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コロコロのアート 見て歩記&調べ歩記

美術鑑賞を通して感じたこと、考えたこと、調べたことを、過去と繋げて追記したりして変化を楽しむブログ 一枚の絵を深堀したり・・・ 

■草間彌生展:【感想】お気に入りがない! みんな同じに見えるのはなぜ?

 国立新美術館で行われている草間彌生は、入口を入ったらいきなりドカーンと広い空間が広がります。そこに「わが永遠の魂」のシリーズが壁いっぱいに132点の作品が並ぶ様は壮観です。ところが・・・ 圧倒されるものの、この絵をどう見たらいいのかさっぱりわかりません。

  

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■いかに描いているのか?

これだけの大きさのキャンパス(2×2m)に、これだけの緻密さで、これだけの量を描き続けてきたパワー。2009年から現在までの7年間にその数は500点にのぼります。3日に1作というペースで制作されていることになります。これらの作品がどのように描いているのかは、芸術新潮に書かれているのを見ました。

 

同時進行ですすめ、描きながら他の作品のアイデアが浮かぶとそちらに移動。新たな作品を描いていると、また別の作品のアイデアが浮かぶそう・・・  さらに一日の創作活動を一度、終了させても、ほとばしるアイデアは留まることを知りません。思いたてば、寝る間も惜しんでまで、描き続けます。

 

そんな命がけの創作活動によってもたらされた500枚の中から厳選された132枚です。そして、今尚、現在進行形で、このシリーズは制作が続けられています。そのエネルギーにはすさまじさがあります。草間彌生の覚悟のようなものも感じさせられます。しかし、これだけの圧倒的な絵が、私には、すべて同じにしか見えなかったのです。

 

 

■何が描かれているの? 

〇生物にしか見えない

これらの作品のテーマはすべてが「生」だと思いました。 一つ一つの作品がそれぞれに何かを発しているのではなく、このコーナーの作品全体で「生」のパワーを発している。だから、一枚一枚を見て、それぞれに新たなメッセージを感じたり見つけたりすることができませんでした。

 

  

この膨大な数の作品群の中から、私が好きなものはどれなのか。どの作品に心奪われるのか・・・ と考えながら見始めました。しかしすべて同じに見えてしまうのです。

 

〇細胞の構造物に見えてしまう

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ここに描かれたものは、ミトコンドリアだ!・・・ これは小胞体だ! と細胞を構成する器官にしか見えないのでした。大小いろいろな大きさの〇は、リボソームや核小体、細胞の中に点在する顆粒のようなもの・・・・

 

細胞

出典:細胞の構造

 

〇原始生物?

あるいは、原始生物に見えるものも・・・・

▼出典:原始生命と群れ【仮説】 - 生物史から、自然の摂理を読み解く

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                 ▲出典:自然の産物|【 未開の森林 】 

 

原始の海に生命が誕生するきっかけとなった細胞。生物の始まりは「1つの細胞ではなく上記のような細胞が、ゆるく連帯した多用な原始細胞」と言われるように、そんな生物の始まりも表現しているように見えてきます。

 

ミドリムシ、ゾウリムシ?

さらにそれらはさまざまな形の生き物に進化します。そんな生物もここに描かれているのだと思いました。ミドリムシにみえたり、ゾウリムシみたいに見えたり、ゲジゲジに見えるものもあったり・・・・(笑)  

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 これは蟯虫に見えちゃうし・・・

 

出典:蟯虫症 | ドクターズガイド(家庭の医学)

 

 

 

 

 

■「生」をテーマに描かれた作品

ここにある絵のすべては、このような「生命」の成り立ちであったり、生命を構成している器官だったりと、「命」そのものをいろいろな形で描いた作品なのだと思いました。しかし、それしか感じることができません。それ以上でも、以下でもない・・・・

「生物」のあらゆる形を通して、「生きる」ということを表現しています。圧倒的な数の作品にパワーを注ぎ込んで、それを描ききることで「生」を見せつけ、「自身の生きた証」も表現したのだと思いました。

 

生きるということ・・・・」
生きているということ・・・」

 

つまり自分は「いかに生きるか」「いかに生きたか」を制作活動で示す。そして見る人にも問う。また残された「自身の生」を確実に意識されていると感じさせられます。自分に与えられた「生きている時間」を、どう使っていくのか。一分、一秒、惜しみなく使い切って形として残していく・・・・ 

 

 

  「生きる」

 

 

それだけを唯一のテーマとして、あらゆる形で描いた絵・・・・
(他にみつけることができないジレンマのようなものを感じさせられました。)

 

 

 

■気に入った作品はどれ? 心に残ったものは?

〇気に入った絵がみつからない 

「これが気に入った」とか「心ひかれる」とか、これを中心に「写真を撮影したい」と思うものを全くみつけることができませんでした。今回は、気になる作品が出てこないのです。緻密なのだけど全てがフラット、同列に見えてしまい、「この一枚」をみつけられません。

 

 

〇ズーム撮影の衝動もおきない

とりあえずは、一通り見て、気になるところをあとで撮影しよう・・・と思いながら、見始めました。 最近はわからないなりにも、自分なりのポイントがみつかるようになりました。何かしら思うことがあって湧き出てきます。撮影できる展示の時というのは、「この作品を中心に撮影してみたい」という興味の対象がはっきり見えてきます。ところが、今回は、その衝動がおこらず、浮び上がるものがありません。せっかく撮影が許されているというのに、撮影したいという気持ちがおきないというこれまでにない状態でした。

 

 

■コーナーに注目

〇気になったのは作品ではなくコーナー

唯一、最後にここを撮影しよう! と思わされたのは、作品ではなく場所でした。会場の奥の両サイドのコーナーの部分だったのです。

 

下記のように圧倒的な「生」に対するパワーを感じさせられながら移動します。この奥行きは50mだそうです。しかし心惹かれる作品がない・・・と思いながら、奥のコーナーにたどり着きました。

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その時、これまでとは全く違う空気がそこに存在しているのを感じました。これまでは、じわじわと放出されていたエネルギーだったのですが、そのコーナーには、集中して降り注ぐ高濃度のエネルギーに満ちている感じがしたのでした。 

 

 

 

▼左のコーナー

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▼右のコーナー

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この挟まれた空間に立った時、2つの直角の壁に掲げられた絵から受ける力が重なりあって、ここに吹き溜まって、淀んでいるというか、密に渦巻いているのを感じたのでした。人がいなくなってから、じっくりこの空間に浸ってみようと思いました。

 

 

〇この感覚は海北友松の《雲龍図》の影響か?

現在、京都国立博物館特別展覧会「海北友松」が行われています。 始めて建仁寺で見た海北友松の襖絵を90度のコーナーで龍に挟まれて見た感覚と同じだと思いました。

 

  ⇒■海北友松:《雲龍図》 建仁寺の襖は****だった 

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〇見上げた時に受ける力

草間彌生「生」のパワーをコーナーに身を置き、そして仰ぎ見ると・・・・   

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▼下から見上げると・・・・

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シャワーのようにふりかかってくる、エネルギーを感じさせられます。 囲まれている環境というのは、ポテンシャルがあがるようです。直角のコーナーというのは、鑑賞の上で一つ、ポイントとなるスポットかもしれません。

 

 

 

 

■考えるアートではなく、感じるアート 

〇多数の目が意味することは?

無数に描かれた目。この目は、草間彌生自身が自分を見つめる目なのだと思いました。

 展示会場の外でも上映されているビデオで紹介された作品です。無数の目を描く草間彌生。その目は凶器を感じさせられます。そんな目で、永遠に続きそうな目を描き続けています。

 

絵と対峙する草間彌生

 

 

そして、描かれる目は、変化します。これは草間を見る世間の目だと思いました。「自殺」をタイトルにした絵に描かれたより大きい目の数々。

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▲自殺未遂をした日 (部分)

 ひときわ大きく描かれた目・・・ それは他人が自分に対し好奇の視線を送る目。襲い掛かってくるような目の大群。それまで小さかった目が、大きく描かれていました。無数の目に自分は見られていて、押しつぶされそうな「心の内」も表しているのだと思いました。

 

これらの一連の作品は、草間彌生頭の中の状態を表しているのだと思いました。子供のころから人と違うことに気づき、理解されない苦しみを味わい・・・ 精神の病と向き合いながら、人に理解されない自分の世界を絵の中にぶつけて、理解を図ってバランスを保っていたのではないでしょうか?

 

さらに、この無数の目は、世界中の人々の目でもあると・・・・ その目は、さまざまなモノの見方があることを示し、様々な人が存在することを示す多様性の目に変化しているのだと思いました。理解されない苦しみから、次第に共感が得られるようになり、現代美術の担い手となっていく周囲の変化を表していると・・・

 

最近、小池さんがダイバーシティ―」という言葉に置き換えて声高に提言していますが、「労働における人材の多様化人材の平等、そしてフラット化・・・・そんなことにつながっているのかな・・・・と感じていました。

 

そして草間弥生が好んで描いたという「網目」 それはネットワークを示しているのではないでしょうか。ネットワークは人体、生命を構成する細胞のネットワークでもあります。一つ一つの細胞は連鎖しあっています。原始の海の細胞がつながりあって生物として進化したことにもつながります。さらに人と人とのネットワークによって構築されている社会を表しているのではないかと思いました。「網目」網羅性や相互性を表現しているのだと・・・

 

 

〇意味なんかいらない 感じればいい

次第にあれこれ、考えるようになっていました。当初「気に入った絵がみつからない」「これを撮影したい」と思う衝動がおきなかったという理由がわかった気がしました。ここに掲げらた絵はフラット化されていて平等だったのです。優劣のないものに仕上がっていたから、選ぶことができなかったのではないか? みんな同じレベルで描かれた絵。

生き物の微小器官を描いていたように見えたかと思えば、原始生物に見えてきたり、小動物に見えたり、そしてたくさんの人の横顔だったり・・・・ それらには「これ!」と選ぶものはなく、選ばれるものもない。すべてが同列に並べられていた・・・・

 

人によってはこれが好き、と思う絵があると思います。しかし私には「好きだと思う絵ががなかった」というジレンマのようなものが、実は大きな意味があったのだと感じられたのでした。

 

〇部分撮影したい作品がなかったのは・・・・

これまで部分撮影、拡大撮影をしたいと思う時というのは、そのテクニックに着目した時でした。今回、着色を見ていて、実は「単調で面白みがない・・・」って思っていたのです。これまで、日本画や墨絵、油絵の色の表現をいろいろなスタイルで見ていると、ここはどうなっているのだろう・・・・ そんな興味が沸き起こって自然に撮影したい場所が出てきました。

ところが、この絵って「色、混ぜてる?」「着色に色を重ねたり、グラデショーンのテクニックとかある?」そうした技術的な表現の面白さを感じる部分がなかったのです。とりたてて、ここをアップで撮影したい! という気持ちに至らなかったのでした。

ところが、そういうことも含めて、全てがフラットだったのかもしれないと思いました。南瓜の作品の黒。黄色がベースのキャンバスに、アクリル絵の具の黒を混ぜたりせず、そのまま使っていると伺いました。その色が持っている色だけですべてを表現していたのです。

 

自分の「心が動かない」

 

それに対して意味付けをしようとしていることに気づきました(笑)

 

 

   草間作品は考えちゃいけない。

      感じるものなんだ・・・・

 

 

 

 

■「あいさつ」を見たら

そんなことを思いながら、入口に掲げられていた挨拶を見にいきまいした。入館した時、この一帯が混みあっていたので、飛ばしていました。その挨拶には・・・・ 

 

毎日の生命の尊さを祈る。生命の輝きで生きてこれを・・・芸術の創造は孤高の営み 感動をともにすることに命をかける。宇宙の果てまで戦いたい。連鎖は多様性、現象のモチーフと抽象のパターンを自在に往復

 

なんだか、自分の見方、それなりに意を得ているんじゃない?(笑) やっぱり「生きる」っていうことを、描きたかったんだその一枚一枚に、意味を見出せなくても、それぞれの絵が連鎖して、この世界の理を表現していたのだと思いました。

 

その背景には、種苗問屋に育ったという環境が、このような制作活動の根幹をなしているのだと思いました。このような感性を生む土壌で培われた結果なのだろうと自分の中でつながって、納得したのでした。生命を扱い、それを細胞単位でとらえたアーティストはその先、「宇宙感」にも到達するというのが理。きっと、このあと、宇宙を表現した作品も出てくるはず・・・

 

  

そんなプロローグのような作品群を見てから、過去の作品を順に追って鑑賞していきます。一巡するとまたここに戻ってきます。戻ってから再度見ると、また、新しい発見のようなものがあるのでした。

 

 

▼わが永遠の魂 解説パネル

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草間彌生 わが永遠の魂|企画展|展示会|国立新美術館  より

「わが永遠の魂」は2009年に着手され、現在も描き続けられている大型の絵画連作です。初期にはF100 号(162.0×130.3cm)やS100号(162.0×162.0cm)も見られましたが、現在ではS120号(194.0×194.0cm)にほぼ統一された正方形のカンヴァスに、アクリリック(アクリル絵具)を用いて、色彩豊かな画面が驚異的なハイペースで次々と生み出され、500点に及ぶ最大のシリーズとなっています。この連作の最大の特徴は驚くべき多様性です。具象的なモティーフと抽象的なパターンを自在に往還しながら更新され続ける作品群は、草間彌生の芸術の集大成であり、天才的な創造性を体現するものと言えるでしょう。

 

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