コロコロのアート 見て歩記&調べ歩記

美術鑑賞を通して感じたこと、考えたこと、調べたことを、過去と繋げて追記したりして変化を楽しむブログ 一枚の絵を深堀したり・・・ 

■思考:南方熊楠から心に浮かぶよしなしごとを‥‥(自分用メモ)

科博で行われている「南方熊楠展-100年早かった智の人-」を見て、いろいろ心に浮かんでくるとりとめのないことを、メモしておきます。

 

 

■藝大のプロジェクト

東博、科博に行ったら休館。しかたがないので、かねてから行ってみたいと思っていた藝大の図書館に行きました。行く途中で見たプロジェクト。

保存林・植生再生実験‥‥ 

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武蔵野の森の再生。このサイクル、明治神宮構想と同じじゃない。そしてあの南方熊楠が神社の回りの自然を守ろうとしたことにも通じてるわけだし。それが、同じ上野公園の敷地で、科博と藝大で同時期に見たというつながり。藝大でもこんなことをするんだ‥‥ 

大学の構内

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それにしても、植栽間隔、結構な密の気がするけど‥‥ 途中、間引きしてその苗を植え替えて、緑化の範囲をもっと広げたりするのだろうか‥‥

それにしても、藝大という場所で、こういうことを始める人たちって、どういう人たちなんだろう。とても気になりました。

design.geidai.ac.jp

 

キャンパスグランドデザイン室の創設の際に行われたプロジェクトのようです。

今はどこでも監理しやすい樹木を植えていき(上野公園もそうです)、本来の植生がなくなってきています。

藝大くらいは教材にもなる、本来この地にあった木々を植え、細やかな季節感を感じられ、

学生たちが関心を持って育ててくれる場にならないかという実験

植栽が密では? については、大学側からも指摘があったそう。

これは専門家(田瀬理夫氏)との協議のもとに決めたもので、植物同士に競争をさせる意味合いです。

その場所に適したものが生き残っていく

 そうか‥‥ 競争の原理というのもあったのか。植物は光を求めて、より伸びようとする‥‥

こちらのプロジェクトは、まずは2030年を目標。熊楠も明治の森も、春草も100年先を見越した森作り‥‥ 芸術の学びの場でも、このような試みが行われていることに驚いたというか、安心したというか‥‥

 

 

■美術と自然 

 美術の世界において、自然ってどのような位置づけなのでしょうか?

レオナルド・ダ・ヴィンチの代表的な言葉。

「ダメな画家は画家に学ぶ 優れた画家は自然に学ぶ」

自然に学ぶ画家は多いです。ところが‥‥ ある美術家、美術教育者が発していた言葉に耳を疑いました。

 

虫を「虫けら」と呼び、おたまじゃくしを「おぞましい」と・・・・

 

美術の教育者が発する言葉。このようなモノのとらえ方をする教育者の元で学んだ学生は、この先、大丈夫なんだろうか? と思ってしまったというのが、正直な気持ちでした。

そんなことがあったため、藝大でこのような、その場の本来の姿と取り戻すという取り組みがされていることを知って、とっても安心させられたのでした。 

 

 

■学びにおいて大事な「教科」は何?

学ぶ上で大事な教科は何か? それに対するいろいろな人の言説を見てきました。

数学者は「数学」だといい、国語教師は「国語」だという。法律家は「法律」、自然科学者は「自然科学」だと‥‥ 音楽家は「音楽」で 画家は「芸術」、歴史家は「歴史」。

結局、それらからわかることは、自分が学んだ世界が一番だと思うようになるということなんです。自身の専門性を極めた先に、真理や本質をみつけているわけです。

つまりこれは、真理や本質にたどりつく入口はどこだっていいということなのだと思いました。どこから入っても、極めることができる人は、そこにたどりつけるってことなんだと理解していました。

私自身もある時から、真理は「自然科学の中ある」というように思うようになりました。それは絶対的なゆるぎないものとまで思っていました。しかし、自然科学を学んでいなければ、その意味はわかりません。

だから人はそれぞれに、自分の専門分野から、アプローチして重要性をその人の土俵の中で語ってくものなのだ理解しました。他のジャンルも極めた上で、すべてを網羅して到達したわけではなく、自分の世界観からでしか語れていないと・・・・・

 

ところが・・・・

林修先生は、法学を学びながら一番、大事なのは、「数学」「自然科学」だと語っていました。これまで語ってきた人との違いを見ました。専門とは違うジャンルの学問を挙げているのです。

自分の専門をさしおいて、他の学問を重要と語ることができるというのは、全体を通して俯瞰して見ることができているということです。その上で、何が大事かという視点で語っているということなのだと。

そして、ほ~ら、やっぱり「自然科学」が大事ってことなのよ。専門外の人が「自然科学」だと判断するというのは、やっぱり「自然科学」は学問の位置づけとしては上位ってこと‥‥と(笑)というか、ベースということ。(「学び」に上も下もないわけで‥‥)

 

 

■美術の世界と科学の世界の違い 

 ベースを科学に置いて科学の世界から美術の世界に興味を持ってのぞき始めて感じさせられたことは、世界観が違う。思考の基盤、ものごとのとらえ方が違うということでした。 

最近また、熊楠がらみ調べていていて目にした論文。

 良い”論文というものは査読つき学会誌に掲載されるものなのだろうか?

 理数系では、良い論文というものは、必ず査読つき学会誌に掲載されるはずのものと想定されている。人文系では、必ずしもそうではない。査読つき学会誌に掲載されていなくとも良い論文は良い論文である。人文系の学問における査読には、「帰属学問の確認」という作業と、「内容の評価」という2つの異なる作業がある。いずれの作業も、境界領域の研究論文が査読を通る可能性を低くする危険性をもつ。良い論文、面白い論文でも、学会誌の査読を通過しない可能性が大きいことを認識し、査読なしの論文の価値をも認めておく必要がある。

人文系の人から見た理数系の論文って、こういう風に見られているんだ。ここで掲げられている「査読」という点ではなく、それぞれの世界をどのように受け止めて見ているのかということに面白さを感じました。そういえば、私も美術に首を突っ込み始めて、人文系の論文を見ていて、いろいろ思ってたよなぁ‥‥ ということがよみがえってきました。

  

科学論文と、人文系の論文の違いについて、饒舌館長のブログでも書かれていて、

     ■饒舌館長: 赤須孝之『伊藤若冲製動植綵絵研究』より

 

それに誘発されて、■MIHO MUSEUM:「雪村 奇想の誕生」 雪村って何者? 光琳が熱愛していた!?の記事の中の脚注の部分で(⇒【*3)に、延々と書いていたものをこちらに移動。

  

 

■美術論文には結論がない?

*3:■饒舌館長: 赤須孝之『伊藤若冲製動植綵絵研究』より

上記のブログで美術関連の論文の書き方について触れられています。

美術の世界に足を踏み入れて、論文も目にするようになりました。その時に感じていたことが、饒舌館長のブログで、ズバリ書かれていました。

当初、感じていたことは、結局、結論は何が言いたいのかわからない。話が想像ばっかりで、根拠の提示がない。美術の世界はこれで成り立ってしまうのだろうか・・・・? それが外からの視線でした(笑)

 

菱田春草の制作順序論争

最初に漁った論文は菱田春草の《落葉》の制作順に関するものでした。その結論は、根拠に乏しい、あるいは根拠が示されていない。というのが第一印象でした。

   ⇒菱田春草:[4]《落葉》制作順序論争ウォッチング (2016/03/06)

   ⇒菱田春草:[7]《落葉》制作順序に関する論文探し (2016/03/07)

  

〇五十三次の蒲原に雪が降っているのはなぜ?

次に「五十三次 蒲原の雪の謎とき」を調べた時も、想像の域を出ていないと思ってしまいました。何で最初から雪が降っていなかったと決めつけてしまうんだろう。異常気象だってあるのだから、雪が降ったか降っていないかは、記録をたどって事実をみつければいいこと。だったら私が雪が降ったという事実を見つけるわ! と思って調べました。(笑)

  ⇒〇思考のアプローチの違い

 

〇御舟の重曹を使った技法のひび割れ

御舟の重曹を使ったひび割れの独特な技法の仕組みがわからないと言われています。発泡しているような技法。重層を加熱していたらしいことがわかっています。だったら、重曹がどんな性質を持っているかがわかれば原理はおのずと見えてくるもの。

美術の世界では、誰も重曹というものを調べようとしないのか? 美術に素人でも想像できる範囲。理系でない友人でもそれ、膨らし粉の原理じゃない? 高校の化学の知識や、生活の中の現象(膨らし粉で作るパン)などからも想像できる・・・・といいます。科学者の視点を入れれば、一発で解明しそうなのに、この世界はそれを拒んでいるような…

 ⇒速水御舟の全貌 ―日本画の破壊と創造― ②《翠苔緑芝》…ひび割れの謎 (2016/11/03)

美術を専攻する人は、作品制作に重きが置かれるため、自然科学系の教科は、最初から捨て科目となり、自然科学の基礎的なことと思われるような知識に触れることなく卒業するんだ勝手に理解して納得していました。

(ところが、技法が不明とされていながら、山種美術館、館長の論文を見れば、その理由が紐解かれ解明されていたのです。なのに、テレビの取材やtwitterではわからないと伝えられているのはなぜなのか? その方がミステリアスで鑑賞者の興味を引くから?)などなど、いろいろ思うことがあったのでした。

(藝大図書館に行きたかったのは、この論文を元にして書かれた書籍を、もう一度ちゃんと見てみたいと思っていたからでした。書名がわからないため、捜しようがなかったのですが、ぶらぶらしていたら発見しました! ⇒速水御舟の芸術』倉本妙子 日本経済新聞社 1992年5月12日 1版一刷

 

そこで新たな発見もありました。(後述)

「もっと知りたいシリーズ」の速水御舟について書かれている吉田義彦氏の話と、この本で書かれている内容に違いもあったのでした。一般向けに書かれている内容と、専門書の中で書かれている内容。随分、違うのだなぁ‥‥と。

 

 

■美術と科学は違う 

しかし美術と科学は、思考の土壌、学問の形態がそもそも違うということを理解しました。そのため、研究のアプローチも違うし、発表のスタイルも違うということだったのです。

 

〇『医師アタマ』という書籍から見えたこと

それは『「医師アタマ」との付き合い方』(2010年)(尾藤誠司 著)という書籍の中で、医師の頭はモンドリアンの絵のような回路の思考をするけども、患者はモネのようなぼんやりとした曖昧な思考。だからお互い相容れないといった主旨でした。

それに対して、ある医師が語ったこと。「医師の頭はモンドリアン回路でできており、患者のモネような曖昧模糊とした思考が理解できないと言ってるけども、そんなのは当たり前のこと。そもそも医学という学問が、モンドリアン的思考の学問体系なのだからら・・・・」 

 

〇学問体系による思考の違い

学問体系の違い… それが違うから、思考もそうならざる得ない。ということなのです。これは目からウロコ。しかし、医師の仕事というのは、「モネのようなぼんやりとはっきりしない患者さんの思考に合わせて、わかりやすく解説すること」

この言葉で、人の基本思考の違いというものを理解できました。そして相手の思考の基盤を理解することの大切さ。患者が医師の思考を理解するのは難しい。でも、医師はそれをしなければならない。そして可能なら患者も医師がどういう思考をする人種であるのかを知るとお互いの理解につながる。 ということだったのでした。(⇒後述)

医師の思考として書かれていたこと。

ものごとの判断基準・最優先事項は、自然科学を遵守すること自然科学の原理を最優先するので、患者さんの事情に配慮が欠けてしまうことがある。

まさに、これは自分の物事のとらえ方と一緒だと思いました。そしてこれは、医師に限った思考ではなく「自然科学」を学んだ人の共通の特徴なのではないかと思いました。

私の場合は特に、何を考える上でも、自然科学の法則に準じているか。逸脱していないか。それによって受け入れられるか、拒絶するかが最初に決まっているように思います。そんな思考が長年、しみついてしまったのです。そんな頭で、美術の世界を理解しようとするから、おかしい、おかしいが連続してしまうのでした。

 

相手には相手の思考の土俵というものがあるということなのです。それは何を学んできたか。その学問体系によっても、思考のベースが違うというとが見えてきました。

さらに、昨年の国吉展(2016)を見ていて、こういうことだったんだ…とわかりました。

 

〇国吉展でみえてきたこと

国吉がアメリカという国に渡り、日本の思考のベースが全く違う国で過ごした苦悩。国吉が感じたであろう違和感が想像できると思いました。きっと私が美術の世界に対して感じていた違和感と似たような状況だったのではないか。 

過ごしてきた生きてきた世界の思考の基盤が違うのだと思いました。それは国と国のアイデンティティーの違いにも匹敵するくらいに。(⇒※1)

 

〇美術の世界への疑問

美術の世界の人たちはなぜ、想像ばかりで語るんだろう・・・・ なぜ根拠を示さないのか。裏付けとりが甘い。理論的に語る人はいないのか…とずっと不思議に思っていました。

(技法の解明をしようとするなら、まずは物質の性質を理解することから始めるという発想をしないのか・・・・とか)

   ⇒これについても藝大図書館で、書かれた書籍をみつけました。

 

〇意味の交換

しかし、国吉の絵を見ることは「意味の交換」というキーワードに気づかされました。それぞれの世界の思考基盤というものがあって、考えるというアプローチ、プロセスが違うということ。そんな意味の交換が、国吉によって私の中でおこっていました。(⇒国吉康雄展:⑥巡り巡って国吉に漂着?)

 

〇美術界も科学論文みたいに書けばいいのに

 最近は、美術史でも最初に内容の要約とキーワードをならべ、最後に結論を掲げる論文も増えてきました。

最初に感じていたこと。美術界も科学論文みたいに、想像を羅列して終わるのではなく、原因と結果データと根拠、結論というステップを踏めばいいのに・・・・と(笑) 思っていました。今、そういう方向にもなっているみたいです。(内心、やっと気づいたのか! なんてことも思っていたり (笑))

 

  ⇒ところが熊楠の世界、頭の中は、原因と結果を超えた先の科学の世界があったのです。

科学では、現象は因果関係で結ばれます。原因があって結果がある。原因となるものが同じ平面の上で変化していって結果に結び付く。こうして結果と原因は因果関係で結ばれます。

熊楠は「生きた哲学概念」としての粘菌が垣間見せてくれるものこそ、近代科学の思考を拡張したところにあらわれる、生命と世界の実相に適合する未来の科学の思考法をみた

熊楠の物事を考える土壌は違うのです。科学の世界の基本思考からは、遠く離れたところで物事をとらえているのでした。

 

 

■それぞれの世界がある

美術界は、科学側からの論理で、同じような土俵の上に立たないと、美術界でない人たちには通用しないぞ~ と思っていました。

 

しかしその一方で、当初、思っていたことと違う受け止め方になっていったのです。それぞれの世界の習慣、長きに渡り培ってきた世界があるのだから、それに立ち入る必要はないと思うように変わっていました。最近、いろいろなところでエビデンスということ論じられるようになり(⇒【*1】)美術界もそれを取り入れていこうという傾向なのかな? と思ったのですが。  

 

〇科学の世界に足りないもの

一方、科学者にこそ人文科学が必要と語った大原美術館の理事長。

   ■ 科学教育に絶対に必要な人文科学より

www.youtube.com

日本の科学教育が弱くなっていると言われる。だから理科を教えましょうではダメ。人文科学を教えることだ大事科学する心を育てるには、思想・哲学・歴史・国語・芸術を教える。そしてたまに美術館に行く。科学ばかりを学んだ人は、実験の達人にはなれるけども、クリエイティブな人材にはなれない・・・・と。

 

私が、自然科学の世界から見て、人文科学の美術界に足りないものがあると感じたのと同じように、美術の世界からも、科学分野の思考の未熟さを感じていらっしゃる言葉なのだろうなということが理解できます。 

 

〇科学者で人文系を語ることが出来る人はいる

しかし実績を残した優秀な科学者は人文学、哲学にも長けているという横顔が伝えられます。館長が紹介された赤須孝之氏。

 

饒舌館長: 赤須孝之『伊藤若冲製動植綵絵研究』4

きわめて科学的な図像分析でありながら、最後にそれが哲学や宗教、思想という人文科学の問題と相似形に結ばれているという指摘――僕的に言えば、両者はフラクタルであるという指摘に昇華している点なんです!!

 

両者はフラクタル・・・・  館長が語る「フラクタル

>科学者の赤須さんは違います。187ページに「結語」があって、これを読めばすべてが一瞬にして分かるようになっています。そして科学者でもこれは理解できないだろう…と。

 

饒舌館長のブログでは結語の引用にすべてを託したように、私も引用させていただきます。

若冲は自分の発見した「形態形成の原理」、すなわち「フラクタル構造」、「種の起源」(「個体差」、「突然変異」、「異種間の差異」、「相似器官」)、「朝顔の斑入りの原理」を、哲学的には「道」、宗教的には「仏」または「神」の現れの一つと考え、哲学的には「万物斉同」、宗教的には「一切衆生悉有仏性」および「草木国土悉皆成仏」を信奉している可能性がある。

 

フラクタル構造については、私も知っていて、鈴木其一の作品にそれを見出そうとしたりしていました。(⇒鈴木其一 江戸琳派の旗手 《朝顔図屏風

ある程度は、理解できていて、ここに書かれていることは、大体わかると思いながら読んでいました。ところが若冲フラクタル構造の意味について、最近、このツイートでやっとその真の意味を理解できたと思いました。

 

今、改めて突き合わせて驚いたのは、河野先生が紹介されている、赤須孝之氏の著書だったのです!

フラクタルに気がつくことは、自然や宇宙の構造と進化について認識をふかめることにつながります。

 

参考:若冲を見ていた時に感じていた宇宙観

 ⇒ 若冲展:②「池辺群虫図」~若冲 いのちのミステリー~ より (2016/05/02)

 ⇒若冲ミラクルワールド:再放送を見て (2016/04/26)

 

美術界の研究者って、自然を知らない・・・・ 森を知らなさすぎない? フィールドワークをしたことがない人たちでは? 研究の方向性が、描く技法をばかり・・・・ 我々は、生物界の一部であるという、根源的な意識に欠けてはいないか? そんなことを感じさせられていました。

フィールドワークをしていれば、枯葉が何を意味するかそんなことは、直観的にわかるもの。現に、分子生物学者の方は、「池辺群虫図」を見た瞬間に、それを読み解かれました。ここに、美術家でなく、自然科学の研究者を据えたのは、人選に拍手をしたいと思いました。

まあ、この時、こんなことを言ってたのでした。

 

 

科学の世界には、赤須氏のように人文の世界を行き来できる科学者がいます。

最近、ミケランジェロについても、単なる解剖学的な考察ではなく、哲学的、人文科学的観点からも考察をされた篠原 治道氏の『解剖学者がみたミケランジェロ』を目にしました。科学の世界にも両刀遣いの方がいらして、科学的にも、哲学的にも納得させてくれる解説をされており、 おもしろさを感じていました。最近注目の落合陽一さんも、哲学的観点からメディアアートを語ることができる方だと聞きます。 

 

「Fairy Lights in Femtoseconds」落合陽一さんインタビュー:

  「アートはもうテクノロジーでしかなくなる」 | ギズモード・ジャパン 

【対談】堀江貴文×チームラボ代表・猪子寿之が語る

  「アートが変える未来」 / 【スタディサプリ進路】高校生に関するニュースを配信 |

  【スタディサプリ進路】高校生に関するニュースを配信

科学とアートの垣根を壊す21世紀の魔法使い

  【本の紹介003】『魔法の世紀』落合陽一 - のらりくらり、ブログ 

 

その他にも、科学の領域を踏まえつつ、哲学、人文科学もふまえたアプローチをする人たちが登場していて、人文科学の住人を説得できる力を持っている方がいらっしゃいます。

  

〇美術の世界から科学を語れる人は?

ところが、美術の世界から、科学をふまえて語る人に、まだお目にかかっていません。(知らないだけなのかもしれませんが)美術の世界から科学を理解し、この世界を語るとどう見えるのかも興味があります。

 

 

■感情を動かせば人は動く

ただ、なんだかんだと、いつも、その根拠は? と考えがちなのですが、自分が直感的に感じたこと。それと同じことを唱えている方がいらっしゃると、根拠なんてどうでもよくなって、そうだ、そうだと支持してしまうのです。

河野先生がご自身のことを、ズルズル・スタイルのどこが悪いと開き直っているとおっしゃっています。しかし、何か疑問に思って調べていくと、最後に自分の感じたことが、河野先生の言説の中にあることが多いのです。その時、根拠に乏しいと感じないという矛盾はいかに?・(笑) 

 

猪子氏曰く、人は感情の生き物。感情を動かすことができれば、いろいろな意味で人を動かせる!

 

 

■相手を知るためには、相手の立場を知る

 若冲展:②「池辺群虫図」~若冲 いのちのミステリー~ より

「草木土悉皆成仏」 (そうもくこくどしっかいじょうぶつ)。
「一切衆生悉有仏性」(いっさいしゅじょうしつうぶっしょう)

生き物だけでなく、無生物である石や岩にも仏が宿っている。

日本人は、大きな岩に「しめ縄」をはる。その瞬間、岩に神が宿ります。
大木だってそう・・・・ 万物に神や仏が宿るという多神教の中で生きてきました。 

 

饒舌館長: 赤須孝之『伊藤若冲製動植綵絵研究』4 

哲学的には「道」、宗教的には「仏」または「神」の現れの一つと考え、哲学的には「万物斉同」、宗教的には「一切衆生悉有仏性」および「草木国土悉皆成仏」を信奉している可能性がある。

 

同じようなことではないか‥‥と思っていましたが、熊楠のここの部分につながって、いるようで、その意味がより理解ができるようになったかな?

 

 粘菌は無形の流動体となって動物のように移動・捕食活動を行う形態と、植物のように動かず胞子状の形態をとる形態を繰り返しています。動と不動、生と死を繰り返す粘菌こそ、熊楠にとって生命世界の真理を証明するものであり、彼の現実界を補強する症例になったのでした。 

 

動と不動、生と死‥‥ そこを行き来する それが輪廻転生であり、「草木土悉皆成仏」 「一切衆生悉有仏性」に連なる?

 

熊楠展を見た時に頭に浮かんだのは「春草」でした。春草が描こうとした世界観と同じではないか。そして今、藝大がプロジェクトとして行っていることとも重なりました。神社を取り巻く自然や、武蔵野の自然を守るための強い信念やリーダーシップによって守られ、それが今に受け継がれている。(⇒【*2】)そして、そのあとに伊藤若冲が1000年後を見越した世界観を描いていたことに上には上がいるもんだ・・・ 仏教観と結びつくと時間軸が飛躍的に大きくなるなんてことを思っていました。菱田春草の100年後へのメッセージ(⇒【*3】 ) こうして南方熊楠⇒春草⇒明治神宮の杜⇒100年先を視野に⇒1000年先を見た若冲⇒仏教観⇒南方熊楠のマンダラ として連なりました。春草、若冲となんとなくひらめいた直感。それがやっと繋がったのでした。

 

 

 

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※1 国吉展より ■多国籍国家、人種の坩堝の真の姿
人種の坩堝と言われるアメリカ。なんとなくそのことは知っています。しかし、それは、感覚的、イメージ的なとらえ方で、いろいろな人たちがいるんだな・・・ぐらいにしか思っていませんでした。

 

それによっておきている問題、過去に行われてきたこと。アイデンティティーの統一をはかりたくても、何がアイデンティティーなのかもわからないというお国柄・・・・それは、国吉の時代も今も、変わらずひきずっているということ。そんな国で、その国そのものが抱える問題を深くえぐり出してきた国吉。「くさい物には蓋」をしたい一方で「恐いもの見たさ」という人間の本質。

 

自由主義を掲げらながらも、その2面性が同居しているアメリカ。ある時は国吉を排除し、またある時は国吉を受け入れる。(国吉のテーマには、二面性という側面があると、才士さんが言われていました)

とはいいながらも、なんだかんだ言っても、参入者である国吉を表向きであったとしても評価して受け入れる土壌を持つアメリカ。そして、国吉自身も2面性を持ちながら、そのアメリカに順応させていく。人は、誰もがそうした二面性をかかえ、それに苦悩している。そんなことを描きたかったのかも・・・・・

私は少年の頃から、この国で仕事をし、生きてきた。
芸術の訓練と教育は、アメリカの学校と国内で受けた。
ものの考え方、アプローチの仕方というのは、隣の仲間と同じようにアメリカのもの。

       (『Do you know YASUO KUNIYOSHI?』) 
           すべては語らぬ画家の展覧会開催のための取材メモ より

 

この言葉から、思考の根幹を形勢するものについて考えていました。美術界に対して感じる疑問。「クニヨシブラウン」「クニヨシホワイト」なんて、調べてみたけど、そんな言葉定義されてないじゃない!(笑) ある研究者が勝手に言ってるだけで、認知されてるわけではないんじゃない? そういう思考は、個々の学び、教育によってもたらされるってことなんだな...…  私が感じるこの美術界への違和感。誰も理解してくれない・・・・ きっと、国吉も同じような気持ちだったんだろう(笑) でも、両者のもののとらえ方を理解していくことが大事。私も理解していこうと思う。(だから美術界もこっちの思考を理解して!)なんてことを、会場で受けたインタビューで語っていたなぁ・・・・

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■関連

国立科学博物館「南方熊楠 -100年早かった智の人-」 | インターネットミュージアム 

 

■脚注

*1:エビデンスという言葉の氾濫

〇エビデンスへの過剰な期待、過剰な敵視(寺沢拓敬) - 個人 - Yahoo!ニュース

世の中、何でも「エビデス」の時代。しかしその意味も解釈もいろいろです。英語教育でもそれが使われるようになったと言います。はたから見たら、時流に乗って、最近のトレンドに乗っているようにしか見えません。

一方、英語教育におけるエビデンスを兼ねてから訴えているという著者。その言葉の意味はそもそも‥‥と解説をされているのですが、その説明が、かつて医療の世界にいた者から見たら、首をかしげたくなる内容。

言葉は時代とともに変わるし、使われる業界によってもその意味するところが違うということを理解しますので、独自解釈論を論じるのはいいのですが。その大元の、「エビデンスとはそもそも・・・・」を語る内容に疑問を感じてしまうのでした。しかも、参照ページとして引き合いに出されたwikipedhiaに検証可能参考文献や出典が全く示されていないか、不十分 と書かれたもの引き合いに出すとは。‥‥)
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*2:■神社の杜を守る

 ⇒菱田春草:①《落葉》 初めて見る1回のチャンス(福井県立美術館所蔵)(2016/03/01)より
 

◆私が見た武蔵野の森
日立製作所 中央研究所の森 武蔵野の自然観察
 日立の研究所内には、約70年間にわたって武蔵野の森が守られています。業社長、小平浪平が「よい立ち木は切らずに、よけて建てよ」と、元ある景観をできるだけ残すよう伝えその言葉に従い、武蔵野の森が守られました。私が最初に思い浮かべた森はここの森でした。


皇居の二の丸雑木林 
この雑木林は、昭和天皇のご発意により、武蔵野の面影を持つ樹林として、昭和57年から60年にかけて整備。樹木や野草を始め、鳥や昆虫等も楽しめる、自然の林として大切に育てています。(現地案内板より)

ここは立ち入ることができないエリアですが、その近くまで行って見学したことがあります。二の丸の雑木林の内部は、テレビでOAされたのを見たことがあります。


日本人がつくった自然の森――明治神宮「鎮守の杜に響く永遠の祈り」 
明治神宮の森の話は、セミナーで聞いたのかテレビで見たのか・・・ この森は、自然に残された景色ではないのです。100年後、そしてさらにその先を見据えた壮大な構想力、明確なデザイン意図を持って人が作り上げた森。

「杜」とは・・・「鎮守の杜」「御神木」人の手によって造成された森。古代の神社は社殿がなく、動物や植物を神霊、森そのものを神社と考えていた。

基本計画の骨子は、「神社の森は永遠に続くものでなければならない。それには自然林に近い状態をつくり上げることだ」

この地に生息していたカシ、シイ、クスノキなどの常緑広葉樹との混合林を再現できれば、人手を加えなくても天然更新する「永遠の森」ができる。

ところが当時の総理大隈重信から、天皇を祀るには、荘厳な杉でなければという反対にあう。このプロジェクトを担った本多博士は、東京と日光の杉の成長過程がわかる樹幹解析を行う。関東ローム層の東京で杉は生育が悪いことを科学的に説明。大隈首相を納得させた。ここで説得できなかったら、明治神宮の森は、やせ細った杉が茂るみすぼらしい森になっていた。

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【追記】2016.2.27  代々木の森は、明治神宮の森のことだった?
明治神宮内の宝物室で2009年、春草展が行われていました!
⇒○「特別展 菱田春草」(前期展示) 明治神宮文化館

⇒○代々木の杜の歴史につて

⇒○代々木公園
春草の描いた代々木の森は、今は代々木公園になっていると理解していましたが江戸時代後期は、この一帯は井伊直弼や大名の下屋敷があり、のちに明治神宮へ。当時、周辺は百姓地で田畑が広がる風景でした。その後陸軍代々木練兵所・・・→オリンピック選手村 →代々木公園

1909年(明治42) 春草の落葉 
1912年(明治45) 明治天皇崩御 神宮の杜  
1914年(大正3)  神社建設地に決定した

ということで、明治神宮の杜を春草が描いたわけではなかったようですが、代々木一帯ということで、百姓地で田畑が広がる風景やその周辺の森、代々木公園と明治神宮周辺は、一帯化していたということのようです。
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以上のような人の手が加わることによって維持管理されている森をこの絵から思い浮かべていました。自然そのままではなく、人の力も加わって形成される自然。

  ⇒菱田春草:関連

明治神宮の管理をされている方が、次のように言われています。

「どのような森を後世に残すのか、森づくりの主導者たちがいかに強い信念と使命感を持って取り組んでいたかが分かる」

今、武蔵野の面影を残す場所は、自然がそのまま残った森なのではなく、人の手によって維持管理され、持ちつ持たれつの共存関係が構築されている。それは、先人が今だけを考えていたのではなく、後世のことまで考え、強いリーダーシップをとったからこその賜物。その力があって今に引き継がれてきたわけです。



■《落葉》のテーマ
この絵を見た瞬間に頭に浮かんだのは、「人と自然のとの共生」

人の意思が働くことによって守られ、維持される自然観。私が見てきた武蔵野の森は、後世にこの自然を受け渡していくという、強い意思、信念、使命感を持った人たちによって守られてきた自然です。

春草もまたこの自然を愛し、後世に残したいという強い思いがあったのではないでしょうか? そして、視力を回復に導いてくれたこの森への感謝も込められていると。さらにこの森の生態系、自然の摂理を、描き出そうとしたのだろう
と思いました。

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*3:■100年先を見通す眼力(2016.3.2)

菱田春草:③《落葉》木の回りに集まる落葉の謎(福井県立美術館所蔵) (2016/03/01)

 上記より抜粋

 

「「菊慈童」に新たな光 生誕140年 菱田春草展を契機に」 
             2014年10月30日 南信州新聞  より

春草の時代の里山と人間との関係。そして、今の時代の里山との関係。春草の時代の里山の管理、人と自然との共存は、それが当たり前すぎる時代だったはず。のちの都市化、それに伴う燃料などの切り替えなど、想像ができなかったのではないかと思っていました。

そんな時代に、「人と自然の共生」を、絵の中で示唆したとしても、春草の生きた時代には、現実的ではなく伝わらなかったのでは? ということが頭の片隅にありました。

現に、ちょっと調らべてみても、春草の《落葉》を「人がかかわる自然」がテーマであると言及されているのを目にすることができませんでした。


しかし、確信することができました! 2014年、春草展に関する南信州新聞の記事の一説です。引用禁止なので、リンクができませんが、

【「菊慈童」に新たな光 生誕140年 菱田春草展を契機に】
で検索すると、飯田市の「郷土が生んだ偉人 菱田春草」につながります。
その中の、「菱田春草に関する記事」のところに、pdfファイルがあります。
その中に次のような一言が・・・

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要約すると・・・・
「春草は、21世紀の混濁した社会環境を、眼病を患いながら、
 100年先の環境を見通す眼力があったのでは?」
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里山の自然が壊され、人との関係が薄れていく未来そんな時代の到来を春草は予見していたのでしょう。多くの人が、春草のことを理知的と評していました。その理知的な頭脳は、「今の環境がこのまま行けばどんな社会へ向かうかが見えていた」その時代へ向けてメッセージを作品に込めていたということなのだと。

春草はそのメッセージを伝えるために、今でも作品の中に生き続けている。そしてこれからも永遠に・・・・



100年の後の人々は、落葉を集めて木の根元にまいている。環境が変化し、その中でこの森を維持していく方法。そんな知恵を生み出して、この森を維持しているのでは?

そんな100年先の今の環境を見通す眼力があったのだ! と思ったのでした。


春草の「理知的さ」について文字がオーバーしてしまったので、次に独立させました。

  【⇒※】○菱田春草:③春草の理知的さはどこから それによってもたらされたメッセージ

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