コロコロのアート 見て歩記&調べ歩記

美術鑑賞を通して感じたこと、考えたこと、調べたことを、過去と繋げて追記したりして変化を楽しむブログ 一枚の絵を深堀したり・・・ 

■岩崎家のお雛さまと御所人形:岩崎家の雛 静嘉堂文庫美術館へ帰る

静嘉堂文庫美術館で、2019年1月29日から開催の「岩崎家のお雛さまと御所人形」のブロガー内覧会が行われました。展示されたお雛さまの主役「岩崎家雛人形について、由来や見どころ、そして素朴な疑問など、トークショーや人形玩具研究家 林直輝氏のお話から紹介します。

*写真は許可を得て掲載しております。

 

 

■「岩崎家童子雛人形」の制作経緯

昭和初期、三菱第4代社長の岩﨑小彌太(⇒*1)が、夫人孝子さんのために特別に誂えさせた雛人形です。依頼したのは、京人形司の老舗 「丸平大木人形店」(⇒*2)の五世大木平藏氏。(⇒*3


豪華な装束の織りや染め、刺繡、金工など、精緻を尽くした工芸美が随所に見られます。制作には3年の年月がかかりました。制作費は、昭和5年で2万円。現在の金額に置き換えると・・・ 換算方法はいろいろあるようですが、人形玩具研究家 林直輝氏によると、当時の1万円を1億と考えればよいと、解説がありました。ということは・・・ コストも時間も並外れた雛人形です。

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↑岩崎小彌太本邸 大広間に飾られていた雛

 

ところが戦後、これらの雛人形は、散逸されてしまいました。その経緯はよくわかっていないそうです。

 

  

■桐村世美氏によるコレクション

〇人形コレクター桐村喜世美

人形のコレクター桐村喜世美氏(⇒*4)の好みは、出会った時にかわいいと感じられるものだそう。

婚家の桐村家(⇒*5)は、「茂照庵」(⇒*6)として、登録有形文化になりました。コレクションの人形を収蔵する私設博物館として公開していたこともあります。 

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〇雛との出会い

昭和時代末、岩崎家雛人形内裏雛と出会いました。

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出会った時に「かわいい」と感じるものがお好きという桐村喜世美氏の好みピッタリのお内裏様。丸顔は子供仕立てに作られた稚児雛です。

  

その後、三人官女、五人囃子を手に入れ・・・・

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展示は、後ろ姿も見えるように鏡が置かれ工夫されています。

 

 

そしてお道具類を手に入れました。

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お道具には、岩崎家の替紋(⇒*7)、花菱紋(⇒*8)が入っています。

 

 

 

 

 

飾りの雛人形15体すべてと、道具類の多くが、情熱によって集められました。

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↑ 桐村邸茂照庵での雛飾り 情熱がここまでの蒐集を実現させました。 

 

 

そして2018年、岩﨑家ゆかりの静嘉堂文庫美術館に寄贈されました。f:id:korokoroblog:20170617140847j:plain

静嘉堂文庫美術館のある敷地には、岩崎小彌太・孝子夫人が眠る岩崎家の納骨堂 があります。

 

 

■岩崎家童子雛人形 技の数々

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お内裏様とお雛様 丸い愛らしいお顔に品格が漂います。
 

 

十二単は、どうなってるの?

お雛様の十二単の重なり部分は、布を重ねただけなのでしょうか? それとも木目込み?

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贅をつくした人形と言われています。十二単の部分、ひょっとしたら実際に着せているのでは? 人形玩具研究家の林直輝氏に伺いました。

 

通常は、ただ重ねただけですが、こちらの人形は、実際に着せているそうです。しかも木目込み人形のように埋め込みながら重ねるのではなく、人が実際に着用するように重ねているといいます。

 

Q足が動く理由は?

この人形は足の関節が動く構造になっているという解説がありました。「三折り」と言い、実際に飾った人形の関節を動かして立雛にできます。しかしそれをすることはありません。それでも動かせるように作られていると言います。そこが、他に例のない人形の所以なのでしょう。

もしかして、着物を重ねて着せるために動くようにしたのでしょうか? 足か動いても関係がなさそうです。さらに下着の部分まで、きちんと作られていると言います。見えないところまでこだわる。これが、大木平蔵が作る人形の真価なのかもしれません。

 

Q今は作ることができない技術とは?  

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右側の台に乗せられたのは「宝冠」(ほうかん) 本物のサンゴやガラス玉があしらわれています。頭には乗せずに写真のように冠台に乗せます。この制作はすぐれた技術が必要で、今はこれを作ることができません。

 

Q宝冠はかぶらずに置くのはなぜ? 

ちなみにこちらは、大木平蔵の江戸後期享保期から、明治~大正時代に制作された雛人形です。この時代の女雛は宝冠をかぶっていました。

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左:享保雛 五世大木平蔵 宝冠を失っています(⇒*9
右:内裏雛 三~四世大木平蔵 宝冠はかぶった状態(⇒*10

 

享保雛」(きょうほびな)

 江戸時代中期、享保1716-1736)年間ごろから長く流行した雛の様式。公家の装束を表しているわけではなく装飾的に仕立てられています。 

江戸時代の雛人形は、庶民から見た、あこがれの上流社会をイメージして表現されていました。女雛が宝冠をつけることはありませんでしたが、目にすることのない上流社会へのあこがれを、雛人形に投影しました。(⇒*11

 

Q男雛 女雛の配置

明治になると、天皇のお出ましの写真など、目に触れる機会が出てきます。空想は現実に変わりました。それによって雛人形の表現も現実的になってきます。また国際化により欧米のマナーを皇室が取り入れるようになり、男女の位置は入れ替わり、男雛、女雛の位置も逆になりました。現代では、向かって左が男雛、右が女雛とされています。しかし、習慣などを考慮し、それぞれの選択がされています。

  

Q垂れ幕のようなものは何?

雪洞(ぼんぼり)の横にあるタペストリー状のものはなんでしょう?

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全景  

 

 

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雪洞と几帳 
 

雪同(ぼんぼり):燭台などの周囲を和紙や布で覆った灯火具

几帳(きちょう):目隠し仕切りのために室内で用いる屏障具

几帳は上下に分かれており、上には「鳳凰」下には「桐竹」が描かれ「桐竹鳳凰」(⇒*12)の吉祥を表しています。鳳凰の横には、替紋の「花菱紋」が金で表されています。

 

 

 


 

■展示のラブコールから

2011年、兼ねてから貸出の要望に答え、静嘉堂文庫美術館で展示されたことがありました。それまで、貸出依頼が各地からあったそうですが、応じることはなかったそうです。静嘉堂文庫美術館からの長年の要請にこたえる形で実現しました。その時は、桐村喜世美氏の所蔵でした。

それから、7年。今後の維持管理のことなどを考え、静嘉堂文庫美術館なら大切にしていただけるだろうとの思いから、受贈に至ったとのこと。

 

 

■感想

雛人形を美術館で鑑賞するのは初めてでした。当初、見るポイントが全くわかりませんでしたが、トークショーやギャラリートークの解説、自由鑑賞中の質問に丁寧にお答えいただき、興味深く拝見することができるようになりました。

技を結集した工芸といえば日本刀を思い浮かべます。ところが雛人形も日本の工芸品の粋を集めたものであることがわかりました。

河野館長のごあいさつで、人形の中に精神性があり、子どものために無垢に願う文化で、それを造形化したのが雛人形。世界でもめずらしい。とおっしゃっていました。(⇒*13

子や婦人のためにと制作を依頼し、それに技術の粋を持って答える制作者。訳あって散逸した雛との出会いに魅了されたコレクター。人形に込められたそれぞれの無垢な願いが、奇跡的な出会いをもたらしたのかもしれません。人形が取り持つご縁に、加わってみてはいかがでしょうか?

 

 

■脚注・補足説明・追記

*1:小彌太の依頼を受けることの意味

小彌太は、何でも一番を求める性分で「他に例がない」「他にはない雛人形」を依頼したといいます。そんな小彌太が指名するということは、日本一として認められたことを意味します。

 

*2:「丸平大木人形店」(まるへいおおき) 

創業は江戸時代の明和期で、約250年の歴史があります。屋号は丸屋。京都の四条通にある京都隋一の老舗人形店で通称「丸平」の名でしたしまれてきました。皇室や岩崎家、三井家など財閥家の雛人形を手掛けてきた老舗。

 

*3:「五世大木平蔵」(おおきへいぞう)

丸平の店主は代々「大木平藏」を名乗ります。現在は第七世。岩崎家の雛は、第五世に依頼しました。五世は丸平の中でも、細工の精巧を極めた独特の作風を確立したと言われています。

 

*4:「桐村喜世美」(きりむらきよみ)

京都福地山在住の人形コレクター。「桐村家」に嫁ぐ。ご主人も人形コレクターで有名な故・桐村茂昭氏(眼科医)。

 

*5:「桐村家」

 江戸時代の文久年間(1861~4)から続く丹波の漆商で昭和初期まで漆の卸売りを営み繁栄。ご主人は初代から数えて6代目にあたります。

 

*6:「茂照庵」(もしょうあん)

雛祭りの時期、コレクションの豪華な雛人形を展示していたこともあり、内部は資料として整備。婦人雑誌などにも取り上げられ人気を博しました。

 

*7:「替紋」 (かえもん)(2019.02.06追加)

定紋(じょうもん)に替えて用いる、略式または装飾の紋。裏紋。副紋。

引用:替え紋・替紋(かえもん)とは - コトバンク

  

*8:「花菱紋」(はなびしもん)(2019.02.06追加)

菱と云えば武田菱が有名ですが、この花菱は武田家の裏紋でも知られています。また花菱は江戸時代、商人に好まれた家紋でもありました。

引用:家紋の由来とデータ | 花菱 はなびし  

通紋は、例えば「花菱紋」といった一般的に優美な家紋に多い。

引用:wikipedhia

 

*9:長谷川学芸員談、宝冠を探してきて、かぶせたいと。次にお目にかかるときには、冠があるかもしれませんとのこと。今の状態、要チェック!

 

*10:有職故実(ゆうそくこじつ)に即していない雛人形

宮廷の決まり事に即しておらず、実際よりも豪華に誇張した表現。女児の幸せを願う気持ちが込められていました。 

 

*11:享保雛の特徴・着物に厚みがあるのは?

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享保雛の特徴は、顔の形は面長で、切れ長な目と少し開けた口、
細くて白い手などが挙げられます。
また、女雛は赤い袴を着て、中には綿を入れて膨らませた形になっています。
これは、公家の正装が朝鮮半島から流入したこともあり、
朝鮮のしきたりとして、女性の正式な座り方が片膝を立てる形だったため、
これを隠すために、あえて綿を入れて膨らませた雛人形にしたようです。

引用: 今も京都などでみられる享保雛の特徴とは?|伝統の木目込み雛人形・五月人形・浮世人形|真多呂人形公式

 

十二単とは違って、綿入れのような厚みがあり、なぜなんだろうと思ったのですが、朝鮮の正装が立膝でそれを隠すために綿で膨らませていたことがわかりました。その関係なのでしょうか、十二単の部分にも綿入れがあります。

こちらの雛の十二単の部分は、実際に着せたものではありません。  


*12:「桐竹鳳凰(きりたけほうおう) 
中国で鳳凰は、優れた王が即位すると現れると伝えられ、その鳳凰は桐に宿る木として神聖視されていました。そして六十年に一度、稔る竹の実を食して現世に栖まうとするという言い伝えがあります。桐竹鳳凰文は、天皇の夏冬の御袍(ごほう)に用いられた高貴な文様で有職文様の一つ。(参考:桐竹鳳凰 | 日本服飾史 -第4話 「桐と鳳凰」-

 

参考情報:サントリー美術館 おもしろ美術ワンダーランドにて(撮影自由)

鳳凰・桐・竹は吉祥の定番モチーフ(2019.02.06追加)


以上のような謂れを持つモチーフに、岩崎家の花菱紋を入れることで、天皇位に匹敵するかの位置づけでリスペクトしていることが伝わってきます。小彌太から日本一と認められた人形司が、大上級の賛辞の意を、色や図柄で表現しているように感じられます。

が入っています。(花菱紋は替紋で、略式紋とのこと。意味あいは違うかもしれません)(2019.02.06修正) 

 

*13:関連:(2019.02.06追記)

饒舌館長: 静嘉堂文庫美術館「お雛さま展」1 
饒舌館長: 静嘉堂文庫美術館「お雛さま展」2

祈りが宗教として仏教を受け入れ、美しい仏像の造形として花開いたのと同様、雛人形への祈りが美しい造形へと昇華し、神への捧げものとなったのでは?という河野館長の今後の私論に期待。