パナソニック 汐留ミュージアムにて、『マティスとルオー展 ― 手紙が明かす二人の秘密 ― 』が開催されます。開催要項と共に、私が個人的に見てみたいと思う見どころをご紹介します。
講演会と鑑賞レポ―トはこちら
⇒■マティスとルオー展:手紙の行間&フランスの祖国愛は共通?
■開催要項
- 展覧会名:『マティスとルオつー展 ― 手紙が明かす二人の秘密 ― 』
- 会場:パナソニック 汐留ミュージアム
- 会期:2017/1/14(土) ~ 3/26(日)
- 公式サイトURL: マティスとルオー展 ―手紙が明かす二人の秘
■出品作品
■展覧会の見どころ
1.貴重な油彩画や直筆の手紙が初来日
2.世界初の一挙公開が実現。
3.二人の知られざる友情と、絵に秘めた思いを明らかに。
■私の注目点
正直なところを言ってしまうと、「マティス」も「ルオー」も知りません。さらには、私の好きなテイストの絵でもありません。しかし、行ってみようかなと思ったのは、前出でも書いたように、好きでない絵でも、なにかしらの知識が得られたり、関連づけられるものがあったりするからです。⇒【*1】
まだ展示を見てはいませんが、過去に見た展示で知ったことなど、いくつかのつながりをすでに感じています。
〇マティスと其一の構図が似ている
マティスってどこかで聞いたことのある画家・・・と思ったら、鈴木其一の《朝顔図屏風》がマティスの《ダンス》の構図に通じるという話を聞いていたからでした。
① ②
①出典:アンリ・マティス 『ダンス』
②出典http://newyork.navi.com/miru/16/remark/274
《ダンス》の出展はないようですが、其一を参考にしていたとしたら、他にもなにがしかの影響を受けている可能性があるかもしれません。
〇手紙のやりとりによる考察
画家の心情を想像する際に、日記や手紙というのは、一番の確実な情報源だと言えます。鈴木其一展で日記が展示されその対訳が示されていました。⇒【*2】それによって其一の人となりや、描いた植物への造詣の深さなどを感じ取ることができました。
一方、時々、作品の解説を見ていて、作者はそんなこと考えていたのかしら? と思うことがあります。いつからか、作品の解説は企画をした学芸員さんの解釈だと理解するようになり、私は私の感じたとおりに受け止めればいいと思うようになりました。
そんな時、手紙や日記という本人がしたためたものは、貴重な一次情報となります。自分なりに解釈を広げるためのツールとしては、第一級の情報です。手紙のやりとりを通して考察された展示というのは、とても有意義な展示となるのではないでしょうか?
(とは言っても、手紙や日記すべてを鵜呑みにしてはいけないとも思っています。もしかしたら、自己演出や自己保護、没後の自分のイメージづくりということも考えて書いているかもしれない・・・・と思うほど、疑い深いです (笑))⇒【*3】
⇒【*4】
〇ルオーコレクションの美術館
パナソニック汐留ミュージアムは、日本でも有数のルオー・コレクションの美術館なのだそうです。常設展示で、毎回、テーマを決めて作品を展示してきたといいます。そんな美術館が、「ルオー」を冠にして開催するということは、力の入れようも違うはず。フランスでも展示されたことのないというルオーの『気晴らし』シリーズの油彩画全15点 の展示というののその現れと思われ、きっと必見もののはずです。
〇祖国フランスへ愛
・エミールガレの作品は、祖国フランスへの愛が顕著に込められています。それは、祖国というよりも、ガレの生地、ロレーヌ地方への愛で、一時期、ドイツに併合されたことが影響しています。⇒【*5】
・モネも第一次世界大戦の勝利に対する寄進、そして自分を盛り立ててくれたクレマンソーへの恩義もあって、睡蓮を描いたと考えられます。⇒【*6】フランスの画家は、愛国心が強いのでしょうか? それぞれの愛国心はどう表現され、違いなどはあるのでしょうか?
・ルオー、マティスが描いた祖国への愛とは、なんだったのでしょう。描かれたのは第二次世界大戦中で、フランスの首都パリが陥落した危機の時代だったと言います。なぜ、この時代に描かなければならなかったのか。何を描こうとしたのか・・・・
・フランスの画家の根底には、祖国への忠誠や愛を描くという伝統(?)のようなものがあったのでしょうか? もしかするとその裏に戦争ということが潜んでいそうです。日本でも絵画が戦争のプロパガンダに使用されたことがありました。ということは、絵画と戦争による愛国心とは、世界共通に存在するということなのでしょうか?
・あるいは、他の何かがあるのでしょうか? そういえば、カルティエでは、第一次世界大戦の勝利をもたらした戦車をモチーフにした、タンクという時計を、勝利記念に制作したといいます。⇒【*7】戦争と愛国心・・・そんなつながりが今から、想像されるのですが、果たして・・・・
〇汐留ミュージアムはすべて「次世代照明」
前回の『モードとインテリが展』で初めてパナソニックミュージアムに参加したのですが⇒【*8】照明について見てこようと思いながら、見そびれてしまいました。
時間によって、照明の状態が違うということを前回、見逃してしまったので、今回はちゃんと見てこようと思います。また、メインコレクションであるルソーに対するライティングは、これまでの常設展で、いろいろに模索されてきて、経験も積んでいるはず。他では見られない工夫がされいる可能性があるかもしれません。
■講演会
二人の友情を追いかけた展覧会を、山田五郎さんによる講演会もあります。
二人の関係を、山田五郎さん独自のユニークな視点で、お話いただけるのではないでしょうか?
講演会の様子
ちなみに、マティスとルオー展 記念講演会「マティスとルオーの手紙の発見」は、すでに満席。キャンセル待ちは受け付けていないそうです。
*以上「事前告知キャンぺーン」による告知と、私が思う見どころの紹介でした。
■講演会と鑑賞レポはこちら
■関連
■【事前告知】『マティスとルオー展 ― 手紙が明かす二人の秘密 ―』←ここ
■マティスとルオー展:①手紙の行間&フランスの祖国愛は共通? ←次
■マティスとルオー展:②「友情あふれる手紙」を別の角度からみる
■マティスとルオー展:③《ラ・フランス》の展示の秘密を勝手に語ってみる
■脚注
↑ 好きな絵でなくても、過去に見た何かと何等かのつながりが見えてくると、次第に面白くなってきます。
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*2:■鈴木其一 江戸琳派の旗手:鑑賞メモ1 2回目鑑賞の感想追加 より
↑ ■No37《癸巳西遊日記》(p54)
日記の文字や、記載された内容によって人となりが見えてきて身近に感じさせられる。
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*3:■○モネ展:[1]白内障によるモネの苦悩 と 実際の見え方は? 症状は? より
↑ モネの晩年の言葉や記録がありますが、回りの画家の様子を見ていて、没後、どのようなことがおきるかというのを目の当たりにしていたことが伺われます。マネの死後、画商が全ての作品を運び去っていく様子うを見て、不本意な作品が世に出ることを恐れ、多くの絵を破棄、焼却したり、自分の出来の悪いスケッチや習作までもが、
市場に出回るのを避けたいと思っていたと、死後のことまで考えていたことから、日記なども、没後のことを意識して書き残している可能性があるように思いました。
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*4:■ブルーノタウトの日記
↑ あるいは、ドイツの建築、ブルーノタウトの日本びいきは亡命してきたことにより、日本に暮らさなければならないことから、リップサービス的に書かれたのでは? という想像をする人もいたり
翻訳された日記の訳が間違っていたり・・・ →★
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↑ 1871年から1918年の間、ロレーヌ地方は、ドイツに併合されます。この地域は、交通上恵まれた位置で、豊かな資源を有していることもあり、外国の敵対勢力に攻められました。そこから抵抗を表すために、シンボルとして使われたロレーヌ十字はフランスの象徴であり、愛国心の象徴となりました。ガレはその地域の象徴「ロレーヌ十字」を作品の各所にちりばめました。それが意味することは・・・
「外国製でない、フランス製でも、パリ製でもない、自分が愛するロレーヌ地方で作った」
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*6:■モネ展:[1]白内障によるモネの苦悩 と 実際の見え方は? 症状は? より
↑ 古くからのモネの友人で、支援もして評価してくれたクレマンソーは、のちに大統領となり、第一次世界大戦に勝利。その祝いにモネは絵画の寄進を申し出ました。それが国家プロジェクトになります。しかしモネの失明により断念せねばならない状況に・・・
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*7:■リラックスリゾートホテルのライブラリー カルティエ 伝説の時計「タンク」
↑ 戦車がモチーフの時計をブランドが第一次大戦の勝利記念として発売したという話を聞き、ジュエラーがなぜ、戦車をモチーフにした時計を作るのか? という疑問を抱き増した。その裏には、国威発揚、技術力を世界に向けて誇示など、いろいろな事情があるのだろうと想像され・・・・
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*8:■「モードとインテリアの20世紀
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