現代美術はわからないとよく言われがち。実は美術関係者もよくわかっていなかったり?そんなとっつきにくい現代美術の祭典。ヨコハマトリエンナーレ2020が開催されています。今、この時期だからこそ、触れるチャンスだと言います。その理由は・・・・
■現代美術はむずかしい
〇美術関係者にとってもむずかしい
現代美術というと多くの人が、むずかしい。よくわからない。何でもありの世界。といったイメージを持ち、どうも敬遠されがちです。
開催前日の記者会見で、蔵屋館長が語りました。「午前中に展覧会を見たプレスの方たちから、現代美術は難しいと思っていたけども、今回はすんなり受け入れられた」と言う声を多くいただいたそうです。
実は、現代美術、美術のプレス関係者にとっても、難しいと思われていたのでした。
〇5つのソース、関係者にもわからなかった
当初、ディレクターのメディア・コレクティヴから提示された5つのソース。ヨコトリの関係者の間でも、何のことやら・・・と分からない部分も多かったと言います。
ところが、新型コロナ禍の元、これらのソースが、身近なものとして実感を伴って感じられるようになってきました。
〇現代美術のアーティストとは?
蔵屋館長が、現代美術のアーティストの活動につて、次のように解説されました。アーティストは、少し先の未来社会で起こることを予見して、捕まえてきて作品にしているのだと。
そのため、私たちには、アーティストが捕まえた未来の問題は、まだ雲をつかむようで、よくわからないのです。現実的ではないため、むずかしい、わからないという印象を抱いてしまうのでした。
〇現実が追いついてしまった
ところが、今回提示された「毒」というソースは、世界を席巻した新型コロナ禍と重なりました。その「毒」といかに「共存」し、人々の心や体を「ケア」をしていくかということを、目の当たりにしている現実が、現代美術のテーマそのものとして現れたのです。
ラスクが、ちょっと先の社会を見据えて掲げた5つキーワードでしたが、その一つ一つが、現実と結びついて迫ってきました。つまり、ラスクが少し先の世界から、捕まえてきたソースに、現実が追い付いた状態となって展覧会を迎えたのです。
〇日常とは違う敏感な精神状態
新型コロナ禍での環境は、常日頃、自分が感じたり思考したりする状況とは、異なる状態をもたらしたと考えられます。生きるとは、死ぬとはなど、普段、考えないような根源的な問いと向き合わされたのではないでしょうか?
普段の自分の精神状態では、感じとれなかったことまでキャッチしてしまう状態になっているのではないかと蔵屋館長は語ります。
実際に会場でも、「これまでよくわからなかったけど、今回はわかりやすい」という声を耳にしました。
■わからないを楽しむ
〇わからない現代美術にふれるチャンス!
感覚が鋭敏になっている今こそ、ちょっとした刺激にも、反応できる状態だと言います。いろいろなことを、心が受け入れやすくなっているので、これまで感じ取ることのなかったことに対しても、目が向くこともあるかも・・・・
現代美術がよくわからないという人こそ、今がデビューのチャンス! また、これまで親しんできた方たちも、通常時に触れるのとはまた違う感覚で捉えることができるかもしれません。
〇現代美術は、わからないもの
現代美術は、もともとわからないもの。みんなわかって見ているようでいて、わかっていないんだと思うと気が楽です。今回、ラスクが提供したソースの意味も、わからないのは当たり前。ヨコトリの関係者も「わからない」からスタートしていたわけです。
〇理解を助ける作品解説も・・・
作品の解説も、今回は趣向がこらされています。右のような解説が添えられていて、いつもの解説とは様相が違います。作者のプロフィールは一切、ありません。解説にしては、とても長い文章です。
読んでみると、なんだか抽象的でつかみどころがありません。かと思えば、作家や作品の解説が始まったり・・・ 余計、わけわからなくなります。しかも長い・・・・・・
〇作品解説パネルについて
この解説がどのような構成になっているか「いっしょに歩くヨコトリガイド2020」の中で示されています。
3つのブロックに分かれていて、以上のような構成になっていたのです。
①作家自身の言葉や参考資料からの引用
②作品の詩的な解釈
③作家・作品に関する説明
解説は、ラクスコレクティブによる監修の元、一人のインドのライター、シュベタが執筆しました。それを作品を知る、複数の日本人スタッフで翻訳しながらプラッシュアップしていきました。
謎めいた詩のような解説をあえて提供することで、イマジネーションを自由に喚起し、連想を拡げて欲しいという意図があったのでした。ただでさえわからないところに、さらにわかりにくくしているように感じてしまいます。しかし、そのわからなさを、楽しんで!という狙いだったのです。
〇知識にたよらず、まず体験を!
趣向をこらした解説パネルですが、正直、この解説を、それぞれ読みながら、作品を見ていたのでは、疲れるし時間がありません。読むのは後回しにして、写真に撮影して、家に帰ってからゆっくり読むことにしました。
会場では、作者もわからない、タイトルもわからない。その状態で、想像してみるのですが、それは、なかなか難しいものがあります。そこで、せめてタイトルだけと、チラ見したりしながら・・・
そこから感じた感覚的なことを、頭と体にとどめました。周回できる作品は、何度か、ぐるぐる回わってみました。知識にたよらずに、目の前の作品を見て最初に感じたことが、あとから解説を見た時に、意外にポイントだったりすることも。
そして何も知らずに作品から感じた作者の素性。あとで参加アーティストで照らしてみると、そのギャップに驚かされたり。
詩的な解説から生まれる自由なイマジネーション。アーティストの意図とは違う、想像力を生み出して欲しいという願いが伝わってきます。
■光の破片をつかんで自ら輝く
〇独学し光の破片をみつけて模索し輝く
たくましく想像力を働かせながら、自ら独学し、さまざまに発せられている光を集めていく。それによって、自らも光を放ち輝いて欲しいと願っています。毒も排除することなく、共生の道を模索し、探してみようと投げかけています。
世界が、コロナ禍に見舞われ、様々なものが押しつぶされようとしている今、afterglwの光の中で、様々な異なる光の余韻を受けています。今後、希望の光も見えてくるはず。そんな光をつかみとり、afterコロナを生きる術をみつける機会にもなる芸術祭です。
〇芸術が持つ可能性や力から学ぶ
組織委員会の近藤誠一委員長からは、「人類と文明の在り方、価値観など疑問を持ち始めた今、芸術が持つ可能性や力から学ぶところが大きいはず。コロナ後の生活をどうすればいいのか、考えるためのきっかけとなる」と語りました。
ラクスもまた、「アートは、世界に癒しを与え、世界に変革をもたらす力を持っていると信じている。そのことを今、この瞬間、発信できていると自覚している」と語りました。
■アートに知識は必要? いらない?
〇幕に覆われた美術館 どうしちゃったの?
グレーのシートに覆われた美術館。何も知らずにこの光景を目にしたらどのように感じるでしょうか? すでにヨコトリ関連の情報が駆け巡っているので、これが作品であることは、周知のことになっています。
最初から作品として見てしまうと、そういうものとしてしか見ることができません。しかし、何も知らずこの光景を目の当たりにしたら・・・・
横浜美術館なう。
— Masaya Nakada (@masasukasukasu) 2020年7月31日
これから、ヨコハマトリエンナーレ2020を観覧する。
チケットは、一昨日のうちに日時指定券をWebで決済し、自宅でプリントアウトしておいた。
美術館の前面の覆いは、芸術?ただの日除け? pic.twitter.com/fXmnof6qgH
梱包された横浜美術館。#ヨコトリ pic.twitter.com/fVfALTjTJO
— てこぺん (@tecopen) 2020年7月26日
素朴な疑問
— 里見 (@s_satomi) 2020年7月26日
横美って、、、工事中なんですか?
まさか、、外のこれも現代アート??
作品と認識していないと、いろいろな想像が生まれます。それを記事にされていました。
私もあれこれ、想像していました。黒いスクリーンは、エントランスで展示されているニックケイヴの作品の、光の入り具合を調整をするためのものなのだろう。あるいは、この幕と建物の間で、何か展示をしているのかも。
採光に影響を与えているようではありませんでした。
建物との間で、何か行われているわけでもありませんでした。
それにしても、台風や大雨の時、どうするんだろう。その都度、とりはずすのだろうか? そんなことを思いながら、館内に入っていきました。
〇光輝く空間のはずが・・・・
入った瞬間、暗い‥‥
もっとキラキラと輝く空間を想像していました。天井を見ると、ルーバーが、全部、閉まっていました。
天井から自然光が降り注ぎ、天候によっても変わる光を楽める作品を期待してたのですが・・・
今回、独学がテーマだったので、ニック・ケイヴの作品は、事前に調べたり、これまで開催された展覧会の作品をいろいろな形を見ていました。自分の中で作品のイメージができていて、他の場所にはない、横浜美術館のこの場所ならではの光と空間の中で見る作品に、大きな期待を寄せていました。その期待とのギャップが・・・・
〇これは何? 腸以外に考えられる?
こちらの作品も、自分なりにいろいろ想像を巡らせていたのですが、腸を支える構造に着目していました。ヨコトリでは、一本のバーで支えているのか・・・・ すべてが同じ高さ。それじゃ、動きにバリエーションがないし、面白みがなくなるよなぁ‥ 何かが違う(笑) 天井高がないからしょうがないか・・・
それに、これ、もはや腸ではないと思う。
自由な発想を促すために詩的な解説をしたと言われていましたが、この解説では、腸以外の想像力を奪うような・・・・
私は、ヒキガエルの卵だと思いました。庭の水盤に毎年、卵を産んでいたあの光景と重なりました。ポコポコした膨らみから、今にもオタマジャクシが飛び出してきそうな強い生命力を感じました。
Yasunori Koide</a> - <span class="int-own-work" lang="ja">投稿者自身による作品</span>, CC 表示-継承 3.0, リンクによる
▼こちらのサイトで箸で卵を引き上げている様子に似てるかも・・・・
事前に、独学をして調べたりしていたことが、鑑賞する上で、マイナスになっているのを感じていました。まずは、何も見ずに感じることの方が大事・・・・
そのあと、いろいろ作品を見て、会場をあとにしました。
〇思いがけない作品との出会い
最後、美術館を出たところで目にしたのが、この解説でした。
美術館を覆うスクリーンは、作品だったんだ! この驚きが、今回のヨコトリ作品の中で一番、私にはインパクトがあり、印象に残りました。
「見て、考えて、知る」という一連のプロセスが、とても心地よいと感じられました。会期が始まると、情報収集されている方は、美術館を覆うスクリーンが、作品であることを知った上で見ることになると思われます。
作品とは知らずに見る・・・・ そこに面白さがあると思いました。事前に知ってしまっても、知らなかったと想定して見る。そんな楽しみ方もあるのではないかなと。
知ってしまうと、知らなかった状態にはもどれない。しかし、そこをあえてリセットして見ることができたら面白いと思います。
〇イヴァナ・フランケ《予期せぬ共鳴》(2020) 制作過程
横浜美術館で、外壁に展示する作品の準備が始まりました!どんな作品ができあがるのか、どうぞお楽しみに。開幕は7月17日(金)。チケットは事前予約制です。7月の来場をご希望の方は、どうぞお早めに。https://t.co/4THPxg4Ggl#ヨコハマトリエンナーレ #ヨコトリ #yokotori #yokohamatriennale pic.twitter.com/dp7Dlpryyy
— ヨコハマトリエンナーレ2020 (@yokotori_) 2020年6月30日
【チケット情報】
— ヨコハマトリエンナーレ2020 (@yokotori_) 2020年7月14日
開幕日まであと3日!
ただいま開幕に向けて絶賛準備中です。#ヨコトリ2020 の全貌を知りたい方はチケットをご予約の上、お越しください。
7月、8月のチケット発売中!
▷https://t.co/1GOonVm7Ir#ヨコハマトリエンナーレ #yokotori #yokohamatriennale
▼本日の横浜美術館正面▼ pic.twitter.com/Hy7OFNEbHT