■庭園美術館:ボルタンスキー展覧会関連プログラムに参加して
① ② ③ の続き
クリスチャン・ボルタンスキ― アニミタス-さざめく亡霊たち
いよいよ、本日が最終日です。11月25日に「インスタレーションと鑑賞者のエモーショナルな関係」のワークショップが行われました。それに先立って、館内の作品をざっと見ました。そのあと、ボルタンスキ―にインタビューしたビデオが会場で流されていることを事前に聞いていたので視聴するため、見学を切り上げ、上映ルームに・・・・
ビデオは会場だけでなく、オンライン上でも視聴できると聞いていたので、セミナーを受けて家に帰ってから聞くという選択もありました。が、作品を見終わってすぐ、ボルタンスキ―の言葉を聞いてみようと思いました。それとセミナーに参加するにあたって、下準備にもなるかなぁ・・・という意味もありました。ビデオは思ったよりも長く、最後まで見ることができませんでした。
- 1.ボルタンスキ― インタビュー
- 2.作品について
- 3.ボルタルンスキー語録
- 4.名もない人の命・・・・
- 5. 受け継がれていく命
- 6.知っているということは、実際に見るよりも意味がある?
- ■【関連記事】展覧会関連プログラム(連番)
- ■脚注
1.ボルタンスキ― インタビュー
ボルタンスキーが作品の意図や思いを語っています。現代アートは見ただけではよくわかりません。(最も、現代アートに限りませんが・・・・ただ、他のジャンルより、わかりにくい気がします。) インタビューを聞くと、なるほど、そういうことだったのか・・・・と納得させられたりすることも多々あります。見る前に聞くか、見てから聞くか・・・ それも人それぞれの鑑賞スタイルです。私は展示を見てから聞きました。下記がインタビュー動画です。
1-1 指向性スピーカー
亡霊のさざめきの声は、指向性スピーカーによるもの。という記載をいくつか見てきたのですが、その情報源がどこにあるのかが、確認できずにいました。やっと、この動画の中にみつけました。
「声を使った新作は音響角度を絞ったスピーカーから流されている」
とボルタンスキー自身が語っており、これを「指向性スピーカー」と理解していいのかなと思われました。
2.作品について
以下は、ボルタンスキ―自身が語った作品についてです。
2-1 《ささやきの森》
愛する人の名を残す。祈りの場。日本の神社に願いをかけて置くような巡礼の地。その場所は、誰が作ったなど関係のない聖なる場所として残ること。言い伝え・・・ 言い伝えは芸術よりも強い。それを知っていることは、実際に見るよりも意味がある。
2-2 《心臓のアーカイブ》
豊島の無名の人のもの。今後も続くように。言い伝えは芸術よりも強い。豊島に行けば、心臓のアーカイブがある。それを知っていることは、実際に見るよりも意味がある。
2-3 《影の劇場》
亡霊の作品だが、子供じみている。日本は至るところに幽霊や骸骨が存在し奇怪。日本人は宗教に信心深くないけど、死者に対する信仰は根深い。
セミナーで質問
Q:同じような作品は、海外にもあります。日本には日本独自の幽霊があちこちにいるとボルタンスキ―は感じたようです。この展示をするにあたり、日本独自の視点、見せ方など加えられているのか伺ってみました。
A:この作品ではありませんでしたが、古着の作品では、その国ならではの衣類をまぎれ込ませているようです。日本で開催するときは、古着の中に着物を盛り込むことで、それを見た時に、その国の人は、特別の思いのようなものを感じるとのこと。「ああ、着物だ・・・・着物が古着にされてる・・・」みたいな
やはりその国や、土地に合った要素が盛り込まれているようです。
2-4 《眼差し》
曖昧な意味あいのフレーズ。目による問いかけ。私にとっての死や罪にまつわるシステム。しかし見たいように見ればいい。
⇒セミナーでの解説
ボルタンスキーの作品は、死や罪、つまりホロコーストが作品の背景にあるとボルタンスキー自身が語っています。そのことを知ったことで、今後のボルタンスキ―作品を理解する上で、一つの見方が確立され一定の解釈が生まれます。
先入観がなければ、金は宝、あるいは排泄物といった発想もできますが、氏の背景を知ってしまったことで、 ある種のものの見方が確立されるということなのだと思いました。
講師が、「ボルタンスキ―というと怖いとか、ドロドロしたものといったとらえ方をされがちだけども・・・・」と語っているのを聞きながら不思議に思っていました。全然、そんなこと、感じませんでした。(笑) 何も知らないから、そういうことは伝わてはきませんでした。
2-5 《帰郷》
私がエマージェンシーブランケットについて、調べたところによると、防寒シートのことと思ったのですが、インタビューでは、重傷者をくるむ金色の覆いと説明していました。言い回しによって受け取るニュアンスが随分違うことを感じます。
金のシートを使った意味は? ⇒ビデオの 17:31 あたりから
ボルタンスキ―ならではの理由や意図が解説されていますが、それぞれに感じ取ればいいということです。
2-6 《アミニタス》
和解をもたらす作品。苦悩からの解放 天空で歌う魂。チリの砂漠の真っただ中、誰もみつけることができない。あのまま放置して自然消滅するように頼んだそう。作品はいずれ消滅する運命。存在はするけども誰も見ていない。
⇒《アミニタス》と《ささやきの森》は、「亡くなってしまうもの」と、「引き継がれていくもの」の対比なのかなと思われました。
3.ボルタルンスキー語録
私の展示にはいつもなんらかの意味が隠してある。
3-1 作品は、鑑賞者が観たいように観ればいい・・・・
セミナーでも、ボルタンスキ―というアーティストは、自分の作品を鑑賞者にゆだねているという解説がありました。しかし、その一方で、アーティストは元来、あまり著作などを残さないものなのですが、ボルタンスキ―は、著書もいくつかあり、自分で書いて残す人だという解説がありました。それって、自分の作品について語ってるってことにならない?(笑) また、インタビューを見ていても、なんだかんだ言いながら、作品について、結構、語ってるし・・・・って(笑)
そして、そもそも、アーティストというのは、作品の解釈を見る人にゆだねるというのは、基本なのでは? ボルタンスキ―だけが作品の理解を、見る人に任せているわけじゃないと思うんだけどな・・・・って。また、私自身は、10年ほど前に、直島に訪れた時に、そこで見た作品から、アートって小難しく考えなくてよくて、自分の自由に見ればいいんだ・・・と思うようになりました。⇒【*1】
専門家がなんて言おうと、私には私の見方や感じ方があるのよ! って(笑) そして昨今の美術鑑賞ってそういう方向になってきていると思うし・・・・ それを私は許容力があります。みたいに声高に言われても・・・・ほとんどのアーティストは、そう思ってるんじゃないの? って・・・
〇芸術家とは見る人に刺激を与え、見た人が芸術を仕上げる。
3-2 芸術家には顔がなく、鏡であって見た人の顔が映っている。
カーサブルータスでは次のように紹介されていました。
「私の作品にはすべて意味や理由があるけれど、それをすべて話さないほうがいいだろう。「私の作品は」見る人の顔が映る鏡だ。見る人が、自分が何を欲するか、何を必要としているかに気づいて欲しいんだ。金色の山はとても美しく、崇高なイメージがある。金は権力や地位の象徴でもある。でもこれが緊急用ブランケットでできているのに気づくと、また違う意味が生まれてくる。どんな意味を読み取るかは観客の自由だ。見る人がそれぞれ、自分が見たいと思うものを見てくれればいい」
「見る人が映る鏡」の主語が「カーサブルータス」と「インタビュー」では違います。
→カーサブルータス・・・・「私の作品」
→インタビュー映像・・・・「芸術家は」←芸術家全般の話
最初にカーサブルータスの文章を見てしまったので、私は、ボルタンスキ―の驕りではないかと思いました。芸術家の作品はみんなそうなのでは?と・・・⇒【*2】
見る人の顔が映るのは、あなたの作品だけではないって(笑)
しかし、インタビュー画像を見たらボルタンスキ―は、自分の作品は・・・とは言っておらず、テロップでは「芸術家は」となっていました。(訳の問題もあるかもしれませんが)主語が変わることで、同じ言葉の受ける印象が全く変わります。
3-3 一つの劇場、来場者は役者
こういう表現は、いろいろな場面で耳にすると感じました。
以上は、気になったボルタンスキ―の言葉の中から、あえてそんなことをいわなくてもそんなのあたりまえじゃない? と思ったことをピックアップしてみました(笑)
4.名もない人の命・・・・
ボルタンスキーは、名もない人、一人ひとりの命にスポットを当てそれぞれの重要性を示そうとしました。それぞれが唯一無二で他人とは異なる存在であること。文明とは死者を埋葬することから始まり、ボルタンスキ―は、埋葬者で死のセレモニーをつかさどることが仕事だと話しています。
4-1 名を遺すって?
「名を残す人」「名を残さずに終える人」 みんな同じ・・・・ じゃあ名を残すって一体、どういうことなのでしょうか? そのことについてボルタンスキ―の語りから、いろいろ考えさせられる部分がありました。ボルタンスキ―は、現代アートの巨匠と言われているようです。その世界では知る人ぞ知るらしいアーティストのようで、ご自身でもそれを自任されているオーラがあのインタビューの端々に伺い知ることができると感じさせられました。
たとえば、ボルタンスキ―の作品を高額で美術館に売ったという話。しかし美術館は何も受け取ってはおらず、何枚かの写真と指示だけ。それによって作成される作品が、ボルタンスキーの死後に作られたとしたら、「だれそれの解釈によるボルタンスキ―作品」として明記するようにしたいと。これって、自分の名前に非常な付加価値を与えているし、回りもそれを認めていることになると思いました。自分の名前に対する価値をボルタンスキー自身が十分にわかっているからこそ、成り立つ作品です。
インタビューの一連のお話も、そんなこと当たり前のことじゃない? と思うような発言をあえてしているように感じました。しかしそれはボルタンスキ―がその言葉を発することで、重みが加わるということなのだと感じられました。名もない人にスポット当てると話している一方で、自分の名前の価値については、最大限、利用している・・・・そんな気がしてしまったのでした(笑)
しかしながら、ボルタンスキ―を知らない人はごまんといるわけです。その世界で名を馳せていたとしても、総体で見たら、ボルタンスキ―? 誰? それ・・・なんだと思います。(笑)
私も豊島に行くまで知りませんでした。行ってなければ、しばらくは知らないままだったと思います。「名を残す」というのは、結局、その程度のことなのだと思うのでした。ある一部の限られた世界で認知されているにすぎない。テレビで芸能人が地方に行って、地元のお年寄りに「誰?」と言われてショックを受けている姿を目にします。有名・・・・と思っていても、結局、その程度のこと・・・・
というように、どうしてもアーティストの発言に対しても、そのまま納得することなく、そうじゃないんじゃないかと、批判的な目で見てしまいます。これも私自身が、ボルタンスキ―という鏡に映し出されてしまったということなのでした。(笑)
5. 受け継がれていく命
そんな中で、私が一番、感じ入った言葉は・・・、
旧朝香宮邸には、さまざまなタイプの亡霊が存在しています。きらびやかで華やかな紳士淑女の亡霊もいれば、異なる亡霊に睨まれた人も・・・
私たちの顔は祖先から受け継がれて作られている。鼻は・・ 目は・・ そして精神も。私たちは、私たちより前に生きた人たちから受け継がれている。
この一言に、すべてをひっくるめて、私の腑の中に落ちていくのを感じました。なんだかんだ言っても、最終的には生命の連鎖。ここにボルタンスキ―は帰結していた・・・・ それがわかると、その作品のすべてを受け入れてしまうのでした。
これまでの庭園美術館で開催されてた催し。どんな企画を好んでいたのかを振り帰ってみたら、その裏には「生命の連鎖」というテーマが隠されていることに気づきました。⇒【*3】
ボルタンスキ―が語った「私たちの顔は祖先から受け継がれて作られている」という言葉は、まさに「人類の生命の連鎖」を表している言葉ととらえることができます。ボルタンスキ―の口から、それを聞き、やっぱり、ここにたどり着いていたんだ。いろいろ思うことはあったけども、何か、引かれるものがある。と思う時は、「生命」そして「連鎖」ということが込められています。ボルタンスキ―のプロフィールから、そうした視点で作品を制作するアーティストではないような気がしていたのですが、医師の父の影響からくる生命観が培われたのではと思うのでした。
5-1 ボルタンスキ―作品の通奏低音
今回、一連の作品を見て、そしてこれまでどのような作品を制作してきたかも知って、ボルタンスキ―の中にある通奏低音のようなものが見えてきたように思いました。
参考:クリチャン・ボルタンスキ― インタビュー 消えゆく記憶の融解点 より
↑ こちらを参考に自分なり理解すると
ボルタンスキーの作品には、共通のモチーフとなるアイテムがあって(←これが通奏低音にあたる)その代表的なものが「古着」であり「写真」。それらは「人の痕跡が残る」もの「かつてそこにいた人の不在」を意味しています。(つまりは、そのアイテムによって人の死を想起させる装置として使われている?)それらを膨大に集積することで、見る人たちに共通の記憶を呼び起こそうと試みた作品を送りだしてきました。(呼び起こされる記憶は見る人の周りでおきていることと連動し直結。震災があった時は、震災による人の死、あるいは、過去の大量虐殺だったり、戦争だったり・・・・)存在が失われるという共通の記憶を呼び覚まそうとしたとしても、個々の見る人によって呼び起こされる記憶は異なり、違う解釈が生まれます。一見、「共通」という記憶も、一様な解釈ではなく、それぞれの多様な記憶とリンクして、呼び起こされてくる。つまりは、見る人の経験によって、作品から受け止められることは変化し、多様性を持った作品となって見る人によって完成される。
芸術家は作品を見る人に対して刺激を与え、
見た人は今度は芸術家となって作品を完成させる。
自らの過去やバックグランドを通して理解する。
そのためにできる限り、普遍的であるようにすることが私の役目
これから作品を見るにあたっては、「古着」を見たら、それは「人の痕跡」として認識して作品を理解する。さらにその裏に込められているものは・・・・と考えてみる。そういう作品に込められているテーマを知ることができたので、次に同じような作品を見た時は、それを元にして、読み取ることができるような気がします。
ただ、今回、エマージェンシーブラケットの中が、古着だということは、初見の解説にはありません。そのことをどうやってキャッチすればいいのか・・・・ボルタンスキ―のこれまでの作品のテーマ性から、この中は、古着が入っているかもしれない・・・ そうやって想像力を働かせて見ていくということでしょうか? そこのところがまだわからないのでした。
5-2 私の命と生命は、ホロコーストに結びつく。
ボルタンスキーは、はっきりと作品についてこう語っています。自身をホロコーストの生き残りである祖父母、父の子供として、おぞましい記憶、悪夢を聞かされながら、自身の命に焼き付いて受け継がれています。作品の背景に埋め込まれている「ホロコースト」の記憶。それらを「古着」「写真」という人の痕跡の残るアイテムを使い、ホロコーストを背景に埋め込む。これらは、ボルタンスキ―が作品を通して引き継いでいこうとしている永遠のテーマなのだと思いました。それは、「私たちの顔は祖先から受け継がれて作られている」のと同様に・・・・
そして最後に
6.知っているということは、実際に見るよりも意味がある?
その話を知っていることが、実際にその場所に行ってみるより意味がある。
存在することは知っていて、行くこともできるが、行くのは難しい。
だから行かない。
やはり私は、実際に行って、見ることに勝るものはないと現地に行って思いました。この言葉は、ある意味、大衆迎合ではないか・・・と。多くの人がいける場所ではないこと。本当は行って、その目で確かめて感じて欲しいと言いたいはず。でもそれを求めることは難しい状況。そこで、行かなくてもいいんだよ・・・と。
しかし、インタビューでは次のように語られていました。
必ずしも観ることではなく、そこにあると知っていて、
いつか行くことができると知っていることが大事。
巡礼地があることを知っていて、
今はいかないけども、いつか行くことができると知っていること。
ここが大事なんだと思いました。その場所に行きたい。行ってみたい。そして可能ならそれを実現させたい・・・と思う気持ちになること・・・・
切り取られた言葉だけで、判断してしまうと、見逃してしまうことがある・・・・ことに気づかされました。
■【関連記事】展覧会関連プログラム(連番)
■脚注
↑ 美術作品って、作り手の意図を専門家が解説しているけど、専門家の言ってることが、必ずしも正しいわけじゃないと思うし、とっぴょうしもない、解釈があったっていい・・・・ それまでは、アート作品って、よくわからない・・・・・美術の専門家が解説しているようなことを、自分の力で読み取れるようになることが、アートを理解することだと思っていたのですが、そんなことは関係なくて、自由でいいんだ・・・・と思わせてくれたのが、この直島の「きんざ」という作品だったのでした。
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*2:■5-4 エマージェンシーブランケットの素材や仕組みは?
↑ 「人の顔が映る鏡はあなたの作品だけじゃありませんよ。それは、驕りでは?
私は他の人の作品からも自分の顔を何度も見てきました・・・」と(笑)
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