静嘉堂文庫美術館で行われている 「かおりを飾る~ 珠玉の香合・香炉展」 会期は8/13と残すところ1週間を切りました。先日 「香りの文化史」の講演会に参加しつつ再訪したので、調べたことや感想などを記録。
写真はブロガー内覧会にて撮影したもので、写真の撮影、掲載については、了解を得ております。
■「炉」と「風炉」の展示
「炉」「風炉」と題した下記のような展示がありました。
前回、見た時にこれが何を意味しているのか、つかみかねていました。「炉」と「風炉」と書かれた解説と、炭を盛った籠。「炉」「風炉」が、どの季節に使われるのかという解説は理解できます。しかしこの籠盛りが何を意味しているのかがわからないのです。
「炉」 は冬の季節、陶磁の香合に練香が用いられる。
「風炉」は夏の季節、漆芸の香合に白檀などの香木片を用いる。
そんな解説もあります。しかしこの籠はいったい何なのか・・・・
〇「炉」とは? 「風炉」とは?
それらがいかなるものかを知らないと、この意味を理解することができません。
2016年、高島屋で行われた永楽展で(⇒「永楽 歴代と十七代永楽善五郎」展 - 明日の風に吹かれて)「永楽」の概略に、代々土風炉(どぶろ)や茶碗などを製作してきたという解説がありました。展示を見ながらずっと、土風炉とはいったい何なのか? 何に使われる道具で、どうやって使うのか? その基本の解説がないとよくわからないなぁ・・・と思いながら一連の作品を見ていました。(この展示を見るには、そうした基礎知識は必携というなのかと思いながら)
そのあと調べてわかったのは、お茶をたてるために湯を沸かすコンロのようなもの。茶の湯の世界では、季節によって、このコンロが使い分けられているらしいというところまでは理解できました。しかし、それが何のためであり、そこにどのような意味があるかは、この時、知るに至らなかったのです。その後、それが茶の湯の世界の心遣いであることを知るわけですが・・・
「炉」「風炉」について、こうした若干の知識の変遷がありました。しかし目の前にある、この籠に入った炭が何を意味しているのか。この籠の中にちょこんと見えるか見えないかの状態で置かれた「香合」と、この「炭の盛り」はいったいどういう関係にあるのかがわからないのです。この展示は何を伝えようとしているのか、皆目検討が付きません。
「炉」「風炉」の概要を知っていたから、あれこれ想像できますが、それを知らなかったら、この展示はお手上げ状態です。これを見ている方たちは、どのようにこの展示を理解しているのでしょうか? 「炉」「風炉」という知識は常識として身につけていなければならない知識ということなのか・・・と思いながら眺めていました。
その後、いろいろ調べた結果わかったのは、香合というのは、昔はこのような炭斗(すみとり)と言われる写真のような設えの中の添え物のように、ちょこんと置かれていたものだったんですよ。ということを解説しているのだということを理解しました。
(今思うと、中途半端に「炉」「風炉」という知識があったために、その「コンロと炭と」の関係、そして「香合」との関係が見いだせず、混乱してしまったのかもしれません。何もわかっていなければ、そのままスルーしていたのでしょう (笑))
〇茶道と香合の関係
この展示の意味を理解するには、「茶道」と「香合」の関係についての知識が必要になってきます。内覧会に出かける前、茶道と香の関係について理解したことは・・・・
どうやら、その昔、茶道の中に、香も楽しむというプロセスがあったようです。ところが、昨今、大茶会といった大勢で茶会が開かれるようになり、そういうことが端折られているということを知ってやっと、「香」が茶の湯の中に入り込んでいて密接な関係があったことがわかりました。
出典:〇今は端折られてしまったらしい より
茶道をたしなむ方たちは、茶道と香をどうとらえているのかという疑問に対して
茶道を習いはじめたばかりの方にとっては
「単なる、飾り?」と思われる方もいるかもしれません。
(略)
茶道と香とは深い関わりがあり、
茶室に集まる人の精神、そして茶室を清める意味で使われます。お茶を点てるためには、まずお湯を沸かす必要があり、
その際に行うのが『炭点前』と呼ばれるもので、このとき香が焚かれます。
しかし、通常のお茶会では省かれてしまうことが殆どで、
その場合、お香を入れた香合を紙釜敷(奉書紙・檀紙・美濃などを
20枚~48枚重ね、四つ折りにしたもの)に乗せ、床の間に飾ります。
お茶を習っている人でも、全体をちゃんと理解しているわけじゃないみたい。と安心してみたり(笑)
古くは仏前に芳香を献ずるものであった香の文化は、インドや東南アジアから仏教伝播とともに広がり、わが国へ伝えられました。香合(こうごう)・香炉(こうろ)は、香道具としても発展し、茶道具にもとり込まれていきました。
“茶の湯”で炭点前(すみでまえ)に用いられる姿愛らしき「香合」は、茶席に飾られる機会も多く、格別人気の茶道具です。江戸初期よりその種類はじつに多様となりました。
■香りの文化の変遷
香りが日本にいかに伝来し広がっていったかを、ざっくりととらえると、
〇飛鳥時代
仏教とともに、香木が日本に入ってきました。香をたいて香りを満たした空間での仏教儀式。身の穢れを取り除いたり、仏の功徳を受けられるという考えがあり、これらは「香炉」によって香が焚かれていました。「香合」はその香を入れておく保存容器的な位置づけでした。
〇奈良時代
鑑真和上が香木や香料・薬草類がもたらし供え香として儀式に使います。
仏教が伝来して200年、奈良時代には空前の発展をとげましたが、次第にその戒律は乱れ、聖武天皇は立て直すために中国から鑑真和上を招きます。来日にあたっては幾多の困難が立ちはだかり、鑑真和上は心労によって失明までしていまいます。が来日後は東大時、唐招提寺を建立し正しい仏教の修行を整えました。
鑑真和上が持ってきたものには薬草などは、医薬品として珍重されたもの。それらは神々が愛した香料植物として、人知の及ばない不思議な力が宿り、病を癒すと考えられていました。⇒【*1】
〇平安時代
貴族によって、香りは薫物として衣類や髪などの香づけに使われました。
畑正高氏による「香りの文化史」の講演会で平安時代400年をひとくくりでとらえきれない変化があるという指摘がありました。
そこで、平安を初期・中期・末期ととらえると、漢字からひらがなへと変化していった時代、そして香は、大陸の香辛料を学んでいた初期から、日本の季節に合わせてアレンジした時代へと移り変わりが見られます。
平安初期
奈良時代は遣唐使を送り中国文化を取り入れていましたが、内乱の絶えない中国へ行くことに疑問を感じ、遣唐使を廃止。それによって唐様文化の重視から、内に向かうようになりました。仮名が誕生し寝殿造りなど日本的な感性が研ぎ澄まされた文化へと移行します。
平安中期
季節の移ろいを十二単衣の重ね衣の色に反映。季節の変化を歌に詠み、四季の移り変わりを香りに託して衣に焚きしめる文化が貴族社会に生まれました。この時代が源氏物語に代表される王朝文化
平安末期
◆薫物(たきもの)
香をたいてその香烟を衣服,頭髪,部屋などにしみこませること,および種々の香料を合わせてつくった練香そのものをいう。(略)奈良時代末期から平安時代にかけて上流社会で部屋の異臭を消すために実用化
◆薫衣香(くのえこう)
衣服に香りを薫きしめる道具。“伏籠(ふせご)” 香炉から香を漂わせ、その上に衣類を広げて香を衣類にしみ込ませます。その際に香炉の上にかぶせた籠。
【1】 【2】
【1】ポーラ文化研究所|
クールジャパン伝統化粧の世界 日本人に流れる美のDNAデータ
"第3回 華やかさを演出する紅
【2】日本の香りの歴史|香り花房 [ 香りが学べる香りの教室 ]
↑
このような香炉の上に衣類が下げられ、香をうつしていました。
◆六種の薫物
平安時代薫物は、練香が主流(粉末にした香料を調合し、蜂蜜や梅の果肉などを使って練り合わせたもの)オリジナルの薫物を作ること。それは平安貴族にとって、高価な材料を手に入れることができる財力を表し、教養やセンスを表現するツールになっていました。これらの中で優れたものは後世に引き継がれ、洗練されていき、その代表格が「六種の薫物(むくさのたきもの)」と呼ばれています。
参考:六種の薫物のはなし
源氏物語 梅が枝
源氏物語の中には数々の香に関する場面が登場します。 衣装に焚いた香り、残り香だったり。源氏を読み解くには、香の知識が必要。
〇室町時代
婆裟羅⇒【*2】
と呼ばれる新人類のような武士の台頭により新たな価値が創造されていきます。“アウトローな人、贅を尽くし自由気まま傍若無人な振る舞いを働く者”という意味あいを持つ婆裟羅の代表は佐々木道誉。
1366年の大原野の花の会にて、通常は数gずつ焚く貴重な沈香を、600g一気に焚き上げてしまったという逸話があります。それはライバルの高径が同日、花見の会を催すことを知り、大量の香木を焚いて、四方全山に香りを漂わせ、文化人をこちらに引き寄せようとという目論見でした。
香木や茶を聞き当てるという雅な世界を、賭け事の対象とし、褒美を与える。その背景には、明日果てるとも知れぬ命。今に興じるという武士の死生観がそこにあったようです。さらには、貴族との身分の差、生まれからくる埋めようのないコンプレックス。その屈折したものが、貴族の愛でる世界を貶めるような行動に出たのかもしれません。
粗暴な道誉の心をつかんだ足利尊氏の一言。それによって道誉は香道の礎ともなる風流へと変換したのでした。
〇香道の始まり
しかし、道誉は、香木をたくさん集め、香木に名前をつけていました。のちに足利義政は、道誉が集めた177本の香木を引継ぎ、それら分類するために、香りのエキスパート、三条西実隆(御家流流祖)、志野宗信(志野流流祖)に依頼。そこで分類体系化され「六国五味」にまとめられました。用具や聞香方式も様式化され、香道が成立。佐々木道誉によって、香道の基礎が作られて、のちに体系化されて香道へと発展しました。
■茶道と香
〇書院と茶道
仏教で使われていた香は茶道に取り入れられるようになります。北山文化では、「書院の床」の正面に「香炉」を飾って香が焚かれました(周囲の環境をよくする為)室町時代の初期は、所持することが権力の象徴でもある唐物を珍重する唐物文化でした。この時代の「香合」はわき役として存在していました。
〇「草庵茶道」の流行
ところが、唐物絶対主義から、茶道具を見立てるわび茶が登場します。香合はわび茶を盛り立てる、炭点前に欠かせない重要なものとなっていきました。
◆草庵
庵は高潔な生活を志す者の脱俗的な侘住居(わびずまい)をさし,室町期の唐物(からもの)を中心とする豪奢(ごうしゃ)な座敷茶(真の茶)(書院の茶)に対して,武野紹鴎や千利休らによる侘茶(草の茶)の思想を茶室建築に具現したもの。
◆炭点前(すみてまえ)
茶事を行う際に炉または風炉に炭をくべる時の作法。
省略されてしまうことも多いため、知らない場合も。
出典:炭斗(すみとり)
◆炭斗(すみとり)
亭主が客の前で炉や風炉に炭を組み入れる炭点前(すみでまえ)で用いる、炭を組み入れ、香合・羽箒・釜敷・鐶・火箸を添えて席中に持ち出す器のこと。
出典:炭斗(すみとり)
■わび茶と香合
茶の湯における香は、唐物を珍重した北山文化の時代は、「香炉」を用いて香を部屋に立ち込めていました。その後、唐物絶対主義から、わび茶に変化する過程において、香りの扱い方も変化しました。
「炭点前」によってしつらえられた「香合」の中に香の元を入れ、炭をくべる時に、その香も一緒に焚くようになりました。「香炉」で部屋に焚いていた状態から、お湯を沸かすための炭の中に香をくべるという変化をしました。
〇「香合」の香りの使い方
香は香合の中に3個入れられています。
2つは炭に入れて香を焚きます。この時、一つは下火の近くに、もう一つは新しい炭の近くに置くことによって香が長持ちするための工夫がされています。残りの一つは、拝見として回されます。
最近の大茶会などでは、「炭手前」を省略するため、香合を床の間に飾るという方法がとられています。
【参考情報】
湯加減を左右する『炭点前』で炭をくべた後、香は焚かれます。
このとき、香の1つは下火の近くに、そしてもう1つは新しい炭の近くに置き、
香の香りが長持ちする工夫がされます。
香を焚くことで、身の穢(けが)れを祓い、
茶室の浄化、更には炭の匂いを和らげる役目も果たします。
出典:意外と知られていない!香合の使い方とは?
香合の中には香を3個入れておき、その内2個を炭の近くに落とし入れ、薫じさせ、残り1個はそのまま拝見に回すことが多い。茶道具全般に共通することではあるが、風炉の場合と炉の場合などその茶席に応じて、香とともに香合も使い分けることが多い。
出典:wikipedhia
お茶を点てるためには、まずお湯を沸かす必要があり、
その際に行うのが『炭点前』と呼ばれるもので、このとき香が焚かれます。
しかし、通常のお茶会では省かれてしまうことが殆ど
出典:意外と知られていない!香合の使い方とは?
以上のような一連の、香の歴史と、茶道における「香」の扱われ方の変遷。そして今に至る変化・・・・ 香合が、茶の湯の中でどのように使われていたのかを理解できて初めて、あの「炭斗」の意味が理解できたのでした。
〇部分しか見えていなかった茶道
茶道は、一期一会のおもてなしの世界と言われます。お湯を沸かしてお茶を立てる。そのお湯を沸かすための炭をくべるというところから、型が存在していたことに、驚きがありました。
単に炭をくべてお湯を沸かしているわけではなく、火を起こすにあたって、炭をどのように盛って用意するか。それを型にしてしまうのが、日本の「道」と言われるもので、世界に誇る茶の湯の文化なのだと思いました。その際に、香のおもてなしも付加されていて、「香合」が「炭斗」の中に添え物のように加えられています。
その小さな作り物の「香合」は、茶席に飾られる機会も多く、人気の茶道具となり、江戸初期から種類が多様となります。独立して独り歩きするかのように注目のアイテムとなり、海外にもコレクターが現われるまでに。今では、「香りの楽しみ」を「床の間に香合を飾る」というスタイルで継承されています。そうした一連の歴史がやっと見えてきました。
下記は、紙釜敷が敷かれ床の間に飾られた状態。
この紙釜敷がただの紙釜敷ではありません。
上記に書かれたとおり、この紙釜敷は特別なもので、縁の赤い和紙に銀の箔押しが施され、さらに裏千家の花押しが記されています。岩崎小弥太夫人に誂えたものだそうで、岩崎家ならでは展示です。
香合が省かれ床の間に飾られるときは、奉書紙・檀紙・美濃などを
20枚~48枚重ね、四つ折りにした紙釜敷に香合を乗せて床の間に飾ります。
〇お茶を沸かすところから始まる
お茶を沸かしてから立てるといういう一連の流れ。スタートから一種のデモンストレーションの一環として炭斗は捉えられているのだと思いました。くべる炭さえも、いかに美しく並べ、火がおこりやすいよう手際よく、くべていくかをを各流派が生み出してきました。これはお湯を沸かすという行為を、パフォーマンスとして見せるというとらえ方をしていたと言えるのではないでしょうか?
さらに香りを楽しむとうスタイルも加わり、季節によって炭の種類を変える、炭の粉をはらう羽箒も、季節によって指定があります。(羽根の軸の左右のを変えるなど)繊細な茶の湯文化の奥深さを、ここに垣間見れたように思います。
かつて近江の寿長生の郷というところで簡易的なお茶席に参加したことがありました。すでに沸いた釜のお湯でお茶がたてられていました。そのためその火力が何だったのかもわからず、どのようにくべられ、火を熾していたかなど、知る由もなく、それを想像することもなくその場を過ごしました。端折られていた部分しか見ていなかったため、炭をきれいに並べて籠に盛られた状況をみても、それが炭を起こすために準備されたもので、客人に見せるためのものであるという想像力が働きませんでした。
〇茶の湯の科学
流派によっていろいろな決まり事がある炭の置き方。ここに科学があったことにもにも驚きがありました。湿った濡れ灰によって対流をおこさせ、炭に火がつきやすくしているというのです。
色々な形の炭がありますが、どの順番でいこってゆくのかまで考えられています(点前が終わった後の写真は下)。色が違う灰は、濡れ灰といって、湿った灰を最後に撒く事によって対流を起こさせ、炭に火がつきやすくしてくれるわけです。非常に合理的化学的であります(堀内宗完宗匠の『茶の湯の科学入門』に詳しいです)。もちろん、その景色をも楽しみます。
出典:炭点前 - ブログ 禅 -Blog ZEN-
〇流派による違い
炭斗に入れる炭の数が多く、安定感ある組み方の表千家。
炉・風炉にくべるだけの量の炭を見栄えよく組む裏千家。
それぞれの流派の考え方が、炭の組み方にも表れているようですね。
炭の量や、組み方に違いがあり、必要な量を見た目よくしたり、数で安定感を見せたり・・・・ 今回の炭斗は「裏千家」の高名な宗匠によるものだそうです。
以上をふまえつつ「炉」と「風炉」についてのまとめ
■まとめ
「茶の湯の世界」と「香合の世界」のかかわりが、当初は今一つ理解ができませんでした。
今回、一番、驚いたことは、茶の湯の世界のお湯を沸かすという行為。茶を点てるそのスタートのところから、客人の前で行っていたということでした。そこには整えられた形の美しさ、所作の美しさを披露しながら、季節にあった設えや道具で、客の暖をとったり、涼を感じさせる工夫もしていました。季節に応じた心尽くしに加え、香によるおもてなしも加わわります。その香は、2度と同じ香を再現することができないと言います。
香りと茶の湯の、切っても切れない関係性。
一杯のお茶を饗するために亭主がこめる客人への配慮。それこそが一般的によく言われている「茶の湯」における「一期一会のおもてなしの心」なのだとわかりました。具体的にどういう配慮で客人をもてなすか・・・その心の在り方が、炭斗の中に顕著に現れておりやっと理解ができたと思いました。
茶の湯の世界は「一期一会」という言葉でも表現されます。言葉の上ではわかります。しかしそれは茶の湯の世界に限ったことではないとずっと思っていました。どんな場面もこの場限り。二度と同じ状況というのはありません。茶の湯においても、季節が変われば状況が変わるのは当然。2度と同じ状態というのはありえません。そこに咲く花も、刻刻と変化しています。年によって同じ花でも表情は違います。また訪れる客人の素養によって、亭主の込めた心を感じ取る力量に差があります。(ここが、一期一会の一番のポイントなのかと思っていました。しかし同時に、亭主の力量も問われているのだと思っていました。おもてなしをする立場であり、いかに導くかという部分も・・・)
「一期一会」ということは、茶の湯に限ったことではないはす。世の中全てにの当たり前の真理のようなものだと思っていました。あえて茶の湯の世界が「一期一会」を前面に掲げるのだとしたら、その本質的なものは、いったい何なのか・・・ ずっとそのあたりが理解できずにいました。茶の湯を学ぶことで一期一会の何を学べるのかが、漠然としていて、具体的に見えてきませんでした。
また茶の湯の世界に対しては、ある種の偏見があったことも事実。崇高な理念を掲げてはいるけどその現実は〇〇の世界じゃない・・・・と(笑)(⇒http://b.hatena.ne.jp/entry/342893750/comment/korokoroblog)
今回、「炉」と「風炉」を調べていてわかったこと。それは一杯の茶を点てる。それに伴う火を起こす。炭をくべる。というお茶を提供するための最初のステップ。正式な茶道のおもてなしでは、客人の面前で行っていたということを知りました。その所作だけなく、炭を美しく盛って見せるという「おもてなしの心」。そこに置かれる香合。貴重で大切な香の元を入れる容器は、亭主の思いが込められて選ばれたものです。しかしそれを見えるか見えないかのチラ見せ状態で設えられているというのも、心憎い配慮です。細部にまで心を行き届かせながらも、それを表だってみせない日本人の美学、そんな心くばりが、「おもてなしの心」として、脈々とこれまで流れてきたことを感じさせられたのでした。
茶の湯とは、こうした「型」の中にこめられた、先人が客をもてなすということについて考え抜いた「心」を知るということなのだということがやっと理解できた気がしました。茶道とは、「型」に込められている「おもてなしの心」を学ぶこと。そして自分でも読み取っていくこと。それらを元にして、自分なりの「おもてなし」というものを考え見つけていくことなのではと、やっと茶の湯の心が見えた気がしました。
紅茶やコーヒーを初めとするお茶を入れる際に、火を起こすことから型になっているというのはあるのでしょうか? 聞いたことがありません。(最も茶の湯の世界でも知らなかったわけですが‥‥)もしかしたら海外から茶の湯に感心を持たれるのは、そうした理由もあるのかなと思われました。
「炉」と「風炉」に添えられた「香合」の展示を通して、これまでよくわからなかった茶の湯の世界が少し見えてきたようです。心の裏にあった偏見が完全に解けたわけではありません。でも少し払拭されました。本音は、お茶やお花など世界は、きれいごとを掲げたお金の世界。そこに「一期一会のおもてなし」と言われても・・・というのが正直な気持ちでした。そんな捉え方しかできなかった私の見方を変えさせてくれた今回の展示は、茶の湯への見方の大きな転機になったといえるかもしれません。
茶の湯の世界の「一期一会のおもてなしの心」がちょっとだけわかった気がしました。
■参考サイト
〇香の歴史 - 株式会社 山田松香木店|江戸時代から続く京都の老舗香木専門店
〇日本の香りの歴史|香り花房 [ 香りが学べる香りの教室 ]
〇書籍『香三才』 - 迷ったら 楽しい方を えらぶのが いいと思う
■参考
〇茶道の精神 より
「茶道は何を学べるのですか」と聞かれたら多くの人はこう答えるのではないでしょうか。 「茶道とはおもてなしの心なのです」と。
(略)
数限りなくある作法、それらは一つ一つ意味があるのです。それらの根底にあるもの、それはとりもなおさず「おもてなしの心」と言えます。 自分を下げ、客には思いつく限りの丁寧さで対応します。
茶会で亭主が茶を点てる行為、これを点前(てまえ)と呼びますが、なぜそれが必要なのか。それは本来裏方でする作業を見せてまでも、入れたばかりの熱いお茶をお客様に差し上げるため、また何もやましい事はしていないという証明のために道具を客の目の前で清めるところから始まります。
茶道はおもてなしの心です。 一杯の茶を差し上げる。それだけのことであり、それを含んだ全てのことなのです。
本来、「裏方の作業を見せる」そこに私の驚きがあったのですが、その行為は、入れたての熱いお茶をあなたのためだけに差し上げています。そしてここにやましいことはありません。という証明というのは、武士が置かれたその時代の日常を意味しているのだと思いました。明日の命が保証されない時代。差し出されて口にするものも疑ってかからなければならなかった時代背景。しかしここではそんな疑念など持たずにリラックスして安心して一杯のお茶を飲むという空間と時間を提供するという意味があることも理解しました。
〇茶道の精神 より
一期一会(いちごいちえ)
茶道の世界と言えば「一期一会」。それは一般的によく知られていることです。 そして意味もよく知られているように、一度きりの出会いを大切にしなさいということです。
言ってしまえば簡単なものです。ですがこの言葉を理解したと思っている時はきっとまだ理解していない。全ての出会いに感謝と感動の念を持つようになって初めてこの言葉の大切さを知ることになるからです。
同じ客で同じ道具で同じ季節に茶会を開いたとしても、それでも二度と同じ会をすることは出来ない。常に今は今しかないのです。 交わした言葉、思った気持ち、垣間見た笑顔、そのときの移ろう空、吹いていた風。 それら全てを尊く愛しく思い、また一つ自分の人生の一部になっていく。
人は生きている限りを一期一会で過ごすのです。茶道はきっとそのことに気づかせてくれるでしょう。
>この言葉を理解したと思っている時はきっとまだ理解していない。
一期一会の裏に存在する要素をいかにたくさん見いだせるか。それに気づけるかどうか。経験できるか・・・・ ある程度の様々なジャンルでの経験値を持った人であれば、お茶の世界で出会う一期一会の裏にある要素というのが想像できてしまうのではないかと思っていました。
自然とのかかわりは、どの世界にも存在するわけですが、茶の湯はその最たるものだと考えられます。自然が主たる変化係数の世界であれば、一期一会の世界は無限に広がると言ってもいいわけです。それに伴う気象、自然現象なども含め、それらと人と絡めていったとしたら・・・・
その先に、それらを超える何が、この世界には存在しているのか・・・・ それが私には見えてきませんでした。それを知るには、経験を積まないと理解はできない。しかし、その経験を積むためには・・・・ そんな堂々巡りがありました。
>交わした言葉、思った気持ち、垣間見た笑顔、そのときの移ろう空、吹いていた風。 それら全てを尊く愛しく思い、また一つ自分の人生の一部になっていく。
全てのことに対して、感謝の念で受け止め、ありがたく享受できる心。それらを貴重な体験として自分の糧として蓄積しながら、穏やかで、たおやかに生きる術、感性を身につける。出会いのすべてに対して感謝へと変換できる心の在り方を磨く。世の中にはいろいろな人がいます。それも、一期一会の出会いであるという境地へと極めていくのが茶道の道ということなのかな?と思いながら・・・・
〇香老舗『松栄堂』の主人が語る、お香の魅力とリラックス効果 | 太陽笑顔fufufu
「目には見えないものですが、香りはお客様の心に届き、くつろぎの時間を演出してくれます。おもてなしというのは形式ではなく、もてなす側の心の在り方ですから。『何かをしてあげる』という意識ではなく、相手のことを思いやりながら、季節に合わせて花や掛け軸を飾り、打ち水をして空間を設える。そのひとつとして香が用いられているのです」
おもてなしは形式ではない。もてなす側の心の在り方・・・・
最初は形式から学び、それを超えた自分の型を作っていくことなのだと思いました。
万人に惜しまれて旅だった歌舞伎役者、中村勘三郎さんが好んだ、「型を会得した人間がそれを破ることを『型破り』というのであって、型のない人間がそれをやろうとするのは、ただの『かたなし』です」のことばをいつも思い出します。
今はひたすら師匠のことばを聴き、型の習得に励んでいます。その中でも、得がたい気づきを十二分に得られる、それが道のお稽古です。
オリジナル、自分の型を作るには、まずは基本の型を知る。その上で型をやぶって自分のおもてなしに昇華させる。
一期一会と言われるその際たるものはそこに集う「人」によるものだと思っていました。どんな方たちとその席を一緒にしたか。そこでかわされる会話の妙。亭主のもてなしの心を、受け止めた教養や感性。そして受け止めたものをひけらかさずにいかに表現し謝意を伝えるか。そこに茶の湯の極意があり、人間形成の場なのだと・・・・
これらは、一朝一夕に身につくものではなく、長い時間もかかり、経験、場数も必要。出会った人たちによっても磨かれていくもの。実際にこの場で、どのような問答されているのか。それは門外不出ということなのだと思っていましたが、さわりの一例でも事例を挙げてもらえると、茶の湯の奥深さを感じることができると思っていました。
正客と亭主のやりとりの例が出ていました。
さらに本席の掛物などについて亭主に尋ねます。
正客は「本席のお掛物は」と言います。
亭主が「○○筆でございます」などど言うので
正客は「ご立派なお筆ですね。どうかお読み上げください」と言いましょう。
亭主が「○○○と読みます。……という意味が込められております」
と言いますから
正客は「ありがとうございました。・・・・なお言葉でございますね」
というように続きます。
一問一答形式・・・・もっと、高尚なやり取りをしているのかと思ってました(笑)
客人は説明されるまでもなく亭主の意図をくみ取り、それをさりげなく会話の中に紛れ込ませながら、お心遣い、ありがたく身に受けております。という伝え方をしているのかと・・・ あるいは、客人が亭主の意図を読み取れないようであれば、さりげなくヒントを出し、理解に導くような問答。そんな会話の妙があると思っていました。その一例でも知ることができると、茶の湯の奥深さ、おもてなしとは? を知ることができると思っていたのですが・・・・ さわりとはいえ、一問一答形式だったというのは・・・・(笑)
そんなふうに思ってしまうことが、茶道の道から外れているのだな・・・と自覚。
■関連
■脚注
*1:■生薬としての香料
天平時代における香料は、生薬としても貴重な役割をしていました。解熱効果のあったと伝えられるシナモンを拝領したとう記録が正倉院に残っています。
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*2:■婆裟羅(wikipedhiaより)
日本の中世、主に南北朝時代の社会風潮や文化的流行をあらわす言葉
身分秩序を無視して実力主義的であり、公家や天皇といった名ばかりの時の権威を軽んじて嘲笑・反撥し、奢侈で派手な振る舞いや、粋で華美な服装を好む美意識であり、室町時代初期(南北朝時代)に流行し後の戦国時代における下克上の風潮の萌芽ともなった。
ただし戦国時代の史料には「うつけ」や「カブキ」は出てくるが、「婆娑羅」およびそれに類する表現は全くと言っていいほどない[1]。
(⇒今回、初めて「婆娑羅」という言葉を聞き、そんな言葉、聞いたこともない。と思ったのですが、仙石時代の史料にはないということで納得)
語源は、梵語(サンスクリット語)で「vajra (伐折羅、バジャラ)= 金剛石(ダイヤモンド)」を意味する。これは「ダイヤモンドのような硬さで常識を打ち破る」というイメージが仮託されたものである。更に鎌倉時代末期以降、体制に反逆する悪党と呼ばれた人々の形式や常識から逸脱して奔放で人目を引く振る舞いや、派手な姿格好で身分の上下に遠慮せず好き勝手に振舞う者達を指すようになり、以降この意味で定着する。
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道誉の粗暴さは目にあまるものがありました。しかしその行動の裏にある心を見抜いた尊氏は「貴族以上の教養や風流を身につけて、見返してやればよいではないか。それが貴族に勝つことなのではないか・・・」という言葉をかけ、これより風流の道へとすすみます。
参考:日本の香りの歴史|香り花房 [ 香りが学べる香りの教室 ]
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