コロコロのアート 見て歩記&調べ歩記

美術鑑賞を通して感じたこと、考えたこと、調べたことを、過去と繋げて追記したりして変化を楽しむブログ 一枚の絵を深堀したり・・・ 

■静嘉堂文庫美術館「書物にみる海外交流の歴史~本が開いた異国の扉~」

静嘉堂文庫美術館「書物にみる海外交流の歴史」が開催されています。文字ばかりの展示はちょっと苦手と思いがちですが、鎖国なら誰でも知っているはず。鎖国時代に書かれた「書物」にスポットをあてて、インターネットミュージアムにレポートしました。

 ⇒静嘉堂文庫美術館「書物にみる海外交流の歴史~本が開いた異国の扉

                      インターネットミュージアム

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書物や文字の展覧会というと、ちょっと敬遠してしまいがちです。しかし、展示品の中には、これまで教科書で見聞きした有名な本が展示されていたり、聞いたことはあるけども、見たことはないあの有名な書物は、こんな姿をしていたのかと、実物を目にできるチャンスです。「聞いただけ」と「見たことがある」には、大きな違いがあるはず。

その他にも、これまで見てきた展覧会の中で登場した人やものなどが関連しており、いろいろなつながりを感じさせられます。美術館に足を運ぶ人なら、自分が知っていることと何かしらの接点をみつけられるはず。

「聞いたことがある」「見たことがある」という「つながり」に注目して、調べたことやこれまで見てきた展覧会情報を加えながら、「鎖国」以外にも見どころを探してみました。

*画像は、許可を得て撮影しています 

  

 

■「教科書で聞いたことがある」がいっぱい

教科書で聞いたことあるので、名前は知ってます。でも、本物は見たことはないからどんなものかはわかりません。ここでは、現物を目にすることができます。

魏志倭人伝

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よく耳にする「魏志倭人伝」。こういう名の書物があると思っていませんでしたか?実は、三国志の内の『魏志』中で、卑弥呼の時代「東南の大海に倭人あり」と書かれた部分を、魏志倭人伝と通称されていたことを知りました。その『国志』(三国志が冒頭に展示されています。魏志』巻三十「東夷伝」内の「倭人条」を通称、魏志倭人伝と呼んでいるそうです。

 

 

 〇日本書紀

日本最初の正史として重要視されました。こちらは吉田社に伝わり、門外不出の秘本とされていたものです。

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徒然草

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兼好法師の随筆として 有名な『つれづれ種』(徒然草)の複製。実際に手にし、めくって眺めることができます。

そして、兼好法師が好ましい書物として絶賛した 『南華真経注疏』 も展示されています。

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方丈記 嵯峨本

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(写真左) 方丈記 鴨長明.
「行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず」で知られる方丈記です。


(写真右) 通小町 (光悦謡本第一種)古活字 嵯峨本

京都嵯峨で出版されたもので嵯峨本と呼ばれています。本阿弥光悦を中心に門下の角倉素庵(京都嵯峨の豪商)らの協力で出版を行いました。光悦本、角倉本とも呼ばれるそう。版下を光悦が書き、本文、表紙には色紙を用い、雲母模様が施されています。

鏡で書物の表紙が見えるように展示されているので注目。表紙に施された雲母模様、実はこれ、スタンプなんだそう。そして、表側の文字は、木版ではなく、木で彫られた活字が使われました。崩し字はつながっています。どのように活字にしたのかというと、数文字を連続して一つの活字としているそうです。

それなら、木版で制作しても同じでは?と思ってしまいますが、保管場所をとらないなどのメリットがあったそう。活版なら、印刷するときには組み替えればいいので、省スペースですむとのことでした。

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〇エレキテル

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 紅毛人(オランダ人)から聞いた話や、蘭学者の間で話題の話をまとめた本《紅毛雑話》。右側の図は平賀源内が復元したエレキテルです。ハンドルを回して静電気を発生させます。

 

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こちらは科博で展示されているエレキテル(複製) 

 

 

 

■聞いたことがある「人」や「もの」のつながり

これまで見聞きしてきた人たちの断片の話が、いろいろなところでかかわっています。

司馬江漢

鈴木春信の贋作絵師だったというのは、よく耳にします。小田野直武や平賀源内などとも交流がありました。(参考:wikipedhiaより)

19歳:鈴木春信に学び浮世絵師に。錦絵の版下絵を描く。

   春信の死後は、春信の贋作絵師としても知られる。

25歳:平賀源内の紹介で西洋画法にも通じた宗紫石の門に入る。 

    南蘋派の画法を吸収し漢画家に。のち洋風画を描く。

   平賀源内からは自然科学の知識を得る

27歳:平賀源内の鉱山探索に加わる

30歳:エレキテルを知る。

33歳:直武に洋画を学ぶ。前沢良沢の門に入門 蘭学者に接する

37歳:蘭語文献を読み、銅版画の制作に成功

38歳 銅版画6点 それを覗く反射式覗眼鏡販売

 

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司馬江漢が描いた《双猫図》

過去に静嘉堂文庫美術館の「あこがれの明清絵画」で見た、沈南蘋の絵を思い浮かべました。

  ⇒■これぞ沈南蘋!《老圃秋容図》をしっかり観察

司馬江漢は、沈南蘋を祖とする南蘋派の系譜に属しており、宗紫石や小田野直武に師事していました。 ⇒南蘋派画系図

 

 

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平賀源内から西洋の自然科学を学び、蘭学者にも接していました。春信の偽絵師だったことは耳にしていましたが、蘭学や自然科学の分野でも活躍していたことがわかりましたあ。日本で初めて銅版画(エッチング)の制作に成功した功績もあります。

 

こうした情報を書物に残せたのは、時代背景が影響しています。八代将軍吉宗の時代、享保5年(1720)、政治改革の際に洋書輸入の禁制が緩和され、特に科学系の書物の輸入売買が解禁されました。

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これによって、のちの蘭学興隆を促しました。吉宗自身、天文、地理、地図、科学などの実学に強い関心があったことが、日本の知を閉じることなく、広げていったと言えるのかもしれません。

 

〇角倉素庵

風神雷神の雷神はなぜ白いのか?を調べていた時に、登場した角倉素庵が、嵯峨本の関連で登場しています。

〇素案と宗達の関係

〇角倉素庵(すみのくら そあん)との関係性

 

 

〇和漢三才図会

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和漢三才図会を知ったのは、静嘉堂文庫美術館「挿絵本の楽しみ」でした。

その後、科博で行われた「南方熊楠 100年早かった智の人」で、南方熊楠が子どもの頃、 和漢三才図会を覚えて帰り、それをメモしたという話を目にしました。

 ⇒■南方熊楠 100年早かった智の人(和漢三才図絵) 

■和漢三才図会

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そして、ここ「書物にみる海外交流」展で再会です。

 

 

 

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〇環海異聞

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暴風雨でロシアに漂着した船頭が帰国した際に、送ってきたロシア使節より通商を求められました。それがきっかけで幕府が北方警備に目覚めます。帰国者からの聞き書き「環海異聞」です。

 

こちらの書物も「挿絵本の楽しみ」の時に展示されていました。

 

漂流がきっかけで、結果的に海外の情報を知ることとなり、戻った人たちから聞き取りをして、それらを書物にし、情報をまとめていました。

また帰国の際に、漂流先の使節も同行し、通商を迫られるといったことが、日本の防衛意識を高め、のちの開国への布石となったといいます。

 

 

松浦武四郎

北方警備のため、蝦夷(北海道)の測量をしたのが松浦武四郎です。彼の展覧会が昨年(2018年)「生誕200年記念~ 幕末の北方探検家 松浦武四郎展」として、静嘉堂文庫美術館で開催されました。

 

そして、彼のドラマ「永遠のニシパ」が、7/15 19:30NHKにて放送されました。

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北海道150年記念ドラマ「永遠のニㇱパ」~北海道と名付けた男 松浦武四郎~|NHK札幌放送局

 

 

■関連する展覧会

〇北からの開国  神奈川県立歴史博物館

神奈川県立歴史博物館では、当時のロシアや北海道の関係などが展示されています。

 

 

三国志

 

魏志倭人伝が書かれている『三国志』の展示が、東京国立博物館で行われてます。 

 

東博本館に司馬江漢の油絵 

東博本館でも、江戸時代の海外の交流において、西洋画との出会いの展示が行われていました。

遠近法や陰影法など、新しい表現で日本の街並みや風俗を描きました。中国からやってきた沈南蘋の画風を多くの画家が取り入れました。

 

司馬江漢もその一人。

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日本で初めてエッジングを完成させたことでも有名な司馬江漢は、えごま油を使って油絵を描いたことでも有名。そんな油絵が、東博に展示されています。

 

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また、司馬江漢が師事したという小田野直武の絵も展示されていました。

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■いろいろなつながりをみつけてみよう

とっつきにくいかと思われる書物の展示ですが、実際に訪れてみると、聞いたことがある、知ってるという話の大元がここに潜んでいたのかと感じさせられる展覧会でした。

今回の「書物にみる海外の交流の歴史~本が開いた異国の扉~」は、以前、静嘉堂文庫美術館で行われた「挿絵本の楽しみ」ともつながりがあり、同じような楽しみ方ができる展覧会だと思いました。また「生誕200年記念~ 幕末の北方探検家 松浦武四郎展」ともつながっています。

人それぞれにいろいろな興味があると思うのですが、それを遡っていくと、大元は海外から持ち込まれた情報で、それを広めるために、一度、書物という形を経て届いたのだという歴史を感じられます。

 

〇リンネの分類の紹介

自分の興味にドンピシャ当てはまるものの原本に遭遇すると、感慨深いものがあります。個人的に、一番、興味を持ったのが、リンネの分類が初めて日本に紹介された書物を見ることができたことです。

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〇江戸後期の博物学の時代、リンネの分類は知っていたのか?

「挿絵本の楽しみ」の時に、《本草図譜》を見て、この時代、リンネの分類は知っていたのだろうか、シーボルト接触はあったのか?という疑問を持っていました。リンネの分類を知っていたことはわかったのですが、どうやってそれを知ることができたのだろうと思っていました。

この展示を通して、書物になったものから理解していたことがわかりました。またその元本まで見ることができるのは、当時の人のわくわくが伝わってくるようです。さらには、ツュンベリーが書いた『日本植物誌』なども知っており、それを元にラテン語から和漢名をあて、シーボルト校閲まで受けていたという当時の見識の高さに驚きました。

シーボルトの人物相関図の中に伊藤圭介が

また、2016年、企画展「日本の自然を世界に開いたシーボルト」(2016年9月13日(火)~12月4日(日))- 国立科学博物館が行われた時、シーボルトの人物相関図が示されていました。その中に登場していた「伊藤圭介」がリンネの分類を紹介していたのでした。

これを見た時には、シーボルトとかかわった日本人はこんなにもいっぱいいて、知らない人ばかり。しかし追々、どこかで登場してくるだろうと思い、その都度、理解していけばいいと、この図を温めていました。

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リンネの分類を知っていたのか?と思っていたのですが、シーボルトの周りにいた日本人が編纂していたのでした。また、ツュンベリーやケンペルなども、この相関図に表されており、キャプションの解説が、より迫ってきました。

この相関図で、シーボルトにもらった「フローラヤポニカ」はツュンベルの「日本植物誌」のことで、この書物の中に、リンネの分類が書かれていたのだと繋がりました。

このように時間はかかりますが、いろいろな展覧会で見たことが、あとになって、つながりあい全貌が見えてくる面白さを感じています。

 

■琳派の歴史と博物学

 

伊藤圭介(1803-1901)

1926年(23歳) シーボルト熱田神宮で会見
1927年(24歳) 長崎で入門 植物学を教わる
1828年(25歳) 名古屋に帰る時に、ツュンベリーの「フローラヤポニカ」
        (日本植物誌)をもらう
1828年     岩崎灌園らによる《本草図譜》
1829年(26歳) シーボルトから受け取って訳したのが『泰西本草名疏』
         (リンネの分類紹介)

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参考:日本の本草学関連書物 ⇒■日本の本草学関連書籍一覧

〇小田野直武からの延長

そして、2016年のサントリー美術館では「世界に挑んだ7年 小田野直武と秋田蘭画」が行われ、この時代、知や情報が、急速なスピードで入ってきていたことを感じさせられていました。小田野直武が挿絵を描いた「解体新書」の周辺の人たちとのつながりや、新たな知との相関関係を人物を通して、知りたいと思うようになりました。その時、シーボルトの人物関係にも着目するようになりました。

『生没年表:幕末「鈴木其一」「小田野直武」』コロコロさんの日記 [食べログ]

 

〇大英自然史博物館のリンネ

そして2017年には、科博の「大英自然史博物館」で、分類学の父、リンネの肖像を目にします。リンネはこんな人だったのかと思いながら見ていました。

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それを記した本がこれ。それが日本語に訳されて、私たちの元にも分類学の礎が届いたのかと思うと、よくこの内容を理解て訳したものだと感心しきり。

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〇断片の知識の統合

植物を知るには学名が必要。その命名法を考えたのがリンネ。という知識を得たのはかなり前のことです。その間、いかにして、見出され日本に入ってきたか。そんな知の歴史の流れに触れることはありませんでしたが、これまで美術館や博物館で見てきた断片の知識が、少しずつ統合されていくのを感じました。

 

「書物にみる海外交流の歴史~本が開いた異国の扉~」は、これまでに見てきた展覧会とのつながりだけでなく、これから見る展覧会ともきっとつながっていくのだろうと感じさせられます。自分が興味を持っていた世界を広げたり、深めたりできる展覧会だと思います。

もともと、本を読むのは好きではないし、書物の展覧会なんてつまらなさそう・・・・と思っていたのが見る前の正直な印象でした。でも、以前見た「挿絵本の楽しみ」で「本」から得られることの面白さを感じさせられました。もしかしたら、この展覧会も、何か認識を変えてくれるかもと思ったら、正にその通りでした。

本を読むのが嫌いと思っていても、自分の興味のあることについては、本を見ているのです。今、われわれの知はこうした異国の知を取り入れ、広めてくれた人たちによって成り立っていることを感じさせられます。

 

関連:歴史を書物で学ぶことによって見えてくること

⇒(*1

 

■脚注・補足

*1:■知は自分で整理をするもの 点を線にしていく自分の学び

教科書で学ぶ、歴史上の人物や書物などは、「点」にすぎません。それを生んだ時代の背景や、社会のニーズがあって生み出されていること。生み出されるものは、他にもいろいろあって、時代の要請かのように多様な人や物が登場し、文化を作り歴史を作って多層的である。ということについて、過去にも同様に感じていたことがありました。

遡ると2016年7月、国学院美術館の「江戸文学の世界」を見た時に、意識的になっていたことがわかりました。

今回の展覧会も、歴史の教科書で見た「あれ」という「点」にすぎないものばかりでした。しかし、ここから壮大な世界が広がっていることを、今なら想像ができます。

以前、知った「編年体」「紀伝体」という記述法。それを知ったことで歴史の捉え化がが変化しました。知りたい結果として、なりゆきから「紀伝体」の学びに変化していった経緯がありますが、その方法が「紀伝体」という言葉で表されていたことを知り、歴史をどう学んでいくかが明確になりました。

作品が出現する当時の社会事情とともに、民衆のニーズや、興味のありそうなテーマを考えて広めた版元。「江戸文学」と「出版」とう流れで捉えると、江戸という長い時代のいつ頃の、どんな位置づけの作品なのか・・・

 

それは、名前という「点」でしか作品を認識していなかったことが、「線」で捉えてその位置づけを知ることができました。さらに、そこに社会情勢をからめると、一冊の本が、「町人による元禄文化」から、「庶民に広がった化政文化」へ変化して、「面」で捉えて理解できたことになります。江戸の文学全体と社会の流れを俯瞰して見えるようになりました。

 先日、テレビで林修さんが日本史の勉強法について解説されていました。歴史の記述方法には、年代順に出来事をまとめる方法、編年体と、時代の流れてで覚える(人物中心に)紀伝体があると。

事件だけを切り取って年号で覚えるえる「編年体」ではなく、時代の流れで覚えることが大事。「知は自分で整理するもの」というような話をされていました。

 

まさに今回の展示は、人物にスポットをあてる紀伝体を、「江戸文学」にスポットをあてて、時代の流れでをまとめられた展示だと思いました。

そこに、さらに個人的に興味を持っていた、江戸時代の美術や浮世絵などの歴史の流れ、変化なども重ねていくと、歴史が重層的な厚みが出て理解がより深まると思いました。

 

中学で学んだ歴史は、年号を覚えることに終始してきました。これは、歴史の「点」の部分にすぎません。紀伝体という大人になって知った歴史の学び方は、流れで捉える「線」の歴史観という捉え方です。
さらに、大人になって学ぶ歴史は、自分がこれまで培ってきた興味を重ねて、ドッキングさて、「面」でとらえる総合的な学びができると思いました。

「知を自分の興味と合わせて整理する」
自分の興味と歴史をカスタマイズして、自分の知にしていく。そんな可能性の発見は、この講座の目的、学びの多彩な入口を見せていただけたと思います。学術の裾野もほんの少しだけ広がったかな?(笑)

 

(しかし流れで捉える「紀伝体」も、それだけでは成立せず、「編年体」の年代をひたすら覚えた暗記がベースにあるからこそ、紀伝体のながれを、そこにのせることができるわけで、結局は、両方のアプローチが必要ということ・・・・

基礎学力・知識がないと、思考するための基本材料がないため、 思考力、考える力を持てないのと同じってこと・・・・)

 

「文学」や「絵画」などは、歴史によって産み落とされた産物・・・ということは、なんとなく気づいていた気はしますが、そのことに、意識的になれたように思います。

 (2016.07.24)