「千の技術博」の展示で「日本人は時間にルーズだった」という一言に遭遇。どういうことなのかと江戸時代の時間を追って、科博の「日本館」と「地球館」を再度、探索してみたらいろいろ発見がありました。
- ■「時を知る -時計-」の見学ルート
- ■不定時法と和時計
- ■和時計
- ■和時計の原型
- ■小型化
- ■多様化する和時計
- ■自然の時計
- ■現代の時計産業へ
- ■セイコーがクォーツ腕時計を開発
- ■雑感・まとめ
- ■関連サイト
- ■地球館2階 からくり時計
- ■構造
- ■パネルの解説
- ■匠の技
- ■ビデオ解説
- ■万年時計関連
- ■脚注
■「時を知る -時計-」の見学ルート
日本館1階南の展示コーナーに「時計」の展示があります。展示の位置と見学ルートとの関係を把握してから見学をすることがポイントだとわかりました。
〇 日本館1階南入口
〇自然を見る技
この展示室は、様々な「自然を見る技」を展示したコーナーです。
南北に長く四季を持つ日本は、季節が様々に変化します。その風土は多様な自然の宝庫で、それらはいろいろな形で記録されてきました。記録することによって、細かな観察眼が生まれ、その観察方法もより高度化されていきます。
そうした技術はモノづくりに独創性を与え、現代にもつながっています。過去の文献、作品、道具、装置を通して、科学と技術のかかわりを知ることができるコーナーです。
そんな自然を見る技術の一つとして「時」を取り上げています。
〇時計に関する展示のコーナーの位置は・・・・
右の奥が「時計」の展示です(赤線部分)
07 不定時法と和時計
08 現代の時計産業へ
日本の「時間」は、自然環境によって生まれた世界に類をみないとらえ方をしていました。それは、昼夜の長さに基準にしており、季節で変化するという自然の動きに従ったものでした。
日本独自の時間を計る道具は、西洋の時計をヒントにしながら、時間を知る装置を生み出しました。自然との調和を大切にする日本の文化が作り出した時間の考え方を、和時計の制作を通してたどっていきます。
〇見学の順番があった!
右奥が「時計」コーナーなのですが、どのルートを通って見学するかによって、理解するのに、差が出てしまうことがわかりました。
右奥に展示があると、右の方から見てしまいがち。ところが、見学ルートは左側から時計周りで回るように設定されていたことを、今になって知りました。そのため、展示の配置もそのルートにそった時代順になっていたのでした。
これまで個人的に興味を持っていたのは、右手にある「顕微鏡」の展示。そのため、まずは、顕微鏡のエリアを見るのが、この部屋を見る時の習慣になっていました。顕微鏡の歴史を見て、他は適当にざっと見るだけ。いつも見学ルートは、右側から時計と反対周りでした。他のフロアも左から時計周りで見るようになっているようです。
〇関連展示を見て深めよう
「千の技術博」では「時計」や「地震計」の展示がされています。
それらを見ていたら、そういえば、日本館の1階に関連の展示があったなぁと思い出していました。これまでは顕微鏡以外の展示はほとんど興味がなかったのでスルー状態でした。展覧会を機に関連付けて見ると、興味が深まるかもと思って、それまでスルーしていたコーナーを、ざっくり撮影していました。
地震計の展示
単独では興味がないジャンルも、特別展と関連付けて見れば、いろいろな面白さが発見できそうです。ちゃんと見てみようと思って再訪し、この展示室の構成を確認したら、見学の推奨ルートがあることに気づいたのでした。
これまで何度も訪れていましたが、見学順があることを知ったのは今が初めて。この部屋がどんな構成の部屋で、どういう内容を扱ったエリアであるかを、確認しようと思ったのは他の展示にも興味を持ったからです。これまでずっと設定されているルートと逆回りで回っていたのでした。
そのため時計のコーナーは最初、逆順で見て撮影をしていため、撮影した写真を整理しても、前後関係がどうもつながらず、どういう展示構成なのか理解できずにいました。改めて展示マップを見れば、番号も左から時計周りに振られていたのでした。
見学は自分の興味があるところから見ればいいと思うのですが、展示部分は全体の中で、どういう位置づけになっているのか、全体と部分を意識してみることもポイント。
初めて時計の展示を見た時、こんなにたくさんの時計がやたら展示されていて、正直、お腹一杯状態。こんなに陳列されてもただの古い時計だし‥‥これらが何を意味しているのかさっぱりわかりません。ひたすらこれでもかと並べられている状態。
これらは、仕組みが違うタイプの時計を時代を追って、まとめて展示されていました。逆順から見ていたため、現代に近い時計から見ており、どうも理解が及びませんでした。また、不定時法の解説がこの裏側で、詳細にされていたのですが、それにも全く気付かず素通りしていました。
■不定時法と和時計
不定時法の解説
その時間の刻み方を体験できる文字盤
上記の文字盤を操作すると、冬至と夏至で昼と夜の一刻がどれだけ違うかが明確に理解できます。
ビデオも上映されていて、知りたいと思っていた不定時法の時計の仕組みや、時計の種類の特徴などがわかりやすく解説されていました。
■和時計
日本の時計の基本となったのが、香の燃える速度が一定なので、それによって時間を計っていました。
〇常香盤(香時計)
寺院で香をたく道具。香の燃焼速度が一定なので時計として用いられました。東大寺の2月お水取りで時計として利用されていました。
〇太鼓時計
左は、田中久重が太鼓に時計を組み込みました。
〇視実等象儀
からくり時計の田中久重の名がここにもあります。千の技術博でも、地球館でもその名を目にしました。 ⇒*1
〇線香時計
■和時計の原型
〇掛時計
和時計の原型と言われるランタンロックの最も古い形
一挺てんぷ 二挺てんぷ 滑車重垂式 円グラフなどの種類あり
〇櫓時計
歯車を増やしておもりの下降距離を減らして四角錘に乗せる
〇台時計
歯車を増やしておもりの下降距離を減らして四角錘に乗せる
一挺てんぷ 二挺てんぷ
〇二挺てんぷ大型台時計
大型の四脚の台付き
〇尺時計
日本独自の時計、尺時計。形によっていくつかパターンがあるようで、その解説がされていました。
「二挺てんぷ機構」「割駒式文字盤」など意味がわかりませんでしたが、なんとなく把握できるようになってきました。
尺時計のいろいろです。
「駒割式」「節割式」「波板式」など3種の文字盤の種類の違うものが展示。
ちなみに「節」というのは二十四節のこと。
(古い時計に興味のない時は、ずらずら時計ばかり並べられても・・・・と思ってましたが、一つ一つの機能違いや意味がわかってくると、だんだん面白くなってきます。)
〇金沢では13分割の独自の時間が使われた
この時計の前で、「13分割がどうしたこうした・・・・」「どういう仕組みになっているのか」と話している2人組がいました。
何を話しているのかさっぱりわらず、解説を見ると・・・・
加賀藩は「余時」を含む13分割という独特の不定時法を採用していたようです。江戸時代は地域によって時間が違うという背景にこんなこともあったのです。
ところが正確な12等分の不定法に改めることになり作られた「正時板」とのこと。しかし評判が悪く13分割に戻されたそうです。
なぜそのような時間がこの土地では、定着したのでしょうか。土地の文化や習慣などが影響していそうでちょっと興味が出てきました。
参考:KAKEN — 研究課題をさがす | 江戸期の加賀藩における13分割時制の起こりと変遷についての調査研究 (KAKENHI-PROJECT-02680264)
この時計の前での会話がなければ、この解説は見ずにスルーしていたと思います。興味を引くきっかけというのは、些細なところにあります。
■小型化
〇枕時計
掛時計や櫓時計など大型のものから、ぜんんまいなどの発明が西洋から入ってきたことで小型化し、設置型から部屋を移動する枕時計タイプに。
■多様化する和時計
〇置時計
小型化は枕時計や置時計だけでなく行灯の前で使ったり、印籠時計など多彩に。
〇硯屏時計 置時計 平面置時計
〇卦算時計
〇重力時計
■自然の時計
〇日時計
旅先に時間を図る携帯用日時計
〇印籠時計
〇「 懐中型置時計」「卓上時計」「懐中時計」など小型化
〇半球型日時計 水平日時計
■現代の時計産業へ
明治20年代になると、国内では、時計を作る会社増え、価格競争が起こります。
〇 国産化される時計
〇掛時計への参入が増える
制作技術も簡単で工作機械も少なくてすむため掛時計を作る会社が増えました。そのため価格競争がおきます。
〇愛知時計 分業による低価格化
名古屋の愛知時計は、機械、付属品、ケースなど分業化し低価格化
〇精工舎 内製化で品質を保つ
低価格化の一方、精工舎は内製化で品質を保つ方向に。
〇懐中時計も国産化
懐中時計で成功したのは精工舎。明治29年、第1号のタイムキーパーを製造。当初の部品は輸入に頼っていたが、国産化に成功し、1914年(大正3) 独自設計を果たし、時計の技術が飛躍。
〇置時計
置時計の製造も精工舎が始める
■セイコーがクォーツ腕時計を開発
世界初のクォーツ腕時計をセイコーが開発しセンセーショナルを起こす
現代の時計製造の年表
時計は精工舎の独壇場の感があります。
■雑感・まとめ
膨大な展示物のある科博の常設展。これを一つ一つ見ていくのは大変です。興味のない展示は単に、モノがずらりと並べられているだけにしか思えません。そこで企画展や特別展の度に、展示に合わせて関連する展示コーナーを見る習慣をつけていくと、これまで理解できなかった展示の意味や、関連が見えてきます。展示された世界がより広がったり、深まっていくのを感じられます。
「千の技術展」で気になった一言から、日本は昔、一刻が季節によって違っており、1日でも昼と夜の一刻の長さが違っていたことを知りました。日本が採用していた不定時法は、自然に寄り添い体のリズムにもあった無理のない時法で、世界に類を見ない時間であったことがわかりました。
日本館の時計のコーナーを見ていたら、今度は、セイコーミュージアムに行ってみたくなってきました。特別展の解説で気になる一言から端を発し、深淵な世界がまだまだ広がっていきそうです。
■関連サイト
〇時計の歴史 | 時計ものしりコーナー | THE SEIKO MUSEUM セイコーミュージアム
⇒機械時計の伝来
⇒日本での機械時計の製作
時計コーナーに興味を持たれた方は、下記でご覧になれます。
〇National Museum of Nature and Science,Tokyo
地球館のからくり時計も、再訪したところ、これまで見えていなかったものがあったので紹介します。
■地球館2階 からくり時計
再度、訪れてみると、展示の全体が目に入ってきました。
壁面に解説があったことに気づきました
構造がわかるスケルトン模型もあったことや・・・・
前の展示を受けてボーダーに年代が振られていたことなども見えてきます。
万年時計の解説
これを撮影するために再訪したのですが、他にもいろいろ拾い物がありました。
■構造
内部の様子が見えます。
〇文字盤
左は、今の文字盤と同じです。曜日や二十四節期、七曜など6つの文字版があります。
〇天象儀
上部の太陽と月の軌道。底面には日本地図が描かれていました。
■パネルの解説
これまで、パネルに解説がされていたこと、全く気づきませんでした。
六面がどんな表示なのか解説されています
そしてこれらの六面全ての時間表示が連動しているというから驚きです。
■匠の技
工芸の技術についても、まだ見落としていたものが・・・・
知らない技術や、興味がないと、スルーされてしまうようです。
■ビデオ解説
こちらにも不定時法や、時計のしくみ解説がされていました。日本館のビデオと合わせて見ると、より理解が深まります。
■万年時計関連
この万年時計を作った東芝の創始者、田中久重。只者ではなさそうです。江戸時代の末期から明治にかけて、様々な技術を開発したようです。
〇東芝未来科学館:からくり儀右衛門の発明人生 - 田中久重ものがたり 1話
〇東芝未来科学館:田中久重の万年時計に迫る - 万年時計について
〇東芝未来科学館:田中久重の万年時計に迫る - からくり儀右衛門の技
〇東芝未来科学館:田中久重の万年時計に迫る - 現代の匠が挑む
〇田中久重 | 時の有名人 | THE SEIKO MUSEUM セイコーミュージアム
〇東芝未来科学館:田中久重の万年時計に迫る - 万年時計復活プロジェクト
【論文】
〇学位論文 万年時計の分解調査からみた幕末西洋技術受容に関する研究 - 万年時計の技術的限界と田中久重の技術者への転換 - 社会理工学研究科経営工学専攻 技術構造分析講座中島研究室 木下泰宏 - PDF
万年時計の復活プロジェクトがあり、それが愛・地球博(2005)で展示されていたそうです。かすかな記憶の中に、 あるようなないような・・・・
この復元プロジェクトは、国立科学博物館と東芝によって行われましたが、時計部担当は機械時計技術の第一人者として、元精工舎の土屋榮夫さんが選ばれ、オリジナルの解体・復元、レプリカの複製をするなかで、膨大な複製品の図面製作を担当されました。復元されたレプリカは、2005年の「愛・地球博」で展示され、その後は、東芝未来科学館に展示されています。オリジナルは2006年重要文化財に指定され、現在は国立科学博物館に常設展示されています。
かつての技術者、設計者の思想。改めてこの万年時計を見たくなりました。パネルにビデオがあったことに写真から気づきました。
同じ展示も、何度も見ていると、部分に向かっていた視線が、全体から見る視線に変化していくことがわかりました。一つを知ると、見えていなかったものが見えてくるようになります。
■脚注
報時器:千の技術展 定時法のところで展示 田中久重制作。明治になって各地の時計を合わせるために電信を送る機械を制作 現在の時報にあたるもの
参考:田中久重 | 時の有名人 | THE SEIKO MUSEUM セイコーミュージアム
万年時計を製作した後も、目覚し機能付きの枕時計、時間ごとに太鼓を打ちニワトリが時を報じる太鼓時計など、飽くなき探求心で独創的な時計の製造を続けます。