コロコロのアート 見て歩記&調べ歩記

美術鑑賞を通して感じたこと、考えたこと、調べたことを、過去と繋げて追記したりして変化を楽しむブログ 一枚の絵を深堀したり・・・ 

■MIHO MUSEUM:「雪村 奇想の誕生」 雪村って何者? 光琳が熱愛していた!?

藝大で行われた「雪村 奇想の誕生」MIHO MUSEUMに巡回。いつか訪れたいと思い続けた美術館にやっと来訪。奇想の誕生という意味をやっと理解しました。あの光琳は雪村に熱愛状態だった!(続きを追記)

 

 

■MIHOミュージアムを知ったのは

MIHOミュージアムを知ったのは、びわ湖のほとりにあるロイヤルオークホテルスパ&ガーデンに宿泊した時のことでした。ロビーに置かれていたMIHOミュージアムに関する写真集を見た瞬間、こんな美術館が、この地域にあったの!? という驚きとともに、こんな素晴らしい美術館の名が、あまり知られていないことの不思議さを感じていました。

 

ぜひ行きたい! と思ったものの、場所を確認すると、石山駅からバスで50分というなんとも不便な場所。まさに秘境のようなところのようです。その時は来訪はかないませんでしたが、いつかぜひ訪れたいと思ったのが2009年のことでした。あれから8年。その間にいろいろな形で、MIHOミュージアムの名前は耳に届くようになりました。そして今年(2017)やっと訪問が実現しました。

 

直島もそうでしたが、一般的にはそれほど有名ではない場所。だけど海外の人は知っていて、知る人ぞ知る場所。たまたま旅先で、そんな情報をキャッチして持ち帰って、温めながらいつの日か来訪することを楽しみに… コアな美術館情報に出会えるのも旅行の楽しみでもあります。

 

 

■8年越しに来訪実現 

一度、行ってみたいとずっと思い続けて苦節(?)8年。今年の夏はMIHOミュージアム来訪をかなえるべく、びわ湖周辺の観光を計画しました。MIHOミュージアムは第一目的の場所。企画展は「雪村 奇想の誕生」・・・ 事前に、見ていたはずだったのですが忘却の彼方でした。MIHOミュージアムに行けるという長年の思いがかなうというだけで、テンションMAX状態に。展示の企画なんて何でもよかったのです。

 

 

■雪村は、ブームの兆? 東京でも開催…

前日に、改めて「雪村展」だということを確認しました。最近は「雪村」ブームが来てるのかぁ・・・・ ここのところ美術界は「奇想」がちょっとしたキーワードとなっている気がします。若冲のヒットにより、二匹目のどじょうを狙っているのかと思うくらい、岩佐又兵衛国芳、雪村など奇想と言われる系譜の絵師にスポットが当たっているようです。

 

「雪村」もどこかで、しかけようとしているのかなぁ・・・などと思いながら、東京でも春頃、開催していたけど、どこだったけ? と確認したら、藝大「特別展 雪村-奇想の誕生-」が行われていました。MIHOミュージアムの企画はその巡回展だったのでした。

 

■鑑賞には時間が必要・・・・

藝大で行われていた雪村、ちょっとは気になっていました。メインビジュアルの呂洞賓図(りょどうひんず)」は、東博特別展「禅―心をかたちに―」(2016.11)で、2度見ていたので気にはかかっていたのですが・・・・

 

昨年、直島に国吉を追いかけて行った時に思ったのですが、作品というのは、あまり期間をおかずに見ても、自分の中に新たなインプットが蓄えられていないため、大きな発見にはつながりにくいことがわかりました。

 

藝大の雪村展はペンディングリストに上げてはいたのですが、結局、企画展はスルーでした。そんな展示を、ここMIHOミュージアムで、出会えたというのは奇遇です。

 

思い焦がれて訪れたMIHOミュージアムは、とてもすばらしい場所で、「建物」や「アクセス」「割引チケット情報」などはまた改めて記事にすることにして、9月3日で終わってしまう「雪村 奇想の誕生」について先にレポートします。

 

 

■「雪村」に関する予備情報

コピーに、「ゆきむら」でなく「せっそん」ですと書かれています。そういえば、最初、「ゆきむら」って読んでたっけ・・・ 藝大の鑑賞はパスしたのも、まだ雪村のこと、よくわかってなかったからというのもありました。

 

とっても特徴的な構図や表現の呂洞賓図(りょどうひんず)》です。

呂洞賓 - Wikipedia

 

でもこの絵がなんなのか・・・  雪村はどの時代の人なのか? 特別展「禅―心をかたちに―」の内覧会に参加して、この絵を目にしていました。特徴的な絵で、撮影も許可されていたのですが、その時の興味の対象は「屏風」でした。そのためこの絵は、写真撮影もされてはいませんでした。気になる絵ではありましたが、撮影するという行動に移すほどではなかったようです。限られた時間の中で鑑賞する内覧会は撮影も絞られ、優先順位からは落とされていました。

 

図録「禅-心をかたちに-」を見ると解説文(p416)には、雪舟に私淑していたこと。劇画調の画風のあたりにアンダーラインがひかれていました。そして頭の上にのっかって踏みつけられた龍。「なんなんだよ、俺の上にのるんじゃねぇ・・・」とでも言いたげな表情です。

 

海北友松の龍を見てからというもの、いろんな龍を見ては比べていました。それまで龍というのは威厳のある表情をしているものとばかり思っていました。ところが意外にもひょうきんな表情の龍も多いということがわかりました。雪村の龍もひょうきん部類の龍なんだと、昨年見た時には思っていました。

 

やっぱり友松に勝る龍はない‥‥ と思いながら見ていたことなどがよみがえってきました。龍を見たら「友松」と比較して勝ち負け、決めるという見方がどうも習慣になってきているようです。

 

▲ 南館の入り口

 

 

〇雪村とは?

室町時代後期から戦国時代にかけて、東国で活躍した画僧。
・生没年不明 (1490年前後~1573年以降)
常陸国武家、佐竹氏の一族に生まれる
・幼くして禅寺に出家・・・・(海北友松と同じような境遇)
・多くの絵画に接した

 

〇雪村の画風

・雪村が生きた時代(室町時代後半)、中国画を手本にするのが当然
・雪村の人物画や山水画は、伝統的な様式をはみ出し破天荒でドラマティック。
・「奇想」と評されている。
・動植物を題材にした作品は、写実的。
・生き物に対する慈しみや、細やかな感性が感じられる。
・変幻自在ともいえる作風

 

 

琳派への影響

尾形光琳が敬愛
狩野芳崖が新たな日本画の創出のため研究対象
・きわめて独創的で大胆かつ繊細。
・後の「奇想の画家」と呼ばれる伊藤若冲歌川国芳らの系譜の先駆けとなる。

 

参考:雪村- 奇想の誕生 フライヤーより

 

 

■解説ビデオより

入口でビデオ上映がされています。こちらを見てから見学すると概略がわかりやすいです。2本立てになっていて、短い方のビデオの意味が、最初、よくわかりませんでした。フラッシュバックのように、画像が次々に上映されているだけ・・ と思っていたら、見るポイントを示して、その部分のアップの画像をスライドショーのように流していたのでした。たとえば・・・

 

〇鑑賞のポイント キーワード 

 〇覆いかぶさる
 〇・・・・の
 〇折り重なる
 〇吹き荒れる
 〇触れ合う視線

 

といった、雪村を見る上でのポイントとなるキーワードが示されていたのです。これに従って見ていくと、触れ合う視線からは声が聞こえてきたり。矛盾が見えたり。でも、それは意図されていたものだったり・・・ となかなか面白かったです。

 

〇雪村の足跡

もう一つの解説ビデオは、雪村の足跡が解説されていました。生没年不明、その他についても、わからないことばかり。わずかな記録から、ひもとけることが紹介がされていました。(すべては推測の域)


1489~1492年     常陸の国部番で誕生?(本朝画史)

1504~1521年(10代) 正宗寺に入寺?

1546年        常陸を出発、会津へ 「画軸卷舒法」を授ける
           鹿沼の今宮神社に神馬図を奉納
       (50代)佐野、足利を経て小田原、鎌倉へ

1555年    (60代)叭々鳥図

1560年        小田原、鎌倉を離れ、鹿島神宮から奥州へ

1572年    (80代)常陸に流寓

1573年        三春に住む

1573~1590年 (86歳)《瀟湘八景図屏風》
            間もなく三春で没

参考:見どころ / 特別展 「雪村-奇想の誕生-」

 

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 図録 巻末資料

 

■《欠伸布袋図・紅白梅図》は《紅白梅図屏風》の元ネタ説

尾形光琳が私淑した雪村

琳派尾形光琳宗達に私淑していたと言われています。ところが、雪村にも私淑していたことが、この企画展の初っ端に提示されていました。

 

光琳は雪村をいろいろ、模写をしていたらしいのですが、極めつけは、「雪村」の印章まで持っていたそうで、展示の冒頭でいきなり、その印章が目に飛び込んできます。

 

その印章、いろいろ手を尽くして入手したものなのでしょうか・・・・ 実際の印章と若干違うらしく、光琳自身が作ってしまったという話もあるほどの敬愛ぶり。今風で言ったら、推しメンが好きすぎて、サインまでそっくりにマネして書けるようにしているような状況だと言えます。

 

〇《欠伸布袋図・紅白梅図》は《紅白梅図屏風》と関係あり?

[No44《欠伸布袋図・紅白梅図》(p72 p109)]

これを見た時、光琳の《紅白梅図屏風》が浮かびました。何か関係があるのかな? ふと頭をよぎりました。私の記憶の中にある《紅白梅図屏風》の梅の枝の枝を浮かべてこの軸の梅に対応させていました。

光琳のものとは関係なさそう・・・・ 単に「紅白梅」が一致しただけ。紅白の梅はよく取り合わせられるものだと思うし・・・ と思いながら、見ていました。

 

〇武田光一説 光琳の《紅白梅図屏風》の構図の元かも説

すると、解説には、この3幅は、尾形光琳の《紅白梅図屏風》の構図の元になっているのでは? という話があるというのです。(2012年 武田光一「光琳の「紅白梅図屏風」と雪村の「欠伸布袋・紅白梅図」三幅対より)

 

欠伸布袋・紅白梅図

出典:特別展「雪村 ー奇想の誕生ー」


 白梅の鋭い動性    延びする布袋のシルエット   紅梅の緩いカーブ

    ↓             ↓            ↓

 v字の枝の折れ         流水

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光琳の《紅白梅図屏風》と関係ないと思った理由は

光琳の《紅白梅図屏風》と雪村のこの軸。関係あるのかな? とよぎった時に「白梅」に注目してV字の鋭い枝の折れがないかチェックして見ていました。鑑賞していた時は、sれに気づかなかったので、だから、違うんじゃない? と思ったのですが、今、見ると雪村の左の梅にV字の枝を発見! 光琳は、これを参考にして《紅白梅図屏風》を描いたっていえるかも! (でも・・・違うような気がするなぁ・・・)←直感

 

〇それよりも布袋さんのユーモラスさに着目

それより私が気になったのは、布袋さんの足の向き、なんかこれへんじゃない? よ~く見ると、右足で立って、左足は跳ね上げてこちらに向けていたんですね。こういうユーモラスさが雪村の特徴なんだなと思いました。

 

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これは左足 ↑  ↑ この足はどうなってるの? ヘン…

          ああ、右足、跳ね上げてたのか・・・・
          布袋さん、踊ってるの? 
          足、跳ね上げて欠伸します?
          袋によりかかって、足を交差させてたのか…  

          それが雪村のユーモア、遊び心。

 

〇友松の梅との比較 (意味ありませんが)

梅の枝については、海北友松の印象が強くて、

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出典:来春、京博で‘海北友松展’!: いづつやの文化記号

 

左側の白梅の枝は鋭さは、上記のような友松の梅表現には負けてる・・・ と、何を見るにしても、友松との比較で見てしまう癖がついています。

 

 

光琳の《紅白梅図屏風》は宗達の《風神雷神図屏風》が元

これまで、光琳の《紅白梅図屏風》は、宗達の《風神雷神図屏風》を元にして、光琳はこれをもって、完成形としたという話があったかと思うのですが・・・・

 

⇒◆2部:紅白梅の「解釈」に関する解説

 

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出典:美の巨人たち 尾形光琳『紅白梅図屏風』 - うさかめ美術部ときどき映画部

 

こうやって重ねるとぴったり一致します。確かに参考にしているんだって感じさせられます。光琳の元ネタは《風神雷神図屏風》これは、あまりにも有名で有力説です。きっとそうなんだろうと思ってきました。

 

ただ、こういうのって、いかように見ようと思えば見えると思うし、こじつけることもできてしまうとも思うのです。番組の見せ方、演出によっても、見え方って誘導ができてしまいます。以前、日美で其一の《朝顔図屏風》と其一の《風神雷神襖》は構図を重ねると一致すると映像で見せてました。でも、私は違うって感じました。《風神雷神屏風》であれば納得できるけど、其一の襖に限定するのは・・・って(⇒〇風神雷神は《朝顔図屏風》とシンクロする? )

 

〇構図の重なりを見せられても納得できない

映像でそれらしく見せられても、私はそれだけじゃ納得しない! って思いながら見てます。(笑) 重なったという事実だけでなく、もう一歩、踏み込んだ裏付けとなる情報も欲しい。⇒【*1

偶然が何度も重ねればそれは意図的・・・・ 

 

こういう見方が自分の絵の見方なんだと最近、わかってきました。個人的には、新たな雪村参考説もちょっと無理があるというか、想像の域を脱していないのでは? と思うのです(笑) 現に、依頼主である中村内蔵助から、梅と川をテーマに描いてくれという題材は与えられていたという話もあるようです。⇒【*2】 

 

 

光琳は、雪村を参考にしたのか? 

雪村参考説には懐疑的ではありますが、布袋さんが右方向に上げた手と、光琳の川の流れは一致しています。下部の布袋でふっくらした部分は、水の流れの広がりにも一致しています。そう思えば、光琳は雪村のこの軸を参考にした… そう見えなくもありません。

その説、どうなのかなぁ・・・・と思っていてもこうして、こじつけて考えようとすれば、関連づけることはできてしまうものだし(笑)

 

テレビで河野先生が語られた言葉が「香の文化史」の講演につながりました

「江戸時代を代表するアーティストたちが皆、梅を描きますけれども

 それはひとしなみに夜の梅であると言っていいと思います。

 夜になると真っ暗になって馥郁とした香りが漂ってくるんです。

 特に教養のある人たちは東洋の梅の伝統というものを知っていて、夜に

 鑑賞したんじゃないかなぁ、と思うんです」

これは、静嘉堂で行われた香の講演の時、畑氏よりお話があったことで、梅というのは闇の中で香によって見ていたというお話に通じています。 見えていないけども見える。それは香によるもの。しかし《紅白梅図屏風》の梅は昼の梅…  では、雪村の梅は、夜の梅なのか 昼の梅なのか?

 

   ⇒参考:■MOA美術館:国宝《紅白梅図屏風》2年ごしの再会 -

 

〇梅のV字に着目したのは、理由があった

欠伸布袋図・紅白梅図》が《紅白梅図屏風》の参考になってる? と思った時、なぜV字の梅が描かれていないか(あと、水流と枝の重なりに匹敵する表現がないかも見ていました)を探していたのか自分でもよくわからなかったのですが・・・

 

   ⇒〇作品に関する解釈の解説 より

   これらの対立要素、鋭角の曲線は、
    いろいろな解釈が生まれます。
 

 

過去の記録を紐解くと、上記のこの一言が、自分の中で印象深く突き刺さっていたことがわかりました。

 

〇美術と科学 思考、アプローチの違い

いろいろな説があっても、それが本当なのか。その理由は? 裏付けは? と考えてしまいます。ただ、自分が最初の直感で感じたことを語っている場合は、裏付けがなくてもその説を支持してしまうというご都合解釈です。それについていろいろ思ってきたことを脚注にまとめました。⇒【*3】 

 

 

■(私の)おすすめ 見どころ作品 

〇No55 《鍾馗図》 (p91 p112)

出典:美術展 NEWS!『夏季特別展 雪村 -奇想の誕生』
@MIHO MUSIUM | INTOJAPAN / WARAKU MAGAZINE

 

この絵、なんか変なんですけど・・・って思たのがこれ。

虎って、やっぱりネコ科の動物なんだよなぁ・・・じゃれて遊んでもらっているトラの様子がまるでネコ。なのに、この鍾馗様の目の睨みようといったら・・・トラは楽しそうなのになぜ? この矛盾がどうにもこうにも、違和感があって、おちつかないと感じていた作品です。

 

こんなじゃれた虎を描いてるのに、何で鍾馗様をこんな表情にしちゃったの? 鍾馗様の手だって、こんなにやさしく虎の手を握ってるじゃない! 何で? 何で? 雪村は何を考えてるんだろうと、どうにもこうにも、おちつきません。

 

(虎を見たことない時代に虎を描く。この絵を見たらおそらくネコをモチーフにして描いたとしか思えません。ネコと虎が同じ仲間であることを、当時、日本人は知っていたということでしょうか。トラはネコ科。このころ(室町時代)は、まだ動物の博物学的な分類はされていないはず。中国から伝わった絵、それを見てネコと同じ仲間と見抜いた。トラの動きを見れば、子供でも、ネコと似ていると感じることはできると思う。でも、絵だけを見てそれを予測してしまった日本人がすごいのか、虎を表現した中国人がすごかったのか・・・?)

 

ショップにあった、もっと知りたいシリーズ「雪村」(小川知二 著.を手にしていました。鍾馗様が睨みつけているのは、「雪村」と書かれた落款。虎とじゃれながら、これを描いた雪村をにらみつけているという解説に妙に納得してしまいました。(この説も想像にすぎないのだと思うのですが、私は納得してしまいました)

 

最初に感じさせられたファーストインプレッション 意外に核心をついていたりします・・(笑)

 

 

〇No49《呂洞賓図(りょどうひんず)》(p821 p211)

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出典:見どころ / 特別展 「雪村-奇想の誕生-」

呂洞賓とは中国の仙人です。首の骨が折れるくらいに顔を上に向けていったい何をしているのでしょう。よく見ると、口を開けて舌を出しています。上空の龍と激しい問答をしているのでしょう。

 

不自然なまでの上向きの顔。これで思い出したのが、メアリ―カサットの「バルコニーにて」 

メアリー・カサット展 夜間特別鑑賞会 ②《バルコニーにて》より

首を斜めに傾げ上目遣いの表情を下からとらえるという難しい構図で描き、画力をアピールしているかのよう。また扇子を持つ手の角度も、ひねりがあって、難しい描写で描きあげている

と解説があったのですが、メアリ―カサットが描いたこの首の角度、これを画力あるっていうのかなぁ…と思ってました。雪村の呂洞賓、首の骨が折れるくらいの不自然さっていうけども、メアリ―カサットの不自然さよりもずっとこっちの方が自然。雪村の方がうまい!…って思ってしまいました。

 

そして、腕をいっぱいに広げて風を受け、ピンと上方にまっすぐに伸びた髭は、その風がいかに強いかを表していたことが見えてきました。呂洞賓の下の龍はひょうきんですが、上から舞い降りてくる龍は、威厳がありました。下の大きな龍に目が奪われて、小さい方をよく見ていませんでした。

 

そして新たにわかったこと。左手に持った瓶から2匹の小さな龍が生まれ、それが天空の龍と対峙するという図像で、伝統的に描かれる中国の仙人(八仙の一人)呂洞賓では見られない独創的なものだと言います。(図録p211)

 

ところが、楽しみにしていたこの《呂洞賓》が見当たりません。展示替えとなり訪れた時には、他の2幅の《呂洞賓》になっていました。残念・・・と思いきや。

 

 

暗闇の中で神秘的に浮かび上がる2幅の《呂洞賓》照明が効果的な演出を盛り上げ、妖気が漂っているようでした。

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No50       No51    

出典:「奇想の誕生 雪村」展 その3 : Art & Bell by Tora

 

 

そして確か、No51が今回の企画にあたり、新たに発見されたという《呂洞賓》 こういう大回顧展が行われると、その調査の過程でみつかるということがあるみたいです。メインビジュアルの《呂洞賓》と対面できず、残念ではありましたが、本邦初公開の《呂洞賓》を見ることができたのはラッキーでした。

 

手にした瓶から煙のようなものが出てる…と思っていたら、これは2匹の龍なのだそう。よ~く見ると龍だとわかります。この瓶は図録によれば、水瓶とのこと。(p211) 建仁寺の法堂に描かれていた龍について調べていた時、龍は雲や雨を司る水の神様で、寺院を火災から守る意味があると聞きました。(⇒建仁寺:⑤双龍図 800年の沈黙をやぶり、今この時代に法堂に現る 小泉淳作筆))

 

 

「龍」は水の神であることを、ここに来る前にも、実感していたところ。MIHOミュージアムに訪れる前日に立ち寄った石山寺で見た手水舎(ちょうずや) 龍の口から水が出ていることに気づき、なるほど… 龍って水の神様だもんね・・・と妙に納得していたのでした。

この軸の瓶も「水瓶」 水つながりで、関連性が見出せます。ところで、瓶は水を入れるほかに、どんなものを入れていたのでしょうか?

 

 

【続】 

 

 

■雪村を通して理解できたこと

〇《瀟湘八景図》

東博で行われている「びょうぶで遊ぶ」の《松林図屏風》の解説に、

背景に映し出されるのは、屏風と同じ長谷川等伯筆の「瀟湘八景図屏風」(当館蔵)です

という下りがありました。 瀟湘八景図とはなんぞやと調べてみてもよくわからなかったのですが、(⇒瀟湘八景 - Wikipedia)今回、雪村が描いた瀟湘八景という作品がいっぱいありました。それを見ていたらイメージをつかむことがなんとなくできたように思います。

 

出典:雪村 奇想の誕生 展 - ~窓をあけよう☆~

 

NO105《瀟湘八景図屏風》

出典:「雪村」展(東京藝大美術館)から -2- - Fsの独り言・つぶやき

 

第一扇の上部に墨が流れた跡があります。友松も同じ手法、使ってます。友松の真似? と思ったら友松の方があとに生きたのでした。友松も参考にしていた?! これは雨を表しているのだそうです。(図録p152 p)

 

こんな 《瀟湘八景図》も・・・

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出典:「奇想の誕生 雪村」展 その1 @東京藝術大学大学美術館 : Art & Bell by Tora

 

音声ガイドやwikipedhiaの解説より・・・

瀟湘は湖南省長沙一帯の地域。洞庭湖流入する瀟水湘江の合流するあたりを瀟湘といい、古より風光明媚な水郷地帯として知られる。北宋時代の高級官僚・宋迪はこの地に赴任したときにこの景色を山水図として画いた。後にこの画題が流行し、やがては日本にも及んだ。

 

漢字がいっぱい並んで、なんのことかさっぱりわからない…と思っていましたが、それぞれに、どこのあたりを表してどんな風景かを表している言葉だったらしいことがわかりました。

 

瀟湘夜雨 [しょうしょう やう永州市蘋島・瀟湘亭。瀟湘の上にもの寂しく降る夜の雨の風景。
平沙落雁へいさ らくがん衡陽市回雁峰。秋のになって干潟に舞い降りてくる風景。
煙寺晩鐘 [えんじ ばんしょう衡山県清涼寺。夕霧に煙る遠くの寺より届く鐘の音を聞きながら迎える夜。
山市晴嵐さんし せいらん湘潭市昭山。山里が山煙って見える風景。
江天暮雪 [こうてん ぼせつ長沙市橘子洲。日暮れの河の上に舞い降る雪の風景。
漁村夕照 [ぎょそん せきしょう桃源県武陵渓。夕焼けに染まるうら寂しい漁村の風景。
洞庭秋月 [どうてい しゅうげつ岳陽市岳陽楼洞庭湖の上にさえ渡る秋の月。
遠浦帰帆 [えんぽ きはん湘陰県県城・湘江沿岸。帆かけ舟が夕暮れどきに遠方より戻ってくる風景。

 

 

〇馬の表現 松林の表現

《百馬図帖》雪村

雪村 奇想の誕生 展 - ~窓をあけよう☆~

 

狩野芳崖《牧馬図》

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特別展 雪村 奇想の誕生 東京藝術大学大学美術館 : 川沿いのラプソディ

 

▼この馬を見たら、海北友松を思い浮かべました。

イメージ 4

出典:海北 友松 ( その他文学 ) - 枕草子-まくらのそうし - Yahoo!ブログ

 

なんだか、筆致がすごい似ている気が・・・ 海北友松も雪村を参考にしていた?! 狩野芳崖の松林は、長谷川等伯の松林図屏風とは全く違うのですが、でもなぜか想起させられました。単に「松林」つながりというだけのようでもありますが・・・

 

 

〇No65《龍虎図屏風》(p100 p215) 

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天に駆け上がって雨を降らせる龍と、風を吹かせる虎室町時代中期以降、武将や禅僧に好まれた組み合わせだと言います。

 

ところが、この《龍虎図屏風》も《鍾馗図》で感じたのと同様な違和感がありました。龍は上部の月? 玉のようなものを見つめています。虎と対峙しているようには見えません。虎もどうも威厳が感じられません。龍と虎という相対するモチーフだと思うのですが、お互いが対峙しているようには見えないのです。こういうアンバランスさが雪村の特徴で、ウィットに富んだ部分といったところでしょうか?

 

そう思っていたら、左から見るのと右から見るのとでは、この屏風は見え方が違ったのです。虎が風を吹かせるという解説を見て、右隻にも風が吹きこみ龍に向かって吹きつけていることに気づきました。屏風はつながりあっています。水も左隻から勢いよく流れ左右の隻の中央に流れています。右隻の龍は波を二つに分かち、その水しぶきが飛んでぶつかりあっています。

 

そして、右隻側から見ると虎の飄々とした表情は、屏風の折れに隠れて見えなくなり龍と虎が対峙しているように見えてきました。

 

 

これ、「禅ー心をかたちに」で見た同名の狩野山楽の《龍虎図屏風》と全く同じ状況です。

出典:龍の謂れと形 狩野山楽筆 龍虎図屏風 デジタルアーカイブ《綴(つづり)プロジェクト》

 

最初に見た時は、龍も虎も威厳が感じられず、ひょうきんで迫力に欠けました。ところが、右から見るのと、左から見るのとでは、全く様子が変わったのです。

 

参考:こころを形に 《龍虎図屏風》狩野山楽 (ブロガー内覧会後 再訪)

 

 

■雪村を継ぐ者たち

光琳は雪村に絶大なるシンパシーを感じていたようで、模写も多数。石印まで所有する入れ込みよう。それは琳派の面々にも影響しており、兄弟の乾山にも影響しました。

 

〇乾山と光琳による私淑

重文 銹絵寒山拾得図角皿 尾形光琳画 尾形乾山作 当館 

出典:日本と東洋のやきもの | 京都国立博物館 | Kyoto National Museum

 

そして光琳が、のちの抱一も雪村を模写しています。

 

琳派への継承

琴高仙人図 尾形光琳        酒井抱一

Img_0002  《琴高仙人図》(江戸時代、MIHOMUSEUM、全期間)

アートに乾杯! 鯉、白象、龍に乗る: いづつやの文化記号

MOA美術館 | MOA MUSEUM OF ART » コレクション » 琴高仙人図

 

 

▼雪村の琴高仙人は逆向きでした

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出典:琴高仙人・群仙図(きんこうせんにん・ぐんせんず) | 京都国立博物館 | Kyoto National Museum

 

下記の三幅のうちの一つ

王羲之書扇図

こちらは展示期間外で見ることができませんでしたが・・・・

 

 

 

そして近代になると、狩野芳崖 橋本雅邦らも雪村の表現を模写し研究しました。

 

狩野芳崖の模写

▼伝雪村「竹虎図」

『朝鮮王朝の絵画と日本』展③岡山県立美術館 ( 絵画 ) - 美術館見聞録 - Yahoo!ブログ

 

狩野芳崖筆《竹虎図》

竹虎図

見どころ / 特別展 「雪村-奇想の誕生-」

 

 

〇橋本雅邦の模写

             ↓ wikipedhiaより 《悲母観音》

紙本著色 滝見観音図 雪村筆   f:id:korokoroblog:20170902190345p:plain

↑ 出典:紙本著色 滝見観音図 雪村筆|茨城県教育委員会

 

上記を見た時に、ビデオで橋本芳崖が参考にしていたことを聞いていたので、この《悲母観音》を思い浮かべていました。

 

 

■雪村相関図

以上の流れがとても分かりやすくまとめられたパネルがありました。

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こちらは図録になっていました(図録p250) 今回、図録を購入したのは、この表がどうしても欲しかったから・・・・ 

 

雪村の奇想のエッセンスがいかに、近代にまで連らなり、連綿と影響を与えてきたかが一目瞭然です。これがほんの2年前だったら、狩野芳崖って誰? 橋本雅邦ってだれ? で、雪村の影響については、理解に至らなかったはず。理解できるようになっていることに、ちょっとは進歩してきたと感慨深いものがありました。

 

 

■まとめ・感想

琳派に始まり、近代日本画、そして桃山、室町時代と断片、断片で追いながら遡ってきたのですが、雪村という奇想の源泉にたどりつきました。これまで見てきたいろいろな絵師たちがつながりあっていて、近代の日本画にまでその影響が及んでいたことを知ることができました。

 

時代が変わっても、人の心をとらえ引き付けるものは変わらないのだと思わされます。辻 惟雄氏による「奇想」というキーワードにより、いろいろな絵師が注目を浴びています。その源泉、奇想の誕生に位置する雪村。

日本人は得てしてユーモアに欠けるといわれがちですが、遡れば雪村を源流にして、いつの時代にもユーモアや、人を驚かしたいという気持ちを秘めていたことが伺えます。多くの絵師が、そのエッセスを取り入れていたことがわかります。

そして今、その源流ともいえる雪村にスポットをあて、謎が多いといわれながらも、その全体を俯瞰した展示が行われたということ。それは、今につながる「奇想」を求める心なのだと感じさせられました。

 一度は、東京での開催の鑑賞を心に浮かべたものの、自分の中で時期尚早とスル―してしまいました。しかし、見るべきものは意図せずに、むこうからやってくるものだとた感じさせられました。

 

 

雪村と琳派狩野派、近代の絵師を生没年の関係でみると

(私が知っている人の生没年で比較しています。上記の表の人たちは、まだ知らない人ばかりなので、そのうちここに加えて比較ができればいいなと。)

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■参考

〇観たことのない、ドラマティカルな水墨画の世界へ 特別展「雪村—奇想の誕生—」 | Girls Artalk

〇アートシーン 雪村展 - うさかめ美術部ときどき映画部

〇禅寺が育んだ雪村の「奇想」とは (2ページ目):日経ビジネスオンライン

〇雪村と琳派 『雪村―奇想の誕生』MIHO MUSEUM | ARTことはじめライターブログ

〇「奇想の誕生」東国に生きた画僧「雪村」の生涯を辿る。 | ARTことはじめライターブログ

〇「奇想の画家 雪村の謎と魅力」(視点・論点) | 視点・論点 | NHK 解説委員室 | 解説アーカイブス

 

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■脚注

*1:〇構図の秘密より

構図に仕掛けがある。そんな話を聞いても最初は偶然じゃないって思ってました。しかしデザイナーの思考、そして構図の仕掛けが、一つでなくあちこちで散見されてくると、それは偶然の産物ではないのだろうと思えてくるのでした。

そんなのたまたま、偶然そうなっただけなんじゃないの? と思って見ていました。友人は、偶然はありえない。デザイナーというのは、そういうことはしっかり計算しているもの。と言っていました。

 

宗達に傾倒していた光琳紅白梅図屏風》で同じような仕掛けをしていた。ただ入れ替えるだけでなく、それをちょっとずらすという一工夫を加えて・・・・ 今回は、偶然じゃない? とは思わなくなっています(笑)

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*2: ■何もないところから作り上げることより

脚注:■ 追記(2015.07)パトロンの要望だった

描くにあたって、てっきり題材集めをいsたのだと思っていました。が、パトロンがいて、パトロンから「梅」と「川」というテーマが、決まっていたらしいことが判明。(伝聞)

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*3:饒舌館長: 赤須孝之『伊藤若冲製動植綵絵研究』2

美術の世界に足を踏み入れて、論文も目にするようになりました。その時に感じていたことが、饒舌館長のブログに、ズバリ書かれていました。

結局、結論は何が言いたいのか? 想像ばっかりで語ってるんですけど? 根拠の提示がないし‥‥ この世界はこれで成り立ってしまうんだ・・・・? それが外からの視線でした(笑)

最初に漁った論文は菱田春草の《落葉》の制作順に関するものでした。根拠に乏しい、あるいは根拠が示されていない。というのが第一印象でした。

   ⇒菱田春草:[4]《落葉》制作順序論争ウォッチング (2016/03/06)

   ⇒菱田春草:[7]《落葉》制作順序に関する論文探し (2016/03/07)

次に「五十三次 蒲原の雪の謎とき」を調べた時も、想像の域を出ていないと思ってしまいました。何で最初から雪が降っていなかったと決めつけてしまうんだろう。異常気象だってあるのだから、雪が降ったか降っていないかは、記録をたどって事実をみつければいいこと。だったら私が雪が降ったという事実を見つけるわ! と思ったあの頃(笑)

  ⇒〇思考のアプローチの違い

御舟の重曹を使ったひび割れの独特な技法の仕組みがわからないと言われています。発泡しているような技法。重層を加熱していたらしい。だったら、重曹がどんな性質を持っているかがわかれば原理はおのずと見えてくるもの。この世界は、誰も重曹というものを調べようとしないのか? 素人の考察でも想像できる範囲。理系でない友人でもそれ、膨らし粉の原理じゃない? 高校の化学の知識や、生活の中の現象(膨らし粉で作るパン)などからも想像できる・・・・と。科学者の視点を入れれば、一発で解明しそうなのに、この世界はそれを拒んでいるような…

 ⇒速水御舟の全貌 ―日本画の破壊と創造― ②《翠苔緑芝》…ひび割れの謎 (2016/11/03)

(これ、技法が不明とされていながらも、山種美術館、館長の論文を見れば、その理由が紐解かれ解明されていました。なのに、テレビの取材ではわからないと伝えられているのはなぜなのか? その方がミステリアスで鑑賞者の興味を引くから?)

 

などなど、いろいろ思うことがあったのでした。

 

しかし美術と科学は、思考の土壌、学問の形態がそもそも違うということを理解しました。そのため、研究のアプローチも違うし、発表のスタイルも違うということだったのです。

それは『「医師アタマ」との付き合い方』(2010年)(尾藤誠司 著)で、医師の頭はモンドリアンの絵のような回路の思考をするけども、患者はモネのようなぼんやりとした曖昧な思考。だからお互い相容れないという主旨でした。

それに対して、ある医師の語ったこと。「医師の頭はモンドリアン回路でできており、患者のモネような曖昧模糊とした思考が理解できないと言ってるけども、そんなのは当たり前のこと。そもそも医学という学問が、モンドリアン的思考の学問体系なのだからら・・・・」 学問体系… がそのようにできているから、思考もそうならざる得ない。ということなのです。しかし、医師の仕事というのは、「モネのようなぼんやりとはっきりしない患者さんの思考に合わせて、わかりやすく解説すること」

この言葉で、人の基本思考の違いというものを理解できました。そして相手の思考の基盤を理解することの大切さ。患者が医師の思考を理解するのは難しい。でも、医師はそれをしなければならない。そして可能なら患者も医師がどういう思考をする人種であるのかを知るとお互いの理解につながる。 ということだったのでした。(⇒後述)

 

医師の思考として書かれていたこと。

ものごとの判断基準・最優先事項は、自然科学を遵守すること。自然科学の原理を最優先するので、患者さんの事情に配慮が欠けてしまうことがある。

これは、医師に限った思考ではなく「自然科学」を学んだ人の共通の特徴なのではないかと思いました。私の場合は特に、何を考える上でも、自然科学の法則に準じているか。逸脱していないか。それによって受け入れられるか、拒絶するかが決まっているように思います。そんな思考が長年、しみついてしまったのです。そんな頭で、美術の世界を理解しようとするから、おかしい、おかしいが連続してしまうのでした。

 

相手には相手の思考の土俵というものがあるということなのです。それは何を学んできたか。その学問体系によっても、思考のベースが違うというとが見えてきました。

さらに、昨年の国吉展(2016)を見ていて、こういうことだったんだ…と

 

これらの違和感を体験として想像ができました。国吉がアメリカという国に渡り、日本の思考のベースが全く違う国で過ごした苦悩。きっと私が美術の世界に対して感じていた違和感と似たような状況なのではないか。 

過ごしてきた生きてきた世界の思考の基盤が違うのだと思いました。それは国と国のアイデンティティーの違いにも匹敵するくらいに。(⇒※1)

 

美術の世界の人たちはなぜ、想像ばかりで語るんだろう・・・・ なぜ根拠を示さないのか。裏付けとりが甘い。理論的に語る人はいないのか…とずっと不思議に思っていました。 (技法の解明をしようとするなら、まずは物質の性質を理解することから始めるという発想はないのか・・・・とか)

しかし、国吉の絵を見ることは「意味の交換」というキーワードに気づかされました。それぞれの世界の思考基盤というものがあって、考えるというアプローチ、プロセスが違うということ。そんな意味の交換が、国吉によって私の中でおこっていました。(⇒国吉康雄展:⑥巡り巡って国吉に漂着?)

 最近は、美術史でも最初に内容の要約とキーワードをならべ、最後に結論を掲げる論文も増えてきました。

最初に感じていたこと。美術界も科学論文みたいに、想像を羅列して終わるのではなく、原因と結果、データと根拠、結論というステップを踏めばいいのに・・・・と(笑) 思っていたことが、今、そういう方向にもなっているみたいです。

その一方で、私は当初、思っていたことと違う受け止め方になっています。それぞれの世界の習慣、長きに渡り培ってきた世界があるのだから、それに立ち入る必要はないと思うように変わっていました。最近、いろいろなところでエビデンスということ論じられるようになり、美術界もそれを取り入れていこうという傾向なのかな? と思ったのですが。  

一方、科学者にこそ人文科学が必要と語った大原美術館の理事長。自然科学の世界から人文科学の美術界に足りないものがあると感じたのと同じように、美術の世界からも、科学分野の思考の未熟さを感じていらっしゃる言葉なのだろうなということが理解できます。 

しかし実績を残した優秀な科学者は人文学、哲学にも長けているという横顔が伝えられます。館長が紹介された赤須孝之氏。

饒舌館長: 赤須孝之『伊藤若冲製動植綵絵研究』4

きわめて科学的な図像分析でありながら、最後にそれが哲学や宗教、思想という人文科学の問題と相似形に結ばれているという指摘――僕的に言えば、両者はフラクタルであるという指摘に昇華している点なんです!!

両者はフラクタル・・・・ まさにそれを語ることができる人材が、科学の世界にもいらっしゃいます。最近、ミケランジェロについても、単なる解剖学的な考察ではなく、哲学的、人文科学的観点からも考察をされた篠原 治道氏の『解剖学者がみたミケランジェロ』を目にしました。科学の世界にも両刀遣いの方がいらして、科学的にも、哲学的にも納得させてくれる解説をされており、 おもしろさを感じていました。最近注目の落合陽一さんも、哲学的観点からメディアアートを語ることができる方だと聞きます。 

「Fairy Lights in Femtoseconds」落合陽一さんインタビュー:「アートはもうテクノロジーでしかなくなる」 | ギズモード・ジャパン 

【対談】堀江貴文×チームラボ代表・猪子寿之が語る「アートが変える未来」 / 【スタディサプリ進路】高校生に関するニュースを配信 | 【スタディサプリ進路】高校生に関するニュースを配信

⇒科学とアートの垣根を壊す21世紀の魔法使い【本の紹介003】『魔法の世紀』落合陽一 - のらりくらり、ブログ 

その他にも、科学の領域を踏まえつつ、哲学、人文科学もふまえたアプローチをする人たちが登場しています。人文科学の住人を説得できる力を持っている方がいらっしゃいます。ところが、美術の世界から、科学をふまえて語る人に、まだお目にかかっていません。(知らないだけなのかもしれませんが)美術の世界から科学を理解し、この世界を語るとどう見えるのかも興味があります。

 

ただ、なんだかんだと、いつも、その根拠は? と考えがちなのですが、自分が直感的に感じたこと。それと同じことを唱えている方がいらっしゃると、根拠なんてどうでもよくなって、そうだ、そうだと支持してしまうのです。河野先生がご自身のことを、ズルズル・スタイルのどこが悪いと開き直っているとおっしゃっています。しかし、何か疑問に思って調べていくと、最後に自分の感じたことが、河野先生の言説の中にあることが多いのです。その時、根拠に乏しいと感じないという矛盾はいかに?・(笑) 

 

猪子氏曰く、人は感情の生き物。感情を動かすことができれば、いろいろな意味で人を動かせる!

 

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※1 国吉展より ■多国籍国家、人種の坩堝の真の姿
人種の坩堝と言われるアメリカ。なんとなくそのことは知っています。しかし、それは、感覚的、イメージ的なとらえ方で、いろいろな人たちがいるんだな・・・ぐらいにしか思っていませんでした。

それによっておきている問題、過去に行われてきたこと。アイデンティティーの統一をはかりたくても、何がアイデンティティーなのかもわからないというお国柄・・・・それは、国吉の時代も今も、変わらずひきずっているということ。そんな国で、その国そのものが抱える問題を深くえぐり出してきた国吉。「くさい物には蓋」をしたい一方で「恐いもの見たさ」という人間の本質。

自由主義を掲げらながらも、その2面性が同居しているアメリカある時は国吉を排除し、またある時は国吉を受け入れる(国吉のテーマには、二面性という側面があると、才士さんが言われていました)

とはいいながらも、なんだかんだ言っても、参入者である国吉を表向きであったとしても評価して受け入れる土壌を持つアメリカ。そして、国吉自身も2面性を持ちながら、そのアメリカに順応させていく。人は、誰もがそうした二面性をかかえ、それに苦悩している。そんなことを描きたかったのかも・・・・・

私は少年の頃から、この国で仕事をし、生きてきた。
芸術の訓練と教育は、アメリカの学校国内で受けた。
ものの考え方、アプローチの仕方というのは、隣の仲間と同じようにアメリカのもの

       (『Do you know YASUO KUNIYOSHI?』) 
           すべては語らぬ画家の展覧会開催のための取材メモ より

 

この言葉から、思考の根幹を形勢するものについて考えていました。美術界に対して感じる疑問。「クニヨシブラウン」「クニヨシホワイト」なんて、調べてみたけど、そんな言葉定義されてないじゃない!(笑) ある研究者が勝手に言ってるだけで、認知されてるわけではないんじゃない? そういう思考は、個々の学び、教育によってもたらされるってことなんだな...…  私が感じるこの美術界への違和感。誰も理解してくれない・・・・ きっと、国吉も同じような気持ちだったんだろう(笑) でも、両者のもののとらえ方を理解していくことが大事。私も理解していこうと思う。(だから美術界もこっちの思考を理解して!)なんてことを、会場で受けたインタビューで語っていたなぁ・・・・

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