泉屋博古館分館で「典雅と奇想―明末清初の中国名画展」行われています。この企画を監修された板倉聖哲氏(東京大学東洋文化研究所・情報学環教授)によるゲスト・トークがあったので参加しました。この展示は、静嘉堂文庫美術館ともタイアップされています
- ■ゲスト・トークの前の鑑賞
- ■中国絵画の認識がくつがえる
- ■明末清初の中国名画
- ■展示の構成
- ■コラボ展示の時代区分
- ■中国絵画に高い評価を与えた日本の財閥
- ■備忘録メモ
- ■板倉先生のゲスト・トーク
- ■絵の動機
- ■関連
ビルの谷間の紅葉を抜けるとそこは、「典雅と奇想」の展示。
(5月頃、咲き乱れていたアガパンサス。てっきり季節に応じて季節の花を植えかえているのかな・・・と思っていたのですが、一年中、植えたままの状態で維持されていたことが判明。最近の植栽は、見てくれ重視でない方向になっているのだなぁ・・・と感慨深いものが)
■ゲスト・トークの前の鑑賞
右のポスターがイベントのお知らせ。
ゲストトーク30分前に到着。いつになく人が多い状態。もしかしてトークを目的に来た人たち? ロッカーはすべて埋まっています。荷物は受付で預かっていただくことができました。なんだか、すごい人になりそう‥‥
とりあえずざっと見てみることに。明清時代の中国絵画。タイアップをしている静嘉堂文庫美術館も観たし、そのあと国宝展の中国絵画も見ました。東博の東洋館も見てます。なんとなく中国絵画もつかめてきてるかも… と思っていました。しかし‥‥
移動中にブロガー内覧会のレポートを、ちらっと見ましたが、知ってる作者がいません。静嘉堂の展示とは、全く違う様相・・・ なんだかさっぱりわからない。中国絵画の全体的な流れ、その中で「明と清」はどういう位置づけなのか。そのあたりがわかってないからなぁ・・・ なんて思いながら。
■中国絵画の認識がくつがえる
〇カウンターパンチをくらう展示
何もわからず見始めました。いきなりカウンターパンチをくらった状態。中国絵画、ちょっとは見てきました。その度に、中国ってすごいんだな・・・ って思わされていたのですが、今回はそれを根底から覆されてしまうほどの衝撃。
〇中国の認識を新たに
本音を言えば、中国に対して、いろいろ思うことがこれまであったわけです。ところが、それをチャラにさせてしまうほどの力を持った作品群。中国という国の根底に流れているもの、その背景。底力みたいなものが感じられたのです。
よく中国4000年の歴史(?)とか、四大文明の発祥の地(?)などと言われる文化発祥の地です。しかし今は〇〇〇‥‥ という見方をされてしまいがちなのですが、その意識までも変えさせられるほどの作品でした。
〇知識がなくても何かが伝わる
美術作品の本当のすばらしさというのは、何にも知らない。わからなくても何かが伝わってくるものだと思っているのですが、まさにここで展示された明清絵画は、それに値すると思わされたのでした。
〇主張が激しい
「私はこう描く!」「こう描きたい!」「人と同じじゃいやだ」 とにかく主張が激しいんです。ビシバシその主張が突き刺さってくる感じ・・・・
中には自分自身に対しても、これは違う! と否定しいるようで、次々に新たな手法で送り出し、同じ人による作品には見えないものも。そんな作品群の中に、今につながる中国の気質をちらりと垣間見た気がしたり‥‥
とにかく、わかる、わからないかかわらず、これは見れば分かる。何かが伝わってくるそんな展示だと思ったのでした。
〇解説で確認
ブロガー内覧会レポートの中に、これらは世界に誇るレベルの作品。といったことが書かれていました。そんなこと言われても、主催者側の自画自賛なんだろうな・・・って思ってました(笑) 中国絵画ってみんなよくわかってないと思うし、それが世界に誇れるって言っても、研究者レベルのお話で、私たちは、こういうのを、世界レベルっていうのね‥‥と受動的に受け止めるのだろうなと思ってました。
ところが‥‥ 中国絵画、ド素人にもそのすごさが伝わってくるのです!
〇実現したい展示3つのうち2つを実現
板倉先生の解説の中で、ぜひ実現したかったことが3つあったと語られました。
中国の名画の多くが日本にあって、世界中の中国絵画の研究者は日本詣をしないといけないそうです。しかも、いくつかの美術館を回らないとそれらを見ることができません。
ところが今回は、ここで見ることができてしまいます。実現したかった展示というのは、同時展示することで、その一つが石濤(せきとう)の「黄山」を描いた2冊を並列展示すること。もう一つは、冒頭で展示されている徐渭(じょい)の《花卉雑画巻》2点を並べること。時代の違う2冊ですが、同じテーマが扱われている部分があり、最終の1週間は同時展示されているので必見とのことでした。
というように、作者、作品名をあげて解説しても、中国絵画を知らない、見たことない。まして写真をつかわずに解説‥‥ となると、そんな人、知らない。と文字面を流すだけ。逆にアレルギーになって見る気が失せる。というのが私の経験。なので、これ以上の解説はやめることに・・・・・
とにかく、見ればわかる。見たらすごい・・・ 今後、日本絵画を見ていくためには、絶対にこの企画は、見ておいた方がいい! 見ておけば、あの時のあれがそういうことだったのか・・・と理解できる展示だと想像ができます。さらに、静嘉堂文庫美術館と合わせて見ておけば補完されます。
以下は、自分のメモ
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■明末清初の中国名画
「明」時代から「清」の時代へと変わる過渡期の作品。
HPの解説
明代末から清代初め(16~18世紀初)の中国で活躍した呉派の伝統を受け継ぐ典雅な山水画と、奇想の造形を生みだした徐渭や石濤、八大山人ら異端の画家たちを紹介します。歴史の変動期に生きた画人たちの驚異の作品を多数紹介します。
徐渭や石濤、八大山人ら異端の画家・・・・ もうここで、ブレーキがかかってしまいます。なんて読むの? そんな人、聞いたこともない。結構、中国絵画、見たと思うんだけど、まだ目にしてない。東洋館で展示されてたかなぁ・・・
◆明末清初(みんまつしんしょ)
「みんまつしんしょ」 音だけで解説を聞いていた時は、何を言っているのかさっぱりわかりませんでした。「明末清初」漢字を見たら納得。アハ体験みたい。そういうことだったのか・・・
ところで「典雅」って何?・・・・正しく整い上品な様を表す熟語 初めて聞いた言葉。
〇時代区分
明時代末期から清時代初期(16世紀後期から18世紀初頭)にかけての話。年号でいったら? 明時代、清時代って、何年から何年まで続いたの? 日本の時代との関係は? 北山と南宋との関係は? 隋・唐との関係は?
中国の時代区分
⇒殷 周 秦 前漢 後漢 三国 南北朝
隋 唐 宗 元 明 清 中華民国 中華人民共和国
これだけは歴史の中で唯一、覚えていること。暗記させられ何度も何度も、授業が始まる前に唱和させられたから・・・ 中国の時代区分だけはそらで言えます。が日本の時代の順番、わからないし対応がさせられません。そして、中国の時代がどれくらい続いたのか‥‥全体の歴史の中の位置づけがわかりません。(平安時代が400年で江戸よりも長いとか、そういうスケール感の把握ができていない)
最近、いい参考書を入手しました。こういう時代を等尺で表現し対応させた表がほしかったのです。
沈 南蘋が日本にきていることなども表現されています。雪舟が中国で学んだことなども加えていくと、日本と中国の関係、時代の流れが見えてきます。
参考に、「北宋南宋時代」と、日本の「平安、鎌倉時代」の相関の表も‥‥ 遡ると唐、隋の時代の遣唐使、遣隋使など既知のことと時代のスパンもわかります。断片的に知っていることがつながていくとだんだん面白くなってきます。
参考:続 西洋・日本美術史の基本 (p121)
別冊太陽『水墨画発見』でも中国の水墨画を少し理解しようかと思ったら、ここに掲載された中国画家もまた全然、知らない人ばかりが出ていました。それもそのはず。取り上げられていたのは、「北宋、南宋時代」の作家。牧谿は南宋時代の人だったことを知りました。元信が参考にした夏珪 馬遠も、南宋あたりの人だったのかな?
下記の明・新時代の空白を自分で埋めていくと、日本との関連がわかってきそうです。
これまで見てきた人、知ってる人との関係の全体像が見えてくると、ぐんと近づいてきます。
そして、会場にも、系譜図がありました。どなたか、写真にとってないかなぁ・・・と思ったらありました!
@泉屋博古館分館(東京・六本木):旅とアート、ときどきグルメ
上記に師弟関係なども含めた系譜図があります。こうしたものとドッキングさせると、中国絵画の歴史も浮かびあがってきます。
⇒それぞれの時代の主要画家一覧
〇時代背景 明から清へ
「宗」
「元」(-)は、異民族王朝
「明」(1368 - 1644) は漢民族によって統治された時代。
「清」は、北方の異民族=女真族による王朝へ変化する激動の時代。
(こういうお話を聞くと、ああ、歴史知らないからなぁ‥‥ 中国の歴史の全体像を把握する先の長さを感じて、ちょっと拒絶意識を持ってしまいまうのですが‥‥)
時代の変化は画家へも変化をもたらしました。
「明」時代
・伝統文化回帰の機運 宮廷画院再建
・南宋時代の画風に、せつ江地方の荒々しいタッチを加える ⇒
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浙派(せっぱ):宮廷画家・職業画家を中心とした一群。
浙派の「浙」とは杭州の古名。同地で活動した戴進(たいしん)を祖とみなす。
これに続く宮廷画家・職業画家の一群を浙派。
呉派(ごは) :明代中期以降、蘇州を中心に活動した文人系画家の総称文徴明(ぶんちょうめい)らの文人を中心 対立構図
・明時代中期
浙派の衰え、呉派=文人画系が優勢。(しかし、明時代の画派は複雑)
他に江夏派(こうかは)、院派などもある。いずれの派にも分類しがたい在野の職業画家も存在。
他の代表的な画家 唐寅(とういん)、仇英(きゅうえい)、徐渭(じょい)。
・明末から清初(動乱期)
呉彬(ごひん) ⇒明末の奇想派、個性的な画風をもつ。
これに対して
呉派(呉門派とも):明代中期以降、蘇州を中心に活動した文人系画家の総称。
沈周(しんしゅう)が呉派の祖 文徴明とその親族や弟子らの一派も呉派に分類。
批評家の何良俊(かりょうしゅん)は、文徴明を高く評価し、画家を行家(こうか、職業画家)と利家(りか、素人画家)に分類し、利家すなわち文人の絵画を、職業画人の技巧的絵画よりも価値あるものとした。
批評家の高濂(こうれん)は、浙派末流の絵画を「狂態邪学」であるとして厳しく批判。
このように文人画家を尊重し、職業画家をおとしめる価値観は、明末の董其昌によって、さらに理論化されている。明末の文人官僚・書家・画家・理論家であった董其昌は、実作者としても理論家としても、後世への影響が大きい。
彼は唐時代以来の山水画の流れを北宗画(ほくしゅうが)と南宗画(なんしゅうが)の2つに分けて論じ、後者すなわち文人画家の系統を、前者すなわち職業画家の系統よりも上位に置く「南北二宗論」「尚南貶北論」(しょうなんへんぼくろん)を唱えた。
董其昌のこうした二元的な分類方法には矛盾点も指摘されているが、彼の理論が後世の中国絵画に与えた影響は絶大で、明の滅亡から300年以上を経た現代に至るまで浙派と呉派、あるいは北宗画と南宗画といった分類概念が使用され続けている。
明時代の実態
文人も生活のために売画をせざるをえず、職業画家の中にも詩文をよくする者がおり、文人画家の職業画家化、職業画家の文人化が不可避に進んでいた。また、董其昌自身の作品にも浙派(職業画家)の画法がみられるなど、生活実態の面でも、画風の面でも、文人画家と職業画家の区別は付けがたくなっていた。
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清は、女真族による王朝で、新旧が入り乱れた時代。
「弐臣」:2つの国に使える家臣。明から清になっても仕えた役人。
「遺民」:君主や王朝が滅びたのちも生き残って、遺風を伝えている民。
「四和尚」:仏門に入った人
それぞれが時代の変化に対して、いろいろな選択をしました。こうした時代背景がわかると、その時代を担った画家の画風も理解ができてきます。奇岩など奇想と言われるものが誕生するのも時代の空気がもたらしたもの。
若冲の岩を見て、へんな岩‥‥ 南頻画の岩も似てるなぁ・・・ その本家本元のルーツは中国だった。中国画の山の突起のような表現。それは、中国という国のモノの見方がこういう見方だったのか。これが伝統的な表現方法だったのか。いや、中国の自然の造形。地形がもたらしたもので、これらの形をデフォルメした結果なのだ‥‥なんて思っていました。ところが、乱世の時代という歴史的背景もあいまってもたらされたものだということが見えてきました。
体制におもねる人。反発する人。いろいろな選択があって、でもこれまでと同じことをしていてはダメだと誰もが思い、新しいものを生み出さねば‥‥ そんな気運が全体として高まっていた時代。
これ、日本の明治維新と同じじゃない? 狩野派を守ろうとする人。新たな体制の中でいかに生き延びるかを考える。その結果、文部省側につく人、宮内省側につく人‥‥ 国家体制の変化が、絵画の世界にも政治的な体制をもたらしたように。
それは、近代国家の確立とともに、江戸時代の美術システムが崩壊。新たな美術のシステムの構築を、国家主導で行われたから。これまでの画家、そしてこれからの画家は、自らの存亡をかけて
そこに食い込む必要があった。
「日本画」vs「西洋画」 の構図があり、それぞれに「新派」「古派」の対立。その対立は、「文部省」vs「宮内省」という構図ももたらす。
出典:『横山大観について①』コロコロさんの日記 [食べログ]
(というように、自分の知っていることと重なってくると面白くなってきます。歴史は繰り返される。歴史の本質のようなものって実はどこの国も同じ? 国吉展の時、キュレーターの方が、「国吉の表した時代は、今の時代と全く同じ」ということを何度も、何度も繰り返されていました。絵画は時代を反映している。そういう共通性が、中国絵画の中にも見えた。こういうことが自分にとっての絵画鑑賞のおもしろさなんだと思いました。)
■
■展示の構成
会場に入って左右にエリアが分かれていますが、大きく「明末」と「清初」の時代に分かれています。
Ⅰ~Ⅲ(会場左側):明末時代
Ⅳ~Ⅵ(会場右側):清初時代中心
明末:Ⅰ文人墨戯・・・文人による個性の現れ
明末:Ⅱ 明末奇想派・・・・時代の空気が奇想を生む? 個性の主張
明末:Ⅲ 都市と地方・・・・現代と同じ。地方の特性
文人にあこがれた中間層がコレクション
偽物づくりが横行し、文人もそれに加担
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清初:Ⅳ 遺民と弐臣・・・反発するもの、取り入るもの。様式と画風は一致しない
明末:Ⅴ 明末四和尚 明末に仏門に入った4人
・漸江(ぜんこう)
・石溪(せっけい)
・石濤(せきとう)
・八大山人(はちだいさんじん)
清初:Ⅵ 清初の正統派、四天呉惲・・・新たな時代になっても正当派を貫いた人
四展:4人の王
呉歴(ごれき)
惲寿平(うんじゅへい)
■コラボ展示の時代区分
板倉先生より、泉屋博古館分館の展示と、静嘉堂文庫美術館に展示されている作品の時代区分の解説がありました。それがわかっているだけでも理解の助けになります。
〇泉屋博古館分館 ⇒ 左側エリア:明末
右側エリア:清初
〇静嘉堂文庫美術館⇒ 明だけ(清時代はなし)
・帳瑞図(ちょうずいと) ・王建章(おうけんしょう)
どうりで、静嘉堂で明清絵画を見たのに聞いたことない画家ばかりでした。それは時代が違ったのでした。そして、日本人は、明の時代の作品が好きなんだそうです。
■中国絵画に高い評価を与えた日本の財閥
現在、日本にある明の絵は、すでに江戸後期から入ってきたものと、近代になって入ってきたものとがあるのだそう。今回展示されている帳瑞図(ちょうずいと) 王建章(おうけんしょう)は江戸時代からあるもの。中国絵画に高い評価を与えたのは、日本だったのです!
日本が西洋に向かう中、西洋にばかり目を向けていたのではいけない。日本古来の文化を見直そうとした住友家、岩崎家の当主たち。彼らは日本だけでなく、日本のルーツとなった中国絵画にも目を向け、収集していたのでた。
明から清へ‥‥ 画家たちは自分の存在証明、そして生き残りをかけて、新たな画風を生み出していった時代、だったということが見えてきました。
参考:○江戸の想像力 18世紀のメディアと表象/田中優子より
「世界的規模の大変化が起こる直前の18世紀後半の多種多様な認識・技術・形式が混在となり、異質なもの同士が未整理のままぶつかりあっていた時代のエネルギー」
「外部」=異質なもの との出会いであると同時に、すべてのものが「相対的」であることの発見であった。しかしそれはどうやら日本だけの現象ではなかったようだ。
関連 ⇒■明治維新の夜明け
中国も日本も、そして世界全体が、様々なものがぶつかりあい、エネルギーを発していた時代。そのエネルギーを他国がキャッチし求めて右往左往していた状況が見えてきました。
日本がこれまでの伝統を捨て新たな技法に邁進。それをフェノロサが救い上げたように、中国も清の崩壊によってこれらの作品が西洋に流出する危機に直面。それを救い上げたのが、日本であり、泉屋博古館、静嘉堂文庫美術館の当主たちだったのでした。
近代に向かう日本。西洋化に向うだけでいいのか。日本のよさを見直す必要があるのではないか。フェノロサ的視点を持った人が、日本にもいたのです。かつて手本にして学んだ中国美術を守ったということは、中国にとってのフェノロサ的な存在だったと言えます。同じ東洋人として、そして過去に学んだという歴史を重んじて・・・
西洋が日本に学び、日本は過去に中国に学んだあと西洋を取り入れます。一方、中国もまた、積み上げてきた文化、作品が西洋に流れる危機を迎えていました。
このような積み上げてきた歴史が壊れようとする時、それを救おうとする目が他国に存在する。それによって違う場所で守られてきた。そんな歴史の共通性が見えてきました。(美術作品を「進化」としてとらえる考え方があるそうですが、まさに生き残りのために、場所を移動しています)
■備忘録メモ
気になったことをメモ。
〇墨の濃さで遠近を表す
でも、中間部が薄くなってるものもあるけど‥‥
レンズで焦点を合わせるようなズーム、アウトを繰り返すような感じ
〇山水画について
これを伝えてしまうとわれわれの仕事がなくなってしまうとおっしゃった見方のツボ。
山水画に描かれているもの
1 「山」&「水」
2 「樹木」 樹木による表現として
⇒大小で距離を表す
⇒表情で季節
⇒手前の樹木を大きく 奥を小さく(手前と上)
「光」の表現
こう本
手前が濃い 手前が明 ⇒暗 ⇒明るい 前後関係逆転
光がどこからあたっているかわからず心象風景
(西洋の光表現・・・ どこから光があたっているか
日本画の光表現・・・ あてたいところにあてる
中国の光表現・・・ 基本を崩した表現)
↓
〇途中、不自然に全く抜けた部分は?
日本の外隈みたな技法なのか? 何か意図や効果を狙ってる? オリジナリティーの追究? しかしそれは欠落だったというオチでした・・・ な~んだ(笑) 確かに不自然なヌケ。でも、そこに意味があると考えてしまうのは、奇想を知り、個性を追い求めたという時代の風潮を知ったから。またこれだけのものを描いていた人なら何か意図を持っているはずと思ってしまう。
〇遠近の表現
段階的な墨の濃さではなく、中央部を薄く。これはどういうこと? (オリジナル性? というキーワードを得ると、すべてそれで解決してしまうよなぁ‥‥) これは、レンズのフォーカスを合わせる時のような視点。カメラのピント合わせ、顕微鏡の視野のピント合わせのような・・・ 画面に対して奥行き方向への前後。(これモネの水中表現にも通じる捉え方? 日本でも画面奥の方向への遠近表現してた気がするけど、それは、中国が参考になっているのか?
〇葡萄の表現
これは、たらし込み技法に通じる? ⇒それに共通するかも。
宗達はこれを見た? ⇒さあ・・・
⇒たらし込みというのは、遊びの中でもたらされた。偶然の産物。(館長談)
そういえば西洋にもマーブル模様のような水に絵の具をたらした技法などもあったっけ。
〇中央の絵巻物
右から、左から見ると、全体としてまた別の遠近感があり、景色を構成。絵巻物は、カット、カットって見るものと聞くが‥‥ 開いたり閉じたり、動かしながら見ていただろうとのこと。中国ではかなり広げてみることもできた。ストンと落ちる部分があったり・・・
〇痕跡器官というとらえ方
中国絵画、よくわからない‥‥と思っていましたが、解説を聞くことでこれまで見た何かに通じていくものがみつかります。これって、東博の「日本美術史の編纂」の講座の中の「金工」で聞いた、「痕跡器官」というとらえ方と同じだと思いました。
作品の形態の中に、これまで見たものと同じような「形態」をみつけ、その過去の時代とその作品の時代をつなげることで「進化」として捉える。「金工」というのは生物の「進化学」なかでも「痕跡器官」という考え方で捉えるという解説がありました。
しかし「金工」だけなく「美術作品」全体においてこの「進化学」という視点でとらえることができると思いました。フェノロサは経済進化学を学んでいたそう。美術品の蒐集が特徴的だったと聞きます。思考のベースにこうした視点があったのだろうとろうと想像されました。地域が離れていて全く違う場所、時代の作品であっても、ここ、あそこで見たアレに似ている‥‥ そいう視点が、全く違うものの関連性をみつける手だてになるというのも、「知」の共通性?
中国絵画なんてよくわからない‥‥ 作者の名前もわからないし、説明しようと思っても、変換もできなくてめんどう(笑) でも、あれとあれ似てる。それがいろいろなこととつながっていって面白いと感じ始めているのでした。
■板倉先生のゲスト・トーク
最初からフルスロットル状態のゲスト・トーク。息つく暇もなく解説がつづきます。館長さんのご挨拶の時から、時間超過は覚悟するようにと・・・ 1時間のところ、1時間半に渡って、楽しいお話をしていただきました。
それにしても、どうなっちゃったの?! というくらいの人・人・人‥‥ 美術館全体を人が埋め尽くしています。中国絵画ってそんなに人気あるの? ないわよねぇ‥‥
でも1時間半のセミナーが終わったあとは、みんな列をなして質問していました。なんだかじわじわ中国絵画の熱が、蓄熱されている状態? 愛好家はいるんだ・・・ と認識を新たに。
聞くでもなく、遠巻きに第二会場を見ながら記憶の新しいうちに復習。質問が一段落ついたころを見計らって場所を移動されていたところに質問。簡単に答えていただければいいと思い、お手間をかけないよう手短にと思ったのですが、わざわざ展示会場に戻って移動していただいて、作品の前で解説。あれだけしゃべって、いくつもの質問に答えたあとなのに、お疲れも一切見せず、精力的に質問をこなされます。せっかく切り上げたのにまた、周囲の人も巻き込んで解説が始まりました。
館長さんによると、板倉先生は、あと2時間でも、大丈夫・・・・って(笑) 私は途中、中央の作品説明のところで、水分補給休憩と、一旦、頭を休めました。
午前中は静嘉堂に行っていらしたらしい。そのパワフルさがこれだけの人を集めているのでしょうか‥‥ 帰りはとっぷり日が暮れ、クリスマスのイルミネーションがきれいでした。
色が定期的に変わります。
■絵の動機
現実に似せていく。写実主義。しかしそれだけでは受け入れられない。個性がなくなる。その突き破ったのが超写実主義。その対極が画家の存在を示すための用いる新たな素材。絹にしたりさらに金を加えたり ⇒こう本
Q金に墨はのるのか ⇒のるらしい 意外! 何か処理をしてると思ってた。
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