ミュシャの大作、スラヴ叙事詩、全20作品が一堂に会するミュシャ展。20作品ってどんな作品なの? 全作品のタイトルは? いつ頃の時代からいつ頃までの歴史を描いたのか、制昨年は? 周辺の出来事は? といったことを全体を通して把握するためにに、表にしました。
解説は、HPの解説(出典:ミュシャ展)を参考に、解説の中から「描かれている場面」をとりあえず抜き出しました。
- ■スラヴ叙事詩 20点 おおまかな流れ
- ■《スラブ叙事詩》が描かれた時代は?(世紀別に色分け)
- ■ミュシャ 年譜 (スラヴ叙事詩との関連)
- ■《スラヴ叙事詩》描かれたものが表していることは?
- ■「スラヴ叙事詩」の描き方
- ■スラブ叙事詩を描くきっかけ
- ■関連
■スラヴ叙事詩 20点 おおまかな流れ
「全タイトル」「作品画像」「制作年」「描かれた時代・年代」「描かれている場面」「解説」を一覧にしました。(解説は、ミュシャ展:作品紹介のページを参考にしています。「描かれた場面」は解説部分から、描かれている場面を別項目として書き出しました)
■《スラブ叙事詩》が描かれた時代は?(世紀別に色分け)
●3~6世紀:スラヴ民族の祖先が他民族の侵入者を恐れ、
身を隠しながら暮らしていたという歴史からはじまる。
●9世紀:スラヴ語が弾圧、教会でスラヴ語が使えるよう教皇の許可をもとめる。
スラヴ語に表記するためのグラゴール文字を考案したり、
高名な学者にスラヴ語の翻訳をさせる。
この時代は、スラヴの文学と美術の幕開で、この時代ブルガリア人はすべてのスラヴ民族の中で最も進んでいた。
●13世紀:オタカル2世 スラヴの連合を掲げる
●14世紀:ビザンティン帝国衰退 スラヴ民族領土、南方に広げる
東西ローマ帝国はスラヴ人によって納められる
ミリーチがヤン・フスの宗教改革にさきがけ説教
●15世紀:ドイツ騎士団が北方スラヴに侵攻
ポーランド、ボヘミア王連合、ドイツ軍に勝利。
ボヘミア・モラヴィアからヤン・フスの宗教改革始まる
ヤン・フス 火刑
その後、信仰を守るには武器は必要と改革派の司祭へ
フス戦争 住民は司祭に救いを求める。
ローマ、ボヘミアへの十字軍進行やめフス派の要求認める
ボヘミアの貴族がイジ―を国王を選出新教徒を結束。
●16世紀:トルコ軍の侵攻をクロアチアが攻防。
モラヴィア地方に、モラヴィア兄弟団設立
●17世紀:改革派 敗北 プロテスタント亡命 ボヘミア兄弟教団指導者も
●19世紀:スラブ文化の再興 民主主義的団体結成
20世紀 団体弾圧
ロシア農奴制 廃止
●20世紀:スラヴ民族勝利
以上のように「3~6世紀」から 1900年代まで長きに渡り、侵略されたり、盛り返したり・・・・ 言語の弾圧があったり。宗教改革によって変革派が台頭てもまた、改革派は敗北。その後のスラヴ派よるスラヴ文化の復興し、民主主義へ・・・ しかし、20世紀にはまた弾圧されてしまう・・・・といった千変万化の歴史を経てスラヴ民族の勝利を描く。
■ミュシャ 年譜 (スラヴ叙事詩との関連)
スラブ叙事詩の描かれた順に年代別。その周辺の出来事
〇【1860~1907年】(誕生~結婚)
〇【1910~1917年】(スラヴ叙事詩 制作)
〇【1918~1926年】(スラヴ叙事詩 制作)チェコスロバキア成立後
〇ミュシャ:【1929~1939年】晩年
《スラブ叙事詩》の制昨年を追加
■《スラヴ叙事詩》描かれたものが表していることは?
それぞれの絵が、どんな場面が描かれているのか? ここが一番、わかりにいところです。スラブの歴史、史実などをもとに、西洋画とはまた違う、アトリビュートがあり難解。ミュシャのHPの解説だけでは、詳細の把握はできませんでした。芸術新潮がミュシャの特集をしているので、それらも参考に、絵の中に表現されたものが何を表わしているのかを番号で表示。(解説から部分を探るのですが、イマイチわかりにくところもあり、ここかな? という部分もあり)歴史や背景などもわからないと、それが意味することがわかりません。絵に番号を振りながら解説。赤字はこの絵を通してミュシャが伝えたかったことです。(参考:ミュシャHP 芸術新潮 特集)
こんな感じで表にまとめていこうと思ったのですが、セル内の折り返しだけで記載するのは書きにくいため、記事スタイルで順次、追加の予定。
⇒■全20作品「スラヴ叙事詩」の画像と図解 描かれているものは何?
↑ こちらにまとめました。
■「スラヴ叙事詩」の描き方
〇下半分に現実や歴史的事実、上半分には空想やミュシャの思うことを描くという構図が多い。
〇主要人物がはっきり描かれていない あえてぼんやりと認識しにくい
〇民衆にスポットをあてる 表情 目力 正面
〇《スラヴ叙事詩》ではポスター作品では見られない、炎や太陽光などを用いた明暗の描写が効果的に使われる
■スラブ叙事詩を描くきっかけ
〇1900年パリ万博でボスニア・へルツェゴヴィナ館のスラヴ民族の歴史を主題とする壁画の依頼
取材でバルカン半島、ロシアを訪れたとき
〇アメリカ滞在中 ボストン交響楽団が演奏するスメタナの「モルダウ」を聞いた時。
いろいろに言われているが、ミュシャの単なる思いつきではなくスラヴ民族の血を引くミュシャの最も深いところに根差す。
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■関連
〇ミュシャ展:感想
〇ミュシャ展:予習 復習
〇ミュシャ展 混雑 知っ得情報