国立新美術館で開催されているジャコメッティ―展は、6月14日から始まり、1か月半が過ぎました。ちょうど折り返し地点といったことろでしょうか。(開期は9月4日までです)7月19日からは、12点の展示替えが行われ、後期展示が始まっています。
- ■ジャコメッティ― 作品について
- ■展示替えがされています
- ■夏休みフェア開催
- ■販売グッズ
- ■展覧会開催概要
- ■予習・復習のための情報
- 【追記】2017.08.04 お勉強する前の印象
- 【付記】
- 【追記】2017.08.05 ジャコメッティ―のそぎ落とした本質は「軸」?
- ■関連
■ジャコメッティ― 作品について
細い針金のようなフォルムの彫刻は一度見たら目に焼き付きついて忘れられません。そんな彫刻家ジャコメッティはスイスに生まれ、フランスで活躍しました。
生没年は1901-1966年。 キュビズムに傾倒したあと、シュルレアリスム運動に参加。さらにモデルと向き合ううちに、あの細い独特のスタイルに至りました。あの針金のような状態は、虚飾を取り去った「人の本質」に迫ったと言われています。
20世紀を代表するアーティスト、彫刻だけでなく、油彩、素描、版画など、厳選された作品が132点をこれまで展示されてきました。(参考:展覧会概要より)
■展示替えがされています
7月19日からは、12点が入れ替わり、さらにパワーアップして、後期展示が始まっています。会期は9月4日(月)です。
■夏休みフェア開催
また夏休みに入ってからは、フェアが開催されいます。 7月21日(金)から、ジャコメッティ展の図録(2800円 税込)を含むグッズ3,
■販売グッズ
グッズについてはこちらにありますが、3000円(税込)を満たすには、下記のグッズズがあります。(価格の低い順)
・缶バッジ・・・・・・・・・ 250円
・PPブックマーカー・・・・ 280円
・A4クリアファイル・・・・ 400円
・缶マグネット・・・・・・・ 450円
(以上、すべて税込み価格)
■展覧会開催概要
展覧会名:「ジャコメッティ展」
会場:国立新美術館 企画展示室1E(東京・六本木) http://www.nact.jp/
会期:2017年6月14日(水)~9月4日(月)
公式サイト:ジャコメッティ展|企画展|展示会|国立新美術館 THE NATIONAL ART CENTER, TOKYO
■予習・復習のための情報
〇【ジャコメッティ展】アルベルト・ジャコメッティの作品意図やその人生 ~細長くて不思議な作品を生む、20世紀を代表する情熱の彫刻家~
〇【感想】ジャコメッティ展:異常な細さはクセになる?!充実の大回顧展を見逃すな! - あいむあらいぶ
〇ジャコメッティ展|視覚と精神に見えるもの - Art Inspirations
【追記】2017.08.04 お勉強する前の印象
何にも予備知識のない状態でジャコメッティ―の針金のような彫刻を見た印象を、作品を見る前に忘れないうちに記録しておこうと思います。これを見た瞬間に思い浮かんだのは、ブランクーシの《空間の鳥》でした。 ブランクーシを知ったのは、2005年、現代美術館で行われたイサム・ノグチ展を見た時です。
この時、イサムノグチが傾倒したということで同時に展示されていたのがブランクーシのいくつかの作品を見ていました。確か、この展示で《空間の鳥》を見た記憶があるのですが・・・ なんじゃこれは? と思いながら見ていたのですが、調べていくと、それらは、そぎ落としてそぎ落として、そぎ落としたその先に残ったものを形にしているということがわかりました。その結果、その形態は、そのものの本質を表現しているのだと・・・・・
横浜美術館にて撮影 《空間の鳥》
ブランクーシにとって、鳥というものは、こういう型をしたものだったのね。これを持ってブランクーシは、鳥の本質としてここに表現し、作品としたのだと、わからないなりに理解したのでした。そして、芸術とは、そぎ落とした結果として生み出されるものという一つの概念を知ったのでした。
あれから12年の時を経て目にした、ジャコメッティ―のポスター。なんじゃこりゃ? と思ったものの、このフォルムを見た瞬間、すぐにブランクーシが思い浮かびました。そしてこの作品も、そぎ落とされた結果として生み出されている。ここにあらわされた姿が、ジャコメッティーにとっての人の本質なんじゃないかな? と思ったのでした。
チェースマンハッタン銀行の広場のための3点より。ジャコメッティは影も計算して制作していたのだろうか。マーグ財団美術館では外の中庭で展示されるので、朝陽も夕陽も、雨も風も受け、色彩は剥げ落ちた。#ジャコメッティ展 #歩く男 pic.twitter.com/FhBEWpDAzr
— ジャコメッティ展公式 (@giacometti2017) 2017年7月11日
そして、時同じくしてミケランジェロの彫刻を三菱一号館美術館で見ていました。ミケランジェロも解剖を試みながら、自分なりの解釈をし、そぎ落とした結果として、肉体を表現していました。それは次のような言葉で語っています。
余分なものを取り除くことによって荒々しく硬い石から生命ある像が得られ、石が減るに従って像が大きくなるように・・・ ミケランジェロ
作品を見ながら感じたことは、ブランクーシ、ジャコメッティ―、ミケランジェロ。同じそぎ落とした結果としての作品なのですが、その表現が全く違うということでした。そしてそのアウトプットされた結果に対して、見る側には、「好み」というフィルターがかかり、好き、嫌いが分かれてしまうということでした。
個人的な好みでいうと、ブランクーシやジャコメッティ―のようなそぎ落とした結果の方が好きです。ミケランジェロは、余分なものをそぎ落としたっていってるけど、私には、その結果として生み出されたものは、ステロイドを使ってあり得ない筋肉をつけてる不自然なボディービルダーの肉体を見せられている気分なのです。自然科学をうたいながら、(うたっていなければOKなのですが)自然科学の法則に準じていないという矛盾は、作品を受け入れられない最大の原因になってしまいます。見ていて息苦しさを感じてしまったのでした。(植物園の植栽で、ディスプレーを目的とした植生を無視した植え込み。ディスプレー目的であることは十分、理解しているのだけども、その前に行くと落ち着かなくなると語っていた植物管理者の気分と同じ)ミケランジェロにとっての理想の美であることは理解するのですが、本来の筋肉構造を知ってしまうと、あの筋肉を受け入れることができず、そぎ落とされた結果ではなく、付け加えられたものと思ってしまうのでした。
彫刻は、まだ鑑賞経験がないから、理解できないんだ・・・ まだ、これから・・・・と思っていたのですが、2005年にイサムノグチの追っかけをしていたことを、ジャコメッティーが思い出させてくれました。そこでイサムノグチつながりで知ったブランクーシでしたが、時を経て、ここでジャコメッティ―とつながるというのは面白いと思いました。
ジャコメッティ―展の展示概要にあった言葉
ジャコメッティは、見ることと造ることのあいだの葛藤の先に、虚飾を取り去った人間の本質に迫ろうとしたのです。
彫刻はまだ、よくわからない・・・ と思っていたのですが、本質的なところを、一瞬で読み取れていたじゃない! と自画自賛(笑)
実際に作品を見たらどう感じるのか楽しみ・・・・
ところで「本質」って何だ? っていうのも一つの命題。何を持って「本質」というのか。「本質」を理解する 「本質」に迫る って、言うのはたやすい。でも、これを書いた人に、ジャコメッティ―が人間に迫った本質って具体的にはなんだったんですか? って聞いたら、きっとちゃんと答えられないのではないかと私は思うのでした(笑) それぞれ人によって違う・・・・ ジャコメッティ―がとらえる本質。私が感じる「本質」はいかに? そもそも、本質とは何かなんて、ちゃんとわかっている人なんているのだろうか。そして「命題」って言葉もいろいろとらえ方があるみたいでした。(⇒命題 - Wikipedia)
【付記】
そういえば、レオナルド ミケランジェロ展で《レダと白鳥》という作品があって、「レダ」ってなんだっけ? たしか、ブランクーシも《レダ》って作品あったよな・・・と思いながらそのまま放置状態だったのでついでに調べてみました。
出典:ポンピドゥおまけ。 | Deux Etoiles Filantes
出典:レオナルドxミケランジェロ展【Lets】レッツエンジョイ東京
◆レダとは
ギリシア神話に登場する女性。アイトリア地方の王テスティオスの娘で、ヘレネの母。スパルタ王ティンダレオスは、祖国を追われてテスティオスのもとに身を寄せるが、そこで戦功をたててレダを妻にもらい受け、帰国する。しかし、白鳥に変身したゼウスが彼女に通じたその同じ夜に彼も交わったため、彼女は神の血を引くポリデウケスとヘレネ、人間の血を引くカストルとクリタイムネストラを生んだ。異伝では、鵞鳥(がちょう)に変じたネメシスと白鳥姿のゼウスの間に生まれた卵をレダが預り、そこから孵化(ふか)したヘレネを自分の娘にしたともいう。さらに、白鳥(ゼウス)の愛を受けたレダ自身が卵を生んだという説もある。[中務哲郎]
双子の卵については諸説あるみたいです。
ブランクーシのレダは、削ぎ取ったらこうなるわけで、ボディが卵みたいな形なのは、分身として生んだのが、卵だったから?
【追記】2017.08.05 ジャコメッティ―のそぎ落とした本質は「軸」?
削ぎ落した結果として現れたのが一本の針金のような身体。これが人の「本質」って言われたってその本質って、いったいなんなんだ? と思いながら、ググっていたのですが、あるブロガーさんが撮影した写真を見て、この針金のような身体は、人としての「軸」なんだ・・って思いました。「信念」といい変えればいいのか・・・・
人の構造を考える時、基本骨格に、肉付けされて成り立っていると考えられるから、骨を表している? その「骨」「骨格」を「本質」として表しているのか・・・・と思っていたのですが、遠目に撮影した写真を見た時、その骨格は、その人にとってのぶれない「軸」を意味しているのでは? と思いました。外部からの刺激、力が加わったとしてもぶれないその人なりの「軸」 それが「本質」なのでは?と・・・・
【ジャコメッティ展】ポスターの《歩く男》は、ニューヨークの広場のために制作されたものの、計画は実現しませんでした。しかし、ジャコメッティが長年取り組んできた「歩く男」を、183cmというスケールで形にしたこの彫刻は、彼の代表作と呼ぶにふさわしいのではないでしょうか。 pic.twitter.com/6zMWERl1hb
— 国立新美術館 NACT (@NACT_PR) 2017年3月24日
これを見た時、タイトルは《歩く男》というけど、歩いていないと思いました。関節がない・・・ いくら極限までそぎ落としたとしても、関節までなくしてしまったら人は歩けません。そんなふうに考えてしまうのが悲しい性(笑) これは棒立ち状態。(歩きたくても)《歩けない男》なんだと私は思いました。
つまりはそれが人の「本質」 だれもが前に進みたいと思っている。でも、なかなか思うように進むことができない。いろいろなことが足を引っ張り抑制し、進もうにもすすめない力が働いている。それが人の「本質」というもの。
足はまっすぐなのに、腕は曲がっていて関節の存在をイメージさせています。人体として機能するための最低限の仕組みは必要と考えるのが私の「本質」なんだな・・・・と(笑)
■関連
↑ 「ジャコメッティ―展」を見た感想