万国博覧会と、日本の内国勧業博覧会の開催年と、その関係について、これまで見聞きした、「香蘭社」「深川製磁」「ガレ」「ドーム」の功績とともに一覧に。
西暦 |
万国博覧会 |
主な展示 |
西暦 |
和暦 |
内国勧業博覧会 |
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1851 |
第1回:ロンドン万国博覧会 |
クリスタルパレス |
1851 |
嘉永4 |
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北斎漫画がブラックモンドの目に |
1852 |
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1852 |
嘉永5 |
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1853 |
ニューヨーク万国博覧会 |
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1853 |
嘉永6 |
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1854 |
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1854 |
安政1 |
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1855 |
第1回パリ万国博覧会 ナポレオン3世の国威発揚
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ガレ父:18部門佳作 |
1855 |
安政2 |
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1856 |
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1856 |
安政3 |
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1857 |
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1857 |
安政4 |
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1858 |
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1858 |
安政5 |
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1859 |
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1859 |
安政6 |
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1860 |
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1860 |
万延1 |
万延元年幕府遣米使節 |
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1861 |
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1861 |
文久1 |
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1862 |
第2回:ロンドン万国博覧会 |
日本コーナー設置 江戸幕府の遺欧使節が視察 |
1862 |
文久2 |
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1863 |
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1863 |
文久3 |
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1864 |
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1864 |
元治1 |
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1865 |
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1865 |
慶応1 |
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1866 |
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1866 |
慶応2 |
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1867 |
第2回パリ万国博覧会 |
ジャポニスムの契機
ガレ(父代理):16部門佳作
ルイヴィトン:銅賞
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1867 |
慶応3 |
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1868 |
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1868 |
明治1 |
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1869 |
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1869 |
明治2 |
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1870 |
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1870 |
明治3 |
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1871 |
ロンドン国際博覧会 |
ガレ(父代理):フランスの技術セクションで銅メダル |
1871 |
明治4 |
明治新政府岩倉使節団の米欧歴訪。木戸孝允、伊藤博文、大久保利通ら
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万国博覧会への公式参加要請を受けた日本政府は、博覧会事務局を設置。大隈重信・佐野常民を中心に陳列品収集などの準備を開始 |
1872 |
リヨン万博博覧会 |
ガレ(父代理):33部門金メダル
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1872 |
明治5 |
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1873 |
ウィーン万国博覧会 |
ジャポニスムブーム |
1873 |
明治6 |
明治政府公式参加 ZESHIN人気 岩倉具視遣欧使節団見学 |
日本庭園 精工な美術工芸
陶器・七宝・漆器・織物などの伝統的工芸品や巨大物品として金鯱、鎌倉大仏の紙の張抜、谷中天王寺五重塔雛形も展示
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1874 |
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1874 |
明治7 |
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1875 |
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1875 |
明治8 |
報告書作成 |
近代代博物館の建設の必要性、本格的な博覧会建設や内国勧業博覧会開催の実現にむけて契機 |
1876 |
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1876 |
明治9 |
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万国博覧会 |
主な展示物 |
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内国勧業博覧会 |
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1877 |
フィラデルフィア万博
米国独立百年記念万国博覧会
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タイプライタ、電話機、蓄音機、白熱電球など人々を驚かせる。
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1877 |
明治10 |
第1回内国勧業博覧会 |
万博に香蘭社:磁器で褒状賞(初出品) |
1878 |
第3回パリ万国博覧会 |
科学と技術と芸術 自由の女神
ガレ:月光ガラス 19・20部門で銅メダル 庭園装飾で銅メダル
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1878 |
明治11 |
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万博に香蘭社:磁気 金賞 (千總:ビロード友禅) |
1879 |
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1879 |
明治12 |
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1880 |
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1880 |
明治13 |
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1881 |
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1881 |
明治14 |
第2回内国勧業博覧会 |
高島屋: 帛紗や友禅縮緬などの新作を出品、受賞
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1882 |
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1882 |
明治15 |
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1883 |
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1883 |
明治16 |
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1884 |
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1884 |
明治17 |
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1885 |
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1885 |
明治18 |
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1886 |
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1886 |
明治19 |
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1887 |
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1887 |
明治20 |
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1888 |
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1888 |
明治21 |
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1889 |
第4回パリ万博 フランス革命100年記念 |
エッフェル塔
ガレ:ガラスで300出品グランプリ 陶磁器:金メダル 家具:銀メダル
ドーム:食卓ガラス出品
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1889 |
明治22 |
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万博:香蘭社:金賞 |
1890 |
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1890 |
明治23 |
第3回内国勧業博覧会 |
蒔絵師養成「有限責任浪華蒔絵所」
高島屋:ビロード友禅、呉服類多数出品
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1891 |
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1891 |
明治24 |
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1892 |
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1892 |
明治25 |
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「有限責任日本蒔絵合資会社」 |
1893 |
シカゴ万博 |
ガレのパリ装飾美術館所蔵作品展示
ドーム:エッチングカメオ・ガラス試作発表 ティファニー:大成功
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1893 |
明治26 |
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1894 |
ニューオリンズ アントワープ万博
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ガレ参加 ガラス部門;出品 |
1894 |
明治27 |
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解散 |
1895 |
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1895 |
明治28 |
第4回内国勧業博覧会 |
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1896 |
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1896 |
明治29 |
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帝室技芸員任命 |
1897 |
第1回ブリュッセル万博 |
ドーム:金賞 |
1897 |
明治30 |
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1898 |
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1898 |
明治31 |
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1899 |
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1899 |
明治32 |
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万国博覧会 |
主な展示物 |
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内国勧業博覧会 |
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1900 |
第5回パリ万国博覧会 |
アールヌーボー全盛 電気館・動く歩道・地下鉄
ガレ:ガラス・家具でグランプリ マルケトリー・パチネ特許 ドーム:ヴィクトリフィカション
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1900 |
明治33 |
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深川:メダーユドール
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1901 |
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1901 |
明治34 |
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1902 |
グラスゴー万国博覧会 |
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1902 |
明治35 |
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1903 |
シカゴ |
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1903 |
明治36 |
第5回内国勧業博覧会 |
池田泰真 《野菜盛篭図蒔絵額》 |
1904 |
セントルイス万国博覧会 |
ガレ: 美術部門:出品 |
1904 |
明治37 |
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深川:金賞 |
1905 |
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1905 |
明治38 |
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1906 |
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1906 |
明治39 |
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浅井忠 図案研究団体 京漆園結成 |
1907 |
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1907 |
明治40 |
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1908 |
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1908 |
明治41 |
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1909 |
アラスカ・ユーコン太平洋博覧会
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T型フォード・自動車産業
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1909 |
明治42 |
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万博で香蘭社:グランプリ |
1910 |
日英万国博覧会(ロンドン) |
日英館 高島屋館 ビロード友禅 |
1910 |
明治43 |
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万博で香蘭社:グランプリ
高島屋:ビロード友禅
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1911 |
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1911 |
明治44 |
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1912 |
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1912 |
明治45 |
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1913 |
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1913 |
明治46 |
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1914 |
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1914 |
明治47 |
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1915 |
パナマ太平洋万国博覧会 |
パナマ運河開通
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1915 |
明治48 |
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万博で香蘭社:グランプリ |
1926 |
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1926 |
大正15 |
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1933 |
シカゴ万国博覧会 |
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1933 |
昭和8 |
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■内国勧業博覧会より転載
明治に入って近代工業の確立のため、工部大学校が設立。そこで学んだものたちが、近代工業の発展に寄与していきます。さらに近代化促進のため、内国勧業博覧会を開催し産業の増進をはかります。
〇そごう美術館「明治有田 超絶の美 万国博覧会の時代」の中の内国勧業博覧会
2015年 そごう美術館で行われた「明治有田 超絶の美 万国博覧会の時代」で、「万博」と「内国勧業博覧会」に出品し、技術を磨きながらも時代の波に翻弄した香蘭社、精磁会社、深川製磁の作品展で「内国勧業博覧会」を知りました。
この展示では、磁器から見た「内国勧業博覧会」としてとらえていたのですが、その後、様々な産業が、国の殖産興業政策の旗振りのもとに、「内国勧業博覧会」に出品し技術を競い合っていたことを、いろいろな形で知ることになりました。
殖産興業政策なのに、絵画も含まれていることが意外だったり・・・・
出典:東京国立博物館 - 東博について 館の歴史 6.内国勧業博覧会 殖産興業と博物館
陶磁器だけでない工芸品や様々な工業製品に及んでいました。
工部大学校設立、内国勧業博覧会の実施。国を挙げて産業の復興をあと押ししていることが、技術という側面から科博でも展示されていました。
ところがこれらの博覧会で磨かれた超絶技巧も、内外ともに次第に陰りを見せていきます。内国勧業博覧会は、第5回を持って終了します。その第5回が京都で行われ、住友春翠が協賛会長として尽力していました。この内勧博の審査部長が、中澤岩太、そして浅井は審査監だったのでした。今後の日本の産業の方向性の模索、超絶技巧からの脱却(?)あらたなデザインの構築、浅井らは工芸をデザインという視点からとらえる方向を模索して日本の産業を切り開こうとしていたのかもしれません。
第5回内国勧業博覧会
写真はこちら ⇒「浅井忠の京都遺産」の内国勧業博覧会
▼第5回内閣勧業博覧会会場略図
科博にて撮影
第5回 内国勧業博覧会というのは、最後の灯のように思っていました。が、京都では陶磁器の不振から脱却をはかろうと陶磁器試験場などを設置して、回復策を試みていました。またそれぞれの窯元でも模索を行っていたと言います。そして、陶芸界を支えたのが住友春翠だったのでした。
住友春翠の文化遺産―第五回内国勧業博覧会と近代陶芸作家たち
第5回の内国勧業博覧会は、1903年(明治36年)大阪で行われました。春翠の別邸を社交の場として提供、作品を購入するなどして多大な尽力をつくしています。
超絶技巧の衰退・・・・かに思っていたところがありましたが、陶磁器の世界を発展させるべく尽力されており、大正期へと引き継がれていたことがわかりました。
■参考
〇国際博覧会 - Wikipedia
〇内国勧業博覧会 - Wikipedia
〇博覧会一覧(年表) | 第1部 1900年までに開催された博覧会 | 博覧会―近代技術の展示場
〇技術の一覧 | 第2部 出展品からみる産業技術の発達 | 博覧会―近代技術の展示場
〇(1)内国勧業博覧会のはじまり | 第3部 出展品からみる明治日本の産業 | 博覧会―近代技術の展示場
〇東京国立博物館 - 東博について 館の歴史 6.内国勧業博覧会 殖産興業と博物館
〇我が国 博覧会の歴史と変遷 環境文化研究所 百埼誠
■関連
〇『美術館めぐり:「鈴木其一展」「日本美術と高島屋」「驚くべき明治工藝」』コロコロさんの日記 [食べログ]
この時代、高島屋、織物の業界も衰退を止めるために尽力。
〇『日本美術と高島屋』コロコロさんの日記 [食べログ]