■風景の科学展 芸術と科学の融合 すべてはつながっている
国立科学博物館で「風景の科学展 芸術と科学の融合」というユニークな展覧会が行われています。「どういうこと?」「芸術と科学が融合するの?」と感じたり「なるほど…」と思ったり、受け止め方もいろいろなはず。トークショーも開催され取材をしてきました。VOKKAにてレポートしております。
以下は、個人的に感じていたことや、展覧会の感想、これまで見てきた景色や、見聞きしてきたこと、科博の展示などもつなげた個人的な備忘録です。トークショーのお話を含めつつ、思いつくまま記録していきます。
- ■風景の科学展 プロローグ
- ■どんな展覧会? あれこれ想像を膨らませる
- ■「つなぐ」実践に触れる
- ■企画のディレクター 佐藤卓氏につて
- ■この展覧会の鑑賞法
- ■鑑賞してみて
- ■風景から読み解く教養とは?
- ■関連記事
- ■補足
■風景の科学展 プロローグ
〇芸術とは無縁の環境で過ごす
「風景の科学 展 芸術と科学の融合」このタイトルを見た瞬間、開催を楽しみにして待っていました。「芸術と科学の融合」・・・医療系の短大に入学し、芸術とは一切、無縁の学生時代を過ごしました。
卒業してからも、周りには芸術鑑賞を趣味にするような人は全くいません。「美術館に行ってきた」という話題が持ち上がることは、私の周りでは皆無という環境の中でずっと過ごしてきました。
芸術と科学に接点を見たのは、恥ずかしながらレオナルド・ダ・ヴィンチが、モナ・リザを描いた画家だけでなく、解剖も行っていたり、科学技術に関する発明のようなものもしていたことを知ってから。
そごう美術館 レオナルド・ダ・ヴィンチ展にて
今となっては、そんなことも知らずに人体のことを学んだと思っていたんだなぁ…と恥ずかしくなります。
その後、芸術の中に科学を見ることが、ちょこちょこあって、少しずつ美術、芸術の世界が、近づいて面白く感じるようになってきました。
〇手の届かない「芸術」が近づいてくる
学生時代から10年ぐらいは、科学と芸術は全く別世界のものでした。今なら、「芸術と科学の融合」と言われても、ピンときます。が、当初ははるかかなた雲の上の世界で、手が届くことはなど一生ありえないと思っていました。接点を持てる要素が全くありませんでした。
しかし、芸術の中に科学が見えてくると、興味が沸いてきます。その時に思ったのは、教育に問題があるのではないか。学問が細分化し、専門的になると、専門外のジャンルに触れる機会がないまま過ごしまいます。
〇社会構造が芸術と科学を分離させている?
今、振り返って、学生、社会人の頃に、芸術に接する機会が与えられていたら・・・・ 私の人生は、もっと違っていたかもしれないのに。
高校で理系、文系に分けられてしまうことが諸悪の根源だと思うようになりました。私が芸術に興味が持てなかったのは教育制度に一因があったとまで思っていました。自分の周りに芸術に感心のある人がいないことからも・・・
自ら求めて開拓するべきことは棚に置いて・・・・
(周りに芸術に関心を持った人はいないと思っていたのですが、短大の同級生が美術鑑賞が趣味だったことを私が美術に興味を持つようになってから知りました。他にも口にはしていないけど、興味のある人はいたのです。求めている人は、自分の手中に引き寄せていたのです。)
理系、文系と縦割にせず、総合学習的な方法で触れる機会を作ってもらえていたら・・・・ そんなことを思っていました。
国立科学博物館という自然科学の殿堂のような施設で、「芸術と科学の融合」と銘打った展覧会をすることに、大きな意味と期待を感じていました。
科博は、これまで密かに一石を投じる準備をしていたのだと理解しました。縦割りの世界に何か先鞭をつけてくれるのではという期待もありました。かつての自分がそうであったように、理系の学生時代にも、芸術に誘ってくれるしかけが欲しかったと思いました。
現に、この展覧会の前、第一弾として、2012年に『縄文人展 芸術と科学の融合』(2012)が開催されていることを知りました。縄文人骨の写真と実物をともに展示したようです。しかし、それは私の耳には届きませんでした。
研究者が捉える「対象物」への目と、芸術家がとらえる目の違い。芸術家の写真に研究者が何を見出していくのでしょうか?
■どんな展覧会? あれこれ想像を膨らませる
こちらが、展覧会のポスターです。これを見ながらどんな内容の展覧会なんだろうと想像していました。
〇芸術の写実と、技術による写実
私は、この景色、てっきり「絵画」だと思っていました。ターナーやコローのような色合いに見えます。あるいは、クールベの写実絵画のようでもあります。
絵画は、よりリアルに近づくための写実の技術を極め、写真と見まがうほどの描写力を手に入れました。一方で、科学技術は、写実を一瞬で画像にする機械、カメラを作りました。
現実に近づける技術を、科学が代用します。写真か絵画か・・・そのボーダーがなくなり近づいてきました。芸術の手法が科学技術にとって代わり、それぞれが融合していきます。(この時点で写真は、芸術ではなく技術ととらえていました。)
絵画は新しい技術カメラを使って新たな創作活動も始めました。表現方法は、筆触分割や点描などの手法も生まれます。これらは、網膜内で色を合成して視覚化し、身体機能の科学を使った表現です。科学技術や科学の知見などが、芸術の表現として取り込まれています。そして科学が生んだカメラも利用されました。
浮世絵からカメラへと媒体が変化し、写真に彩色するなど融合も見られます。写真と絵画のメリット、デメリットを補完するように融合していきます。
メインビジュアルの写真を、絵画と理解してしまったことから、「絵画」と「写真」の拮抗の中にみる「芸術」と「科学」の融合と捉えていました。
〇それぞれのメリット・デメリットを補完
絵画は、写真の登場で、写実のお株をとられてしまいます。一方、写真の欠点は、全てにピントを合わせることができないこと。そのウィークポイントを逆手に、絵画は、全面ピントを合わせて描くボタニカルアートの世界を充実させました。見せたいところにスポットを合わせるなど、絵画だからこそできるよさが生きました。植物の絵画は、写真ではできない描写を科学として利用され認知されています。
〇チラシから展覧会の概要を読み解く
このチラシの風景から、芸術と科学をいかに融合させ展示するのか、自分なりに考えていました。この絵の空は、どんよりした曇り空で、青くはありませんが、空気遠近法で描かれた青い空について、科学的な解説もあるのでは?とか・・・・
科学技術と絵画とを対比。写真の台頭により絵画は写実では負けてしまいます。しかし、それを乗り越えながら、絵画ならではの表現を獲得しました。芸術に科学が加わることによっておきるサーキュレーションのような展示になるのかな?と想像していました。
〇絵ではなく写真だった!
しかし絵だとばかり思っていたこの風景は「写真」だったことがわかりました。
チラシを手にしていましたが、裏面は見ていなかったため、作品が写真であることを理解していませんでした。
メインビジュアルの解説をされた方のツイートを見て、この風景が写真だったことを知りました。さらに昨品の解説を見て、研究者というのは、この写真から、そんなことまで読み取ってしまうのか… という驚きでいっぱいでした。
■「つなぐ」実践に触れる
〇チラシのデザインの意味を理解
実際に訪れて分かったこと。スコットランド、グレンゴーの写真。2万年前、ここには、この気候に適したステップパイソンが生きていいました。写真の前には、ステップパイソンの肩甲骨が展示されています。この地中には、その動物の骨が眠っているという意味であることが伝わってきます。
〇デザイナーとはつなぐ仕事
トークショーにおいて、佐藤氏より「デザイナーとはつなぐ仕事」であると語られました。今回の企画では、 芸術と科学をつなごうとされています。この「つなぐ」というキーワードによって、チラシの写真の間に引かれている線の意味を理解しました。
こちらが、展覧会のチラシです。風景と骨。チラシをただ見ていた時には、そこになんの脈絡も感じていませんでした。ところが、研究者の作品解説を見て、骨が四角で囲われ、風景とつながっていることに気づかされました。
この線は、遠近法の構図でも表すデザイン的なものかな?ぐらいに思っていましたが、解説を見たあと、チラシの受け止め方は変化します。骨を四角で囲ったのは、標本のガラスケースを意味しているのでは?それを風景写真と線で結ぶことによって、この土地の下に存在する骨を表現しているのだと理解しました。
佐藤氏がトークショーで「芸術と科学を融合させるために必要なのは、デザインの力」と語りました。その実践を、このチラシの中に見たように思いました。
〇グレンゴーと日本のつながり
しかし、解説は、そこで留まりません。このパイソンと同様の化石が日本でもみつかったと言います。そのことが何を意味するかというと、日本も昔は、グレンゴーと同じような気候で、同様の景色が広がっていたこと。そしてステップパイソンが、いかにして日本にやってきたのか。その移動に思いを馳せると、人も含めた生物たちの地球大移動のドラマもみえてくるのです。
科博にて 2017.01.26
〇土地の歴史とのつながり
さらにそれだけでなく、この土地に起こった歴史(グレンゴーの虐殺)。それにからむ生命の絶滅など、科学の範囲を超えた示唆を含む解説になっていたのです。
そんな風景写真と解説を、デザインでつなげたのが佐藤氏です。
■企画のディレクター 佐藤卓氏につて
〇著名なグラフィックデザイナー
「明治おいしい牛乳」や、「ロッテキシリトールガム」のパッケージデザインを手掛けたり、ISSEY MIYAKEブランドのグラフィックデザインも担当されています。他にも首都大学東京のシンボルマークや「ほぼ日」のロゴマークも作っていらっしゃり、デザイン業界ではその名の知れ渡ったグラフィックデザイナーです。佐藤氏を目当てに訪れる方も多そうです。
デザインと解剖展にて 2017.01.15撮影
〇「デザインの解剖展」のディレクター
個人的には、2016年に行われた 21_21 DESIGN SIGHT で行われた「デザインの解剖展」ディレクターとしての佐藤氏の仕事に強い興味をいだいていました。また最近、国立科学博物館のロゴを制作された方であることも知りました。
トークショーでも、デザインの解剖展について話題になっていました。
私が「デザインの解剖展」を見て感じたのは、それまでよくわからないと思っていた「デザインの世界は、科学と同じだった!」ということでした。科学と全く同じ手法を用いて、デザインの世界は成り立っていたことに、驚きを禁じえませんでした。(⇒1.デザインの解剖とは ●手法)
一方、佐藤氏は、科学者や研究者はデザイナーだと感じられていたそうです。デザインされたパッケージを解剖していくと、研究者は中身を守るために考えています。それはまさにデザイナーの仕事。しかし彼らはデザイナーとは呼ばれず研究者と言われます。同じことをしているのに分けられていることに疑問を持たれたそうです。
分けられているものをつなぐのがデザイナーの仕事。研究者とデザイナーの境界について投げかける展示だったそうです。
「研究者をデザイナー」と語る佐藤氏が手掛ける芸術と科学の融合とは、いかなる世界を見せてくれるのか、とても楽しみでした。
私には、デザインが科学であることを認識させてくれた佐藤氏。ムサビでデザインを学ぶ学生のカリキュラムとして、2001年から「デザインの解剖」の手法を授業として続けているというお話もトークショーの中で紹介されました。
デザインの解剖展を見た時に、このような指導者と巡り合えた学生さんたちは非常に恵まれていると感じ、羨望の念を抱いていたことを、思い出されました。(⇒5.デザイン教育としての「デザイン解剖」)そのような方が関わる「風景と科学展」面白くないわけがありません。
「デザインの解剖展」の感想がこちら・・・・
〇いかにしてこの展示を作りあげたのか
この展覧会が開催される経緯や、どのような手法で、作り上げられたのか、非常に興味がありました。 たとえば・・・・
〇なぜ、絵画ではなく写真だったのか。
〇数多くの写真家の中から、上田氏を選んだのはなぜか?
〇展覧会に取り上げる作品は、どのように選んだのか。
〇選ぶ作品の基準は?
〇最終的に展覧会テーマの落としどころに沿うよう選択されたのか?
〇作品の解説者はどうやって選んだのか?
〇どの作品を誰にするかは、どう決めたのか?
〇解説内容の方向性は、誘導があったのか?
このプロセスや手法いかんによっては、ディレクターの意向が強く反映されてアウトプットされてしまうことが考えられます。
そのあたりが、ずっと気になっていたのですが、きっと、トークショーで語られるだろうと期待をしていました。
そして、研究者のコメントを見て感じていたことは・・・・
〇芸術作品を見た時に、自然科学の研究者は、誰もがこのような解釈をするのか。
〇研究者は、専門外の作品を見ても、解説を加えることができるのか?
〇芸術作品をいつも、自然科学とからめて見ているのか?
研究者もいろいろなタイプがいて、専門に特化した方もいらっしゃいます。一方、ジャンル問わず、芸術や音楽、文学などにも長けている方も。
ノーベル生理学・医学賞を受賞された大村智教授は、私設美術館を持つほど、芸術に造詣があります。優れた研究者は、専門に留まらず、芸術など多岐に渡る幅広い知識を蓄えていると聞きます。
科博の研究者ともなると、大村先生や、レオナルド・ダ・ヴィンチ、南方熊楠と言わないまでも、たしなみとして芸術的な素養も持たれていて、研究に携わっていらっしゃるということなのでしょうか・・・・
そのあたりの疑問も含め、VOKKAで紹介しています。(⇒国立科学博物館「風景の科学」展 芸術と科学の融合を考える | VOKKA [ヴォッカ])
■この展覧会の鑑賞法
今回の展示について、おすすめの鑑賞方法が、冒頭のパネルで紹介されていました。私は自分の見たいように見たのですが、いつもと違う見方をしていました。
〇いつもの鑑賞法
日ごろの作品鑑賞スタイルは、何も予備知識を入れずに、作品から何が読み取れるか、何を感じたかを受け止めるようにしています。そのあと解説を見て、自分の理解を阻んでいた原因は、どんな知識が足りなかったからなのか。何を知れば、作品への理解につながるのか、自分が何を知らなかったのかを明確にすること。「無知の知」を意識的にあぶりだすよう心がけていました。
〇おすすめ鑑賞法
今回、佐藤氏が冒頭の挨拶でおすすめされている鑑賞法は、最初は、作品としてゆっくり鑑賞。次に研究者の解説を読みながら、写真や対象物を観察。最後にもう一度、写真を観る。という鑑賞法でした。
〇今回の鑑賞法は?
気づくといつもの鑑賞法とは違う方法で見ていました。
最初に掲げられた東尋坊の巨大な写真の解説を見て、ここからそんなことを読み解いてしまうのか。じゃあ、私だったら、作品からどんな自然科学を読み解けるか、自分に課題を与えるようにして、作品を見ていきました。
まず作品を見て、何を感じるかではなく、自分なら、ここにどんな自然科学の現象に着目するかを考えました。そのあと、解説を見て、研究者の目の付け所はそこなのかぁ‥‥ さらに、その部分を深めていたり、横に広げていたり・・・・ そんな解説を見て、じゃあ、他にないかと、もう一度、別の視点を加えて見ることを試みました。
〇「無知の知」のさらなる深淵さを知る
どう逆立ちしても、自然科学の現象を見出すことができない写真が何枚もあり、お手上げ状態になりました。一方、自分なりに読み解けたと思った写真も、研究者の解説と照らしてみると、内容の浅さにがっかりさせられます。この写真から、そこを拾うのかぁ‥‥とか、拾いあげたものを、そっちの方向へ展開させるのかぁ‥‥と。
一般の人よりは、少しばかり自然科学の知識は持っていると思っていましたが、その広さ、深さを改めて目の当たりにしました。「無知の知」という概念は理解していたつもりです。しかしそれは、まだまだ上辺だけにすぎませんでした。この世界の「無知」は、果てしなく膨らみ続けているように感じられました。
トークショーでも、国立科学博物館副館長の篠田氏が「科学でわからないことはたくさんあって、博物館はそのことを隠しています。わかっていることだけを提示して、わかったように見せている」とユーモアを交えて話されました。
竹村氏も「科学の本質は、未知の既知化と思われていますが、実は既知の未知化である」という言葉を紹介。知っていると思っていることが、「まだまだわからない」とわかることが科学の本質と語り、水や稲をとりあげたこれまでの取り組みを紹介されました。
〇研究者の芸術の鑑賞法は?
研究者というのは、芸術作品を見る時にも、このように見ているのでしょうか?日頃、芸術作品をどのように鑑賞をされるのかについても、興味が沸いていました。
今回は、企画の実験的な試みの中で行われましたが、通常、絵や写真などの作品を見る時も、その背景の自然科学を見ているのでしょうか?
撮影場所がどこかという情報も含め、一切情報を入れずに鑑賞しました。場所がわからないと、読み解くことができない写真ばかりでした。研究者はこれらの写真を見ただけで、場所まで特定できてしまうものなのでしょうか・・・・ (⇒*1)
■鑑賞してみて
〇好みの写真の傾向が見える
最初に、ざっと見て、目にとまった写真に足をとめ、そこから読み解ける自然科学の現象を拾い上げていったのですが、足が止まる写真とそうでない写真があります。下記は好きな写真です。
チラシより
当初は、その違いがわからなかったのですが、次第に共通点がみえてきました。それは、森林、山、地形、大地、植物、海・・・の写真に目が留まるのでした。
一方、スルーしてしまうのは、人間や動物が映った写真。これは、初めて日本画の院展を見た時にも感じたことです。人物が描かれた作品は、よくわからず興味を抱けませんでした。それと同様、写真でも人物の作品からは、自然科学を読み解くことができません。
また、科博の展覧会でも、これまで動物のはく製がずらり並べられた光景を目にすると、拒否反応がありました。
海の写真には目がとまるのに、海の中のサンゴを撮影した写真はスルーしてました。トークショーで、サンゴ礁の砂を見て、ブダイのウンコと解説した研究者の発想に驚いたと篠田氏がおっしゃっているのを聞いて知りました。
チラシより
生命、連鎖、循環という言葉は、私にとってはツボワードです。しかし、ツボワードを目にする前に、海のサンゴ礁や魚の写真には、心が動いていません。そのため、その解説を目にすることができなかったのです。
〇好みの解説の傾向も見える
解説にも、好みが明確に現れました。植物が写っている山や森林の写真。その場所の植生や生態系に触れた解説に目が留まります。あるいは、大地の形成、地球の活動などにも興味を示します。
先日も、飛行機から富士山が見えた時、地球内部のエネルギーが噴出する光景が浮かびました。かさ雲を見て、そういえば、かさ雲ってどうしてできるんだっけ?これまで調べることなく来てしまったなぁと思い、調べてみました。(左)
(右)緑の中を蛇行するまだら模様。ある地域から先になると集中して登場します。何かと思えばゴルフ場でした。上空から不自然に見える景色は、ゴルフ場開発によって地球に刻み込まれたあとだったのでした。
自然との共生、循環につながる解説に目が留まります。また、人類の進化やあゆみなどにも興味が沸くことがわかりました。
〇「東尋坊」という「名称」に着目しつないで見る
解剖について考えていた時に、自分なりに理解したのは、その行為は、目の前にあるものに名前をつけ命名すること。それは「範囲を決め区切る」こと、つまりは「分けること」そして「定義づける」こと。というように理解し、このアプローチは、解剖だけでなく知に対しても同じだという考えに至っていました(⇒2.「解き剖く」のは人体だけではない)
篠田氏も、博物館での研究は、先人の集めたもの、そして自分たちが集めてきたものに対して分類し名前をつけて整理をしていると語られました。そして「私たちの認知は、持っている知識から再構成している。科学は要素を抽出して分析する」ことだと。
今回の作品は、一見ばらばらな世界中の写真のように見えます。しかしそこから共通性をみつけ抽出してみようと思いました。その時、名前が付けられていることが重要な意味を持ちます。
着目したのは「東尋坊」という地名でした。ここは小学校の5年の時に、行ったことがある既知の場所です。そして夏休みの自由研究で取り上げた場所でもありました。
最初、どこの海なのか、わかりませんが激しく打ち寄せる波は日本海かな?
チラシより
波はこの岩にだけ、大きな波しぶきがあがっています。いろいろに飛沫が上がった中の一枚なのでしょうか。それとも、毎回、この岩にだけ、大きく波しぶきがあがるのでしょうか?だとしたら、それはなぜ?打ち寄せる波の方向と、岩の角度に、この飛沫をおこす秘密があるのかもしれない。この一瞬は、偶然性の一瞬なのか、何度か繰り返される中の一瞬なのか・・・・
ちらりと解説が目に入りました。東尋坊、柱状節理!
ここ、行ったことがある!でもその時に見た景色とはちょっと違います。こんなところ見てません。印象に残っているのは、いわゆるドラマなどで見る断崖絶壁の東尋坊。〇〇の名所でも有名な東尋坊です。
wikiphedhiaより
自由研究は、雄島に渡ったことを中心にまとめた旅行記のようなものでした。この付近の岩が柱状節理という名前だということ。この場所、この岩の知識は、それでストップしていました。その後もこの言葉には触れた記憶はありますが、柱状節理=東尋坊で 知識はそれ以上に深まることはありませんでした。(参考:柱状節理面数分布の統計的解析)
しかし、この頃だったと思います。波はなぜ白いのか?特に海岸線あたりに白い波が集中しています。ということは、寄せる波と、引く波がぶつかるから白くなるのではないか…と想像していました。今回も、岩にぶつかると砕けて白く見える波しぶき。これはどうして白いのか?と考えていました。
インターネットも調べ方もわかっていない時代。白い波の疑問はそのままになっていました。一枚の写真が、子供の頃に見て感じたこと、考えていたことを思い起こさせました。そしてその時から、自分の知識は何も変わっていないことも・・・
解説には、溶岩が冷えて固まる時、120度の亀裂が入るため、上から見ると六角形に見えると書かれていました。そんな話、初めて聞きました。確かに、岩は六角形だったなぁ‥‥
wikiphedhiaより
私は、あの亀裂は、波の浸食によって入ったものだとばかり思っていました。では、何で120度に亀裂が入るのでしょうか?溶岩の組成、組織がそういう方向に走っているから?この溶岩の特徴? と考えていたら、冷えて固まる時の収縮による割れ目とのことでした。
収縮の比率がこの形を形成するということでしょうか?柱状節理が120度である話はあまりみつからなかったのですが、その理由らしきことが語られています。
⇒自然界の不思議!六角形の謎に迫る!!・
庭師の方の自然観察から、自分の仕事と重ね、柱状節理が六角形の理由を導き出しています
⇒日本に好奇心!ついでに登山。この国の歴史・文化・自然をもっと知りたい! 東尋坊(福井):断崖絶壁の奇観
東尋坊に書かれている解説と、独自考察
柱状節理が120度、六角形。それ一つを知っただけでも、自然界に共通する自然の造形があることへとつながっていきます。ハチの巣のハニカム構造は構造的に強いと聞きます。柱状節理も同じような六角形の連なりです。こうした形が持っている特徴と秘めた力?
自然の造形は無駄がなく美しい。それでいて理にかなった機能を持ち合わせている。こんなところに、美と科学の融合が見えてきました。
入口を入って最初に見た夜の「東尋坊」の写真が、この砕ける波と重なりました。中央のぼんやりしたものは、夜に光る生物、夜光虫かな? 富山湾のホタルイカも思い浮びました。日本海のあのあたりは、光を発する生物が生息する地域なのでしょうか?
(そういえば、深海展で発光生物、取り上げていました。
⇒みどころ:特別展「深海2017~最深研究でせまる”生命”と”地球”~」-国立科学博物館-
発光物質って?暗室で蛍光発色する生物見た記憶があります。発光物質はルシフェリンのようですが、蛍光生物は、緑色蛍光タンパクらしい。)
あれこれ想像して、解説に目を通してみると、全く違う内容でした。
そこには、海の動物プランクトンと植物プランクトンの生態について語られ昼夜で入れ替わる動きが紹介されていました。それはエサの関係なども解説され、なるほどの生命の共存のしくみを感じることができました。
「東尋坊」という名前を通して「既知の未知化」がおきています。
そこで、「東尋坊」という名前を頼りに、関連することを拾い上げてみようと思いました。トークショーに参加して、これまで分離していた写真がつながり始めました。もう一度、全体を通して見てわかったこと。
それは、ここに展示された世界中の写真は、なんらかの形でつながり合っているということが見えてきました。
それは地球の大地の創造にまでさかのぼります。その大地の変動を利用して、人や動物が移動して、世界に広がりました。
これがわかると、あまり興味を持てなかった人物や動物の写真にも、興味が沸いてきました。
〇苦手な人物写真から見えること
この写真を見て、うなってしまいました。ここからどんな自然科学を読み解けるでしょうか?
聖なる川、ガンジス。この川には人の亡骸や排泄物が流されます。そこで人は水を飲み、沐浴をします。全てを浄化してしまう機能がこの川にはあるということでしょうか?それは、この地に特有な、特殊細菌群が存在しているとか?
また、このような環境でも生活していける人々。その免疫力の強さ。伝承される文化が作り出す環境への適応力と、耐性を獲得してしまう人の身体機能には驚きます。
また、インドのガンジス川流域の信仰や死生観。信仰は科学の領域になりえるのでしょうか?生と死が同列に存在。清濁を合わせ飲む川。このような文化や習慣は科学ととらえることができるのでしょうか?
信じるものは救われる。プラシーボを科学ととらえて研究すれば、科学になりえる。それを利用したら世の中に役立つとずっと思っていました。しかし、プラシーボを実証するための「対称」がありません。検証のプロセスを経ないので、科学とはなりえないと聞きました。科学であるか、科学でないは何によって決まるのでしょうか・・・・
この写真の中に、どんな科学があるのでしょう。いろいろ考えてみたのですが、さっぱりわかりません。研究者はこの写真から、どんな科学を引き出すのでしょうか?
解説を見て、人へ向ける眼差しが全く違うことに愕然としました。人の起源、進化、ひろがり・・・・ そうしたことをベースに、この写真に存在している多様な人々について読み解かれていました。
日本という国にいると多民族で成り立つ国家ということを想像しにくくなるのを実感させられます。人類はどのように広がり、そして今に至ったのか。
〇科博の展示とからめて写真を見る
人類の移動については、会場のデジタル地球儀でも見ることができますが、科博内にも展示があります。地球館B2で見ることができるので、ぜひ、連動して見ることをお勧めします。これまで撮影した写真の中から関連するものをピックアップしてみます。
地球館B2 2017.02.17 ラスコー展関連で撮影
こちらは、ラスコー展で撮影した人類の拡散ルート。人類が歩いた道は、地球の大地が氷に覆われ繋がっていたり、海流や気候によって広がっていきました。
ラスコー展にて撮影 2017.01.26
人類の起源は南アフリカからはじまりました。
地球館B2 2017.2.17 ラスコー展関連で撮影
アフリカの大地をゆりかごにして進化、アフリカを出てユーラシアへ出ていきます
地球館B2 2017.2.17 ラスコー展関連で撮影
アフリカからスタートし、日本にたどり着いたルート。
これらの内容は科博内でも、視覚的に確認ができます。ホモサピエンス アフリカから日本への動き
日本館2F 2017.02.17 ラスコー展関連で 撮影
また、360シアターの「人類の旅-ホモ・サピエンス(新人)の拡散と創造の歩み」を見ると、理解は早いです。
私たちの祖先がアフリカからいかにして広がったかを、360度の球体シアターで立体的に理解することができます。今年の3月にリニューアルされました。ひさしぶりに見た時の上映がこちらでした(9月)
360シアターを見たあと、インドのガンジス川の写真を改めてみると、より一層、理解が深まりました。次のこのテーマの上映は、11月なので機会があればおすすめです。
人類の拡散について、ラスコー展の時に興味を持って見ていました。
(⇒■ラスコー展:⑦ラスコーのクロマニョン人の位置づけを地球館で調べてみた)
人物写真を見ても、何も科学を思い浮かべることができないと思ってしまいましたが、「人」を見る時、人類、進化、拡散という視点があるということがわかると、人物写真への見方が変わりました。
多分、人物には興味が持てないのですが、人体構造には興味があります。また人物も、発生、進化、共生、循環になると興味が沸いてくることもわかりました。人を見た時に、人類のルーツから見るというのは、目からウロコでした。
これまで、自分が「何に心が動かされ、何に対しては反応しないのか」ということにも、意識的にとらえるようにしてきました。人にまつわる作品には、関心を示さないというのはわかってきましたが、人のどの部分を見るかによって、関心の違いがあったというのは、新たな発見でした。
360シアターの10月は、「マントルと地球の変動 ―驚異の地球内部―」です。
地球がマントルの活動によって、いかに大陸ができたかを、地球内部から体験ができます。「風景の科学展」でも大地にかかわる写真も多いので、写真がよりダイナミックな地球の活動とともに理解できるのではないでしょうか?
〇科博でコラボする意味
今回、「芸術と科学の融合」というテーマを科博で行った最大の意味が、こういうところにあったのだと感じられました。写真と標本が展示されています。そして自然科学の解説がされました。
さらに、同じ建物、敷地内には、解説された自然科学をより深く広げてくれる展示があります。写真に映し出された風景が、その周辺の関連性も引き連れて迫ってきます。
この展覧会だけを見て終わらせてしまうのは、もったいないです。写真と解説を見てあとにするのではなく、科博の館内も巡回して、解説に関連した展示とつなげて見る。
すると、写真展の写真は、科博の展示とも、全てがどこかでつながりあっていることが、ぼんやりと見えてくるのではないでしょうか?
興味を持ったこと、疑問を感じたこと、気になったこと、なんでもいいので、1つだけ取り上げて、関連する科博の展示を見て帰ることを、おすすめしたいと思います。
■風景から読み解く教養とは?
〇田んぼの風景を見て何を読み解く?
竹村氏と篠崎氏が日本の水、田んぼについて語ります。
「田んぼ」の風景を見て何を読み解けるでしょうか?
田んぼは米を作る工場の役割だけではありません。水害を防ぎ、水を貯え、生命を育む環境を作りました。
日本は水が豊かな国だと多くの人は思っています。しかしそれは半分嘘だと言います。降る雨は多いのですが、使える水が少ないのです。日本の地形は山が多く急峻なため水が一気に流れ去ってしまいます。そのため、ミネラルを吸収ができず軟水になります。出汁は軟水の日本だからこそ。ヨーロッパは石灰岩が多いため、出汁がとれません。ヨーロッパは昔は海だったためミネラルがたくさん堆積しているから硬水になります。
一方、急流の日本は、洪水などの災害が多く、生物の卵も流され動物が繁殖しにくい環境でした。それを改善するために水田を作り、ファストな水からスローな水に、人が手を加えて豊かな自然を作ってきました。
日本の自然は与えられたものではなく、手を加えて維持してきた結果、自然の恵みや生物の多様性がもたらされています。つまり、今後も手を加え続けないと守ることができないという目も養っていく必要があります。
そういうことを読み取れることが教養だと竹村氏は語られました。風景から科学の知識を読み解き、考えるための素材をたくさん蓄えておくこと。それによって、将来のためには何を選択し、何をしなければならないのかを考える。物を知るということは、将来に向けて、考えるための素材を蓄えておくこと。それらの素材をとおして、再構成し地球に関する認識を変えていくこと。
佐藤氏から「人工」の「工」は天と地をつなげているとコメントがありました。
〇人類の進化、移動から科博の展示で読み解けたこと
人物写真は苦手と思っていましたが、そこには、人類の起源、移動という科学が見えてきました。それに関連する展示がB2にあります。過去に撮影した写真から関連写真がみつかりました。
展示場所詳細 (*2)
「人種とは何か」と問いかけられています。 そして「民族とは?」と・・・・
地球館B2 2017.02.17 ラスコー展関連で撮影
民族とは、人類集団にみられる、文化的な地域変異集団。それを決定するのは、通例、本人の個々の集団への帰属意識であると。
そして、人種の分類について次のように語られています。
個人でも、集団でも、身体的、文化的な特徴に違いがあっても、偏った価値観で差別をしてはいけない。
地球館B2 2017.02.17 ラスコー展関連で撮影(2919。10.14再撮)
地球館B2 2017.02.17 ラスコー展関連で撮影 ・・・
民族とは、本人の集団への帰属意識・・・・ 他人が決めるものではなく、自分自身が決めるものである。
人物を見て、その裏にあるさまざまな問題も含めた部分まで、感じとれることが、風景を見て読み解く科学であり、教養なのだと思いました。宗教は科学となりうるのか?と考えていました。
死生観と自然との共生が成り立ってきたインド。しかし急激な人口増加や発展が、川の汚染を促進し、大きな問題になっていたことを、この写真とそれに加えられた解説を通して新たに知りました。
科学の先には、哲学が存在することを感じさせられます。
国立科学博物館という場所が提示してくれる自然科学の知識は、哲学的な世界に誘ってくれるナビゲーションの役割も備わっていました。
自身が多様性を学んだと感じたのは、植物を通してでした。そのあと芸術から「人によって物事の捉え方が違う」という当たり前のことではありますが、宗教や民族ということも含め、多様性を学びました。そしてまた、人類の成り立ちの科学から多様性の意味に、厚みが加わりました。
人種に関する科博のパネルは、きっと、思うところあったのだと思います。そのため撮影して、その時は、なにかが分かった気にになっていたのかもしれません。しかしそのまま忘れられストックされた状態で埋もれていました。
今回行われた「風景の写真展」の人物写真を見て、科学の背景が読み解けない。そんなジレンマがあったのですが、これまで科博で見てきたことを思いだしながら、手繰り寄せていくと、思いかけず埋もれていた写真が引き上げられ、つながりを持ちました。
世の中のことは、すべてどこかでつながり合っている。展覧会の写真、そして科博とのつながり、さらに自分自身とのつながりもみつけてみてはいかがでしょうか?
この展覧会をご覧になった方のレポートや紹介記事を下記にまとめました。展覧会のどこに着目するのか、どの写真を取り上げるのか。また、同じトークショーに参加された方がnoteに記事を書かれていました。
登壇者のどんなことばを拾い上げるのかなど、研究者の解説と同じように人それぞれで、多様性が見られます。「芸術と科学の融合」芸術側の人から見たら、科学側の人が見たら・・・・ それぞれに面白そうです。
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〇写真家・上田義彦の作品から「多様性」を学んだ | マイナビニュース
■補足
*1:■研究者の芸術鑑賞について
この作品解説がどのように行われたかについては、VOKKAで紹介しておりますが、研究者は、芸術作品を見るときにも、自分の専門分野に関連づけてみているのでしょうか?専門分野なら、すらすらとあれだけのコメントが出てきてしまうのだと思っていました。
ところが最初は、なかなか出てこなかったそうで、半強制的に5枚書くようにというやりとりもあったそうです。すると「この写真は何が言いたいんですか?」という質問がでてきたと言います。芸術家が自分の感性で撮影した写真のため、研究者はどこに焦点があるのかわからなかったという裏話が紹介されました。
無理やり書かされた研究者もいたというお話もあり、だれもがすらすらコメントが出てくるわけではないこと。また芸術作品を見る時も、必ずしも自然科学の視点で見ているわけではないことがわかりました。
結果として様々なクリエーションが寄せられ、個性あふれるユニークな解説となりました。竹村氏は「創造的な誤読」と称されていました。
解説について、企画の想定されたゴールや落としどころに向かって収束させるような誘導などは行われていませんでした。ランダムに寄せられたものをまとめたところ、自然科学の研究者によって寄せられた解説ということもあって、結果として、多くが、風景の背後にある時間の流れを意識したものが多くなったこと。そして重層的な意味が加えられたったようです。
地球の創造によって今の風景が成り立っている。ということを考えると、今みている風景は地球の歴史そのものということが、共通していたようです。
私も、自分で写真の裏にある自然科学を考えながら見た時、大地の成り立ちという部分に着目する写真が多かったです。
*2:⇒■B2地球環境の変動と生物の進化
科博B2 地球環境の変動と生物の進化 (2019.10.14)
展示の一番奥の壁面です。
(2019.10.14)
このパネルの中に・・・