2年前の2015年5月 琳派400年。根津美術館で尾形光琳の代表作《紅白梅図屏風》と《燕子花図屏風》が同時展示されました。《紅白梅図屏風》は何度か見てきたのですが、何がいいのか全くわかりませんでした。その時に記録した日記を、こちらに移動しました。
- ■3度目にみる《紅白梅図屏風》
- ■初めて見た印象
- ■2度目の鑑賞
- ■今年(2015年)は琳派400年の年
- ■何もないところから作り上げること
- ■歴史が教えてくれること
- ■改めて『紅白梅図屏風』
- ■根津美術館の《紅白梅図屏風》
- ■音声ガイドによる解説。
- ■この梅図には、いろいろな解釈がある
- ■他の解釈
- ■鑑賞は見る人の鑑賞レベルを露呈?
- ■少しずつ理解をしていく面白さ
- ■絵のよさが理解できないのは、解説によっても変わる
- ■琳派400年の歴史
- ■ポーラ美術館の動画より
- ■付記 (2017.03.08)
- ■根津美術館での初心者の鑑賞記録
- ■知識の未熟さによる間違い
- ■関連
- ■脚注
[2015.5.13]記録
■3度目にみる《紅白梅図屏風》
この絵を見るのは3回目です。過去の2回は、MOA美術館でした。MOA美術館では、年1回だけ、2月の梅の時期に合わせて公開される貴重な国宝です。この絵を一度は、見ておきたいという声を耳にしてきました。しかしいったいこの絵にどんな魅力があるのでしょうか・・・・
■初めて見た印象
初めて見たのは、2008年頃だったでしょうか? 正直言って、よくわかりませんでした。音声ガイドも借りて解説も聞きましたが、あっそう・・・ と思っただけでした。鑑賞後、何か気になることがあると、戻って調べたりするのですが、そんな欲求もなくそのまま放置されていました。
■2度目の鑑賞
次の機会がめぐってきました。解説は、前回と同じようなことを言っていたと記憶しています。やっぱり、感想は、同じように、「だから?」としか思えないのです。(すみません・・・)解説は、書かれた絵の説明を、見たまま、そのまま説明しているだけ・・・と思ってしまうのです。うろ覚えですが、次のような内容だったと思います。
〇MOA美術館の解説
◎左右の紅白の梅が対比されている。
右は勢いのある若い梅を表し、左は白い老木。
(新旧を対比させるなんてそんな描き方は、
どこにだってあることじゃない?)
◎画角から枝や幹が飛び出し、梅の大きさをイメージさせている。
(日本画では、そんな手法は、だれもがやってきたことだと思うけど)
◎中央を貫く川の構図が秀逸
(遠近法を用いて、S字カーブで奥行きを持たせるなんていうのも、
よくありがちな構図・・・)
◎水のモチーフは琳派独特の手法
(だって、既存の表現法を、水全体に散らしただけの話でしょ
モチーフの繰り返しなんて、べつに珍しくもないし)
◎梅の幹は、たらしこみの技法を用いて、リアルに描かれている。
(たらしこみの技法だって、光琳が考えたわけではないし、
過去の技法を踏襲して、それがうまく幹の表現にはまってってだけの
ことなんじゃないの?)
解説の内容が、これまで見てきた作品でも使われているものばかりで、目新しさを感じませんでした。
そして、よくわかりませんでしたが、「左の白梅の川面すれすれのところで、鋭角に曲がる枝について、かくかくしかじか。その枝が水面に接していることが、なんたらかんたら・・・・」ここは失念。
それについても、だから、それが何だっていうのかがわからないのです。光琳の絵を見たまま、そのまま、解説しているだけと思ってしまって、そんな構図や描き方、私はこれまで、いろんなところで見てきた・・・・と思っていました。毎度のことながら、「だからなんだっていうの?」という感想しかなかったのです。
どうして、これが国宝となり、一度は、見てみたい絵なのか。全く理解ができませんでした。
■今年(2015年)は琳派400年の年
初めて紅白梅図屏風を見てから3年がたちました。今年は、琳派400年でいろいろなイベントがあるらしいです。琳派400年の歴史が少しでもわかれば、この作品の凄さが、わかってくるのかも・・・・
そう思って、まずは、高島屋で行われた細見美術館 琳派のきらめき|タカシマヤ に光琳も出品されていたので、でかけてみました。そこでわかったことは・・・・
■何もないところから作り上げること
何でもそうですが、出来上がってしまったものを見て、あれこれいうのは、簡単なことです。ところが、全く何もない「0」の状態から何かを作り上げるというのは、とても大変なことです。
光琳がこの絵を描こうと思いたってからのことを想像することができました。
全くの白紙の屏風に、さて、何を描くか。その題材の選定から始まります。
「梅」という題材も、「川」という題材も、最初は、何もない「素」の状態からスタートしているはずです。まずは、この屏風に何を描こうか・・・・という題材集めがあって、いろいろな構想を練って・・・・ その中から、「梅」と「川」が選ばれたのでしょう。なぜ、「梅」と「川」だったのでしょうか・・・⇒【*1】
題材が決まってからは、それをどう配置させるか。構図を考えるという流れがあったと考えられます。全ては、何もないところからの発想です。そう考えると、ここに至るまでの試行錯誤があったことが考えられます。
■歴史が教えてくれること
今年(2015年)琳派400年という歴史に触れました。すると、絵には、時代背景があるということに気づきました。
これまでの絵の鑑賞は、興味のあるものだけを見てきました。それらは、断片にすぎなかったのです。これまで「時代」という感覚を全く持たずに見ていたことに気づかされたのでした。
絵画を理解するには、歴史を知る必要がある。言葉の上では理解していましたが、こういうことなんだとやっとわかった気がします。
光琳の『紅白梅屏風図』その中で、表現されている手法は、その当時の表現方法として、斬新だったのではないか・・・・ということに思いを馳せることができるようになりました。
これまでの鑑賞経験からすると、見聞きしてきた手法ばかりで、新鮮味を全く感じることができなかったのです。ところが、これまで見て知っていた表現方法は、光琳のあとの時代に、描かれたものだったのです。
〇鑑賞体験の罠?
鑑賞体験の初期というのは、最初に見たものが古い作品と思ってしまうところがあることに気づきました。時代ということを全く意識せずに見てしまうため、前後関係がぐちゃぐちゃ、制作された時代というものを全く無視して、自分が見た順番に古いものという錯覚をおこしていたということがわかったのでした。もしかしたら、私がこれまで見てきたものは、光琳や琳派の手法が、引き継がれた結果なのかも・・・・ そんなことまで、想像できるようになりました。
〇既出でしょ! と思ったのものは・・・・
当初、S字の川・・・・と言われても、そんなのモネだってポプラ並木をS字カーブで描いているし、S字の曲線で、遠近の効果を狙うなんて、私だって知ってたし・・・ とそんなふうに思って見ていました。ところが、モネと光琳の生きた時代という視点が全くなく、モネはずっとあとの時代の画家だったことを知りました。
真ん中にどんと川を配置して、手前の川幅を広くした遠近法。手前の広がりを次第に奥に集約させた構図。これ、北斎の版画で私、見てるし、それをモネが真似したわけでしょ。北斎がすで描いてるし・・・・思っていました。北斎と光琳、時代はどっちが先なのでしょうか? こうした時代背景を理解していくことが、今後の課題だとわかりました。
対比させるという手法は、今でこそ一般的になっていて、別に目新しいものではありません。しかし、その当時としては、相反するものを並べるというこは、斬新なことだったのかも・・・・ということを想像することができるようになりました。今は、一般的に目にしているかもしれないけども、この時代はどうだったのか? と考えることがポイント。
川を真ん中にデンと配置するなんてことも、その時代は、それが斬新だったのかも・・・そう思えるようになってきて、光琳の描写は、自分にとっては、おなじみなものばかりでしたが、ひょっとしたら、これまで見てきた作品の源泉となるものだったのかも・・・・
二曲一双の屏風がめずらしくて大胆、とか、流れる川を分断してしまったことが斬新。と言われても、有名な屏風なので、このスタイルは、基本的なものだと思っています。このスタイルが珍しいと言われてもわかりません。他の屏風の鑑賞経験が足りないのです。川を分断することが斬新だったということは、当時は、左右にまたがって描くということは、邪道だったのか? なにか描く上でのルールみたいなものがあったのか・・・とまだまだ、理解しなくてはいけないことがたくさんりそうで、大変そうです。
しかし、今の時代とは違う。その時代の中でとらえることが必要なんだ。という想像力の働かせ方がわかってきました。
■改めて『紅白梅図屏風』
今年(2015年)は、光琳没後300年。根津美術館に、あのよくわからなかった『紅白梅図屏風』が来ています。何がすごいのかよくわからなかった屏風も、琳派の歴史を知ったあとに見たら、また何か違う捉え方ができるのかもしれません。
琳派の時代の流れをちょっとばかり知ることができたので、それと照らし合わせて見たら、その素晴らしさがわかるかも・・・と根津美術館にでかけてみることにしました。
■根津美術館の《紅白梅図屏風》
〇なにも見ずに鑑賞
とりあえず、テーマを絞って、光琳の梅だけをじっくり見ることにしました。音声ガイドを借りましたが、まずは何も見ずに、これまで見てきたこと、聞いたこと、知っていることを照らし合わせながら、今、目の前にあるこの絵を見て、何を感じ取ることができるか・・・・
やはり、感想は同じでした。
でも、琳派の歴史、そして光琳がこの絵を描いた時代に、他の画家たちがどんな絵を描いていたのか。そんなことに興味をもちました。そあたりのことがわかれば、この構図や描写の斬新さというのが、理解できるのかもしれない。そのためには知識が必要。 :感性は知識。という言葉が思い浮かびました。⇒【*2】
■音声ガイドによる解説。
自分で鑑賞したあと、音声ガイドの解説を聞きました。そして、ガイドをメモしてきました。これまでも、MOA美術館で2回、音声ガイドを聞いています。聞いた時は、なんとなく、わかった気になっていたのですが、結局、うろ覚えで、何が語られていたのか、よくわからなくなっていました。今回は、しっかり書き留めてきました。
今回のガイドは、1つの絵に対して、3つのガイドで構成されていました。
◆1部:作品に関する解説 メモより
・紅白の梅、花のかわいらしさ。
・水流というシンプルなモチーフながら、斬新な造形。
・水流をはさむ紅白の梅
・細い幹反り返らせ枝をさかんに、上に延ばす紅梅は若々しさを。
・地面に届かんばかりに枝を屈曲する白梅は年月の経過を感じさせる。
・老熟した梅。
・湾曲したS字曲線の図案。・幹や枝のたらしこみはリアルな描写。
・花は単純化されかわいい。
・大きく湾曲して分断する流水
・偏平なS字曲線と渦巻きの図案のような流水が、
勢いよく枝を延ばす梅のいきいきした表現と対比。
・対立要素が梅の金やの多彩な・・・?
・曲線、屈曲 流水と拮抗し絶妙なバランス。
ここまでのガイドを聞いても、これまでMOAで聞いてたことと同じことばかり。やはり、だから、なんなんだ・・・・という同じ感想でした。わざわざ来たのに、何にも新たに得るものがない・・と思いながら次のガイドを聞きました。
〇作品に関する解釈の解説
冒頭にあった一言・・・
これらの対立要素、鋭角の曲線は、
いろいろな解釈が生まれます。
この一言を聞いて、やっとわかりました。私の求めていたことは、これだったんだ! ということが見えました。
〇絵から何を読み取るか
これまでの解説は、見たままを描写し、言葉に表されていただけでした。そこから、作者は何を言いたかったのか、何を読み取ることができるのか・・・・心の中では、そんな広がりを求めていたんだと。なのに、解説だけで終わってしまって消化不良状態をおこしていたのでした。そのため、いつも「だからなんなの・・・」という感想になってしまっていたということだったのです。
◆2部:紅白梅の「解釈」に関する解説
上記の言葉のあとに、次のような解説が続きました。
〇白梅が光琳、紅梅が、パトロンの中村内蔵助を表しているという説がある。
〇両者の関係の間に「さん」という芸妓がいて、それを川で表現した三角関係を表しているとか・・・
〇宗達の風神雷神を模写し、そのオマージュ的として変換されたものという説
〇風神、雷神の対比を紅白の梅で表しているとか・・・〇梅は中国の詩人「?」が、梅の詩を読み、その梅の特徴を描いたとか
〇謡曲からきていて、紅梅は春の到来。白梅はたそがれの倒木を表している・・・
いくつもの解釈が示され、理解できるものもあれば、まだ歴史などの知識が未熟なため、わからないものもあるけども、おいおい理解していけたらいいなと思えたのでした。
◆3部:作成にまつわる解説
さらに解説は、制作についても、触れられていました。
〇この絵に金は使われていないと言われていたが、使われていたこと。
〇流水の描き方の解説。(銀白地 流水 イオウ 銀)
〇そして、描かれた当初の、色合いについて、今は変化している。
以上のような内容を聞いて、やっと、これまで、この絵の素晴らしさが、私には理解できなかった理由が、見えた気がしました。
絵画は、描かれたものから、いろいろなことが読み取れるということだったのです。その読み取り方の例や、ヒントを、ちょっとでも示してもらえると、その後の鑑賞をどうすればいいか、道筋を示してくれることになるでした。(私の場合はということかもしれませんが・・・・)
上記で示された解釈で、興味のある部分は、もう少し調べてみようかなと思いましたし、今は「謡曲」って言われても何のことかわからないけど、知識が増えて、歴史もわかるようになれば、その意味もだんだん理解できるようになるかもしれない・・・・そんな期待も含め、これからの方向性や広がりを示唆してもらえるガイドだったのでした。
このガイドによって、絵の見方が変わる「大きな転機」にもなったように思っています。
■この梅図には、いろいろな解釈がある
そのことを理解したことで、どんな人が、どんなことを言っているのだろう。専門家は? 美術愛好家は? そして何も知らない私のような人は? 初めて見た人は、みんな、この絵をすごいって感じることができたのだろうか・・・そんなことに興味を持ち始めたのでした。
■他の解釈
他にどんな解釈があるのか調べてみました
〇流れる川は「時の流れの象徴」
(なんとなく、そんなことを感じていたように思います。
この蛇行する川が、人生を表していたり、
あるいは、琳派の流れを踏襲していく流れを表していたり、
あるいは、自然との共生に置いて、水というものは不可欠。
日本人の自然感、水の豊かな日本の国土の象徴だったり・・・)
〇左の白梅の鋭角の枝のV字と、右の紅梅は、曲線のV字。直線の対比。
▲和楽ムック 「琳派」最速入門 p50 より
(この図解は、どこかで見た気がしましたし、
MOA美術館の解説でも聞いた記憶があります。
ただ、こういう、構図の解説というのは、
専門家が、自分はこんなこと見つけちゃったぞ~
という自己満足、自己主張じゃないかな・・・って思ったり 笑
⇒【*3】
〇「梅の静と、水の動」「抽象的な川とリアルな梅」
(このあたりの解釈は、時代背景や知識がなくても、
読み取りやすい解釈で、初心者にもわかりやすいし、
初心者でも読み取ることができる気がしました)
■鑑賞は見る人の鑑賞レベルを露呈?
以上のように相対するものを対比させた構成は神がかりであり、常人には浮かばない発想で天才たるゆえん・・・・と結ばれていました。
(絵の中に対比の構図があるというのは、
今の時代は、誰もが考えることだし、
めずらしいことではないはずです。
ところが、一つの対比だけでなく、いろいろな要素の対比が
盛り込まれているということがこの絵のすばらしさ)
こうして、いろいろな要素を見つけ出せるということは、見る人の知識量に比例してくるわけです。いろいろな要素を見いだせるということは、見る人の知性の表れともいえます。それは、見る側、鑑賞者の自尊心をくすぐって、自己満足感を与える役割もしているのかもしれない・・・・と思いました。
教養のないものには、わからないけど、自分には理解できる。見つけ出せる。そして、年月を経て知識が増えるごとに、新たな解釈に気づかされる。
優れた作品というのは、見る人の知識や経験によって、いくらでも深めることができる奥深さがある、ということなのではないか・・・と
裏を返せば、知る者は高みから見ていて、知らない者に対して、小バカにしているような印象を時として与えてしまうのかもしれません。当事者はそんなことはないのに・・・・と思っていても、知らない者からすると、鼻もちならない・・・と見えてしまうものです。
「お前らにはわからないだろう・・・」vs「知識人は鼻もちならない」
そんな構造をもたらしているような・・・・(笑)
■少しずつ理解をしていく面白さ
その後、音声ガイドの解説をヒントにして、制作方法を調べたり、いろいろな解釈にはどんな解釈があるのかを調べたりしました。金箔が使われて「いない・いる」ということが解明された経緯が詳細に記されている資料をネット上で見ることもできることを知りました。
それらの解釈の詳細を調べてみると、そのような解釈が生まれる時代の背景が、だんだん見えてきたり・・・・ また、詳細な科学の研究も時代によって変遷してきたことが見えてきました。
■絵のよさが理解できないのは、解説によっても変わる
何で、この絵がいいと思えなかったのか・・・・・私には、見たままの説明されただけのガイドでは、理解できなかったのだということがわかった。ということが、今回の大きな収穫でした(笑)
そこに何が込められていたのか。それを想像してみる・・・しかし、知識がないとその想像をする素がないため、想像することができないのでした。
■琳派400年の歴史
私淑の意味がわかってやっと、この絵が何を受け継いだのか。そして何を加えようとしたのか。そういう見方ができるようになりました。
当時は、この構図は斬新だった。ならば、当時の絵はどんな絵が描かれていたのかか・・・そんなところも気になるようになってきました。
長年の何がすごいのかがわからない。その理由がやっと解けた光琳展でした。
■ポーラ美術館の動画より
10年前に見た名画
今日また新しい魅力をみつけた
時間と経験は感覚をかえるもの
何を思い 何を感じるかを知ること
それが自分と向き合う時間
その言葉が、染み込んできます。
「何がすごいんだろう。全然、わからない・・・・」
という状態から
「なんとなく、すごい理由の断片がちょっとだけ見つかった」に
変化しました。
3年という時間が、ちょっとだけ、「時代」
ということを意識させてくれるよになりました。
これからの時間と経験は、どんな変化を与えてくれるのでしょうか・・・
■付記 (2017.03.08)
2年前に見ていろいろ思うことのあった、ポーラ美術館の動画。そしてことし、光琳を見てみつけたこチラの動画。音楽や、撮影方法が同じテイストのように感じました。何か、共通点を見つけた気がしています。
《紅白梅図屏風》から何かをつかみかけて、2年がたちました。
2017年春に見た《紅白梅図屏風》は、何を感じ取らせてくれるのでしょうか?
以下は、2年前に3回目 根津美術館で《紅白梅図屏風》を見た時の記録
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■根津美術館での初心者の鑑賞記録
[2015.5.13記]
紅白の梅は、老木と新木の対比されている。という知識はありましたが、どっちがどっちかというのは、あやふやのままで、解説を見ずに、自分で判断してみようと思いました。
〇先入観なく鑑賞
最初に見た時、右の「紅梅」が老木だと思いました。何をどのように感じてそう思ったのか忘れてしまいましたが、なんとなく、幹が古い気がしたから・・・
解説を読んでみました。
老木と若木の答え合わせをしたら・・・・ ガーン・・・・
あれだけ、何度も見てきた屏風ですし、行く前に解説も見ていました。それなのに、実際に見たら、逆に捉えてしまったのです。
作品をいかに見るか、というのは、こういうことなんだと思うのです。かくかくしかじか、という解説を最初に見てしまうと、そのように見えてしまうもの。だから、まずは自分で感じてみる。
そしてどうしてそう感じるのかをも考えて見る・・・
すると、自分が感じたことが、解説とは全く逆・・・・そんな経験を、過去にも何度かしています。⇒【*4】
〇味覚にも先入観が影響する
これ、味覚でも言えることだと思うのです。これは、こういうものです・・・・・と言われると、そう思って食べて、そのように感じてしまいます。⇒【*5】
絵画を見る時も、調理法にしても、どっちがどっち? その違いを当てようとすると、逆を言ってしまう。そんなことがこれまでも、よくありました。そのため、言われたまま、鵜呑みににするのではなく、まずは自分で、先入観なしに、知識を入れずに判断して感じてみることにしています。知識を入れたとしても、それを一旦、リセットして何も知らない状況を作ってみるようになってきました。
そして、もし、違ってしまったときは、何でそう思わされてしまったのか探ってみると
面白いこことが見えてきたりします。
■知識の未熟さによる間違い
この梅の老木と新木。これを取り違えてしまったのは、単に私が梅の生態を知らなかいという知識不足からでした。知識がないから、間違った・・・・と理解しました。
梅が老木になると、どういう枝ぶりとなるのか。若い木は、新木がいっぱいでてくる。考えてみれば、確かにわかりそうなものですが、絵を見た印象からは、若いと言われる紅梅の木の幹に、古さを感じたような気がします。
何をもって「老い」なのか・・・・ 考えさせられます(笑)
■関連
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2017-03-12 ■MOA美術館:杉本博司《海景-ATAMI》
2017-03-09 ■MOA美術館:国宝常設《色絵藤文茶壺》の新発見!?
■脚注
描くにあたって、てっきり題材集めをいsたのだと思っていました。が、パトロンがいて、パトロンから「梅」と「川」というテーマが、決まっていたらしいことが判明。
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*2:■久石譲に学ぶ「感性」を磨く方法 : まだ東京で消耗してるの?
↑ 作曲には、論理的な思考と感覚的なひらめきを要する。論理的思考の基になるものが、自分の中にある知識や体験などの集積だ。何を学び、何を体験して自分の血肉としてきたかが、論理性の根本にある。感性の95パーセントくらいは、実はこれなのではないだろうか。
最近いろんな人と話していて思うのは、結局いかに多くのものを観て、聴いて、読んでいるかが大切だということだ。創造力の源である感性、その土台になっているのは自分の中の知識や経験の蓄積だ。そのストックを、絶対量を増やしていくことが、自分のキャパシティを広げることにつながる。
【追記】2017.09.04
2015年当時、はてなの有名人、イケハヤさんのブログをリンクしてたようです。ちょっとびっくり。本当は志村 史夫氏の『理科系頭で考える技術』の感性を磨くための話を探していたのですがみつからず、似たような話を取り上げたのでした。(⇒■知識の融合 考える大切さ)
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*3:■↑北斎の富嶽三十六景でも、いろいろな線が加えられた構図に関する解説を目にしたことがあるのですが、北斎はそこまで考えて描いてはいないのでは? たまたま、図解していたら、あてはまってしまっただけで・・・ そんなわけで、この梅の枝や川のカーブの対比の図も、本当に光琳はそんなこと、意図したのかな・・・ って思ってしまうのでした。
⇒北斎の補助線図については実際に、北斎はコンパスなどを用いていて、幾何学的なバランス比など、考慮していたことをのちに知りました。)
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*4:■阿修羅展
↑ 3面の顔、怒っている、悲しんでいる、葛藤している。それぞれ顔の表情が解説されているますが、どの顔がどの表情なのかは把握せず、最初に自分で考えみました。
そしたら、見事に間違ってしまったのです。怒りの顔なのに、悲しんでいると感じていたり・・・今回も、同じことがおきてしまいました。(笑)
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*5:■サラダのカット方法
↑ たとえば、ある料理人が水菜のサラダを作る時に、水菜の一本、一本を斜めにカットして下ごしらえをしているという話を聞きました。 それは、断面積が広くなり、ドレッシングが馴染んで美味しくなるからだそうです。そう思って食べれば確かに美味しく感じると思います。しかし、私はこれは心理的トリックだと感じていました。
一本、一本切るのは、まとめて斜めに切るのと何が違うのか。何も言われずに食べたら違いを感じることができるのか。
あるいは、目をつぶって、一本、一本カットしたもの、まとめてカットしたもの、普通に直角にカットしたものを比べたら、その違いってわかるものなんだろうか・・・・ 一括で切ると押し切りとなり、組織が潰れる。引き切りだと、潰れない? でも、一括で引き切りにしたら? なんてことを考えながらも、労力かけているけど、言わなき、多くの人は気づかない。
でも、「この水菜、一本一本、斜めにカットしているんですよ・・・」提供するときの、そんな一言が、ありがたい一品になって、おいしく感じさせられるのではないかと思ったのでした。
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