるのかは、まだわかりませんが、ビデオから受け取ったことを記録。

Comet Kohoutek (S74-17688).jpg
NASA - http://spaceflight.nasa.gov/gallery/images/skylab/skylab4/html/s74-17688.html (image link) (Originaly uploaded at ja.wikipedia.org, original description page is/was here), パブリック・ドメイン, リンクによる

ビデオを見ながら、このMVを制作した方は、どんな方なんだろう。楽曲から、どんなことを受け止めて、それを形にしていったのか。そんなことも気になっていました。

監督・小松真弓さんへのインタビュー動画が、期間限定で、公開されることになりました。それらの制作意図を聞いてしまうと、知る前に考えていたことが、次第に薄れて忘れてしまいます。最初に、直観的に感じていたことを忘れないように留めておきます。 

 

 

■「彗星」との遭遇

即位の礼で使われた高御座を東博で見学した日。家に戻って、テレビをつけたら、小沢健二さんがSONGSに登場していました。丁度、エンディングで「彗星」を歌うところに出くわしました。⇒SONGS | 第515回 小沢健二

「彗星」のミュージックビデオがこちら

youtu.be

■宇宙との遭遇

この映像と音楽を見た時に、頭に浮かんだのが、宇宙の成り立ちでした。はるか遠い宇宙と地球、そのつながりで今があること。丁度、それと同じことを、高御座からも感じさせられていたところだったので、妙な偶然の一致を感じていました。 

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何かのめぐり合わせのようです。高御座にも宇宙を感じ、そこから連綿とつながる今を感じさせられた同じ日、小沢健二さんの楽曲とたまたま遭遇。壮大な宇宙の歴史や、地球の歴史、今を生きるということが響きあっていました。

 

〇生命の始まり

こんな映像が浮かんでいました。

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これは、科博の常設展で展示されているものです。はるか遠い昔、宇宙の爆発によって飛び散った破片(元素)は、地球の海の中に溶け込みました。原始の海はアミノ酸を作り出し、それらは、つながり合って螺旋を形成します。これがDNA RNAです。それが生命の源となり、様々な命を育みました。 

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その生き物たちの歩みの先に、今があるということ。私たちは宇宙のチリから作られた生命体。このMVには、そんな壮大な宇宙や地球の成り立ち。元をたどれば、同じ素材から作られた生き物としての人類の歴史ドラマが、埋め込まれていると感じられました。

 

海から生物が誕生するプロセスは、何となく知っていましたが、その元になるものが、宇宙からやってきたことを知ったのは、数年前のことです。

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宇宙の成り立ち、地球の成り立ち、人類の成り立ち。この世に存在する「何か」に興味を持って追いかけると、その先に存在する世界。ものの起源、そこにある本質的なこと。それが、今回は音楽と歌、MVの映像の中にみつけることができました。

 

〇本質、真理って?

よく、絵画や芸術、写真、科学から本質に迫るという言葉を耳にします。しかし、本質や真理に迫ることができるのは、その世界だけではないはずです。その世界の住人が、自分たちの世界を特別視した一種の驕りのようなものを感じることがあります。どんな世界からも、真理の追究はできるはずです。

今、こうして、音楽や歌の世界から、宇宙の真理のようなものを見せてもらいました。このMVが、具現化してくれたように思います。

本質や真理は、どこからでもアプローチできるはず。言葉や文学からも、きっとできるはずです。音や文字、映像が持っている力を、強く感じさせられました。そして、これらを引き出したクリエイターの力も、非常に大きかったのだと思いました。

絵には色という波長があります。音楽は音の振動があります。いずれも共通していると言っていたアーティストのことが思い出されました。
(⇒*1) 

 

〇宇宙の爆発でできた私たちの世界

宇宙のことって、つかみどころがなくてよくわかりません。興味を持つ機会もなく、今に至っていたのですが、科博には、宇宙の成り立ちを映像で解説してくれる、立体シアターがあります。

ラスコー展を通して、人類、地球、宇宙の歴史に目が向くようになりました。その時に初めて、宇宙と地球のつながりが見えて、その先に生き物がつながっていったことがわかりました。

宇宙が爆発して、そこで飛び散った粒子が、地球の生命を形成していた。宇宙の爆発でばらばらになった物質から元素ができ、地球の海の中で生命を生み、進化を繰り返しながら、今、私たちがここに存在しているわけです。

今、ここにあるものすべての根源は、宇宙からやってきた粒子が大元になっていたのでした。そんなことがわかるようになっていたからこそ、この歌詞が、ストンと体の中に入ってきたのだと思いました。

それをさりげなく、ふわっと歌詞の中に入れて、軽やかに歌い上げてしまう小沢健二さん。しばらく音楽業界からから離れている間に、どんなものを見たり聞いたりして、過ごされていたのかにも興味がわいてきました。

 

 

■彗星の映像や歌詞、フレーズから見えたこと

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〇暮らしがこそが宇宙

♪今ここにある  この暮らしこそが宇宙だよと♪

何度も繰り返されるこのフレーズ。耳に焼き付きます。今、ここにある暮らしの全ては、遠い宇宙から飛んできた小さな粒子によって成り立っていること。それが元になって、長い時間をかけて、今につながっているのだと。そして、それは奇跡的なことであると。

 

〇自分の影法師を踏む

♪自分の影法師を踏むように 
あたりまえのことを 空を横切る彗星のように見てる♪ 

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自分の影法師を踏む。それは、一見、当たり前にできることと思ってしまいます。しかし決して、当たり前のことではないのです。

久しぶりに自分の長い影法師を見ました。こんな影法師が見えるには、まずはお天気がよくないと現れません。そしてこの形は、2月、冬の低い太陽だからこそ出会えたフォルムです。

この影法師に遭遇する前、小泉八雲旧居で、住居の一番奥にまで伸びる影を見ていたことが影響しています。(⇒■居室の奥まで伸びる日差し)自分の影もこんなに長く延びてる! 思わずシャッターを押してました。この瞬間は、いろいろな偶然によってもたらされています。

八雲旧居で、屋敷の奥まで届く長い影を見ていなかったら・・・ こんな長い影を見れたのは、この瞬間にここにいることを選択したから。そして今、この時期だけの体験。ということを感じていなかったら、自分の長い影もやり過ごしていたかも。

そして今になって「彗星」のMVを見て、歌詞を見直したらその中に「影法師」のワード。そうだ、松江で自分の影法師、撮影してたぞ!って思い出しました。

この長い影法師を撮影できたのも、障害物がなく影をまっすぐ投影できる広いこの場所に立っていたから。そして、太陽光と地面が作る三角形の中に、納まるこの時間帯を選んでいたから。長い影は、彗星のようでもあります。(彗星の尾は、ダストとイオンの尾、二股に分かれていました)

 

〇空を横切る彗星

♪空を横切る彗星のように見てる♪

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NASA/W. Liller - NSSDC's Photo Gallery (NASA): http://nssdc.gsfc.nasa.gov/photo_gallery/photogallery-comets.html http://nssdc.gsfc.nasa.gov/image/planetary/comet/lspn_comet_halley1.jpg, パブリック・ドメイン, リンクによる

彗星は、太陽のまわりを楕円軌道で公転しており、周期的に現れるものが多いようです。地球に近づいた瞬間、横切っていくのを目にするわけです。しかし、次にお目にかかれるのは、何十年、何百年、あるいはもっと先になります。中には1度限りのものもあると言います。

彗星が横切るのを見れたということは、いろいろな条件が相まって見ていることで、非常にラッキーなことなんです。しかし、それをたまたま見た時は、奇跡であることには気づかず、当たり前に思ってしまいがち。(1986年に接近した75年周期のハレー彗星 わざわざ見に行き天候にはめぐまれましたがが、目にとらえることはできませんでした)

小沢さんが彗星について語っています。「彗星って水とか出てきてすごいギリギリ危ないんですよね」と‥‥ 不安定な状態ながら、奇跡的にあの形を維持しているということでしょうか? 私たちの生活もそんな危うさの上に成り立っていて、一つ、何かが崩れたら壊れてしまう、奇跡的なバランスが保たれて今を生きている。そんなことを伝えたかったのでは?と思いました。

自分の影法師を踏む。それは、自分の存在を投影し、その確認なのかもしれません。目の前、もしくは後ろに影ができることも奇跡。宇宙の果てから飛んでくる太陽光線が遮られることなく、自身にあたることによって、影が映し出されるということです。それもまたいろいろな偶然が重なった奇跡だと言えます。

〇食堂のテーブルから 

宇宙の壮大な歴史の土台の上に今の暮らしがあって、私たちが存在している。ということを、食堂のテーブルが表しているのだと思いました。テーブルの下に眠る化石。長い歴史を持つ宇宙の中に、恐竜たちも、存在していました。

これらのビジュアル映像と歌があいまって、隕石がストレートにぶつかってきたような衝撃を受けました。


そして、ミュージックビデオを見ていると、小沢さんがふと見せる表情やしぐさの中に、小澤征爾さんの面影が見えた気がしました。お子さんにも、彼の影が見られます。

親や子、親せきといった、直接的な血のつながり、連鎖を感じさせられました。家族という身近な足元の連なりから逆の生命の連鎖を想起させられました。最小単位の家族というコロニーが、太古の生き物へとさかのぼり、宇宙へつながっていきます。そして、新しい命の誕生が、また未来へつなげる新たな命の連鎖を生んでます。

 

 

■映像クリエイターってどんな人?

小沢さんの歌の世界観を、同じように理解し、映像化した方たちの中にある世界観にも興味を持ちました。同様の深い理解を示すだけでなく、それを表現する手法や技術に変えた手法に、驚きを禁じ得ませんでした。

そもそも、クリエイターという職種は、このような世界を理解できる素地や感性を持った集団なのでしょうか? あるいは、その中でも特別な人によって制作されているのでしょうか・・・・

この映像を見た、他の映像クリエイターの方は、どのようにこの作品を見ていらっしゃるのかということも興味がありました。


クリエイターというのは、本当にいろいろな方面に向けて、アンテナを張っていないと、アーティストの表現したいものを、受け止めることすらできないということを感じさせられました。

 

■人体の宇宙

イラストで表された映像を見た時、これは人体を宇宙になぞらえているのだと理解しました。MV全体から、これまでに見てきたいろいろな映像や、作品が頭に浮かんでぐるぐる回っていました。

 

〇驚異の小宇宙 人体

コップに水を注いだあと、イラストで描かれた映像が流れます。これは、生命を育んだ水であり、生物の細胞を示していると直観しました。「彗星=宇宙=人体=小宇宙」という図式が浮かびました。

人体を小宇宙という表現に初めて出会ったのは、NHKスペシャルでした。1999年

 

〇ミクロコスモス(人体)はフラクタル構造

マクロコスモスとミクロコスモス。人体の中には、大宇宙と同じ形態や構造があるとされ、フラクタル構造を有していると言われています。

www.youtube.com

フラクタル構造は、人体だけでなく、自然界のあらゆるところに存在していると考えられています。

 

〇Power of Ten

MVを見た時に、下記の映像が頭の隅にありました。

人の体の細胞の中は小宇宙と言われます。 そのミクロの宇宙は、マクロの宇宙が反映されているようで、フラクタル構造を示していることがわかりやすい動画です。(最初、家族がピクニックをするシーンから始まり、この部分がちょっと長いので、理解しにくいですが、次第に家族の上を上昇し、宇宙の銀河まで届きます。そして、今度は倍率を下げ、ピクニックのもとの状態まで戻ります。その後、皮膚を通して、体の微細構造に達します。)

ピクニックシーン(日常)から宇宙に至る動画と同様、小さな食堂と宇宙はつながっていて、この空間も、宇宙そのものであると言っていると理解しました。(⇒*2

草間彌生の絵画

イラストで描かれた映像は、細胞を表している。その時、草間彌生の絵が浮かびました。
korokoroblog.hatenablog.com


MVの途中に挟み込まれた映像、細胞を表した絵。似たような絵を見た記憶が・・・ 草間彌生の絵が思い浮かびました。

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最後は、目を表現してる・・・・

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〇落合陽一さんの展覧会

落合陽一さんの展覧会(「落合陽一 、山紫水明∽事事無碍∽計算機自然」)で見た目の写真とも重なっていました。(⇒■目玉のオンパレード

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動画のコメント欄には、下記のようなコメントがありました。

オザケンが飲み込んだ水が食道を伝い、体内を巡り、細胞のなかを漂い、目を潤すというアニメーション!心から感動しました。

改めて見ると、確かに食道を水が通っているように見えます。また、ミツバチの視線が映像化されていたり・・・

最後の、目の中から見ている映像。これは、落合陽一さんの展覧会で体験したことに重なっていました。見る側の視覚に対して、見られる側の視覚。見ている相手側が見ている視覚という存在に気づかされたことと重なっていました。 

 

 

■命のつながり

〇恐竜の化石時代からのつながり

小沢健二さんが水を飲む直前の仕草。小澤征爾の指揮をする時の表情や動きに、見えました。

そして、今座っている場所の下に眠る恐竜たち。連綿と続く、地球の成り立ちや、生物の進化を想起させます。

この食堂から、地球を俯瞰した視線に拡げ、そのまま宇宙の彼方に飛び、宇宙の爆発シーンまで飛ばして、戻ってくるのだと思っていたのですが、途中で戻ってきました。そこまで、離れなくても、今、ここにあるこの場所が、宇宙なのであり、地球であることを感じさせます。

小沢さんの楽曲を聞いた、クリエイターたちによってイメージされた世界を通して、曲が持っている世界観を、さらに拡げてもらえて圧倒されていました。

 

〇家族のつながり 

小沢さんの父親を、指揮者の小澤征爾さんと勘違いしていました。ドイツ文学者、小沢俊夫氏であることがわかりました。小沢征爾さんは叔父さんでした。

親だから、どこか似てると思ってしまうというのは、一種のフィルターだったのかもしれません。先入観でつながりを意識しすぎると、妙な思い込みを生んでしまいます。

ただ、親子でなくても、子供の頃には交流があったと思われ、似たような環境で会話をしていると思うので、影響は多少なりあったかもしれません。

 

〇ドイツ文学者から口伝文芸研究をしていた民俗学者の父

父はドイツ文学者で、世界の民話についての書籍や訳書を出版、昔話やおとぎ話などの口伝の文芸を研究する私設研究機関『小澤 昔ばなし研究所』所長であり民俗学者でもありました。

小沢さんの「彗星」を聞いた時、小泉八雲の世界に通じるものを感じていました。八雲も民俗学者の走りで、フィールドワークから民話や神話などに傾倒し、民俗学者の先駆者的存在でした。(⇒*3

 

民俗学の中のに

昔話の中には繰り替えしがあり、それはリズムだといいます。つまり、昔話は一種の音楽ととらえられます。音楽も同様に繰り返しによって、リズムが生まれます。リズムはスポーツの世界にもあります。この心地よい昔話のリズムが、省略され壊される危機感から、昔はなし大学を始めたそうです。心地よく入ってくるリズムは音楽。そして小沢家には讃美歌という音楽がいつも流れていたそうです。

小沢征爾さんは音楽の道へ。俊夫氏は、好きだった文学へ。その時、柳田国男との出会いがあり、日本の昔話へ方向転換されたそう。そして昔話の復興に尽力します。フィールドワークによって、昔話の楽しさに開眼。その中に人間の真理を見つけます。

この流れは、まさに小泉八雲と同じでです。そして玄孫の凡さんも同じ道を歩きました。孫の小沢健二さんも旅に出ました。 また、戦時中、特高に睨まれながらも、意思を貫きとおした話など、小沢家と小泉家には、共通する部分があります。

小沢健二さんの、生命観や宇宙観が何によって形成されていったのか。お父様が民俗学者でもある小沢俊夫さんであることがわかって、やっと結びつけることできたと感じました。

 

■小沢家のルーツ

そして、俊夫&征爾氏の父は、歯科医師で、政治的な発言もしていたとのこと。俊夫氏も骨太な発言をされ、小沢健二さんもともに、政治批判をされていました。

 

〇親子で権力に立ち向かう

 満州時代、同じ土地に同じ時期を過ごした男たちの末裔に受け継がれた血のつながりを感じられます。
 

岸信介と同じ時代を過ごした俊夫氏の父。そこで感じたものを、引き継ぎ、小沢健二さんならではの言葉で伝えています。

 

〇人の思考のよりどころは環境や生い立ちに

人物の思考のよりどころを知りたいと思った時、このような発想がどこから生まれるのか?と思ったら、生い立ちや環境、学んできたことを見ると見えてくることがあります。さらに、その親は?祖父母は?と、追ってみると、面白くなるし、その周辺の面白さも広がります。

 

 

 

■メディア露出しなかった時間は何を?

アメリカに渡った小沢健二

 アメリカに渡ったという彼が、そこで何をしていたのでしょうか?

その間にもたらしたもの

アメリカには日本のような食パンはない」という話から、ガラパゴス」とも呼ばれる日本の文化に話題がおよび、終わりの「遠い起源」には、次のように、歴史や文化の連続性が親子の関係になぞらえながら語られていた。

「遠い起源」には、次のように、歴史や文化の連続性が親子の関係になぞらえながら語られていた。

《その[引用者注――歴史や文化の]、ものすごく長い時間は、僕らを愛し、支える。そして、その愛し方、支え方は、僕らの鼻についたり、腹の立つ原因になったりもするだろう。

メディア露出を避けていた20年にいろいろなことを、手掛けられていました。歴史や文化、親子の連続性などの体験から、本質的、根源的な真理のようなものに昇華されていかれる様子が伺えます。

 

〇日本に帰還

また、同時期に南半球の国々を旅しており、それを記録したドキュメントムービー(略) この頃の小沢の表現活動は音楽だけにとどまらず、多角的な視点から表現のあり方を見つめ直していたといえるだろう。


姿をお見掛けしない間、さまざまな国を訪れていたことを知りました。ここにも八雲や小泉凡さんが世界各地を旅したことと重なりました。

「生命の平等」という感覚は、世界の各地で出会う人たちによって、その思いを強くされたのだと思われます。平等ということは、誰もが表向きには理解している当たり前のことです。しかし、その当たり前のことが当たり前ではなかったり、本音と建て前の部分もあります。真の理解を伴う「平等」の理念を何から、享受するのか・・・・ それぞれの体験の中にある。

そんなことを感じていたところに、NHKの100分で名著の法華経のテキストを書店で目にしました。

 

■全ての命は平等

法華経の中にみる平等

 最初のページのタイトルが、「全てのいのちは平等である」という文言でした。

物事の真理、本質を、どこで何によって触れるのか。「全ては平等であること」また「差異を認め合い、共存・融和を目指していく知恵」といったことは、法華経の中でも解かれていたことを知りました。

信教の自由。何を信じるかは自由。と表向きのことは理解しています。しかし、心の奥底で宗教を色眼鏡で見てしまうこともあります。上辺の言葉だけなく、心から平等を理解するのは、実は、難しいことなのではと感じていました。

そんな中で、法華経に「全てのいのちは平等」と書かれているのを見て、こういうところが入口となって享受するというルートがあるのかぁ・・・・と思っていました。

 

〇科学の中の「人種・民俗」の平等

科博の展示解説の中に、人種と民族に関する解説パネルがあります。

〇人類の進化、移動から科博の展示で読み解けたこと

 人種や民族というのは、科学、生物学的なとらえ方かに思っていたのですが、次のような解説でした。

「人種」とは、

人類集団内にみられる生物学的な地域変異集団。
人種間の違いはホモサピエンスが、5~6万年の間に拡散する過程の環境適応の結果であると考えられる。

 

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「民族」とは

人類集団にみられる文化的な地域変異集団であり、それを決定するのは、通例、本人の個々の集団への帰属意識である。

「人種」は、生物学的にカテゴライズされるのに対し、(ただし、近代以降は、移動や交雑で分離されにくくなっていますが)「民族」は、本人の帰属意識であるというところに、人間くささを感じました。

客観的な分類でなく、主観的な要素でとらえられていたのでこれまで触れていた科学との違いを感じました。
 

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そして、人種の分類について次のように語られています。

個人でも、集団でも、身体的、文化的な特徴に違いがあっても、偏った価値観で差別をしてはいけない。

科学の展示に「価値観」という言葉が出てきたことに意外性がありました。

自身が多様性や平等を学んだと感じたのは、植物を通してでした。しかしそれを学ぶ場所は、その後、いろいろな場面で遭遇しました。

 

  

■全てはつながりの中で

〇宗教にも生存競争?

最近、リリースされた動画で面白かったのが・・・・

https://www.youtube.com/watch?time_continue=10&v=N2nhteFg_cI&feature=emb_logo

 

動画によれば、諸経の王と言われた法華経がどんな変遷をたどっているのか。法華経日蓮宗の関係や、その他の宗教との違いなどが紹介されています。

ここで思ったのは、宗教も時代に合わせて変化し、生き抜いてきたということ。

これは、生物の進化と同じだと思いました。環境によって、変化したり、亜種が生まれたり、新種が生まれたり。あるいは、淘汰されたり、突然変異のように奇異な形態を持つものが生まれたり・・・・

宗教も時代や世間のニーズによって変化をし生き残りをかけて、生存競争をしていたのです。

「進化宗教学」という言葉が浮かびました。調べてみると、進化と宗教を結び付けた学問領域があるようです。

様々なものが、つながりあっています。そしてつながりながら生き残るための闘いをしているのでした。

 

〇皇室のつながり

令和の時代を迎え、明治天皇から令和の天皇のつながりに目が向くようになりました。繋がりの連続性を見ると、宮中祭祀など、古くから伝わってきたことかと思いきや、明治から始まったものもあるようです。祭祀の形も変化しています。

血筋についても、噂で耳にするいろいろな話の真偽。そもそも、皇室の祖先と言われる天照大御神が、なぜ、天皇家とつながるのか・・・ そこに神話の力を利用した戦略的なものがあったり・・・・?

はたまた、天照大御神は、キリストのように実在していた人物と勘違いさせられることがあります。(キリストは空想上の人物だと、高校の倫社で習うまで思っていました ありえないような逸話は、実在する人のものとは考えにくかったからです。しかしそれも布教のための戦略的な作り話だったのだと理解)

皇室の系譜を見たり、神話の系譜を見たり、YouTubeの動画を見たりしながら、神話と皇室が結びついた理由、その裏に隠された(?)目的などが少しずつ見えてきました。

何かを知りたいと思った時、系譜をさかのぼると見えてくるということも最近、わかってきました。 

時同じくして、小泉八雲をリスペクトしていたボナー・フェラーズという存在を知りました。今の皇室の存続にもかかわる重要な役割を担っていたことがわかりました。皇室が長きにわたって存続し今に至った影の力のようなものも感じさせられます。 

  

〇系譜によるつながり

小沢健二さんがお子さんと競演、そこに垣間見える血のつながり。そしてこのような素敵な曲を生み出す小沢さんは、どんな家族、どんな環境の中で育ったのか。すると、父親、そしてその父と遡っていきました。
 
リーリー君の中に引き継がれた小沢健二さんの遺伝子。その遺伝子は‥‥ 親子3代、そしてその先へとつながっていることを想像させられます。そしてりーりー君も、お父さんたちと同じように、はるか遠い昔から続いてきた、あふれるような愛を、まだ見ぬだれかと育んで新たな命へつないでいくのでしょう。
 

 

■ミュージックビデオ「彗星」の世界

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ミュージックビデオを撮影された監督のお話がとても興味深いものでした。

気になった部分をピックアップ

〇この曲には人生が書かれていると感じて、曲の分解、ラベリングをした
〇埃が音に振動して風に吹かれる視点という構想から、作品に盛り込まれる様々な視点
〇ありふれた日常、定食屋 親子の日常に近づけること。リアルに近づける
〇ババ抜きが象徴するもの ババが行ったり来たり。
〇いいことばかりでなくいろいろなことがある。人間社会の反映。
〇全てが反転した地下世界では、ジョーカーはカードから飛び出し楽しそうに踊る。

〇込めた大切なもの・・・様々な視点の提示の中の水
〇体内にも宇宙・・・・やばい
〇水を飲み餃子を食べる 体の中にある体内の宇宙
〇体内の水が、目の裏側から出てくる
〇眼球のヨリ写真には宇宙の星雲に見える

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▲体内の微細構造の中に宇宙と同じ構図がある(フラクタル

〇水が体内の宇宙を回り、星雲を通って見た先に現実世界がある。
〇ジョーカーとの間に眠る地層の化石は、白亜紀ジュラ紀
〇全部がつながっていて人のつながりが面白い
〇手書きのアニメーションで体内の宇宙を描く


地中で踊っていたのは、飛び出したジョーカーだったのか・・・・ その両サイドには、反転した2人。気付きませんでした。
イラストはいい線いってたかも。でも、目の裏から水が出ていることが表現されているところまでは、気付かなかった・・・


そして、人体を宇宙に例えるって小松監督が言った時のインタビューディレクターの反応が、それヤバイ・・・・ 一瞬、えっ?って思いましたが、もしかしたら若者言葉の「すごくいい」「魅力的」という意味だったのかも・・・・

 

■感想・雑感

小沢健二「彗星」 このMVに込められた世界観は、どのように構築されていったのか? 小沢さんが描こうとした世界を、作り手は一瞬にして理解できてしまったのか? 小沢さんの解説を伴いながら、次第にできたのか? 人体の細胞を宇宙になぞらえてMVに盛り込む発想は、監督由来なのか、小沢さんからの提案だったのか?

また私が最近知った、宇宙の粒子が我々を構成しているという知識。彼らにとってはそんなことは常識として当たり前のように知っていたことだったのか?知っていたとしたら、それは、どういう場面で得るのか・・・・

などなど、制作に関する知りたいが一杯、頭の中を巡っていました。そんなところに、監督へのインタビューは好企画でした。

 

メイキングの様子がわかり、そういうことだったのか・・・・ 聞いた音楽をビジュアルイメージに、一度、落とし込んでたのか・・・・  分析、ラベリング。それ私もしてるかも・・・ 

様々な視点を加える。「物事はいろいろな角度から見る」そんなことは、誰もがわかってるし知ってること。でも、実践できているかどうかは・・・ 具体的に、どんな見る角度があるかを示し、それを映像で見る側にどうやって伝えるのか。

 

そして、こうしたMVを生む、監督との出会いは、どのように生まれたのでしょうか?この広い宇宙の地球という星の上で、小松監督と小沢健二さんが出会ったこと。いろいろな偶然が重なった、奇跡だったのだと思いました。

 

私が「彗星」に出会った日、高御座と出会い、そこに宇宙を感じていました。

そして・・・

あの高御座や御長台を見て、あの中に入った時に、何を思うのだろうと想像していました。それは、理屈ではなく、今、ここにいるという奇跡、生きているという生命の肯定を感じるのではないかと思われました。

 

■高御座との関連 

 

■関連

strumblog.com

ameblo.jp

ogachi1712.livedoor.blog

strumblog.com

 

headlines.yahoo.co.jp

■脚注・補足

*1:■本質はいろいろなところに 
アートの役割 アートは生きる力をはぐくむ

アートはそのように一定ではない存在であるがゆえに、人びとに柔軟な視点をはぐくむツールにもなり、現代のように、価値も先行きも不透明で混沌とした時代、私たちを支えてくれるものとなり得るのである。

しかし、アートだけが生きる力を育むとは思いません。

〇数学によって世界を見る目が変わる (9:52~)
 数学には本質がたくさん集まっている(11:25)
 世の中のいろいろなことを抽象化(10:45~)し、キレイなものを見つける(10:50)
 これまで見ていた世界とは違うものが見えてくる 

www.youtube.com

現代美術を通して、世の中を見る目が変わると言われます。しかし数学の微分積分でも世の中の見方を変えることができると言います。

微積がわからないまま今に至ってしまいました。これを実感として得たことはありませんが、感覚的なことは理解できる気がします。
関数とはfファンクション。それは一種のフィルター、ろ過機のようなものかなと・・・・

 

www.youtube.com

日常を科学の眼鏡をかけて見ると世界が変わる。勉強すればするほど、感じるものが増える(知識と感性の関係)眼鏡を磨けばみがくほど解像度は上がる 。

それにとどまらず、別の世界に置き換えて解説できることが重要。

スポーツの「ルールを知らない」ことにたとえる。ルールを知らずに見ると楽しめない。さらにルールを知るともっと楽しめる。スーパースターのすごさもわかる。

自然界のルール=科学。科学を知ると見の回りの現象が楽しくなる。
なぜ、勉強するのか? 人生を豊にするため。

何をするにしても、どこからでも、ここにたどりつく。それを自分の専門の世界だけで語るのではなく、別の世界も同じであることを知った上で語ることに共感を持つ。

 

 

*2:■Power of Tenについて このビデオを作製したのが、家具デザインで有名なイームスだったことを知りました。
丁度、松江で、柳宗理展を見た時に、柳宗理イームズ宅で蒸発皿に砂糖を入れておもてなしされたというエピソードから、イームズの存在を知ったところでした。 

以前「松江泰治展 世界・表層・時間」という展覧会を見た時に、彼の作品から「Power of Ten」という作品を連想したという記事で知りました。(2013年)(⇒写真の鉛筆 THE PENCIL OF PHOTOGRAPH 現代写真インターネットマガジン : TAIJI MATSUE 松江泰治 「世界・表層・時間」前編

この映像は、教育映画という解説だったので、これを誰が制作したとか、作品であるという意識もなく、モノのスケールを客観的に見せるための動画。理屈としては理解しにくい「べき乗」という物差しを、感覚にわからせるための科学教育動画と理解して見ていたことを思い出しました。

ところが、実験道具の時計皿に究極の美を見出したデザイナーによるものだったという驚き。デザイナーがこんな映像を作ってしまうの? しかも制作されたのは1968年。CGが存在しない時代に、実写からアニメーションへの滑らかな移行されており、見るものを驚かせたと言います。IBMの資金協力があったとのこと。

デザインの本質に迫る人は、人体や宇宙のつながりについて、意識的であるし、それを伝えるための表現の世界にも進出していたのでした。

 

*3:小澤俊夫氏、伊集院光のラジオに出演し民話などの伝承について語る 

昔話やおとぎ話には、メッセージがあるもの。『三年寝太郎』のなどは、若い頃は寝ていてもいずれ起きることができる、人は変わることができる”というメッセージが込められている。

 

■子どもには自ら育つ力がある昔話に込められたメッセージに耳を傾けてみよう