ルオーは日本人にとても人気と評判です。その一方で、苦手という声も耳にします。日本人に人気と言われる一方、個人的には受容するのに時間を要しました。ルオーに対する個人的な受け止め方の変遷をまとめました。
- ■ルオーとの出会い(2016.10)
- ■1回目:初めてのルオーは「マティスとルオー」展(2017.02)
- ■2回目:気になる色の組み合わせ、見え方の違い(2017.10~11)
- ■3回目:削って、重ねた色の妙を知る(2018.09.26)
- ■4回目:日本とルオーの関連性 (2020.06)
- ■ルオーの色、光、祈り
- 【参考】日本のルオーの受容
- ■補足
■ルオーとの出会い(2016.10)
ルオーの一般的な認知度は、どれくらいなのでしょう。だれもが知るモネ、セザンヌ、ゴッホ、ピカソと言われる画家たちと比べると、知らない人も多いような気がします。
私自身も、数年前まで、ルオーは全く知りませんでした。ルオーと初めて出会ったのは・・・・
〇タダでもいらないルオーの一筆箋プレゼント企画 (2016.10.13)
2016年、パナソニック汐留美術館で、ハッシュタグキャンペーンが行われました。『モードとインテリアの20世紀展 ―ポワレからシャネル、サンローランまで―』の展覧会で、会場内の写真撮影可能なエリアを写真撮影し、ハッシュタグをつけてツイートすると、特製便箋を抽選で10名にプレゼントという企画がでした。
その特性便箋に、ルオーの《マドレーヌ》が使われていました。
《マドレーヌ》1956年(昭和31)85/86歳
正直な感想はというと、こんな便箋、タダでもいらない・・・・ 便箋ってその人の趣味や感性を表すアイテム。こんな趣味だと思われるのはイヤ!とまで思っていました。しかも、この絵と、展覧会のテーマ、全然、関係ないし・・・ なんで、こんな便箋、選んだんだろう?というのが、率直な感想でした。
■1回目:初めてのルオーは「マティスとルオー」展(2017.02)
ルオーの展覧会を始めて見たのは、「マティスとルオー展 ―手紙が明かす二人の秘密―」でした。パナソニック汐留美術館(現)は、ルオーの所蔵美術館として有名らしいです。しかし、ルオーのこと、どれくらいの人が知っているのでしょうか?心の中で思っていました。
〇日本人のルオー好き(2017.02.10)
この展覧会では、山田五郎さんのレクチャーがありました。その時のことを、つぎのように書いていました。
マティスとルオーという画家は、ご存知でしょうか? 大変失礼ながら私は存じあげていなかったのですが、山田五郎さんのアートトークの会場はいっぱいの人。そして五郎さんによれば、日本人はルオーが好きなんだそう。日本では、出光、清春、ブリジストンとルオーを所有する美術館は多い。そのベースを作ったのが、福島繁太郎。パリに滞在中、ルオーと親しくなり日本に多く持ち帰り今の日本のコレクション群ができたそうです。ところが、それ以前に、ルオーに着目し手に入れていた人物がいました。1920年、あの梅原 龍三郎がだれよりも先駆けて日本で初めてルオーを購入していたのでした。
会場に詰め掛けたあふれんばかりの人。それは、五郎さんファンなのか、ルオー、マティスファンなのか・・・ と思いながら、その盛況ぶりにびっくりしていました。
〇ルオーを見る前の印象
「マティス」も「ルオー」も知りません。私の好きなテイストの絵でもありません。しかし、あえて行ってみようと思ったのは、好きでない絵でも、行けばなにかしらの知識が得られたり、関連づけられるものが見つかると思えるようになってきたからでした。
ルオーの絵を見に行くというよりは、個人的には、画家どおしの手紙のやりとりというテーマに興味がありました。ライバルとして火花を散らす画家の手紙。そこに秘められたものをさぐってみたい。そんな興味で訪れたのです。
関連:■私の注目点
〇初めて見たルオーの印象
やはり、イマイチよくわかりませんでした。そして好きになれないテイスト。ジャンヌダルクの絵などは、何を描いているのかすらわかりませんでした。
ところが、講座を受講し、あのわからない絵は、ジャンヌダルクだったことがわかりました。講座後に、また、その絵を見ると、そこにいるのは、ジャンヌダルク以外の何物でもないのです。知識を得るということは、こういうことなのだと思いました。(モネ末期の抽象画のような太鼓橋も、それを知ってしまうと太鼓橋にしか見えなくなるのと同じ)
そして、なぜか、ルオーの絵を懐かしく感じ始めていました。段々、親しみが出てくるような不思議な感覚なのです。
帰りにミュージアムショップに立ち寄ると、ルオーがモチーフの一筆箋がありました。この絵も、なんだか、心惹かれました。これ、どこかで見た記憶があるのですが、思い出せません。そこにふっと、舞い降りました。
そうです。タダでも欲しくないと思ったあの便箋だったのです。プレゼント企画の一筆箋でした。企画を見た時は、ルオーが、この美術館の看板であることなど知らず、なぜ、これをプレゼントアイテムに選んだのだろう?と思っていました。
会場でルオーを見ていると、デジャブ感がありました。なんだかわからない懐かしさは、おそらく、この一筆箋が放つ強烈な印象からくるものだったのだと理解しました。また、山田五郎さんの講座中も、シャワーのようにルオー絵画を浴びていたのだと思います。
最初は、好きではないと思っているのに、一度見ると、気になる存在になってくる? だから、いろいろな美術館にもコレクションされ、日本人に人気があるということなのかと思い始めました。よくわからないルオーの魅力を垣間見たような展覧会でした。
初めてのマティスとルオー
2回/日
■2回目:気になる色の組み合わせ、見え方の違い(2017.10~11)
〇妙に目をひく色の組み合わせ(2017.10.16)
2回目のルオーは、
最初に見た時は、なんだか変な絵を描く人。あまり好きじゃないと思っていたルオーですが・・・・
今回、なぜか妙に目につくのです。癖になるというのか・・・ 実際に展覧会場では、見ているうちに心地よく感じられるように変化していたのはちょっとびっくり。
それは、ルオーの色や、ゴテゴテペイントに目が慣れたせいだと思っていました。この時は、カンディンスキーとともに展示されていました。この絵の中に、ルオーと同じような色彩が感じられて、その部分が目に飛び込んできます。この色あいは、見ていて落ち着く色の組み合わせなのかも?
〇照明により浮き立つ赤(2017.10.16)
この展覧会では、もう一つ、注目するべきことがありました。なぜか「赤」が目に飛び込んでくるのです。赤い洋服を着た裁判官、そこには、最新の照明をあてられており、赤が浮き立つような効果がありました。ピエロの衣装など、赤がやたら目に入ってくるのです。
そんなルオーの「赤」が気になり、その後も、何度か足を運びました。なぜ赤がはっきりと見えるのか。そのライトの仕組み、絵の具の赤の種類によって見え方は変わるのか? 赤と黒の比率、使われる他の色割合による違いは? 作品による赤の違いやバックの色との関係など、あれこれ比較しながら見ていました。
〇色の重なりが放つ光(2017.11.10)
ルオーのボテボテ、ゴテゴテの絵の具の塗り重ね。見慣れていないと、キッチュな印象さえしてしまいます。ところが、次第にこの重なりが放っている光を感じ始めます。
パナソニック汐留美術館には、絵を拡大して見ることができるモニターが設置されています。そこで、ルオーの絵を拡大してみると・・・・ 実際に肉眼では見えなかった実にたくさんの色が重ねられていることがわかります。見えていなかった色が、まだまだ、たくさんあることが想像されます。ここに隠されている色が、照明技術や見る時の条件、視覚の機能、心境などによって、引き出される可能性を感じました。
絵画鑑賞というのは、いろいろな角度から自由にとらえることができます。絵画の中に視覚の科学があるというのは新たな発見です。美術鑑賞から目の仕組みや、周囲の光によって変化するということを体験しました。
絵の中に、私たちには、まだ見えていない色が存在していると思うと、ワクワクしてきました。これから、さらなる発見があるかもという楽しみを知りました。同じ絵も何度か見ているうちに、自分だけにしか見えない色を発見! そんな密かな楽しみを追いかけてみたいと思うようになりました。
〇人と見る面白さ(2017.11.10)
何度か見たあと、友人と一緒に見る機会がありました。大学時代の友人だったので、「赤」という色の光学的な見え方に注目すると思っていたのですが・・・・
「赤」が意味する文学的な方向に向かっていたので、意外でした。お互い学生時代、美術など興味もなかったので、私がルオーの絵を、最初、拒絶したのと同じような反応をするとばかり思っていたのです。
ところが意外にも「色がきれい」「光を感じる」と最初からルオーを受け入れてしまったのでびっくりしました。また、「赤」という色が持つ意味について、文学的にとらえていていました。同じような環境で過ごすと、捉え方も似通ると思っていたのですが、興味の向かう先の違いというのも、面白かったです。
また、ルオーはキリスト教の宗教画だと思っていたのですが、宗派を問わず心ひきつけられていたことも意外でした。
〇暗闇から見えるものが違う(2016.11.16)
同じ絵なのに、見えるものが違うという体験もしました。暗闇が描かれていると思っていたら、そこに人がいたことに気づきました。
しかし、次に訪れた時は、見えなかった人が、すぐに目に入ったのです。それは、外光との差、時間帯が影響しているのか。目の慣れなのか。すでに描かれているものをわかって見ているからなのか・・・・
〇色が持つパッション
目をこらして見たわけではないのですが、色から受けるパッションみたいなものが放出されているようでした。多分、日によって放たれている力が違うのだと思われます。また、見る側の気持ちによっても、キャッチする色や、メッセージが変化しそうです。どんな色が何を語り掛けてくるのかという面白さを感じました。
■3回目:削って、重ねた色の妙を知る(2018.09.26)
2018年9月27日。「開館15周年 ルオー没後60年 特別企画 いとも大いなるルオー ー聖なる芸術とモデルニテー」が開催されました。
2回目のルオー(「表現への情熱 カンディンスキ―、ルオーと色の冒険者たち」)を見てから、1年ほどがたっています。
〇なぜか気になりだしてきたルオー
何度か美術館に足を運ぶうちに、次第に気になる不思議な絵だと思うように変化していました。それは、なぜなのでしょう? 気になっていたので、15周年の特別展と銘打った展覧会なら、その秘密がわかるかもしれないという期待がありました。日本人のメンタルに語りかける何か、その「何か」がわかるかもしれません。
〇難解なタイトルと見出し
展覧会の章見出しは、日本人には馴染みのない難解なワードが並びます。
表題の「聖なる芸術」は、キリスト教芸術のこと、「モデルニテ」は現代性、近代性、モダンという意味から転じて、はかないもの、消えやすいものというニュアンスを含みます。この展覧会では、ルオーの古典的な部分の意味と、現代性を改めて問うものになっています。
わからなさすぎます。宗教的なことを語られても、日本人には理解ができません。そして「ルオーの古典と現代を問う」 と言われても・・・・ しかし、なぜか見ているうちに、引き込まれていく感覚をまた体感していました。
〇厚塗りにより深まっていく色
ルオーは、見る回数が増えると、味わい深くなり、色の深みが感じられるようになってくる。それは、何層にも厚塗りされる絵の具の重なりによって生まれる色に理由があると思っていました。
最初は敬遠しがちな、厚塗りの絵の具ですが、その複雑な凹凸によって生まれる光の反射が色に深みを与えているのだと理解しました。また、重ねた絵の具のかすれた隙間から、下の色がかすかに見え隠れしています。そこにできた微妙な凹凸なども見え方に変化を与え、乱反射させていると思っていました。
〇厚塗りの技法の変化
しかし、この展覧会では、ルオーの描き方は、ただ重ねていただけではなかったことを知りました。絵の具を重ねる方法の中にあるさらなる技法。それは、重ねたあと削って、また重ねる。それを何年も続けていたことがわかりました。その時間や手間によって作り出される複雑な厚さ。
ルオーの特徴的な分厚くてゴテゴテした彩色は、晩年に多いこともわかりました。同じ絵の具を重ねるテクニックにも、様々な工夫が施されており、時代によって試行錯誤しながら、新たな技法を生んでいたのでした。時代を遡る形で、変遷を知ることになったのですが、削って、盛るを繰り返す方が、高度な技術に感じられました。
〇「重ねる、削る、薄くする」技法
「重ねる、削る、薄くする」の繰り返しは、光の透過や反射を複雑に変化させて、見る側の網膜に映し出している。というように、絵の具という物質が作り出す形と、そこにあたる光の反射という関係で、絵を見ていました。
従来の光の届き方とは違う、新しい光の散乱をルオーは絵画に取り込んでいた? そんな見せ方を、若い時に作り出してしまったというのは、すごいなぁ‥‥と感心。そして、今思うのは、もしかしたら、複雑な色の重なりと削りは、光を時間差で届けているという、さらなる複雑さを生み出しているのでは?と・・・・
〇ユートピアがもたらす光
技法とともに時代を追いながら、最後にたどりついたユートピアの世界。
ルオーが考えたたくさんのユートピアに囲まれた空間にしばし浸っていました。一つ一つの風景画から降り注ぐあたたかな光のシャワー。その元で語らう人々の穏やかで満ち足りた表情。自分もその中に溶け込んでいくような感覚を覚えます。すると、冒頭に掲げられていた言葉が頭に浮かんできました。
〇ルオーの色の秘密
何度か目にするうちに、次第に心惹かれるようになってきました。見ればみるほど、味わい深く、色の深みのようなものが感じられてくるのです。それは、ルオーの絵具の重なりによるものと確信していました。
しかし、その重なりは、より複雑な行程も含まれていた。絵の具をただぬりたくって厚くしていたわけではなく、わざわざ厚盛にしたのに、あえて削り、またまた重ねるという作業を、何年にも渡って続けるという、信じがたい技法。そんな複雑な方法を、若い時に実践していたのでした。「重ねる、削る、薄くする」の繰り返しによって得られる効果は、光の透過と反射を変化させ、複雑な色の発色をもたらしていたのでした。
【参考】技法の変化と作品
1897年:26歳「神話的で芝居がかった構図,キャンヴァスの下地塗り,絵の具の透明性、マティエールの削り取り、色彩の輝き、凝りすぎた形姿、さえない外観」を非難されるが評価も。
1902年:31歳 新しい技法を開発
キャンヴァス地の油彩は少なくなり、紙の上に描かれた水彩やグワッシュ
をその後キャンヴァスで裏打ち。さまざまな混合技法が登場。(インクとエサンス,グワッシュ,墨と色インク等,版画の上に油彩とグワッシュで加筆)
デマティエールの薄塗り,厚塗り,重ね塗りなどあらゆる技法を試みる。
1914年まで ルオーの油彩画の技法は「削り取る」手法
1912年:41歳 ミセーレ構想着手 (発表は1948年)宗教画を主題
1930年代:59歳 聖顔シリーズ 苦難
1939年:68歳 パッション 多色刷り銅版画 木版画下絵の油彩 厚塗り開始
1940年代:69歳 聖顔シリーズ 慈愛
1930年代以降:59歳「積み重ねる」手法に移行。マチエールが「物質」に変貌したかのよう。
親密な雰囲気が画面を満たし、創造主や自然に対する愛を讃美するかのようなルオーの晩年の境地が絵の具の豊かなマチエール(画肌)に溶解
1940年代以降:69歳 次第に風景などの絵画を描くようになる。
1945年: ヴェロニカ
1948年: ナザレット
1950~60年:次第に厚塗りに
1956年: サラ
■4回目:日本とルオーの関連性 (2020.06)
4回目となったルオー
「日本」がテーマです。ルオーがいかに日本人に人気があるか。その人気を形成する端緒を作った、日本の文化人や画家という内容を想像していました。
ところが、ルオー自身も、日本の影響を受けていたらしい・・・・ という展示は、日本人にとっては、見逃せないところです。ルオーについては人気の一方で、苦手な人も少なくはないと感じていました。その認識が覆される展覧会ではないかとも思いました。
〇ルオーの黒線と水墨画
ルオーと日本の関係については、下記で紹介しています。
ルオーの特徴的な、黒く太い線は、ステンドグラスの影響であると言われています。さらに、水墨画の影響を感じていた日本の文化人も多かったようです。ルオー自身も、日本の武士の絵を描いたりしていました。
〈日本の武士〉1928年(昭和3)57/86歳
〇ルオーの透明性
この展覧会で、一番、印象的だったのは、ルオーの色に透明性を感じたことでした。
新橋地下街 看板 部分 《ピエロ》1925年(大正14)(54/86歳)
寄ってしまうとわからないのですが、少し離れて遠くから見ると、背景のブルーが透き通って見え、『限りなく透明に近いブルー』という本のタイトルが頭に浮かびました。これ、どこかで見た景色のなのですが、すぐに思いだせません。
しばらくしてから、龍泉洞の中にあった地底湖の透明感だったことがわかりました。じっと見ていると吸い込まれそうになる感覚が似ていました。
水深98メートルの第三地底湖゚・*:.。. #龍泉洞 pic.twitter.com/dnRnI7QzZl
— 桑島法子(朗読夜) (@roudokuya_dajai) 2020年2月16日
厚塗り、ゴテゴテの印象ばかりが強かったルオーの中に、これまでに見えていなかった色を発見! それは色というよりも「透過率」と表した方がよいのかもしれません。これまで見てきたルオーとは、全く違う世界の窓が、ここから開いたように感じられました。
この透き通った輝くブルーを、少し離れて、左や右から見上げると、ピエロの回りを取り囲む光輪のように見えました。ピエロがベールをまとって輝いているようです。これって、もしかしてキリストを意味してる?と漠然と感じていました。
その時、ピエロが何を意味するのか理解していませんでした。正確には、前回の展覧会で一度、理解をしていたようですが、忘れてました。ピエロは、笑われたり虐げられたりする存在ですが、一方で、笑いをもたらす存在でもある。つまり光をもたらすキリストのような存在とも捉えることができます。
またピエロを囲む青がベールのような形にみえたのも、デジャブ感があったのですが、3回目の展覧会に見たヴェロニカと重なっていたように思います。
〇色から感じる透明性
会場で感じた透明感は、この作品だけだったのですが、改めてそのような視点で、展示されていた作品を図録などで見直してみると、《女曲馬師(人形の顔)》(1925年)の背景の緑も、透明感が感じられる色です。
パナソニック汐留美術館「ルオーと日本展」。ルオー、見るたび好きになる。《女曲馬師(人形の顔)》の背景、削り取った緑色がつくる、奥からの光を通すような透明感あるグラデーションがきれい。ルオーに東洋的なものを感じ取った日本での受容と評価、画家たちへの影響もけっこうおもしろかった。 pic.twitter.com/vReMJwu6B4
— 黒織部 (@kurooribe) 2020年6月20日
「女曲馬師(人形の顔)」は中期の作品です。サーカスの道化師や曲芸師も生涯描いた主題の一つ。仮面を着けて舞台に立つ者の悲哀や内面を表現し続けました。透明感のある絵の具を塗っては削るのを繰り返し、背景に青緑色の複雑な階調を生み出しています。
背景の緑色は、透明感のある絵の具を使っていることで、より透明度が上がっているようです。塗って削るを繰り返すことで、青緑の「複雑な階調」も加わっていると解説されています。
ルオーの色の透明性は、絵の具の種類にもよっても、もたらされていたようです。
【緑青の背景の透明性比較】⇒(*1)
〇日本人に訴えるもの
これまで日本人に人気と言われる理由が、今一つ、理解できずにいたのですが、やっとわかった気がしました。日本人の心の中には、自己を見つめる精神性があり、奥の奥へたどりつこうとするマインドを持っていて、ルオーが放つ光と共鳴しているのかもしれないと思いました。
ルオーを見る回数を重ねるごとに、振り返ってみると、その時、その時で、違う光を感じてきたことがわかりました。今回も、また別の部分から、新たな光が放たれてきました。
〇ルオーの宗教性の根本は祈り
これまでルオーの絵は、宗教画だと思っていました。ところが、一般的な宗教画とは違うという話を伺い、宗教を超えた祈りが込められていることに気づきました。宗派を問わず語りかけるものがあることは、前回、友人と鑑賞をして感じていました。しかし、今回、無宗教でも、何か投げかけてくるものを感じさせられました。
それは、じっくり向き合う。見えないものを見ようとする心持によって、もたらされるのではないかと思われます。
今回、コロナ禍によって、3ヶ月ほど、美術作品を見ることができないという状況がありました。美術展というものを渇望していたのだと思います。ただ、実感としては、枯渇しているまでは達しているとは感じていませんでした。
自粛後、初めてとなった展覧会。訪れてみると、乾いた砂に水が染み込むように伝わってきます。暗い洞窟の中で、底が見えない深い深い地底湖をみつけ、かすかに漏れてくる光に引き寄せらた状態。どこまでも続く奥の奥を眺めていると、どんどん引き込まれていき、そこは澄んだ空気が流れていました。たまっていた澱が、溶け込んでいくような感覚がありました。
これまで、見たことがなかった色。それは、透明感を伴う色であり、その奥でちらちらゆらめくような光でもありました。宗教を超えた祈りの光を感じられたのでした。
〇文化人の受容
ルオーをの展覧会で、3回目、4回目あたりから、ルオーを認めた文化人によって、広められたことを知りました。その中に遠藤周作などの作家もいます。そこには、知識人ならではの繊細な感性があり、凡人には到底及ばない世界を感じさせられていました。思考や精神活動、そして知識や経験に基づく高次元な世界の人々を通して語られるルオーを、高い教養のある人たちの間に浸透したのだと感じました。
文化人から、さらに市井のインテリ階級に広がる。そこには、ルオーの絵を理解でき語れることに、ある属性のようなものと壁を感じていました。が、さらに勤勉な一般人がその言説を読み解いて享受し、次第に少しずつ一般に開かれていったたというイメージを持っていました。
そのため、「ルオーが好き」というのは、暗に教養人をほのめかしているようなイメージを持っていたのでした。(自分には理解でいないことへのコンプレックスの表れなのだと思います)
ところが、今回、わかったことは・・・・ 遠藤周作はパリに学び、カトリックへの信仰を甦らせたいと思っていました。しかし、教会は弱体化し、実存主義の登場で、知的面でも勢いを削がれていたと言います。そんな遠藤周作の解毒剤となったのがルオーだったと知りました。 ⇒(*2)(*3)
現代美術家のマコトフジムラも、ルオーは、出口のない部屋の中から、外を見せてくれ、さらには、美しい外界だけでなく、恐ろしいものまで見えてしまったようです。それは、「我々の損なわれた魂を引き受けて苦しむしもべ」、ナザレのたどったイエス(世界の光となるべく暗闇へ歩くことを選んだ)の道を示していたと、語っています。(図録P13 ジョルジュルオー -21世紀の芸術家 マコトフジムラ 現代美術家 より)
実際に悩んで苦しみ、暗闇の中でもがく。そんな状況を経験した人には、ルオーの光は光明となって注ぐのだとわかりました。
新型コロナによって受けた閉塞感の暗闇。先人たちの苦悩には遠く及びませんが、ルオーが持つ絵画の光が差し込んだように思いました。これまで見えていなかった光が、また新たに発見ができたのです。
〇暗闇の経験が、光を見つけ出す
個人がかかえる闇の他にも、社会がもたらす闇という環境。そこから見えた光の技法は、「重ねて、削り、また重ねる」を行っていた頃と、同時代の作品ではと思われます。
当初、この技法から見えていた光というのは、絵具の凹凸と削りによって作り出される乱反射。自然科学の原理によって作り出される光と理解していました。
今回は見えた色や光は、削られた絵具の奥の奥から発せられてくるもので、これまで見ていた光とは違うということが、はっきり認識されました。
■ルオーの色、光、祈り
〇一つの展覧会を何回も見る効果
ルオーの絵は、見る時の状況によって変化してきました。これまで見えていなかった光が絵の中にあって、その発見を楽しめそう。という認識に至りました。その変化は、意外にも早く、2回目の鑑賞で、気付いていたことに我ながらびっくり。
ただ、2回めの展覧会は、日をかえて3回、でかけており、1日に2度、見ることもありました。同じ作品なのに、日によって違って見えたことが、ルオー作品の奥深さを感じ取らせたのだと思います。
展覧会の企画展は、今回で4回目ですが、感覚的には、もっと何度も見ている気がしていました。2回目の展覧会では、都合4回。初めてのルオーは1回の鑑賞で、2度見ています。ルオーの表現する色を、通算、8回に渡って鑑賞していたことがわかりました。それがのちのルオー受容に大きく影響を与えたのでした。
どうも好きになれない・・・・ から、興味が出てきて関心が持てるようになる。その緩やかな変化が、新たに、日本とルオーとの関係性というテーマで見ることによって、全く別の作品に見えてくる面白さを感じました。
〇理屈ではない色と光
今回、透明感を感じた!そこには、理屈ではない何かがありました。いつもなら、「なぜこの色は、透明に感じるのか」と、考えてしまいます。これまで透明に見えなかったのですから、きっと理由があるはず。透明に見えた色は、どこが違うのか・・・・?
しかし、一切、そんなことを考えることなく、純粋にこの色、きれい・・・・ 神秘的な光を感じる。あれこれ考えることを削ぎ落してしまい、浄化されるような感覚。何も考えず、ただ、ただきれいと感じる、透明感あるこの色を、そのまま受け入れさせてくれたことに、宗教を超えた祈りのようなものまで感じたのでした。理屈で考える習慣を削ぎ取ってしまう力を感じました。
(時間がたつとやはり、なぜ、透明性を感じるのかを探ってしまいます。絵の具そのものの透明性ということを見つけ出し、物質の特性によるものを確認していました。これまでは、色の新たな発見は、光と絵の具という物質との関係でとらえていました。光が、不正形になった絵の具を、どう反射しているか。ミクロ的な目線で絵の具をとらえ、そのイメージを頭に描きながら、見ていたことに気づかされたのです。また透明性を感じさせられた要因として、白い絵の具も影響していると思われました。)
小林秀雄の言葉
美は人を沈黙させるとはよく言われる事だが、この事を徹底して考えている人は意外に少ないものである。優れた芸術作品は、必ず言うに言われぬ或るものを表現していて、これに対しては学問上の言語も、実生活上の言葉も為すところを知らず、僕らは止むなく口を噤むのであるが、一方、この沈黙は空虚ではなく感動に充ちているから、何かを語ろうとする衝動を抑え難く、しかも、口を開けば嘘になるという意識を眠らせてはならぬ。そういう沈黙を創り出すには大手腕を要し、そういう沈黙に堪えるには作品に対する痛切な愛情を必要とする。美というものは、現実にある一つの抗し難い力であって、妙な言い方をするようだが、普通一般に考えられているよりも実は遥かに美しくもなく愉快でもないものである。
美は、人を黙らせる。このことを徹底的考える人は少ない。考えることなく、自然にそういうものだとわからせてくれました。またここでは、沈黙の理由を、語りたいけど安易に語れない。そのような出会いは、作品に対する愛情が必要。と語られています。
今回、受けたものは、それとは、ちょっと違いました。語りたいとも思わない。考えることからも解放されていた感じです。そして、まだルオーの絵に愛情までは抱いていないと思うのですが・・・・
ただ、美は一般的に考えられるより、美しくなく愉快でもないということには納得でした。
〇ルオーの精神性
ルオーの精神性について下記のような解説がありました。
えがかれた絵具という物質が物質であることを感じさせればさせるほど、それとともに精神性がましてゆく光景はルオー以外ではみられない、ということがほんとうはだいじだ。逆にいってもいい。ルオーの絵ではみえない精神の重きが「もの」になっている、と。かれがえがけば黒でさえ高貴な物質の輝きに光りはじめるこのルオーの逆説はきわめて反二十世紀的だ。
引用:三重県立美術館 ひる・ういんど 第35号 ジョルジュ・ルオー「キリスト磔刑」
これまで、作品を見る時、それらは物質、モノであるという見方を、いつの頃からかするようになっていました。乱暴な言い方ですが、なんだかんだ言っても、所詮はモノに過ぎないと。
どんなマテリアルを使い、どんな方法で作品に仕立て上げるのか。そこに興味のポイントがありました。そして、見る人の視覚をどう錯覚させ、驚きを与えインパクトを感じさせるのか、それがアーティストの腕の見せ所。芸術と言えども自然科学の産物なのだ・・・・と。
ところが、今回見た色や光は、心の奥底で、今でも、くすぶっていた捉え方を一掃されてしまったような、崇高さを感じさせられたのでした。
美術の世界は、作品をマテリアルとしだけでなく、歴史や文化、文脈でとらえる世界だとわかり、どこかで、これまでの捉え方を押し込めるようにしていたところがありました。(それでも出てきてしまうのですが・・・・)
しかし、これまで、自然科学の法則を超えたところにある感動というものを感じたことがあります。それこそが美術の醍醐味だと思うようになりました。久しぶりにそんな体験ができた展覧会でした。
作品を追求していくと、否応なくそれは「物質」であることを、突き付けられます。絵の具という物質が作り出す世界。
それとともに精神性がましてゆく光景。と言われても、その境地には、至っていませんでした。ルオーにしかない「物質から精神性を感じとる」ということが、これまではできませんでした。
ルオーの解説の中に「精神性」という言葉が目につきます。これまでも目にしていたと思うのですが、その言葉は心をとらえていませんでした。ひっかかったとしても、意味までは理解できなかったでしょう。やっと、ルオーが持っている精神性の意味を感じとることができたように思えました。
【参考】日本のルオーの受容
〇1953年 東博で行われたルオー展
大正から昭和の日本に紹介されたルオー。日本人にはなじみのないキリストの宗教画も多い中、なぜ、受け入れられたのか、疑問に感じる部分ではありました。
ルオーの評価を決定づけたと言われる1953年(昭和28年)東京国立博物館の「ルオー展」。日本の鑑賞者に驚きと称賛を持って迎えられたと言います。
東博では、1951年からマティス、ブラック、ルオーの3人の展覧会が東博で行われました。それは、戦後の復興期、そして西洋絵画を広めるための企画で、ルオーはそのトリだったのだそう。
参考:東京国立博物館 - 展示 特別展 過去の特別展 2003年度以前の展覧会一覧
〇文化人から知識人 一般へ
今回の「ルオーと日本」展の来場者の中には、昭和28年のルオー展を見たという方もいらっしゃったそう。戦後、これから高度経済成長期にさしかかろうというこの時期に、多くの人がつめかけ、一般に広まっていったルオーです。しかしこの頃に、美術館に出向けるのは、学識やゆとりのある知識階級だったと考えられます。今のような誰もが訪れることができる美術館とは違っていたはず。さらに、マティス、ブラック、ルオー展に好んででかけるとなると‥‥
ルオーは感性豊かな、画家やコレクターによって日本に紹介され、それを見た文化人や若手の画家が影響を受けました。そして市井の知識階級の人々がそれを享受し、次第にじわじわと浸透していったというイメージとも重なりました。
〇参考資料
日本の受容に関する資料。追々、眺めてみようと思います。
〇近代日本美術史のルオー受容 後藤新治
〇日本におけるジョルジュ・ルオーの紹介、あるいはその受容について 金澤清恵
〇ルオーのまなざし 表現の情熱 8/12~10/9 宮城県美術館 - 美術の旅人 Voyageur sur l'art Hisao.Saito 杜の未来舎ぎゃらりい代表
「法廷」「女曲馬師」1929 「古びた町外れにて、または台所」(1937)
〇美術鑑賞論ノート⑵ ジョルジュ・ルオーと小林秀雄 鈴木正實
Q美術史とは何か?
上記の論文の中に興味深いことが書かれていたのでメモ。
「絵画を観る」という視覚的経験を,だれかが書いたテクストを見てもわからないことはよくある。しかし、あるとき,ある特殊な空間を身体的に経験することで理解への道が開けるということは誰にでもあり、それに気づくかどうかだと。
そのあと学生のレポートを例にして解説。
中学3年の時、シュルレアリスムに出会った学生は、マグリットなどは知っていたが、特に興味もなかった。教師は「思ったこと、感じたことをそのままカンヴァスに描く」ことを課題として与えた。心に浮かぶ心象を描いた。
満月の夜、大木がそびえ立つ丘の上に一人座っている魔法使いのような人物、遠くには海、左側には天にも届く塔。日頃、友人関係など特に満たされていなかったわけでもないのに、本当の自分は孤独なのかと自問。これは、「心の純粋な自動作用」「オートマティスム」ではないかと思い、シュルレアリスムに興味を持つ。
さらに独自の超現実的な感覚につなげている。高校で陸上部に所属し,長距離ランナーになる。そこで「ランナーズ・ハイ」という特異な現象に出会う。その状況は、体験したものにしか表現できないものがあったそう。夢のような内的世界の充実、現実との乖離の中に、シュルレアリスムの的世界の扉が開いたと言う。
これに対し、専門の美術史家は「心の自動記述」とは違うなど、いろいろな意見があるかもしれない。しかし、彼女なりの「オートマティスム」と理解した。
ここで重視すべきことは、ランナーズ・ハイという経験をシュルレアリスム理解に結びつけた彼女の方法論の独自性である。テクストで読んだり,教師から教わったりした難しい言葉を,身体全体によって知覚した,経験上の言葉や使い慣れた概念に翻訳した,それなりにしっかりとした内容なのである。
美術作品の理解や解釈する時、こうした個々の具体的な経験によってもたらされる独自性が面白いと感じています。自分がこれまで体験した一つ一つ、美術を感じる素材になってつながっていくことに気づいていてから、自分にはない経験を持つ、他の人は、どんな鑑賞をしているのかに、興味を感じます。自分の知らない世界の目を通して作品を見ると何が見てくるのか。
私にとっての美術品コレクションを一言で言うなら、“心の贅沢と知的な冒険”ということになるだろうか。芸術とは崇高かつ、ある意味で難しいもの。西洋の古典絵画について言うなら、ヨーロッパの歴史観やキリスト教に関する知識が必須であり、学ぶことも重要である。一方、現代美術は作家自身の生き様の表出であり、作品鑑賞には人間理解や想像力、時代認識が必要と言える。
私は表面的な美しさより、知的で深い精神性を感じさせる絵に魅かれる。絵の見方も、目に見えるものを見るというより、絵全体を包む空気を感じたり、作家の思いを読み取ったりすることを楽しみにしている。ジャコメッティの彫刻に漂う空気感に魅かれ、長谷川等伯の『松林図屏風』やリ・ウーハンの作品に余白の美しさを感じる。“絵は見るものではなく、読むもの”だと思っている。“絵を読む”とは“思索すること”。もっと言うなら、“本当の自分と向き合うこと”であり、“人間や人生について考えること”に他ならない。
なぜ、そう感じるのか、なぜ、そう見えるのか。そこには理由がある。と思って作品を見てきたのは、見えないものを見ようとしてきたかもしれません。また、どちらかというと、主題よりも背景に何を描いているのか、背景をどう描いたのかを見る傾向も・・・・ 私が絵を見る時の一つのポイントになっています。これも見えないものを見ようとしていたことかも。
また今回のルオーとの出会いは、テクストを見てもわからなかったことが、あるとき、ある特殊な空間を身体的に経験することで理解が開けるという、まさにそんな状況だったと感じられました。
■補足
*1:■緑青の背景の透明性比較
・(1925年)大正14(54/86歳)《ピエロ》・・・・青 透明
・(1925年)大正14(54/86歳)《女曲馬師(人形の顔)》・・・透明
・(1937年)昭和12(66/86歳)《ふるびた町はずれにて》または《台所》
背景の青緑に透明感。キリストのいるキッチン。
*小林秀雄がこの絵の話を画廊から聞き、興味を持って、所有者を探し出して見に行ったという逸話のある絵。「マルタとマリアの家のキリスト」の話を想起させるという。この話、聞いたことがあるが、以前、この絵を見ていたのか? ⇒フェルメールの「マルタとマリアの絵のキリスト」でした。
・(1947年)昭和22(76/86歳)《クマエの巫女》
背景の緑は、明るさを感じますが透明感は感じられませんでした。
・(1947年)昭和22(76/86歳)《キリストと漁夫》の背景、緑青。
この頃の風景は、共通の明るさを感じます。カラーの希望的な明るさは、感じるのですが、透明感とは違うと思いました。明るい色をベースにしながら、薄く色を重ねることで得られる重層的な美しに感じられました。
《キリストと漁夫》(1947年)昭和22 (76/86)
使われた絵の具の透明度なども影響しているのでしょうか? 青と緑の比較、したくなってきた・・・
*2:■遠藤周作とルオー
日曜美術館に出演した遠藤周作の言葉(1983年)
ルオーの道化師には、どんな意味があったのか? そこには2つの意味があり、人から笑われたりバカにされたりする一面と、人を笑わせて幸せにする一面。それをキリストに重ねていた。人は道化師を演じるけども、キリストも道化師としてとらえた。
参考:ジョルジュ・ルオー聖顔に込められた魂の救済@日曜美術館 - メランコリア
小林秀雄は、晩年ルオーに魅せられ、ルオーについて書きたいと思っていたそう。しかし聖書を読んで理解しなければ・・・と思っており、ルオーに関する記述は少ないという。その中で、ルオーが描いたキリストと思われる絵を日本画を整理して購入した女将と出会いました。その絵には、キリストはいないと語り、聖書を理解しなくてもいいと悟ったそう。信仰があるわけではない、苦悩しながら絵を見続けた女将の姿をみて思ったそう。