「日本を変えた千の技術」が国立科学博物館で行われています。会期は3月3日まで。ちょうど、折り返し地点にさしかかるところです。時間経過してしまいましたが、インターネットミュージアムにレポートしました。日本人は昔、時間にルーズだった!? どういうことなのでしょうか?
→国立科学博物館「明治150年記念 日本を変えた千の技術博」
もう少し詳しく知りたいので、調べてみました。日本人の時間厳守は世界でも有名です。取引や交通網・・・・ そんな日本人が、たった150年前には、時間にルーズだと言われていたというのは・・・・ 一体、どういうことだったのでしょうか?
また、国立科学博物館の常設展示、日本館と地球館には時計に関する展示もされています。関連づけて見ると、江戸から明治へと変化した時間感覚や、その時代の時計を見ながら体感することができます。
*リピーターズパスのおすすめ
「日本を変えた千の技術博」の見どころは満載なので、それだけでも手一杯になってしまいます。科博のリピーターズパス (⇒*1 )を利用するのもおすすめです。「千の技術博」と関連する展示は他にもいっぱい。(⇒*2 )
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- ■時間にルーズだった日本人
- ■1873年(明治6)定時法に代わる
- ■不定時法とは?
- ■不定時法時刻を示す和時計
- ■時と時計が生活を変える
- ■日本館 1階
- ■地球館 2階
- ■からくり時計
- ■開会式 あいさつより
- ■関連
■時間にルーズだった日本人
日本人の時間対する几帳面さは、昔からと思いきや、そうではなかったようです。いつまでたっても時間を守らない様子に、大隈重信は嘆いていたそう。
*科博にて撮影(2018.10.29)
■1873年(明治6)定時法に代わる
江戸時代の時間というのは、日の出と日の入りが基準で昼と夜が決まっていました。日の出ている時間を6分割していたのだそう。(正確には日の出30分前、日の入り30分後を基準に分割)ということは、昼と夜とでは1時間の長さが違っているうえに、季節によっても違っていました。
そんな時間を告げる時計を所有できるのは大名や豪商だけ。寺や時の鐘によって告げられていました。その鐘の音も同時に鳴らされるのではなく、伝達によっていたので、地域によるずれもありました。
そんな時間の基準の中で生活をしていたので、時間にルーズと思われてしまうのは、いたしかたなかったのかもしれません。
【江戸時代を学ぶ】 時間の概念と時刻の呼び方 〈25JKI00〉 | Kijidasu!
また日本は農業国だったため、機械による時計が入ってきても、お日様が上がれば働き、沈めば終了。時間に追われてどうこうする生活ではなかったことも、時間に対していつまでもルーズだった原因のようです。
■不定時法とは?
季節によって、昼と夜の時間の間隔が違う時間を「不定時法」と言います。常に変化する1時間を自動的に調整しなければならないのです。そんな時計を江戸時代末期に、作っていたのです。
■不定時法時刻を示す和時計
地球館2階に展示されています。
*科博にて撮影(2018.12.18)
時計の仕組みが解説されています。
■時と時計が生活を変える
時間どおり正確に行動するには、正確な時計が必要です。そしてそれを携帯する必要もあります。しかし模倣から始まった日本の時計作りは、世界レベルにはなかなか達しませんでした。
1875年(明治8) 国内で時計の製造
明治中期 多くの町工場登場
1927年(昭和2) アメリカでクォーツ時計誕生
1940年(昭和15) コエリンパー製ひげぜんまい、温度による伸び率の少ない合金。時計の精度を左右。
1940年(昭和15) 自動巻き時計の内部に使われる
1960年(昭和35) やっとスイスに日本も追いつく
1969年(昭和44) 世界初、クォーツ式腕時計をセイコーが発売
それからは、日本の時計は躍進。
科学博物館の日本館1階には、日本に時計が輸入されてからの歴史が展示されています。「千の技術博」とあわせてみることで、明治期の時計の変遷が理解できます。日本館の時計コーナーを紹介します。
■日本館 1階
私たちが何かを知ろうとするとき、様々な技術によって支えられています。時を知る。その裏にあった技術、時計の歩み
*科博にて撮影(2018.10.29)
*科博にて撮影(2018.10.29)
〇日本の時計の移り変わりの年表
*科博にて撮影(2018.10.29)
〇模倣からの出発
*科博にて撮影(2018.10.29)
〇明治20年の時計
*科博にて撮影(2018.10.29)
〇尺時計 和時計
*科博にて撮影(2018.10.29)
■地球館 2階
〇万年時計
江戸時代 1851年(明治維新の17年前)に作られた万年時計です。和時計の最高傑作と言われており、定時法、不定時法、月や太陽の運行も示すことができます。
上のドーム状の部分が太陽と月の運行を示すプラネタリウムのようなドームです。
*科博にて撮影(2017.8.20)
制作したのは田中久重。からくり儀右門と呼ばれ、からくりを数々、考案し後の東芝の礎を作った人物。
関連:田中久重関連の展示が、千の技術博にも展示されているようです。
淙穂鶫箜(そうすいとうこう)/てるへん on Twitter: "田中久重さんて、東芝 創った人だよね。#千の技術博… "
この時計の注目すべき点は、機械的な部分だけでなく、エナメルや螺鈿、金工など細密な装飾が施されているところ。その技術を次に写真で紹介。
〇六面台座七宝飾り
*科博にて撮影(2017.8.20)
〇エナメル加工
*科博にて撮影(2017.8.20)
〇螺鈿や蒔絵の加工
〇金属加工
*科博にて撮影(2017.8.20)
このような職人技の装飾技術と、時計という精密機械が江戸時代末期にすでに作られていました。鎖国をしながらも、日本の技術は独自に磨かれ発達していたことがわかります。これらの土台が明治を迎え、日本の産業の基盤となって受け継がれ、欧米の技術に追いついていったのだと考えられます。
■からくり時計
*科博にて撮影(2018.12.18)
*科博にて撮影(2018.12.18)
*科博にて撮影(2018.12.18)
時計とからくりの技術と密接に関係しています。西洋の機械時計は、16世紀の半ばに日本に伝わっていました。しかし西洋とは、時間の概念が違う日本の「不定時法」に合わせるべく工夫をしてできたのが和時計です。時計とからくりを合体させた「からくり時計」なども作り上げる技術を持っていたのでした。 明治からの150年、しかしその前の時代からの引継ぎがあっての150年であることも、常設展を見ると理解することができます。
■開会式 あいさつより
開会式において、文化庁長官 宮田亮平氏が、ジョークを交えつつ、科学技術について語られました。世界に誇る文化を発信するには、科学技術なくしては成しえない。そして、元藝大学長で金属作家の経歴をお持ちの長官は、「科学技術の外側にはデザインがあり、一体となったとき素晴らしい感性が生まれる」と語られました。
たくさんの教え子がデザインの世界で活躍し、科学技術をより洗練させ素晴らしいものへと作り上げてきたという自負のようなものを感じさせられました。
教え子がデザインをしたという精工舎の時計。創業者の服部金太郎の言葉を紹介されました。「世間から私が評価されるならば、一歩だけ、前に進む」それが評価されたのだと。百歩前進するのではない。先に進みすぎない、とんでもないことをするのでもない、もたもたしていてはダメ、たった一歩だけでいいから前進をする。その先にクォーツ腕時計があった。そしてその技術を公開したのだそう。
この展示を見ることによって、きっと何かが一歩前進してくれるはず。その一歩、一歩を、「千の技術博」や科博の常設展を回りながら、進めていってはいかがでしょうか?
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