たばこと塩の博物館で「江戸の園芸熱 -浮世絵に見る庶民の草花愛-」が、始まりました。(前期:1/31〜2/17 後期:2/19〜3/10) 江戸時代の園芸熱は、品種改良や仕立てなどマニアックで、ある意味偏愛ともいえるユニークな趣向が見られます。
いろいろな植物がディープな方向に向かう中、フライヤーにもなっている「百種接分菊」が今の時代に再現されたあんな話、こんな話をご紹介。
*写真は許可を得て撮影しています。
■百種接分菊
百種接分菊 歌川国芳 個人蔵
一本の枝から、100種類の菊を咲かせるという技術。この技術は、現代ではもう再現ができないと言われていました。ところが、15年前に現代によみがえらせようというプロジェクトが行われました。
〇現代によみがえった百種接分菊
引用:閉幕近し 浜名湖花博
それは、2004 浜名湖花博において、はままつフラワーパークが2年をかけて取り組みました。江戸時代の園芸文化の粋を集めたと言われているこの技を、現代の技術で見事によみがえらせることに成功したのです。
浜名湖花博では、江戸時代の園芸がとりあげられ、希少な植物を、期間を決めて展示していました。百種接分菊も、展示日程があらかじめ決まっていました。それはただでさえも、再現が難しいところに、通常の開花シーズンよりも早い時期が設定されるという過酷な状況。調整には苦労があったと聞いています。
しかも、2004年というのは、記録的な猛暑と言われている年です。(異常気象が通年化した今でも猛暑の年として語られています。)そんな状況の中で、開花調整するのは、想像を超えることだったと思われます。空調で温度を低くするなどしながら、江戸時代とは全く違う気候の中で、見事、開花させました。
それが好評となり、毎年、はままつフラワーパークでは百種接分菊を開花させ展示が行われるようになりました。
〇全国各地でも
はままつフラワーパーク以外でも、イベントなどに合わせて展示がされています。新宿御苑(⇒*1)や浜離宮恩賜庭園(⇒*2)、旧芝離宮(⇒*3)神大植物園(⇒*4)など、ノウハウが蓄積されいるのでしょうか。菊の数も100を超えるようになりました。
そんな技術の粋を集結した希少な菊を一目見たいと、浜名湖花博に訪れた思い出ある菊仕立てです。おそらく、この時の展示にも、この浮世絵が展示されていたのだろうと思うのですが、当時は、美術には興味があまりなかったため記憶にありません。しかしこの花博によって、江戸の園芸のすばらしさを知ったり、モネの庭を通して、少しずつ美術にも興味を持ち始めるきっかけになりました。
〇どうやって咲かせるの?
どうしたら、違う品種の菊を一本の茎から咲かせることができるのでしょうか。「接木」「摘心」というキーワードがあるものの想像がつきません。はままつフラワーパークのサイトで、その技術が紹介されていました。興味がありましたら、ご覧になってみて下さい。
第三話 「芽が出た」!│はままつフラワーパーク最新情報
第四話「接木」│はままつフラワーパーク最新情報
第五話「花芽摘み」│はままつフラワーパーク最新情報
第六話「菊の1本の台木に・・・」│はままつフラワーパーク最新情報
第七話「百種接分菊」・・・最終回│はままつフラワーパーク最新情報
当時の人たちが、このような技術を生み出したこともさることながら、植物の生理を理解していたことに驚かされます。
仕立てるのに2年という時間をかけています。摘心を繰り返すことで枝分かれを倍々で起こし、100の菊を接木するための台を作るのに1年を要したと思われます。そして翌年、100種の接木をして開花させたのでしょう。
摘心をすることで脇芽が出てくるというのは、植物を育て観察をしていたらわかることかもしれません。しかし、それを100にして接木の台にしてしまおうという発想がすごい!そして、そこに接木をする技術も!
〇菊や植物の育て方に関する資料の展示
接木の技術や、菊の栽培についてまとめられた江戸時代の書物が展示されています。
「草木育種」岩崎灌園著 平野恵氏蔵
接木に関して岩崎灌園が書いています。岩崎灌園は『本草学図譜』をまとめ、シーボルトに植物の提供などもした人物です。(⇒*5)
『菊花壇養種』菅井菊叟著 渓斎英泉画 平野恵氏蔵
菊栽培の過去にまとめられた様々な情報を再編したもの。培養土、日照、水やりなどが記載。美人画の浮世絵師として知られる渓斎英泉は、このような挿絵も描いていました。
「草木育種 後編」阿部喜任著 平野恵氏蔵
「草木育種」は後編もあり、前編を補う形で記されています。
『巣鴨名産菊の栞』平野恵氏蔵
菊細工興行のための栞で、ここに表示されているとおりに回ると効率がよいという案内ブックのようなもの。
〇花博から10年後に再現
10年後の2014年にも、百種接分菊が再現されていたようです。
下記のブログで紹介されているような、万年青(オモト)や松葉蘭などの珍品種も、花博を彷彿とさせるような展示がされています。
上記の最後に、展示監修として紹介されている賀来宏和氏のお名前に感慨深いものが… 花博の総合プロデューサーで、花博が終わったあと、浜松花博を総括する講演会があり、わざわざ新幹線で豊橋まで訪れた懐かしい思い出があります。
1851年世界初ロンドン万博の目玉は水晶球。世界から採取された植物が展示され日本の植物も。その後、万博では人間の展示もされ、日本人を展示する話も浮上したとか。しかし庶民まで植物を愛す国民性、文化によって、免れたと聞きます。万博と園芸。1990年、花博で江戸の園芸の深さを知ることに。
— コロコロ (@korokoro_art) January 29, 2019
上記のツイートで紹介した、万博において、日本人の人間展示を避けられたのは、庶民までもが園芸を愛する江戸の人々がいたから・・・というお話。それは、賀来氏から伺ったことでした。大成功を収めた花博。しかしこれまでの万博の光の部分だけでなく負の部分へも言及されながら、江戸時代の園芸がいかに世界に認められていたかを紹介されていました。
また、フォーチュンが日本人を見た時の印象を記した言葉。それは、花博で江戸の園芸を紹介する館の冒頭に掲げられていました。
「日本人の国民性の著しい特色は、庶民でも生来の花好きであることだ。花を愛する国民性が、人間の文化的レベルの高さを証明する物であるとすれば、日本の庶民は我が国の庶民と比べると、ずっと勝っているとみえる」
『幕末日本探訪記―江戸と北京』より
珍品の植物展示替えに合わせて、花博のパスポートを購入しコンプリートしようと馳せ参じていました。それは、江戸の園芸熱にも通じるものがあったのかもしれません。
15年という歳月を経て、浮世絵を通して花博の展示を重ねています。
このフライヤーの人々の熱狂は、浮世絵の展覧会に足を運ぶ我々とも重なるようです。
百種接分菊 歌川国芳 個人蔵
〇菊が描かれている作品
■珍品種松葉蘭
松葉蘭・・・・
蘭という名ですが、蘭ではなくシダの仲間。 そしてこの植物は、根も葉もないという特徴を持っています。それはどんな形をしている植物なのか、一目、見てみたいという衝動に駆られました。
江戸時代、これを手に入れるためには家と土地とで交換したと言われています(斑入りなどの場合)。根も葉もないという語源はこの植物からだとも聞きました。
そんな珍種の植物は、絶対に見逃してはいけないと、花博の展示期間とにらめっこしながら訪れました。念願かなって、会場でご対面。その後、なんと販売もされていたのです。価格も非常にお手頃でした。物は試しと入手しました。
ロッカーにあづけて会場を散策。ところが、帰りに奥においた松葉蘭を忘れてしまうという大失態。宅配便で送ってもらいました。箱を開けると、真っ黒になってボロボロでした。1日、ロッカーに入れられ、さらに宅配の箱に・・・ 光が足りなかったようです。いろんな意味で思いで深い植物です。
ここに描かれた植物、見覚えがあります。
菊五郎ご自慢の鉢苗 上の植物が松葉蘭です。見たことある…と思ったらやっぱり。
珍しい松葉蘭がまとめられています。
『松葉蘭譜』長生舎主人(栗原信充)平野恵氏蔵
松葉蘭 60品種が掲載。現存は一部。
『竺蘭伝来富貴草』東是久貫 平野恵氏蔵
竺蘭は松葉蘭のこと。栽培方法が記されています。鉢の上の金網のようなものは「ほや」と呼ばれるもの。松葉蘭は人の指の脂で傷む性質があるため、それをガードしています。
実物がこちら・・・・
引用:100種類の菊が1本の台木から同時に満開! 浜名湖花博2014「徳川園芸館」 : 富士市議会議員 小池としあき
前出の紹介サイトの中に、 金網がかけられて展示されている写真を発見。小池としあきさんのサイトより引用させていただきました。花博の時もこのような展示がされていたので懐かしいです。
■斑入り植物
日本人は斑入り植物が大好き。ところが欧米では斑入りは嫌われていると聞いていました。見た目が気持ち悪い、病気のように見える。ということで避けられていたといいます。
ところが、今回、フォーチュンの言葉を探っているとこんな言葉に遭遇しました。
染井や団子坂の苗木園のいちじるしい特色は、多彩な葉をもつ観葉植物が豊富にあることだ。ヨーロッパ人の趣味が、変わり色の観葉植物と呼ばれる、自然の珍し斑入りの葉を持つ植物を賞賛し、興味を持つようになったのは、つい数年来のことである。これに反して、私の知る限りでは、日本では千年も前から、この趣味を育ててきたということだ。
……ところが、イギリスでは、前述のように、斑入りの種類は、わずかにアオキだけしかない。それがここには、さらに斑入りのラン! 斑入りのシュロ! 斑入りのツバキ! そしてチャの木であせも、まさしくこの「楽しき一族」を象徴している。「アジアで最上の針葉樹の一つ」を確信する美しいマキも、葉に金色のたてじまの入った変種が栽培されていた。
「幕末日本探訪記」より
ヨーロッパでも、変わり種の葉に興味を持っていたことがわかります。私も、斑入り植物が好きだったので、「江戸の園芸熱」の展示作品の中に、斑入り植物を探していました。どのように描かれ楽しまれていたのか、興味の一つでした。
ところが、今回の展示作品の中に、斑入りの植物はみあたりません。
唯一、みかけたのがこちら・・・・
『草木錦葉集』前編 二之巻 水野忠暁著 平野恵氏蔵
幼少より鉢植えを好む、奇品の大家による著。斑入り植物が「いろは」順に記載されています。
斑入り植物は描かれなかったのか。あるいは、展示作品としては集まっていないのか…と思いながら見ていました。企画の担当学芸員さんによると、斑入り植物は、庶民ではなく大名などに愛でられていたため、浮世絵の場面には登場していなかったとのこと。『草木錦葉集』のような形で残されているそうです。
他にも珍しい植物が、大名や旗本の間で考証されています。
儒学者から本草学者に転身した松岡玄達。桜や蘭について漢書のような体裁で書いていました。
■植木鉢
鉢植えの普及で発展した江戸の園芸は、鉢にもこだわる方向で発展しました。奇品を植えるための鉢と植物のマッチングや、陶器から磁器へ、そして絵付けなど、様々な鉢が植物を植えるために作られました。
花博の頃、陶磁器には興味があったので、陶磁器と植物がこういう形で接点を持つという面白さを感じていました。
時を経て、そんな植物の鉢が浮世絵の中でどのように描かれているかをつなげて見るという新たな楽しみが生まれました。
■感想
江戸の園芸のすばらしさを知った15年前。それから、美術を通して江戸の歴史を少しずつ知り、日本という国の歴史や、日本人の気質などを知って、改めて江戸の園芸を見直す形の展覧会となりました。
浮世を描くと言われる浮世絵。それは、当時の人々が発していた熱量までも描かれていることを実感させられました。
■関連サイト
〇イソッペ物語[百種接分菊」│はままつフラワーパーク最新情報
〇「江戸の園芸熱 浮世絵に見る庶民の草花愛」たばこと塩の博物館 - いもづる日記
〇日本人の植物に対する熱は、江戸時代からすごかった。 | 植物生活
〇江戸の園芸熱 -浮世絵に見る庶民の草花愛- たばこと塩の博物館。 | あおきゅーのぶらぶらアートさんぽ。
〇江戸の園芸熱 @たばこと塩の博物館 - 吉谷桂子のガーデンダイアリー ~花と緑と豊かに暮らすガーデニング手帖~
■脚注・補足
*1:新宿御苑の百種接分菊
〇新宿御苑の最新情報: 江戸の園芸文化を受け継ぐ菊花壇
〇歌川国芳の‘百種接分菊’に目が点!: いづつやの文化記号
*2:浜離宮恩賜庭園の百種接分菊
〇浜離宮恩賜庭園 園芸文化企画展
*3:旧芝離宮の百種接分菊
〇百種接分菊 | 奥 峰子の ガーデニングライフ
*4:神大植物公園の百種接分菊
〇地球極楽とんぼの「花鳥風月」: 百種接分菊:江戸園芸技術の技を再現
*5:「岩崎灌園」
本草学を小野蘭山に学び『本草学図譜』を作成。約二千種の彩色草木図に解説を付した日本最初の植物図鑑。これまでの本草書の図版が欠落していたり、精密さに欠けることに不満を感じた灌園が、自ら描いた2000種の図を集大成したもので、92冊からなり、李時珍の『本草綱目』にしたがって配列されました。
1826年に江戸でシーボルトと会見し標本を提供していることも書かれていました
引用:■本草学とは・・・
「本草学図譜」関連の歴史
引用:■「挿絵本の楽しみ」《本草図譜》から広がる博物学の世界 - コロコロのアート 見て歩記&調べ歩記
引用:■そごう美術館:ルドゥーテの「バラ図譜」展 - コロコロのアート 見て歩記&調べ歩記