コロコロのアート 見て歩記&調べ歩記

美術鑑賞を通して感じたこと、考えたこと、調べたことを、過去と繋げて追記したりして変化を楽しむブログ 一枚の絵を深堀したり・・・ 

■庭園美術館:ボルタンスキ― 展覧会関連プログラムに参加して ③

庭園美術館:ボルタンスキー展覧会関連プログラムに参加して   の続き

今回、このセミナーに参加できたのは、ボルタンスキ―の作品を豊島で実際に体験してきたということがあったからでした。体験は、理屈に勝る?(笑) かどうかはわかりませんが、参加者の発言が一通り終わったところで、豊島で見たボルタンスキ―作品について、感じたことをお話しました。

 

 

1.豊島のボルタンスキー作品の感想

1-1  心臓のアーカイブ

心臓のアーカイブは、よくわからない作品でした。でも、サンプリングされた心臓音を聞いたら、生まれた赤ちゃんの記念に録音をした心音、おばあちゃんの生きた記録として残そうとしたもの。それらの心臓音に添えられたメッセージを見ていたら、心臓の音というのは、それぞれが生きていることの証なんだなぁと思いました。でもやっぱりこの作品、よくわからないと思いながら、《ささやきの森》に行きました。

 (検査データの後ろに人がいることを忘れてはいけない。と言われたことを思い出します。検査データは単なる数字なのではない。数字の後ろにはその人がいて、その家族がいる。心臓音もそれと同じ・・・ 心電図や超音波検査に携わることがなかったので、心臓音とそれとが結びつきにくかったのですが、心臓の音も検査データと同様、単なる音ではない。そこに生きている人がいて、その回りでともに生活する人の暮らしがある・・・)←これは今、感じたこと

  

【関連記事】

■庭園美術館:ボルタンスキー「アニミタス-さざめく亡霊たち」 4.心臓音

■豊島でボルタンスキ―体験 《心臓のアーカイブ》

 

 

1-2  《ささやきの森》

ここは、行くつもりもなく、たどりついてしまいました。山道を30分近く登るのですが、途中、たいしたことないじゃないかと全く期待をしていませんでした。ところが、その一帯に踏み込んで体験した幻想的な光景は感動もの。この森の終わりを確認したくなって、森の中をどんどん進んで最終ポイントを確認。土地はここまでしか取得できなんだ・・と思っていたら、この森はエンドレスに続く森だったことを帰ってきてから知りました。下世話な自分の考えを見透かされたようで、ボルタンスキーに一枚、とられてしまった気分・・・(笑) 

 

帰ってきたら今度は、庭園美術館に《ささやきの森》が再現されていると聞きました。はっきり言って、子供だましの展示だと思って、それを見てやろう・・・みたいな気持ちで訪れたのですが・・・・ 豊島の光をそこに再現しようという跡が見えました。

 

 

1-3  庭園美術館の作品を初めて見た人に見てほしい光景

絶対に再現できないと思った光の戯れ・・・・・ 
あの感動を、庭園美術館に来た人に、ぜひ知ってほしい・・・・・・・

 

        ⇒  光の戯れ(動画)   ←こんな光の動き   

 

本当は、上の動画、タブレットでも持っていって、参加された方にお見せしたいと思っていました。現地はこんななんですよ~って。

 

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上記の写真の藁に映った光の帯 |←------→| 
この範囲の中で豊島の《ささやきの森》が再現されていたのです。

現地のような大きな揺らめきはありあせんが、でもしっかりそれを彷彿とさせられます。じっと佇んでこの部分を見ていると、豊島の林床が広がるのでした。     

 

事前に藁が敷かれていること聞いていましたが、いくら藁を敷いたってそれは無理。私は、豊島の自然そのものを見てきているのです。そんなものでごまかされません・・・

 

 

と思っていたのですが、小さな豊島の《ささやきの森》を、庭園美術館の室内で感じることができたと思いました。

 

 

 2.講師による解説《ささやきの森》

2-1  引き込まれる作品

実際、体験してきた上記のようなことをお話したところ、「ボルタンスキ―の作品というのは、どうなっているんだろう・・・というように、作品に引き込まれていき森の中に誘われるように散策したくなる」「まさにそのような体験をされてきたのですね」と講師談。

 

踏み込みたくなる森。それを再現するために藁を使ったのですが、当初その藁は、会場全体にびっしりと敷かれていたそうです。しかし、途中から、一部に変わりました。その理由は・・・ (斯く斯く云々の諸般の事情によるものらしく)

 

2-2  藁の敷き方が変わった!

全体に藁が敷かれていた藁

 ①                ②  

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① 出典:混沌こそ未来。。。 (@e712s) | Twitter

② 出典:クリスチャン・ボルタンスキー 「アニミタス-さざめく亡霊たち」 @東京都庭園美術館 - not simple

 

上記のような状態で床面いっぱいに敷かれていれば、そこを歩いたり、座ったり、寝転んだり? できたかもしれません。しかし壁に沿った周遊回路のようなものができてしまうと、そういうことは考えにくくなります。

展示というのは、いろいろなことが影響して、途中から変わるということを他の美術館でも経験しています。会期の始め、中盤、後半・・・・そんな微妙な変化を見るのもちょっとマニアックで面白いかもしれません。

 

2-3  アロマを展示に

今回の藁を使うというインスタレーションは好評のようでした。香りとともに作品を鑑賞するというのは、今回が初めてなのかどうかはわかりませんが・・・・ 参加者の方からも高い支持がありました。前半の香りは、とても強く、しかも部屋全面に敷き詰められていたこともあり強烈だったようです。しかし、しばらくその部屋にいると、その香りもそれほど感じなくなり・・・・  参加者にアロマ関係のことに携わっていらっしゃる方がいて、アート作品とアロマをこのような形で組み合わせるのはとても興味深いと。

 

また、全面に藁が敷かれていれば、当然、その上を歩くことになります。しかし、壁まででなく、回り道ができると、人は中に入ることに躊躇してしまうという心理が働きます。私も、藁をさわっては見ましたが、中に入ろう・・・という考えには及びませんでした。

 

 

2-4  音の同居

豊島では体験ができないこと。庭園美術館のならではの展示。それは、アミニタスの風鈴の音と、豊島の《ささやきの森》の風鈴の音同時に聞けるということだと言われました。この場所にしばらく佇むことができなかったので、両方の音が違うとは思っていませんでした。同じ風鈴。それが同時に鳴っているだけ。個々の音という認識はしていませんでした。

 

立地も違うので吹く風も違うはず。音の響き方も違っていたはず。風鈴は同じものだったのでしょうか? ちょっと気になってきました。

 

 

3.《アミニタス》

 チリのアタカマ砂漠、標高2000mの場所に据えられたインスタレーション。ささやきの森と同じようでいて違うことは、その場所に人が訪れることを想定しているかいないか。アミニタスは、人が訪れることを想定ていしておらず、このまま放置状態で、なすがまま。いずれは、消滅するものとして「歌う魂」を出現させています。

 

それぞれの環境が違うことは、じっと映像を見ているとわかると言います。10分ほど見ていると、透明の短冊が、飛ばされていくのが見えるそうです。砂漠、乾燥、日差し・・・過酷な環境で、じっと佇み、いずれ人知れず消えていく風鈴。

 

砂漠のど真ん中・・・・ 人も訪れないような場所。ひょっとして、ボルタンスキ―自身も、どこの場所かもわからなくなってしまっているとか? と思ったのですが、さすがにそれはないようです。絶対にいけない場所というわけではなく、その気になれば行けなくはないけども、かなり大変な場所ということでした。

 

3-1  24時間の映像

この映像、何分ぐらいのロールを回しているのだろう・・・とふと思っていました。そういうの見極めたくてよく、じーっと見続けたりするのですが今回は、時間がなくて、それができませんでした。5分ぐらいで一巡、しているのかな・・・と思っていたら、講座の中で、24時間の映像を流しているのだということを知りました。ここも、また、一本取られた感じ(笑) 参りました・・・・m(__)m

 

そして、講座が終わったあと、再度、この展示会場に訪れました。すると《ささやきの森》は、真っ暗になっていました。閉館になるので、映像を消してしまったのね・・・・と思ったら、その映像には星がまたたいていたのでした。

 

わかりにくいかもしれませんが、上部に星が見えています。豊島では見ることのできなかった光景です。豊島の森、その夜空にまたたく星・・・・閉館間際のワンシーンでした。

 

 

4.つながる「巡礼の地」

遠い豊島の地にある《心臓のアーカイブ》と《ささやきの森》 本当に行くのが大変な場所です。そんな場所に、人が生きたという足跡を残し、大切な人を思う場所がある。訪れた人はその意味を敬虔に受け止め、「生と死」の意味をいろいろに考えさせられながらその場をあとにします。そしてそのあとも、折々に考えさせられ続けます。その場所は、遠くにありて思う場所・・・・・ として次第に変化し、心の中へと移り変わって、いつしか心の中に「巡礼の地」が出来上がるのでしょう。

 

そんな経験をした人の話が、言い伝えとして語られ、そんな場所があることを知った人たち。そんな人たちの前にも、突如して同じような場所が表れて、遠い豊島とつながり合います。そしてそれは、チリのアタカマ砂漠とも・・・・

 

これからも、世界中に巡礼地ができて、つながりあい響き合っていくのでしょう。

 

■【関連記事】展覧会関連プログラム(連番)