2018 東博で15回を迎えるという「博物館に初もうで」では、「戌年」にちなみ、様々な形の犬をモチーフにした作品が勢ぞろい。そんな中で、こんな小さな犬を、テーマにしちゃったの? と思われた作品を紹介します。ウォーリーを探せならぬ、東博で「チビ犬を探せ!」です。
■中国絵画の中に見る小さな犬の表現
今年のメインキャラクターともいえる、応挙の《朝顔狗子杉戸》などが展示されている特別室とは反対側に、ちょっとマニアックともいえる犬の展示がされています。最初にこちら側の展示室に入ってしまったので、あれ? みんながアップしている、あのかわいいワンちゃんたちがいない‥‥と思いながら見ていました。
こちらは目を皿のようにしないとみつけられない小さな犬ばかり。そして中国で描かれた犬が中心です。
〇15世紀(明朝時代)《山水図》
↑↑ このあたり
▲茅屋の前で、老隠者が、子供と犬とともに客を迎えるているとのこと。薄墨で見えるか見えないかの描き方。こんな雄大な自然の中に犬の存在。それにしても、この犬、漫画チックです。15世紀の描写です。
〇1672年(江戸時代)《北楼及び演劇図巻》 菱川師宣
北楼とは吉原のこと。吉原と芝居小屋が、江戸を代表する二大悪所とされていたというのは、知りませんでした。それがその時代の文化として受け入れられていたのだと思っていました。そんな悪所を集めて一巻にした巻物。
これは、吉原に続く日本堤という道です。
その道の途中に犬がいて、悪所に通う人を眺めているという、ちょっとシュールなワンちゃんなのでした。
ワンちゃんの前には、★がキラリ! と光ってる?
〇18世紀(朝鮮時代)《桃花源図》
↑ このへん
▲漫画みたいな犬 解説には、「住人の傍らに黒犬が2匹」とありますが、一匹しか… ここではない違う場所だったのだろうか?
〇1824年(文政7年)《竹犬図》 西山養之(模本)
原本:明時代(14~15世紀)
上記の作品の中から犬を探すのは、かなり大変でした。何度も、何度も見ましたが、見つからず・・・・ 同様に探している方が隣にいらして、「見つかった!」と声をあげられていました。私はみつけることができず、思わず、どこですか? と聞いてしまいました。それがこれです。
この竹の中に紛れ込んだ白い「犬」が、同化してしまい認識しずらいのです。タイトルの《竹犬図》がヒントだったのでした。
▼このような絵巻のようなものが続いていて、端から順番に探していったのですが、最後までみつかりませんでした。やっとみつかり安心して全体図、撮り忘れました。
■応挙風 かわいい子犬
今回のメインビジュアル、応挙の子犬です。これとよく似た表情の子犬がたくさんいます。これらはどの時代に描かれた犬でしょうか? 時代とともに描かれ方は変化しているのか。時代順に並べてみます。
〇1784年(天明4年)《朝顔図狗子図杉戸》 円山応挙
〇18世紀(江戸時代)《水仙に群狗》 礒田湖龍斎
耳の垂れたむくむくした犬は応挙の影響が考えられる?
◆礒田湖龍斎(1735-1790)
*今年の年賀状に、この絵を印刷されたものがありました。
〇18世紀(江戸時代)《狗子図》 円山応瑞
応挙の弟子かな? と思ったら長男でした。円山派2代目。
模写した時代と、その原本とのタイムラグ
〇1794年(寛政6年)《群狗図》 義文(模本)
原本:南宋時代(12世紀)
〇19世紀(江戸時代)《薔薇に狗子》 歌川広重
薔薇が洋の影響を受けているかと思ったのですが、歌川広重は応挙円山派から四条派の影響を受けているとのこと。後ろ向きの犬や戯れる様子は、応挙の影響と考えられる。
〇19世紀(明治時代)《土筆に犬》 竹内栖鳳
〇19世紀(明治時代)《狗子》 三島蕉窓
〇19世紀(明治時代)《狗子》 柴田是真
応挙の犬の表現を踏襲するような流れを感じさせられます。
〇参考:伊藤若冲
出典:百犬図(伊藤若冲 画)のピックアップ(拡大画像) – 江戸ガイド
(*東博の展示にはありません)
若冲も似たようなコロコロした犬を描いていたなぁ‥‥と思ったら《百犬図》が同様のかわいらしい犬を描いています。
若冲が没する前年の1779年、83歳の時の絵でした。
応挙の《朝顔図狗子図杉戸》は1784年、若冲が描いた5年後のことです。
〇探してたのこれでした。だれだっけ?
明けましておめでとうございます🐶 pic.twitter.com/KkVHbXDOCf
— ハナナ (@hanana4817) 2018年1月1日
■南頻画風?
和と洋の融合したような、写実的な彩色の 花鳥画。そんな画風をまとめてみました
(沈南頻はを元に隆盛 1731年12月、長崎に来日、1733年9月に帰国。若冲、応挙が学ぶ。しかし円山派の花鳥画に‥‥)
〇1824年(文政7年)《竹犬図》 西山養之(模本)
原本:明時代(14~15世紀)
「犬」と「竹」というタイトル 竹は一本だけですが‥‥
〇1840年(天保11年)《犬図》 安部養年(模写)
原本:南宋(12世紀)
■博物学的な犬の形態?
江戸の末期は、博物学的なリアルな描写がされ、学問的分類などが行われました。
〇17~18世紀(江戸)《狗子図》 狩野常信 (模本)
原本:南宋時代(12世紀)
〇19世紀(江戸~明治)《狆》(博物館獣譜)博物局編
江戸時代中期以降、博物学的関心の高まり。国内外の動植物の写生が行われる。長崎に持ち込まれた中国、オランダ、インドネシアの外国犬が描かれた。
これ、閉じていなくて、折りたたまれた状態。全部広げたらどれだけ~?
〇19世紀《犬形置物》 ドイツドレスデン
ドイツでもリアルな造形が磁器で作られています。人を見つめる目。どこにいても、自分をみつめているような八方にらみのような表現が、磁器でされているかも‥‥と思いましたが、横に移動するとこちらを見てはくれませんでした。
■科博 日本館にて 犬の語源について
その後、科博の常設展示に移動しました。犬のはく製がエントランスのコーナーに並べてあり、犬に関する情報がいろいろ紹介されています。
▼このパネルを見て思い出しました。植物にイヌがつくと‥‥ それは、偽物とか、役立たないという意味があるのです。
東博で日本や中国の犬との付き合い方を見てきて、こんなに愛されてきたイヌなのに、なぜ、そのような汚名(?)を着せられてしまったのでしょうか? それは言葉の変化にあることがパネルからわかりました。
ところが、「魚類」では、犬の意味は、犬に似ているということらしいです。植物も、他の生物も共通だとばかり思っていたので、初めて知りました。同じ言葉が、生物によって意味することが違うというのは面白いと思いました。熊楠なら、こういうことをよその国でもそうなのか、調べるのだろうな‥‥と思いながら。
犬年の犬の展示を、東博で見て、さらに科博でも見るということは‥‥
今、科博で展示されている「南方熊楠」の物事のとらえ方の視点と同じではないでしょうか? 犬を通して見えてきた中国と日本。それぞれの民族と犬のかかわり方や、いかに暮らしてきたのか・・・・ あるいは、時代によって描き方がどう変化したか「犬のかたち」に注目。あるいは人と犬との関係、文化史的な意味が、展示から少しずつ、見えてきたように思います。これ熊楠の思考の追体験ができる構成になっているということではないでしょうか?
学問に境界はない。「犬」という干支を切り口に、それが示されています。熊楠は「虎」から始めましたが、私たちは「犬」から‥‥ さらに熊楠は仏教との融合を試みたようです。東博には、仏教に関する展示もされています。マンダラもありました。それを理解していくと、熊楠の世界が近づいてくるかも。両方を行き来しながら見学をすると、熊楠が目指した世界が、少しずつ見えてくるのかもしれません。
■2018 東博 「博物館に初もうで」のテーマ
「戌年」の今年のテーマは、ブログや東京国立博物館ニュースに次のように語られていました。
さて、様々な分野の愛らしい犬たちが一堂に会するこの特集ですが、実は二つのテーマで構成されています。一つは日本人に愛されてきたかわいらしい子犬や珍しい異国の犬の造形に注目する「いぬのかたち」。
もう一つは、常に人と共にあった犬の文化史的な意義を追う「いぬとくらす」です。
時に世俗から離れて暮らす牧歌的な理想の生活のなかに、時に都市の雑踏のなかに、あるいは美女に抱えられた犬の姿を通じて、人々の愛した犬のイメージとバラエティーに富んだ素材や表現による作品を楽しんでいただきたいと思います。