静嘉堂文庫美術館が丸の内に移転します。 豊かな自然に囲まれた美術館。移転後も庭を見学することは可能だそうです。岩崎家の歴史とともに歩んだ庭、静嘉堂文庫美術館の歴史と合わせてじっくり散策してみてはいかがでしょうか?
- ■デッキから望む景色
- ■美術館横の建物から庭を望む
- ■静嘉堂文庫美術館前の庭
- ■岩崎家玉川霊廟
- ■静嘉堂緑地の自然
- ■谷戸川
- ■静嘉堂文庫美術館へ向かう坂道
- ■トンボの湿地
- ■静嘉堂緑地への脇道
- ■丸子川添いの自然
- ■参考
- ■脚注・補足
■デッキから望む景色
美術館の脇に前庭につながる階段があります。頭をぶつけそうですが、気を付けてくぐり外に出ると…
視界がパっと開けて、デッキがせり出しています。
デッキの先からは、晴れた日には富士山が望め、国分寺崖線の眺望を眺めることができます。
2018年、2019年のGWには、静嘉堂ガーデン(ビアガーデン&カフェ)が開催され、このデッキでビールも飲めたようです。
デッキからの眺め
2017.8.5(土)
このデッキの構図、どこかで見たことがあるような・・・・ ⇒*1
■美術館横の建物から庭を望む
こちらの建物のベランダには椅子があり、一息つくことができます。
ここに立ち入れるとを知りませんでした。
ベランダに入って庭を覗くと、傾斜の先につながる景色、初めて見ました。
青紅葉に赤が交ざっています。プロペラのようなフォルムは翼果と言われる実だそう。
ベランダの柵が額縁となって庭を切り取ります。
美術館のロビーを望む
■静嘉堂文庫美術館前の庭
庭へ続く階段を降りていくと
傾斜となったのり面には水仙が植えられています。
2月頃には、一面に水仙が広がります。
桜の開花予想が発表される時期になりましたね。静嘉堂の庭園に咲く水仙もそろそろ見納めでしょうか。今のうちに、ぜひお楽しみください。#静嘉堂文庫美術館 #岩﨑家のお雛さま pic.twitter.com/WTHBWP9v5O
— 静嘉堂文庫美術館 (@seikadomuseum) 2021年3月12日
今は、ところどころにヒメジオンの花や、タンポポの綿毛がみられました。
美術館の南側斜面は梅園です。琳派を彷彿とさせる梅の幹。
幹は一部、空洞に・・・・
こんな状態でもしっかり根付いていて生命力を感じさせます。
右側の円になった梅の枝、これ見覚えが… 若冲 動植綵絵「紅葉小禽図」で描かれた紅葉の丸い枝。若冲の創作と思ってましたが、木々にはそんな性質があるのかもしれないと思わせます。
#若冲ミラクルワールド
— tatiy180 (@tatiy1801) 2019年6月12日
「紅葉小禽図」
💙紅葉の赤い葉の絵、アレ枝が丸まってるじゃないですか?
先生→あぁいう丸まってるのはね、縁起がいいらしい。でも実際にあんな枝があるでしょうかね(笑)
💙若冲はそういう事もやりつつ、紅葉の葉は完璧だから僕、おかしくて(笑)#大野智 pic.twitter.com/AfYohGV0Ys
梅も咲き誇ると見事・・・・
静嘉堂文庫美術館、今はお庭も拝見すると良いですね。周遊路が整備されて梅と水仙が盛りでした。今日が乗れば、裏門から下って岡本公園民家園へも。https://t.co/SMkwBgDrUw pic.twitter.com/SBmkNd6REY
— 尾崎文雄 (@srozaki) 2018年3月3日
下り切ったところで、下を見るとバッタの原と言われる岡本公園が見えます。
下ったあと、また緩やかな登りに…
上を見ると美術館の建物、地下講堂が見えます。
下の土止めは新旧素材がバトンタッチ
国分寺崖線の斜面の様子がわかります。
■岩崎家玉川霊廟
緑のドーム屋根が特徴的な建物は、英国人建築家、ジョサイア・コンドル(1852~1920)によって設計された岩崎家霊廟、1910年(明治43年)に建てられました。
ラテン十字型の平面を持つ、日本では珍しい様式の納骨堂。
外観は初期ルネサンス建築の聖堂を思わせます。十字が交わる中央の主部は12尺平方で、その上にドームをのせています。ドームの内側は煉瓦造、外側は木造銅板葺です。十字の翼部にはヴォールト形式の屋根を架けてあり、構造は煉瓦造、外壁は石積。
〇ジョサイア・コンドルについて
お雇い外国人として24歳で工部大学校に就任したジョサイアコンドルは、日本の西洋建築の基礎を気付いた人物です。三菱一号館を建築したり、河鍋暁斎に弟子入りしたことでも知られます。
⇒河鍋暁斎作品展示 *4
⇒ジョサイアコンドの岩﨑家ゆかりの建物 *5
〇唐獅子
左右には青銅の唐獅子が一対 霊廟を守っています。(彫刻家 中川清作)
1962年(昭和37)岩崎小彌太17回忌に三菱各社から奉献されました。
〇大香炉
入口中央にあるのは古代中国風の大香炉 建立当時奉献 岡崎雪聲作
中国の周時代の鼎(てい)(擧鼎)にならって作られました。鼎は、肉を煮るための煮食器。鍋形の身に三足、上部には一対の持ち手を有します。
⇒鼎 *6
三面に饕餮(とうてつ)という獣面文を配しています。 桃のようなくぼみが…
〇扉
霊廟の青銅扉に刻まれているのは、中国「二十四孝」のレリーフ。岡崎雪聲作
「二十四孝」とは、中国で親孝行の優れた人物、24人のエピソードで、その話をレリーフにしたもの。祖先を大事にするという信条を表しているようです。
〇霊廟周辺
内部は黒と白の大理石で作られており、彌之助夫妻と小彌太夫妻、そして忠雄夫妻の三代がこの霊廟で眠っています。
⇒岩崎家玉川霊廟 解説パネル *7
〇男爵岩崎君墓碑
霊廟の傍らにある「男爵岩崎君墓碑」は松方正義の書。
彌之助を偲ぶ巨大な墓碑です。屋外の風雨にさらされていますが、削れた跡が全くないそう。そして、墓碑を支える土台の石の大きさが今も不明なのだそう。
〇燈篭
明治43年の銘がある巨大燈篭 霊廟と同じ年にたてられました。
■静嘉堂緑地の自然
道は整備されており歩きやすく・・・・
人の手も入って木々は間引きもされています。
新たな芽吹きも…
階段を降りると…
湧き水が流れています。
水がわき出ている周辺は、国分寺崖線の段差を感じさせる地形がみられます。
多摩川(東京と神奈川にを流れる第一級河川)が数十万年掛けて削った河岸段丘。
⇒■静嘉堂文庫美術館:庭園散策(岩崎家玉川廟)
庭園散策 入口付近
■谷戸川
ここに鷺が飛来するのを時々、みかけます。この日も遭遇。
河の中央のあたりを羽根を水平に広げ、奥に向かって飛んでいきました。
■静嘉堂文庫美術館へ向かう坂道
正門から入って美術館に向かう坂道です。
2021.4.24(土) この日は、緊急事態宣言による休館の前日で駆け込みが多数。
また河野館長による講演会もあり、朝から大行列で、50分~1時間待ちの状態が、1日続いていました。待ち列はディスタンスがとられ、おしゃべりの声もなく静かでした。
16時、最終入館時間で列は締め切られていました。
列はこのあたりまで伸びており、時間延長で鑑賞ができたようです。
■トンボの湿地
静嘉堂文庫美術館へ向かう坂の入口右手に側道があります。ずっと気になっていたので、今回、初めてこちらにも足を延ばしてみました。岡本静嘉堂緑地の看板があります。
湧き水がたまっていて、トンボが生息する湿地帯のようです。
その先は公園になっていました。バス通りに面しています。
来た道を戻ると、道の脇に石積みが… 一部高く積まれた部分があり何かと思ったら、汚水のホールでした。地面に見えないようになっています。
■静嘉堂緑地への脇道
静嘉堂緑地の庭をショートカットできるバイパス道
上り坂途中の左手に、溝に木板がかけられています。そこを登っていくと…
竹で囲われた登り坂が…
ちょっと急な坂が続いています。
登りきると、左右分かれます。
左に行くと、燈篭のある方向へ
右手に行くと石碑、燈篭があり、霊廟へつながっています。
■丸子川添いの自然
帰りは美術館の裏口から出て下り坂を下りると…
〇バッタの原
バッタの原にでます。
2017.6.15 撮影
ここは温室のあった場所で名護礼のレンガが残っています。野草を育てバッタの生息地帯にしています。
〇丸子川親水公園
丸子川沿いは歩道が整備され公園になっています。
歩いていたら、またまたサギと遭遇。
しばしうろうろして、飛び立ち離れました。
今度はこちらの方に向かってきます。
最後、目の前を通りすぎ、お見送り・・・・
〇生き物の宝庫
ある時はおしどりでカモも登場。
2019.3.17(日)16:44 撮影
ここで初めて見たサギ。
2020.2.1(土) 16:44 撮影
丸子川では、カモはよく見ることができるそうですが、シラサギは、この一帯だけらしいです。民家園からの続く丸子川の水量は極端に減ることがわかりました。
川底がキレイに見えると思ったのですが、水がきれいだというだけでなく、水量が少ないことも関係もあったのでした。他にもいろいろな生きものが生息しているようで、サワガニなども目にできるようです。
■参考
■脚注・補足
*1:北斎の「5百らかんさざえ堂」と、モネの「サンタドレスのテラス」の構図を頭に思い浮かべました。北斎の描いた江戸の人々が富士山を思い思いに眺める様子。今の時代も変わらず、私たちも富士山を眺めています。そして外国でもテラスのような場所で景色を眺めて楽しむ習慣があったようです。
クロード モネ 作品 絵画 on Twitter: " 【サンタドレスのテラス】
*2:翼部のヴォールト形式の屋根
2017.4.29(土) 13:20 撮影
*3:ラテン十字・ヴォールト形式:上空写真で形状の確認ができます。
[
縦横、同じ長さのギリシア十字ではなく、縦木が横木よりやや長く、横木が上についているラテン十字型になっていることがわかります。
「ギリシャ正教風の十字プラン」という記載もみられますが、こちらは、日本の建築史家、藤森輝信氏が語った言葉のようです。
*4:河鍋暁斎:「旅立ちの美術展」では河鍋暁斎の「地獄極楽めぐり図」がメインビジュアルでした。
*5:岩崎家関連建築
・岩崎彌之助 深川邸洋館 (現・清澄公園内、現存せず)
・高輪邸 (現・開東閣)
*6:鼎 :肉、魚、穀物を煮炊きする土器として出現したが、同時に宗廟において祖先神を祀る際にいけにえの肉を煮るために用いられたことから礼器(中国語版)の地位に高められ、精巧に作られた青銅器の鼎は国家の君主や大臣などの権力の象徴として用いられた。
*7:岩崎家玉川霊廟関連資料
旅立ちの美術展より
玉川別邸平面図(昭和28年)
旅立ちの美術館より