インターネットミュージアムにて「南方熊楠 100年早かった智の人」のエリアレポートが掲載されました。ご覧いただけましたら幸いです。
上記のレポートで紹介できなかった部分を、紹介します。南方熊楠のすごさに、改めて感じさせられました。
■和漢三才図絵
〇原本
まず、驚いたのは、《和漢三才図絵》がすべて漢字で書かれていたということ。中国の《三才図絵》を元に日本向けに訳したものと思っていたので、平仮名まじりで翻訳されたものだとばかり思っていました。明治初期、8歳の少年が、これらをすべて覚えて帰って書き写したことに改めて驚愕!
〇模写 拡大
▼原本(上記)を熊楠が模写をしたもの。模写部分を拡大撮影したものです
びっちりすべて漢字で描かれており、絵も記憶で描いたというから驚き‥‥ 8歳にして中国の書物を読みこなすことができたということでしょうか?
〇模写全体
▼原本から下記のように模写されていました。
原本に掲載された項目の順番も、忠実に覚えて帰って再現されていたのでしょうか? これらを見ているだけで、ひっくり返りそうになります。
■ 本草網目
〇原本
〇模写 拡大
上記の原本の右上の図。
原本の右下の図
〇本草網目 抜書
興味のあるものだけ、この一枚に、描いたとのこと。
■書くということに対するエネルギー
〇田辺時代の抜書
びっちり書かれた文字は、外にも書かれさらに
▼拡大
1行に2行、書いています。
〇日記
行動記録で、反省のようなものはなかったようです。自分を生物として捉えて、生態として行動観察をしていたのかなぁ…と思われます。
〇手紙
〇ノート
書くことによって覚えようとしたようです。文字がきれい‥‥
この文字、もしかして、カリグラフィーではないでしょうか?
記録媒体としての羊皮紙が高価であるため、文を残す際により多くの文字を紙に詰め込みつつ、より美しい表現を試みた結果、発明された。
貴重な紙に、いかにたくさんの文字を書くか・・・ そして美しく。 スティーブ・ジョブズもカリグラフィーに魅了されていました。
アメリカ時代のノート
■熊楠が学んだ本
■感想
これまで、いろいろな展示を見る中で、文字資料というのは、よくわからず、つまらない‥‥という意識があり、じっくり見ることはあまりしませんでした。南方熊楠が書き残した資料は、わからなくても、眺めているだけで厚い熱気のようなものがほとばしっていて当てられてしまいます。
参考映像を見ることができなくなってしまいましたが、熊楠が大英博物館に行って、人種差別も受けましたが、東洋へのあこがれも同時に持っていた当時のイギリス。しかし研究をしようにも、文献を見ても漢字ばかりでわかりません。そこに、語学に長けた熊楠の登場により、東洋の文化を英国に伝える大きな役割を果たしたとのこと。その際に、日本、中国という東洋の文化を伝えるにあたり、子供の頃から慣れ親しんでいた《和漢三才図絵》など中国の文化に触れていたことが生きていたのだそう。
■関連
国立科学博物館「南方熊楠 -100年早かった智の人-」 | インターネットミュージアム