コロコロのアート 見て歩記&調べ歩記

美術鑑賞を通して感じたこと、考えたこと、調べたことを、過去と繋げて追記したりして変化を楽しむブログ 一枚の絵を深堀したり・・・ 

■クリスチャン・ボルタンスキー個展「アニミタスⅡ」(前編)(エスパス ルイ・ヴィトン東京)

 東京・表参道のエスパス ルイ・ヴィトン東京で、クリスチャン・ボルタンスキーの個展「アニミタスⅡ」が開催されています。(会期は2019.6.13~11.17)個展のタイトル「アニミタス」の名がつく映像作品、2点が上映されています。  

  

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同名の《アニミタス(白)》(2017)の映像も、国立新美術館個展「Lifetime」で展示されています。今、東京では、2019.6.12~9.2までの間国立新美術館」と「エスパス ルイ・ヴィトン東京」の2か所で、同じタイトルの作品「アニミタス」を鑑賞することができます。

過去最大規模と言われるボルタンスキーの巡回展は、今年(2019)2月、国立国際美術館を皮切りにスタート。国立新美術館のあとは、長崎県美術館を回ります。

 

■2つのアニミタス

エスパス ルイ・ヴィトン東京で展示されている2つの映像作品は

《アニミタス(ささやきの森)》
《アニミタス(死せる母たち)》

 

入口の解説パネル。

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内容をかいつまむと・・・・

 

〇ボルタンスキーについて

ボルタンスキーの主要な関心事は記憶・追悼と時間であり、自身の人生、そして無名もしくは身元不明の人々の人生の出来事に題材を求め、自伝的要素や歴史への言及を有した制作に取り組み、真実とフィクションを組み合わせて過去の「再構築」を図っています。

 

彼は、記憶を喚起する力が強い私的要素と特定の個人との関係性を持たない要素──写真、新聞、アーカイヴ、洋服──を用いつつ、形式と感情に支配されたインスタレーションを制作することで、個人と集団の運命が交錯する道をなぞっています。

 

記憶と、その必然的帰結である記憶の薄れや完全な忘却に対する強迫的な恐れは、伝説や神話を作り出す能力と共に、彼の作品世界の核心的テーマです。

 

〇作品について

それぞれの《アニミタス》の映像は、日の出から日没までをワンカットで連続撮影したものであり、草花の絨毯と組み合わされて上映されます。

 

草花は時の経過と過ぎ行く来館者の流れと共に自然の摂理にしたがって姿を変えてゆき、ボルタンスキーの言うところの「星々の音楽と漂う魂の声」を連想させる風鈴の音色がやさしく響き渡り続けます。

時間の流れと共に消滅する運命にあるこれらのインスタレーションは、ボルタンスキー個人の歴史を、設置する土地そのものの物語、すなわち何千人もの死者の魂の物語と1つにする試みです。

2つの作品は、ボルタンスキーの近年における最も野心的なプロジェクトの1つに属しているといいます。

 

 

■ア二ミタスとは?

作品のタイトル《ア二ミタス》は、スペイン語で「小さな魂」を意味し、死者を祀る路傍の小さな祭壇のことです。チリでは交通事故などで亡くなってしまった人の魂を慰めるために道端に作られる小さな祠(ほこら)を指します。

 

〇実物は?

具体的には、どのようなものなのでしょうか?画像検索をしても、今は、その画像がみあたりません。ボルタンスキーの作品ばかりです。また、言葉の解説も出てきません。庭園美術館で展示された時に、「アニミタス」を調べた時は、画像や解説があったと記憶しています。)

 

日本語版のwikiphedhiaにはなくこちらにありました。 

 

【翻訳】

アニミタは、一般的に公共の場での悲劇的な出来事を思い出させるチャペル聖域または寺院として開発された宗教的または神話的崇拝の場所を指すのに使用されるチリの用語です。それはまた、何らかの地球外の特徴があるとされる尊厳や性格の非公式な崇拝の場としても確立されています。     

 

【語源】

「アニマ」(ソウル)の略、音声「animita」[ 1 ]チリで排他的に使用されています。でペルー用語は不明であり、単に「神社」や「聖域」と呼ばれています。

*アニメ アニマル アニミズムなどと語源が同じでしょうか?
(最初に「アミニタス」と認識してしまい、今だに混乱します。混在を修正)

 

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これらの「アニミタス」のオマージュとして、人里離れた広大な野外に設置されたインスタレーションです。作品と比較するとかなりイメージは違います。

 

 

〇4つのアニミタス 

上記で紹介したような「アニミタス」が原点となって発展し作品が、現在、下記のような4つの作品があります。 f:id:korokoroblog:20190804141249p:plain

①《チリ》:第一作の《チリ》

なかなか人が入り込めない高地で、最も乾燥が厳しいアタカマ砂漠に、風鈴をつけた棒を設置した作品です。

この場所は、人工的な光源と大気汚染が極めて少ないため、天体観測に適していて、星がきれいな場所として知られています。

www.instagram.com

そのため、観測所が作られ、最新の機器が導入されています。  近くには、ウユニ湖もあります。

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引用:wikipedhia 

一方、1974年大統領に就任したピノチェトは、独裁者と呼ばれ、左派系の人が誘拐され行方不明となっていました。その人たちを偲ぶ霊廟、巡礼地の意味もありました。

 

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ピノチェト政権時代に殺害された労働組合指導者を元気づける

引用:Animita - Wikipedia, la enciclopedia libre

 

インスタレーション作品を日の出から日の入りまでワンカットで連続撮影したもので、人間の存在の心もとなさ」や「忘却」「喪失」「記憶の脆さ」といった時の経過を表現している。

 

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《アニミタス/ささやきの森》2016年 庭園美術館「クリスチャン・ボルタンスキー アニミタス-さざめく亡霊たち」

ボルタンスキーが誕生した日(1944年9月6日)に南半球で見られた星空の配列を、細い棒を大地に突き刺して再現しています。⇒(*1

棒の先には300個の日本の風鈴がつけられています。同シリーズはその後、同じ星の配置を基本に風鈴が設置され、再解釈しながら、別の3つの土地に設置されました。⇒(*2

③が国立新美術館で展示されている作品です。 

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《アニミタス》(白)

 

 

 ■《アニミタス》(白)

 

 

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同じタイトルの「アニミタス」という4つの作品のうち、現在3点を見ることができます。美術館という箱の中で見る作品と、自然光の入るガラス張りのビルの中で見る作品。似て非なるものとして受け止めることができそうです。

 

 

〇作品の消滅

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 上記の作品のうち、②のほかは、全ては、環境に配慮し、時間の経過とともに消滅する運命にあります。その一部を、映像として、日の出から日の入りまで、時の流れをワンカットで連続撮影しています。

 一方、②の《アニミタス(ささやきの森)》は、唯一、残されていく作品です。ボルタンスキーは巡礼地として残っていくことを願っています。

《ささやきの森》豊島

 

〇伝説として

世界各地に点在する「アニミタス」。4つの「アニミタス」は、これからさらに増えて、伝説のネットワークは広がっていくのでしょうか?

[http://:title]

青:アミニタス作品  灰色:作品展示美術館

 

人間の存在の「心もとなさ」や「忘却」「喪失」「記憶の脆さ」など、時の経過を表現しているというアニミタス。  

  

4つ全ての「アミニタス」を見ることができました。エスパルで新たに見るのは、イスラエル死海《死せる母たち》です。

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《アニミタス (死せる母たち)》

これでコンプリートです。同名のタイトル作品を通観することで、また何かが新しい世界が見えてくるでしょうか?

 

7月上旬、18:00頃から閉館まで、ずっとその変化を見てきました。最後の瞬間がどうなるのかを見極めたくて・・・・ 鑑賞後、時間がたってしまって、直後のリアルな感覚はは失ってしまいましたが、見続けることで見えてきたこと。次にに紹介したいと思います。

 

(続)

 

■脚注・補足

*1:■なぜ星空を再現? なぜ、南半球の星空?

ボルタンスキーはなぜ、生まれた日の星空を再現したのでしょう。よく「〇〇の星のもとに生まれる」と語られるように、誕生と運命を星に代表して表現されます。占星術や守護星など、誕生と星は、密接な関係にあります。また、命の誕生は、月の引力の関係で語られることもあり、誕生と星は切ってもきれない関係。

自分が生まれたことの証をここに記す。そして、この地に降り立ったという存在の証の意味もあったのかもしれません。自分の生まれた日の星座の配置をそこに刻むことで、そこから始まる新たな運命を示唆しているのでしょうか?

これから先(死んだあとも)星に委ねられた自分の運命を思いながら、300の風鈴をここに残したのではないでしょうか?

ところで、なぜ、生まれたパリのある北半球の星空ではなく南半球の星座を残したのでしょう。北と南、実は表裏一体で、つながっている。そんなことを意味しているのかも…と考えていましたが、なんのことはない。南半球のチリ、アカタマ砂漠にいたからです。今、私はここにいる。その場所から見える生まれた日の星座を記すのは必然のことなのでしょう。

 

*2:■自分の立ち位置は関係ないよう
その後、いくつかの場所に同じような作品を作りました。場所を北半球に変えても、南半球の星座を再現したようです。

 ちなみに1944年9月6日 南半球の星座がどんなものなのか検索してみました。比較的簡単にわかるかと思たのですが特定できません。

「星座早見盤(Southern Hemisphere Edition:南半球用)」というものがあるようです。

https://search.rakuten.co.jp/search/mall/%E6%98%9F%E5%BA%A7%E6%97%A9%E8%A6%8B%E7%9B%A4+%E5%8D%97%E5%8D%8A%E7%90%83/