コロコロのアート 見て歩記&調べ歩記

美術鑑賞を通して感じたこと、考えたこと、調べたことを、過去と繋げて追記したりして変化を楽しむブログ 一枚の絵を深堀したり・・・ 

■小泉八雲旧居:真冬の松江 夕暮れに差し込む光の中で

世界を旅した小泉八雲は、最後に日本に訪れ、松江で過ごしました。セツと出会い新居を構えたのがここ 小泉八雲旧居です。松江の寒さに住まいを変えたという逸話がありますが、松江の冬の寒さはいかほどだったのでしょう?夕暮れ時に訪れました。 

 

■松江で暮らした小泉八雲

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小泉八雲が、セツ夫人と、新婚生活を5か月(1891年6月~11月)過ごした家です。

八雲が来日したのは1890年。それから没する1904年まで、14年間、日本で過ごしました。そのうち松江は、1年3カ月の滞在でした。そしてこの家で暮らしたのは、5か月です。松江の寒さに耐えられず、この地をあとにしたと言います。短い期間ですが、ここでは代表的な多くの著作が生まれ、創作活動の原泉を得たと考えられます。 

昨年(2019年)の夏、8月の終わりに一度、訪れました。
  ⇒小泉八雲旧居  *4 
八雲が
耐えられなかったという松江の寒さに興味を持ちました。松江の冬を体感してみるのも面白いかも。そんなことを考えていたら、タイミングよく「Bonさんの松江文豪まちあるき」が開催されることがわかり、2月に再訪しました。

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エントランスの植物は、夏に来た時と繁茂の様子が違います。季節の移ろいを感じます。 

f:id:korokoroblog:20200222124214p:plain2019.08.30   13:31 昨年の夏の様子。玄関を覆い隠し屋根まで届くほどのルリヤナギ。

 

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(左)この家の佇まいについて「日本の庭園」で書かれた文章が紹介。
(右)旧居の修理の記録が記されています。 

 

■2月の夕暮れの小泉八雲旧居

夕暮れが迫る午後4時半頃。玄関から一歩、居室に入ると、太陽は沈みかけ、室内はうっすら影を落とし始めています。

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夏とは全く違う空気に、息を飲みました。季節も変われば、時間も違う。空気感が違うのは当然のことです。しかしこの情景は、きっと八雲が好きな景色に違いないと、確信させられるものがありました。その遭遇が、必然にもたらされたと感じられて、ぞくっとさせられました。

この日は、とても暖かく、松江の寒さ体験とは裏腹となりました。てっきり、窓は締め切られ、畳の床下からは、冷たい空気が足元から伝わり、深々と冷えることを覚悟していました。ところが、夕暮れ時、窓が開放されていても、寒さは感じないほどの陽気です。

この暖かい光は、心の奥の方に語り掛けて、何かを掘り起こさせようとします。何かわかりませんが、思い出のかけらにアクセスし、つなげようとしているようです。

立つ位置、体の角度を少し変えると、室内はわずかに光で満たされたように感じました。 

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太陽は海岸線ではなく木陰、隣家の屋根の奥に落ちようとしています。太陽が沈む前に放つ光は、思わぬ光景に遭遇させてくれます。きっとこれまで体験したことがない新しい世界を見せてくれるような気がしました。

そして隣の部屋に目をやると・・・・  

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床の間と屏風に向かって日が伸びています。八雲は、この床の間の前に座って、3つの部屋を眺めるのが好きだったそうです。

日差しと影は、居室の奥まで長く長く伸びています。冬の太陽は高さが低いため、影を長く伸ばすことは知っています。そんな自然現象を、居室で目の当たりにしました。(最近のマイトレンドワードは「夕景」「夕日」「日没」夕景は戸外だけでなく室内にも存在していました)

八雲の机がスポットライトでも当てているかのように浮かび上がりました。

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これは、見る角度によってそう見えたのか、わずかな時間の経過によって、光の差し込む場所が変化したからなのか・・・ 

まるで、そこに八雲が、ひょこっとやってきて椅子に座ったように感じました。 

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光は、八雲の机と椅子、そしてセツさんの部屋へも延びていきます。 

 

八雲の足元を、ひときわ明るく照らしています。

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八雲が、舞い降りた! 確信しました。

 

翌日に見た光景です。

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翌日の午後は「Bonさんの松江文豪まちあるき」に参加する予定でした。午前中、調べものをしたくて、小泉八雲記念館に立ち寄りました。その時に出くわしました。

旅する八雲をイメージしたキャラクターが抜け出してきたよかのようです。

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小泉八雲記念館のミュージアムショップで販売されているシール。
 

【追記】2020.02.24  旅人ヘルンのモチーフは?

このモチーフは、いろいろなところで目にしていました。描かれたのは、どこでどなたによるものなのか調べていたのですが、わかりませんでした。旅をするヘルンのイメージギャラクターとして近年作成されたのかな?と思っていました。

冊子『無限大』 アーカイブ [ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)特集(88号:1991年発行)] | Mugendai(無限大)

上記の中で

1880年当時の横浜の海の玄関 税関(小学館『百年前の日本』より)
ハーンの来日姿を同行画家ウェルドンが描いた思い出のスケッチ

であることを教えていただきました。

 

 

■居室の奥まで伸びる日差し

冬の日差しは長く延びます。居室の奥の奥にまで差し込みます。

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畳面には、シャープでくっきりした、直線的な影が、光が進む方向を示します。それは、障子と柱によって形づけられています。

一方、木々の影は輪郭を曖昧にし陽炎のようです。そして障子には、ほんのりと照らされた光が浮かんでいます。対称的な影が、室内を包みます。

 

書斎は、北から畳面に差し込んだ光が反射して、室内にも回り、ほんのりと照らしています。

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昔の日本家屋は、畳が反射板の役割をして、屏風や軸を柔らかい光で照らすと聞いていました。これまで、そのイメージを実際に体感したくて、寺院などを散策してきました。畳が自然光を反射するとどのような光になるのか探し求めていました。

初めてこういうことだったのかと感じられる光景に遭遇できました。北側の柔らかい光が窓から注ぎ、畳にあたってこちらに届いているのがわかります。

 

スポットライトのような光

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沈みゆく冬の太陽は、こんなにも奥まで光を届けてくれるものなのでしょうか?この時期のこの時間に訪れたからこそ見ることができた光景です。

(30分しか見学ができなかったので、もったいないからどうしようかと考えていました。でも、夕方の様子は見ていないから・・・・ 日没前後の光は、これまで見たことのない景色を見せてくれる可能性がある。こちらに来る直前、旧朝香宮邸で、体験したことでした。そんなことが功を奏しました。) 

 

室内灯の効果もあった? 

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ここにいた時は、室内灯が灯っていることに、全く気付きませんでした。室内は、この照明と夕暮れ時の太陽との相乗効果もあったかもしれません。

 

自然光は、書斎を通りこし、隣のセツさんの部屋、一番奥の角まで届いています。

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ここは、一番奥の部屋です。この武家屋敷が建てられたのは江戸時代? 冬の季節の光を、こんなに奥まで引き込むことができる日本家屋の形状には驚きました。採光の計算、建物の方角と向きなど、決して偶然ではないはずです。

 

 

■浮かび上がる影

室内に浮かび上がる様々な影にも、魅了されます。

縁側と畳の床面には柔らかい影を落としますが、壁にはくっきりと木々のフォルムが映しだされています。

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障子戸には、木の陰と、妙な模様が映し出されました。  

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近寄ってみると・・・・

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(左)水のような、揺れのように見えます。
(右)反対方向から見ると、複雑な影が浮かびます。

何が投影されているのでしょうか? 振り返ってみたら・・・・

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それは、手すきガラスでした。

昔のガラスは、表面が歪んでいるため、景色が揺らいで見えます。それは、ガラスが手で延ばしで作られていたため、フラットにする技術がなかったからです。

そんなガラスを、光が通過すると、このような模様を浮かび上がらせるのでした。

ガラスの歪みによって、景色にゆらぎを与え、深い味わいを醸し出すことを知ったのは熱海の起雲閣でした。その後、日光の金谷ホテルや、箱根の富士屋ホテルなどでも目にしてきました。しかし、そこを通る光が作り出す影を見たのは初めてです。

技術の進歩によって、今は作ることができなくなってしまったと言われる手延べガラス。割れてしまうと再生ができないと言われています。そんな稀少なガラスが作り出す影の妙に遭遇できました。水とガラス、似て非なるものですが、透明という共通性が作り上げる造形なのでしょうか?

(今は、特殊技術を使って、手すきガラスのような状態のガラスを作っている会社もあるようです。)

 

 

■八雲が見た世界、感じた世界

夕景、長い影というのは、懐かしい記憶を、呼び覚まそうとしているようで、郷愁を誘います。心の奥の奥へ、陰が微弱電流を流して刺激を与えているような感じがしていました。

谷崎潤一郎の『陰影礼賛』の世界とは、こういう世界観なのではないか。小津映画の古き良き時代の舞台もこんなだったのかも・・・

いずれも、見たり読んだりしてはいないのですが、日本人が潜在的に持っている世界観。その時代の暮らしを、知っていようがいまいが、体験していようがしていまいが、誰もが共鳴できてしまう日本人の感覚。

現代の生活では、畳も障子戸も床の間も存在しない生活をしている人が多い日本。でも、無意識に感じてしまう美しさの根源的なものを見せてもらったように思いました。

 

八雲が日本を見て感じ、共感したことの一端。八雲が住んだ住居で、130年の時を経ても、同じ体験ができたと思えること。八雲の一端を知るための、わらしべ長者の藁のはしっこに触れた気がしました。

八雲も同じ光や陰を見ていたかもしれない・・・・そう思えるだけで、感慨もひとしお。手すきガラスが作り出す影の模様、八雲はどんなふうに受け止めていたのでしょうか? 当時は、不思議にも感じることもなく、当たり前の影だったのかもしれません。しかし、八雲ならではの感性が何かをとらえて、インスパイア―されていたかもしんれないと思うと、時空を超えて八雲とともに時間を過ごせたように思いました。

 

 

 

■名著『知られざる日本の面影』の舞台

 『知られざる日本の面影』の第16章「日本の庭園」には、この屋敷と庭園のことが記されています。 

 

庭園が、著作の中でどのように紹介されたのか、パネルで展示されています。

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今回は、この部分が掲載された元本とともに庭を見たいと思っていました。八雲はこの庭を、日本を語る上でどういう位置づけとして捉えていたのか。それも含めて知りたいと思うようになってきました。(これは私にとっては、すごい進歩) 

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お隣の小泉八雲記念館で、入手しました。(図書館で借りて持参していたのですが、これは、手元におくべきかと思って。小説のような書籍をわざわざ買って読むのはもしかして初めてかも?)

 

入館の際に下記のようなしおりが手渡されます。

 

そこには、旧居観覧の手引きがあります。

 

国指定史跡 小泉八雲旧居(ヘルン旧居)

上記のHP内にも掲載されています。

ここは住宅の構造を見るだけでなく、八雲自身になって作品「知られぬ日本の面影」の舞台となった庭を見ていただきたいと思います。(略)従って公開も庭を見ていただくのにふさわしい方法をとっているのです。ただ単に住んだだけということでしたら公開の方法も、ほかの多くの旧居のように、家の周囲をぐるっと歩いて、外から眺めるという方法になっていたと思います。

 西洋人である小泉八雲が日本の庭をどのように見たのかということが重要なのです。

 

西洋人の八雲が日本の庭をどのように見たのか‥‥  小泉八雲旧居見学の醍醐味がそこにあるようです。このあと、探ってみます。続く・・・・

 

【追記】2020.03.09 八雲が感じた冬の寒さ

 八雲が感じた冬の寒さを体験してみる。どんなに寒かったのか・・・・ というのが今回の旅行の目的の一つだったのですが、あれ?と思っていたことがありました。八雲が松江にいたのは、この住居にいたのは5ヶ月。次の熊本へ行ったのは11月。

【修正】松江に8月に赴任し、その年の11月に熊本に移住したと勘違い。八雲が松江の冬を過ごしたのは、この家ではありませんでしたが、冬を過ごしていました。

松江の11月ってそんなに寒いのかなぁ・・・・ 何か別の理由があって、その口実だったのでは? でも、その時代は、今と違って温暖化もなく、気温が低かったからかも。八雲の出身地や暮らしてきた場所が比較的温暖で過ごしやすかったから(実際にどうなのかわかりませんが)、松江は寒く感じたのかも。あるいは、八雲が極度の寒がりだったとか・・・ 

あれ?と思うものの、個人の体感温度は違うものだから・・・・と、納得していました。

 

寒さが原因で熊本へ・・・と聞いた時の本音

初めて小泉八雲旧居に訪れてた時に、八雲がここで暮らしたのは、5ヶ月と知って、たったそれだけしか暮らしてなかったんだ。というのが偽らざる印象でした。松江が気に入っている、この家が気に入っている。と言ってるのに、5カ月しか暮らしていない。

寒さが原因で、松江を離れたと言うけども、寒さだけで気に入った場所を5ヶ月で離れてしまうものだろうか。そもそも、こういう人たちは、一所にはいないもの。離れられた側の土地の人が、自分たちを納得させるための理由だったり?

(偉人は、全国、いろいろなところを行脚し、ちょっとだけ、その地に暮らしたりします。その土地では、そのことをとても誇りに思い、自分たちの土地がその偉人の根幹を作り上げたという意識を持つものだと感じたことがあります。

美食で有名、多方面で才能を見せた芸術家が若い時に、わずかな期間、暮らした土地。そこでは、この街の旦那衆が彼を育て、多方面の芸術の素養を身に付けさせたという話がありました。偉人が訪れた土地では、そういう思いが醸成され、観光に活かされていると感じていました。

松江の八雲もそれと同じなのだろうと思っていました。松江、熊本、焼津と全国に立ち寄ってます。たった5ヶ月しかいなかったのに、それを八雲の原点のように語っているいる・・・・ 八雲は世界もまわっていたし・・・  ⇒その時は、八雲のことを全く知らなかったので)

 

しかし、明治時代の寒さ。今、私たちが感じる寒さと比較してはいけないのかもしれません。十分な暖房器具がなかったかもしれないし、昔の日本家屋は、風通しがよいから、隙間風がピューピュー吹いていたのかも・・・ 

どこかにひっかかりはあったのですが、寒さの感じ方は今とは違ったのだろうし、個人差は、想像の範囲を超えます。そしてこの時にイメージしていた寒さは、真冬の松江、2月ごろの気候でした。

(10月に島根県立美術館の夕日の展覧会に再訪する予定にしていました。そこで、もう少し八雲に興味を持てたら、2月に行われる凡さんのまちあるきに参加して、八雲の感じた寒さを体験してみようと思っていました。)

八雲のことを調べるうちに、11月に熊本へ移住していることが見え始めてきました。しかし、それは隅に置いて意識的に見ていなかった気がします。

2月に旧居に訪れ、夕暮れ時の小泉八雲旧居を見た時、これは、八雲が好きだった景色だ!って確信しました。寒さは、その日、まれに見る暖かい日で、ぽかぽか陽気。体験ならずでした。

 

そのあと、凡さんの講演会で、八雲が松江をあとにしたのは、寒さと言われていますが、他にも理由があって、こういうことも原因だったかもしれません。と語られました。そこで、11月に熊本へ移住したということが、現実の出来事としてフラッシュバックし、舞い降りてきました。最初に感じていた違和感とつながったのでした。

今、『新編 日本の面影』を見ながら、八雲が松江に滞在した時、いつどこに行き、何を見たか行動記録を時系列に並べてみているところです。それを元にいつ頃、どんな作品を書き上げていたか、わかる範囲でまとめていているのですが・・・・

1891年11月15日 9時には、万歳三唱に送られ、妻セツと蒸気船で宍道に向かう。

 

2月に訪れ、八雲が絶対に好きだと確信した、夕暮れ時の長い影を作る冬の日差し。八雲は、2月のこの日差しは見ていなかった・・・・ 

11月15日に熊本へ。寒さが理由で熊本へ移住を考えたとしたら、次の移住先や働き先を探して決めたり、それに伴うもろもろの準備があるはず。寒さに耐えられないといと感じて、どうしようか悩み移住を決めます。それから、具体的な転居先や職場を探し、、手続きをすすめていく。この時間経過を逆算したら、10月の始め頃には、寒さに耐えられなくなっていることにならないでしょうか?

 

八雲は、松江にたった5ヶ月しかいなかった・・・・  寒さが原因ってホント?

(心の奥のどこかで、思っていたことでした。)

 

【追記】2020.03.29 「思い出の記」小泉セツ

新編『日本の面影 Ⅱ』より
日本に来る前、西印度のような暑いところにおり、その気候に慣れていました。出雲の冬の寒さには随分、堪えていたよう。

 

参考:ハーンの妻セツの役割の再検討

 

【追記】2020.03.09 第一印象は早く描き残す

ファーストインプレッションは大事。八雲も、第一印象はできるだけ早く描き残しておくこと。第一印象というのは次第に消えてゆき、薄れてしまうと二度と戻ってこない。と『新設 日本の面影』の「東洋の第一日目」の冒頭で語っていました。

 

最初に見て、感じていたこと。すでに忘却の彼方にありましたが、今、浮かび上がってきました。八雲の転居の原因は、寒さではない別の原因が考えられる。それがわかってしまうと、「寒さで松江を離れた」ことに対して抱いた印象は、戻ってこなくなっていたかもしれません。

  

【追記】2020.03.09 2019年8月に訪れた時の記録 

小泉八雲が、セツ夫人と、新婚生活を5か月(1891年6月~11月)過ごした家。『知られざる日本の面影』の第16章「日本の庭園」には、この屋敷と庭園のことが記されています。

館内には、『知られざる日本の面影』の一節がパネルで展示されています。八雲の目線で、庭を追ってみました。

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「その境とは妙な隔ての壁で半ば、分たれて居る」と書かれています。壁のどの部分がどんなふうに妙なのでしょうか。

この文章と庭を、何度も行き来しながら、照らし合わせていました。八雲がどのような環境の中で創作活動をしていたのか、追体験に浸れます。西洋人の八雲は日本の庭をどう見ているのでしょうか・・・・ 

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庭を見ていて、はっとしました。日本では敷地の境界を塀で仕切るのは当たり前で、塀があることに何の疑問もいだきません。しかし西洋は、隣家との境に塀は作らないと聞いたことを思い出しました。壁が妙な構造なのではなく、壁で仕切っていることを妙だと感じたのではないかと思いました。

 

北側の庭とそれを書いた一説。

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八雲が愛した庭が今に引き継がれていることが、奇跡的です。その庭を、八雲が暮らした同じ空間で眺めるというのは、なんて贅沢な時間なのでしょう。八雲をよく知らずに来たのですが、感慨もひとしおでした。

作品を読んでいないから、行ってもよくわからないだろうなと思っていましたが、パネルにして置いていただくというご配慮が、八雲への興味を掻き立ててくれました。

ところで・・・・ 
土蔵の影から蛙を食べる蛇に自分の肉をやって食べないでくれと言ったという話。

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この話には、ちょっと疑問を感じさせられたのでメモ。

小泉八雲記念館」の展示を見て、八雲は、自然界の循環、摂理などを理解しており、それがあったからこそ、日本の自然観に共感したのだと思っていました。

食物連鎖、輪廻転生、弱肉強食などの見地に立っていたら、蛇のような大型動物が庭に生息するということは、その庭に豊かな生態系が存在していることを理解しているはずです。

蛙が食べられてしまうからと、人的な介在はしないと思うのです。 セツと結婚してまだ間もない頃とのこと。これからのセツとの暮らしを通してコントロールしない自然を知っていく過渡期だったのでしょうか?

 

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八雲は庭のある武家屋敷を望んだといいます。現在、八雲が住んでいた当時のままで保存されているのは、ここだけなのだそうです。

八雲が日本家屋のどんなところに魅せられ、どんな調度品を好んだのか。この空間に身を置くことで、八雲の心に近づけるかもしれません。 

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三方向の庭を見ることができるこの空間が好きだったそうです。著作の中の庭が残され、当時と同じ感覚で見ることができる唯一の場所です。椅子の生活をしていた八雲の目線。片目の視力を失っていた状況で見る庭。八雲の状況になりきってみると、この庭、そして建物も新たな見え方が発見できそうです。

寒さに耐えられず熊本へ転居した八雲。その寒さがいかほどだったのか、この住居の冬を体験してみるのも面白いかも・・・・ 

 

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小泉八雲旧居 その➀ : mosquitogarden
小泉八雲旧居 その② 南の庭 : mosquitogarden
小泉八雲旧居 その③ 西の庭 : mosquitogarden
小泉八雲旧居 その④室内、北の庭、 : mosquitogarden
小泉八雲旧居庭園(ヘルン旧居)(島根県松江市) | 庭園ガイド

  

 

 

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