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コロコロのアート 見て歩記&調べ歩記

美術鑑賞を通して感じたこと、考えたこと、調べたことを、過去と繋げて追記したりして変化を楽しむブログ 一枚の絵を深堀したり・・・ 

■デザインの解剖展:感想 「解剖」って? 「デザインの解剖」「美術解剖」「医学の解剖」

身近な製品を「デザインの視点」で解剖し、各製品の成り立ちを徹底して検証する試みというテーマの元、21-21で行われた「デザインの解剖展」 

 

  デザインにおける解剖とはなんぞや? 

 

これまで美術界における言葉の定義が、科学の世界の言葉の定義と違っているように感じられ戸惑ってきたところがあります。もともと「解剖」は医学領域でおもに使われている言葉だと思います。その「解剖」という言葉を、デザインの世界では、どう受け止めて表現したのか。そこが一番知りたい興味のポイントでした。

 

 

■「行こうかな」を「行きたい!」に変えたのは

なんとなく気になる企画展ではあったのですが、ぜひ行こうと思わされたのがこちらの記事を見たからです。

 〇デザインの解剖展:牛乳積み木よりずっと見応えあった展示たち。必見!

                 - ブランニュー・トーキョー

上記より

 綿密で丹念な調査を背景にした非常に濃ゆい情報の集積作業(=「解剖」)の成果を目の当たりにした感動

 

「解剖」を筆者の言葉で言うならば、各商品のデザインについて綿密な観察・調査・取材から得られた知見をこれでもかとばかりに説明文、図、立体模型の制作に注ぎ込んだ「知識の結晶」である。 

 

これは、私が求めている内容、そのものズバリのような気がしました。

 

 

■プロローグ 

1.医学における解剖

私自身は、「解剖学」という学問を学んでいます。実際に「人体解剖」の実習も経験しました。その時に書いたレポートを、卒業して20年ほどしてから目にしました。学生時代の教科書や参考書、ノートの整理をしようと思って片付けをしていたら出てきたのです。そこに書かれていたことは、すでに忘却の彼方でした。解剖実習にこれから向かう前の心の葛藤がつづられていました。過ぎし日の遠い過去のこと。乗り越えてしまったら、その葛藤など、まるでなかったものとなり、記憶からも消し去られていました。そのことについていろいろと思うことがありました。⇒【*1

 

仕事をやめてから10年後のことです。そして20年後にも、また節目がありました。改めて「解剖」というものと向き合い直す機会がありました。その時に初めて「解剖」という世界がいかなるものだったのかを理解できたように思ったのでした。

 

 

 

   「解剖」の意味は・・・・

      「解き剖く」(ときひらく)という意味だったのです。  

       人体を解き剖く学問。

   

 

 

    

2.「解き剖く」のは人体だけではない

ところがこの「解き剖く」という視点は、人の体だけでなく、「知」に対しても同様なことを行ってきたのだと感じました。新たな興味や学問に遭遇した時に、どこまで「解いて」どれだけ「剖いていけるか」・・・ そんなことをこれまで自分なりに繰り返しながら歩いてきたように感じました。自分の思考のベースというのは、「解剖学」の物の見方や、とらえ方によって培われたのではないか・・・・

 

●表面の肉眼的なマクロな視点から、
 組織といったミクロな内なる視点への移動

●目の前にあるものに名前をつけ命名する。それは・・・・
 「範囲を決め区切る」こと、つまりは「分けること」
  そして「定義づける」こと。

「局所解剖」「系統解剖」というとらえ方に
  物事をとらえる視点が存在をみる。

●一つの臓器をあらゆる側面からみつめる。
  病理面、生理面、機能面、構造変化・・・

●ここで加えられる側面、見つめる視点が剖いて」えぐり出していくこと。

●「剖きかた」いかんで、その視点は無限に広がる・・・

●「解剖学」を内へ向かわせるのが「組織学」
  さらにその組織の成り立ちが「発生学」
  我々が学んだ時代の「発生学」はまだ未知のジャンルで未熟だった

●20年ぶりに見る「解剖学」の世界は、
  「発生学」が一つのジャンルとして独立

●今のiP細胞などの知見は、この周辺の学問。
  ここにつながっていたことを知る。

(コスメの幹細胞も、このあたりの研究にあたる)

 

こうした「解剖学」という学問形態のアプローチが、自分の思考の根幹をなしていて、物事を捕らえる時の、基本骨格になっていったのではないか。そして物事を理解するためのプロセスとして同様の手法がしみついていったのでは? と10年ほど前に気づいたのでした。(上記の記載の補足情報 ⇒【*2

  

 

3.美術における解剖

その後、美術に興味を持つようになると、「美術解剖」というジャンルが存在していることを知りました。身体表現を極めようとすれば、人の「骨格」や「筋肉」のつき方という基礎知識が必要になります。美大生も解剖実習をしているのだろうか。ところで実際に「解剖実習」を経験する人、必修となっているのは、医療関係者の他にどんな人たちがいるのでしょうか? 献体が不足する中で、人体解剖が必修となっているのは、医療関係者でも制限がありそうです。国試受験のための必修科目と思っていたのですが、実はそうではないのかも・・・・ 一般的にあまりなじみのない「人体解剖」を経験しているのはどんな人たちなのか・・・・ そんなことを調べていたことがあります。

 

遠くさかのぼれば、レオナルド・ダ・ヴィンチミケランジェロといった画家が、そして文学者と思っていたゲーテまでもが、人体構造に対してあくなき興味を抱き、解剖へと誘われていきました。学問体系が分化していない時代、才能ある人たちは、あらゆる「知」に手を出しているらしいことが見えてきました。日本では葛飾北斎など、追及系の絵師もまた、人体解剖を試みていたことを知りました。マンガ家も極めれば、人体解剖にたどりつくと聞きました。

 

 

4.音楽、スポーツの世界にも解剖学

さらには画家だけでなく、演奏家も身体能力という意味で、骨格や筋肉のつき方について語ります。先日なくなったピアニスト中村紘子さんは、ピアノをちょっとかじったミスユニバースにコンチェルトを弾かせ、レコード発売をさせるという企画が上がった時に、苦言を呈していました。それは、彼女の腕を見て「コンチェルト一曲を演奏できるだけの筋肉が全くついていない・・・・」と。リストの曲は、一般の人は演奏ができないと聞きます。それは、リストの身体的な特徴が演奏を可能にしていたからだと聞いたことがあります。金管楽器などは、肺活量など身体機能を利用して演奏されます。声楽家も、体が音の共鳴体となります。人体の機能、構造を利用して演奏が行われいます。

 

アスリートも、骨や筋肉について学びます。どの筋肉をどのように鍛えていくか・・・解剖とは体を解き剖いて、自分の体を知りつくすことだと理解しました。これは医学の領域だけのものではなく、何かに打ち込み、突き詰めていく人たちが、自分の身体と向き合う先に出会う世界。そして「解き剖く」先にそれぞれの本質を獲得していく。

 

 

■「解剖」とは・・・・

「解剖」という言葉を私は、あらゆる世界で「解き剖く」ための術だととらえていました。「デザイン」という領域で「解剖」はどうとらえられるのか。「美術」においては「美術解剖」という確立された世界があります。デザインの世界の「解剖」はいかなるものなのか・・・・そこにとても興味を感じていたのでした。

 

私は「医学」の「解剖」を通して理解したのは、一つの対象物に対して、「切って、切って、切り刻む」その細分化は、時代とともに、ミクロ化していき、分子レベルにまで達していきます。そうして細かく切り分けたものを観察し、あらゆる要素を抽出。そこに存在する新たな側面を見つけ出して、関係性を再構築することによって、新しい視点を見つける。

 

つまり、「解剖」とは物の見方の方法論であり手法で、それは、人体だけでなく他の世界への応用も可能な物事の考え方が存在している。ととらえるようになっていました。

 

 

1.これまで訪れた解剖に関する企画展 ツボワードは「解剖」

これまでも「解剖」という言葉に反応して来ました。その言葉を冠したイベントがあると、でかけていました。過去に遡ってみると・・・・

 

〇1995年 「人体の世界」(東京国立科学博物館

〇2004年 「人体の不思議展」(東京国際フォーラム)⇒*3】 

〇2005年 「人体の不思議展」(東京国際フォーラム)⇒*4

〇2014年 「医は仁術」(東京国立科学博物館

 

国立科学博物館で行われた「人体の世界」では、私が学んだ解剖学の教授もかかわっていらして、突如、込み合った会場に解説者として現れてびっくりしました。その後、養老先生のご著書の中にもお名前を目にしました。卒業してから、その世界では有名な先生だったことを知ったのです。 

 

美術と解剖が結びついたのが

〇2005年 「レオナルド・ダ・ヴィンチ展」レスター手稿森美術館

この展示でレオナルド・ダ・ヴィンチ解剖学者だったことを知りました。さらに彼は、「解剖学的視点」をあらゆるものに当てはめていたように思います。「地球を呼吸する身体」ととらえていました。地球を流れる水は身体の血液になぞらえています。(まさに解剖学的な捉え方です)地球が発するエネルギーの循環を天文学、水力学、地球物理学の視点から解きました。それは「地球」を「人」と見立て、体動する身体、エネルギー代謝によって放出されるエネルギーが、高次から低次へと流れていく生命活動、そして循環を解説をしていたのです。

しかもそれに至っていたのが500年前のことなんです。その知の想像力や論理性に圧倒されてしまいました。それまでは、何を持って名画なのかもわからなかったモナリザ。その絵の空の青には、水蒸気や光の乱反射という科学的な視点が盛り込まれていたのです。他にも今のヘリコプターや飛行機を考えていたというとんでもない先見性を持った科学者だったなんて、私は知りませんでした。あなたっていったい何者なの? それから、レオナルド・ダ・ヴィンチも美術鑑賞のツボワードになっていきました。

 

その後、国立科学博物館で行われた

〇2007年「レオナルド・ダ・ヴィンチ -天才の実像」(国立科学博物館

芸術から科学に及ぶ万能の天才の創造の世界に触れるというテーマで行われた展覧会でした。そこで天文、風や水の動態、動力、鳥の生態、人力飛行機についての考察を見て、人体や自然を観察した結果を克明に書き写すだけでなく、目に見えないもの、いまだ形になっていないアイデアを視覚化する際にも素描という手段に触れたことで、自分の身近だった科学と芸術というものが融合していったのでした。

さらにレオナルド・ダ・ヴィンチが万能の人であると知ってからよく目にするようになったウィトルウィウス的人体」(人体均衡図) これは、古代から続く「人体と建築との類似」の理念をもとに描かれたものだったのですが、レオナルド・ダ・ヴィンチにより「人体=建築=宇宙」というアナロギア(類似)⇒【*5】とまで発展し、それを裏付ける手稿が紹介されていました。⇒【*6

「科学による裏付けを元にした美術の世界」という国立科学博物館ならではの新機軸によって、芸術の世界を私の手元に引き寄せることができるきっかけを与えられたのでした。

 

それからは、美術館も身近な存在となりました。

〇2006年「美術の身体表現」

といったテーマの企画にも興味を持ちました。てっきり美術解剖という視点からのアプローチだと思って、訪れたところ、別の方向からの展示だったこともありました。

 

〇2006年 「ダ・ヴィンチ コード」

映画「ダ・ヴィンチ コード」が大ヒットしたのがこの年です

 

〇2016年 「世界に挑んだ7年 小田野直武と秋田蘭画

「解体新書」の挿絵を描いたという小野田直武展などにも反応しています。

 

そして今回の企画は「デザインの解剖展」です。ここでは何を見せてくれるのでしょうか・・・そんな期待を抱いて。

 

 

2.「デザイン」と「美術の違い」

ちなみに、「デザイン」と「美術」は違う・・・ということを、友人のデザイナーが語っていたことを思い出しました。ある美術展のギャラリートークで、自分の作品を前にした作家が、解説を・・・と求められました。しかし控えめが美徳のようにあまり語らないのです。私はそこは貴重なプレゼンの場だと考えます。もしかしたら、自分の作品を買ってくれる人や、ファンを獲得できる場です。当然、自分の思いを伝える場としてとらえるべきという考え方を持っていたので不思議でした。

 

それに対して、デザイナーの友人に、自分の場合だったらどうするか聞いたところ、「デザイン」だったらデザインの意図を解説をするのだけど、美術作品となると、私は解説はしたくないかな。見る人に読み取ってもらいたいって思う・・・・と。 

 

その時、私にはよくわかりませんでしたが、どうやら「デザイン」と「美術」は「違う」ものらしいということを悟りました。しかし、どこがどう違うのか・・・はわからないままでした。もしかしたらそのあたりのヒントもみつかるかも・・・・という期待も。

 

 

 

■展示について

1.デザインの解剖とは

①身近なものを

②デザインの視点で

③外側から内側に向かって

④細かく分析することで

⑤ものを通して世界を見る

⑥プロジェクトです。

 

 

このパネルを見た瞬間、この企画展は、私の知りたい欲求を満足させてくれるに違いない。という確信のようなものを得ました。というのも「解剖」という言葉を、デザイン領域では、どのようにとらえているのか・・・・ そこをまず明確にする必要があるという基本を抑えて、展示をされていることに大きな意味を感じました。

 

先に「解剖」について延々と語りましたが、私が理解している「解剖」は、医学における「解剖」です。しかし、デザイン関係の人がとらえている「解剖」は全く違うはずです。「解剖」の意味は、見る人、扱う人によって、捉え方が違うと考えられる場合、言葉の定義を最初に確認しておかないと、議論は成立しないと考えています。⇒【*7

 

「定義というとらえ方に意識的でなければならない」

 

と思っているのですが、美術界はその部分に多少、欠けているのではないか・・・と感じさせられたことが何度かありました。そのため、今回、このような解説がされているとは思っていませんでした。デザイン領域において「解剖」というとらえ方は、コンセンサスが得られていないはずです。

それゆえ「われわれは、デザインにおける解剖をこう考えています」ということを提示することはとても重要な作業だと思うのです。上記の解説だけでなく下記のような解説もありました。

 

 

●手法

 〇手法01 〈基本〉        〇手法02 〈ダイアグラム〉

   

 

〇実践01〈読み解き系〉      〇実践02 〈リサーチ系〉      

  

 

●科学領域の研究結果の判断

・どんなサンプルをどのくらい用いているのか。
・どのような実験をどんな手法で行ったのか。
・その実験計画に問題はなかったのか。
・データの処理はどのように行ったのか、その処理は適切なのか。
・データの見せ方の表現手法には問題はないのか。
・場合によっては生データまで確認をしなれば真の評価はできないと思ってきました。

(しかし、論文内の研究の手法については、そこまで確認されることなく、性善説に基づいて判断されているのが慣習のようです。ある意味、実験はブラックボックス化しているので、いくらでもごまかしがきくものだと常に思いながら見ています。)

本来、科学のデータについてはこのような視点で見なければいけないという意識は持っていましたが、「デザインの解剖展」とうたわれたものに対してそこまでのものを求めようとは思っていませんでした。

 

しかし、こちらの展示では、そうした研究手法を明示するという、重要性をしっかり押さえられた上での展示であること。それは、自分の思考のパターンやプロセスと同じだと感じられたことから、この先の展示への信頼感、安心感をもたらしてくれました。冒頭で、しっかり明確に展示されたことに、拍手を送りたい気分でした。

 

●主催者挨拶

  

 

以上、見事なまでの文字ばかりのパネルです。読むのが大変・・・と思われそうです。しかしこの先の展示における考えを示され方向性を把握して見るのとでは、理解度が違うと思われます。

 

(と言いながら、会場では、一連の文字を読むことができませんでした。時間が限られていたので、まずは全体の把握を優先し、とりあえず、写真撮影をして、あとからそれを見る・・・・と割り切ることに  途中、あまりの膨大な切り分けに、これは、図録を買うしかない・・・・と思ったら、2万円超えに断念 )

 

 

2.解剖対象となったアイテムは・・・

明治の協力のもと、誰もがなじみのある5アイテムが選ばれました。

きのこの山
明治ブルガリアヨーグルト
・ 明治ミルクチョコレート
・ 明治エッセルスーパーカップ
・ 明治おいしい牛乳

 

それらがどのように、解剖され展示されたかについては、いろいろな方がいろいろにネット内で紹介されているのでそちらに譲ることにします。ランダムに写真をピックアップ

 

きのこの山

  

 

きのこの山のウェブサイトの解析

 

はてなブログでもブログの解析法などがいろいろ紹介されているのを目にしてきましたがこんな手法を見たのは初めてです。

 

 

ブルガリアヨーグルト

 

 

▼パッケージデザインの大解剖

 

 ▼おいしい牛乳 新パッケージ

  

↑  注ぎやすい、開けやすい新パッケージ。

偶然にもその日のテレビ番組で、「イラつくこと・・・」というテーマで、芸能人が、牛乳パックの蓋がうまく空かないことがある・・・なんて会話をしていました。

 

 

3.解剖学も研究している?

ここまで見てきて、感じさせられたのは、「デザインの解剖」の考え方は、まさに解剖学そのものだということでした。私が、解剖学とはなにか・・・・と考えて至った答えと同じ手法が用いられ、この展示は構成されている・・・・・ この主催の方は、きっと医学の解剖学についても、ちゃんと視野に入れて情報収集した上で展示に臨んでいるに違いない! 

 

と思っていたらやはり・・・・


テーブルに置かれた様々な参考書籍の中に、御覧のとおり「解体新書」や「レオナルド・ダ・ヴィンチ」そして解剖学アトラスなどが、とりそろえられていたのでした。

 

 

他にも、きのこやミルク、チョコレートに関する書籍が・・・・

 

養老先生の解剖学関連本などもあります。

 

 

4.メーカーの製品づくり

メーカーの製品づくりというのは、ここまで深く広く、解析を施した上で提供されていたのか・・・ということに驚きを禁じ得ませんでした。

ネーミングロゴタイプパッケージデザイン、そして時代による変遷原材料の配合など、それらが模索されているのだろうということは、ある程度の想像がつきます。しかしその模索の内容や広さ、深度がそこまで深い研究と試行錯誤によって決められていることに驚かされます。

その一方で、一つ一つのアイテムに対して、こんなところにまで、広げて突っ込んいたら、製品づくりは成り立つのかという疑問に及びました。現実問題として、ここまで、製品の解剖をしていたら、製品を世に出すことが出来なくなってしまうのではないか・・・ということが、ずっと頭を離れませんでした。はたと理解しました。

 

ここに掲げられている全ての内容がメーカー主導の元、意識的に解剖されているということではないのではないかということなのです。この企画をされた佐藤卓氏による、anatomy(解剖)の視点が多分に付加されたことによって、デザインという切り口からとらえた解剖の視点がより広がりを見せたということなのだと理解しました。

メーカーにとっては(無意識にというか当たり前に行われている)ルーチン業務。そんな作業を、第三者的な視点で、具体的な一つ一つの作業に切り分けて抉り出し、行程として示す。それによってより細分化されたものを、視覚化して提示したことで、広さ、深さを目の前にあぶりだしたのだと思いました。そしてこれらの作業は佐藤卓氏一人による制作ではなく、それを支える人たちもいて、その方たちの視点も加味されているということなのだと・・・・ さらにメーカー独自の解剖によって決定したものに対し、今回の企画に携わった方々の、深堀された解剖の視点が加わっていることによる、深遠さなのだということに気づくのに時間がかかってしまいました。

 

メーカーが製品開発でいつも、ここまで深く検討しているのかという疑問の答えは・・・・ 決定されたデザインに対して、この企画に協力された方々のさらなる深淵な解剖によるものだったのでした。

 

 

5.デザイン教育としての「デザイン解剖」

この手法を大学教育のカリキュラムに加え、学生たちに手法を伝えています。

自らの手法を学生たちにも伝授し、教育現場に還元されています。こうした指導者と出会えた学生は幸せだと思います。

 

1.あとになってわかる恩師の偉大さ

今になって、短大時代に学んだことを振り返ると、そこで吸収したことが今の自分を作る大きな礎となっていることに気づかされまました。「解剖」という学問がいかなるものであったのかを、卒業して20年ほどしたところで、たまたま国立科学博物館で行われた「人体の世界」を見たことで、解剖学の参考書として購入していた『人体解剖学』(藤田恒太郎著)を見直しました。その最初のページので理解しました。

 

 

そしてそこで再会した恩師。その恩師が解剖学の世界では、大きな存在だったことを知ったのでした。学生時代は知る由もありませんでした。逆にわかりにくい授業で、医学生を教える感覚で私たちに教えられても・・・・ 物の見方を知らない私たちが、何がわからないのかを、わかっていない先生だと思っていたのです。(笑) 教え方が下手と思っていたのでした。

 

しかし、20年という年月がすぎ、現場から離れていても、「人体」というテーマの展示を見たいと思わせてくれる根っこをしっかり、根付かせていただいたのだと思いました。そして解剖がいかなるものかを遅ればせながら漠然と気づかされました。それは、何か心の奥底にひっかかりを持たせていただけていたのだと理解しました。そして30年たった今・・・・また「解剖」という言葉に引き寄せられて、「デザイン」というジャンルを新たな視点でとらえる機会にめぐまれました。

 

 

2.学生時代にわからない学びの価値

佐藤進氏に指導を受けた学生さんたちは、おそらく、20年、30年後にこの指導の意味が、ボディーブローのようにじわじわときいてくると思います。物事を捕らえる時のこのパンチが、自身の根幹をなしていることに、別の方向からも気づくことがあるのだろうと思われます。

 

 

「拓いて、拓いて、切って、切って、細かくした先には本質が存在する」

 

 

それは、たとえ入り口が違っていたとしても、たどり着く先は、結局は同じところに帰結するという、世の理を、悟った気になっていました。ところが、美術界でなぜを調べた先に目にした文献や、書籍の言説が、私がこれまでとらえていた本質とどうも違う・・・・と感じることがありました。

 

 

3.いろいろな指導者

たとえば・・・・

若冲に対して、生き物ばかりを見ているのが好き。
虫ばかり見ているというのは、随分と寂しい子供と語る教育者がいらっしゃいました。虫を「虫ケラ」と呼ぶ美術家も・・・・

我が耳を疑いました。

 

レオナルド・ダ・ヴィンチの有名な言葉
「ダメな画家は、画家に学ぶ。 優れた画家は、自然に学ぶ」

 

私は、この言葉は、すべての本質がここにある! と思わされた言葉でした。
何を学ぶにしても、掘り下げて掘り下げた先に存在しているのは「自然観」なのだと。

描くということの本質は、自然界の法則を写し取ることだと確信しました。

レオナルド・ダ・ヴィンチのこの偉大な言葉をどのように理解されているのか。美術界の自然に対する理解とは、こんなものなのか・・・と思っていたのでした。

 

 

5.学問形態や指導者による学びの違い

そんなことを感じさせられていたこともあって「デザインの解剖展」というお題目を掲げられても、私が感じていることとは、違うアプローチなのだろうし、落としどころも別のところに納まっているのだろうとあまり期待をしていませんでした。というか、「解剖」という医学における言葉を美術界は、どう扱ったのか見てやろう・・・的な上から目線で見ていたように思います。(笑) 

 

私には本当の解剖を学んできたという自負がある・・・・ 知識はすでに飛んでいますが(笑)、「解剖」が何たるかについては、自分なりに時間をかけながら考えてきたという歩みもありました。

 

ところが、今回提示された「デザインの解剖」は、私の理解をはるかに超える世界観を示されていて、頭が下がるばかり。「解剖」という視点が、一つの物事をここまで掘り下げることがでて、広げることもできる。それは自分の想像をはるかに上回る世界で、たくさんの着眼点を提示していただけました。

 

早速、抱えていた問題の解決の糸口がみつかったという光も見えてきました。

 

 

6.たどり着く先には自然

今回の展示を見ていて、やっぱりここでもそうなんだ・・・・と思ったことがありました。それは・・・

 

きのこの山」のパッケージに描かれた景色。これが何を意味しているのか。

里山なのだそうです。「きのこ山」が発売された年というのは、高度経済成長に突入した時期に重なるそう。山を開いたり、田畑をつぶしたりして自然が失われていった時期失われつつある里山を日本の原風景として留めておくという意図があってのパッケージだったと知りました。

やっぱり、ここでも、自然回帰している!  ちゃんと考えている人たちは、最後、自然に帰結する。私の推察はまたもや証明された? (笑)

 

 

お菓子作りの裏に込められているストーリー。やっぱり自然に戻っていた・・・・ そのことが妙にうれしくなってしまいました。ヨーグルトはいつも「明治ブルガリヤヨーグルト」を愛用してきました。今度からは、「牛乳」も「おいしい牛乳」を選択的に選ぼうかなと思い初めていました。

 

 

7.デザインが私にもたらしていた別の側面

ちなみに雪印乳業がおこした乳製品による集団食中毒事件  雪印はその後、メグミルクに変更しました。私はいまだにあの事件のことを忘れていませんし許していません。過酷な条件を生産者に課しながらの裏切り。その後に登場した、乳製品らしからぬ赤いパッケージへの変更。「メグミルク」の名称変更はいいとしても、あのパッケージはないのでは? と思う気持ちが・・・ あの斬新なデザイン変更は、企業のごまかし体質が変わっていないことの象徴にように感じられました。印象を全く変えて、雪印であることを隠す。新たなメーカーが登場したかのように・・・・ その後も、赤いパッケージを見るたびに怒りを覚え、私は、こんなことでごまかされない! と今なお心の中でつぶやき続けています。

 

私の中では、このデザインの変更が、消費者の心をさらに離れさせた最悪の事態となっています。私自身は、喉元すぎれば・・・で、忘れやすいタイプです。しかしこの事件は、今も許せずにいるという珍しいケースになりました。スーパーで赤いパッケージを見たら目をそむけます。手にした乳製品がメグミルクとわかったら、今でも棚に戻します。雪印であることを覆い隠すためのごまかしの象徴に感じたあの赤いパッケージデザイン。もしこのような変更でなかったら・・・・ ここまで尾を引くことはなかったと思っています。心機一転も、過去を覆い隠すための手段。一歩間えると、時間が経過しても、使う側にこんな思いを今だに持っている人間を、デザインが作り出してしまったという怖さがあるということなのでした。

  

 

「デザインの解剖」

 

 

デザインというのは、多くを語らずに静かに発していて、直接的に訴えていなくても、その本質をある時、知ることで、大きなプラスイメージに転換することを知りました。一方で、デザインの変更から受けたイメージが、マイナスをもたらし、それがいつまでたってもぬぐうことができない現実があることを思いださせました。これは、私が「デザインを解剖する」という視点を知ったことによって、デザインを解剖してみて見えたデザインが持っている本質の一面なのだと思いました。デザインはその根底にある作り手の意識を、消費者が感じ、浮かびあがらせ物との向き合い方を選択させるもの。デザインに潜む要素を切り分けていくことで、我々は気づかなかった何かに気づかされていくのだと思いました。

 

 

■関連ブログ  

「デザインの解剖展」は、いろいろな人が見て語っています。見る人によって何に着目し、何を切り出し、そこから何を拾い上げ、何を考えているか・・・・そんな解剖をしてみるのも面白いかも。

 

●企画関係者

 

【展覧会レポート】21_21 DESIGN SIGHT「デザインの解剖展:身近なものから世界を見る方法」 | 編集部BLOG | 六本木未来会議 -デザインとアートと人をつなぐ街に-

美大ラウンジ(裏)   「”謎多き”美術大学」の実態を知らせる為にスタート

 

 

●美術関係者

デザインの解剖展に行ってきた(藝大にも) 美大愛好家】 

『デザインの解剖展』 : これ、誰がデザインしたの? (デザインライター)

 

きのこの山やブルガリアヨーグルトを徹底解剖!「デザインの解剖展」に行ってきたよ | 箱庭 haconiwa|女子クリエーターのためのライフスタイル作りマガジン

デザインの解剖展にいく : 芸大 美大受験予備校 成城美術研究所ブログ (美大予備校)

来場者想いのわかりやすさと力の抜け具合が面白い「デザインの解剖展: 身近なものから世界を見る方法」(1)レポート : sfcdaikick blog(クリエイティブディレクター)

来場者想いのわかりやすさと力の抜け具合が面白い「デザインの解剖展: 身近なものから世界を見る方法」(2)レポート : sfcdaikick blog

 

 

●情報発信系

【牛乳つみき楽しい】「デザインの解剖展」に行ってきた!【六本木で開催中】 | 北本日記 - 地域情報ブログ(埼玉県北本市)

 

 

●デザイン関係

デザインの解剖展 : 広告会社で働く管理栄養士のブログ

デザインの解剖展|スタッフブログ|会社案内制作,ホームページ制作,デザイン作成【株式会社ランプロス】

【感想】「デザインの解剖展@21_21 DESIGN SIGHT」デザイナーの思考で世界を分析していく実践が楽しい! | 能ある鷹h氏

デザイナーらしく「デザインの解剖展」に行ってきました! | レベルF株式会社-ホームページ制作 (デザイナー)

デザインの解剖展|スタッフブログ|会社案内制作,ホームページ制作,デザイン作成【株式会社ランプロス】 (デザイナー)

デザインの解剖展にいく : 芸大 美大受験予備校 成城美術研究所ブログ (美大予備校)

ブデザインの解剖展 ブログ|千葉デザイナー学院 (デザイナー学院)

芸術の秋、 #21_21 DESIGN SITE #デザインの解剖展 に注目! (デザイン)

 

 

●博物館関係

デザインの解剖展 - 博物館学を読む - Yahoo!ブログ (学芸員

デザインの解剖展: じっぱくブログ (学芸員

 

 

●その他

『「デザインを解剖する」って何するの? 六本木 21-21デザインサイト』 [六本木]のブログ・旅行記 by ころたさん (エンジニア)

ネタ探し力向上!「デザインの解剖展」in東京ミッドタウンに行ってきた! - 限界エンジニアの冒険録 (エンジニア)

デザインの解剖展 | 家つくブログ (営業事務サポート)

デザインの解剖展に行ってきた - 未処分利益 (iOS

 

 

 

●著名美術ブロガー

「デザインの解剖学」 | 弐代目・青い日記帳

「デザインの解剖展」 21_21 DESIGN SIGHT - はろるど

 

 

●個人的アーカイブ

「デザインの解剖展」に行ってきました! 感想 - やりやすいことから少しずつ

行ってきた!!【デザインの解剖展】 @21_21 DESIGN SIGHT - 笑っていこうよ!(分解)

デザインの解剖展:牛乳積み木よりずっと見応えあった展示たち。必見! - ブランニュー・トーキョー

デザインの解剖展に行ってきた - 未処分利益 →思考の流れが同じだと思った

デザインの解剖?? - おやすみぶろぐ (経済学部大学生♂)

 デザインの解剖展に行ってきた - 未処分利益 (iOS

 

デザインは設計かつ問題解決の方法


そのため、デザイン対象である商品や企業の真の意味や価値・関係性を理解しなければ本当に実のあるデザインを行うことはできない。 つまり対象を構成する様々な構成要素・プロセスを具に検証して明らかにすることが必要。

解決すべき問題の本質が、こういった検証(解剖)によって分解された膨大な量の要素群の中に潜んでいる

 

 〇身近な物から世界を見る―「デザインの解剖展」の解剖具合がすごかった – ろっぱ屋

この展示会に限っては製品そのものを構成する要素を『解剖』している。「デザイン」意味を調べると『設計・構図』という意味もあるので、『きのこの山』という構造を徹底して『解剖』したって考えると良いのかな。

 

 

 

■主催者企画

21_21 DOCUMENTS - 佐藤 卓が語る「デザインの解剖」とは 前編

21_21 DOCUMENTS - 佐藤 卓が語る「デザインの解剖」とは 後編

21_21 DOCUMENTS - オープニングトーク「解剖展の解剖」を開催

21_21 DOCUMENTS - トーク「アートとデザイン」を開催

21_21 DOCUMENTS - いよいよ開催!企画展「デザインの解剖展: 身近なものから世界を見る方法」

 

 

■脚注

*1:■解剖実習前の戸惑い(学生時代のレポート)

↑ 初めての解剖実習を前に、友の声や、自分の感情の割り切りに悩む・・・

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*2:Rauber-Kopsch解剖学 を参考サイトとして紹介

↑ なんと偶然にもこちらのサイト内に恩師のお名前が・・・・

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*3:■1回 2回と「人体の不思議展」がおこなわれましたが、1回目の不思議展であれ?という何かおかしいとかんじさせる予感が・・・・

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*4:翌年の2回目で、直感的なおかしいが、決定的に。調べてみるといろいろな問題が見えてきました。その後、各方面から問題視されることに。ご遺体の尊厳をそこなう展示法。妊婦の標本が月齢を追っているというのはどういうこと? など明らかに疑問を感じさせる展示が行われていました

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*5:世界大百科事典内のアナロギアの言及 より

【同一性】より

…たとえば,プラトンにおいて,宇宙の究極原理である〈一なるもの〉への探究は,この世的なものないし有限なもの一般にかかわる思考の同定した同一性を,いわばくり返し根本にたちかえってつきくずしていく問答法的あるいは弁証法的思考の遂行においてはじめて感得されるものというように考えられていた。また,トマス・アクイナスをはじめとする中世のスコラ哲学の思考においては,超越者たる神の同一性は,神ならざる被造物の同一性とは質的に区別されたものであり,後者を出発点とした類比的な〈アナロギア〉の道にしたがう思考によって達せられるべきものである,というように考えられている。 また絶対者を主観と客観のトータルな無差別と見るシェリングの同一哲学や,同一律を絶対的真理とし,宇宙の根本原理としての〈自我〉に関係させるフィヒテの哲学を批判し,根源の同一性は〈同一性と非同一性の同一性〉でなければならぬと論じたヘーゲルの考えも,前述の二つの位相をそれぞれに生かしながら媒介結合する論理を求めるところから発想されたものにほかならない。…

 

あるいは、アナロギアの検索結果⇒ アナロギアとは

 

↑ 上記のように、「アナロギア」という言葉は、しかるべき定義を与えられている言葉でないという印象を持ちます。こういう部分が、私が美術界における定義(この場合は哲学用語?)について疑問に感じるところで、美術界の言葉をどうとらえたらよいのか迷う部分なのでした。ある意味、小難しい言葉を使って評論し、一般から切り離して孤高のものにし、鼻もちならないという印象を与えてしまう部分なのではと思うのでした(笑) 翻って科学の世界も他から見ると同じということでしょうか・・・・(笑) しかしながら、定義についてはある程度、確立されている世界なので、理解しやすく感じるのでした。   

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*6:東京国立博物館 - 展示 日本美術(本館) 特別展「レオナルド・ダ・ヴィンチ -天才の実像」 より参照

*7:[参考] ■「定義」って考えたことありますか?  

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